人口 - みる会図書館


検索対象: 日本大百科全書 12
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1. 日本大百科全書 12

じんこうかいす 人工海水 @< ・ソーヴィー著、岡崎陽一訳「改訂新版囲 海水と同様の組成をもち、各成 人口』 ( 白水社・文庫クセジュ ) ▽舘稔・黒 5 と当る 分の比率や濃度もこれに近似す 田俊夫著『人口問題の知識』 ( 日経文庫 ) ▽ 度ぎる換 るように調製された塩類溶液を 南亮三郎編『人口論史』 ( 一九六 0 ・勁草書房 ) しんじよう 3 7 2 6 9 2 0 圧定と置 透所ⅶで 0 っ 0 8 0 0 いう。海産動物の飼育や、発生 しんこ , つかじよ , っ具〉一一 = ロ夂木 信仰箇条 浸の圓 0 の分川 学、生理学などの実験に用い じんこうかしよう腎臓には無数の 腎硬化症 むせきつい 7 成を 海各量の 細小動脈があるが、その動脈硬化のために機能 市る。海産無脊椎動物の多くは海 量 当 O 的て 障害をおこし高血圧症状を呈する疾患で、良性 千水に近似したイオン組成、浸透 3 準るえ し市っ 0 2 鰾 と悪生に大別される。 圧、の体液をもっているの 合 園 2 0 0 てを 良性腎硬化症は高血圧症状が主 ( すなわち本 で、これらの動物から摘出した 0 1 0 0 0 れ水 3 , 省 くち 態性高血圧症 ) で、炎症性の腎疾患、尿路の通 を 、器官、組織を扱うための生理的表 - 一うしん つの * 5 過障害などの血圧亢進を引き起こす原因が認め ウ 稲塩類溶液としても用いられる。成 ムムウムム しかし、海水には人工海水に比 られないものである。予後は比較的良好で、一一 ウムウシウいウる溶ナ 工 べなお多くの微量成分があり、 〇年ないし三〇年の経過で進行し、その間に、 ウシネリナリ成なに化 水 人 トリルグト素ト組に水臭 海 これが必要である場合には代用 腎不全よりも脳卒中、高血圧による心不全、冠 ナカカマナ水ナの張の * 工類化化化化酸酸ヒこ等量 * らできない。一方、人工海水は海 動脈疾患で死亡することがある。ときに悪性腎 人塩塩塩塩塩硫炭臭お 水に比べ成分比率などを比較的 硬化症に移行する。 っ 自由に変えることができるのれた学者や理論家が執筆メンバーとして結集し 悪性腎硬化症は高血圧とともにタンバク尿や 先 ので、あるイオンの生理的効果をた。同誌は、「新興科学」の名のもとに、マル血尿などの腎不全症状を伴い、眼底にうつ血乳 立調べる研究などには便利であクス主義が単なる政治的主張でなく、哲学・個頭が認められ、網膜に第出血などがある。経 のる。人工海水を調製するには、 別科学の方法であるとともに総合的科学でもあ過が早く、尿毒症をおこし、あるいは急に高血 克あらかじめ海水と等浸透圧濃度ることを明らかにしようとしたユニークな存在圧脳症をおこし、予後不良である。〈加藤暎一〉 東 の各塩類溶液をつくり、これらであった。二九年一〇月、羽仁と三木が「プロ人工関節じんこうかんせつ artificia こ oint 岸を適当に混合する方法と、純水 レタリア科学研究所」の創立に参加すると、同全身のある部分の骨の一部、あるいは一つの骨 工に適量の各塩類を溶かし込む方誌は、同年一二月号発行後、一一月から刊行さ全体を人工的なもので置換する場合、置換物を 法とがある。 〈馬場昭次〉れた同研究所の機関誌『国際文化』改題の『ブ人工骨といい、人工骨の一部が関節の片側で構 ロレタリア科学』に合流した。 〈山田敬男〉成されているものを人工骨頭、関節の両側すな 人工海岸じんこうかいがん artificial beach 人工海味じんこうかいそう化学繊維を用い じんこうがく demography 人口なわち関節をそっくり人工骨でつくったものを人 侵食作用を受けて砂浜が大きく失われた海岸、て葉状の海藻に模倣した加工品。内湾のアマモ人口学 あるいは埋立てなどにより消失した砂浜を復原帯やホンダワラ、カジメ、アラメなどが繁茂すらびに出生、死亡、移動による人口変動の統計工関節とよぶ。関節が疾患や外傷によってその ちしぎよ するため、砂浜を維持する目的で突堤や離岸堤 る藻場は、魚貝類の産卵場や稚仔魚の成育の場的研究をいう。通常は国、地域 ( 県・郡など ) 、機能が著しく障害されたとき、手術によって関 などの構造物を用い、砂・砂利などを補給してとして重要である。したがって、海藻が生育し市町村などが分析の単位であり、そうした人口節を切除し、そのかわりに人工骨頭や人工関節 人為的に造成した海岸をさすもので、近年わが ない海底に、ポリエチレンなどの化学繊維でつをさらに、性、年齢、配偶関係、宗教、人種、を挿入して機能の再建を図る。材料としては金 国の各地で造成されてきている。人工海岸の造 くった海藻様の加工物を設置して、藻場を人工一一一一口語、職業、階級、教育程度などの指標によっ属やプラスチックが用いられるが、体内に長く 成にあたっては、計画地点における年間を通じ的に形成する試みがなされている。従来、樹木て区分し研究する。出生、婚姻、移動および死置いても異物作用をおこさず、かっ十分な強度 ちょうせき ての気象条件、波・潮汐・流れなどの海象条を束ねて沈設したものを人工海藻に置き換えた亡に関する資料の収集、ならびに、それらの統を保つものでなければならない。現在では金属 件、周辺における河川の状況、港湾・漁港・下り、沈船やコンクリートプロックなどの人工魚計的・数理的分析を狭義の人口研究領域とし、 としてはステンレス鋼やコバルト合金 ( バイタ 水処理場など各種施設の影響を十分に調査し、礁に人工海藻を取り付けて、集魚効果の増加を形式人口学あるいは純粋人口学とよぶ。また、 リウム ) など、プラスチックとしては高密度ポ 自然の力を利用して、造成された砂浜海岸がで期待している。また、貝類の種苗採捕に用いる人口変動の生物学的、社会的、経済的、法的、 リエチレン ( ) などが用いられている。 こともある。 きる限り良好に維持されるように設計する。補 〈吉原喜好〉歴史的決定要因の研究、ならびに、人口変動と また、この手術には人工骨頭を用いる部分置換 社会構造や自然資源との相互関係の研究を広義術と、人工関節を用いる全置換術とがある。置 給砂の粒径は現地のそれと同等か、あるいはや新興科学の旗のもとにしんこうかがくのは や荒めのものが望ましく、水深が大きい場合に たのもとに一九二八年 ( 昭和三 ) 一〇月、歴史の人口研究の領域とし、これらを実体人口学あ換後、長期に及ぶと人工関節の緩みや破損を生 は下層に砕石・砂利を投入し、上層に敷砂す家仁五郎と哲学者三木清が、岩波書店を退社るいは人口研究という。人口学的研究は多くのずることがあるので、原則として高年者に対し る。また突堤の間隔は三〇〇 ~ 五〇〇程度と した小林勇を編集兼発行者として新興科学社よ専門領域にまたがる学際的性格をもつが、それて行われる。 だいたい し、離岸堤は状況に応じて沖合いに設ける。海り創刊した雑誌。一五号まで刊行された。哲学が個々の学問分野ととくに関連づけられたとき 部分置換術の代表的なものは大腿骨人工骨頭 とさかじゅんほんだけんぞう 浜勾配は数十分の一、場合によっては水面下に の戸坂潤、本多謙三、教育学の山下徳治、法社会人口学、経済人口学、家族人口学、古人口置換術で、一九四〇年に初めてバイタリウム製 やすぞう さきさかいっ 没する潜堤を設けて、先端の砂止めとすること律学の中川善之助、鈴木安蔵、経済学の向坂逸学、歴史人口学などが成立することになる。↓ 人工大腿骨頭が使われた。老人の大腿骨頸部内 ろうありさわひろみ くらはらこれひと もある。 〈堀ロ孝男〉 郎、有沢広巳、文芸評論の蔵原惟人らの若い優人口↓歴史人口学 〈皆川勇一〉 側骨折や大腿骨骨頭壊死などに対して広く行わ 7 1 重量 * モル濃度 (mM) 399 . 38 9 . 75 10 . 08 52 . 45 27 . 72 2 . 48 0 . 57

2. 日本大百科全書 12

インド政府は、どの国よりも早く一九五二年に国家的な家などを充実して就労と育児の競合を柔らげる施策がおもなも口 , っ〔人口問題〕人口問題は時代とともに、また各国が置かれた AJ 状況とともに変化する。現代は、世界的視野にたってみた場族計画運動を始め、人口についての教育、宣伝、家族計画をのである。経ロ避妊薬 ( ピル ) 、 ( 子宮内避妊器具 ) 、 人工妊娠中絶などは最近先進国の出生率を下げている一つの ん合にも、また日本について考えた場合にも、大きな、そして指導する診療所の開設、避妊器具の配布などに努めたが、い じ深刻な人口問題に当面しているということができる。人口問ろいろな理由で容易に成果をあげることはできなかった。し原因であるが、多くの国で、これらの出生抑制手段は、婦人 だいにその他の国でも家族計画運動が実施されるようになの人権、母体の保護といった立場からむしろ普及を推進する 題の発生は、当然、人口政策の策定と実施を要請する。しか り、現在では発展途上国の大部分の国が、方法はさまざまで方向にある。 し、人口政策も経済社会が高度に発達した現代では、高度な 日本も先進国の一員であるが、日本の人口問題は戦前と戦 施策を必要とする場合が多く、その効果をあげるのは容易であるが、人口問題の解決のために努力している。なかでも世 。ここではまず世界の人口問題について述べ、ついで界の注目を浴びているのは、中国の「一人っ子政策」であ後で大きな変化があった。戦前はいわゆる過剰人口問題が中 心であったが、戦後経済が順調に発展したなかでその問題は り、従来、子供は二人までというのが普通であったのに対し 日本の人口問題について説明する。 〔世界の人口問題〕すでに述べたように、世界の人口は現在て、夫婦の子供数を一人にするよう強力な施策がとられてお解決され、むしろ高度成長期には労働力不足、過密・過疎、 約四八億人であるが、今後さらに増加する見込みである。世り、その結果について多くの国が注目している。この政策が環境問題といった諸問題が新しく登場してきた。