似秘密 『ムのものよお ! 』って、引きち 「右手はお父さん、左手はお母さん。『俺のものだあ ! 』、不 ぎられると思ったよ : : : 」 愛子が私に話してくれたイニシャル・メモリー ( 最初の記憶 ) は五歳の頃、両親によって その身が引き裂かれる痛みだった。彼女が生まれ育った家に、暴力と離婚話が絶えることは なかった。 保育園で愛子は、七夕の短冊に「願い事」を書くと、家に持ち帰って神棚に供えた。 愛子は雪国の子。両親と父方祖父母がいる家に、長女として生を受けた。父親はキレると 家族に見境ない暴力をふるい、小柄でか弱い母親は、愛子がかばわなくてはならない人だっ しいつけを守らないと、すぐに 祖父は、家族の前で灯油をかぶって焼け死んだ。祖母は、 「神様、私に罰をください」
両親のことをたずねると、「お母さんは大好き」、「お父さんは優しい」と答えた。しかし そのあとが続かず、固まってしまう。答えることがないのではなく、思考が止まっているの だった。 そう、重症の「解離 ( 心の切り離し ) 」が起きているー のちに早紀の母親に会った。やはり娘と同じで、表面的な会話は成立するが、家族関係に 近づいていくと止まってしまう。それでも、ゆっくりと信頼関係を築きながら、「核心」に 鎖 たどりつくことができた。 早紀の乂親は確かに優しい人。ただ、突如として娘を殴り出し、怒声を浴びせ、やがて諭世 待 し 0 言葉一延 0 』続」、終わ 00 だ「〈。 虐 これら父親の一連の振る舞いを間近に見ているはずの母親に、たずねてみた。 れ 切 「このとき、ご主人はどんなことを言っていますか ? 」 ち 断 彼女は不意を打たれかのように当惑を隠せず、小声で答えた。 「わかりません : ・・ : 」 娘が父親から虐待されている間、母親も「心、ここにあらず」の状態 ( 解離 ) に陥ってい
「あそこ」とは父親の性器のことだった。私は一瞬、返す一一一口葉を失った。 絵里が「父親」を握り返すようになったのは、高校に人学した頃だった。そうすることで、 父親の機嫌がよくなるのだ。 私「お母さんの見えないところでするの ? 」 鎖 絵里「見てるところだよ」 連 代 私「注意してくれない ? 」 世 の 待 『お父さんはじゃれてるのよ』って言う」 絵里「別に : 虐 私の脳裏に「止めない母親」の問題性が浮かび上がる。最近、同じような二組の事例にか れ かわったが、これら親子には共通した特徴がいくつかあった。 切 母親が父親の「ちょっかい」をかばうこと。娘も父親にやり返していたこと。父親が暴力断 をふるった時期があったこと。 私は絵里に続けてたずねた。 絵里「あそこを : : : 」
四歪む世界 亜紀は生後六カ月になる女児の母親だ。といってもまだ十七歳だから、彼女もほとんど子 どもである。高校は出産前に「自主退学」している。 妊娠が判明したとき、亜紀は産むかどうかで少し悩んだ。 周囲の人たちが反対したのは、彼女が高校生 ( 若い ) だったからではない。。 やめさせなくてはならないわけがあった。しかし彼女にも、産みたいわけがあった。 亜紀が六歳のとき、新しい父親がやってきた。当時四十七歳で、二十七歳だった母親より 二十も上だ。母親の心の中では、「愛する男性」と「父親」のイメージが融合していた。 不幸なことに、再婚後まもなく、母親は子宮の病気を患い、優しい夫に「女」として接す ることができなくなった。そして、申し訳なさを募らせるのだった。 一方で亜紀も父親に愛着を寄せ、父を喜ばせてあげたいと思うようになる。こうして、家 族内に暗黙のコンセンサスが生まれ、亜紀と父親は異性として結ばれた と一つして、も、 708
絵里「いいよ」 私「お母さんどうして止めてくれないんだろう : ここにきて、再び涙をぼろぼろこぼし黙ってしまった。 絵里が自分の「思い違い」に気づいたのは中学一年のとき。遊びに行った友人宅では、父 親は暴力などふるわず、娘の身体も触らなかった。それを目の当たりにして衝撃が走った。 それから、父親が触ってくる度に嫌悪感を覚えた。そんな娘の変化を察して母親が言う。 「お父さんは、じゃれたいだけなのよ」 「そうなんだ。友だちの家のほうが特別なんだ」と言い聞かせるが、動き出した心は元には もどらない。父親の手の感触をがまんすると、自然に涙がこぼれてしまうようになっていた 母親に見てほしい涙だ。しかし父親の行為のあとで、母親がそっと言いにきたことは : 「お願いだから、泣かないでちょうだい。お母さんの立場を分かって : : : 」 キレるとひどい暴力をふるう父親。その機嫌を損ねないことは、この家族にとって何より 優先されるべき課題だった。 「お父さんとお母さんよ、中ゞ 。 , 1 力ししのワ・」
