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検索対象: 救いの思想大乗仏教
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1. 救いの思想大乗仏教

騎馬民族クシャーン 中央アジアの騎馬民族クシャーンは、紀元一世紀半はにインドに侵攻し、各地に版図を広げていった。やかて東の 騎馬民族 漢、西のローマ帝国を交易で結ぶ一大帝国となるか、その最盛期の王かカニシュカだった。彼は破壊の限りをつくし クノヤーンた後、仏教に帰依した。彼の時代に仏像か生まれ、仏教は中央アジア、シルクロードへと伝わ 0 ていくことになる。 カニシュカ金貨カニシュカ王はその権勢をほこるために、ローマ帝国から もたらされた金貨を鋳つぶして、自らの姿を刻ませた。その裏面には、いろ いろな神々か入れられたか、やかてそこにブッダか登場した ( 金貨左にギリ シア語で「ホッド」と刻まれている / 写真上【大英博物館蔵 ) 。

2. 救いの思想大乗仏教

未曾有の戦乱の中で スワートの仏教徒が最初の仏像「梵天勧請」像を彫った頃、インドは確かに「他者ーに直面 していた。北方からの異民族の侵入があいついでいたのである。ヒンドウークシュの北 、中央アジアを根拠とする騎馬民族は紀元前一一世紀頃から紀元後一世紀頃まで、波状的 に南下しインド侵入を繰り返した。ギリシア人、サカ ( スキタイ ) 人、パルティア人、クシャ ーラタ』に以下のような一節 ーン人・ : ・ : 。インドの『古事記』のような存在である『マハ があり、インド側から見た異民族侵入の時代の記述とされる。 「不浄な野蛮人が、わが聖なるバーラタバルシャの地を踏みにじる。彼らは殺し、奪い 世は乱れ狂う。人々の知恵と力は衰え、偽善に満ち、貪欲と無知と憎悪を抱いて互いに殺 し合う」 まず最初に戦禍を被ったのは西北インドの穀倉地帯ガンダーラであった。中央アジアの 騎馬民の側から見れば、ガンダーラはヒンドウークシュを南に越えてすぐの所にあり、こ こでいったん馬を休めた後、さらに中インドへと侵攻する拠点として絶好の土地であっ た。この戦略地点をめぐって騎馬民どうしで争うことも頻繁にあり、ガンダーラは二〇〇 ーラタ』に記されたような、半ば直常化 5 三〇〇年も戦乱の巷となったという。『マハ した殺戮と略奪の日々が想像に難くない。 そして紀元一世紀半ば、こうした北方異民族のインド侵入の最後を飾る征服が行われ る。中央アジア、現在のウズベキスタン南部あたりに興ったイラン系の民族クシャーン人 がヒンドウークシュを越えた。彼らは圧倒的な武力で、ガンダーラはおろかマトウラーが ブッタは突きはなす

3. 救いの思想大乗仏教

ルポ バーミャンの 石窟寺院 バーミャンの石窟寺院 インドではやがて仏教は衰えていくが、その教えはシルクロードから中央アジアへとつなかっていった。ヒンド ゥークシュ山中にあるバーミャンはその入口であった。現在、この地域はアフガニスタン内戦の中にあり、その 遺跡の調査は中断している。 五五メートルの高さの 西大仏。

