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検索対象: 救いの思想大乗仏教
52件見つかりました。

1. 救いの思想大乗仏教

現代われわれは自分の行為については自分で責任を持っことを求められる。大人なら自 分か行うことがどのような結果をもたらすか、よく考えて行動せよ、と言われる。逆に言 えば、行為の結果に対する責任があるからこそ、行為の自山があると言える。しかし、 「ギーター」が教えるのは、その反対である。人間が行う行為の責任は神が持つ。人は結果 を考えす行為すればよい。だが、その代わり、どの行為を行うかについての選択の自山は ない。神から定められた義務があるのみである。こうした考えが、北方から異民族が侵入 し、乱世が続いた時代に、生まれている。 いっ果てるともない戦乱、生命も財産も、明日の保障がない乱世の中で、自分の運命に ついて自分で責任が持てる者は、よほどの強者であった。そうでないものは自分の運命を ガンジス川で沐浴するヒンドウ誰か安心できる対象にゆだねようとした。吹雪に遭えば、誰でも山小屋を探す。行動の自 ー教徒 由を多少失うことになっても、「あなたは大丈夫と請け負ってくれる者の保護下に身を置 こうとするのは、人情の自然であろう。 乱世の時代、ヒンドウー ( バラモン ) 教は、「私に任せろ」という確固とした、頼りになる神 の姿を鮮明に打ち出した。「バガヴァッド・ギーター」のクリシュナ神は、そのひとつの代 表である。戦禍に苦しむ民衆の救済願望にいかに応えるかは、い まやインドの全宗教の課 題となっていたが、ヒンドウーは、「頼れる神」を打ち出して、これに応えたのである 「私に頼るな」ー伝統仏教の立場 仏教はどうであったろうか。仏教は、神を立てない宗教である。教祖ブッダの遺言は、 「私に頼るな」ということであった。 第ニ章「色即是空」と「空即是色」

2. 救いの思想大乗仏教

東アジア仏教と「あの世」 いなく自分が極楽にゆくと確信できる人間は、一人もいない。現実の現在進行形の生活の 中で、私たちはさまざまな罪と後悔の日々を送らざるを得ない。だからこそ、余計に死後 のことが気にかかる。あるいはそれを躍起になって否定する これは何も現代に限ったことではない。ブッダが出現する前のインドには、長い歴史の 中で培われた死生観があった。例えば、ヒンドウー教徒の聖典『ハガヴァッド・ギーター』 よみがえ は「生者は必すや死し、死者は必すや再生する」と説く。インドの人々もまた死者の黄泉帰 りを信じ、輪廻する生死の中で自分がどこにゆくのかに強い関心があった。 人は死んでどこにゆくのか。この間いは、ブッダにつきまとったはすである。それに対 し、彼はどのような答えを莎えたのだろうか。その言葉を最も忠実に伝えているとされる 原始経典をひもとくと、死者供養や葬式が僧侶にとって最大の活躍の場になっている日本 人の私たちにとっては、意外なことが記されている。 ブッダは、自らの死に際して、弟子たちに次のように語ったという お前たちは修行完成者 ( ※ブッダを指す ) の遺骨の供養 ( 崇拝 ) にかかすらうな。どうか、お 前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向っ て怠らず、勤め、専念しておれ。 ( 『大パリニッパーナ経』※は筆者注 ) 彼は、自分の遺骨の供養をも否定し、弟子たちに日常と変わらない修行を続行すること を諭している。弟子たちにとって最大級の死者である自分への供養さえも許さない さらに、参考になるのは、その人に応じて臨機応変に答えをえてきたゴータマ・ブッ ダが生涯にわたって回答を拒んだいくつかの間いである。 121

