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検索対象: 日本大百科全書 12
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1. 日本大百科全書 12

じよ , っせつこ / 、き、いし 池田健太郎訳「ロシア文学史』 ( 一九七六・新潮常設国際司法裁判所 収しながら織物のように自己増殖してきたこと 、」 / 、寺」いーし→な、つ寺」いはな・んーし・よ ほうさいばんしょ 0 国際司法裁判所 社 ) ▽後藤明生著『笑いの方法ーーあるい しようよう , フがわかる。それが文学史にもっとも遅く登場し はニコライ・ゴーゴリ』 ( 一九全・中央公論社 ) 小説神髄しようせっしんずい坪内逍遙の小 た小説の運命であり、同時に特権であったこと よ ・中国▽黎波著「中国文学館ーー詩経から説論。一八八五年 ( 明治一八 ) 九月 ~ 八六年四 しがわかる。そしてこれまであげてきた作品は、 巴金まで』 ( 一九会・大修館書店 ) ▽駒田信一一月、松月堂刊。全九冊。八六年五月、上下二巻 いずれもその代表的なものであった。 の合本刊行。著者名坪内雄蔵。東京大学時代か 著『対の思想ーー中国文学と日本文学』 ( 一九 現代では、フランスのヌーポー・ロマンが二 らの小説探求をイギリスの諸文献、『プリタニ 六九・勁草書房 ) ▽武田泰淳著『司馬遷 〇世紀小説精神の忠実な継承者だといえる。わ カ』などから得た知識をもとに組織した日本最 史記の世界』 ( 講談社文庫 ) が国においても、小説そのものについての反省 ・日本▽『純粋小説論』 ( 『定本横光利一全初の体系的小説論である。上巻は原理編。人知 と自己批評をテーマ、方法とする小説が、先に 集第一三巻』所収・一九全・河出書房新社 ) と文化の発達とともに発達してきた文学の頂点 述べたような「戦後的」混乱状態を脱して、よ にたつ小説、その小説によって可能となる人間 うやくジャンルとして自立し始めている。中断 ▽小林秀雄著『私小説論』への手紙・私 小説論』所収・新潮文庫 ) ▽『文芸的な、余世界の観察、という基本認識を通し、小説の自 したモダニズムの再評価も行われ始めた。世紀 りに文芸的な』 ( 『芥川龍之介全集第五巻』立と必要を強調した。全五章の中心が「小説の 末は、文学史が読み換えられる時代である。っ 所収・一九七一・筑摩書房 ) ▽花田清輝著『復主眼」。「人情」の模写を通して人生の因果の理 まり、過去を大いなる好奇心を抱いて振り返る 興期の精神』 ( 講談社文庫 ) ▽『林達夫評論法と人間界の構造を照出し、人生批評たらしめ こと。小説の未来は、まさにその「末知」なる 集』 ( 岩波文庫 ) ▽伊藤整著『小説の方法』るという主旨は、近代小説の骨格をとらえてい ものとしての「過去」との遭遇にあるといえる 〈後藤明生〉 であろう。 ( 新潮文庫 ) ▽後藤明生著『復習の時代』る。下巻は技術編。文体、脚色、主人公論など 六章。小説という虚構を描写の真実性で支える ( 一九ハ三・福武書店 ) ▽同著『小説ーーい力に 回・西欧▽・・カーク著、辻村誠三他訳 読み、いかに書くか』 ( 講談社現代新書 ) ▽配慮が潜在している。日本近代小説展開の導因 『ギリシア神話の本質』 ( 一九含・法政大学出版 入消は着まるポし E ズを 西郷信綱他著『日本文学の古典』 ( 岩波新書 ) となったが、人間心理の描出をもって人間世界 局 ) ▽バートランド・ラッセル著、市井三 越出水内装場いを熱ノ雪 関側散ル、 ▽中村光夫著『日本の近代小説』「日本の現の深さを計ろうとする理論深度に、不変の意義 郎訳『西洋哲学史』全三巻 ( 一九全・みすず書 / 着て水加 , 県のネ一脱し湧 がある。 〈中村完〉 道潟近ンエ 代小説』 ( 岩波新書 ) ▽柄谷行人著『近代日 , 雪のしお水 房 ) ▽高津春繁・斎藤忍随著『ギリシャ・ 車新付トチで消内送第 E 散 本文学の起源』 ( 一九含・講談社 ) ▽高橋英夫叫現代日本文学大系 1 坪内逍遙他集』 ( 一九 ローマ古典文学案内』 ( 岩波文庫 ) ▽ヘルマ 路動の樽 のをル圧て 6 け 道自ル土備ヤな問ネでえに設す 七一・筑摩書房 ) 著『幻想の変容』 ( 一九八三・講談社 ) ▽前田愛 ン・ヘッセ著、高橋健一一訳『世界文学をどう 雪越ネ , 設イ止のンプう問をか 消関ンロ雪タ禁でトンたのル融 じよ , っせっちゅうさいさいば 読むか』 ( 新潮文庫 ) ▽・・モーム著、 著『都市空間のなかの文学』 ( 一九全・筑摩書常設仲裁裁判所 が常備されているだけで、常設的なのは付属的 房 ) ▽磯田光一著『鹿鳴館の系譜ーー近代んしょ Permanent Court of Arbitration 西川正身訳『世界の十大小説』上下 ( 岩波新 略称一八九九年および一九〇七年のハ 文芸史誌』 ( 一九盒・文芸春秋 ) 機構である国際事務局と評議会であるにすぎな 書 ) ▽ウラジーミル・ナポコフ著、野島秀 すいさんか ーグ国際紛争平和的処理条約は、国々の仲裁事 。真に常設的な仲裁裁判所がつくれなかった 勝訳『ヨーロツ。ハ文学講義』 ( 一九全・ 消石灰しようせつかい 0 水酸化カルシウム しようせつげつばう中国近代の月件を管轄する常設仲裁裁判所の設置を定めた のは、前提問題として、裁判官選定における大 プリタニカ ) ▽ヴァルター・べンヤミン著、 / 言月報 制度としての当該裁判所は、①裁判所裁判官と国優位の主張と国家平等を盾にとる中小国の主 高木久雄訳・編『文学の危機』 ( 一九六九・晶文刊文芸誌。商務印書館発行。一九一〇年創刊以 後、主編惲樹理、王蘊章で、文語による戯作風して記入された者の名簿、②国際事務局および張を調整することができなかったことによる。 社 ) ▽中村真一郎著『小説の方法ーー私と えんおうこちょう の「鴛鴦蝴蝶派」の雑誌であったが、一一一年一③常設評議会の総称である。各締約国は、「国仲裁裁判所の構成は当事者の合意によるが、ハ 二十世紀文学』 ( 一九〈一・集英社 ) ▽ < ・ティ たんのう かっ 際法上ノ問題ニ堪能ノ名アリテ徳望高ク且仲裁 ーグ条約はこの合意がない場合に適用される補 ポーデ著、生島遼一訳『小説の美学』 ( 一九月、おりから発足した文学研究会の準機関誌に 〈皆川洸〉 改組、内容を一新した。初期に掲載されたおも裁判官ノ任務ヲ受諾スルノ意アル者四人以下」充的規則を定めている。 六七・人文書院 ) ▽生島遼一著『フランス小 ようしよ、つきん しやひょうしん 説の「探求」』 ( 一九七六・筑摩書房 ) ▽蓮實重な作品に、謝冰心『超人』、葉紹鈞『隔膜』 を任命し ( 国別裁判官団 ) 、このように任命さ使用窃盗しようせ。とう他人の財物を一時 許地山『命命鳥』『巣をつくる蜘蛛』などがあれた者は裁判所裁判官として名簿に記入され、的に無断で使用すること。たとえば、他人の自 彦著『物語批判序説』 ( 一九会・中央公論社 ) ▽大江健三郎著「小説の方法』 ( 一九大・岩波り、民衆の生活への強い関心を共通の特色とす事務局を介して各締約国に通告される。国際事転車を短時間乗り回し、元の場所に戻しておく ていしんたく 現代選書 ) ▽大橋健三郎他著『ノヴェルとるといえる。主編は二三年以降鄭振鐸 ( 一九一一務局は裁判所書記局にあてられ、裁判開廷に関場合などがこれにあたる。単なる使用窃盗は、 ロマンス』 ( 一九七四・学生社 ) ▽・ TJ ・フレ七 ~ 二九年の鄭の渡欧中は葉紹鈞 ) に変わったする通信を媒介し、記録を保管し、およびいっ客観的には他人の占有を侵害するが、不法領得 イザー著、木下順二他訳『現代の英文学』が、その後も代表的文学雑誌として二〇年代のさいの事務を処理する。常設評議会はオランダの意思、すなわち他人の物を自分の物にする意 ちゅうさっ 思が欠けるから、窃盗罪 ( 刑法二三五条 ) には ( 一九六七・研究社出版 ) ▽川村二郎他訳『ヴァ中国文学に大きな位置を占めた。二〇年代後半に駐箚する締約国の外交代表者およびオラン はきん ていれい には老舎『張さんの哲学』、巴金『滅亡』、丁玲ダ外務大臣をもって組織し、国際事務局を指揮あたらないものと一般に解されている。ただ自 ルター・べンヤミン著作集 6 ポードレー ル』 ( 一九全・晶文社 ) ▽シクロフスキイ他『莎菲女士の日記』なども発表され、これらの監督する。常設仲裁裁判所という名称は誤解を動車などの乗り物につき、無断使用後、これを 著、磯谷孝他訳『ロシア・フォルマリズム論作家を文壇に送り出す役割も果たした。三二年生じやすく、裁判所がそういうものとして常設乗り捨てる意思があったり、長時間かっ長距離 シャン、イ 一月、上海事変で商務印書館が被爆したため停されているような印象を与えるが、実際は、裁乗り回す意思がある場合には、不法領得の意思 集』 ( 一九七一・現代思潮社 ) ▽ミハイル・パフ チン著、新谷敬三郎訳『ドストエフスキイ論』 〈白水紀子〉判をする仲裁裁判部を構成する一人または数人が認められるから、窃盗罪が成立するものと解 りゅうさん の裁判官の選定を容易にするための裁判官名簿されている。 〈名和鉄郎〉 ( 一九穴・冬樹社 ) ▽マーク・スローニム著、焼石膏しようせ。こう硫酸カルシウム シャーフェイ