4. 救いの思想大乗仏教

ブッダの素顔 ークシュの山中にあって、旅人には格好の休憩地点となっている 大仏が刻まれた年代は、六世紀頃という説が有力である。その頃バーミャンは、隊商の 宿場町として最も繁栄した。その繁栄の中で、隊商たちの守り神として巨大な仏像が彫ら れたのであろう。インド世界と中央アジアの境界に立っ巨像は、千里の道を半ばまでやっ ーミャンを訪れた て来た商人たちに、それぞれの感慨を抱かせたに違いない。七世紀、ヾ あっ 玄奘は、この地の人々の篤信ぶりに驚いている。「信仰に厚い心は近隣に類がない。上は 三宝より下は百神に至るまで心を尽くして敬っているー。ブッダの巨像は「金色に輝き」、 しかし、シルクロードの仏教王国バーミャンの運命は、 「宝石がきらきらしていたー ーミャンへの途上。トラック玄奘が訪れてから数十年を経すして暗転する。 はぬかるみで立往生をくり返し 七世紀の後半には、アフガンの地にもイスラムの波が押し寄せている。偶像崇拝を嫌う た ムスリムにしてみれば、金色の巨像は最も厭うべきものであったに違いない。隊商の宿場 町としては存続するが、住民は仏教を捨てる。大仏は飾りをはぎ取られ、放置されたので ーンは、そのユーラシア征服の途上、 一あろう。一三世紀、、一ルの「蒼き狼」チ一ギス・ ヒンドウークシュの山中バーミャンで愛する孫の一人を失う。戦死であった。激怒した大 ノーンは、この町の命あるものすべてを殺せと命じ、それは実行された。男はもちろん、 女も子供も皆殺しにされ、町は完全に破壊されたという。 チンギスの後も、中央アジアに覇を唱え、インドに南下しようとするものは、ヒンドウ ークシュ山中のこの町を通ったはすである 。ハーミャンの人々は、あるときは迎合し、あ るときは抵抗したであろう。あるときは新しい支配を受け入れ繁栄したが、あるときは徹

5. 救いの思想大乗仏教

大乗仏教の流れ 大乗仏教の成立 〔紀元前後〕 中観派 唯識派 密教 中央アジア・シルクロード 律宗 三論宗 天台宗 三階教 国角土教 中世 法相宗 華厳宗 密教 禅宗 チベット・モンゴル 〔 8 世紀前後〕 資料 225 鮮 日本 〔 538 年または 552 年〕 平安仏教 南都六宗 鎌倉仏教 三論宗 成実宗 法相宗 倶舎宗 華厳宗 律宗 天台宗 真言宗 浄土宗 浄土真宗 時宗 臨済宗 曹洞宗 日蓮宗 黄檗宗

6. 救いの思想大乗仏教

石田尚豊 ( いしたひさとよ〕 一九一 = 一年、東京都生まれ。聖徳大学教授。東京国立博物館名誉館員。専門は仏教美術。主な著書に「曼荼羅の研 究」、「両界曼荼羅の智慧」 ( 東京美術 ) 、『日本美術史論集ーーその構造把握」 ( 中央公論美術出版 ) 、『曼荼羅のみか た 八ターン認識』 ( 岩波書店〕、『聖徳太子事典」編集代表 ( 柏書房 ) 、「聖徳太子と玉虫厨子』 ( 東京美術 ) があ る。 「ブッダ」プロジェクトティレクター取材記 / プロローク、第一章 5 第三章の執筆を担当。 宮田章 ( みやたあきら〕 鎌倉英也 ( かまくらひでや ) 「ブッダ」プロジェクトティレクター取材記 / プロローク、第四章 5 第六章の執筆を担当。 一九三四年、群馬県生まれ。東洋大学教授。専門はインド哲学、仏教学、サンスクリット文法学。主な著書に「イ 菅沼晃 ( すかぬまあきら ) ンド神話伝説辞典」 ( 東京堂出版 ) 、「釈迦のことば」 ( 雄山閣出版 ) がある。 一九四五年、静岡県生まれ。名古屋大学教授。専門は仏教美術史、インド・中央アジア美術史。主な著書に『ガン ダーラ仏の不思議」 ( 講談社 ) 、「涅槃と弥勒の図像学ーーーイントから中央アジアへ』「イント美術史」〔吉川弘文 館 ) がある。 一九一一七年、神奈川県生まれ。東京大学名誉教授。国際仏教学大学院大学教授。中国社会科学院文献情報センター 名誉教授。専門は中国、朝鮮仏教史。主な著書に『中国仏教史」、「朝鮮仏教史」 ( 東大出版会 ) 、「こころの達人」、 「韓国古寺巡礼」 ( 日本放送出版協会 ) がある。 一九三八年、東京都生まれ。東京大学教授。専門は中国思想史、道教思想史。主な著書に「中国の思惟」 ( 法蔵 館 ) 、「老荘を読む」 ( 講談社〕、「近代道教の研究ーー主重陽と馬丹陽」 ( 汲古書院 ) 、「中国の不思議な物語・ーーー夢と 幻想・寓意譚」 ( 同文書院 ) 、「中国思想とは何だろうか』 ( 河出書房新社 ) 、「孔子ーー中国の知的源流』〔講談社 ) がある。 佐々木宏幹 ( ささきこうかん ) 一九三〇年、宮城県生まれ。駒澤大学教授。専門は宗教人類学、文化人類学。主な著書に「シャーマニズム」 ( 中 央公論社 ) 、「仏と霊の人類学」、「宗教人類学』、「聖と呪力の人類学」〔講談社 ) 、「神と仏の日本人」 ( 吉川弘文館 ) がある。 鎌田茂雄 ( かまたしげお ) 宮治昭 ( みやしあきら ) 蜂屋邦夫 ( はちゃくにお ) ー ( 執筆順 ) 229