3. 救いの思想大乗仏教

成道の地ブッダガャーのマ八 ホディー寺院大塔。 「空」とは何か いう執着と、「我である」という執着の否定である。人間の執着の中で最も強いものは言うまでも なく自分自身の自我への執着、すなわち「我執」である。古い経典に説かれる「無我説」は、このよ うな我執を捨て、それにこだわらす、とらわれないことを強調する点に特徴がある 「無我説 , のもう一つの意味は、何かあるものについて「我が物である、「自分の所有である」とい う考えを否定することである。何かあるものを自分のものと思い、自分に属するものとする考え は、我に対する執着から生じる。しかし、人間も物もすべて縁起しているものであり、無常の存 在である。所有する私も永遠の存在ではありえないし、所有される物も常に生じ滅しているもの である。そこには執着すべきものは何もないと知り、「我がある、「我である」「我が物である , とい とブッダは説いた う執着に苦しむ心を解き放してやらなければならない、 ブッダはここでは「空」という言葉こそ用いていないが、我執を含めたあらゆる執着を離れた、 とらわれのない人間の在り方を説いているのであり、これは初期の大乗経典で説かれる「空の世 界 , にそのまま通する教えと言ってよいであろう。 『般若経』の説く空観 初期の大乗仏教運動はブッダへの熱烈な信仰を中心に、仏塔を崇拝し、仏像を作るとともに、 けごん はんにや 多くの経典を制作することによって始められた。こうして、『般若経』『華厳経』『法華経』『維摩経』 あみだ むりようじゅ 『阿弥陀経』『無量寿経』などの経典が作られたが、これらはインド仏教史の上で初期大乗経典と くうがん 呼ばれる。最初に成立したのは『般若経』で、この経典に説かれる「空観、と、それに基づく大乗菩 薩の実践は、それ以後に作られたさまざまな経典のべースとされた。「空観、という「観」の字を加 えた場合、空という立場に立って人間や社会を観ることを表している。理論として空を理解する のではなく、空ということを自覚し、体得することであると言ってもよい。『般若経』を始めとす る大乗経典で「空」と言うとき、それはすべて「空観、を意味するのである。 ゆいま

4. 救いの思想大乗仏教

墓地内にある土地公 のの、供養の最終目的は常に「この世ーの自分や家族への果報に結びついていた。 「あの世ーでの死者の不幸は、実は、「この世ーの自分たちの不幸なのだった。 許さんが、大陸の先祖以来、身体感覚として受け継いできた「あの世」観を形作ってきた ものは何なのだろうか 精進料理を食する仏教徒である、と私たちに向かって語る許さんは、風水師として村人 の相談に乗りもし、その家の祠堂に多くの民間道教の神々を祀りながら、中央には観音菩 薩の仏画を掲げる人物である。さまざまな信仰が至極当然といった顔をして許さんの中で 入り交じっている。その中から「仏教的、といわれるものを峻別して取り出すのは容易なこ とではない。なぜならば、許さんにとって現在ここにある生活すべてが、本人の言葉を借 りるならば「仏教的 . であるからである。 間題は、死者供養を勧める「盂蘭盆、の行事や、その背景にある強烈な死後の世界「あの 世」観が、インドに生まれた仏教によって形作られてここにあるのか、それとは異なる伝 統の中で築かれてきたものなのか、ということである。 果たして、ゴータマ・ブッダは「あの世をどのようにとらえていたのだろうか 彼は、死や、死後の世界についてどのように語ったのだろうか フッタの「あの世」 自分は死んだらどこにゆくのだろう 誰しもが一度はとらわれたことのある考えだと思う。 日本人の多くは、地獄・極楽という死後の世界を考えるだろう。そして気がっ 第四章中国にみる仏教の変容 120 く。間

5. 救いの思想大乗仏教

ブッダは突きはなす すれば、原始仏教は宗教ではなかったとさえ言える。 自分自身も含めて無常であることを、ブッダはその死を迎えて、特に力説しているよう に見える。ブッダは八〇歳になって老衰し、食あたりで下痢をして死ぬ。普通の人間の死 因と何ら変わるところはない。死にあたっての遺言は、こうであった。 「すべてのものはうつろいゆく。私に頼るな。あなた方はあなた方自身で生きよ」 いわば、自分を偶像化するなと言い残してブッダはこの世を去っているのである。 とブッダが明言した記録は残っていないしかしそれは、あ 仏象を作ってはいけよい、 えて戒める必要がないはど当たり前のことだったのではないか。いやしくも仏弟子、僧侶 いくら偉大な師であっても、人の姿を木や石に彫ってそれに執着するというの であれば、 は、仏教の根本から考えて、あからさまにおかしいことであると理解できたはすである。 ブッダを一種の農業神として見ていた俗人以上に僧侶たちが仏像を作る動機はなかったよ 、つに田 5 、んる ブッダを自然の循環を司る者と考えストウーパに納められた舎利を豊穣をもたらす吉祥 の種子と見なして尊崇していた俗人の信徒たち、自分自身をも無常の存在であるとして偶 像化を禁じた師の教えを奉じた僧侶たち、どちらも仏像を作ろうとはせす、仏滅後五〇〇 年という歳月か流れた。 ではなぜ五〇〇年たったとき仏像が生まれたのだろうか ~ 「仏像誕生の謎。がようやく謎として立ちあがってくる。 仏滅後五〇〇年たって仏像はガンダーラとマトウラーという二つの地域でほば同時に生