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すいす 目ーを第 ャッ第 を→三、を石ー廷を 第第」当イ→まべ龕評 / こウい第狎をよ第ツ、 ミを なき ' な三 維持することは認められた ( ロンドン宣一言 ) 。名構成で、一〇年ごとの国勢調査に基づき各州 しかし、集団安全保障機能を国際連盟が果たせの人口に比例配分されて、各州から選出され なくなると、一九三八年ふたたびスイスは絶対る。後者は各州から二名ずつ独自の選出方法で 中立を宣言して事実上国際連盟から脱退した。選ばれ、その歳費も各州で支払われる。両院の しめんそか 第二次大戦の四面楚歌のなかでもこの中立を維構成は、国民の主権とカントンの主権とに対応 持したが、それにはアンリ・ギザン将軍の「レする形をとっているわけである。連邦内閣は四 とりで ドウィット ( 砦 ) ・プラン」による徹底抗戦の年任期の七名の閣僚からなり、両議院の合同会 議で選ばれるが、一九五九年以来、上位四政党 構えが功を奏した。武装中立を維持して戦禍に みまわれなかったことは、「二〇世紀の奇跡」から二・二 ・二・一の割合で選ばれている。大 とたたえられた一方、ナチス・ヒトラー体制の統領、リ 一。田大統領は、七名の閣僚のなかから一年 犯罪性が明らかとなった時点でも中立を確保し任期で輪番制で選ばれ、特別に強い権限はもっ たことに対しては「中立野郎」という反感もおていない 連邦裁判所はローザンヌに置かれている。裁 こさせた。第二次大戦後の国際連合にはスイス は加入しなかった。国連側もスイスの永世中立判官は両院合同会議により三公用語が代表され に特別の配慮をしなかったし、スイスも国際連るように考慮して選ばれる。連邦裁判所は、連 盟加入の失敗を反省し、国連が伝統的中立の原邦と州、州と州、州と私人の間の訴訟、市民の 則に一致しないと判断したからである。しかし憲法上の諸権利をめぐる訴訟、および反逆罪な ス 最近、国連加盟の気運が高まり、連邦政府は一どの刑事事件を取り扱い、他のほとんどの訴訟 九八六年三月一六日、国連加盟提案を国民投票事件は州の裁判所が処理する。また、連邦保険 ス にかけたが、全州で圧倒的多数で否決された。 裁判所がルツェルンに置かれ、保険関係の訴え 下 co 〔ジュラ州の分離〕世界各地に宗教戦争や言語 はここで処理される。 端 〔直接民主制〕スイスの政治の特徴は、州権が 戦争による流血の争いが繰り返されているが、 左朝 強いことと同時に直接民主制にある。直接民主 スイスでも同様のできごとがあった。ジュラ地 制には国民発議と国民投票の二制度がある。連 方はフランス語・カトリック地域であるが、ド ィッ語・プロテスタントのベルン州に繰り入れ邦のレベルで考えれば、国民発議とは、有権者 っ .9 られていた。そこで一九世紀以来繰り返し争い 一〇万人以上の署名によって、連邦憲法の全面 え 8 が絶えなかったが、一九七〇年から七八年にかおよび部分改正を議会に要求できる権利のこと けてさまざまなレ・ヘルでの「住民投票」を重ねである。国民投票とは、国民が最終的に法案の て解決を図った。スイス政治の伝統である直接採否を決定できることであるが、それには強制 民主制によってジュラ地方を・ヘルン州より分離的国民投票と任意的国民投票とがある。前者は 右 させ、ジュラ州として自立させたのである。こ憲法改正の場合に、国民の要求の有無にかかわ 地 らす、かならす義務的に改正案が国民投票にか の結果、一九七九年以降スイスは二三州からな けられることで、後者は法律案などの可否の場 る連邦体制となっている。 の ル (-O 合で、議会での議決後九〇日以内に有権者五万 政治 ャ 人の要求があったときに行われる国民投票のこ 公 〔連邦主権と州主権〕スイス連邦憲法は、「一一とである。注目すべき点は、これらの直接民主 三の主権を有する州 ( カントン ) 」がその主権制に関しては各州も権利を所有していることで の一部を連邦にゆだねて連邦国家を形成するこある。第一に、各州は連邦憲法の改正、立法に ニ = ロ ル弋 とをうたっている。連邦は、連邦憲法に列挙さ ついて政府当局に発議権をもっており、第二 プ年 に八州が意見の一致をみれば、任意的国民投 れている代表権、外交、国防、税関、大規模国 占工営事業などをつかさどり、司法、教育、税務、票を要求できることである。さらに強制的国民 保健など、連邦憲法に規定されていない事項は投票にあたっては、全州の過半数が賛成を示さ ん各州が主権を行使できる。そのために各州はそなければ、たとえ国民の過半数が賛成でも、そ 、△ム れそれ独自の憲法を制定し、立法・行政・司法の案件は否決される。ここでも州の主権という 考え方が強くみられるのである。 、の機関をもって仕事を行っている。 テ年 州レベルでも、連邦の直接民主制が拡大され 連邦主権は国民議会と全州議会の一一院からな た形で実施されている。アッペンツェル、グラ 7 る連邦議会によって行使される。前者は二〇〇

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ナ . 数値計算すうちけいさん数学的に問題を解元前に書かれたといわれる『九章算術』 ( 中国 ) 数値制御すうちせいぎよ ZO (numerical く方法には、大別して①解析的解法 ( 数式の変に 連立一次方程式の解法がみられる。同じこ control の略称 ) とも いい、ディジタル信号に ち 形による解法 ) 、②数値的解法 ( 数値の演算 にろ、西洋ではトレミーの数表 ( 三角関数表 ) が よって自動化装置を制御すること、またはその つくられている。中世にはアラビアで一次方程 よる解法 ) 、③その他 ( 図式解法など ) がある。 ための方法論、装置一般などをいう。伝統的に す ②によって問題を解くこと、およびそのための式、二次方程式の一般解法が確立された。一六 は工作機械の数値制御がもっとも広く普及して 計算を、数値計算あるいは数値解析という。数世紀には対数表が発明され、精密計算が容易に いる。これは、ディジタル信号と正確な位置決 値的解法の特長は、解析的方法で解くことのでなった。その後、微積分学の発展とともに数値 めとの対応を再現できる機構、たとえば。ハルス きない問題にも適用でき、適用可能範囲が広い 計算法も急速に進歩した。とくに大きな貢献を モーターのような装置が発明されることによっ ことである。一方、数値的解法の難点は、計算したのはオイラーとガウスである。二〇世紀に て確立された技術であるといえる。このため、 の手間がかかることであるが、近年、コンピュ入ると差分法その他による微分方程式の数値解 工作機械に対して部品を駆動する各軸の動きを ータの利用により、計算上の困難が大幅に緩和法が広く用いられるようになった。近年は、コ 指示する情報を数値化して、紙テープを作成し されたので、数値的解法が広く用いられるよう ンピュータのおかげで、またコンピュータ活用 ておけば、同じ部品を切削する場合には、工作 , よっこ。 のために不可欠の技術として、数値計算法は著 機械はまったく同一な動作を再現することがで きる 数値的に問題を解くには、解析的方法とは違しい発展を続けている。 ったアプローチが必要であり、①確実に結果が 現在では、数値計算は、一般の理論計算、技 数値制御の技術は、コンピュータと結び付く 得られること、②演算回数が少ないこと、③精術計算に用いられるほか、シミュレーション ことによって、生産工学に大きなインパクトを 度がよいこと、が望ましい。そのための各種の ( たとえば、原子炉が故障したとき、どのよう 与えた。たとえば工作機械の場合は、切削した 技法が開発されている。とくに、左記のような になるかを数値的に実験する ) 、データ解析 い形状や刃物の動きをプログラム言語によって 標準的問題に対しては、解法がよく整備されて ( たとえば、人工地震の反射波の計測値を解析 記述し、これを翻訳して工作機械を制御するテ して地下資源を調べる ) などの面でも盛んに用 ープをコンビュータによって作成するよ , つにな いられている。 〈戸川隼人〉 ・連立一次方程式・補間、近似 った。また物体や部品の形状は、 O<Q\O< すうちじつけん気象学における数 システムによってグラフィック入出力装置か ・高次代数方程式・微分、積分 数値実験 ・行列式、逆行列・常微分方程式 値実験とは、実際の大気の状態の変化を支配す例 ら指定できるよ , つにもなった。さらにセンサー の ・固有値問題 ・偏微分方程式 る物理法則を、数値的に明らかにする手段をい や Q<< / 変換装置などの発達によって、温 れ 、つ ・線形計画法 ・フーリエ変換 度や変位などの情報をコンピュータに取り込ん の 数値計算の方法には、代数的公式に数値を入 気象学の研究は大気 ( 自然 ) が対象であるた だり、コンピュータの情報によってモーターや 報 れるだけですむものもあるが、粗い近似値を逐め、研究の目的に応じて、特定の大気の状態を バルプを駆動することが容易にできるようにな 次改良していく、関数を簡単な式で近似して計任意に再現したり、必要な状態を制御すること る ったため、最近では工作機械ばかりでなく、あ 算する、微分方程式を差分方程式で近似して解は不可能である。したがって、気象学における らゆる分野に数値制御が取り入れられるように お く、などの方法も必要に応じて併用される。数実験的研究といえば、もつばら、模型実験など なった。製鉄所や製油所、発電所などの装置を 値計算においては、普通、丸め誤差や近似誤差 いわゆる室内実験をさすのが一般的であった。 制御する、いわゆるプロセス制御も数値制御方 は避けられないので、なるべく誤差の混入を少しかし、電子計算機の発達とその技術の普及に 式に置き換えられている。身近な例では、自動 作 車のエンジンの制御をマイクロコンピュータに なくするように、また、混入した誤差の影響をより、これらが気象学の研究にも広く利用されェロ フ 小さくするように、計算の方法をくふうする必るようになった。そして、大気に関していろい よって制御する装置があるが、これも数値制御 要がある。 の応用である。↓コンピュータ↓数値制御工作 ろな実際的、現実的また架空的な条件を与え 機械 〈小野勝章〉 連立〃元一次方程式の根はクラメルの公式て、大気を支配する力学方程式の数値解を求め直 ( 行列式による表現 ) を使うと簡単な形に表さることにより、大気の性状を力学的に解明する数 数値制御工作機械すうちせいぎよこうさくき 、刀し れるが、この方法は数値計算には向かない。普 ことができるようになり、研究の目的に応じて 数値制御装置により制御される工作機 の状態の再現・制御などの実験的効果を期待す算シミュレーション ( 模擬の意 ) と同義に用い 通はガウスの消去法といって、係数を表の形に 械。一般的には Z O (numerically control- まとめ、表の操作によって未知数を一つずつ消ることが可能になった。この新しい実験的方法られることがある。しかし、数値シミュレーシ led) 工作機械とよばれる。一九五二年にマサ 去していく方法が用いられる。〃元の方程式をは、従来の実験的方法 ( 室内実験 ) に勝るとも ョンはより実際に近い状態を再現しようとするチューセッツ工科大学で試作された ZO フライ が、数値実験はより実験的な意図をもって架空ス盤が最初で、現在では各種の工作機械が ZO 解くに要する演算回数は乗算、減算、各約こ、 3 劣らない重要な位置を占めるに至っている。 回である 。パーソナル・コンピュータを用いれ 数値解が初期状態、各種パラメーター、係数的な状態をも取り扱うので、厳密には両者は区 化されている。 せんこう 別される。台風の発達、境界層内の変動、大気 ZO 装置は、穿孔テープまたは磁気テープに ば五〇元の方程式を一五分程度で解くことがでなどの値によってどう変わるか、また、係数な きる。大型コンビュータでは数万元の方程式が どの値をいろいろと変えることによって結果が と海洋の関係、山岳の影響などの研究には数値 記憶された加工寸法や加工条件などの数値情報 どう変わるかを調べることから「実験」と称さ実験が重用されている。↓シミュレーション 日常業務のなかで解かれている。 を情報処理回路へ順次入力し解読する。そして ↓数値予報 〈股野宏志〉 〔数値計算の歴史〕数値計算の歴史は古い。紀れて、室内実験と対比されるが、数値または計 指令パルス列に変換したのち、それを実際の駆 外乱 に作機械 系の外部 力、らの景彡 操作量制御対象 ( に作機械 ) 数値制御装置 サーボ機構 ( 操作部 ) ( 増幅粥リ i 卸部 ) 差号 駆動 モーター 首行殳 増幅器 駆動 増幅器 情報処理 回路 ヒ日 図面 ( 検出部 ) 速度検出器 位置検出器 度イ 速フ ドバック 位置フィードバック