これらの問 界人口の増加率は現在 ( 一九含 ~ 会 ) 年率一・七 % であるが、成功すれば、中国の人口は現在一〇億人を超えているが、二題は、高度に発達した経済社会に特有の人口問題であり、単 に人口の側における対策だけではなく、それをも含めた幅広 先進国では全体で年率〇・六 % の増加、発展途上国では全体〇世紀末までに一二億人で食い止められるとされている。 い対策がとられている。労働力不足に対しては合理化による 国際連合などの国際機関は世界の人口問題に多大の関心を で二・〇 % の増加であり、世界人口の爆発的増加の原因は発 寄せ、資金面、技術協力面で幅広い援助活動をしている。一生産性の向上、過密・過疎問題に対しては全国総合開発計 展途上国の人口増加にあることは明らかである ( 表 8 ) 。 画、環境問題に対しては公害の規制などがそれである。しか 発展途上国の人口増加は、経済社会開発の大きな障害とな九七四年にはブカレストで、八四年にはメキシコシティで、 っているという点で問題である。第二次世界大戦後、旧植民国連主催の世界的な人口会議が開催され、世界各国の代表者し、一九七〇年代中ごろからわが国では人口高齢化の問題が 地の多くが独立し、経済社会開発に大きな努力を傾けているが一堂に会して、人口問題について討議し、その解決策につ大きく取り上げられるようになった。戦前から五五年 ( 昭和 いて話し合っている。 三〇 ) ごろまでわが国の人口の年齢構成はほとんど変化して が、いろいろな障害があって、なかなか所期の成果をあげる いなかったが、七〇年国勢調査において、総人口のなかで六 ことができない。その障害の一つは人口増加である。現在先〔先進国の人口問題〕先進国は、発展途上国とは性格の違っ 五歳以上の高齢者の割合が七・一 % となったことが明らかに 進国といわれている国も、近代以前には出生率、死亡率が高た人口問題を抱えている。その主要なものは出生率低下の問 く、したがって人口増加率が低かった。経済社会の発展とと題である。欧米先進諸国は、一九三〇年代に著しく低い出生された。そのころから高齢者の増加の問題が徐々に人々の関 心の的になり始めた。厚生省人口問題研究所の将来推計人口 もに「人口転換」が始まり、人口増加率が徐々に高まった。率を経験した。当時の出生率水準は、死亡率が高かったこと もあって、親世代と同数の子世代の人口を産み残すことがでは、二〇世紀末にはわが国の高齢者割合が一五・六 % とほば このように経済社会開発と人口増加が車の両輪のように働く 場合には、人口増加は、障害どころか、むしろ開発を促進すきないほどであった。その原因についてはいろいろ論じられ現在の西欧なみになるばかりではなく、二一世紀に入ると一 る要因となる。しかし、現在の発展途上国の場合はそれとはているが、ともかく西欧の没落と関連して論じられるほどの段と高齢化が厳しくなることを明らかにしている ( 表 2 ) 。 最近になって、人口高齢化とそれに伴って生じる高齢化社 大問題であった。しかし、四〇年代に入ると、戦時下の人口 事情がまったく異なっている。 会の諸問題がにわかに大きく取り上げられるようになった理 もともと出生率が高かったうえに、死亡率が急低下したた政策の影響もあって出生率はしだいに上昇した。そして第一一 しうまでもなく、人口高齢化が本格的に進み始めたこ めに、開発計画の初期段階において年率二 % から三 % という次大戦後は一時的なベビー。フームだけではなく、六〇年代中由は、、 激しい人口増加がおこった。増加する人口を養うために、せごろまで長期間にわたり、戦前には予想されなかったほどのとにあるが、それと同時に、石油危機をきっかけとして、日 つかくの開発の成果が食いつぶされ、生産力を高めるための高い出生率がみられるようになった。ところが、その後ふた本経済が低成長に転換したことがもう一つの理由である。そ 投資不足に陥り、また貴重な外貨を生活のために費やさざるたび欧米先進諸国の出生率は一斉に低下を始め、七〇年代にれ以前、高度成長の成果を踏まえてわが国を福祉国家として たたせるための諸施策が準備されつつあった。国民皆保険・ をえなくなった。それゆえ、発展途上国の重要な問題として入るとますます低水準になり、三〇年代と同様に人口の置き しくつかの国で皆年金の制度の発足はその一つであった。 人口増加を抑制するという問題があり、そのためにどのよ , っ換え水準を下回るようになった。その結果、、 しかし、増大する高齢者を福祉国家が社会的に扶養してい は人口増加が止まり、あるいは人口減少がみられるほどにな な方策が有効かという問題が登場してきたのである。 つ ) 0 くためには、経済的基盤の確保が必要である。低成長への転 先進国において出生率が低下したのは、開発が進むととも 今回の出生率低下についてもまた、その原因については諸換とともに経済的基盤についての不安が生まれたことは、高 に国民の意識のなかに自然に子供数を減らそうという気持ち 発展途上国の場合は、その説があるが、多くの政府がその対策として力を入れているの齢者問題を見直すことを要求した大きな原因であった。事情 が強まってきたためであったが、 は、出産手当、児童手当、住宅手当など家計収支のうえで子は日本以外の先進諸国にとっても同様である。ただわが国の ような意識が十分に生まれる前に、政策的に出生を抑制しな 、まのところまだ人口高齢化の程度が西欧諸国と比 ければならないということであり、前例のないむずかしい問供を養育する費用の負担を軽減するための施策と、働く母親場合は、し べて低く、一一一世紀の本格的高齢化を迎えるまでに若干の準 が増えていることに関連して、産前・産後の休暇、保育施設 題であるといえる。

3. 日本大百科全書 12

ヘンチャー 路交通渋滞と排ガスによる空気汚染から免れるたトランスポ肥 ( 交通博覧会 ) に、・ ク』—ⅡⅢ ( 一九盒 ~ 八 四・共立出版 ) ▽ < ・ 。フック』 The 00 0 、ゝミ ci ミ守、 e ミ・ ビジネスや従来の大手自動車製造業・電機製品 ハンディ編、長尾真監訳『人工知能入門』理想の陸上交通機関として開発されてきた。い g ミ全三巻が出版された。 まだ開発途上にあり、かっ決定版に値するもの 工業の開発部門が競って出展して実用化をねら 〔研究分野〕そこで取り上げられている人工知 ( 一九八一・近代科学社 ) ▽・マコーダック った。またアメリカ政府も開発補助金を出すと が出現していないため、試行錯誤を繰り返しな 著、黒川利明訳『コンビュータは考える』 能の研究分野は、大別して次のようなものであ か、公共実用化にあたっては政府や州、あるい ( 一九〈三・培風館 ) ▽ Z ・・ニルソン著、白がら徐々に実用化されている状況である。 る。探索、知識表現、自然言語理解、話しこと 井良明・辻井潤一・佐藤泰介訳『人工知能の 〔沿革〕新交通システムの発想はアメリカから は自治体からの投資援助が行われた。とくに自 ばの理解、人工知能研究用プログラミング言 語、応用指向の人工知能研究 ( 知識工学 ) 、自 原理』 ( 一久三・日本コンピュータ協会 ) ▽である。一九六〇年代の後半にアメリカでは都動車産業界は、バッテリーによる電気自動車が チ著、廣田薫・宮村勲訳「人工知市内交通の種々の悩みに直面して打開策を市政 いまひとっ決定的実用化に困難性があることか 動プログラミング、認知のモデル、自動証明、 能』 ( 一九会・マグロウヒルブック ) ▽当局者も交通関係産業界もいろいろなアイデアら、将来の布石として新交通システムに参入す コンビュータビジョン computer vision 、学 志村正道著『機械知能論』 ( 一九ハ三・昭晃堂 ) を模索していた。当時まではアメリカは自動車る熱意を一小した。 習と帰納的推論、計画と問題解決である。 ▽白井良明・辻井潤一著『人工知能』 ( 一九とくに自家用車が都市生活者の主たる交通手段 〔日本の新交通システム〕日本でも一九六九 これらのうち、探索、知識表現、人工知能研 究用プログラミング言語、推論、問題解決など 全・岩波書店 ) として普及していたし、また石油と自動車はア年 ( 昭和四四 ) から新交通システムの開発気運 しやりよう じんこ , っち一り・がく 地理学の一分メリカの繁栄を約束する産業として政府も助成が高まった。その最初は日本車輛が試作した が基本的かっ共通的な課題であり、それら以外人口地理学 が応用的分野といってよいであろう。 科。地理学の研究対象は地域であり、地域の構してきた。しかし、道路渋滞、空気汚染、交通 >OZ< システムである。競争の激しい鉄道車 探索は、おもに、人工知能においてもっとも成要素の一つとしての人口現象を研究して、究事故による人身傷害、さらには自家用車の密室両製造業界は各社がそれぞれ異なったタイプの システムを試作・公表して売り込みに熱中し 初期のころから研究されているゲームのプログ極的には地域構造を明らかにする学問。各地域性から生ずる都市生活者の連帯感の薄れなど、 た。おもなものは、川崎重工の O > システ ラムの開発を通して研究され、問題解決のための人口現象は、その地域固有の自然現象のほか都市の将来性について憂慮される諸点に批判が みつびし に、そこに展開された独自の政治、経済、社会高まってきた。一方、公共交通機関として一九ム、三菱重工のミニレール、東急車輛のパラト のさまざまな探索法がまとめられている。ゲー ランシステムなどである。一方、総合商社が外 ムのプログラムはチェスに関するものが圧倒的的現象と深いかかわりをもつ。ここで人口現象三〇年代まで主流を占めてきた路面電車やバス に多く、その腕を競うために、計算機チェス大というのは、地域内の人口変動 ( 増減 ) であは、自動車に道路を占有されて非能率・不採算国と技術提携して持ち込んだものとしては、ア メリカのポーイング社の技術による神戸製鋼所 り、その人口変動は自然変動 ( 出生と死亡とのを理由にほとんどが撤去されてしまっていた。 会が開かれている。 自然一一 = ロ語理解においては、われわれ人間が日差 ) と、社会変動 ( 流入と流出との差 ) との和新交通システムの計画者は、鉄軌道方式をいかのシステム、アメリカの社の技術 による新潟鉄工所のニュートラムなどがある。 