6. 救いの思想大乗仏教

1 圓光仏学院大学部の卒業を目前 にした黄雅琪さん いうことは、翻って、彼らはすべて観音菩薩たり得るのであり、そのための厳しい行いの 実践が求められているのだともいえる。 卒業を前に黄雅琪さんが選んだ道は、在家信者として、さらに観音菩薩の道、菩薩の精 神を学んでゆくことだった。当面は事務の手伝いをしながら、ここに残りたいという 「菩薩の道は、『自利利他』を説きます。ます自分がしつかりしてから、他人を助けられる ようになるのです。例えば、溺れている人がいるとします。私は助けてあげたいと思うの ですが、泳ぐことができません。人を助けるにはます自分が泳げるかどうか、見極めなけ ればなりません。それには『知恵』がいります。私にはまだまだ自分を見極める時間が必要 です。出家だけが菩薩の道を歩む道だとは思わなくなりました。菩薩の道とは、私たちの 生活すべての中で間われています。単なる名詞ではないのですー 力強い言葉だと思った。別れ際、彼女は「ブッダーについて、私たちにこう語った。 「彼はこの世にはいません。しかし教えは生きています。ですから私は、人間に従うので はなく、教えに従う。私は教えを通じて「ブッダ」を知りました。「ブッダ」がいたから仏教 を信じることになったわけではないのです。ですから私は、教えに向かいます」 新しい「ブッタ」の歩み 仏教が社会に密接な関わりを持ちながら成長している台湾は、今、世界中の仏教者が頻 繁にその成功の理由を学ばうと訪れる、新しい仏国上となっている。私たちが台湾に滞在 していた期間にも、「南伝仏教 - の世界で崇められるひとりの僧侶に出会うことができた。 スリランカ僧・アーナンダ・マイトレーヤ師。かってブッダが人々に向かって最初に説法 第六章台湾・新しき仏国土 186

7. 救いの思想大乗仏教

巨大な楼にくらす老婆 観音菩薩のいる風景 うすることで私には守ろうとしたものがあったんです。それがこの観音様ですよ。家系図 一族全 は私や私の家族にとっては重要なものでしたが、この観音様は家族のみではない、 体の宝だったからです。私は、数人とともに観音像を隠しました」 それは、この円楼の歴史の中で、ただ一度だけ観音像が中央から姿を消したときだっ た。祖先や親を大切にし、祖先から続く血のつながりの中に自分のアイデンティティーを 確認してきた人々にとって、自らの家系図を焼くということは、身を切られるような痛み であったはすである。そうまでして一族全体の守り神は隠された。その場所は第一楼の四 階屋根裏。梯子をかけて覗き込む。薄暗い。ここまでは厳しい監視の目も届かなかった。 しかし、もし誰かがそれを密告したら、存忠さんも危なかったのではないですか 「まあ、そうでしよう。でも大丈夫でした , と、彼は笑って答えた。そして「もし誰かが観 音はどこだ、と尋間されたとします。そいつはこう答える。『誰か隣が持っているだろう』。 隣が尋間される。そいつも答える。『誰か隣が持っているさ』。そうしてぐるぐる回ってゆく 当時、この円楼には六〇〇人が住んでいました。観音様を捜し出すことは不可能です」と。 円楼の人々は、隣にえた福徳や助けは、順々にめぐりめぐってやがて自分のところに 、ー、ー「帰ってくるという。それは必ずしも自分が生きている間でなくてもよい。息子や孫など りやく 脈々と続い てゆく時間の中でやがて戻ってくると信じている。彼らにとっての「利益」と は、日本でイメージされるような独善的でエゴイスティックなものとはかけ離れている。 壮大な時間の中で循環しているのである。それは、ここを出ていった華僑の仲間をも含む . い .. 」 . . 大きな円である。円楼は、その空間的な輪廻を象徴しているかのようにそびえている。 15 5