7. 救いの思想大乗仏教

ガンダーラの菩薩像 観音菩薩のいる風景 音」は、それゆえ「観自在」と漢訳される。また中央アジアから発見された『法華経』によれ ば「アヴァローキタスヴァラ」となっており、これによればスヴァラ ( 音・音声・声 ) が接尾語と なって「観世音」となる。「観音」は、その省略である。 「観音」が初めて経典上デビューするのは、『法華経』においてであり、そこでは「ブッダ」 の言葉として、由来が次のように説かれている もしも量り知れないおびただしい数の生命あるものが、さまざまの苦脳を受けたとき この観世音菩薩の名を聞いて、一心にその名を躊躇せずに呼ぶならば、観世音菩薩は すぐさまその声を聞いて、一人残らすその苦悩から抜け出させるであろう。 ( 中略 ) 妙にして、この世を見通す、清浄な、大海の潮のごとき、どの世界よりも勝れた音を もつ、これが観世音菩薩である。 ( 『法華経』「観世音菩薩普門品第二十五」 ) 世界の苦しみの声「音」をあまねく「観届け、自山「自在ーに能力を発揮してそれらを救い 出す、というのがこの菩薩にえられたキャラクターであった。 「菩薩」とは何か。これは「観世音」、「観自在」が原語の意訳であるのに対し、サンスクリ ぼだいさった ット語「ボーディサットヴァ」の音訳である「菩提薩多、が省略されたものである。 「菩薩」とは当初、悟りを開き目覚めた人「ブッダ」になる以前のゴータマ・シッダールタを 指す言葉であった。ガンダーラなどで出土される菩薩像の多くが、さまざまな装飾品をつ けきらびやかなのも、王子時代のゴータマ・シッダールタの姿を彷彿とさせる。やがて、 「菩薩。はブッダその人を指す言葉から、語りを求めて修行する者すべてを指す言葉に、意 味が広がった。ここまでは現実の世界に生きる仏教者を指す言葉であった。しかし、仏教 147

8. 救いの思想大乗仏教

武装する八サラ人 われわれは三人平等にインタビューをした。アフマッド・ジャは、自分たちは全員人を 殺したことがあると言う。「どんな気持ちだったか , と聞くと「敵が倒れるのはうれしい」と 答えた。「なぜ ~ 」、「相手が死ななければこっちが殺されるから」。アフマッド・ジャはジ ャウィードくんを指して「こいつも五、六人は殺してるんだーと言った。ジャウィードくん に「そうか ~ 」と聞くと「そうだーと固い顔のまま答えた。三人並ぶとジャウィードくんの 着物が一番ボロボロなのが分かる。他の二人はそんなことはないのだが、ジャウィードく んだけ細い首筋にべっとりと機械油のような黒い垢がこびりついている。 われわれには、非常食用のビスケットが何箱か残っていた。それを全部三人の少年兵に にいいにプレゼントすることにした。ビスケットをわたして握手をし、さよならを言って別れた 別れ際、ジャウィードくんはようやく笑ってくれた 地雷原に帰っていく彼の姿を、服部カメラマンはすっと追っていた。項上に張った鉄条 網をまたいでジャウィードくんの姿が消える。「死ぬなよ。と誰かが言った。 ブッタの素顔 二〇〇〇年近い昔、戦乱に苦しんだ北インドで救いの思想が生まれた。ブッダに「慈悲」 を読みとったのである 。いかなる理由、原因も存在しないゼロ地点でブッダに生じた意志 である「慈悲」を信じることからすべてが始まった。「慈悲」が生じた瞬間を図像化した梵天 勧請像を皮きりに大量の仏像が作られ、大乗仏教は、巨大なムープメントとなってインド 世界からあふれだす。中央アジアへ、中国へ クシャーン帝国がもたらした、平和と いう格好の歴史的条件も重なった。以後およそ二〇〇〇年、ブッダの「慈悲」は自明のもの 第三章無常の仏・バーミャン