によっておこる。なかでも地域内および地域相 に近代化しても、市民に旧来の陳腐なイメージ 常用いていることば ( 自然一言語 ) を理解するた これらのシステムは原理としてはほとんど相違 めの形態素解析、構文解析、意味解析、文脈解互間の人口移動が重要な要因である。その際、を与え、自動車から移らせるのは困難であると 人口を単に数 ( 量 ) だけからではなく、質の判断し、自動車に近いゴムタイヤ方式を考えがなく、抜群の特性もいまのところ出ていな 析などにおけるさまざまな手法が研究されてい 。都市の交通改善を企図する建設省、自治 た。また、公共交通機関が非採算になったもう る。とくに、自然一一 = ロ語理解においては、文脈や面、すなわち男女別、年齢別、人種別など生得 知識情報の蓄積と利用のメカニズムの開発が重的要素をはじめ、居住地別、結婚状態別、学歴一つの原因は、近郊電気鉄道であれ、路面電省、運輸省もその行政調整には相互に悩みがあ 要であり、知識表現の研究とも関連させつつ、別などの社会的要素、産業別、労働力別などの車、バスであれ、運輸経営体における人件費のり、時期としては一九七〇年代の石油危機は新 その研究が進められている。質問応答システ経済的要素、宗教別、一一一口語別などの文化的要素占める割合が大きいことと、労働組合の強大化交通システム導入のチャンスではあったが、実 によるストライキの多発と運賃値上げによる公用化への道程には紆余曲折があった。 ム、機械翻訳システム、文章の要約や深い理解などからくる住民特性を問題とする。人口地理 一九七八年の沖縄海洋博覧会には神戸製鋼所 学の発達は、主として第二次世界大戦後のこと共交通機関離れである。これを解決するため を行うシステムなど、かなり高い性能を示すシ に、電子技術を駆使して自動運転・自動接客設のシステムが会場の輸送機関として採用 であり、先進国、発展途上国ともに流動的な社 ステムが作成されている。 備を導入して、初期投資は多少高くても運転経された。また八一年には大阪市南港地区にニュ 知識工学では、医学とか化学などの専門領域会となり、まず人口の都市集中に始まり、とく ートラム ( 新潟鉄工所が主体 ) 方式が、また神 における多くの事実についての知識および経験に先進国では都市間移動も盛んで、こうした人費の少ないオートメーション交通機関を企図し さんのみや た。また、能率よく車両が高速で頻繁に運行で戸市ポートアイランド地区と三宮を結ぶポート 的な知識を集約して、医者とか化学者などの専ロの地域間移動によって、都市、農村ともに地 ライナー ( 川崎重工が主体 ) が日本で最初の新 域の変容が急速に顕著に現れ始めたことと関連きるためには鉄道と同様に専用路線とすること 門家と同等の仕事ができるようなエキスパート 〈岸本實〉 交通システムの営業路線として開通した。 が決められた。 システム expert system の設計や実現のためする。 しんこ , つつ、つ アメリカにおいて最初に公共に供せられた新 一方、通産省でも自動車の将来指向として電 在来の の技術がまとめられている。エキスパートシス新交通システム ージニア州モルガ気自動車をはじめとする新技術開発の指導育成 鉄鋼製のレールと車輪による鉄道方式でなく、 交通システムはウエスト・バ テムの構築における一つの重要な課題は、専門 家の知識をいかに獲得するかということであ自動車のようなゴムタイヤ車輪を使用して専用ン・タウンのである。そのほかにはテキを行ってきた。その一つに機械振興協会が事務 る。医用診断・治療におけるコンサルテーショ軌道を走行させる電気方式の公共用交通機関。サス州ダラス・フォートワース地域空港の構内局となって自動車製造業界が開発したシ ステムがある。この方式は、専用軌道の上をゴ ハー people mover とアプローチ / 輸送用の車、ワシントン州シ ン、有機化合物の分子構造の推定などのための英語ではピープルムー か、ダウンタウンビープルムー アトル・タコマ国際空港の構内短区間連絡用の ムタイヤ方式の乗用車程度の小型車が電気モー 優れたシステムが開発されている。その他の研 ビーアールティー スカイバスシステムとか、同じくフロリダ州タ ター運転で、電子技術による自動コントロール 、つ究分野においても、多くの優れた成果が得られとよぶ。 (peoples rapid transit) の ンパ空港のサテライトゲート間のシャトルサー して能率よく走行するものである。また自動車 」ている。↓認知科学 〈桃内佳雄〉呼称も使われる。日本でも新都市交通システム ビスなどがある。これらの新交通システムは、製造業界では、主要区間は専用道路を電気モー 、 (-) ・ < ・ファイゲンバウム他編、田ともよぶことがあり、主として都市地域におけ る公共交通機関として、自動車の激増による道 一九七二年六月の首都ワシントンで開かれター駆動で自動運転して、必要に応じて一般道 5 し中幸吉・淵一博監訳『人工知能ハンドブッ

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しんこうまひ梅毒に感染後一〇年れに雪の結晶を成長させた。結晶が成長する場て宰相の更迭を伝え、そのなかで「針路は旧の 6 進行麻痺 、つ = = 0 仰夏齟 ( 運動しんこうふ 0 こううんどう 一」 G 「 eat Awakening 一八世紀前半のアメリカ以降に発生する変性梅毒の一つで、中枢神経系所の気温と、送られる水蒸気量の目安としてのまま、全速前進」と述べた。新宰相カプリービ 5 ん植民地の宗教運動。覚醒運動とも訳す。一七の変性が原因である。前駆期、旺盛期および末水槽温度とをいろいろに組み合わせて実験するは、四月一五日の所信表明演説でこれを引用 期に分けられており、症状はきわめて多種多様ことにより、自然にみられるほとんどの種類のし、ドイツの政策の連続を説明したが、世人は 一一六年ごろオランダ改革派牧師フレリングヒー し むしろ政局の転換を感じ取り、新政府の政策を ー一七である。前駆期における精神障害としては、記雪の結晶をつくることができ、それに基づい ズン Theodore J. FreIinghuysen ( 一六九一 四七 ) が、ニュー ・ジャージーで熱烈な伝道を行憶力の減退および注意力の欠乏を訴え、抑制力て、降ってきた雪の結晶形から、それが成長し逆に「新航路」と称するようになった。事実、 ったのが発端である。そのころ、会衆派牧師テは消失し、道徳観念の減退、さらには性格の変てきた上空の気象条件を推定できるようになつ「新航路」政府は、ドイツ、ロシア間の再保障 ネント William Tennent ( 一六七三 ー一七四五 ) は、 化が生じて、多くの例ではうつ状態になる。ま た。中谷の「雪は天から送られた手紙である」条約の不更新、新通商条約による穀物関税の引 ペンシルペニアのネシャミニーで伝道のかたわた麻痺性発作が発生するが、これは卒中型とてという有名なことばは、このような意味が込め下げ、イギリスとの植民地交換、社会主義者鎮 んかん型とに分けられている。このほか一一 = ロ語障 られている。人工雪の実験は一九五〇年代にな圧法の廃棄、社会保障の拡大などの政策を通じ らロッグ・カレッジ Log College ( 後のプリ って、人工降雨の基礎実験としてふたたび注目て、ビスマルクの政策からしだいに離れること ンストン大学 ) を建てて、少数の青年たちに牧害がある。 ちほう 」よっこ。 十 / 十 / 旺盛期には痴呆状態が進行し、精神状態は全され、今日では、雪の結晶形の変化が結晶面上 〈岡部健彦〉 師養成教育を行っていた。彼らは、フレリング ヒーズンの影響を受けて、三八年ニュー・プラ体に冒されて、種々の精神障害を生ずる。手の の水分子のどのような挙動によっておこるのか人口論じんこうろんイギリスの古典派経済 学者・・マルサスの著書。初版は一七九八 ンズウィックで熱心な伝道を行い、 多くの入信ふるえ、唇や舌などの麻痺による言語および構が研究上の焦点になっている。 またスキー場などでは、氷を細かく粉砕した年に、『人口の原理に関する一論、それが将来 者を得たが、その指導者は・テネントの子語の障害、書字の障害として脱字・誤字が目だ どう・一う ・テネント GiIbert Tennent ( 一七 0 三ー六四 ) ってくる。このほか瞳孔変形、眼筋麻痺、視神り、水をノズルから噴出させて凍らしたりしての社会改良に及ばす影響を、ゴドウイン、コン いしゆく であった。ロッグ・カレッジ運動ともいわれる経萎縮があり、さらに皮膚反射の消失、肝・腎散布したものを、人工雪とよぶこともある。雪ドルセ、その他の著作家たちの思索に触れて論 この信仰復興運動は、ペンシルペニアから中部機能障害がみられることもある。 は本来水蒸気が昇華してできたものであるかす』と題して、匿名で出版された。食糧は算術 末期になると麻痺状態は高度となり、食事のら、これらを人工雪とよぶには注意を要する。 植民地に広がっていった。それと前後して、マ 級数的にしか増加しないのに、人口は幾何級数 ・一うもん ↓雪↓中谷宇吉郎 サチューセッツにおいてもノーザンプトンの会摂取も不可能となる一方、肛門括約筋も麻痺し 〈小林禎作〉的に増加する傾向をもつので、自然のままでは 衆派牧師エドワーズ Jonathan Edwards ( 一七て不随意的に排便をするようになる。 人工林じんこうりん artificial forest, man- 過剰人口による食糧不足は避けられないとし、 0 三ー夭 ) によって、一七三三年ごろから信仰復 経過はいろいろであるが、一般には二 ~ 五年 made forest 人工造林によって造成された森人口を制限するためには貧困や悪徳はやむをえ 興が起こされ、コネティカット川流域の農村社の経過とともに静止するものや、急速に進行す林のことで、主として自然の力によって造成さ ないと論じた本書は、大反響を呼び起こした。 会に広がっていた。また、イギリス本国でも信るものもある。ときには自然治癒したり、発熱れた天然林に対する語として使われている。