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ことを立証すれば、その間に占有していない時る。 れる。この区間を信頼係数 0.95 に応ずる力の信頼区間といい、信 一に期があ 0 たことを相手方が証明しない限り、占例 2 母集団の分散を ' 。とする。このとき 頼区間の端点を信頼限界という。 、有が継続していたものとして扱われる。この場 X=()I + : ・ + X 已として 合、相手方は挙証責任を負うという。また、養 ここで注意すべきは、カは末知で す 子を実子と推定するのであれば、実子でないこ はあるが定数であり、一カが確率 と置けば E ( S ~ ) Ⅱ ( ー 1 ) 、 ) となって、 変数であって、信頼区間は標本ご とを証明すれば実子として扱われないが、実子は 2 びの不偏推定量ではない。ミⅡ ( ミー 1 ) ) とみなされているのだから単に実子でないこと は 2 びの不定推定量である。 とに変動することである。初め さいゅう を主張しても、実子として扱われる。反証を許 ⑦有効推定量・最尤推定量母数〃の推定量はの例ではⅡ 10P 、Ⅱ 0.4 であ さない擬制と対照される。↓擬制〈長尾龍一〉 いくつもあるが、推定量としてはその分散が小 り、信頼係数 0.95 に応ずる信頼 -0 ワ」 -4 ・ 11 ワ】っワ】、ー 4 -4- 。″の不偏推定量のうちで区間は ( 0.30, 0.50 ) となる。ま 00 ワ 3 ワワ 11 推定すいてい数学用語。母集団の確率分さいものが望ましい 布について、その型 ( たとえば二項分布とかポ分散が最小であるものを有効推定量という。有たこの例で一〇〇人中四〇人のか 水コ一 アソン分布とか正規分布などのように ) はわか効推定量がある場合にはそれを次の最尤法で求わりに一〇〇〇人中四〇〇人であレ 用トャ 道下道下路路業ルべ道路道 っているが、それに含まれる母数″ ( たとえめることができる。すなわち、母集団分布の確ったとすると同じ信頼係数に応ずネ月 鉄地鉄地道道工べン鉄道鉄 ン る信頼区間は ( 0.37 , 0.43 ) とな ば、 B ( ドの場合のカ、 (Q) の場合の、 / 、 率密度を f(x;0) とするとき、標本値 , ン ~ ( ド ) の場合の供 2 びなど ) が末知である る。↓二項分布 ・ : , ) に対して次の関数 チ 〈古屋茂〉底 カスダンカ とき、この母集団から取り出された大きさ〃の 水底遺跡すいていいせき天災水 ンゼ な 標本の値、 から〃の値をどのよ 地変により過去の人間の生活、文 名本メギラルメ本本本本本線 日 国 日アイオアア日日 うに推定するかという問題をい , つ。 を考え、あ、 を与えたとき、 0 Ⅱで 化の証跡が、海湖池沼の水底に沈表 この場合、二つの方法がある。一つは点推定関数んが最大値をとるとするとはあ、 積したものをいし 値 、集落・都市代 数 の の といって、未知母数を一つの値で推定する方法の関数である。この関数をⅡ又 址、遭難船などがある。一八五三 ンン、不 線 トトン であり、もう一つは区間推定といって、 1 に近 ) と書く。この場合、確率変数イⅡ x ご年スイスのチューリヒ湖その他で世 レ 、一うじよう 下 トフズ 、不 いある確率で末知母数の値がある区間に含まれ ・ゞ (n) を″の最尤推定量という。有効推定確認された杭上住居址、一九〇 レ レ 、不メタ一 、不 ることを主張する方法である。 量が存在すればそれは最尤推定量である。 四年メキシコのユカタン半島で調 レ レ 、不ンムンロ 、不 ネント ダサン路ンネ断ン ①点推定たとえば母集団分布の平均値が未知 ③区間推定実際に推定を行う立場としては、査されたチチェン・イツアーの聖なン ントンル ・ , 「水・トン横 の場合にそれを標本の値あ、あ、 の算点推定よりも区間による推定のほうが実践上のる池、二八年イタリアのネミ湖で テナプ導湾 港門関 底 称函一 ッラン港一冊門を関 術平均 ( 当 + 誉 + : : + ) によって推定す意味をもつ。ここでは比率の推定を例にとって浮揚させた古代ローマの楼船、一 水名 セロ 青 ハ名洞関東新注 るのは常識的な方法である。一般に母集団分布説明する。ある都市の市長選挙で、 < 候補の支九〇〇年ギリシアのアンティキテ の未知の値〃は標本の値あ、均 : の適当持率をみるため、有権者一〇〇人を無作為に選ラ沖で探査された古代沈船、三五年突き止めら される水底遺跡が増えることであろう。↓水中 な関数ト ( : , ) によって推定されんで調べたところ、四〇人が候補の支持者でれたレバノンの古代港湾都市シドン ( 現サイ考古学 〈小江慶雄〉 る。″は未知であるが定数である。一方、標本あった。 < 候補の支持率はどのくらいか ? こ ダ ) 、ティルス ( 現ティレ ) などが著名である。回小江慶雄著『海の考古学』 ( 一九七一・新人物往 の値あ、、 ・ : 、は標本のとり方によっての問題で有権者の総数をⅣ、氏の支持者の数 北欧のノルウェーその他の峡湾にはバイキング 来社 ) すいてい の船葬遺跡が多い。地中海は古代船の宝庫とい 変わるものであるから、標本の値はそれそれ確をとすると、支持率は、Ⅱ ~ 一、 /N であるが、 運河、河川 水底トンネル 率変数ふ、、 、の実現値と考えられが末知であるからカも末知である。有権者全われる。一九六〇年前後の数年間アメリカ調査港湾、海峡などを横断して水底につくられるト ちんまい る。ただし、、 : 、れは独立で各の確体から〃人 ( ここではⅡ 100 ) を無作為に選ん団が行った探査により、エーゲ海のトルコ寄り ンネル。建設工法としては一般に沈埋工法また 率分布は母集団分布である。一般にこれらの確でそのうち氏の支持者が人であるとする。 ゲリドニア、ヤシ・アダ、キプロス島のキレニはシールド shield 工法が多く採用され、地質 率変数ふ、篝、 、の関数として表されるこのは〃人の選び方によって変動するから確ア北沖の各海底で青銅器時代、ビザンティン時が良好な場合は注入工法を大幅に併用した山岳 確率変数は統計量とよばれる。このように考え率変数である。ここでは確率変数の値がで代などの数隻の沈船が発掘され、船荷によってトンネル工法も採用される。河底を横断する地 ると、母数〃の値をト ( 」 ) によあったということである。の確率分布は二項古代地中海の航路、交易圏が解明された。わが下鉄トンネルなどではニューマチックケーソン すわそ って推定することは、″の値を統計量 f0(X1, 分布 B ( ドであるから、〃が大きいとき 国には一九〇八年 ( 明治四一 ) 発見の諏訪湖曽 pneumatic caisson 工法も利用されている。↓ びわ 、めげ・しり のじり X2, ・ , ) の実現値として推定することで トンネル 根をはじめ、琵琶湖、網走湖、野尻湖などの湖 〈河野彰・清水仁・鴫谷孝〉 しようど ある。この場合の統計量ト ( X 】 . X2. 底遺跡がある。最近、瀬一尸内海小豆島近海で古膵蛭すいてつ E ミミミミをミ、きミ ~ 、ミ びぜん たかしま げん - 一う やりがたきゅうちゅう 北 0.95 を母数〃の推定量という。″の推定量に対し 備前陶器満載の中世船、長崎県鷹島近海で元寇扁形動物門吸虫綱一一生目槍形吸虫科に属する て、の平均値が〃に等しいとき、すなわちとなる。この関係式から X Ⅱトとして、カの軍船の船荷の一部が発見され、後者は元船探寄生虫。膵吸虫ともいう。日本を含む東アジア E(X)=O が成り立っとき、を〃の不偏推定が区間 査の手掛りを与えた。 や南アメリカのウシ、ヒッジ、ヤギ、スイギュ 量とい , つ。 以上の諸遺跡は水中考古学という新しい研究ウ、プタなどの膵管に寄生する。成虫は薄い木 文 1 ー 、 ( 1 ーを 例 1 母集団の平均値を襯とする。この場合 領域の発達を促進させてきたが、今後さらに高の葉状、生時は赤色で、体長一、一一拜一、体幅五 X=()I 十 : : + (n) 、は川の不偏推定量であ に含まれる確率がはば 0.95 であることが導か度な科学的技術と方法とによって、探査、解明 ~ 九、リ。虫卵は宿主の糞便とともに排出され、 ト + 2 延長 (m) 全長 施工法 水底部 23 300 山岳トンネル 工法 5 793 沈埋 3 600 山岳トンネル 工法 3 000 沈埋 2 367 沈埋 2 090 沈埋 2 105 シールド 1 363 沈埋 1 140 山岳トンネル , シーノレド 1 035 沈埋 880 山岳トンネル 53 850 ふんべん 3 614 * 1 325 18 713 832