9. 救いの思想大乗仏教

どんなに超人化・絶対化されようが、寺院がゴテゴテと飾られようが、下地に「空」Ⅱゼロ の思想が生きている限り、それはかりそめのものとなる。何億・何兆という大きな数字で も、ゼロをかければゼロとなるように、現世の飾りをいくらまとっても空の思想がある限 り、それは無効化されるのである。 「空」には両義性があった。「否定の空」と「肯定の空」。この世の栄華に目がくらみそうな 者には「否定の空」が、すべてを無化する。一方、災いに泣き、絶望しそうな者には「肯定 の空」が希望を示す。この「空 . ある限り、世のすべての人に仏教は自在に処方箋を書ける。 貿易国家であったクシャーン帝国で、商業・貿易に従事したのは仏教徒が極めて多かっ たという。このころの経典には、ブッダの異名として「隊商の主」「負債なき者 , などと記し たものが、しばしば見られる。なぜ商人・貿易業者が多く仏教徒となったかは分からない やはり土地に緊縛される農民は、クリシュナのような地付のしつかりした神のもとに走っ たのかもしれない。ブッダを教祖としてあおぐとはいっても、究極を「空」、「無常」とする 仏教の、どこか実体のない感じは、一か所に縛られす移動しながら商売をする者に好まれ たのかもしれない クシャーン帝国の版図は、ヒ 」インドから中央アジア、敦煌などで知られる現在の中国北 西部まで広がっていた。仏教を奉するインドの商人たちは、帝国から通行の安全保障を得 て、シルクロードを縦横に隊商を動かした。こうした隊商の活動とともに仏教はインド世 界を出て、世界宗教へと脱皮していく。他民族への布教の際、仏像が大きな効果を発揮し たことは言うまでもない 第ニ章「色即是空」と「空即楚色」

10. 救いの思想大乗仏教

みから、「救い」の思想 ( 大乗仏教 ) とともに仏像は生まれたという仮説は大いに刺激的である。仏 教美術、文献学、中央アジア民族史など、各分野の先進的研究の成果を踏まえている。シリ ズ中、「仏像誕生 , の企画が最も早くから、明確な姿を現していた。 二年あまりの取材、制作期間を経て、「ブッダ・大いなる旅路 . のプロジェクトは終了した。 多くの期待を集めての旅立ちであった。しかし、その期待はさまざまであった。仏教の歴史を 分かりやすく教えてはしいと言う人、ブッダの教えを映像を駆使して見せてはしいと言う人、 「癒し」をえる番組がよいと一一一口う人、アジアのむを描いてくれと言う人。期待の多様さにあり がたい戸惑いを感しつつ、取材は進んだ。しかし、その全てを満たすことはできなかった。番 組ですくい上げられなかった多くの期待の少しでも、本書が補い、満たしてくれることを希望 する。 本書と番組は、執筆をいただいた方以外にも、多くの方々の協力により、生まれた。ロンド ン大学教授・シムス・ウィリアム氏、同ジョー・クリプ氏、東海大学教授・定方晟氏、金沢大学教 授・杉本卓洲氏、在パキスタン日本大使館公使・小林弘裕氏、同一等書記官・滝崎成樹氏、前国 連アフガニスタン特別ミッション上級政務官・高橋博史氏、木本有子氏、アーセフィ・ファルク 氏、ムサッファル・ザヒード氏、国際仏教学大学院大学教授・鎌田茂雄氏、白鳳女子短期大学学 長・山折哲雄氏、佛教大学助教授・高橋伸一氏、ベトナム在住の高橋秀明氏、台湾大学教授・江 燦騰氏、永平寺別院長谷寺のナーラダ・ラブガマ氏、駒澤大学教授・田上太秀氏、同片山一良 氏、そのはか、三会寺、千本釈迦堂大報恩寺、愛宕念仏寺などの協力者の皆様に深く感謝申し 上げます。 ( Z エンタープライズ エグゼクテイププロデューサー船越雄一 ) あとがき 224