母親は、誠二の子ども時代を告白して涙を流す。まるで、かばってやれなかった罪の意識 を吐き出すかのように。 妻にあてた走り書きには、「一緒に子どもを育てたかったよ。ごめんね」とあった : おえっ それを手にして、嗚咽をくり返す妻。 このあと誠二の父親は、病院追及に出た。「出された薬を飲んだのによくならなかったのは、 治療ミスだ」と。 誠二は世代連鎖を断ったのか。いずれにしても、これは明らかに間違ったやり方だ。では、 誰か彼を正しい道へ導くことができたというのだろう。 729 断ち切れ ! 虐待の世代連鎖
的に、愛そうとしたことが仇になる。母親も少女期に親から虐待されて育ち、補導された「過 去」を持っていた。 子どもへの愛情が強いほど、連鎖の縛りは強くなるのだー 五年前、私はおよそ二千五百人の親を対象に、ある調査を行った。その結果、子ども時代 に虐待された人のうち、母親の八一 % 、父親の六九 % が、自分の子どもにも虐待していると いう数字がはじき出されたのだ 全国の児童相談所が処理した虐待相談でも、六一 % が母親によるもので、群を抜いて多い ここに、母親のも これらの数字は、けっして「鬼母」ぶりを語ろうとするものではない っ子どもへの「愛情」と「責任性」がいかに重いものかを読み取らねばならない 事実、タカシの場合、彼が一歳の誕生日を迎える前に父親は行方をくらまし、母親が一人 で子育てと仕事の両方を抱え込んだ。 まだ「男女共同参画社会」のスローガンすらない、世の母親たちを忍従させた時代、文化 ( 今でも実態は変わらない ) 。 幼いタカシの記憶 : ・ あだ 27 断ち切れ ! 虐待の世代連鎖
秀樹は唐突にそう一言うと、子どもの頃の話を始めた。 秀樹は今、中学で教師をしている。私たちはある生徒の非行を話し合っていたのだが、い っしか彼の心は、甦った過去の思いで満ちていた。 「不思議ですが、そのときは僕が悪いとしか思ってなかったんです。殴られるのは当たり 前だと」 信念の基盤は、子ども時代の経験が作る。どこかで強い「手」が差し延べられない限り、 それは一生を縛りにかかるだろう。 「親父に怒られないように、必死で勉強したものです」 彼ことって「教育」とは、「怒 やがて教師となり、子どもを教育する立場になるのだが、 , ー 「私のことを少し話してもいいですか ? 」 「親父からよく殴られていました。一晩中、家の柱に縛られたこともありました」 〃救いの手 刀断ち切れ ! 虐待の世代連鎖
刀笑顔 笑顔はすばらしい ? そう信じる人に、ときに笑顔が真実を隠し、新たな悲劇をも生み出 すことを知ってほしい 「笑顔」のことを考えると、私の高校時代の一コマを思い出す。一年生のときにクラスメ イトだった、洋介のことだ。 それは数学の授業中、洋介が教師に指名されることから始まった。彼はスッと立ち上がる と、ニコニコと笑いながら目を伏せる。それで何も答えないのだ。 と、洋介に 教師はきまって「ニャニヤするな ! 」と指摘して、「笑えばすむと思うなー とって屈辱的な一言葉の数々を浴びせた。洋介のニキビ顔はみるみる赤らみ、首筋には汗がた れる。それでも彼は笑い続けた。 当時の私の目にも、教師が彼を「パニック」に追い込んでいたのが明らかだった。痛々し かった。 〃 9 断ち切れ ! 虐待の世代連鎖
のあり方を見直さなくてはならない。ネットワーク作りが各地で試みられるが、「素人」が 寄り集まったところで太刀打ちできるような世界ではない 再度、北斗君のケースを振り返ろう。 事件の三カ月前、保育園は北斗君のからだにあざがあることに気づき、すぐに母親に事情 をたずねている。この一般的な対応に、母親は「私のかわりに高校生がしつけをしてくれて いる」と説明した。母親との信頼関係にひびが人った瞬間だ。疑われた母親にとって、保育 園は秘密を知られてはならない「敵」に回ったのだ。 私だったら続けてこう言っただろう。「お母さん、子育て大変でしよう。高校生の方に手 伝ってもらえると助かりますね」、「お母さんにとっても、青春時代のやり直しのようで、楽 しみが増したんじゃないかなあ」。初期は、どこまでも受け人れようとする姿勢を崩さない ことだ 北斗君の母親には、高校生との愛に走らせた深い事情 ( 世代連鎖 ) がある。母親が、常識 的には「不純」な高校生との関係をも自ら打ち明けられるような、そこまで心開ける支援者 に出会うべきだった。高校生も然り。 7 / 0
子の宿題への干渉を強め、暴力もエスカレートしていったのだ。彼女は電話の呼び出し音が 怖くなり、夫が早帰りした夜はこっそり回線を抜いた ふたたび話は典子の中学生時代のこと。学校にできた相談室に行ってみると、当番だった 国語の女性教師がいた。思い切って父親のことを少し話すと : 「あなたはほかの人より苦労している分、強い人間になれるわよ ! 」 はい ! 」と明るく応じた。教師はみんな同じだと思った。 宿題のことになると子どもを容赦なく責める「かっての父親」と「今の夫」。コピーされ連 代 世 たかのような家族の世代連鎖だが、それを断っチャンスは幾度となく訪れていたはずだ。 の 最近、教員対象の研修会でこの事例を取り上げたことがある。それを踏まえた管理職から 虐 の発言は、「そもそも学校というところは : ・ : 」だった。この続きに並ぶ文句は、集団、協調、 れ 切 忍耐 : : : 。虐待が間われるずっと以前から、変わっていないではないか。 ち 「学校改革」が、「学校というところ・ : ・ : 」を根本から間いかけるものであることを、わか っていないようだった。 7
