を - せイ第← 1 も物 メ筰一不文に〉久 ③一 ( ② 神 / 造形 ① . , 戸 江 でる文 徴す青 象徴永 亠 の表 性を京 全造東 完構 のの 5 境観 6 矯宙 は宇 x 円 図 生画 的本 当 5 甲氏 tx2Z 不ーも下 白ば ①わ代 ②黙庵「四睡図 . 「天台山国清寺の高 僧豊干と虎 , 弟子の寒山・拾得の四 者の眠る姿を描いたもので , 褝的な 静寂と悟りの境地を表すものとして 神画の好画題となった。鎌倉時代 紙本墨画 70X36cm 重文東京 前田育徳会 4 イギ bon ンス das Gute ハイ 善 ぜん good の対象となるものがすべて悪である。それゆ叫 え、「みにくいもの ( 醜 ) 」も「有害なもの」も 広義には、肯定的評価の対象となる価値をもっ にをて ものがすべて善である。しかし、狭義には、行なんらかの意味では「悪いもの」である。だ スロ 為および意志の規定根拠が善である。この二義が、善についてと同じように、本来の意味で も , 現 を石表 はときとして混同され、多くのものが「善い」 「悪」といえるものは、「善なる行為」を退ける 観堰を 然 , 観 とよばれる。たとえば、すべて「値うちのある意志だけである。 自橋景 の , 大市もの」は「善いもの」である、といわれるが、 そこから、「悪」の存在をめぐって古来二つ 宗山の都 神遠谷京 この意味では「見るによいもの」も、「用いるのバラドックスが生ずる。一つは「だれも自ら , 幽 によいもの」も、なんらかの意味では善であ進んで悪人たろうとする者はない」というソク 庭滝山勝 石に深名 る。しかし、それらは「美」であり、「有用な ラテスのパラドックスである。意志が本来善に の積 , 別 水面し特もの」であって、本来の意味では「善」ではな向けられているとすれば、善を退けて悪を選ぶ 山い置 枯狭配跡 善は本来の意味では、これらの値うちのあ意志はないと考えられるからである。とすれ , を史 園でど るものにかかわる行為が選択される場合の根拠ば、世に本来の意味での「悪人」はいないこと 庭のな代 なのである。したがって、善は本来、行為外的になる。もう一つは「悪の起源」をめぐるバラ 院も石時 ドックスである。一般に古代では、悪の起源は に、事物に付着する性質として、「観照」の対 院れつ室 仙らど 象をなすものではなく、行為内的に、意識の自形相の完全な実現を許さない質料の粗悪さに求 くたる 大 ③つかい められた。だが、至善なる創造者による世界の 己還帰を構成契機とする「実践」の場面におい 創造を信条とするキリスト教にとって、この世 て、実践を成立させる根拠として自覚されるも のである。一つの行為は多くの可能な行為のな界に内在する悪の事実は説明しがたいものであ かカら、 いま、なすべきもの」として選び取っこ。」 オ造主に悪の起源を求めることはできな ( 神は善なるものだから ) 。他方に、創造主 られるが、この選択の根拠が善である。したが って、善は自由において自覚されるものであっ に対立する悪神にも ( 神は唯一だから ) 、粗悪 な質料にも ( 神は万物の創造主だから ) 悪の起 て、自由の根拠である。 ここにキリスト教 〔善と福〕古代ギリシア・ローマでは、善を意源を求めることはできない bonum 冖テを一い , っは釜ロ の弁神論の問題があった。 味する agathon 溿只 アウグステイヌスは、悪がそのもの自体とし の両義を意味しながら、広義の善への傾きをも ギリ、 っていた。この意味での善は、悪 kakon ンア て独立には存在しないこと、悪は存在を前提に malum 一に対するとき、禍、不幸に対するしてその否定としてのみ存すること ( 悪の非存 福、幸を意味した。しかし、ソクラテスが「不在性 ) 、したがって、善なるものとしてつくら 正を蒙るほうが不正をなすよりも善い」と述れた意志が自己自身の置かれた秩序に離反する こと ( 意志の反逆 ) としてのみ悪が存するこ べ、これを自分の死をもって証明したときに、 善の本性は明らかにされた。以後、善は「見えと、この意志の反逆 ( 罪 ) もそこから帰結する ぬもの」であり、不可視な魂が自分自身を善い 当然の報いとしての罰によって償われ、意志の ものとしようとする能動的な配慮において、内回心をもたらすよすがとなること、こうして、 1 いり , れ 的に魂にかかわるものとなる。プラトンとアリ 悪もまた善なる神の経綸 ( 摂理 ) の内に置かれ ストテレスの倫理学はこの問題状況において成ていることを示して、悪の存在を説明した。↓ 〈加藤信朗〉 立した。同じように、カントも広義の善との関悪 係で成立する「目的倫理学」を退け、善は意志禅ぜんサンスクリット語ディャーナ dhyä・ なんじ に対して、「汝いつもこれをなすべし」という na の音写。ロ語のジャーナ jhäna が訛った しゆいしゅ 絶対的な命令 ( 定一一一一口命法 ) という形で迫る普遍ものともいう。静かに考えること、思惟修の めいそう 的法則として把握されるとした。したがって、意。古代インドで、ヨーガとよばれた瞑想法の うち、精神統一の部分が仏教に取り入れられ、 真の意味で「善いもの」はただ一つ、善を意志 する善意志だけである。意志に対して迫るこのとくに中国と日本で極度に洗練され、独自の思 想として発展したもの。近代ヨーロッパの科学 無条件な命令をなんとするかによって、いろい 技術に対し、アジア精神文明の核として、新し ろの倫理学が生じるのである。 mal フラ、 Ubel い評価を受けている。↓禅の心理学 〔悪と悪の存在〕悪 evil 響は善に対立する。したがって、否定的評価 ヨーガの発生は、紀元前二〇〇〇年というイ 、一うむ
「夢」が常識的に理解しにくいのと同様である。度うまい食べ物を味わうと、その味を忘れるこ ん〔治療法としての精神分析ーー意識と無意識〕る。しかし、精神分析にと 0 て重要なことは、 この意味から、神経症の症状と夢は類似の性質とができなくて、もう一度あのようにうまい物 3 し精神分析のオーソドックスな治療の方法は、患幼児期の親子関係での経験そのものというよ り、分析状況のなかに転移されたもの、それがをもっているものであると考えられ、夢の意味を食べたいと願うのと同じことである。同じよ 、者を長椅子に寝かせて自由連想を試みるように を解釈することと症状の意味を明らかにするこ うにうまい食べ物を探しても、一一度と同じよう 問題であることはいうまでもない。 求める。頭に浮かんだことはどんなことでも話 とは同じように治療的意義をもっことになる に , つまい物に出くわすことができないよ , つに、 〔エデイプス的関係〕分析状況で転移された親 すように求める。たとえ治療とは関係なく、道 〔夢の解釈〕精神分析において夢の解釈が重要幼児は満足経験を再現しようとするが、同じよ 徳的に認められないようなことであっても、思子関係は、エデイプス的関係である。父・母・ い出したままのことを話すように求めるのであ子の、いわば三角関係である。男の子の場合をな意義をもつのはこのためである。さらに一歩うな満足を経験することができない。性欲には る。この意味で精神分析治療は、話をする治療例にとっていえば、エデイプス的関係は、母親進めて考えるならば、夢と「白昼夢」といわれ挫折が付き物である。 る空想も類似のものであるから、精神分析を治 こうした幼児性欲は、ロ唇期、肛門期を経て であるといってもよい。しかし、これは、自分 に愛情を抱き、父親に敵意をもっことをいう。 の腹のなかにためていたことを話して気が晴れ男の子は父親を亡きものにし、母親と二人だけ療としてでなく、心理学の研究の手段として考さまざまな身体的部位を利用して満足経験を再 るから治療になるという意味ではない。腹のなの関係を温存しようとする。これはいうまでもえるならば、「空想」を研究しようとするもの現しようとするが、男根期 ( 三 ~ 六歳ごろ ) に そうかん 卩にであるといえる。夢は無意識を知るための王道至って男根を通して満足を得ようとする。しか かにたまっているものは、日常的な意味でのおなく「近親相姦」の願望で、抑圧される運命 ある。父親に対する敵意の報復として、父親かであるといわれるが、夢や空想の研究は、心のし、これは近親相姦の禁止によって妨げられ、 しゃべりをしたぐらいで晴れるものではない。 無意識過程、すなわち一次過程とよばれるもの満足経験の再現を放棄しなければならなくな ら去勢されるのではないかという不安をもつ。 自由連想法というのは、おしゃべりでなく、ほ り、潜在期 ( 五 ~ 一一歳ごろ ) に至る。そして んとうの話ができるようにするものである。おこの不安をなくすために、男の子は自分を父親を明らかにすることができる。これを一般的な 思春期 ( 一二 ~ 一七歳ごろ ) に至って、初めて 心理学の用語でいえば、動機を明らかにしよう と同一視し、エデイプス的関係を克服しようと しゃべりをすると、ほとんどそのおしゃべりは としているといってよい。たとえば犯罪がおこ近親相姦の願望はまったく変容を受け、他人と 自己弁護であり、自分の正当性を相手に納得さする。克服されないときに、さまざまな症状が の間に異性愛としての性欲が現れてくる。性欲 せようとしたり、同情を求めようとしたりするおきてくることになる。転移的関係のなかでるなら、その動機はなにかがまず第一に問題に はもともと母親からの授乳を契機にして発生し ものになってしまう。自分のありのままの姿をは、こうした意味での症状が新しくつくられてなるが、無意識的一次過程を明らかにしようと ことばに出すというより、見せかけの自分をつ くる。