そ五年後には、膨大な歴史的・統計的資料を追加 仰復興がウエスレー John Wesley ( 一七 0 三ー九一 ) 療法により軽快することもある。 の区分は、経済学的には労働投下の有無によっ した第二版が、『人口の原理に関する一論、そ せきずい によって起こっていた。メソジスト運動であ 脳脊髄液の検査成績として、タン。ハク量およてなされるが、林業界の慣例としては苗木の植れが人類の幸福に与えた過去および現在の影響 る。その説教者であるホイットフィールドび細胞数の増加があるほか、脳脊髄液の梅毒反え付けを行うかどうかによって区分されてい と、それがもたらす害悪の将来の除去または軽 かん一 George Whitefield ( 一七一四ー七 0 ) は、三九年ア応、とくにテスト ( 梅毒の感作血球凝る。日本にはスギ、ヒノキといった有用樹種が減に関するわれわれの見通しを論ず』と改題し メリカに渡来し、前記 Q.5 ・テネント、エドワー 集反応 ) が陽性になっている。近年では、進行あったため、植林の歴史はきわめて古い。人工て、著者名入りで出版された。第二版では、人 ズの運動に協力して各地において伝道説教を行麻痺の症例の発生は、きわめてまれになってい 造林の先進地域といわれる奈良県の吉野地方の 口を制限するものとして、結婚を遅らせるなど った。ホイットフィールドは、南はジョージアる。 〈岡本昭二〉事例をみると、近畿地方を中心に貨幣経済の発の道徳的抑制の意義を認め、これがまた反響を から北はニュー じんこうみつど population densi ・達しだす室町時代後半ごろから、スギ、ヒノキよんだ。その後、一八 二六年の第六版まで版を ・イングランドまで足を伸ば人口密度 し、教派を超えて全植民地に信仰の炎を燃え上 ty ある地域に居住する人口の疎密の度合い の造林が始まったとされる。現在の先進林業地重ね、しだいに政治経済問題への言及が追加さ ひた がらせた。これによって、各教派の連帯感が深を示す数値。通常、人口をそれが居住する土地 といわれる静岡県の天童地方や大分県の日田地れたが、基本思想に変更はなかった。この人口 められ、植民地相互の理解が促進されたが、その面積で割り、単位土地面積 ( 一平方キ。または方なども、江戸時代に造林が始まり、いまにみの原理は、貧民問題を社会変革によって解決し 一平方嘗が使われる ) 当りの人口で示される。 れはアメリカ独立戦争に際し植民地が団結して るような人工の美林を生み出すまでになってい ようとする進歩思想に対決するものとして、正 ↓人口 勝利をかちとった一つの要因ともなった。信仰 〈一杉哲也〉る。全国的に人工林化が進むのは第二次世界大統派経済学の基盤になったばかりでなく、ダー 復興運動は一八世紀後半には急速に衰退した じんこうゆき気温〇度 0 以下で人工戦以降であるが、造林補助金などの政策助成とウインの進化論などにも影響を与えた。また、 人工雪 かぎ が、運動を通して教会が発展したばかりでな的に水蒸気を結晶化させ、自然の雪と同じよ , っ相まって、いまや一〇〇〇万タ ( 全森林面積家族計画による人口抑制を貧困解消の鍵とする エドワーズらによってアメリカ神学の発展な環境条件下で成長させてできた雪の結晶。北 の三九 % ) にも達する人工林をつくりだすまで新マルサス主義として、現代にも生き続けてい なかや さだます がみられ、いわゆる「ニュー ・イングランド神海道大学の物理学の教授であった中谷宇吉郎が になっている。↓森林↓造林〈山岸清隆〉る。日本へは明治初期に大島貞益らによって紹 ビス介され、大正末期から昭和初期の不況期に、多 学」が形成されたことは、思想史上大きな貢献多くの実験を繰り返したのち、一九三六年 ( 昭新航路しんこうろ Neuer Kurs 響 〈曽根暁彦〉 であった。 和一一 ) 三月に世界で最初の人工雪作製に成功マルク失脚後のドイツ皇帝ウイルヘルム二世と くの研究が行われた。 〈千賀重義〉 回曽根暁彦著『アメリカ教会史』 ( 一九七四・日本した。中谷は、零下一〇 ~ 零下三〇度 0 の低温帝国宰相カプリービの政治に対する標語。一、 回高野岩三郎・大内兵衛訳『初版人口の原 室内にガラス二重円筒からなる装置を置き、底九〇年三月ビスマルクが辞表を提出すると、ウ 基督教団出版局 ) 理』 ( 岩波文庫 ) じんこうわくせい惑星と同じよ , っ 人工放射性元素 じんこうほうしやせいげんその水槽を電熱で暖めて円筒内に対流によって雲イルヘルム二世は同月一三日、ビスマルクに反人工惑星 ほうしやせいげんそ を生じさせ、上部にウサギの毛を吊るして、そ対していたワイマールのゲルツ伯に電報を送っ 0 放射性一兀素 に、太陽の周りを回る公転軌道に打ち上げられ じん もと

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じんこう 〔図 A 〕日本および諸外国の人口ピラミッド ( % ) 960 年 以 1 ー「 / L_D 5 ) 【っ 4 ・′「 0 フ」っ」 1 ・ー -0 0 【 0 0 Ln O O Ln O ) O L.OO 以別 「 / 「 / ( 0 Lfi 【っ′ 4- イっ「 0 っっこ 1 ー 1 ー L'¯) 【コ O Ln O につ O 0 一り O O 【 0 0 に 3 0 ( 0 「 / 「 / -. 0 ( 0 L.n 一う】イっつ」っ」 1 ー 1 ー じ CO 「 / 「 / -. 0 ( 0 5 ) 一う ) -4- 4 ・ ( こっつ」 1 ー 1 ー 气】 C ニ 0 0 に 3 0 Ln 0 【っ O Ln O Ln O O 0 フーっ′ CD()O 0 につ・ 44- っ 0 っこっこ え、また多くの兵士を得るためにも多数の人口が必要であっ た。そのために出生増強策がとられた。有名なハムラビ法典 にも、人口の維持と増強を目的とした条文がみられる。ま おうせい た、子だくさんは男性の精力が旺盛な証拠と考えられ、大家 族をもっことは自尊心と威信を満足させるものであった。な お農業社会では子供は生産力として役だったことも、人口増 加が喜ばれた一つの理由であった。 次に、ギリシアの哲学者の人口理論は都市国家の人口につ いての理論であるが、そこでは人口過剰がおこることが心配 され、出生制限の必要が論じられた。プラトンは、理想国の 家族数は五〇四〇が限度であると述べている。彼は人口の量 を論じただけではなく、人口の質についても論じている。子 供を産むことが許されたのは選ばれた優秀な市民だけであ り、その子供は公共の施設で養育された。アリストテレスも 人口数は適度に制限されるべきだと考えたが、その理由の一 っとして、住民が多くなりすぎると支配者と市民の間の意志 の疎通が妨げられることをあげている。 ローマ人は都市同盟の盟主としてイタリアを統一し、さら に、タに領土を広めた。それゆえローマ人の人口理論は人口 増強論であり、彼らは、規模の大きい、しかも増加を続ける 人口が望ましいと考えた。ローマの支配者は概して結婚と出 産を奨励した。 中世を支配した人口理論は完全にキリスト教的なものであ り、『旧約聖書』の「産めよ、殖えよ、地に満てよ」という 考えと、殺児・中絶の罪悪視を支柱とするものであった。そ れが人口増加を結果するものであったことはいうまでもな このように、古代から中世に至るまで、ギリシアの適度 人口論を除いて、人口増強論が支配的であった。 この傾向は一六世紀にヨーロッパに国民国家が成立すると 一段と強められる。その理論は重商主義であったが、それは また、大規模な、増加する人口は国力の源泉であると考えて いた。重商主義は約二世紀にわたりヨーロツ。ハを支配した が、一八世紀末になると国家の利益よりも個人の福祉を重視 する思想が台頭してきた。マルサスが有名な『人口論』 ( 一七 九 0 を書くきっかけになったゴドウインおよびコンドルセの 思想もその一つである。ゴドウインは、人間社会の不幸はも つばら社会制度の欠陥に原因があると論じた。たとえば、国 民所得の配分を平等にすることができれば貧困は解消すると 考えた。 マルサスの『人口論』はこの考え方に対する反論として書 かれたもので、人々の生活を改善しようとする努力を妨げる 508

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に、ある仮定を設けることによって将来人口の 「統計法」に基づき、一〇年ごとに大規模調査 たり、真空輸送することも広義の新交通システ 路もバッテリーを電源としてハンドル人為運転 が、その中間の五年目に簡易調査が、それぞれ予測を行ったりする。このような人口推計結果 ムだと解釈する学者もいる。 で自在に走行もする電車とバスを兼ねた性質の 行われている。調査対象地域は本邦全域であも、人口統計の一部をなすものと考えられる。 デュアルモードバスの開発試作を行った。自動 一九六〇年代後半から世界先進諸国の都市交 〈高島忠〉 ↓国勢調査↓センサス 車製造会社が電気バスを基調として試作車を製通の改善手段として期待された新交通システムり、世帯および個人を単位として、氏名、性 しんこうどうしゅぎ Neo-behav- 造し、それに専用道路を鉄鋼会社がつくって、 は、二十数年を経た現在においても、まだ開発別、出生年月、国籍、配偶者の有無、就業状新行動主義 つくば iorism 行動主義のなかから生まれた新しい 一九七六年に筑波研究学園都市にある建設省土途上にあるものが多く、実用化されたものは少態、仕事の種類、従業地または通学地、世帯の 木研究所構内で実験が行われた。いずれのシスない。その理由としては、自動化による運転経種類、住居の種類などの事項について調査が行運動の総称で、一九三〇年ごろから四半世紀に テムも製造業界が自主的に発想して開発したこ費は在来方式の電車、バスよりも騰貴要因が少われ、調査年次の一〇月一日現在におけるわがわたって学会をリードした立場。アメリカの行 動理論 behavior theory のなかに広く浸透し ともあって、鉄道車両会社のものは鉄道の電車ないとはいえ、投資額が当初期待されたよりも国人口の静態が把握される。 