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〈高橋康之〉 6 鍾乳洞は数段に分かれてつくられていること 承認しようにん recognition 一般的には方式は国家承認の場合と変わらない。 0 効果ては争いがある。 ちかせん は、被承認政府が承認国との関係で国家を正式回田畑茂二郎著『国際法における承認の理論』 もあり、洞穴内を地下川が流れていることも多他人の行為に対して肯定的意志を表示すること に代表する資格を認められることである。ま (r 法律学体系第一一部法学理論篇四』所収・ であるが、法律的には次のように使われてい 。迷路状になった地下川の流向や流域内の流 よ た、被承認政府との間に一般国際法上の関係が 一九五五・日本評論社 ) 量を正しく求めることはきわめて困難であるる。 し しようにん商法上、商人には、固有 〔国際法上〕承認には種々の態様があるが、代全面的にもたらされ、革命またはクーデターに が、近年、アイソトープ ( 同位体 ) などを用い 商人 て、石灰岩地域の地下水系を明らかにしようと表的なのは国家承認、政府承認および交戦団体よって適用停止状態に置かれた旧政府締結条約の商人と擬制商人とがある。①固有の商人は、 も承認に伴い効力を復活する。 自己の名をもって商行為をなすことを業とする する研究も進んでいる。洞穴内の水質は流量やの承認である。 ③交戦団体の承認反乱団体が一国から分離し者である ( 商法四条一項 ) 。自己の名をもって ①国家承認新国家が成立 ( 合併、併合、分離 水温、天井の厚さとか地表の植生などに支配さ または一国の政府を転覆する目的をもって一定するとは、私法上の権利義務の主体になること れ、かならずしも一定ではないが、一般的にカ独立等により ) した場合、既存の個々の国家が ルシウム硬度に起因しての総硬度、蒸発残留新国家の国家性を認定し、もって新国家を国際の地域を占拠し、地方的事実上の政府を樹立すであって、行政官庁に対する届出の名義がだれ 物、 ( 水素イオン濃度 ) などがきわめて高団体に加入させ、国際法の主体として認める行るまでに内乱が拡大した段階で、第三国またはであるとか、営業上の損益の帰属者がだれであ 飲料水には適さない。 為を国家承認という。⑤国家承認は一定の要件正統政府が当該反乱団体に一定の国際法主体とるかなどは関係がない。また、業とするとは、 しての地位を認める行為。その場合、第三国は営利の目的をもって同種の行為を反復継続する 世界最大の鍾乳洞は、アメリカのケンタッキの下に行われる。第一に独立の政府が一定の領 ことであるが、営業を営む意思は客観的に認め ー州にあるマンモス・ケー。フ国立公園のもの土および人民に対し実効的権力を確立している自国民の権益保護のために、正統政府は内乱の られることを要し、教師、医師、弁護士、芸術 こと、第二に国際法を遵守する意思と能力があ残虐化防止のために交戦団体の承認を行うこと で、長さ三六〇キロメートル、最大幅一五〇キ。メ ートル、高さ八〇にも及ぶ。ューゴスラビアることである。要件が充足されない状況下で承が多い。 @要件は、反乱団体が一定地域を実効家などの行為は、一般取引の通念上、営利の目 のディナル高原地帯には二〇余りの大きな鍾乳 認を行えば、尚早の承認となり、実際はともか的に占拠し、地方的政府を樹立していること、的が主要なものとは認められないから、これら どうくっ く理論的には無効というべく、本国より分離独反乱団体が戦争法規を遵守する意思と能力があの者は商人ではない ここでいう「商行為」 洞が分布しているが、ポストイナの洞窟は有名 で洞内に軌道が敷かれ、機関車に乗って見物す立する場合には本国に対する干渉となり、違法ること。第三国が行う場合には、単なる同情やは、商人概念の基礎となる基本的商行為を意味 し、絶対的商行為 ( 同法五〇一条 ) と営業的商 るほどのものである。日本では、岩手県の安家とされている。⑨方式には、まず明示的承認と激励でなく承認が自国の権益保護など必要な関 洞 ( 長さ八キ。メートル、日本で最長 ) 、広島県黙示的承認の別がある。前者は通告、宣一 = ロ、条係にあることである。⑨方式は明示的にも行わ行為 ( 同法五〇二条 ) をさす。わが商法は、本 あぎよし たいしやく 帝釈台の白雲洞、山口県秋吉台の秋芳洞、高約等により承認の意思を明示することであり、れるが、第三国は中立宣一言により、正統政府は来商行為概念から商人概念を導き出す商行為法 新・ゅ・つが ふうれん 交戦法規の適用により黙示的に行うことが少な主義をたてまえとしてきた。 ) に擬制商人とは、 知県の竜河洞、大分県の風連洞などが有名。鍾後者は同盟条約など重要な二国間条約の締結、 くない。④効果は、第三国が行う場合には正統商行為を業としないが、店舗その他これに類似 乳洞は、陸水学、地質学、生物学、考古学など正式の外交関係の樹立等によって承認の意思が 間接に推定されることである。さらに、法律上政府および交戦団体双方に対し中立義務を負する設備によって物品の販売を業とする者、鉱 の研究対象として重要で、これらを総合した洞 う。他方で、交戦団体は第三国の権益保護義務業を営む者および民事会社をいう ( 同法四条一一 穴学という学問分野がある。鍾乳洞は、まだまの承認と事実上の承認の別がある。前者は要件 だ調査研究を行うべき段階にあると考えられての充足を前提として行われるのに対し、後者はを負う。正統政府が行う場合には、交戦団体と項 ) 。従来、商行為概念を基礎として商人概念 いる。↓カルスト地形 〈三井嘉都夫〉要件の充足に疑念がもたれる際に行われる暫定の間に交戦法規が適用され、正統政府は第三国を形成してきたわが商法の立場からは、農業、 の権益保護の責任から免れる。 しようによりひさ ( 一一一九四ー一三七一 ) 的承認であって ( 前者と異なり、撤回可能 ) 、 〈内田久司〉林業、漁業、鉱業のような原始産業を営む者を 少弐頼尚 さだつね まいナいまんつう 南北朝時代の武将。貞経の子。法名梅湜本通。限定的実務関係をもたらすにすぎないことがあ〔公法上〕国・地方公共団体の機関が、一定の商人として取り扱わなかったが、一九三八年 ちくぜんぶぜんひご る。 0 効果国家は事実上成立した段階で一定行為を行うについて、他の権限ある機関から与 ( 昭和一三 ) の商法改正で擬制商人を認め、企 南北朝初期の筑前・豊前・肥後・対馬の守護。 だざいだいに えられる同意に承認または承諾の語が用いられ業的設備や企業形態に着目して商人概念を拡大 大宰大弐。一三三三年 ( 元弘三・正慶一 l) 父との重要な権利義務を享有すると考えられるが、 めいのはま ちんぜいたんだい ひでとき 従来、自分の果樹園で生産した果物を販 ともに鎮西探題北条英時を筑前姪浜 ( 福岡市 ) 承認によって承認国との間に一般国際法上の関る。①天皇が国事行為を行うにあたっては、内した。 , あしかがたかうじ 売する行為は商行為でないために、そういう果 に攻めて自殺させ、足利尊氏西下の際にはこれ係が全面的に形成される。しかし、承認が個別閣の助言と承認がなければならず ( 憲法七条 ) 、 たたら あかまがせき しものせき これがなければ、天皇は行為をできない。条約物屋は商人ではなく、商法の適用を受けなかっ を赤間関 ( 山口県下関市 ) に迎え、多々良浜的に行われる結果、その効果は承認国と被承認 に対する国会の承認 ( 憲法七三条三項 ) は条約たが、擬制商人を認めることにより、店舗その ( 福岡市 ) の戦いにも出陣し、足利軍を勝利に国間のみにかかわり、その意味で相対的である。 ②政府承認一国内で政府が革命やクーデター の成立要件である。②内閣総理大臣による緊急他の企業的設備をもって販売すれば商法の適用 導いた。ついで頼尚は尊氏に従い東上し、足利 くすのきまさしげ みなとがわ により非合法的に交替する場合に、新政府に旧事態の布告には国会の承認が必要である ( 警察を受けることになった。また、鉱業は通常、大 軍が楠木正成を破った湊川 ( 神戸市 ) の戦い 規模な企業的設備をもって経営されるし、民事 でも功をあげ、室町幕府の成立に大きく寄与し政府にかわって当該国を代表する資格を認める法七四条 ) などがある。 ただふゅ かんのうじようらん 行為を政府承認という。政府が非合法的に変革〔私法上〕一定の事実を認めること。時効中断会社 ( 商行為以外の営利行為、たとえば林業・ た。その後帰国し、観応の擾乱期に足利直冬 いっしきのり 漁業をなすことを目的とする社団で商法会社編 が九州に入ると、これを奉じて幕府方の一色範しても、領土および人民は依然新政府の基礎を事由としての債務の承認 ( 民法一四七条三項・ どうゆう 一五六条 ) 、嫡出子の承認 ( 同法七七六条 ) なの規定により設立されたもの ) は、会社という 氏 ( 法名道猷 ) と対抗し、北九州における地盤なすので、国家としては同一性を保っというの を固めようとした。直冬が去るとふたたび幕府が伝統的国際法の立場である。 @要件は、第一どのように単なる「観念の通知」である場合が典型的な企業形態をもって経営組織を構成する に新政府が領域一般および住民に対し実効的支多い ものであるから、企業法としての商法の対象と 方として活動し、五九年 ( 正平一四・延文四 ) かねよし きくちたけみつ 配を確立していること、第二に新政府が国家を しかし、相続の承認 ( 同法九一五条以下 ) なることに疑問の余地はない。 筑後川の戦いで懐良親王、菊池武光らと戦い しんじゅっ ふゆすけ 会社はすべて生まれながらの商人であるか 大敗して大宰府に退いた。このあと家督を冬資代表する意思と能力があること、とくに旧政府は、家庭裁判所に対する申述という方法を伴 ら、会社の成立、すなわち設立登記 ( 商法五七 に譲り、晩年は京都で過ごした。〈上田純一〉の条約上の権利義務を継承することである。⑨う法律行為である。もっとも、単純承認につい っしま あっか

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あと しようひんがく商品の有する特質や これに対しアメリカでは、独立以後、イギリ り、もっとも広く用いられる分類である。生産は、現金払い、後払い ( 掛払い、手形払い、賦商品学 商品としてのあるべき資質を国民経済的視点かスの産業革命の科学技術を基礎として、豊富な 払いなど ) 、前払いなどの別がある。↓商業 的消費に充当される商品は生産財とよばれ、こ ↓流通経路↓品質↓品質乖離〈青木弘明〉 ら研究する学問で、社会科学の一分科を構成す資源を利用した大量生産方式を採用し、著しい れはさらに原料品、材料品、部分品、補助品、 る。生産、流通、消費の各面から商品という同工業化が進められた。そのため原材料、製品の ショウビン 0 カワセミ 設備品などに分け、このうち原料品は化学的加 しようひんうけわたしじようけん 一対象についての研究を行うには、本来的に商鑑定以上に、販売をいかにして達成するかが企 工が、材料品は物理的 ( 機械的 ) 加工が施され商品受渡条件 て新しい財になるものをいう。また真偽や混合商品の売買契約で定められる売買条件のうち、 品という物質が有する物性と、流通・消費され業の経営目標となり、マーケティング ( 市場調 によって真正品、偽交品、偽称品、模造品、人売り手がいかなる方法、場所、価格、時期などる場合の適商性や嗜好性という二つの側面から査 ) が学問的に成立した。また、ドイツ系商品 工品などに分けられる。偽交品は似たものを混で売買目的物を買い手に引き渡すかを定めた部のアプローチが必要で、このため商品学は、自学では見過ごされてきた最終消費財としての商 合したもので、繊維の混紡や交織などかならず分。売買が成立すると売り手は売買目的物を引 然科学的側面と社会科学的側面の一一つを併存す品の研究を重視する傾向が生まれ、さらに消費 しも粗悪品を意味しないが、偽称品は模造品やき渡す義務を負うが、その義務を履行する方法る学際的な科学となっている。