虐待された人たちには、自分の子ども時代の不幸を過小評価する傾向がある。これは「否 認」という心理機制であり、あまりにも事実がつらいので、それを見ないようにするはたら きだ。優子も例外ではなかった。 ここでまた、娘が口をはさむ。 「そういえばお母さん、浩史が小さいとき、いつも『役立たず』って言ってたよね : : : 」 すると、優子の顔色が急に曇った。「明らかな連鎖」があるのに、ここにくるまで気づい ていなかったのだ。このあとも、まるで筋書きがあるかのように、家族の物語は展開してい 「あの日、浩史が暴れてくれなかったら : 。あれは、母の日だったんです」 そう、あの暴力は、息子から母への贈り物だったのである。 優子が、浩史の家庭内暴力を「母の日の贈り物」と理解してから、母と息子の間に言葉の キャッチボールが復活した。しかし浩史は、父親のことはまったく話そうとしないのだった。 優子は「男の子にとって、父親の存在は重要ですよね ? 」と、怪訝な様子でたずねてきた。 夫の純一は、コンピューター関連企業の海外部門に属していて、浩史が生まれる前からひ 87 断ち切れ ! 虐待の世代連鎖
理屈っぽさは、子ども時代に身につけた生き延びるための戦術である。責める親のもとで、 自分の落ち度を減らすことに全神経を注がなくてはならなかったからだ。しかし、自分を守 のちに愛する家族を砕く術となるとは、連鎖はなんと悲しい掟だろう。 ろうとした術が、 奈津美は、「子どもは殴らないで」と頼んだ。すると、「お前がしつかりせんで、おれが殴 らなあかんのや ! 」。 奈津美の脳裏に、二年前の忌まわしい出来事が、焼きついて離れない。二年生だった太郎 が、学校の宿題を忘れた日の夜のこと 「お前が勉強せんのは、こいつがおるからや ! 」 そう言って、夫は太郎が育てていたハムスターをつかむと、思いっきり壁にたたきつけて、 殺した。このときの、血の気が引き、立ちすくんだ太郎の姿 : 深夜、太郎は悪夢にうなされ、四十度の高熱を出した。すかさず「おまえが甘やかしとる で、軟弱になっとる ! 」との弁解じみた理屈。翌朝は、「学校は体んだらあかん。たたいて でも行かせろ ! 」。 前夜からの出来事を見ていた祖母は、奈津美のところへ来て、「父親のきげんを損ねるの 〃 5 断ち切れ ! 虐待の世代連鎖
思いながら、私はその校長に会った。 評判のワンマン振りとは別人のように、目尻に涙をたたえ、ポツリと語った一言は「おれ はもうだめだ」だった。 人生の歯車が狂ったのは、定年退職間際に彼なりの計画、すなわち出身地に近い都市部の 大規模校で職をまっとうすることから脱落した瞬間。異動が言い渡されたとき、その意味を、 当然ながら本人は悟っただろう。 もう一人、校長の尻拭いに疲れ果てた教頭の健二。こちらの校長にも会ってみた。彼も すんなり自身の問題性を、「私には、自分のどこがいけないのかわからんのです」と認める。 やはり涙目だ。彼は、地元で「不適格教師の吹き溜まり」と噂されるような学校に赴任し、 そこで教員人生をまっとうする。 校長たちとの対話を進めるうちにわかったこと。彼らの教頭時代、やはり「ヒラ校長」と の関係で悩んでいた。「ヒラ」と「エリート」の篩は、意外に早いらしい。落ちたことに薄々 気づきながらも、一部の教師はエリートとして君臨する夢を追い続ける。上ばかり見る眼差 しは、下の立場を思い遣るという道徳の感性を鈍らせる。 ふるい ノ 87 断ち切れ ! 虐待の世代連鎖
この論理が彼女をつき動かしたのは、中学一年生の息子が不登校になったとき。不登校と いう紛れもない事実が、自分の子育ての失敗を証明したと考えたのだ。 和子の悲しい論理は、「私はばか」との信念から引き出されたもの。信念を「たかが思い込み」 と侮ってはならない この「自分はどんな人間か」という究極の問いへの答えは、その人の あらゆる営みを生み出す源泉となり、生涯を縛りにかかる。 信念は、子ども時代に親からかけられた言葉が心の奥に棲みついたもの。和子にとっては、 幾度となく届けられた「おまえはばかだ」のメッセージ。物心つく頃には、「本当に私はば、だ と思い込んでいた。幼い子どもに、親の言葉を疑うことはできないのである。 彼女は人並みだった。 当時、二人の兄がいた。兄たちは何をやってもうまくこなしたが、 , それを家族の汚点であるかのように、親は容赦なく責めたのである。 小学六年生のとき、「自己紹介文」に「私はばかです」と書き、担任から「おまえはばかか ! 」 と叱られたことがある。このときも、「やつばり私はばかなんだ」と納得したという。 結婚したのは二十歳のときだった。見合いの直前、父親から「おまえのようなばかな娘を もらってくれる医者は、ほかこよゝよ ) 。。しオし」と言われ、その瞬間に縁談の行方は決定したのだ 断ち切れ ! 虐待の世代連鎖