その症状の意味を理解することが、治癒することは、こうした動機を明らかにしようとてきたものであるから、養育者や保護者に性欲 につながってくる。こうした精神分析の治療のするものにほかならない。警察は犯罪者の白状が向けられ ( 男根期 ) 、さらに成長するにつれ くりあげることになる。この違いを、フロイト えんこん は意識と無意識という概念で示している。↓無考え方は、症状そのものを直接になくそうとすしたことをもとにして怨恨であるとか金取りでて、養育者や保護者と類似で、それの代理とな 意識 るものではない。風邪をひいて熱が出たので解あると考えるかもしれないが、分析家は患者のるような人に向けられる。これに反して、指し ゃぶりのような自慰行為にとどまるなら、性欲 〔重要な意味をもっ転移〕治療法の問題として熱剤を服用して熱を下げようとする対症療法で病気の動機はすべて意識されていない性衝動に はん 、舌をはない。症状そのものが問題でなく、こうしたあるとみなしている。そのため、精神分析は汎は自分自身に向けられ、いわゆるナルシシズム 重要なことは、どうしたら自己弁護でなし言 することができるようになるかである。患者は症状をつくりだすもとになっているもの、エデ性欲説であるといわれたりすることがある。し ( 自己愛 ) とよばれる性愛の類型、たとえば同 かし、精神分析の「性欲」の概念は常識的な意性愛がおきてくる。幼児性欲は、満足を得られ イプス・コンプレックスとか去勢コンプレック 自由連想で自己弁護し、防衛し、抵抗を試みる るならば、どんな対象であろうと手段として利 が、こうした抵抗が分析者によって解釈されるスが問題なのである。これらのコンプレックス味での性欲とはかなり異なっている。 〔精神分析における性欲〕常識では性欲は食欲用する。だから性欲には定型というものはな につれて、特殊な抵抗を試みるようになってくを清算しない限り、対症的に症状をなくして い。なにが正常でなにが異常であるかを決める る。これが「転移」とよばれているものであも、それにかわる新しい症状をつくるだけであと同じように生物的な本能といってよいほどの ものと考えられている。また、性欲は思春期に ことができないことは、性生活の報告書の示す る。患者は自分が子供であり、分析者が親であると考える。 とおりである。 こうした精神分析の考え方に対して、行動療なって初めて現れるものであると考えられてい るかのような感情をもつようになり、「自由連 フロイトは後期になると、性欲をもっと包括 想」のなかに親と子の関係が再現されたかのよ法の考え方は対照的である。症状を対症療法的る。しかし、フロイトにおいては、性欲は幼児 に条件づけの方法で消去することによって治療期から現れているものであり、生物的本能とは的立場から考えるようになり、死の衝動 ( タナ うな態度がつくられてくる。転移というのは、 トス Thanatos) に対立する生の衝動 ( ェロス ができると考える。症状だけをなくしただけで別個の心理的な現象とみなされる。このこと 幼児期の親子の関係が自由連想の分析状況のな は、人間の心理を生物学の知識によって類推し Eros) として考えるようになる。ここでは満 このは、精神分析のようにかわりの症状がおこると かに移されたという意味にほかならない ようとするのでなく、心理学固有の概念によっ足経験の再現というより、衝動の一つの特質と この違いは刺激ー反応の考え方に ことは別の表現をすれば、患者は日常生活におは考えない。 いて新しい状況で新しい人と対面していても、基づいているが、結果としては無意識という概て人間の心理を説明しようとするものであるとみなされる強迫的に反復しようとする側面が強 せいひつわはん 調され、満足経験の究極は静謐、涅槃にあると いえる。この意味では、他の心理学の理論のよ 念を必要とするか、意味というものを考えるか その新しさを認識することができず、幼児期に いう考えが示される。いずれにしても、性欲の 親と子の間でつくりあげた人間関係に従って行否かにかかっている。行動主義においては、無うに生物学を援用するものでなく、純粋な心理 動しているということであり、その「親子関意識の概念は不用であるし、意味を考える必要学をつくろうとするものである。しかし、これ実際問題は抑圧の運命を担うものと考えられ る。性欲は抑圧と切り離して考えることのでき は、人間も生物であることを否定するものでは がないが、精神分析では、無意識、意味が理論 」がさまざまな問題点を含んでいるというこ ない。だから、性欲は、生物学的な食欲に随伴ないものである。 とである。「三つ子の魂百まで」といわれ、教的な問題となっている。精神分析が、しばしば 育問題として、しばしば二歳までとか五歳まで無意識心理学であるといわれるのもこのためでして発現してくる衝動であると考えられる。す〔フロイトの考え方の基本〕フロイトの基本的 とかの家庭教育が重視されるのは、幼児期におある。精神病ではいうまでもないことであるなわち、性欲は、幼児が母親から授乳され満足な考え方の立場は、①力学的考え方、②場所論 が、神経症の場合にも、その一一一一口動は常識的に理して眠り始めるときのあの満足経験を再現しょ的考え方、③経済的考え方であり、この三つの ける親子関係において、後年になっても消すこ 一立場から記述するときに説明したことになる。 うとするものであると考えられる。これは、 とのできない刻印が押されていることを意味す解しにくいところがある。これはちょうど、 ざせつ - 一うもん
常化の傾向を保つものであり、生理的に一定のて、フロイトは食欲と性欲とを一括して生の衝としての母親との授乳関係に支配され、そこに感情が現れてくる時期でもある。子供が大人に 4 水準を保とうとするものである。糖分が欠乏す動 ( ェロス eros) とよび、死の衝動 ( タナト性欲の芽生えをみいだすことができる。この時なろうとする時期であり、抑圧のおこる時期で よ 、れば糖分を補給して、一定水準の糖分を維持しス thanatos) と対立したものと考えるように期を前期と後期に分け、とくに後者を口唇加虐もある。 向性器期思春期になってくると、事情は一変 期ともいう。これは、歯が生えるようになり、 なってくる。 ようとするものである。これに反して性欲に せ 〔性的なものは社会的〕精神分析の性欲論でさ吸乳による「飲み込み」だけでなく、歯によっする。いわゆる性欲が目覚め、性器期とよばれ は、一定水準を保とうとする傾向はない。社会 らに重要なことは、思春期になって性欲が発現てかみ砕き、破壊の意味をもっていることを一小る時期である。この時期はまったく新しい発達 的過程としても異なっている。食欲も社会的慣 段階というよりも男根期の復活である。しかし 習などによって規定されるが、性欲の場合にするものではなく、幼児期からみられるものですものである。こうしたロ唇の活動は対象関係 についての一つの空想、その構造をつくりあげ男根期においては、男女の間の異性愛というよ は、食欲に比較してはるかに社会的・文化的影あるという考え方である。もし指しゃぶりが性 り男根をもつものと去勢されたものとの関係で 響を受けやすい。そのため、性欲を満たそうと欲の萌芽であるというのであれば、それが性的る要素となるものである。 はいせつ に肛門期排泄のしつけが始められるころかあったが、思春期になると特定の男女間の性愛 なものであることが示されなければならない する行動様式は心理的に多様なものとなってい 。いくつかの部ら、肛門期が始まってくる。およそ二歳から四となってくる。幼児期の性欲は身体の特定の部 る。フロイトの精神分析以来、性欲は食欲と同そこで、性欲といわれる衝動ま、 列に生物的本能として考えられなくなり、さら分衝動からっくりあげられたものであり、発達歳に至るころで、肛門加虐期ともいわれる。こ位と関係をもっているが、思春期になると全人 、性欲は思春期になって初めて発現するもの的に男根期 ( エデイプス期 ) 段階に至って初めの時期になってくると、身体的な快感はロ唇よ格的なものになってくるのである。〈外林大作〉 でないこと、ナルシシズムと密接な関連をもて性的願望の性質をもってくるものであると考り肛門において優位になってくる。養育者とし E)T) ・フロイド著、懸田克躬訳『性欲論』 ( 改 訂版『フロイド選集 5 』所収・一九六九・日本教 えられる。このことは、性的なものが生物学的ての母親との人間関係が重要な意味をもつよう ち、自我の概念と密接なつながりをもつものに 文社 ) ▽西丸四方訳『人間心理と教育』 になる。親のしつけに応じてある一定の時間 であるというより、社会的なものであることを なってきた。 (r フロイド選集 5 』所収・一九耄・日本教文 排泄を抑制し、必要に応じて排泄することがで 強調するものである。生物学的に考えるなら 〔性欲の発生〕性欲は、食欲に随伴して発生し 社 ) きるようになる。この意味では自己統御、自立 ば、幼児にとって必要なのは、栄養を与えてく てくるものとみなされる。幼児は母親の授乳に 制欲説せいよくせつ abstinence theory よって栄養をとるが、このときに経験する満足れる母親だけである。父親の存在価値はないとの第一歩である。性格の形成にとっても重要な イギリスの経済学者 Z ・・シーニアが、その いってよい。だが幼児の眼前には母親と父親が意味をもっている。肛門性格とよばれているよ 感を強迫的に繰り返し、再現しようとするもの りんしよく うなきちょうめんさ、吝嗇、強情などの性格主著「経済学概要』と ~ 0 ミ = ミ、 Science いるのであり、自分と母親との関係とは異なっ が性欲の芽であるという。