ただし商品学は者運動とも結び付いて、商品テストの開発がな ぎまん 偽交品を真正品と偽った商品で欺瞞する目的では、売買の態様によってさまざまである。受渡あくまで社会科学の一分科を構成するものであされてきた。 日本では明治初年ドイツ系の商品学が商法講 加工を施すものである。最終的消費に充当されしとは、売り手が売買目的物を買い手の占有下って、その自然科学的側面についての研究は、 る商品は消費財とよばれ、これはさらに必需品 に置くことをいう。小売りなどの店頭売買では 社会的生産物である商品の市場的適格性を判定習所 ( 一橋大学の前身 ) において開講された。 と奢侈品、消耗品と耐久品、用途によって食料物を授受した瞬間にそれが完了するが、貿易をするための補助的手段であり、生産手段としてその後、大学・高等専門学校の設立に伴い貿易 典型とする隔地間の取引では、受渡しは時間をの生産工学とは明確に区別される。 商品を中心として講座が設置され、叙述論的な 品、衣料品、住宅品など多様に分類される。 もより 〔商品学の誕生と発展〕商学の一分科としての講義と鑑定論的な実験とをあわせた講義が行わ ④の分類では、需要者の購買慣習によって最寄要する複雑な手続を要するため、売買契約のな 品、買回り品、専門品、規格品と特別意匠品、 かであらかじめ明確に定めておく必要がある。商品学の萌芽は、一一世紀ころに出版された最れてきた。第二次世界大戦後はアメリカ系の商 古の商業学書といわれる、アラビア人ディマシ 品研究 ( 第三商品学 ) が加味され、独自の商品 有標品と無標品などに分類される。最寄品は需なぜなら、物の占有の移転は、他に特約のない 要者がもっとも近い店で適宜入手するもの、買限り所有の移転を意味し、危険負担の責任も移ユキーと一 al Dimaschqi の著書『商業の美』学理論の研究、体系化が進んでいる。 転するなど、経済的利害に大きく影響を与える にすでにみられ、そこでは商品に関する鑑別方 近年ドイツにおいても従来の技術学を偏重す 回り品は購買に際して各店を回り、品質、価 格、デザインなどを比較選択する商品をいう。 からである。ます受渡し場所は、特約がなけれ法が述べられている。一五世紀末になると、アる傾向から脱却し、社会的、経済的関係を取り また専門品は、専門的に取り扱う店で購入するば売買目的物の所在地、具体的には売り手の営メリカ大陸やインド航路の発見によって、末知上げた研究が進められ、 Warenlehre ( 商品学 ) と名づけられている。また国際的な商品研究も 高級品、耐久品などをさしている。 業所になる。特約の例としては、発送駅での貨なる資源がヨーロッパ各国に流入するようにな 以上の商品分類は標準的なもので、流通や商車渡し、到着駅での着駅レール渡し、船積み港り、これに刺激されて一般的な商品の研究が生進められ、一九七六年国際商品学会が設立され た。二年ごとに学会が開催されて国際交流がな 店経営などの問題を考える場合には、、 しくつかでの本船渡し (æon) 、陸揚げ港での埠頭渡まれ、イタリア、フランス、ドイツなどにおこ 〈青木弘明〉 の分類基準を混合した別な分類方式がとられる し ex dock 、買い手指定場所への持込み渡し った商取引学 Handlungswissenschaft の体系されている。 ことが多い。↓標準商品分類 などがある。これとの関連で運賃、保険料などのなかで重要な地位を占めるようになった。一回石井頼三・島田記史雄編『改訂商品学』 ( 一九 〔商品の売買・流通経路〕商品の売買にあたっ 七七・青林書院新社 ) ▽島田記史雄・飯島義 の負担区分が定まり、取引価格が決められる。 八世紀に入り、ドイツ人ルドビッチ C. G. Lu ・ 郎編『商品学講義』 ( 一九七一一・青林書院新社 ) ては、商品の品質、種類、数量、価格、引渡し 例としては、現場渡し値段一 0C0 price 、倉 dovici ( 一七 0 七ー天 ) 編集による商品知識研究を ▽風巻義孝著『商品学の誕生ーー・ディマシュ 場所、引渡し時期、代金決済方法などについて庫渡し値段 ex warehouse price 、貨車渡し値集大成した『商人大学』という全五巻の辞典が 契約しなければならない。これらを商品の売買段 free on rail (FOR) price 、船側渡し値段出版され、商人学 Kaufmannschaft を構成す キーから・ヘックマンまで』 ( 一九七六・東洋経済 る基礎的部分として、 Warenkunde ( 商品知 新報社 ) ▽飯島義郎著『現代商品学の方法』 条件という。商品の品質を決める方法として free alongside ship (FAS) price 、本船渡し ( 一九 0 ・文真堂 ) は、現品、見本、銘柄、標準品、仕様書など商値段 free on board (FOB) price 、運賃込み識 ) が位置づけられた。商品学を独立の一科学 しようひんかんてい商品の種類、 品に応じた方法がとられる。銘柄とは、特定商値段 cost and freight (C&F) price 、運賃保として成立させたのはドイツ人ペックマン J. 商品鑑定 Beckmann ( 一七三九ー一 全 l) で、ゲッティンゲン 品の品質を表示するものとして慣習上広く認め険料込み値段 cost, insurance and freight 真偽、品質の良否を明らかにして、その価値や られている名称で、産地名、等級、規格、商 (CIF) price 、陸揚げ渡し値段 landed terms 、 大学において Warenkunde の講座を開講し 効用の大きさを判定すること。商品鑑定のう 標、商号などで表される。標準品による方法諸掛込み値段 free on charges などがある。 た。彼は一七九三年『商品学予論』という最初ち、法律などに定められた方法によって実施す は、あらかじめ売り手と買い手が品質の標準的 引渡し時期の例としては、即時渡し、商慣習の商品学に関する著書を刊行し、 Warenkunde るものを商品検査、消費者の立場から実施する なものを定めておき、これを基準として売買すで認められた若干日後の近日渡し、何月何日の に初めて商品学に値する内容を与えた。一九世ものを商品テストと、 しい、公正な取引や消費の る。商品の数量については、商品の種類に応じ ような確定日渡しなどがある。受渡し条件とし 紀に入り、科学技術が著しく進歩し、ヨーロッ 合理化を図るうえできわめて重要な役割を果た て重要なことは、特約がなくても商慣習として て用いる基準が異なり、流通段階によっても、 ハ経済が貿易中心から工業生産へ移行する過程している。 確立された定例的しきたりに従わねばならない また売買単位が異なるのが普通である。 で、商品学も従来の貿易物資の商品知識から、 商品の鑑定は物理的な性質と化学的性質に分 たて 商品の価格は、建とよばれる一定の数量を基ことである。たとえば、運送中の減量 ( 目減工業原材料や製品の鑑定に重点が置かれるよう けて行われる。物理的性質としては、寸法、形 いれめ ひ準にして表一小され、この価格を建値といし 、運り ) を見込んであらかじめ増量する入目などで になった。ウイズナー J. Wisner ( l<lll< ー一九態、色沢、比重、強度、硬度、伸度、粘度、融 一フ賃、保険料、保管料などの負担方法によって価ある。受渡し条件に違反すると賠償要求 ( クレ 一六 ) の顕微鏡学が生まれ、以後ドイツ系の商品 点、沸点、凝固点、引火点、屈折率、繊度、正 じき よ格が異なる。受渡しの時期にも、即時渡し、直 ーム ) の対象となる。↓インコタームズ↓ 学は品質鑑定を主流とする応用自然科学の強い 量、偽和物、組織などがあげられ、化学的性質 し渡し、延渡しの別がある。代金決済の方法に 〈森本三男〉色彩を帯びるようになった。 としては、成分、組成、試薬に対する化学反応 9 、かレごっ

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~ 、 ci 』 ( 計算の書 ) という名のほうが著名〔一六、一七世紀ーー創造的な時代〕一五世紀等しくなるように分けること」という問題を拡羃級数で表すことを創案した。これは、一九世 である。ちなみに、方程式の解法を取り扱う数に印刷術が発明されて以来、科学書の出版が盛張して、「立方数を二つの立方数の和に、四乗紀への大きな遺産となった。スイスでは、ジャ ック ( ヤコプ ) とジャン ( ヨハン ) のベルヌー んになり、研究熱も高まった。イタリアのフォ数を二つの四乗数の和に、さらに一般に、二よ 学を algebra と名づけるようになったのは、 ンタナ ( タルターリア ) は三次方程式の一般的りも大きな羃の数を、同羃の二つの数の和に分イ兄弟およびオイラーがライプニツツの微分積 この書名に由来する。 分法とそれの応用とを発展させた。とくにオイ けることは不可能である」と述べ、「私は実に な解法を樹立した。 , し 彼まこの方法をカルダーノ 〔インド・中国の数学〕インドの数学の起源は ラーは八〇〇ページに及ぶ『無限の解析学入 古く、商業上の必要から発達したので、計算が に教えたが、カルダーノは一五四五年に公刊し特異な証明をしたが、余白が狭いので書くこと 門』、、 Od ミミぎ 0 ミ s トミ 0 きき ( 一七 はできない」と付け加えている。フェルマーは 重要な役割を果たしていた。現代の「算用数た書物『偉大なる方法』ミみきミ e のなか 字」は「アラビア数字」とよばれるが、本来、でこれを公表したため、現代の数学では「カル読んだ書物の欄外に自己の考えたことを書き添四 0 において、初めて「関数」の定義を与え た。この定義によると、「関数すなわち式」と インドで創案された数字から派生したものであダーノの公式」とよんでいる。さらにこの書物えていたから「余白が狭い」と書いたのである る。また五世紀ごろには数としての「零」が導にはカルダーノの門人フェッラーリ Lodovico が、この問題は現代に至るも証明されす、「フなり、現代の数学からみれば素朴なものである エルマーの最後の定理」の名で伝えられてい が、「定義した」ことは、その後の数学に重要 入された。これに関する性質をプラフマーグプ Ferrari ( 一五 = 一一ー六五 ) が樹立した四次方程式の タがその著書 ( 六一一 0 において示しているが、解法が示されているが、まだ「式」のなかったる。この時代のパスカルは一六歳のときに『円な影響を及ばした。そのほかオイラーの研究は さらにブハースカラが一一五〇年に公刊した時代であり、これらの「公式」も「ことば」で錐曲線試論』を公表しているが、これは「射影数学の広い分野にまたがり、数多くの業績を公 ー』において、零の計算に 幾何学」の誕生につながる業績である。