石田尚豊 ( いしたひさとよ〕 一九一 = 一年、東京都生まれ。聖徳大学教授。東京国立博物館名誉館員。専門は仏教美術。主な著書に「曼荼羅の研 究」、「両界曼荼羅の智慧」 ( 東京美術 ) 、『日本美術史論集ーーその構造把握」 ( 中央公論美術出版 ) 、『曼荼羅のみか た 八ターン認識』 ( 岩波書店〕、『聖徳太子事典」編集代表 ( 柏書房 ) 、「聖徳太子と玉虫厨子』 ( 東京美術 ) があ る。 「ブッダ」プロジェクトティレクター取材記 / プロローク、第一章 5 第三章の執筆を担当。 宮田章 ( みやたあきら〕 鎌倉英也 ( かまくらひでや ) 「ブッダ」プロジェクトティレクター取材記 / プロローク、第四章 5 第六章の執筆を担当。 一九三四年、群馬県生まれ。東洋大学教授。専門はインド哲学、仏教学、サンスクリット文法学。主な著書に「イ 菅沼晃 ( すかぬまあきら ) ンド神話伝説辞典」 ( 東京堂出版 ) 、「釈迦のことば」 ( 雄山閣出版 ) がある。 一九四五年、静岡県生まれ。名古屋大学教授。専門は仏教美術史、インド・中央アジア美術史。主な著書に『ガン ダーラ仏の不思議」 ( 講談社 ) 、「涅槃と弥勒の図像学ーーーイントから中央アジアへ』「イント美術史」〔吉川弘文 館 ) がある。 一九一一七年、神奈川県生まれ。東京大学名誉教授。国際仏教学大学院大学教授。中国社会科学院文献情報センター 名誉教授。専門は中国、朝鮮仏教史。主な著書に『中国仏教史」、「朝鮮仏教史」 ( 東大出版会 ) 、「こころの達人」、 「韓国古寺巡礼」 ( 日本放送出版協会 ) がある。 一九三八年、東京都生まれ。東京大学教授。専門は中国思想史、道教思想史。主な著書に「中国の思惟」 ( 法蔵 館 ) 、「老荘を読む」 ( 講談社〕、「近代道教の研究ーー主重陽と馬丹陽」 ( 汲古書院 ) 、「中国の不思議な物語・ーーー夢と 幻想・寓意譚」 ( 同文書院 ) 、「中国思想とは何だろうか』 ( 河出書房新社 ) 、「孔子ーー中国の知的源流』〔講談社 ) がある。 佐々木宏幹 ( ささきこうかん ) 一九三〇年、宮城県生まれ。駒澤大学教授。専門は宗教人類学、文化人類学。主な著書に「シャーマニズム」 ( 中 央公論社 ) 、「仏と霊の人類学」、「宗教人類学』、「聖と呪力の人類学」〔講談社 ) 、「神と仏の日本人」 ( 吉川弘文館 ) がある。 鎌田茂雄 ( かまたしげお ) 宮治昭 ( みやしあきら ) 蜂屋邦夫 ( はちゃくにお ) ー ( 執筆順 ) 229
イ・ノーミャン 第三章
東アジア仏教と「あの世」ーー生まれ変わる「ブッダ」の教え 巨大な胃袋・中国大陸 インドに生まれたブッダの教えは、険しい山脈と炎熱の砂漠、海原を乗り越えて中国大 陸まで迫って来た。仏教東漸最果ての島・日本まであとわすかの道のりである。 これからの章は、中国大陸を源とする仏教圏が取材の舞台となる。 東は朝鮮半島から、日本・台湾といった島々、そして南は中国大陸に隣接するベトナム までを含む地域ーーーその広い海域を「東アジア」と呼びたい。現在、複雑な国境線によって 分けられているこの地域は、古代から黄海、東シナ海、南シナ海、太平洋で連なってい た。波濤を越えてさまざまなものが漂着し、人々が流転を繰り返した一衣帯水の地域であ からてんじく る。その一隅にある日本において「唐・天竺」という言葉があるように、「東アジア、仏教の 起源は、はるか彼方のインドと並び、むしろそれ以前に中国に求められる。 「東アジア」の仏教が中国大陸を母体としていることの歴史的痕跡は、共通の経典一言語・漢 字にも見ることができるだろう。 インドから伝えられた数々の経典は、中国においてことごとく漢字に翻訳された。言葉 は、目に見えない概念にも、音や文字といった実体を莎えてゆく。したがって、西から来 た異国の言葉を翻訳するということは、思想自体を翻訳してゆく作業に等しい 中国の人々は、この翻訳作業に命がけで取り組んだ。原語の意味を中国の漢字で表現で 第四章中国にみる仏教の変容 112
プロローグ ・ ( 救いの思想 叫章仏像誕生の謎 【取材記〕ブッダは突はなすコ「仏教誕生前夜のイン ラオトルボ〕 仏像の誕生 ラッダを知 「空」とは何かー =- 「空観」と「救い」の関係菅沼晃 はじめに ( 石田尚豊 目絵】ブッダの言葉 ・フッダ大いなる旅路 0 救いの思想大乗仏教 目次 目