人口動態統計の基本となるものは「人口動態ているが、そのなかでも、スキナーの実験的行 を基本に小型バスの電車化になり、一方、自動高価であるため、償却費の圧迫によって投資意 車製造会社のものは乗用車あるいはバスを電気欲が盛り上がらぬこと、モノレールや新交通シ調査」 ( 指定統計第五号 ) である。この調査は動分析 experimental analysis of behavior 運転するものになったのは当然の帰結かもしれステムなどの新技術は行政当事者にとって新法一八七二年 ( 明治五 ) から行われており、第一一は、生きた研究活動として着目される。 しゅんじゅん 〔新行動主義の特徴〕初期行動主義が、①行動 規条例の制定に逡巡があること、行政所管官次大戦前は内閣統計局 ( 現在の総務庁統計局 ) によって実施されてきたが、戦後の一九四八年を小単位の刺激ー反応の関係として、また、刺 〔新交通システムのいろいろ〕ゴムタイヤ方式庁の主導権をめぐって調整がっかないことが障 〈西尾源太郎〉 に厚生省に所管が移されて現在に及んでいる。激に依存した受動的活動として扱ったのに対 ばかりでなくアメリカの交通博覧会に出展され壁になっている傾向がある。 回菅原操著『新交通計画特論』 ( 一九七九・山海堂 ) 現行の調査は、「戸籍法」 ( 昭和一三年法律一一一一し、環境に対する全体的反応を重視し、また、 た、ゴムペローズを介して浮上するリニアモー ター駆動の—オーチス社のエアトランス ▽井口雅一著『新交通システム』 ( 一九会・朝四号 ) および「死産の届出に関する規程」 ( 昭生活体の側からの能動的・目標指向的活動を扱 和二一年厚生省令四二号 ) に従って市区町村長う点、②なお、一部には刺激ー反応の関係を直 や、各種の常電導磁気浮上方式リニアモーター 倉書店 ) 接扱うのではなく、操作可能な環境条件と観察 しんこうとう / チンホワンタオ中国、河に提出された出生、死亡、婚姻、離婚、死産に の車上一次電磁コイル型のものも新交通システ秦皇島 りようねい はんちゅう 北省東端の市。東は遼寧省に接する。市名の ついての届出に基づいて作成されるものであ可能な反応との間に行動の法則化を目ざすため ムの範疇に入る。またモノレール電車につい り、いわゆる届出統計に属する。 の仮設的構成 ( 仲介変数 intervening varia ・ ても自動運転方式を採用して、接客設備もエレ由来は、秦の始皇帝が駐屯したという伝説によ えんぎん 以上の二大人口統計から、人口変動およびそ bles ともいう ) などを導入する点が、新行動 クトロニクス応用による自動化が施してあれる。燕山山地が海に迫り、華北と東北の自然の みん さんかいかん のうちの自然変動 ( 出生数マイナス死亡数 ) が主義の特徴となっている。 境界をなし、明代に山海関が置かれ北方防衛の ば、新交通システムとよばれるに相違ない。 新行動主義は一つの学派ではなく①②につい 軌道がベルトその他で移動してその上をカプ要衝とされ、万里の長城の東の起点となった。把握されることにより、もう一つの人口動態で しん また海岸は冬季にも凍結しないため、清代に貿ある社会変動が計測される ( 人口変動マイナスてそのなかにかなり違った見地が認められる。 セルまたは人がそのベルトの上に乗ることによ トールマンは行動の認知面を強調し、行動の生 自然変動 ) 。しかし、その計測結果は純増また って輸送する方式も、広義の新交通システムと易港が開かれ、唐山の石炭が輸出された。いま たいナ、 は純減のみを示すものであり、出入国者あるい 起する環境は生活体にとって、手段ー目標関係 よぶことができる。この例としては動く歩道は東北の大慶油田からバイプラインが引かれ、 は転出入者のそれそれの実数については把握でを含む記号体系 ( 認知図 cognitive map) を moving platform がある。一九七〇年の大阪石油の積出し港となるとともに、機械、建築材 万国博覧会会場には各所で使用された。また、料工業が発達している。市の南西の北戴河海岸きないので、それを明らかにするため、別に、有しており、これが要求の事態で行動を発生さ 「出入国者統計」および「人口移動報告」が作せるという立場で、仲介変数として弁別体 dis- 大阪の阪急梅田駅三番街アプローチにも使われは、解放前から外国人の避暑地として開発さ ている。さらに動く歩道を進歩発達させたものれ、現在も保養観光地として有名。〈秋山元秀〉成されている。いずれも届出統計に属するもの criminanda 、期待 expectation などの概念規 で、前者は、法務省司法法制調査部により、法定を扱った。また、ハルは、生活体の要求低減 ーし population sta- にはスイスのバッテル研究所プラドンの考案に人口統計じんこうとうナ、 なる可変速方式のものがあり、フランスの >< tistics 一定の地域 ( 国、都道府県など ) にお務省入国管理局が「出入国管理及び難民認定 need reduction の法則の下に、習慣強度 hab ・ システムにも可変速ベルトコン・ヘャーによるける人口集団について、その一定時点における法」 ( 昭和二六年政令三一九号 ) に基づいて把 it strength から、行動の測定を直接規定する カプセル輸送がバリ地下鉄駅のアプローチ輸送状態および一定期間における変動状況を把握す握した資料から作成され、後者は、「住民基本反応ポテンシャル excitatory potential に至 に試用された。日本では、鉄道電化協会が事務る統計についての総称。人口の一定時点におけ台帳法」 ( 昭和四二年法律八一号 ) の規定に従る仲介変数の数量的体系化を試みた。 仲介変数の導入を行わない立場として、ガス って行われる転入者の市区町村長への届出に基 局になって古河電工の開発した連続磁石式輸送る規模、構造、分布などの状態を把握する統計 リーは、刺激ー反応の同時存在が行動の最終反 づいて総務庁統計局により作成される。 システムは、磁性ベルトが移動してカプセル型は人口静態統計、その一定期間における出生・ 死亡などの変動状況を把握する統計は人口動態 以上の諸統計によって、わが国の人口現象は応と刺激との結合を強めるとする接近説 conti ・ 車両は動力をもたずに可変速移動走行する。 guity theory をとり、スキナーは反応ー強化 静態・動態の両面から数量的に把握され、国の 統計とよばれる。 自動あるいは無人運転の輸送システムは物流 の随伴 contingency が漸進的に行動を形成・ わが国の人口静態統計の基本となるものは、 諸施策の基本資料となるが、国勢調査が五年ご の省力化を期待できる。すでに生産工場では製 造ラインに各種の無人搬送装置を積極的に採用現在、総務庁統計局の所管により行われているとであるため、調査年次間の人口の推計、さら維持することを強調する記述的立場をとってい には将来人口の予測も必要とされることがある。↓行動主義 している。これが貨物輸送とか都市内における「国勢調査」 ( 指定統計第一号 ) である。この調 じんこうとうせき artificial dialy ・ , フ廃棄物処理に使われればやはり新交通システム査は、一九二〇年 ( 大正九 ) に第一回調査が行る。そのため、動態統計から得られる数字を調人工透析 」である。しかし、一般にはいまだ新交通システわれ、その後ほば五年ごとに実施されてきた。査年次の静態人口に加算していくことによって sis 腎 ( 臟 ) が十分にその機能を営まなくなっ んムとはよんでいない。たとえば都市中心部で発第二次世界大戦後は、一九四七年 ( 昭和二二 ) 推計人口を算出したり、あるいは、動態人口のたときに、透析膜の物理化学的性状を利用し に臨時調査が行われ、五〇年以降は、現行の変動要因である出生、死亡、流入、流出の動向て、その機能を人工的に代用させる治療法をい じ生するごみを地下のバイプラインで空気圧送し 533

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じんこう ための移動が増加するであろう。 死亡率の低下が先行するのは、各国とも近代化の目標とし の 国際人口移動は、かってヨーロッパからアメリカへの移動 て衛生行政に力を入れることや、生活水準が上昇して健康状 CID ・卩 態が改善されることが原因である。これに対して、出生率は が大きな流れであったが、 第一次世界大戦まででその歴史は っ 0 1 伝統的な社会慣行や国によっては宗教などの影響で低下が遅終わった。第二次大戦後、物的にも人的にも国際交流は増大 れるのが普通である。ただ、近代化とともに産業構造が変化 したが、大規模な国際人口移動はおこらなかった。ただ、戦 C) わ し、都市化が進むと、しだいに人々の意識が変わり、出生率後の経済的繁栄のなかでヨーロッパ先進諸国が労働力不足と なり、南ヨーロッパ地域から外国人労働者を受け入れたこと も低下を始める。出生率が従来どおりの高さにとどまってい - Ⅱ ) 0 る間に死亡率が低下する段階では、人口増加率はしだいに上がある。また中近東石油産出国で経済的プームがおこり、ア 昇する。どの国でも近代化のなかで相当な人口の増加をみた ジア地域を含む各地から多数の外国人労働者が流入した。ま のはそのためである。しかし、出生率、死亡率がともに低水 た、その性質上正確な数字はつかめないが、かなりの数の不 で 準になった最近は、どの先進諸国も人口増加はきわめて低法移民がアメリカなどには存在するといわれている。 、年率一 % 以下である。 〔人口の現状と将来〕現在 ( 一九八四年 ) 世界の人口は約四 ( Ⅱ ) 4 八億人と推定されている。一九五〇年には約二五億人であっ 他方、発展途上国は現在人口増加の時期にあたっている。 (C) 4 いそれだけではなく、これらの国々ではもともと出生率が高か たから、戦後四〇年ほどの間に二倍近くに増大したことにな ったうえに、第二次大戦後、などの薬剤が外国から持る。世界の人口のなかで増加が著しかったのは発展途上国 をち込まれ死亡率が急低下したので、人口増加はとくに激しくで、一九五〇年に一七億人であったのが現在は三六億人にな なった。