8. 救いの思想大乗仏教

経典の版木を彫る職人 が三万枚、整然と並べられていた。その奥に、求めていた『仏説盂蘭盆経』があった。 「この経典は、中国で最も人気の高い経典といってよいでしよう。なぜならば、この経典 が仏教経典として孝行の徳を強調しているからです。中国古来の伝統文化の中で最もすぐ れたものは儒教の教えです。この経典は、儒教の『孝経』に当たるものなのです , 完全な『仏説盂蘭盆経』は漢文経典しか残されていないという。それゆえ、この経典は中 国で創作されたか、あるいは翻訳段階で大幅に書き換えられた可能性の高いというのが学 会の定説である。つまりこれは中国が生み出した、新しい「ブッダ」の教えなのである。 ゴータマ・ブッダと同時代、中国に出現した孔子が説いた儒教は、仏教が西から入って くるまでの長い歳月、生き方の指針として中国人の中に根づいてきた。孔子もまた「未だ 生を知らず、いずくんぞ死を知らんーと語っているように、死や死後の世界について言及 を避け、もつばら現世でのモラルを説き続けた。その中で最も強調されるモラルのひとっ が「孝行」であった。『論語』に、次のような記述がある。 父母の生きているうちは礼をもってよく仕え、亡くなられたら礼をもってよく葬り、 その後々も礼をもってよく祭る。これでこそはじめて親孝行といえる ( 『論語・為政第二し ここに、「孝行」と「先祖供養」が不可分のものとして、大切にされてきたひとつの原点が ある。「先祖供養」は「この世」現世におけるモラルなのである。 中国の人々にとって、「孝行」を積み現世をよりよく生きれば、その徳は、生きている間 に福となって自分たちに帰って来るものと信じられていた。しかし戦乱の歴史の中で、 くら「孝行」につとめた立派な生き方をしていても、あっさり殺されたり無残に死んでゆく 第四章中国にみる仏教の変容 126

9. 救いの思想大乗仏教

僧侶が仏像を作らなかったわけ ここまで述べてきたのは、アショーカ王も含めて、俗人、一般信徒のブッダ観である。 そうではない人々、即ち、ブッダの弟子たる僧侶たちはどうであったろうか 初期の仏教は、僧と俗人を峻別していた。仏教の諸施設にしても、ストウーパは俗人が 管理し、僧侶は立ち入らなかったという。逆に僧房や修行場は僧侶だけのものであり、俗 曽たちはプ 人は排除された。俗人はストウーパを生への讃美で飾りたて豊饒を祈ったが、ー ツダの無常の教えを奉じて、この世は苦であると考え、修行と精進によって涅槃に達しょ うと努めていた では、この僧侶たちの方は、なぜ仏像を作らなかったのか ~ この理山は比較的はっ ハ大聖地のひとつ、インド・ヴきりしているよ、つに田 5 、つ。 アイシャーリーのストウーバ ブッダの教えを忠実に信奉する僧侶たちにとって、仏像を作ることが教義に反すること は明白であったからである。ブッダは一生をかけて、「すべてのものはうつろいゆく。う つろいゆくものに執着するから苦しみが生まれる。だから執着するな」ということを言い 続けた人物である。この世に絶対のものはない、オールマイティはないんだ、と語り続け た教祖であった。そしてユニークなのは、ブッダが、この教えには自分自身も含めて例外 はないと言い切ったことである。つまり、ブッダ自身も無常のものであり、オールマイテ イではない、執着する必要はない、 と言い切ったのである。他の多くの宗教は違う。すべ てのものは無価値なものだと言うが、その中で、かく言う自分だけは ( あるいはこの神だけは ) そうではないと言う。オールマイテイだと言う。そういう言い方をするのが宗教であると 第一章仏像誕生の謎

10. 救いの思想大乗仏教

が「救い」の側面を強く打ち出す、いわゆる「大乗仏教」成立以後、その宗教改革ともいえる 変化の余波は「菩薩ーという言葉ひとつの上にも現れてくる。「菩薩」はすでに語りに達した にもかかわらす、この世で苦しむ人々を救うため、自分の身分を「覚者 ( ブッダこから「修行 者 ( 菩薩 )- にあえて格下げし、より人々に近い形をとってこの世に現れた救済者としての意 味にまで膨張するのである。それは、ブッダが弟子たちに、 今でも、また私の死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよ りとせす、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる 人々がいるならば、彼らはわが修行僧として最高の境地にあるであろう。 ( 中略 ) 汝らを捨てて、私は行くであろう。私は自己に帰依することをなしとげた。詼ら修行 僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、よく戒めをたもて。 と説いてこの世を去ってから五〇〇年あまりも後のことと言われている。出家して師の 教えを心に刻み、厳しい修行を続ける人々もいた。しかし、すべての人々にとって、困難 に直面しても自らと法のみをよりどころとして道を切り開け、と説くその教えが実践可能 だったのではなかった。今は亡きゴータマ・ブッダに代わり、彼と同等の悟りの境地に達 しながらも、自分たちを「捨てて . ゆくことなく常にかたわらにいて、救いの手を差しのべ てくれる存在を求めた人々もまた、私たちと同じ人間だったというべきである。 こうして「菩薩ーは、苦しみを持つ人々を救う存在としての意味を新たに加えた。 なかでも「観音・菩薩ーは、「苦しみと救いを求める声をひとりたりとて聞きもらすことな く、人々を救うために自在に力を発揮する・仏と同等の悟りを持っているにもかかわらす 第五章現世利益と観音信仰 148