第一章色即是空」と即是色 【取材記 f フッダは救いとるー↑仏像誕生と空 ~ ラオトルボ〕 騎馬民族クシャーン 一ブッダを知 仏像の起源」仏教美術の変おして治昭 第一を無常の仏・ハー、、キン 記〕ブッダの素顔ーーバーミャン探訪記 I フォトルボ〕 ーミャンの石窟寺院 シルクロードの仏教美術宮治昭・中川原育子 目次 100
奥の岩山に西大仏が見える 底的に破壊されたであろう。アフガニスタンは「文明の十字路」と言われる。次から次へと 征服者が現れ、繁栄と滅亡が繰り返された。そのアフガニスタンの中でもバ ーミャンは、 興亡の歴史が、他のどの地域よりも分厚く堆積している土地である。 「空」のオプジェ 大仏が刻まれているのは、峡谷の北側の岩山である。はば一枚岩のように見える岩壁が 一東西に長く伸び、 ハーミャンの町のどこからでもよく見える。この岩壁に、二キロほどの 間隔をおいて、二体の大仏が刻まれている。五五メートルの高さを誇る西大仏と、三八メ ートルの東大仏である ( 普通、ジャーナリスティックに「バ ーミャン大仏」というと西大仏を取り上げること が多い。この章でも西大仏を指すことにする ) 一九八〇年代初頭バーミャンを占領したソビエト軍は、この山の平坦な項上部の一面に 地雷を埋設するとともに砲台をいくつも据えて要寒化した。ソビエト軍の撤退後は、ハザ ラ人の軍隊がそれを引き継ぎ、パシュトウーン人やタジク人など、アフガン内の他民族と の戦いに備えた。西大仏も東大仏も、頭の上には地雷が埋まっているわけである。 岩山の麓、大仏のまわりに人を遮るものは何もない。足元から巨像を見上げてみる。当 然だが玄奘の記した金色に輝くプッダの姿はもはやない。色や質感はまわりの岩壁と同じ で、その分フォルムが強調される。あまり人為の造型という感じはしない糸に 造型ではないのだが、この仏像を作った人間や、それを仰ぎ見た人間の思いや体温といっ たものがきれいに洗い流されていて、今見るわれわれに安易な意味付けを許さない。代わ りに物そのもの、形そのものの力が充満している。最も強烈なのはやはりそげおちた顔だ。 第三章無常の仏・バーミャン 0
三ッ当 ペシャワールは今 も交通の要衝地ありとあらゆるも のが集まる市場 クシャーン帝国は東西の交易により隆盛をきわめた国だった。その首都だったペシャワール ( プ ルシャプラ ) には多くの隊商や旅人が訪れ、東西の物品が集まった。交易国家クシャーンの特徴 が凝縮されたいたこの街には、今も活気ある市場 ( 八サール ) が立ち並び、多くの人々が集う。 第ニ章「色即呈空」と「空即是空」 ペシャワールの市場 刺繍された帽子を 売る少年。 きらびやかな貴金 属店。
第四章中国にみる仏教の変容 記〕東アジア仏教とあの世「圭まれ変わる「ブッダ」の教え ( フォトルボ】 中国の四大 刻経処 九華山の仏像工房 目連救母 【ブッダを知 仏教と道教・儒教の対立・」変容していった中国仏教蜂屋邦大 を現世利益ど観音信仰」 記観音善薩のいる風景 ラオトルボ〕 第観音の聖地・普陀山 中国・観音信仰の姿 136 お 5 161 い 4 目次 1 11 112
多くの人々の観音への思い か、一〇〇〇年という歴史 をもっ観音の聖地に南海大 観音という新しい仏を誕生 させた。 普済禅寺へ至る古道 ( 妙庄厳 路 ) 。道は、如来仏の祠に詣 で普陀山入島の感謝を捧げる 人々でこったかえす。 第五章現世利益と観音信仰 164 チベットから訪れた僧。手にもっ観音像 に、普済禅寺の観音菩薩の仏力を得るため にやってきたという。 紫竹林禅院の円通宝殿。扉に観音 を讃える説話か彫られている。
さ臨 ん時 と住 照職 , 。和と ごり守 - ' 一第ちし参日毎 やて拝に月 ん寺には陰 を訪ふ暦 守れもの な人釈 いは迦 。ゴ牟当 タ仏 シか を大 知半 らの 土楼の村福建省永定県随一の仏 教寺院。三六〇年の歴史をも つ。先代住職の死後、在家信者 てある江財鳳さんと山門の前に 捨てられていた照和ちゃんの一一 人かここて暮らしている。 勝因寺 第五章現世利益と観音信仰 168 観音菩薩像。中国の改革開 放により在外華僑からの寄 進か増加した。この観音も その一つ。