「そんな夜に、何をしていたんでしようね ? 」 「ぼーっと、人を見ていました。帰ってくるなあ : ・・ : って」 「寂しかったの ? 」 しいえ、そんな気持ちは消していましたから : 光彦のからだには、養父母から受けた暴行の痕が痛々しく残る。それを私に示しながら、「痛 みは消してますから」と笑った。 光彦は、「家族が集う家」というものを知らない。暴力的な子どもだったので、小学高学 年からは、ほとんど矯正施設で過ごしている。 ひとり時間をつぶしていたときのことだった。 母親は光彦を出産してすぐに他界し、父親は育児を放棄したため、身内の夫婦が養父母と なった。しかし、この新しい両親も、いつも家を空けていた。 私「どれくらいの時間、しやがんでいたのかな ? 」 光彦「はっきりわからないですけど : : : 。ずーっと、ていう感じですか : 遅くまでだったと思います」 けっこ一つ夜 ノノ 2
亜紀は力を込めて言う。 「私はお父さんが好き。だからお父さんの子どもを産みたい」 父親も、「おれたちが好きでやっていることに、余計な口を出すな」。母親は、「本人たち 力しいって言うんだから、 しいじゃない ! 」と : 虐待が子どもの心に落とす影。想像を絶するほどの重い後遺症の中で、将来の社会適応に 決定的ダメージを与えるものが、「認識の歪曲」である。 鎖 価値観は多様であってしかるべきだが、それがより広い社会に共有されなくては、社会か 連 代 世 ら排斥されるだろう 。いたるところに確執を生み、この世は「生き地獄」と化す。 の 亜紀の家族に書き込まれていたのは、「父と娘の恋愛」のプログラム。おそらく、世代を待 超えて受け継がれてきたものだ。だから母親も父ほど年の離れた男性を再婚相手に選んだし、 れ 切 亜紀もそれに習ったのだ。 ち これに対して「近親相姦」、「性虐待」の病理として扱い、ぜったいに容認しようとしない 社会。根拠となる法は、社会の多数意見が明文化されたにすぎない。 さて、どうだろう : : : 。家族内恋愛に許容的な人たちが増えていったとしたら、いずれ私
なかった点を問題にしているのだから。 なぜ子どもも親も、家庭で虐待が起きていることを教師に話したがらないのだろう。その 理由は簡単で、「話す意味」を感じていないだけだ。これだけ子どもの身近にいる教師なのに。 典子の場合、息子の宿題ノートが夫に破られたことを、むしろ率先して隠した。実はそん な彼女は、教師が「敵にも映る心の眼をもっていたのだ それは典子の小学生時代にさかのぼる。恐ろしい暴君の父親の下で、怯える日々を過ごし ていた。そそっかしい性格で、叱られることばかりをしていた。当然、忘れ物も多かった。 そんなある日の夕方、担任から家に電話がかかったのだ。宿題を忘れたことを伝えるもの だったが、 運の悪いことに、仕事から早く帰った父親がいた 「は、はい、すみません : : : 」と、何度も頭を下げる母親の様子に、父親はすぐに典子の 失態を悟る。母親が受話器を置くと、家庭は修羅場と化した。 典子にとって、教師は「親に言いつける人」。だから翌日も、顔の腫れを間われたとき、「走 って転んだ」と説明する。 典子が母親の立場になってからも同じことが起きた。学校からの電話をきっかけに夫は息
彼女は暴君の父親と、ひたすら服従する母親の姿にさらされ続けていた。「暴力の嵐」の あと、母親はいつも小声で泣くのだった。そんなとき、麗子は傍らに座り、母の手を握った。 いっしか、どこの家でも父親は母親を叩き、子どもは母親を慰めるものだと思い込んでいた。 今の麗子の家族にも、夫婦間の暴力がある。ひとっ違っていたのは、ひとり息子が、母親 を慰めようとしない「悪い子」だったこと。だから「嵐」のあと、麗子は「あんたは、どう して反抗的なの ! 」と息子を責めて、 「暴力は愛の証」と刻まれた親子のバトンが、息子に手渡されようとしていた。 彼女が暴力の愛情から解き放たれるには、今の否認が解かれねばならない。そのために、 原光景が歪んでいることを悟りつつ、幼い時代の否認を解いていかねばならない 「本当は、『叩くお父さんなんか大嫌い ! 』、『泣いてばかりのお母さんも大嫌い ! 』って、 そう言いたかったのですね。でも、少しでも仲良くしてほしいから、がまんしていた : 「いやだった」という真実の思いを、本人に代わり、何度も何度も言葉にする。 ついに、深い混乱が始まった。
的に、愛そうとしたことが仇になる。母親も少女期に親から虐待されて育ち、補導された「過 去」を持っていた。 子どもへの愛情が強いほど、連鎖の縛りは強くなるのだー 五年前、私はおよそ二千五百人の親を対象に、ある調査を行った。その結果、子ども時代 に虐待された人のうち、母親の八一 % 、父親の六九 % が、自分の子どもにも虐待していると いう数字がはじき出されたのだ 全国の児童相談所が処理した虐待相談でも、六一 % が母親によるもので、群を抜いて多い ここに、母親のも これらの数字は、けっして「鬼母」ぶりを語ろうとするものではない っ子どもへの「愛情」と「責任性」がいかに重いものかを読み取らねばならない 事実、タカシの場合、彼が一歳の誕生日を迎える前に父親は行方をくらまし、母親が一人 で子育てと仕事の両方を抱え込んだ。 まだ「男女共同参画社会」のスローガンすらない、世の母親たちを忍従させた時代、文化 ( 今でも実態は変わらない ) 。 幼いタカシの記憶 : ・ あだ 27 断ち切れ ! 虐待の世代連鎖