年平均増加率が二・五 % から三 % という状態で、こ り、二倍以上の増加である。これに対して先進国の人口は、 っ 0 ーー 八億人であったのが一二億人に、五割増加しただけであった のような爆発的人口増加が経済社会開発の大きな障害になっ ( 表 6 ) 。 町ている。 国際連合の将来推計人口によると、二〇世紀末に世界人口 〔人口の移動〕人口の移動は地域移動と社会移動の二つに分 の o 年 2 各 けることができる。人口問題としてはどちらも重要であり、 は六一億人になり、二〇二五年には八二億人になる。そのな 0 注 かで発展途上国の人口は二〇世紀末に四九億人、二〇二五年 また相互に関係しているが、データの関係上、地域移動のほ うがより多く取り扱われている。 には六八億人になる。先進国の人口は二〇世紀末に一三億 地域移動はさらに国内移動と国際移動に分けることができ人、二〇二五年には一四億人になる ( 表 6 ) 。現在の世界人 % 、三四 % 、五五 % というように、第一次産業の割合が著し る。国内移動もいろいろな種類に分けることができる。たと口を大陸別にみると、南アジア一五・七億人、東アジア一 く減っている。 〔人口の変動〕人口を変動させる直接の要因として、出生、えば、わが国の例では、府県間移動 ( 長距離移動 ) と府県内二・五億人、アフリカ五・五億人、ヨーロッパ四・九億人、 ラテンアメリカ四・一億人、ソ連二・八億人、北アメリカ 死亡、移動の三つがある。出生は人口を増加させる要因であの市町村間移動 ( 短距離移動 ) である。そのほか、二四時間 り、死亡はそれを減少させる要因である。移動は、地域によ周期でおこる通勤・通学のための振り子移動といわれるもの二・六億人、オセアニア〇・二億人で、アジアは南と東をあ もある。どの国でもみられたもっとも典型的な移動は、農村わせると二八・二億人となり、世界人口の五八 % を占めてい って流入超過の場合と流出超過の場合がある。これら三つは 広義の人口動態要因であるが、わが国で人口動態統計といわから都市への移動である。この種の移動は近代以前にもみらる ( 表 8 ) 。 日本の人口は現在 ( 一九八五年推計 ) 一億二〇九六万人 れているのは、出生、死亡、婚姻、離婚、死産の五つに関すれたが、近代における工業化とともに一段と激しくなった。 る統計であり、これらは人口動態登録の届け出をもとにしてこれは、工業地域における労働需要の増加によるいわゆるで、世界で第七位の大きさである ( 表 7 ) 。戦後、出生率と 「吸引型」の移動である。わが国でも昭和三〇年代以降の高死亡率が大幅に低下し、昭和三〇年代以降「少産少死」の人 作成されている。 出生と死亡の変化については、「人口転換」 demographic 度成長期に多数の人口が都市に移動した。しかし、最近はどロ動態が定着した。その結果、日本の人口は、将来、増加も transition といわれている経験法則がある。それは、経済社の国でも移動が多様化している。農村から都市への移動のほ減少もしない「静止人口」の状態になると予測されている。 会の近代的発展につれて、まず死亡率が低下を始める、それかに、都市間移動や都市から農村への移動、また農村間移動厚生省人口問題研究所の将来推計人口によると、二〇世紀末 といったものも増えてきている。 の日本の人口は一億二八一二万人であり、二一世紀に入って より数十年遅れて出生率が低下し、やがて出生率、死亡率が まもない二〇〇八年に一億三〇三六万人でピークになり、そ 移動の原因についても、昔は就業機会を求めての移動と ともに低い水準に落ち着いていくという経過のことである。 わが国の第一一次世界大戦前から現在までの経過もはば先進諸か、賃金または所得の高い地域を希望しての移動が多かったの後数十年間減少し、一一一世紀末に向けて「静止人口」に落 が、生活の向上と多様化のなかで、別の理由による移動が増ち着くであろう。そのときの人口はほば現在と同じ大きさで 国の場合と同様で、人口転換の型にはまった動きを一小してい えている。高齢化社会においては、親世代と子世代の同居のある ( 表 2 ) 。 る ( 図 〔図 B 〕出生率および死亡率の推移 ( 日本 ) 出生率 死亡率 510

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, 電 ク 類では温度刺激や精子添加の併用、紫外線照射 電気 、つ ( 滋賀県多賀大社大宮祭など ) 、歴史の事実や祭 かしい 器肺 サ や海水添加などにより産卵を誘発し、受精を行 5 っ マ 示 一」神の事績をかたどったもの ( 福岡県香椎宮春季 匕日 って幼生を育てて種苗を得る。このうちカキの 祭など ) 、疫病消除の神事が恒例化したもの やさか おん 、ン ん こンそ 器 向器機 ロ ク , 場合は種ガキ、または単に種とよばれる。魚類 ( 京都八坂神社神幸〈祇園祭〉など ) 、神を慰め 気ロみ 方理療波 フ し かんげん 電イか 炊蔵 調治 や甲殻類 ( ェビ・カニ類 ) などは種苗生産とい る趣旨で行われるもの ( 広島県厳島神社管絃 ン 器気内一フ ( ア気 波超 " 磁 ワ 灯光電一 、人工管理下で産卵・孵化させ、養殖や放流 祭など ) 、祭神ゆかりの地や氏子区域を渡御す ト気電 一電周 ホ 銀調 高器 , サタ 〈小橋二夫〉 に用いる種苗を人工種苗という。 るもの ( 京都平安神宮時代祭。各地の神幸祭の 浄機線 ス ン 、ンセ ュゲ機「 ス庫除 ス洗工電 じんこうざっおん man—made norse 大部分は氏子区域の渡御である ) など種々があ 人工雑音 ピオ話系 レ機メ波加送 例モ蔵掃ル灯 る。 〈西牟田崇生〉 さまざまな機器・設備から付随的に発生し、ま プンデ電火イ 体一冷気リ光イ 子接気音波圧 ろうえい 具サ気電ド蛍サ電ロ コビ子点ワ電溶電超音高 しんこうざいばっ明治・大正期に たは漏洩する不要な電磁エネルギーをさす。こ 新興財閥 みつびし れは放送や通信の受信を妨げ、他の機器を誤動 基盤を確立した三井、三菱、住友などの既成 作に導くなどのため、雷などによる自然雑音と ( 旧 ) 財閥に対して、満州事変前後から日中戦 ばっ・一う ョ 4 ・・日一 争期にかけて勃興した企業集団をいう。新興コ 対比して人工雑音とよばれる。発生源として 期期・ 期期期 期 / 期 非続周周 周周続周撃周 続周期周 は、古くは送電線や家庭用電気機器が主であっ ンツェルンともよばれた。その代表的コンツェ 連非 連非衝 連非周 的 / 的 / / / 的的 的 / / 的 の的 ルンは次の五つである。 たが、科学・技術の発達や放送・通信方式の変 はたんひん 性撃撃期撃上記期続期撃撃期続期続上撃期撃続 ①日産コンツェルン大正末年破綻に瀕した久 化に伴って、最近ではきわめて多様化してい 特衝衝周衝同上周連周衝衝周連周連同衝周衝連 あいかわよしすけ る。↓雑音 〈若井登〉 房之助の事業再建を引き受けた義兄鮎川義介 に過過 が、一九二八年 ( 昭和三 ) 久原家の中核企業で じんこうし義歯に使用される人造の 人工歯 ゅ ー刀 ーレ ある久原鉱業を公開持株会社日本産業に改組し 生 スは路 , 路 , 路 歯をいう。天然歯の代用であるため、形態、色 , 触的の回象回象 回 回 発 たのが起点。その傘下に久原、鮎川親族の支配 調、光沢、大きさなどをできるだけ天然歯に近 音電電接電子 記振現振現電種振い上上電上振し 雑放放動放電チ上発渡発渡放各発え同同放同発え い状態にし、そしやく圧にも耐えられるように 下にある諸企業を中心とする既存企業を吸収あ るいは新設し、三七年ごろまでに三井、三菱両 くふうされる。金属、陶材、合成樹脂等を材料 器用 蔵サ としてつくられることが多く、そしやく圧のか 内 財閥に次ぐ一大コンツェルンを形成した。さら 端 きゅうし 置セ 気 に同年末には日本産業を「満州国」に移転さ源 かる臼歯部には金属製の人工歯が、外観にかか タ 電タ 装ロ 機電 生 オポ 御プ器 用高 わる前歯部には天然歯に近い色調をもっ陶材や せ、満州の産業開発にあたった。↓日産コンツ 発 含モ ロ機ュ 置置応 道 エルン 合成樹脂製のものが多用される。現在のような 車タ装装波線鉄 を子管体ク蔵ピ したがう 点 流器電導器イ内ン器動一 熱療音カ気 ②日窒コンツェルン野口遵が一九〇八年も頁 人工歯が作成される以前。。 こま、抜けた天然歯を コ機自モ 加医超電電 接整機放半機マ一 お分 ワイヤ ( 針金状のもの ) などで残存歯に縛り付け ( 明治四一 ) 日本窒素肥料を設立したことに始 内 装 用 備 , 気光 て人工歯としたり、ウシの骨やろう石などでつ まる。わが国最初の硫安、合成アンモニア生産音 備道信 設一電蛍 くった人工歯も用いられた。↓義歯〈沢田健次〉 に成功したのち、豊富・低廉な電力を求めて朝雑 タ用 , ど 車関波 設鉄受 報 カ気送 工器一庭器な 動機周備 じんこうしかん社会変動の究極的 鮮に進出し、日本、朝鮮にまたがる電気化学工 人口史観 電電放 人機モ家機灯 情置自燃高設 原因に関するさまざまの見解のうち、人口の影 業中心のコンツェルンを形成した。↓日窒コン おおこうちまさとし ンエルン 立 ) の三代目所長大河内正敏によって、同研究で大きな影響を受けた。さらに植民地への進出響力を重くみ、人口増加や人口密度などが社会 のぶてる の発展を規定すると考える立場。古くは人口増 ③森コンツェルン森矗昶が鈴木三郎助の支援所の資金確保とその研究成果を工業化する目的も、戦局の悪化とともにかえってコンツェルン ようど 全体の混乱を招き、しだいに弱体化していき、 の下に形成された。↓理研コンツェルン 加と人口密度によって社会を五つの発展段階に を得て、一九二六年 ( 大正一五 ) 日本沃度、二 既成財閥が金融、商事、鉱工業などを手広く 戦後の財閥解体で崩壊した。 八年 ( 昭和三 ) 昭和肥料の二社を設立。