これを典型的に示 た、母と父の二人の対人関係を見せつけられる特性は、この肛門期の性愛の特徴によるもので、 P 。、ミミ、洋。きミ ( 天三 ~ 0 で主張した利子 しているものは幼児の「指しゃぶり」である ないし利潤の説明原理。節欲説ともいう。資本 指しゃぶりはなんら生物学的意義をもつものでのである。これがフロイトのいう原光景にほかある。 は人々が現在の消費を節欲して蓄積されるもの ③男根期肛門期に続きおよそ学齢期に達する ならない はないし、それによって栄養を摂取することが ころまでの発達段階が、男根期とよばれる。こであるから、その犠牲に対する報酬として、貸 もちろん幼児にとって母が女性であり、父が できるわけではない。ただ、食欲を満たしたと きと同じような口唇の央感を得ようとするもの男性であることはわからない。幼児はこの性別のころになってくると幼児は、自分と母親、あ付金には利子、投下資本には利潤が支払われる にほかならない。ほとんどの幼児が指しゃぶりを、去勢するものと去勢されるもの、という立るいは父親との性差に気づいてくるが、男性とのだとする。イギリス古典派経済学では、労働 を経験することは、食欲を満たすことに意義が場でしか理解することができない。性欲が全体女性の弁別ができるわけではない。男根をもっ価値説にたちながら利潤をいかに説明するかが ・リカードなどの問題であったが、シーニア ものと去勢されたもの、という対立で識別しょ あるのでなく、快感を得ることそれ自身が目的として一つの欲望としての性格をもってくるた うとする。ロ的性愛と肛門的性愛は男根に集は労働価値説を捨てて、労働者が働く苦痛に対 めには、母、父、子という関係のなかでおこる となっていることを明らかに示している。 かっとう 中され、男根を中心にして父、母、子の間で葛する報酬として賃金を得るのと同様に、消費か さまざまな葛藤を経験してこなければならない 食欲はある特定の対象 ( 食物 ) によって満た ら得られる満足を節欲する報酬として利子ない のである。この意味では性的なものはすべて偏藤がおこるようになる。これがエデイプス・コ されるものであるが、このような央感、満足感 を求めようとする性欲は、厳密な意味でいえば向したものであり、倒錯である。初めから、男ンプレックスとよばれているものである。男のし利潤を得るのだから、生産費には労働と節欲 の両者が含まれると考えた。のちに < ・マーシ 満足されるものではない。たとえば、あると性と女性との間に認められる異性愛があるわけ子の場合には、去勢されるかもしれないという ャルは abstinence を避けて waiting ( 待忍 ) き、なにか非常にうまい食べ物を食べたとすではないからである。性欲そのものも、食欲か恐怖から母親との性愛的関係を清算する。女の せんぼう ら偏向しておきたものにすぎないのである。性子の場合には男根羨望がおきてくる。自分が男という語を用いたが、いずれにしても利子・利 る。そこで、もう一度あんなものを食べてみた 根を失っているのは母親のせいだとし、母親を潤を同一視していること、それらがどういう水 いと願ってあれこれと食べてみる。ところが、的なものは、もともと倒錯したものからっくら けっしてかって食べたときのようなうまさを経れている。しかしこれは、いわば正常な異性愛眼み、父親を性愛の対象として選ぶようにな準になるかを説明しえないこと、節欲によって る。こうして、男根と象徴的に同じ意味をもっ得た貨幣を現金で保有する限り利子・利潤は得 験することはできない。なにを食べても失望すがないというものでもない 〔性心理的発達の五段階〕フロイトの性心理的赤ん坊をつくろうとする。だから女の子のエデられないことなどで、現在この学説にたつ人は るだけである。というのは、実際に経験したう ↓利子↓利潤 ^ 一杉哲也〉 まさは記憶に残ったものにすぎないのであり、発達段階にもよく示されており、次のような五イプス・コンプレックスは、男の子に比較すれほとんどいない せいら ( 一七四 0 ー九一 ) 江戸中期の俳 青蘿 空想的なものとなっており、実際の経験とは異段階に分けられるが、これらは、一つの段階をば長く続いていくことになる。 りつあん ④潜在期学齢期に達するころになると、児童人。松岡氏。通称鍋五郎。別号幽松庵、栗庵、 なって理想化されたものとなっているからであ超えて次の段階に進むというものでなく、並列 る。この意味で、性欲は願望といわれるものと的に存在しうるものでもある。①ロ唇期、肛たちは外の世界に関心をもつようになり、性愛栗の本など。播磨国姫路 ( 兵庫県姫路市 ) に生 まれ、江戸詰の姫路藩士であったが、身持ちが 的感情は表面に現れずに、潜在的なものとなっ 門期、③男根期、④潜在期、 6 性器期。 なっているのである。 あんぎや 悪く放逐された。その後諸国を行脚、一一九歳で ①ロ唇期ロ唇期は生後およそ一年間のことをてくる。潜在期とよばれる理由はそこにある。 性欲と食欲は、このように切り離して考える 剃髪してから俳諧活動に傾倒した。初め玄武坊 いう。この時期は、先に触れたように、養育者道徳的な意味での恥ずかしさ、親切さといった ことのできないものである。だから後年になっ もん
せんそう 争 せんそう war であった。トマスは、戦争が正当であるためには、第一にそ 習法でも戦争の違法性は確立しているといわねばならない れが君主の命令によって行われること、第二にそれが正当原もっとも、最近では、かってカの支配によって構築された植 「総説〕戦争観念の変遷 / 戦争の違法化 因に基づいて行われること、そして第三にそれが正当な意図民地体制や、人種差別体制への抵抗と解放のための戦争の正 〈石本泰雄〉 〔戦争の歴史」古代の戦争 / 中世の戦争 / 近世の戦争 によって行われること、が必要であると説いた。これがいわ当性が認められるに至っている。 フランス革命と国民戦争 / 帝国主義と世界戦争 ゆる神学的正戦論の核心である。しかし、そこでは、戦争を 戦争の歴史 〔現代の戦争の性格と特徴〕政治目的達成手段としての二国間の関係として把握する視点が欠落し、もつばら一方の 有効性の減少 / 軍事と外交の一体化 / 武力紛争の多君主の行為として把握されている。実際に、神学的正戦論は 戦争の政治的・社会的性格は時代とともに変化する。戦争 発と性格の変化 / 戦争被害の激増 世俗的君主による戦争の精神的Ⅱ宗教的正当化の役割を担 がその時代の国際社会ないし国内社会の政治的・社会的構造 、君主にとっての聴罪師的機能を果たしたといわれている。 を反映しているからである。 公心 ) 兄 近世初頭に位置する神学者・法学者はもとより、それに続 戦争は、組織化された集団間の武力による流血的な闘争で 戦争を、その実質的意味で定義すれば、政治集団の間、と く一七、八世紀の「国際法学の英雄時代」に属する学者たちあるが、その武力は、武器弾薬等の物的要素と戦闘兵員等の ビトリア、スアレス、グロテイウスなど くに主権国家の間で、相当の期間継続して相当の規模で行わ も、中世的人的要素で構成されている。武器弾薬等の量的・質的 ( 軍事 れる軍事力の行使を中心とする全面的闘争状態ということに正戦論の影響を強く受けた。しかし、正戦論は当時のヨーロ技術的 ) 要素は経済的生産の所産であり、戦闘兵員等の人的 なろう。プロイセンの戦略家クラウゼウィッツが、「戦争は、 ッパの国家間戦争において、しだいに現実適応性を失ってい 要素の量・質の問題も、終局的には、経済的条件およびそれ 政治関係の継続たるにとどまらず、他の手段による政治の実った。第一に、交戦国相互間では、戦争遂行のための一定の によって規定される政治的・文化的条件に依存している。こ 現である」と規定したように、戦争は高度に政治的な現象でルール ( 交戦法規 ) が成熟してきたが、そのルールは正・不うして、戦争の性格は変化してきた。 あり、その点では、戦争と他の闘争形態ーー外交、経済的圧正の区別なく、双方の交戦国に無差別に適用された。第二 〔古代の戦争〕原始社会では、戦争とよばれる事態がなかっ 力、宣伝、干渉、武力による威嚇、小規模の武力行使など に、交戦国と第三国との関係では、第三国国民による対敵通たことを多くの記録は明らかにしている。もっとも好戦的な との差異は相対的であるが、より全面的かっ包括的な闘商を最大限に許容する中立法規が成熟してきたが、い うまで種族でも数人が殺傷されれば、それで終結という程度のもの 争関係である点で区別することができる。他方で、戦争をそもなく「中立」の維持のためには交戦国の双方に対する公平であった。戦争が人類社会に現れたのは、私有財産の発生、 の形式的Ⅱ法的意味で定義すれば、当事者の戦争開始の意思性の維持が不可欠の前提であった。そのいずれの点において奴隷制度の成立以後である。戦争は富を蓄積するために必要 表示から、合意または一方的征服による戦争終結まで継続すも、戦時国際法は正戦論からは切り離されている。こうし な手段となり、戦争のための組織が社会的に重要な機能とな る特殊な国際法的状態ということになろう。この意味での戦て、一八世紀に入って、ポルフ、バッテル、モーゼルなど、 争は、現実の武力行使が伴われなくても、あるいは武力の行正戦論の現実適応性を疑う法学者が相次いで現れたのは当然 ューラシア大陸の東西両端部 ( 中国・東南アジア、ヨーロ 使が全面的に終結したあとでも、なお存在することができである。ついに一九世紀には、戦争原因のいかんにかかわら ッパ ) の農耕地帯に形成された農耕民族社会では、都市国 る。