また、表した。彼の研究は厳密性に欠けるところがあ 述べられていた。 オカ大胆な論法であった。フランスでは、 ついての演算規則を示している。しかしこれら 一六世紀末にフランスのビエトは、数学に文「賭け金の分配」に関連して交換された。ハスカっ ' ミ、 のことをヨーロッパに伝えたのは、これらをア字や演算記号を導入し、これが一七世紀の数学ルとフェルマーとの間の往復文書は、確率論形ジャン・・ヘルヌーイの門人口ピタル侯 Fran ・ ー一七 0 四 ) が、 ラビア語に訳したアラビア人、というよりも、者によって改良され、現代の方程式へと発展し成史に重要な役割を演じている。 qois Antione de L'Hospital ( 一六六一 その著書においてライプニツツの記号が優れた ハスカルにすこし遅れて、イギリスにニュー た。これを用いると二次、三次および四次の方 このアラビア語のインド数学をラテン語に訳し トンが現れた。 , 。 彼よ運動している量を「流数」ものであることを示し、ライプニツツの微分積 たヨーロッパ人である。したがって、インドの程式の解は、与えられた方程式の係数に、加 と名づけ、それの速度を「流率」とよび、運動分法の価値を高めた。また、ダランペールは、 数学は、直接には、後世の数学の発展には影響法、減法、乗法、除法および開法を有限回行っ しなかった。 て得られる式で示されていることがわかる。方の問題を離れて流率を求める問題を独立して考弦の振動という物理現象の解明を、偏微分方程 中国の数学も歴史は古いが、ヨーロッパの数程式の解をこのような式で表すことを、方程式えた。流数をで表したとき、エの流率を・エ式を解くことへ転換したが、このときに「一般 で示し、逆に流率がズであるときの流数をエでの関数とは何のことであるか」という新しい問 学への影響はなかった。この恩恵を受けたのはを「代数的に」解く、というようになったが、 この解法は一九世紀に問題となった。 日本である。 示して、・エやを求める演算法を「流率法」題を提起し、クレローは天体力学と解析学とに しゅうひさんけい 中国でもっとも古い数学書は、『周髀算経』 ュークリッドの幾何学の方法に新しい異種のと命名した。この新しい演算法の導入によっおいてその名を残している。 一七八七年にルイ一六世はフランス系イタリ て、力学や数学に著しい影響を及ばしたのであ であるといわれている。紀元前一〇〇年ごろの方法を加えたのはフランスのデカルトである。 ア人のラグランジュをバリへ招いた。彼は着任 もので、測量が中心となっている。このなかに彼は著書『方法序説』に試論として添えた「幾る。同じころ、ドイツではライプニツツが、一 、、・、うげん つの曲線の接線を求めることに関連して、「徴の翌年に画期的な『解析力学』まミをや 「勾股弦の理」があるが、これは「ピタゴラス何学」ごミ。、において、「 : : : ます第一 ごかん に、問題は解けたと仮定し、これを解くのに必分」と名づけた量を導入し、二つの微分の商ををミを公刊した。八九年七月一四日、フラ の定理」と同じものである。その後に、後漢の ばつばっ ンスで大革命が勃発し、政治面だけではなく、 時代になって『九章算術』が世に出た。これら要と思われるものに記号をつけ、求める未知の「微分商」とよんで、微分の演算規則を設け、 ものにも記号をつける : : : 」と書いている。古「微分法」を樹立した。また、ニュートンがあらゆる方面に大きな変革がもたらされた。学 とこの時代に出た『海島算経』『孫子算経』な 問が庶民に開放されたこともその一つである。 ど、、、六世紀の中ごろに、朝鮮半島を経由して日代ギリシアの数学者は「問題が解けたものと考で示したものをの「積分」と名づけて、これ それまでは貴族に独占されていた高等教育も庶 本に渡来したが、これらは庶民の手には届かなえ、何を明らかにすればよいか、とその問題をを求める演算法を「積分法」と名づけた。ニュ しゅせいけっ ートンとライプニツッとは同じ演算法を発明し民に開放された。革命政府は英才教育の機関と かったようである。一二九九年に朱世傑は『算解くのに必要な要素をみつける」ことを目ざし さんちゅう けいもう たのであるが、ライプニツツの記号のほうが優してエコール・ポリテクニク ( 理工科大学校 ) 学啓蒙』を著し、「算籌」 ( 算木 ) を用いて数た方法を「解析」と名づけていたので、デカル を表し、それを演算 ( 加減乗除および開平、開トの幾何学を「解析幾何学」とよんでいる。これていたために、ヨーロツ。ハ大陸ではライプニとエコール・ノルマル・シュペリュール ( 高等 師範学校 ) を設置した。エコール・ポリテクニ ツツの記号が広く用いられるようになった。 立 ) する方法を説明し、「天元術」 ( 問題を未知の幾何学では、図形に関する問題を解くこと クでのラグランジュの講義の原稿ともいうべき 数が一つの代数方程式へ転換して解くという方を、方程式を解くことへ転化した。方程式を取〔一八世紀ーー自然科学への応用〕一七世紀が ものが、この学校の紀要にあるが、それが『解 法 ) を樹立し解説している。一五九二年に程大り扱うとは、「想像」に頼ったり、「偶然」を頼創造的な時代であったのに対して、一八世紀に は、新しい数学は一つも生まれなかった。しか析関数論』 T ミ。斗 des 、をきミ s ミ貸ミ s 位が著した『算法統宗』は、「そろばん」を用みにしたりする必要がなくなったことであり、 し、この世紀の数学者が手がけた論文や著書をで、これが一九世紀の数学者に大きな影響を与 いて数を表し、それを用いて演算することを示したがって、幾何学は「悟性」だけに基づい こヾリこ、て、天体 えた。ラブラスもこの時代し している。これらの書物は、一七世紀の初期にて、方法論的に処理することができるようになみると、それらを踏み台として一九世紀の数学 が生まれたことは明らかであり、新しい数学の力学、数理物理学および確率論において活躍し 日本に渡来、広く一般の人に行き渡り、やがてった。 た。ことに、一 八一二年に公刊した『確率の解 同じころに、フェルマーは、バシェ Claude ・誕生において、一八世紀は見逃してはならない 「和算」を形成して一時期を画した。しかし、 析的理論』 T ミ 0 、、をミミミミ des トきミés ー一六三 0 が時期であったというべきであろう。 カ中国、日本とも、論理的建設に欠けていたた Gaspar Bachet de Méziriac ( 一夭一 イギリスでは、・テーラーとマクローリンは二〇世紀に至るも高い評価を得ていた。さら 翻訳したディオファントスの『数論』を研究 、フめ、ヨーロッパ数学の到来とともに没落してい つ 0 に、エコール・ポリテクニクの教授であり校長 8 とが、ニュートンの流率法を応用して、関数を し、「与えられた平方数を二つの平方数の和に す べき

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にバッグを押すことによって人工呼吸を行うも 〇以上の場合には、高い確率で雨が降る。 昔から構想され、一九世紀末から二〇世紀にかムやプルトニウムも一九四〇年初めて人工的に ョウ化銀法アセトンに溶かし、これを燃やのと、電力・ガス圧を利用して自動的に人工呼 けて実現した人工言語の例である。さらに最近つくられたが、その後ネブツニウム二三七、プ ルトニウム二三九もビッチ。フレンド中に微量存してョウ化銀の煙を出す。飛行機または地上で吸を行うものがあり、一般的には後者が人工呼 では、コンピュータを操作するためのさま、ま 発煙する。またヨウ化銀を火薬と混ぜて雲の中吸器とよばれている。これには、患者の頸部以 な機械語、プログラミング用高級一言語が開発さ在することがわかった。 れているが、これも人工言語の例になる。 天然元素の放射性同位体の多くは、人工的に に打ち込み爆発させる方法もある。これはソ連下を気密にしたチャンバー ( 仕切り空間 ) に入 哲学的には、「自然言語に即して問題の記述、 つくられ、これは人工放射性同位体とよばれで採用されているもので、ヨウ化銀一から取れ、チャンバー内の気圧を陰圧にしたり大気圧 分析を行うと議論が不正確になるので、哲学用る。↓放射性元素 〈中原勝儼〉個程度の莫大な数の微粒子ができるので、一回 にしたりして呼吸を行う「鉄の肺」と、気道に 陽圧を加えることによって吸気を行い、呼気は に人工言語をつくらなくてはならない」と主張人工降雨じんこうこうう雲に種まきをするの実験でヨウ化銀一〇程度用いるだけでよい する哲学者がいて、彼らは人工一一一一口語学派に属す方法などによって人工的に雨 ( または雪 ) を降とされている。 肺および胸郭の弾性を利用する間欠的陽圧換気 かんばっ るといわれる。ライプニツツにすでにこの主張らすこと。干魃のときなどに雨を降らせようと これらの方法による人工降雨はダムの増水法によって行うものがあるが、現在使用されて に類する考え方があるが、ラッセルが、論理記 して火を燃やしたり、雲の中に大砲を打ち込む ( 水力発電用、各種用水など ) などに利用され いる人工呼吸器は後者である。 号の体系をこの哲学用の人工一一一一口語だとして、こ試みは古くから行われてきたが、これらの方法てきた。およそ一〇 ~ 二〇 % 増雨 ( 雪 ) がある 人工呼吸器が必要となるのは、およそ次のよ 〈大田正次〉 の主張を熱心に唱えたので有名である。なかに は、雲の中で雨のできる仕組みがわかっていな と信じられている。↓雨 うなときである。①頭部外傷、脳血管障害、中 ちゅうしんこく は、現実にはまだできあがっていない、理想の い時代のものであった。一九三三年にスウェー しんこうこうぎようこく 0 中進国毒などによって脳の呼吸中枢が障害されたり、 新興工業国 じんこうこうぶつ最初は人工的に頸髄損傷、重症筋無力症、その他の神経・筋疾 なかの人工言語を想定して議論を行う哲学者もデンの。ヘルシェロン T. Bergeron が、雲の中人工鉱物 まひ いる。一九三〇年代の論理実証主義者によるやで雨や雪のできる仕組みについて有名な氷晶説つくられ、天然には存在しない結晶物質をさし 患によって呼吸筋が麻痺したりしたために自力 や性急な人工一一一一口語の取り込みを批判して、五〇を発表し、三八年にはドイツのフィンダイセンていたが、のちにそうしたものが天然に発見さでは十分な呼吸が行えなくなった場合、種々 年代以降、自然一一一一口語による記述だけを用いよう W. Findeisen が、氷晶説に基づいて人工的にれたりして、定義がはっきりしなくなった。