前者で 〈宇田川勝〉分けたコストがあり、また、人口数や人口増 アルミニウムの国産化、後者で国産技術による経営するコンツェルンであったのに対し、これ回宇田川勝著『昭和史と新興財閥』 ( 教育社歴加、人口密度が戦争、革命、生産力や生産技 史新書 ) 合成アンモニアの生産に成功し、それらを足場ら新興財閥は重化学工業、電力事業に基盤を置 術、分業、所有制度、社会組織、社会制度、慣 やきん じんこうさいびよう養殖や放流に習、一一一一口語といった社会諸現象に影響を及ばすこ に電気化学、冶金工業中心のコンツェルンを形 くコンツェルンであり、新技術の企業化や朝人工採苗 しし、それをと 、満州などの植民地への進出、あるいは新し用いる水族の卵や幼生を種苗と、 とが指摘されてきた ( カルリ FiIippo CarIi 、 成した。↓森コンツェルン とものり につゼう コバレフスキー、ルバッスール Pierre Emile い経営理念の提唱などに熱心で、満州事変を契ることを採苗という。したがって、人為的に水 ④日曹コンツェルン中野友礼が自分の特許 Levasseur 、一丁ュプレール Eugene DupréeI 「食塩電解法」の企業化のため一九二〇年 ( 大機とする経済回復の波にのって積極的に事業網族を管理して種苗を得ることを人工採苗とい そうだ を拡大し、財界勢力としての地位を確立した。 、海や河川 ( 湖沼 ) から直接採苗する天然採など ) 。 正九 ) 日本曹達を設立したことに始まり、ソー ぜい 近代社会学で人口の役割を重視したのは、ス ダ工業を起点に鉱業、鉄鋼、人絹などに事業網しかし、新興財閥はおしなべて資金的基盤が脆苗に対する語。人工採苗の語は、一般に海藻や じゃく 弱で、戦時統制経済の進展に伴う産業構造の貝類について用いられることが多い。海藻ではペンサー、ギディングス、デュルケームなどで を拡大してコンツェルンを形成した。↓日曹コ ンツェルン 軍事的再編に際して既成財閥とまっこうから競胞子の放出時に採苗器を入れて胞子を着生させある。デュルケームは社会的分業の発展が社会 たわ ⑤理研コンツェルン理化学研究所 ( 一九一七設 合することとなり、事業基盤、資金調達の両面るが、これはとくに種付けとよばれている。貝の容積と密度の増大によって生ずると考えた。 いつくしま 信 受 > 機 信

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では、第二次世界大戦前、過剰人口問題という大 人口じんこう population きな問題を抱えていたが、戦後の高度成長によっ 序説 / 人口理論 / 人口の構造 / 人口の変動 / 人口の移動てこれを解決することができた。しかし最近は、 出生率、死亡率の低下によって生じた人口高齢化 / 人口の現状と将来 / 人口問題 が国民生活に大きな影響を及ばそうとしている。 同時に国外では、発展途上国における人口爆発と 〔序説〕きわめて一般的に人口を定義すれば、人口とは人間 の集団であるが、普通われわれが人口を論じるときには一国これによる開発の停滞があり、その問題の解決は 二〇世紀末から二一世紀にかけての人類最大の課 の人口、ある地域の人口というように、特定の行政区域内に いる人間の集団について考える。人口の大きさと構造は、そ題であるといわれている。しかも世界の人口問題 は、先進国にとってもけっして無関心ではいられ の成員である個人が結婚、出産、死亡、あるいは移動といっ た動きをすることによって影響を受け、変化する。しかし他ない重要な問題である。 〔人口理論〕厳密な意味での人口理論とは何かと 方、人口はそれ自体が経済社会に対する与件となって少なか いう問いに答えることは困難であるが、ここでは らぬ影響を及ばす。そして、それがさらに人口の成員である 個人の行動を左右するという関係にある。たとえば、人口規広い意味での人口に関する考察とその結果を含め 模が拡大し、国土や資源に対して過大になると、国民生活はて、これまでに出された人口理論を概観する。 ロ ます古代に地中海の東方地域に現れた人口理論 苦しくなり、結婚や出産が抑制され、あるいは死亡が増加す ロ公む は、宗教的立場にたって人口増加を歓迎した。独 るであろう。要するに、人口とその成員である個人は相互に 人 関係しあっている。この関係を明らかにすることは人口論の身は嫌われ、大家族が祝福された。息子を産み残的 一つの重要な課題である。 さなかった者は、死後に祈りと供物と愛情を捧げ歴 られることなく、寂しく哀れむべき魂となるであの このような一般的な問題のほかに、最近は具体的な人口問 こ題が日本の国内において、また世界全体について、人々の大ろうと信じられていた。この時代には政治的・軍日 んきな関心事にな 0 ている。日本の国内においては、人口高齢事的立場からみても人口増加が歓迎された。王や 表 じ化とこれに伴って生じる高齢化社会の諸問題がある。わが国支配者は人口の大きさは権力の象徴であると者 しようむ 給はもとより、飢饉・疫病の際の賑給にあって人民の再生産過程を現実的に掌握することへ重凝集した部分だけが残ったもので、黒みを帯び ( 黄熟香 ) は、聖武天皇 ( 在位当茜 ~ 〈 ) が命 ふんこう る。火にくべると強い芳香を出し、焚香料に使名したと伝えられ、蘭奢待の字の中に東大寺の 点を移したことを示したものと理解されてい も、稲穀の支給量・対象者数で貧窮者・病人な どより高年者・鰥寡悍独者のほうが重視されてる。しかし、この賑給も、律令制の衰退に伴われる。また、樹を直接蒸留した精油 (Aga 「字画を含むため東大寺の異名をもつ。長さ二 じゅず attar) からは香水がとれる。材は数珠や十字弱、重さ一四キ。もあるが、一部は足利義政と織 、毎年五月吉日に賑給使を定め京中の飢民に いることから、単なる貧窮民の救済策にとどま らず、天皇の恩恵や有徳を周知させるという儒米・塩を支給する儀式や、近京の山中に住する架像など宗教物のほか、もろもろの細工物にさ田信長によって切り取られた。沈香は平安時代 おしき かィ一し には焚香料以外に文、挿頭華の台、折敷、机 教的イデオロギー政策としての役割を担ったも老貧の僧侶に対する毎年六月の施米の儀式などれる。近縁種にマラッカジンコウゝ . きミ〒 などに使われたことが「源氏物語』などの記述 〈加藤友康〉 Lamk. 、シナジンコウ ( 嶺南沈香 ) ム . を に形をとどめるのみとなった。 のと考えられている。また、同一の賑給でも、 で知られる。一四世紀には、それまでの沈香と s (Lour. ) Gilg. 、ポルネオジンコウム . ジンコウ〔沈香〕、 oc ぎ 諸国ごとにその対象や一人当りの支給量が異な 他の香料を混ぜ合わせて焚いた薫物にかわっ ~ c ミ、ミ Van Tiegh. などがある。 り、各地域での実施過程に差がみられることか Roxb. ジンチョウゲ科の常緑高木。熱帯アジ 〔文化史〕中国の香は沈香を中心に発達したて、沈香だけを焚く方法が始まり、一六世紀な ら、運用にあたっては在地における郡司・里長ア産で、アジアの香料では古来もっとも名高い かばから一七世紀にかけて、「香すなわち沈」 ものの一つ。高さ二〇 ~ 三〇になり、材は白が、すでに六世紀の初めにそれが確立してい などを通じて行われ、彼らの私的支配の槓杆と げんそう だえん とする香道が確立された。香道では、沈香木の 色で軟らかい。葉は楕円形で短柄をもち、先端た。唐の玄宗皇帝は興慶宮内に沈香亭をつく しても機能したこともあったとされている。 きやら ようきひ えいせん 九世紀に入ると、全国的規模での実施は減少は鋭尖形、長さ五 ~ 九。花は白色。蒴果は長り、楊貴妃や李白と遊んだ。日本でもっとも古産地を重視し、伽羅 ( ベトナム、チャンバ ) 、 まなが まなばん い記録は『日本書紀』で、推古天皇三年 ( 五九五 ) 羅国 ( タイ、ロフリ ) 、真南蛮 ( タイ ) 、真那賀 卵形で長さ約五拜一、一個の種子がある。材の比 し、一般の飢・疫民が多くその支給対象とさ すもとら れ、財源もそれまでの田柤内の動用穀から、不重〇・四二。幹、枝、葉はそのままでは香りが条に、淡路島に沈香木が流れ着き、宮廷に献じ ( マレー、マラッカ ) 、蘇門答剌 ( スマトラ島 ) 、 さそら ないが、幹を傷つけると分泌される樹脂は芳香られた、と書かれている。のちにその木から仏佐曽羅 ( 不明 ) の六国に分類し、その香りをか 動穀、正税稲、糒などのほかに、救急稲とい でん ぎ分け楽しんだ。もっとも高級とされたのが伽 う新財源も設置されるが、これは、律令国家をもつ。もっとも上質のものは沈香木とよば像がつくられたと伝えられる ( 『聖徳太子伝 らんじやたい 〈湯浅浩史〉 が、それまでの儒教的思想に基づく政策から、れ、自然に倒れ、埋没した材のうち、樹脂分の暦』『水鏡』 ) 。正倉院の蘭奢待とよばれる沈香羅である。 こうかん りやく 寺 ) さ 日本で第 1 回国勢調査が行われたのは 1920 年 ( 大正 9 ) であり , それ以降の人口は正確に知られている。しか 21.9 しそれ以前の人口についてはそれほど正確には知られ 106.0 ていない。時代を遠くにさかのばるはど不確かになる ことはいうまでもない。 262.5 161.0 これまでにいろいろな学者によって推計された日本の 601.5 歴史的人口を寄せ集めると表のようになる。これによ ると縄文時代早期にはわすか 2 万人はどであったが , いくつかの波を描 5 589.1 それがけっして一本調子ではなく , きながら増加してきたことがわかる。ます縄文時代に 6 437.6 増減がみられ , ついで弥生時代にはかなり増加してい た。奈良時代の人口は 500 万人台で , その後しだいに 6 916.9 増加して , とくに江戸時代前期の増加が著しかった。 12 273.0 しかし後期には停滞した。明治以降の工業化による経 31 277.9 済社会の発展は , 西欧諸国にみられたのと同様な著し く岡崎陽一〉 30 104.0 い人口増加をもたらした。 29 869.7 32 423.8 時代・西暦 縄文早期 縄文前期 縄文中期 縄文後期 弥生時代 奈良時代 750 年 ( 天平勝宝 2 ) 平安時代 900 年 ( 昌泰 3 ) 1150 年 ( 久安 6 ) 安土桃山 ~ 江戸時代 1600 年 ( 慶長 5 ) 1721 年 ( 享保 6 ) 1786 年 ( 天明 6 ) 1792 年 ( 寛政 4 ) 1846 年 ( 弘化 3 ) 明治以降 1868 年 ( 明治 1 ) 34 558.8 1900 年 ( 明治 33 ) 43 847.0 1920 年 ( 大正 9 ) 55 963.1 注 : 諸家による推計をつなぎあわせたもの ( 千人 ) た くんぶつ 507