実質的意味での戦争と形式的意味での戦争は、これまです、無差別に戦争を許容する「無差別戦争観」が支配的とな家、大小の王国、それらを征服支配した諸帝国が興亡した。 たしたい一致してきた。しかし、最近では形式的意味での戦っていった。 同大陸の中央部 ( 北・中央・西アジア、南部ロシア ) の草原 争の概念の実際上の機能はしだいに失われつつある。 〔戦争の違法化〕「無差別戦争観」は二〇世紀に入って国際地帯に形成された遊牧民族社会では、当初オアシス地域を中 〔戦争観念の変遷〕オリゲネスやテルトウリアヌスに代表さ 条約によって動揺するに至った。国際連盟規約は、重大な紛 心にオアシス都市国家が発達した。オアシスから分離した遊 れる初期のキリスト教の教父たちは、およそキリスト教徒こ オ争はすべて連盟機関または国際裁判に付託することを義務づ牧民の社会的・政治的単位は小さなものにすぎなかったが、 る者が、武器をとり、戦争や軍事的役務に参加することは許け、連盟機関の勧告や国際裁判所の判決に服する国に対して騎馬の発明はそれを飛躍的に拡大することを可能にし、氏・ されないものと考えている。戦争という殺害行為が理由のい 戦争に訴えることを禁止した。一九二八年に六四国によって部族や部族連合体の遊牧国家、それらを服属・帰属させた支 かんを問わす排斥されたのは、当然の帰結であったろう。し署名された不戦条約は、国際紛争解決のために戦争に訴える配氏族を中核とする氏・部族連合国家が形成された。その結 かし、キリスト教が現実とかかわる限り、素朴な非戦論が ことを禁止し、国家の政策の手段としての戦争を放棄するこ果、広大な草原地帯において、隊商交易を中心に商工業の発 ちょうらく 凋落するのも必然的であった。現実に生起する戦争を前に とを宣言した。国際連合憲章は加盟国および国連の行動原則達したオアシス都市をバックにしたオアシス勢力 ( ベルシア、 して、現実適応的な「正戦論」ーーすなわち、正当な戦争な として、「国際関係において、武力による威嚇又は武力の行サラセンなど ) と、良好な牧地と略奪の獲物を求めて移動す きようどとつけっ らば許容されるという「理論」 が支配するようになった 使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものる草原勢力 ( 匈奴、突厥、モンゴルなど ) とが覇を争い、そ のは当然である。正戦論は、古くはアリストテレスにも漠然も、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法 にれそれの大小王国、諸帝国が古代、中世にわたって興亡の歴 とした形で現れ、キケロになるとかなり明確な形をとってい よるものもまなければならない」と規定している。このよ史を繰り返した。 るが、しかしいっそう体系化されたのは中世におけるアウグ うに今日では一般的な条約によってすくなくとも攻撃戦争は 土地と奴隷の私的所有のうえにたっていた古代奴隷制社会 ステイヌス、イシドルス、トマス・アクイナスたちによって違法化されているのであるが、それだけではなく普遍的な慣では、都市国家間 ( ペロポネソス戦争 ) 、大小国家間の戦争 一一二ロ 790
キ、繰 ) で水車を動力とした。これらの洋式製糸法 いえよう。さらに、第一次世界大戦期を通じ識を授け、現実の政治についての判断力、批判的中立性原則をかざしながら、特定のイデオロ じの移植は、最初横浜の外商たちから提起され、て、生産の集積や資本の集中を遂げ、株式会社力、信念などを養うことを目ざす教育」を意味ギーを擁護し、それを公教育のなかに忍び込ま これを日本側の政府、藩、豪商たちが受け入れ形態が一般化してゆく。このような器械製糸業し、後者の意味では、「社会の成員に対して、 せようとする危険性をもつ。特定の政治意識、 たのであって、いわば在来製糸業の動向とは無の発展を主導した大規模製糸経営としては、片特定の政治意識、政治的イデオロギーを注ぎ込政治的イデオロギーを注入する教育は、それが やまじゅう せ 関係であった。それゆえ、原料繭、労働力の調倉を先頭とする諏訪六大製糸 ( 片倉組、山十むために行われる教育」を意味する。たとえ積極的なものであれ消極的なものであれ、ある おぐち おかや 達、あるいは採算規模など経営的には不安定で組、尾沢組、岡谷組、小口組、林組 ) と京都府ば、政党、労働組合および各種の政治結社、社 いは国家によるのであれ教師によるのであれ、 いかるがあやべ ぐんぜ あった。結局、廃藩置県もあって、しだいに設何鹿郡綾部地方に成立した郡是製糸が代表であ会団体などで行われる教育がそれにあたる。 公教育の場から排除されなければならないこと 立者の手を離れて、他の経営に移譲されざるをろう。一九二〇年 ( 大正九 ) に片倉絹糸紡績〔教育基本法における政治教育〕第二次世界大は、もちろんのことである。しかしそのことを えなかった。 ( 株 ) となった片倉組は、一八七七年 ( 明治一戦後の民主教育の基本理念を確立した教育基本おもんばかるあまり、本来の政治教育「良識あ しかし、これらの製糸場は、多くの女工の伝〇 ) の垣外製糸場に創始が求められるが、深沢法の第八条は、政治教育について次のように規る公民たるに必要な政治的教養」の育成を図る 習、器械設備の模造などを通じて、各地の製糸社、開明社などの共同出荷団体を組織して発展定している。「良識ある公民たるに必要な政治教育がおろそかにされてはならないのである。 業に刺激を与えたことは事実といえよう。ともを図り、「普通糸」格の生産に特色がある。郡的教養は、教育上これを尊重しなければならな ↓教育の中立性↓義務教育 〈林忠幸〉 につしん あれ、生糸の輸出増大に伴って、糸質の斉一化 是は日清戦争後の一八九六年八月、一六八釜の い」 ( 一項 ) 、「法律に定める学校は、特定の政回堀尾輝久著『現代教育の思想と構造』 ( 一九 つるきち や大量出荷が要望されるにつれて、福島・群馬規模で、波多野鶴吉を中心に組織された。しか党を支持し、又はこれに反対するための政治教 七一・岩波書店 ) ▽解説教育六法編修委員会 両県に代表される古蚕国地方では、改良座繰のも何鹿郡蚕糸業組合を母胎とし、蚕桑改良を通育その他の政治的活動をしてはならない」 ( 二 編『解説教育六法』 ( 一九会・三省堂 ) あげかえし せいじけいざいろん De l'écono ・ 発展および共同揚返所の建設などが指向されじて、郡下の零細な養蚕家を株主層として出発項 ) と。一項は、教育の自由の原則のもとに、 政治経済論 しんさん - 一く たのに対して、新蚕国地方の代表ともいうべき し、「エキストラ」格の良質生糸の生産に努力国家社会の構成員 ( 公民 ) として必要な政治的 mie PoIitique フランスの思想家ルソーの かんよう アンシクロペディ 長野県諏訪製糸業では、早くから洋式器械の輸を注いだ点に特色があった。 識見を涵養することの重要性を説いたものであ著。一七五五年に『百科全書』第五巻に執筆・ 入が行われた。たとえば、一八七二年には小野〔昭和期〕おもにアメリカ市場に大きく依存し る。これは、前述した広い意味での政治教育を発表したもの。本書は、人民の幸福を目的とす みやまだ 組製糸場の流れをくむ深山田社、七四年には富 つつ発展してきた製糸業は、世界恐慌による打意味する。二項は、教育の政治的中立性の原則る政府の守るべき原則を論じている点でロック 岡製糸場の流れをくむ松代の六工社が創立され撃と人絹糸の進出で、昭和期に入って転換を余のもとに、公教育機関としての学校がその児 の『政治論』 ( 一六九 0 ) に比すことができる。ル ているが、七五年ごろからは、日本独自の製糸儀なくされ、操業短縮や合理化、そして品質向童・生徒に特定の政党政派の政治意識、政治的ソーは国家を管理運営することを公経済、政治 法をこれまでの座繰的技術と折衷・調和させた上を迫られてゆく。そうしたなかで一九二七年見解を注入することを禁止したものである。こ経済、 ( 政府による ) 行政とよび、その守るべ 「諏訪式製糸器械」の発明で、安上がりな製糸 ( 昭和一 l) の片倉における「多条繰糸機」の導のような狭い意味での政治教育は、学校教育か き第一原理は、「つねに全体および各部分の保 法がしだいに広まっていった。もちろん、女工入を端緒として機械化が始められた。とはい ら締め出されているのである。 存と幸福を目ざし、法律の源泉となる」一般意 の「手」工的熟練はきわめて重要であったかえ、日中戦争開始以後は、アメリカ市場の完全 しかし、実際に政治教育を行おうとすると、 志に従うことだと述べている。ルソーは一般意 ほうちゃく ら、生産形態としてはマニュファクチュアの領 な喪失、さらに桑畑の食料生産への切り替え、 さまざまな問題や困難性に逢着する。それは、 志は「民の声」に求められるとしているから、 域にとどまらざるをえなかったといえる。こう 設備の軍需関係部門への供出、等々の事情が重とりわけ国家と教育との関係において現れる。彼は人民主権論を念頭に置いていたといえよ りレっ州 ~ して諏訪製糸業は急速に他府県の製糸業を凌駕なって、その規模を急激に縮小していった。第国家は政治権力によって、その政治的価値の実う。ルソーによれば、一般意志 ( 主権 ) に基づ し、決定的な優位を示すに至るのである。 二次大戦後は、靴下原料の分野では完全にナイ現を目ざし、国家Ⅱ政治体制の存続と発展を目 いてつくられた法律を人民や政府が遵守すると 〔明治後期以降の発展〕諏訪製糸業を中心とし ロンに市場を奪われており、合化繊工業の展開ざす。