現の肺疾患によって酸素マスクや酸素テント等の とする日常一一一一口語学派が、イギリスやアメリカに 氷晶核を雲の中にまくと雨や雪を降らせること在では、人工的に、無機的物質 ( 鉱物をも含方法では血液が十分に酸素化されなくなった おこった。しかし数学や科学などで新しくつく ができることを予言した。またさらに四 ~ ノ年し 、こむ ) を原料として生成された物質で、一定の化 り、炭酸ガスの排出が不十分となった場合、 った記号を多く用いるのは、人工言語を用いな なってアメリカのシェーファー V. J. Shaefer 学組成と原子配列をもったものをさす。合成鉱 3 呼吸に多大な労力を必要とし、患者の消耗が いと話が通じにくい局面があるという事実を、 は、過冷却した霧でいつばいになっている冷蔵物とは、原料として鉱物を用いすにつくったも著しい場合、などである。短時間の人工呼吸器 〈加藤昭〉 少なくとも部分的に裏書きしているといえよ庫の中にドライアイスの破片を落としたとこ のをさす。↓鉱物 の使用はマスクによっても可能であるが、通常 、つ 〈吉田夏彦〉ろ、たくさんの氷晶が発生することをみいだし じんこうこきゅうなんらかの原因は長時間必要とされるため、気管内挿管を行っ 人工呼吸 じんこうげんそ artificial element た。この実験はフィンダイセンの考えを初めて た状態で使用される。 によって呼吸停止、高度の呼吸機能障害をきた 人工元素 天然には存在しない元素で、人工的につくりだテストして実現したこととなった。同年にアメ した患者に対して、人工的に換気を行う方法を なお、最近の人工呼吸器には、種々のモニタ された元素をいう。ただしこの語は、俗に用い リカのポンネガット B. Vonnegut は、ヨウ いう。人工呼吸法は、吸気時に気道内に陽圧を ー装置、警報装置、換気パターンの選択など、 られているもので、かなりなあいまいさを含ん化銀を燃やしたときにできる微細な結晶が零下かけて行う方法と、陰圧をかけて行う方法があ複雑な機構を内蔵しているものが多いため、そ でいる。すなわち、一般に天然に存在しないと五〇度 0 以下で氷晶核として有効に作用するこるが、いずれの場合も呼気は肺および胸郭の弾の使用にあたっては高度の知識が必要とされ 〈片岡敏樹〉 考えられていた元素は、それらが放射性元素でとを発見した。これらの研究に基づいてアメリ 性を利用して自動的に行われる。現在用いられる。 しんこうさい神霊が本社を離れ他所 寿命が短いためこれまでに崩壊しつくして、現力のゼネラル・エレクトリック研究所の科学者ている人工呼吸法のほとんどは前者の方法であ神幸祭 在は存在せず、そのため発見されなかったと考らは、飛行機の上からドライアイスの細片を雲り、「呼気吹き込み法」のほカ / : ヾッグを用し に渡御することを御幸 ( 「ミュキ」「オイデ」 えられるものである。したがって、核反応によの上に落としたり、ヨウ化銀をしみ込ませた石て行う方法、麻酔器・人工呼吸器を用いて行う とも ) と称し、その祭典を神幸祭という。神幸 れ・ : っ って人工的に初めてつくりだされれば人工元素炭を燃やしながら雲の上に落とす実験を行い 方法などがある。陰圧による方法としては、頸のうち、とくに帰還に関するものを還幸祭とよ といえる。しかし分析技術の向上などにより天過冷却した自然の雲を氷晶の雲に変えることに 部から下を気密箱内に入れ、箱の内を陰圧にすぶ場合もある。神幸に際しては、神霊が神輿・ ほうれん 然にも微量は存在することがわかった元素もあ成功した。これが現代の人工降雨に関する自然ることによって人工呼吸を行う「鉄の肺」があ鳳輦などに駕御され、神職が供奉し、氏子祭員 さかきばんき るが、現在ではほとんど用いられていない。 るし、また寿命は短くても、天然放射性元素かを相手とした最初の試みであった。それ以来ド などが橋、旛旗、神宝などを捧持して、古例の ら崩壊したり、あるいは天然の中性子などによ ライアイスやヨウ化銀を用いた人工降雨に関す蘇生法 〈片岡敏樹〉装束・礼装に威儀を正して供奉するのが一般的 ′一こうみち って核反応をおこした結果つくられるなどし じんこうこきゅうきさまざまなである。その道筋も御幸道などと称して、慣例 る実験は、日本を含め世界各国で数多く行われ人工呼吸器 て、つねに微量は天然に存在している元素もあてきた。 原因によって自己の呼吸では十分な換気が行え により古来から一定しており、みだりに変更す るからである。たとえば八五番元素のアスタチ いままでに世界各国で行われてきた人工降雨なくなった際に、換気を補助または強制的に行ることは許されない。陸路だけではなく、船で おふわ ンは、一九四〇年ビスマスをへリウムイオンでのおもな技術的方法と、その成果をまとめてみう器械で、べンチレーター、レスピレーターと 水上を渡御する例も多く、その場合御船 ( また 照射して人工的にアスタチン二一一がつくらると次のとおりである。 もよばれる。現在使用されている人工呼吸器に は「みふな」 ) 祭などとよばれる。神幸列に山 やたい , フれ、人工元素とされたが、その後アスタチンの ①ドライアイス法ドライアイス数キ。グラムをは種々の補助装置が装備されており、肺が障害車・屋台や練り物・飾り物などが加わり、中世 いろいろな同位体がポロニウムの崩壊で生成直径約一弩メートルの小片に砕いて飛行機から されたために血液の酸素化が不十分となった場以降は華美になった。その行列が練り歩くこと し、したがって天然にも存在することがわかっ 雲の上にまく。このとき雲頂の温度が零下七度合にも使用される。 を「お練り」という。神幸祭の由来には、もと ん し た。また同じように超ウラン元素のネブツニウ O 以下で、過冷却した雲の層の厚さが約一五〇 人工呼吸器には、蘇生バッグ、麻酔器のよう神を迎えた古儀により毎年これを繰り返すもの 5 ・は′、だい がぎよ

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が、それそれジャンルとしてあいまいさをもっ 型に変型された輸入ではなく、その受け入れ方「汚染」されている。小林秀雄が『私小説論』機」でもあった。つまり、彼らが小説を書くと いうことは、大破裂を起こした世界のただなかていた分だけ、その存在はむしろ大きくなって は各人各様で、その無原則的な特殊性がそのまで使ったことばでいいかえれば、「社会化」さ いたとさえいえる。したがって、「ポバリー夫 で、かって、どんな時代に、どのような小説が まそれぞれの作家の「個性」的人格となった。れているからである。 存在しえたかを考えることにほかならなかった人は私だ」の解釈も、「社会化された私」の解 しかし、この「社会化」ということばをめぐ 当然の結果として、ロマン主義、写実主義、自 のである。 釈も、いまだにはっきりした決着をみるに至っ 然主義などの用語も、無原則的な混乱のまま使る解釈も、これまた、いまなお決着がついてい よこみつりいち 用された。 ない。『私小説論』は、横光利一の『純粋小説〔ジョイス、プルースト、カフカら〕ジョイスていない、というのが現状であろう。 〔小説の衰弱と復興〕一方、コンビュータによ のいわゆる「意識の流れ」はヘンリー・ジェー 〔私小説の成立〕そうした無原則的な混乱のな論』に批判的に答える形で一九三五年 ( 昭和一 かでただ一つ共通していたのは、「方法」の放〇 ) に書かれた。それは、第一次世界大戦前後ムズの影響によるともいわれているが、『ドる情報機構によって、現代人の生活は急変し た。テレビは宇宙衛星中継によって「世界の同 棄であったといえるだろう。もちろん、それはの「世界の二〇世紀」が一挙にわが国に押し寄ン・キホーテ』の出現以後、『ドン・キホーテ』 意識的な放棄ではない。いかに自分が「近代的せ、明治、大正二代にわたって形成されてきたを意識しない近代小説がありえなくなったよう時性」を獲得し、多様化した電波メディア、活 に、ジョイス、プルースト、カフカの小説を意字メディアは日常生活に侵入している。芥川が な私」として自立しているか。それをありのまわが国の近代小説を直撃し、モダニズム文学と まに告白するのに「方法」は不要であった。し激しくしのぎを削ったプロレタリア文学が小林識しない二〇世紀小説はありえなくなった。っ残した「ばんやりした不安」が、このようなニ ・メディア時代の出現であったかどうか、 まり、先にあげた彼らの小説は、すでに単なる たがって、ありのままの「私」の「生き方」を多喜二の「虐殺」によって解体しかけた時期に ありのまま書き表すために彼らが必要としたのあたる。 一作品であることを超えて、それそれ二〇世紀わからない。しかし、電波、活字によるマス・ はんらん カルチュア氾濫のなかで、「小説の危機」説、 小説の普遍的なテーマとなった。 は、書くための「方法」ではなく、いかに生き 〔ニ〇世紀文学の作家たち〕ヨーロッパでは、 「小説の衰弱」説が出てくるのは当然であろう。 『贋金つかい』を書いたジッドは、その二〇世 るかという「方法」であった。この「方法」一九世紀の世紀末から第一次大戦前後にかけ しかし小説の危機や衰弱は、極度に発展した が、いわゆる「生き方」Ⅱ人格であることは、 て、さまざまな文学芸術運動がおこった。シュ 紀小説の運命にもっとも忠実な一人であった。 いうまでもない。そしてその「私」は無原則的ルレアリスム、ダダイスム、表現主義、未来プルーストが、「私」とはなんであったのだろ消費文明社会や情報化社会という「外部」にあ 説そのものの「内部」にあ う、「小説」とはなんであったのだろう、と考るのではなく、小 な「個」であったから、そのありのままの「生派、ロシア・シンポリズム、ロシア・フォルマ リズムなどなどである。そして世界は、共産主えたとすれば、ンツドは、「小説」とはいまなる。その意味では、小説はつねに危機であっ き方」を書くことが、その作家の個性すなわち た、とさえいえる。小説の「超ジャンル」性に 特殊性となった。こうして、「個」Ⅱ特殊とし義革命によって新しく誕生したソビエト・ロシんであるのか、それを書いている「私」とはい ての「私」を普遍化する方法としてのフィクシアと、資本主義の巨大国家に発展したアメリカまなんであるのか、とプルーストを意識しながついては繰り返し述べてきたが、それは、小説 がつねに危機意識をもち、同時代における他の ら考えた、といえるかもしれない ョンを放棄することによって、わが国の「私ト を両極にして、大破裂を起こした。もちろんョ かれつ ジャンルと苛烈なる格闘を演じることによっ = = 」は成立したのである。 ーロッパは世界の中心ではなくなり、世界全体〔芥川と横光〕わが国で「二〇世紀の運命」に あくたがわりゅうの そしてそれは日本文学史のなかで「主流」に が中心を失った断片となった。