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、 1 0 11 ワ」ワ」 -0- 1 よ -0- -0 ワ」 11 ( 凵 ) の避難民も南アメリカ、ポものの、自家用車の普及率は三人に一台、電話負担によって支えられている。国民のすべては っこは・っー′ 0 - -0 、 1 0 11 っ -8 44 ・ 《 0 1 よ 11 ワ」 -8 4 ・ -8 1 人 0 ) -0 -0 1 ー一 4 ・ ーランドから受け入れてい は一・三人に一台、テレビは三人弱に一台の割 社会保険に加入し、外国人でも六か月以上の滞 1 ー・ -0- ( 0 L-O っ 0 -4 ・ワ」 1 よ 00 -4 ・ -0 ( う《 0 -4 ・つ 0 フー え国 ワ】っっ 0 11 一 11 1 人 るが、スウェーデン自体にであり、一戸建ての住宅、夏の家、ポート、車在者は加入できる。稼得従事者 ( 被雇用者およ 外 冖 戸 0 -4 ・ 1 よっ 0 -0- ワ】 / 1 ・・ 11 11 《 0 C 〕 ) 失業が増加している今日、 を所有することが人々の理想とされている。一 び自営業者 ) の病気には収入の九〇 % が支払わ LO 戸 0 ・ 4 《 0 、 1 - ト ) 《 0 《 0 ワ編 -0 《 0 1 よ すす眸 移民との間に微妙な感情の九八〇年の統計によると、三六七万戸の住宅のれ、家庭の主婦には一日、 / 斃が支払われる。患 住 (T) 0 00 ワ】 00 ワ】 1 よ 動きがみられる。 うち約四四 % の一六三万戸が一戸建ての住宅に者は診療ごとに四〇を負担し、入院料は二年 居 言語はゲルマン系のノル居住している。残りは私営または公営のアバ 間無料、処方による薬代は最高五〇 ( 患者は 人 ン 人 ア む ド語の一つスウェーデン語 トである。住宅は大都市においては不足してい 二〇までと、二〇 ~ 八〇晃の場合は、それか ド人人ビ人 る を を公用語とし、学校、報道るが、地方によっては余剰がある。収入の少な ら二〇斃を差し引いた額の五〇 % に二〇を加 ンク一ラド人人人人 人人 ぶんべん 工人ラ一エスンツアスア人力人ム い人には、一戸建て住宅に居住する者にも住宅えた額を負担 ) である。働く女性には分娩予定 機関においてもこれを使用 コ人リンナ 0 ウ国ンマウゴライシ 0 日の六〇日前から最高五〇日間の休暇と給付が している。話しことばには補助金が支給される。一戸建て住宅には率のよ ス外インル一一ドリギタルリメラト , し西 フデノュポ西ギイイトチアイベ 上東。 いローンが借りられ、種々の税控除もあるた 認められ、産後は両親のうち子供を世話する親 各種の方言があるが、ラジ 域 計人 オ・テレビの普及により均め、アバート入居者との間に不平等が生じ、問 に、九か月児になるまで最高一八〇日の休暇と 地北欧ヨーロノ ノ その他の地域合全注 給付が与えられる。一二歳以下の子供が病気の 一化されつつある。方言は題にされている。 車体検査、ライトの昼間点灯が義務づけられて大別して南北に分けられ、イヨータランド北部〔教育・宗教〕教育制度は一九六二年から義務ときには両親は最高六〇日の休暇がとれる。一 いることにもよる。鉄道網は人口に比べてヨー がその境界とされる。スウェーデン語は一七世教育の九年間を低・中・高の三段階に分け、そ六歳以下の児童手当は年額四八〇〇髭、基本年 の上に二年から四年の高校を置くことと決定さ金の老齢年金は一人一か月一七四四晃 ( 補足給 ロッパ第一の密度である。国内航空はリニエフ紀にはドイツ語の、一八世紀にはフランス語 、クロ、 ーし夫婦二八五二。・。 の、二〇世紀には英語の影響を受けて変化してれた。二学期制で、八月末から翌年の六月中旬付を加えると二六一六 リーグ社が二四か所の都市を結んでおり、ラッ までを二期に分ける。私立学校はきわめて少数 ( 同三七二四髭 ) で六五歳から支給される。稼 シュ時を除き若者と老人に安い料金サービスが いる。このため政府は国語委員会を設けて正し い国語の普及に努めており、学士院から国語辞で、はとんどが公立、大学はすべて国立であ得従事者には別に補足年金の制度があり、年金 ある。海運では三七〇隻、四六〇〇万トン ( 一九 台 ) の商船を有する。電話の普及は人口一〇〇典が発行されている。移民にはスウェーデン語る。義務教育段階と高校では教材および昼食が受給者には年金のほかに住宅などの援助の手が を無料で教え、その子弟にはそれそれの出身国無料、大学では授業料が不要で校友会費を一〇伸べられ、人間として生存する権利が保障され 〇人当り七三〇台でアメリカに次ぐ。ラジオ・ テレビは国営で、テレビは二チャンネルあり、 の母国語を教える政策をとり、移民子弟の精神〇晃前後納入するだけで入学金も不要である。 ている ( 数値は一九八五年一二月。表 5 ) 。 衛星による北欧諸国間の番組聴取を計画中であ的負担の緩和を計っている。ラッブ人はラップ幼児教育は、一九七五年からすべての子供が就 文化 語を通用語とし、また北部の一地方ではフィン学前一年間は幼稚園に入ることができる権利を る。キルナ郊外に通信衛星の受信基地が建設さ れ、ランドサットからの電波を受けている。ま ランド語が通用語として話されている。↓スウ得た。働く両親をもっ子供は六か月児から六歳 自由と平等はスウェーデン文化の根本精神で エーデン語 児まで保育所に預けられ、その費用は両親の収ある。権力を恐れずに築き上げた人道主義や言 たフランスと共同の通信衛星「スポーツ」の打 上げが計画されている。 〔国民生活〕人口密度は一平方キ。当り一八・五入によって異なる。七六年より授業改革案が提論の自由は、一九六〇 ~ 七〇年代の経済成長を 出され、生徒の自発性を促す新教育法が試験的背景に、さらに国民の意識のなかに深く根づい 人で、その密度は極端に南部に偏り、その約八 社会 た。一七世紀にはドイツ文化の、一八世紀には に実施されている。成人学校は一〇〇年の伝統 三 % は都市とその周辺に集中している。政府は 〔住民・ = 語〕住民はゲルマン系の白人スウェ対策として政府機関の地方移転などにより、職があり、全国に一〇〇か所ある。労働団体も成フランス文化の影響を受けてはきたものの、ス ウェーデンの文化はこの土地に根づいた独自の ーデン人と、遊牧民族ラップ ( スウェーデンで場の地域配分の調整を実施している。一九三〇人教育機関をもち、文化活動に参加している。 ふくいん 宗教はキリスト教プロテスタントの福音ルー ものである。一八〇〇年代初期まで農業従事者 はサーメとよぶ ) からなる。ラップはスカンジ年代の不況と産児制限の普及による出生率の低 テル派を国教としており、総人口の約九五 % が は人口の九五 % を占め、貧困のために一〇〇万 ナビア半島北部とコラ半島に分布し、現国境決下で、人口増加率は現在〇・一 % ほどであり、 これに所属するが、日曜礼拝にはわずか三 % が人ものアメリカ移民を余儀なくされた。一九三 定以前は自由に移動していたため、近年のダム当局者は憂慮のすえ、八二年度より出生の第三 建設などをめぐって土地の所有権が問題になっ子以上に対して二倍の児童手当を支給すること参加するにすぎない。自由教会所属は約四 % 〇年代の不況時にはストライキで死者を出した で、うちペンテコスタル派が九万九七一七人こともある。このような社会がその五〇年後に に決定した。平均寿命は男性七二歳、女性七八 ているが、法律上は他のスウェーデン人となん らの差別はない。移民としては、第二次大戦時歳であり、人口の約一九 % が一四歳以下、一五 ( 一九八三 ) でいちばん多く、ミッション派、救世は高い生活水準と高福祉を実現し、いまや欧米 にバルカン諸国からの避難民を大量に受け入歳から六四歳の労働可能人口は約六四 % であ軍、バブティスト派がこれに続く。一三の大教の消費・商業文化の洪水からいかにして子供た れ、一九六〇年代より経済成長に伴って北欧諸る。労働人口は約四三七万人で、その平均所得会区と二五六六の小教会区があり、その下に四ちを守るかに人々の関心が注がれるようになっ どうせい 六七七人の牧師がいる。うち三六〇人が女性でた。それほどにスウェーデン社会の変化は著し は年間約七万である。結婚または同棲してい 国および南ヨーロツ。ハからも多くの移民を受け 入れた。移民総数は約四〇万人 ( 一九公 (l) 、そのる女性の七〇 % 近くが労働に従事しているのあるが、女性牧師反対がイヨーテポリ教会区をかった。そのため、農業国であったころの大家 族制は工業化するにつれて核家族化し、福祉の うち五〇 % は北欧諸国からの移民で、フィン一フで、一世帯当りの収入はかなり高くなるが、婦中心に唱えられている。出生児中八〇 % は洗礼 ートタイムが多い。週労働時間はを受け、約七一 % は堅信礼を受ける。結婚の六発達は権利主張を強め、すべての責任を社会に 人の労働はバ ンド人がもっとも多く約一五万人、南ヨーロッ 転嫁する傾向がみえ始めるなど、深刻な社会現 パ人ではユーゴスラビア人が多く約四万人であ四〇時間、地下鉱山勤務者三六時間で、年間五五 % 、葬儀の九四 % も教会で行われる。 〔福祉〕福祉は世界最高の水準にあるが、スウ象をも生じ、文化的影響を及ばしている。 る ( 表 4 ) 。移民のなかで注目されるものに養週間の有給休暇が法律で定められている。イン エーデンの高福祉社会は既述のような国民の税〔国民性〕親子関係はもともとドライで、古く 子縁組があり、これは約四 % を占める。政治上フレにより生活水準は低下しているといわれる 870