教育はそのための手段に組み込まれる。 き、人々の自由は安全なものとなり、政府はそ た長野県器械製糸業を先頭に、わが国の器械製のなかで、戦前水準に復帰することは明らかに 近代国家は、教育を公教育として国家の統制との権威を維持できる、またルソーは、公経済っ 糸業は、一八九四年 ( 明治二七 ) には生産量の困難であり、日本の製糸業としては、その歴史 配慮のもとに置いてきた。教育は、こうして合まり行政の原則は、祖国愛に目覚めさせること うえで座繰製糸を凌駕するに至った。この発展的使命を終えたものと考えられよう。↓生糸 法的に国家の支配下に置かれることになる。 によって人々の間に徳を行き渡らせることだと ↓蚕糸業↓養蚕↓座繰製糸〈加藤幸三郎〉 は、明治三〇年代を通じていっそう推進され、 その場合、国家が示す基準 ( たとえば「学習い う。ここでいう祖国とは、人々が社会契約に 日露戦争後から大正初期にかけては全国的な規回石井寛治著『日本蚕糸業史分析』 ( 一九七一一・東指導要領」 ) が唯一の正当性を主張し、それか よって設けた政治共同体つまり国家のことであ 模で展開されてゆくのである。その結果、一九 京大学出版会 ) ▽瀧沢秀樹著『日本資本主ら外れる、あるいはそれに違反する政治教育るが、政治社会をつくる方法と一般意志に基づ 義と蚕糸業』 ( 一九大・未来社 ) 〇九年 ( 明治四一 D には、輸出高のうえで当時 は、政治的中立性の確保という大義名分のもと く政治の詳細については、後の『社会契約論』 しいわゆる「偏向教育」として断罪される。 ( 一七六一 D で展開されるであろう。『政治経済論』 最大であった中国をも抜いて世界第一の生糸輸政冶教育せいじきよういく political educa ・ 出国となった。この間、器械製糸業自体におい tion 政治教育とは何かということは、教育の現実のなまの政治問題を教材として取り上げ、 では、祖国愛に目覚めた徳を有する市民を育成 ても、生産過程の技術的改善 ( 製糸器械の改良内容として「政治」をどう解するかによって、児童・生徒を真の判断力、批判力をもった公民する方法として、すべての人々の国政参加、貧 と繰糸法の改善、動力機の水力から蒸気力へのその意味内容が異なってくる。田中耕太郎はそ にまで育成しようとする政治教育は、当然現実乏人を金持ちの圧制から保護すること、財産の 交替など ) が行われ、他方、原料繭の集荷なられを「政治の理念や現実に関する一般的な理論の政治批判にならざるをえず、それは国家権力極端な不平等の防止、公平な課税の実施などを びにエ女募集の制約を克服するために器械製糸や法則」と「現実の社会において存在する政党の側には、特定のイデオロギー教育として映述べているが、これらの考え方は、本書以前に 業の全国的な工場進出が始まってゆく。つま政派の立場や具体的な政策・主張」という二つる。そのとき国家は、物理的強制力を伴う権力書かれた『人間不平等起源論』 ( 一七五五 ) で展開 とう り、「機械」化への展望と小規模座繰製糸の淘の意味に解している。この場合、前者の意味での行使によってすらも、そのような教育を排除した思想を基礎にしていることは間違いない。 汰を通じて製糸資本の「独占」化が進んだとも政治教育とは「政治に関する一般的基礎的な知しようとする。しかし逆に国家も、教育の政治 この意味で本書は、『人間不平等起源論』と
能性が強くなる。民主主義的な政治は、政府と人間をいう。古代ギリシアのアリストテレスは は政治的存在たらざるをえないのである。↓政 一しことを指摘することができよう。ドイッチュ ムロ 〈堀江湛〉 は、社会生活における選好や優先順位を調整、市民の協調と対抗のなかでつくられる。一方が人間をポリス的動物とよんだ。人間は、他者と じ の協力なしに自分ひとりでは片時も生きていけ ー、 political cor ・ 政冶的腐敗せいじてきふま、 、決定することが政治であるとしていたが、こう大量の情報を支配し、他方が与えられる情報の ない弱い存在である。しかし同時に、他者から ruption 違法または不当な手段により公権力 した例に明らかなように、政治は、選好・優先単なる受動的な消費者に転化するとき、政府と せ のいっさいの拘束を排除して思いのままに生きを濫用し、特定個人 ( 自己を含む ) ないし特定 順位あるいは価値の対立を前提としている。こ市民の均衡は崩壊する。そのとき、自由な情報 たい自由を求める存在でもある。このため、人集団の利益を図ったり、図ろうとするところに の交換も民主主義的な政治も存在しなくなる。 の意味において、個人、集団、組織などの間の 間は社会を構成して他者との協力関係を維持す政治的腐敗は醸成される。典型的な事例として 情報交換において、なんらかの対立を引き起こすべての市民があらゆる情報にさまざまな角度 きょ・つおう から接近できるような社会環境の整備が、情報ると同時に、互いの相対立する利害の調整に努は、利権をめぐる金品の贈収賄または響応、 す情報は、政治性があるものとして位置づけら れるであろう。いいかえると、争点性の高い情 化社会になればなるはど必要となろう。↓情報めてきた。しかし、社会が発展してある一定の特定ポストや栄誉に関連してのスキャン、ダル、 〈谷藤悦史〉規模に到達すると、その社会を構成するすべて特定法案の成立または阻止を図っての政治的裏 科学↓情報化社会 報は、政治情報として位置づけられる可能性が の成員の利害にかかわる、その社会を維持し発面工作、選挙の際の腐敗手段、資金集めのおり 高くなるのである。しかし、すべての対立が政回富田信男・岡沢憲芙編「情報とデモクラシ ー』 ( 一九会・学陽書房 ) ▽福岡政行・谷藤悦展させるうえで必要な共通の公共的問題が発生の裏取引などがあげられる。 治として規定されないように、対立を生み出す 政治的腐敗の歴史は古く、宮廷政治や領主政 史他著『現代の政治過程』 ( 一九全・学陽書房 ) し、これについての意思を決定し、問題解決を 情報のすべてが政治情報ではない。社会の構成 ちょうあい 員によって、ある価値の実現のために関連性が 政ム的亠見任せいじてきせきにん political re- 図ることが求められるようになる。この公共の治の下でも、特定ポストや有力者の寵愛を求 問題に対する意思決定が政治である。この意味めて工作が行われたり、商取引の独占を図って あるとして認められ、広く共有されればされる sponsibility 法的責任と異なった次元で、政 ほど、すなわち制度化されればされるほど、そ治家が法律に基づく司法判断における責任を免で、社会と政治は人間の生活にとって不可欠な贈収賄がなされた。近代市民革命は、こうした れてもなお社会に対して負うべき責任のことをばかりでなく、避けて通ることのできない存在旧支配層の腐敗・汚濁の糾弾を一つの課題とし の情報は政治性を帯びるといえよう。つまり、 た。しかし、市民革命によって近代国家が成立 いう。・ウェーバーは、政治家にとって必要といわなければならない。古代ギリシアにおい 情報の交換過程においてなんらかの対立を生み しても腐敗は絶えず、政・財・官各界の新たな 出した情報が、社会の構成員が共有している情とされる資質として、情熱、洞察力、そして責ては、ポリスは人々にとって全体社会であると 報にかかわればかかわるほど、その情報は政治任感をあげている。さらに、心情倫理と責任倫同時に、政治生活の繰り広げられる一つの完結癒着、国家権力の肥大化、選挙戦の熾烈化など 的なものになるといえよう。このように、争点理を区別し、行為の目的とかそれに対する熱意した政治の世界でもあった。アリストテレスのは、政治的腐敗の温床を用意した。 イギリスでは、一七二一年に首相となり ( 二 このことばは、人間が生きていくうえで社会と によって結果を正当化する心情倫理ではなく、 性と共有性が政治的情報の特質として指摘でき るかもしれないが、 それは、あくまでも相対的結果そのものに対する責任を問う責任倫理が政政治に対するかかわりがいかに深いかを喝破し回目 ) その後約二〇年間首相の任にあったウォ たものである。 ルポールは、一方ではイギリスの政党政治の確 なものである。 治家には要請される、としている。一般の人々 社会が発展して政治の発生をみるようになる立に貢献したが、他方では多数派工作のために うまでもなくの社会関係においては、正当な目的をもち、そ 〔情報化社会と政治〕情報は、い 私たちの生活過程や社会過程をコントロールしの目的実現に向かって誠心誠意の努力をした場と、やがて、公共問題の処理を主たる任務とす金銭をばらまき、ポストを供与し、選挙干渉を まんえん ている。したがって、情報をコントロールする合、結果に対して責任を問われないことが多る統治機構、すなわち国家の誕生を促し、政治なして、腐敗を蔓延せしめた。またイギリスの 八三年に腐敗・違法行為防止法が 。心情から発した行為の結果が悪ければ、そそのものを自己の職業とする政治家やこれを助選挙は、一、 ことは、個人や集団や組織を、そしてまた社会 ける官僚が生まれるようになる。その結果、こ制定されるまで汚濁に満ち満ちていた。またア そのものを支配することを意味している。情報の責任は行為者にではなく、悪い結果を導いた は、支配と被支配の関係をつくりだすための重条件にあると考えられる。しかし政治家は、社のような政治発展はその社会のすべての成員をメリカでは、一九世紀におけるニューヨークの 要な権力手段なのである。とりわけ、情報の収会に対して包括的な影響力をもち、その言動に政治的意思決定の対象としながらも、政治家やタマ一一ー・ホールに代表されるようなポス支配 に伴う腐敗が、かっては随所にみられた。