これが「現代」もっとも敏感であったのは、おそらく芥川龍之て、初めてそうでありえたのである。 したがって、マス・カルチュア氾濫のなかで なったり「傍流」になったりしながら、『浮雲』の始まりであり、世界の芸術は「同時に」共通介であろう。彼は一九二七年 ( 昭和一 l) 「ばん 小説が衰弱し消滅するとすれば、それは、小説 の問題を考えることになった。小説も、もちろやりした不安」という、いまや伝説化したこと から一〇〇年後の現在、いまなお存在してい そのものの歴史を忘れ、他のジャンルを排除 ばを残して自殺した。また、ジッドの「純粋小 る。これでは「ポバリー夫人は私だ」という謎ん例外ではない。 〔「私」の解体から〕また、世界が中心を失っ説」という自意識の実験装置にもっとも意識的し、固定した権威に安住し、小説自体への自己 めいたことばの解釈をめぐる決着がいまだにつ かないのは当然であろう。ただ、「私小説」のたと同様に、一九世紀近代小説の「私」というであったのは横光利一である。そして彼は、芥批評をもたない小説、ということになるだろ かたい ふとん トストエフスキーにおけ 「中心」も解体した。。 川の自殺の三年あとに「国語との不逞極まる血う。つまり、超ジャンルとしての小説の方法を 源流は田山花袋の司蒲団』だという説だけは、 る意識の楕円が、すでに二〇世紀に突入してい 戦」によって『機械』を書いた。中心を失った放棄した小説である。 もうそろそろ撤廃されるべきだろう。 〔復興への道〕二〇世紀初頭の新芸術運動は、 「私小説」とは「虚構」という方法を放棄したると書いたのは、そういう意味であったが、世自意識が中心を探し続けるこの小説によって、 「小説」だとすれば、それは古代中国において界の大破裂のあとまず誕生した代表的な二〇世わが国の二〇世紀小説は始まったといえるだろ過去の芸術の権威を全否定する過激なものであ った。しかし同時に、それは芸術それ自体への 紀小説は、ジョイスの『ュリシーズ』、プルー 用いられた意味における「稗史」同様となる。 彼らは政治的、経済的、 〔小説のあいまいな現状〕しかし、わが国のモ自己反省でもあった。 , しかし、わが国における「私小説」は「稗史」ストの『失われた時を求めて』、カフカの『変 ダニズムは中国との戦争の時代に中断し、やが 科学的な大変動のただなかで、小説とはかって ではありえない。つまり、虚構は捨てている身』『審判』『城』などである。 なんであったか、と考えることから出発しなけ て第二次大戦が始まり、わが国は敗戦国となっ が、「事実」そのものではなく、そこには作者 三人の小説は文体も方法もそれぞれ違ってい の「生き方」としての「主観」「感想」「感情」る。しかし、一九世紀近代小説の、「私」を中た。そしてさまざまな敗戦小説が生まれた。かればならなかった。二〇世紀小説は、そうした ってのプロレタリア文学も、社会主義リアリズ彼らの過激であり、同時にまことに謙虚な小説 「心境」「詠嘆」などが含まれているからであ心として自己完結する世界像の解体、という点 し、しで共通している。また、その解体は、「私Ⅱ内ムを掲げて復活した。「世界の同時性」を強く 自体への反省と自己批評のうえに、初めて成立 る。つまり、事実プラス感想という随筆こ近、 ジャンルに属する。そしてこの定義にもっとも部」と「世界Ⅱ外部」との関係の変化による、意識した方法の小説も書かれた。と同時に、そしたのである。 なお にれらの小説の一部には、敗戦小説や社会主義リ そしてその世紀末を迎えたいま、われわれ ふさわしいのは、『蒲団』ではなくて、志賀直 いわば自然な解体ではなく、意識された方法 よる、意志的な解体である点において共通してアリズム小説との境界が微妙かつあいまいであは、もう一度ホメロスの昔まで振り返るべきで せ哉の『網まで「城の崎にて』などであるこ あろう。そうすれば、小説というジャンルが、 いる。そして、その「意識的」「意志的」自己る作品もあった。 、フとは、両者を読み比べてみれば明らかだろう。 そして、私小説も存在し続けた。存在するば先行する時代や同時代に共存するさまざまなジ よ『蒲団』の作者および作中人物は、それそれ当解体による世界像の変形が、二〇世紀小説の方 ャンルの「模倣と批評」によって、それらを吸 し時の段階において近代化された制度、風俗に法であると同時に、それが書かれるための「動かりか、敗戦によって生じた小説のジャンル すけ にせがね

10. 日本大百科全書 12

どうかん また、城攻めの手段として、①平攻め、②火 戦が一般化するにしたがい、武術に戦術が加わ田道灌が城攻めを行った。道灌は足軽戦法を用 城攻め ひょうろう 、雑兵を組織化、陣城をもって敵方城郭を攻攻め、③水攻め、④枯渇攻め、⑤兵糧攻め、 り、これが城の攻防戦に多くのくふうを生む転 しより かわはり かさぎやま 城を直接攻める戦法を城攻めといい、原始か機となった。史上名高い笠置山城、赤坂城、千めて、二一か城をすべて攻略したと伝えられ⑥金掘攻め、などがあった。①は仕寄攻めとも しゅんけん せんじようさん りようぜん いわれ、敵城の正面である大手方面から攻める ら近世に至るまで多くの事例をみいだすことが早城、船上山城、霊山城の合戦は、険な山る。自らの居城江戸城は、道灌がかりとよばれ たかやぐら あし かん ) 一う もので、楯・竹束などを並べ、高櫓を建て、 できる。古くは高地性集落や環濠集落とよばれ岳突端部を山城として南朝側が立てこもり、足る城取り ( 築城とそのプラン ) をもって築き、 がくつどう ざんごう やよい かが 我屈洞で近寄り、塹壕を掘り、埋め草で堀を理 強固な城郭とした。 利勢と戦ったものであった。 る弥生時代の城郭遺跡で、城攻め合戦の痕跡が いせそうずい やまと 一四九一年 ( 延徳三 ) 一〇月伊勢宗瑞 ( 北条め、子を使って攻め入る方法がとられた。城 室町時代になると、守護大名などにより、居 相次いでみつかっている。古代大和政権下で から こらやま そううん 館を伴う壮大な山城が築かれ、地域支配の拠点早雲 ) は伊豆の乱を起こして足利茶々丸を黽山側は裏手から兵を出し、これを搦め捕る方法 は、東北地方の反乱拠点に城が利用され、出羽 ふしゅう ぜん となった。関東の平野部では、舌状丘陵や台地城に不意打ちして伊豆一国を手中に収め、一四 ( 搦手 ) が用いられた。②は火矢をもって城下 俘囚の乱 ( ハ七 0 の秋田城、前九年の役 ( 一 0 五一 一が「 とりうみのきくりやがわのき ~ 六 (l) の鳥海柵・厨川柵、後三年の役 ( 一 0 ハ三上に城郭が営まれた。この時代の代表的な城攻九五年 ( 明応四 ) 相模の名族大森氏の居城小田や敵城を火攻めにし炎上させる戦法で、奇襲や えいきよう わら おやま かねさわのき めは、小山氏の乱 ( 一三〈 0 ) の小山城、永享の原城を夜襲、関東進出の基盤を築いた。この城強襲の際にしばしば用いられた。③は灌流攻め ) の金沢柵などが城攻めの舞台となった。 ゅうき 乱 ( 一四三 0 に引き続いた結城城合戦 ( 一四四 0 ~ 攻めは奇襲とよばれる戦法で、戦国時代の幕開ともいい、城の周囲に堤を築いて堰から河川を 中世に入り、鎌倉時代末から南北朝争乱期にか ろうじよう かきっ はりまきのやま きとなり、戦国大名の出現となった。戦国大名引き入れ、城を孤立化させ、兵糧や援軍の補給 けては、城に立てこもる籠城と、これを攻撃四 I) 、嘉吉の乱 ( 一四四 I) で播磨城山城に籠城し びっちゅう ぶやく あかまつみつすけ を遮断する方法で、秀吉の備中高松城、紀伊 は、被官となった在地武士や農民に軍役、夫役 た赤松満祐とこれを攻めた足利幕府軍との戦い する城攻めが合戦の主流となった。 むさしおし おうにん などがある。応仁の乱 ( 一四六七 ~ 七七 ) では、京都を課して軍団を組織し、種々の城攻め戦略が兵太田城、武蔵忍城攻めが有名。④は城の井戸や 武門武士間の抗争に代表される鎌倉時代の合 じんじろ 戦様式は、武術を競う武士階級間の野戦であっ市中に多くの臨戦築城である陣城が築かれ、陣法 ( 主として兵法七書 ) を基本に考案、実施さ溜井 ( 水の手 ) を破壊して城兵を干ばしにする みのわ ふたまた しんげん せいろういしびや しようえん 方法で、武田信玄による箕輪城、二俣城攻めが たが、やがて荘園公領制の矛盾から新たに発城争奪戦が中心となった。とくに井楼と石火矢れた。 やまじろ 城攻めは大別して、前述の奇襲と正攻法とが知られる。⑤は大軍をもって城を包囲、兵糧補 生した脱農民層が悪党組織をつくり、山城に立が陣城に盛んに設置されたことが当時の『碧山 も・、・うい じんぶれ やましなけらいき てこもるようになった。そのなかから足軽とよ 日録』『山科家礼記』に記されている。井楼とある。正攻法は宣戦布告にかわる陣触を大々的給を断ち、自滅を待っ方法で、長囲 ( 遠巻き ) やぐら ようへい に行ってから城攻めするもので、織田信長や豊ともいわれ、秀吉による三木城、鳥取城、小田 ばれた傭兵が出現し、一騎打ち勝負の武士戦法は組み上げ式の櫓で、一〇余丈 ( 三〇以上 ) とみ おだに に及ぶものもっくられた。石火矢とは、火薬で臣秀吉が攻略した小谷城、石山本願寺、朝倉氏原城や、島原の乱の原城などが知られる。⑥は にかわる集団戦・ゲリラ戦が広がった。こうし かりたろうぜき じゅんこうし の一乗谷城、鳥取城、小田原城の各戦で行われ坑夫を使い城外からトンネルを掘って城内に兵 て、山城構築↓刈田狼藉↓籠城↓遵行使との大石を発射させる大砲の原始的なものである。 するが ひたち かんれい 同じころ、関東では、関東管領家執事職をめた。このほか、城が小規模、弱小の場合や、多を入れる方法で、駿河深沢城、常陸小田城、 対決という経過がみられ、悪党行為と山城が表 か洋は・つ 田原征伐での水之尾ロの合戦などが史料に伝え ぐって大乱が起こった。長尾景春の乱とよばれ くの損害を覚悟で早急に陥落させたい場合など 裏一体の関係になった。南北朝争乱期には山城 いっとき られる。 〈西ヶ谷恭弘〉 る戦いは三〇回以上を数え、反乱軍が籠城、太には強襲 ( 一時攻め ) が行われた。 が南朝軍に利用され、足軽が組織されてゲリラ 4 すルの 鬣第さこ 誇記 を閤 隊太 鉄絵 3 紅 れ③ア ・をリ・も 的た ) 底し - 三ロ いへ、〔」【、駲れ 攻か .3 ・い 来焼 二ンハノ や . っ ~ 一、松真 吉城【 ~ のと 臣石 豊千 め拠 攻の 第い ( 攻築 ④堤 ( のょ健をユ小 こんせき 城攻め ①井楼 ( 高櫓 ) を用い た城攻め弱莠萇 , 秀次による和気城攻撃 の図 ②橋輻車による城攻め。 戦国時代末期には , うした攻城用戦車まで 考案された。図は黒田 家の後藤基次 ( 又兵衛 ) がつくったもの へきぎん ノ応い ためい たて せき 409