時代 よって大衆の生活が左右されるのであるから、官僚以外の成員を政治的意思決定から排除する 集・加工・貯蔵・検索・生産という情報過程に は下り、最近では一九七二年のアメリカ大統領 深い洞察力によって行為の結果を予見できる人という事態を生み出す。ここから、自己の利害 かかわることが社会的威信となるような情報化 にかかわる政治的意思決定への直接間接の政治選挙のおりのウォーターゲート事件のような特 社会においては、そうした情報過程に影響力をでなければならない。結果を判断できた以上、 行使できるか否かが、支配と被支配関係をつくその結果はその人の行為の責任といわざるをえ参加を求める政治的権力闘争が発生する。デモ異な事件も起こっている。 日本にあっては、明治期の教科書疑獄、日糖 クラシーとは、このような政治的意思決定が、 ない。現実には、法的責任とは無関係に選挙結 りだすための重要な要件になる。ベル D. Bell ) は、成熟した産業社会ののちに登果で政治家や政党の地位が左右されるので、選その決定の対象となるすべての社会成員の参加事件、大正期のシーメンス事件、昭和戦前期の ゅ ) つん・、 場するポスト産業社会において、知的技術に精挙が政治的責任を問う機会となる。責任の基準の下に、彼らの間から選出された代表によって松島遊廓移転事件、売勲事件などが歴史に汚点 なされ、その代表はその意思決定の結果に対を記し、戦後にあっては、復金融資をめぐる昭 通した人々が台頭すると指摘したが、まさに情はそれそれの社会の政治文化によって異なる。 報化社会においては、情報過程を支配する「情今日のマス・デモクラシーにおいては、受動的し、つねにすべての社会成員に対して政治的責和電工事件 ( 昭電事件 ) 、造船会社への利子補 報エリート」が政治エリートとして台頭する可な大衆を操作することによって、心情倫理的基任を負うことを制度的に義務づけられた政治シ給などの助成策に関連しての造船疑獄、航空機 ステムにほかならない 。このような社会成員の売り込み工作をめぐるロッキード事件などが起 能性が高くなるのである。とりわけ、資金力、準へのすり替えも行われている。〈大谷博愛〉 専門技術と知識、マン・。ハワー、組織、最先端 政治的多元主義せいじてきたげんしゅぎ 0 政治的意思決定は、国家や国際社会、地方自治こっている。戦後の事件のほとんどは、重要ポ たげんてきこっかろん 体といった公的政治制度においてばかりではなストにある人物がその地位を利用して特定企業 技術を背景に、政府・官僚機構、大企業、政党多元的国家論 とう」う に利益を与えようとし、その見返りとして多額 く、地域社会やさまざまな団体内部においても などが、社会の情報過程に大きな影響力を行使政冶的統△ロせいじてきとうごう 0 統合 なされているのである。このような政治と離れのリべートや政治資金が流れたという疑惑をめ している。多くの市民は、大量に供給される情政冶的人間せいじてきにんげん political ぐって起こっている。 報を前に、受動的な情報の消費者に転化する可 man 政治学の用語で、政治的存在としてのて人間は人生を送りえないという意味で、人間 しれつ
すわる でんば 〈秋谷治〉 問題である。たとえば、一九七九年のケニアの地方とよばれる地域を含む。諏訪湖を中心とする。一九〇五年からの・ヘンガル分割反対闘争の た唱導者により伝播伝承された。 おかや なかでテイラクらが政治スローガンとして打ち 回「甲賀三郎の物語』 (r 定本柳田国男集 7 』所国勢調査で自らをスワヒリ人として申告した人る地域は岡谷・諏訪の両市と下諏訪町からな り、製糸工場から変わった精密機械工業が発展出し、翌年の国民会議派カルカッタ大会で、初 収・一九六一一・筑摩書房 ) ▽松本隆信校注『新はわずか八〇〇〇人ほどであった。しかし最初 めて公式に政治目標として採択された。一時英 に述べたような意味でのスワヒリ人の人口は数している。山浦地方は標高九〇〇 ~ 一二〇〇 潮日本古典集成御伽草子集』 ( 一九〈 0 ・新潮 十万と考えられている。スワヒリ語は、この海の高原地で、高原野菜の栽培が一部で行われる語の「ホーム・ルール」にとってかわられる 社 ) たかしまはん が、二七年にはサイモン委員会ポイコット運動 岸地域に古くから住んでいたバントウー系のほか、近年別荘地に開発されている。盆地内は 諏訪藩すわはん 0 高島藩 ーーごアフリカ東海岸に話さ人々のことばとアラビア語が混交してできあが諏訪湖、温泉など観光資源が多い。〈小林寛義〉のなかで国民会議派の目標が「プールナ・スワ スワヒリ語 しなの すわよりしげ ( 一五一六ー四一一 ) 信濃国ラージ」 ( 完全独立 ) と規定され、二九年の国 れていたバントウー系のある言語に、季節風に った一一一〔語で、ケニア、タンザニア、ウガンダを諏訪頼重 ぎようぶだい 乗って海路交易にやってきたアラブ人の一一一一〕語の中心とする東アフリカ一帯で共通語としても用 ( 長野県 ) 諏訪を根拠とした戦国武将。刑部大民会議派ラホール大会でも「自治領地位」を否 あきのかみ 輔、安芸守を称す。一五二〇年 ( 永正一七 ) 諏定し、このプールナ・スワラージを政治目標と いられている。 影響が加わって形成された広域共通語。タンザ よりたか かみしやおおはうり 〈内藤雅雄〉 して採択した。↓スワデーシー スワヒリ人は一二世紀までには独自の言語と訪大社上社の大祝となる。父頼隆が早逝した ニア、ケニア、ウガンダ、ザイール東部などで よりみつ 彼らは小 文化をもっ民族として出現していた。 , ため、三九年 ( 天文八 ) 祖父頼満の死去に伴座り込みすわりこみ sit-down 運動主体 話され、話し手人口数千万人に達するプラッ そ・つりよう 、諏訪惣領家を継いだ。同年、甲斐国 ( 山が特定の場所に座り込むことによって、運動の ク・アフリカ最大の言語の一つである。ただ都市国家を形成し、後代に石造りの宮殿やモス めと のぶとら 梨県 ) 武田信虎の娘を娶り、祖父以来の同盟関敵に対して直接的な打撃を与えることを意図し ク、年代記、鋳造貨幣などを残した。こうした し、その話し手の多くは各自の部族語を母語と する人々である。一一一〔語的には、名詞がかなりの都市国家群のなかで代表的なものは、パテ、キ係をさらに強固なものとして、諏訪周辺への所たり、自分たちの要求を第三者に広くアピール したりすることをさす。本来はおもに、労働者 サンジバレ、。 ヘンバなどで、アラ。フ圏や領拡大を図った。また、これより以前、頼重と 数のクラスに分かれ、どのクラスに属するかでルワ、。 おがさわら 小笠原氏の家臣小見氏の娘との間に生まれた女が生産点に座り込み、自分たちの職場を守り、 インド、アフリカ内陸部を結ぶ交易 ( 金や奴隷 修飾する形容詞などの形の一部が異なるなどバ しんげん ントウー語としての特徴を保持し、身近な語彙を含む ) によって栄えた。スワヒリ人のアイデ子が信玄に嫁いでおり、勝頼を生んでいる。し職制に対して直接的な攻撃をかける闘争 ( シッ かし、四一年信虎がその子信玄に追放されたのト・ダウン・ストライキ sit-down strike) の ンティティを形づくっているのは一一一一口語 ( スワヒ もおおむねバントウー起源である。母音は五つ リ語 ) と宗教 ( イスラム教 ) である。スワヒリを契機として、武田氏との関係は一変し、翌四ことをいった。これは、会社側のロックアウト で、アクセントは一型化している。地域によっ 二年に至り、信玄の攻撃を受けて降伏、頼重はを防いだり、団体交渉に応じない会社側を交渉 てかなりの方言差が認められる。 ^ 湯川恭敏〉語は古くからアラビア文字で表記され、優れた のテープルにつかせたり、組合員の団結力を固 回和崎洋一編『スワヒリ語・日本語辞典』 ( 一九年代記や文学の伝統を残している。またスワヒ甲斐へ拉致され、迫られて同年七月二〇日自殺 〈郷道哲章〉め、表示するために有効であった。現在では労 リ人はイスラム教徒であることでより広いイスした。 台・養徳社 ) そく SwahiIi 東アフリ ラム世界とも結び付いている。 〈加藤泰〉スワラージ Swaräj インド諸語で「自己働組合連動だけではなく、社会連動一般におい スワヒリ族 の支配」を意味する。マラータ王国の創始者シて、自分たちの要求や主張を広く国民にアピー 力のケニア、タンザニア、モザンビークの海岸諏訪盆地すわばんち長野県中央部、本州 ルするために用いられることが多くなってい ージーは、ムガル帝国に対抗するヒンドウー 中央部を横断するフォッサ・マグナにできた盆 地域に住むスワヒリ語を母語として話す人々。 へいたん 人種的・部族的に独立した集団ではなく、だれ地。狭義には諏訪湖を中心とする平坦地だけをの独立国家をスワラージャと表現したが、近現る。↓争議行為↓デモンストレーション↓ハ さんろく たてしな 〈矢澤修次郎〉 いうが、広義には八ヶ岳、蓼科火山山麓の山浦代インド史では広く「民族の独立」を意味すンガー・ストライキ が「真のスワヒリ人」かというのはむずかしい 座るすわる 〔意義〕人間の標準的な三体位 〔座り方の変遷〕 「座ることの分類〕膝を曲げ重ねて座る / 膝を曲げ横に 倒して座る / 膝を曲げずに座る / いくつかの組合せ 座る生後 6 か月ぐらいになると , 自分で「お座り」ができる なる。人間は、乳児の時期までは寝たままの状態で、座るこ による座り方 / 跪座から正座へ 〔正座の意味〕膝蓋軟骨軟化症 / 変形性膝関節症 / 正座とも立っこともできないが、首がすわり頭が支えられるよう に脊柱起立筋が発達してくると、座ることができるようにな と膝関節 / 膝と椅子 また る。赤ん坊は、生後六か月になると、頭と脊柱を伸ばし股を 意義 曲げ開き、膝を軽く曲げ、安定した姿勢で座るようになる。 座るとは、疲れたら座る、座って仕事をする、座って話を一方、立っことができないのは、下肢の筋力が弱いか、骨や ししろいろな目的のための一つの関節に支持性がないか、また骨や関節に痛みがあるというよ する、などでわかるようこ、、 体位である。ここでは「座る」ということを大まかに「立うな場合で、生体力学的には下肢機能不全の状態をさす。 座っていることは、下肢で軅幹を支える必要がなくエネル つ」と「寝る」との中間の体位としてとらえていく。したが す って道具を使用しての座ること、つまり、椅子や縁台に腰掛ギー消耗の少ない姿勢であり、疲れると座って休むのは、下 ける・柱に寄りかかる・馬にまたがる、などとは区別して考肢の機能を休め、回復を図る姿勢でもある。たとえば、座っ て仕事をする、座って話をすることは、立ってすることより えてみる。 も、肉体の疲労、下肢の疲労も少なく、長く持続できる。 座る姿勢を少し詳しくみていくと、足の甲を床面に密着さ せる場合と、足底をついて座る場合とに分けられる。いずれ〔人間の標準的な三体位〕日常生活のなかで、もっとも普通 ギ、こっかかと せきちゅう な体位は次の三つがあげられる。 にしても坐骨を踵部にのせ、その上に脊柱が重なることに かつより くかん 245
せんすす 潜水服 ウェットスーツミ 1 ジャケット ヘルメット型潜水服 レ 3 靴 水 ドライスーツ 君水 防水ジッパー マスク シュノーケル ウェットスーツ LP ホース ス / 、イラ丿レ ホース ネックシール 送気ホース 電話線 信号索 才非気 / ヾルプ 吸気ノヾ丿レプ カ 0 タンク 工アタンク 残圧計 水深計 インフレーター ウェイトベルト ーー - ー水中温度計 タイバーズ ウォッチ カフスシー丿レ 胴締帯 腰 / ヾ丿レプ ゴム袖 吸気ロ 排気弁 ドレーンコック 首輪 リスト コンノ、ス グローフ レキュレーター 股当て 水中ライト シールの構造 膝当て ナイフ ンド 蝶ねじ 靴先金 フィン マリンシュース 鉛錘かけ も明らかにしうる利点がある。その反面、調査は「人々の間で共通の」という意味である。こ 費用が多額に上ること、調査結果の集計・編集のように分析すれば、第三の意味として「人々 に共通した判断能力」をたてる可能性が現れて が容易でなく公表までに時間がかかること、な くる。そして事実、そのような概念もまた存在 どの欠点がある。したがって、この調査方法 は、比較的限定された対象集団に対してか、あした。これら三者の間には微妙な相関関係があ る。これらを順次みてゆくことにしよう るいは逆に、国民全体などの大規模集団につい 〔共通感覚〕五感を統括する内部感覚としての て、その規模と基本構造を五年、一〇年という 比較的長期の時間間隔をもって調査するのに用共通感覚という概念は、アリストテレスに始ま いられる。後者の例が、国勢調査に代表されるり、スコラ哲学に継承された。その機能は、ま ず相異なる感覚のデータを識別することであ センサスである。↓センサス↓国勢調査 〈高島忠〉る。たとえば角砂糖は、視覚的には白いもので 標本調査 センスガイ〔扇子介・扇子貝〕 crisp cor ・あり、味覚上は甘いものである。この白さと甘 ・一うちょ、つ a 一 \ FI ~ 、き s こミ ~ 、ミ腔腸動物門花さをわれわれは混同することなく感じ分けてい 虫綱六放サンゴ亜綱イシサンゴ目センスガイる。それは感覚の働きではあるが、視覚や味覚 の上位にあるものである。そこでアリストテレ 科に属する海産動物。センスガイ科の種はすべ て単体で、囲壁がエ。ヒテカとよばれる形質ででスは共通感覚ミ盞さ言 \ k 三 né aisthe- というものを措定し、これにその機能 きていて、セプトテカでできているチョウジガ sis を帰した。しかし、白さと甘さを感じ分けるこ イ類諸科と区別される。フラベリウム属 F ・ きようしん ~ をミは莢心に軸柱の発達が悪く、下端はやとは、それそれ視覚により、味覚によって感じ やとがり、根様突起を備えず、サンゴ体は側方取っているのだということを知っているからこ へんあっ に扁圧された形になる。幼時は付着生活をするそ可能なことであろう。すると共通感覚は、感 が、成長すると柄部が切れて自由生活をする。覚作用そのものについての反省的意識を伴うこ 世界中の海域に分布し、普通は一〇〇 ~ 三〇〇とになる。さらに、白さと甘さを角砂糖という 明の大陸棚上にみられるが、三〇〇〇以深に同一の対象に関係づけることや、対象の大きさ . レ も生息する。センスガイはサンゴ体上縁が半円や運動もしくは静止の状態などを知覚する働き そくりよう 状に突出し、側稜のなす角度は八〇 ~ 一一〇の能力とされる場合の共通感覚は、なるほど五 rk 度で、側方から見ると扇子を開いた形に似る。感を総合する能力ではあるが、すでに感覚とい フ 世界共通種で、日本沿岸でも太平洋および日本うよりも精神の働きとみるべき点が多い。なお カ 海の大陸棚七〇 ~ 六〇〇にもっとも普通に産内部感覚としては、共通感覚のほかに、像を保 レ 存する記憶と、その像を呼び出す想像力がたて する深海サンゴである。 られたが、スコラ哲学を経て近世になると、た 近縁種にウチワサンゴ F. きミ、ミを シ ク とえばデカルトにおいて、この三者は一つの器 き、ミ、莢面が菱形のキンシサンゴ F. だえん d ミ ~ ミ s 、莢面がやや楕円形でほとんど円筒形官の働きとみなされるようになる。 ネ 〔常識〕センスス・コムニスに相当する近代語 をしたクサビサンゴ F. 、、、ミ ~ s ミ ) ミ、下端に はどれも、日常用語としては常識を意味する 根様突起をもったタコアシサンゴ辷 0 、 ~ 0 ミミ s 〈内田紘臣〉 が、この概念は古典ラテン語にさかのばる。キ こ 0 ~ ・などがある センスス・コムニス sensus communis ケロやセネ力の文中に現れる「センスス・コム イギ sens commun C0n11 ゴ on sense ニス」は、世間の人々が共有しているものの感 じ方、考え方のことである。 Gemeinsinn 0 通例、「共通感覚」と「常 常識概念を哲学の中心に据えたのは、一八世 識」という二つの意味に区別される。この二つ 紀スコットランドの「常識学派」である。彼ら の概念にあっては、 sensus の意味も commu- は、事物の実在を単なる観念に還元したヒュー nis のさすものも異なっている。 sensus は、 共通感覚の場合には「感覚能力」の意味であムの懐疑主義を克服するために、常識を手だて とした。その代表者であるトマス り、常識の場合には「ものの考え方」もしくは 外界の事物から感覚的な刺激を受け取ると同時 「意見」の意味である。これに応じて「共通」 れ ひであるものも、前者の場合には「諸感覚に共通 に、われわれは知覚の作用においてその事物の 3 現存を確信する、と考えた。この確信こそ常識 7 した」の意味であるのに対して、後者の場合に
したがって政治にはつねに さらにまた、現代の政治では、個人の私生活とも否定しえない。 今日では、政治を「集団の政策 ( 意思 ) 決定度からみる場合、そこに当然「権力」の問題が 化、非政治化が進行するとともに、社会の政治賭けの要素があり、決断を必要とする。とりわ 過程」とみる見方、あるいはそれに類した規定関連してくる。なぜなら「権力」はラスウエル け危機的状況においては政治における決断の要 日にほかならな 化が進展してあらゆるものが政治に組み入れら によれば、「意思決定への参力」 の仕方が一般的に行われている。この場合の 素が重要となる。未来づくりのための賭けを回 。「孤独なる群衆」の増大とともに、 いからである。この面からいえば、「政冶」はれていく 「集団」はもちろん国家や地方自治体にとどま らす、いろいろな社会集団や、国内的、国際的「権力過程」であり、また「権力関係」という「集団の噴出」が至る所におこって政治過程に避するとき、政治は守旧的、現状維持的とな り、自ら危機を招くに至る。 団体を含む。また「政策決定過程」とは、広義流動的な状況を抜きにしては考えられない。決それそれ影響する。 歴史の転換期にたたされているといわれる今 政治は、価値や目標をめぐる闘争であるとと には目標の選択、目標達成方法の決定、そして定作成過程に参加し影響力を行使するには、暴 それらの実施あるいは実行の全過程を表す。力行使や利益誘導、さらには理性的説得から宣もに、手段や方法の選択をめぐる闘いでもあ日、政治のもっ末来形成的機能は改めて注目さ ヾル ( 地 伝やシンポル操作に至るまで種々の方法がある。ところで、政治に価値や目標を提供するもれる必要がある。今日、政治はグロー 「政策決定」 policy-making は「政策形成」と る。したがって、政治にとって不可欠な要素とのが「神話」であり、手段、方法を提供するも球的 ) なかかわりをもっとともに、未来へのか 表現される場合もあり、また「意思決定」 deci- sion ・ making は「決定作成」という表現が用しては、暴力ないし実力、利益や価値、情報やのが「技術」である。こうした観点からいえかわりをもっことが、強調されなければならな 〈飯坂良明〉 ↓政治権力 のい , つよ , っ ば、政治は・・マッキー いられることもある。政策決定と意思決定とは知識、そして思想やイデオロギーなどがあり、 せいじいしき political conSC10t1S- に、神話と技術の複合体であり、そのどちらを政冶意識 同じ意味に用いられることもあるが、意思決定またこれらのものを組み合わせて行使するため 欠くこともできない。神話は、イデオロギーや ness 一般に、政治に対する信念、態度、判 のほうがより広い意味に用いられている。政策の組織や集団、さらにこうした決定作成をめぐ 信念という形で人間の非合理的な意思や感情に断、思考、感情などの心理的事象および行動様 決定は政府の行為に関して用いられることが多って権力闘争が行われる際のルールや手続、制 式を政治意識という。英米の政治学では、人々 訴え、技術は、それが自然科学的技術であるに く、また、政治に関して意思決定の語が用いら度なども政治には不可欠である。 政治は権力をめぐる、そしてまた権力を基礎せよ、組織化、制度化といった社会的技術であが政治状況や事象に対してもっ選好や価値によ れる場合、たとえば選挙は一つの意思決定過程 って規定される心理的指向を政治的態度、政治 とした決定作成過程であるが、権力関係はきわるにせよ、人間の合理性に訴えかける。神話を ではあっても、狭義における政策の決定ではな い。けれども、政治過程全体をさして政策決定めて流動的、可変的であって、市民社会の段階人々に植え付けるために種々の政治的儀式がっ的態度の表現形態を政治的意見・政治行動、政 くりあげられ、演劇的効果が盛り上げられる。治社会内の人々の行動を支配する基礎的な前提 から大衆社会、情報化社会へと社会の性格が変 過程という場合には、政策決定者を支持するも 化するにつれて、社会の人々の意識や相互関係他方、技術は有効な手段としての効率を優先さやルールを供給する態度・信条・感情の集合を のとしての選挙もその一部に含まれる。いすれ 政治文化と称しているが、政治意識の概念は、 がますます流動化し、権力の基盤や態様も変化せ、ときとして独裁的支配や大量虐殺といった にしても政治を政策決定過程とみる見方は、伝 それらの諸概念にも対応する包括的概念であ 統的政治学の静態的、制度論的な政治の見方にする。たとえば、今日ではマス・メディアが政非人間化を促進することがある。 こうして政治は、自己のうちに二律背反的要る。このため、政治意識の分析は、政治哲学、 対して、政治の動態や過程を重視する行動論的策決定に大きな影響を及ばすに至る。また社会 政治学あるいは現代政治学とよばれる立場にたの変化につれて政治の争点も変化する。たとえ素を含み、天使にも悪魔にも奉仕するというあ政治思想、イデオロギー、政治的意見と世論、 政治的イメージと政治的態度など広範囲にわた いまいさをもち、しかも人間の運命を決定的に っ政治の定義であるといえよう。この政治の見ば、豊かな社会の登場とともに、経済的、物質 っているが、全体としては、①個人の政治意 左右するという深刻な側面をもっているから、 方は・ラスウエルによって代表されるが、も的利益をめぐる争点から、生きがいや環境の問 題といった「生活の質」あるいはライフ・スタ政治の本質を見極め、これに正しく対処するこ識、②集合的政治意識のタイプ、③政治意識の う一人の代表的なアメリカの政治学者・イー 社会における分布とその効果などが問題とされ とが不可欠である。 ストンは、政治を「社会に対する価値の権威的イルの見直し、そして高齢化社会における福祉 ところで政治は、人間の社会的、集団的共同る。 配分」と定義した。これもラスウエルの政治のや生きがいの創出などに関連する施策に、政治 ーソナリティー、性 政治意識の形成には、パ 生活を維持し、存続させるための共同的決定作 の争点は移行する。 定義と同工異曲である。というのは、政治は、 政治においては、以上のような絶え間ない流成過程であることはすでに述べたが、この営み格などの個人的要因、年齢、性別、職業、社会 形式的にいえば「政策決定過程」であり、内容 によって人間の生活条件が改善され、社会的環的地位、階級、帰属集団などの社会人口学的要 動化、状況化がみられるとともに、他方で権威 的にいえば「価値の権威的配分」ということに の正統性や秩序の安定を求める制度化の過程が境の整備が図られる。これを政治の順機能とよ因、文化的要因、歴史的要因などさまざまな因 なるからである。 こうして、政治を「国家」という制度・構造進行する。この過程のなかで支配と被支配、エび、これに逆行するような政治の働きを政治の子が重層的に影響を与える。社会を構成する諸 いうまでもなく政治の順機能の個人は、こうした因子を前提として、社会で一 リートと大衆といった役割や機能の分化が固定逆機能という。 から説明するのではなく、逆に「国家」を政治 化される。こうして政治においては状況化が進促進は、共同生活を営むすべての人の責任であ般に通用している政治的価値や態度を学習しそ という過程・機能から説明しようとするところ る。 れらに同化していく政治的社会化や、支配者に に行動論的な政治の定義ないし見方の特色があめば進むほど不安定となり、制度化が進みすぎ 政治は、現状の不備を改善し、人間の共同生よる政治的教化を通じて、固有の政治意識を形 ると政治は硬直化して自発的政治参加が低下す る。そして政治という機能が認められる限り、 る。政治には両者のバランスがたいせつであ活のためのよりよい環境を形成するという目的成する。また、こうした個人の政治意識を基本 それが「国家」とはいえないような「原始社 を志向するものとして、末来づくりをその本質として、世論、政治風土、政治文化などの集合 会」や「種族社会」であっても、これを政治研る。 今日の政治では、一方で政治参加の幅が広が的特徴の一部とする。政治は未来の形成に重大的な政治意識が形成されるのである。 究の対象とすることができる。 〔政治意識の過程と構造〕個々の政治意識やそ な関係をもつ。しかも今日では、末来形成のた 〔政治の本質的特徴〕政治とは何かという政治れば広がるほど、他方で官僚制が肥大し管理化 めの予測や計画が、それに必要な情報の収集やれらを基礎とした集合的政治意識は、政治的リ > の意味、あるいは政治をして政治たらしめる本が進行するという二律背反がみられる。 ーダー、政党、圧力団体、官僚、マス・メディ また一方で政治的無関心が増大すればするほ処理によって、従来よりもはるかに正確かっ迅 じ質的特徴が、政治概念、そして政治の定義には ど、他方で政治的ラディカリズムの運動も進行速になされるようになった。けれども未来形成アなどの諸制度を通じて政治体系内部の決定領 含まれていなければならない にはつねにまた多かれ少なかれリスクが伴うこ域に伝達され、そこで、政策や決定に移し変え 3 ところで、政治を政策 ( 意思 ) 決定という角するという矛盾がみられる。 せ
せまんて セミ / 体制模式図 〔背面〕 単眼 触角 頭部 〔腹部腹面〕 〔頭部前面〕 単眼 複眼 翅脈 触角 額片 複眼 上唇 産卵管 前胸 ( 雌 ) 腹弁 部 胸 頬板 唇 下 中胸中脚 〔発音器〕 腱突起 ループも多い。セノイ同様、双系 ージを意味空間にプロットした場合、白はほば ~ 二節の変形によるもので、 > 字状に腹面で癒 の親族組織をもち、大部分が双処中央に、そして赤と黄、青と緑が、それそれ比合した一対の太い発音筋と、その先端 ( 背面 婚である。居住単位は、五から一較的近くに位置づけられるかもしれない。 側 ) に付着する貝殻のような形をした発音膜 〇の核家族からなるキャンプであ この測定法を用いる場合に問題となるのは、 (tymbal) である。発音筋と発音膜は三角形の る。各家族は、木の枝とヤシの葉限られた数の概念や形容詞対からできるだけ多薄い腱で連結される。筋肉のすばやくて振幅の できわめて簡単な差し掛け小屋をくの情報を得るためこ、、ゝ しし力なるものを選ぶか 小さい伸縮により発音膜が振動する。 つくる。キャンプの構成家族は、 ということである。オスグッドらは、測定に用 音を増長する共鳴室腹部内にみられる空間 一組の老夫婦と結婚した息子や娘 いるのに適した形容詞対を取り出すための基礎で、ときには共鳴室が発達して腹部全体が空洞 という拡大家族が一般的である的研究を行い、よいー悪い、愛されるー憎まれのようになることがある。 が、東部ネグリトでは流動的で、 る、などのような評価 evaluation 、積極的ー ③鳴き声のリズム・抑揚をつける部分背弁と 室 膜筋 鳴板音弁音きわめて移動性の高い生活を送消極的、重いー軽い、などのような力量 po- 腹弁がこれにあたり、発音器の保護も兼ねてい 共腱発腹発 る。↓ネグリト 〈ロ蔵幸雄〉 tency 、そして、活発なー不活発な、興奮しやる。とくに腹弁 ( 後胸の一部が発達したもの ) は、腹面側を覆い、すきまを開閉することによ セマンティック・ディフすいー冷静な、などのような活動性 activity の三つがとくに重要であることをみいだした。 り、種独特の鳴き声となる。腹弁の形状は種に アレンシャル去 semantic differential method ↓意味論↓心理一一 = ロ語学 〈原純輔〉より多少とも異なっていて、同定に役だっ部分 法、意味差判別法、または意回岩下豊彦著「オスグッドの意味論と法』である。 味微分法ともよばれる。人間の行 ( 一九七九・川島書店 ) 聴覚器官 ( 耳 ) は第二腹節腹面の両側にあ きょ - つまく はんし 動は、自己の置かれている状況やセミ〔嬋〕 cicada 昆虫綱半翅目同翅亜り、薄くて透明な鼓膜 tympanum ( 鏡膜とも ちょつきのう 目セミ上科 Cicadoidea 向けられている対象が、自己にと に含まれる昆虫の総 いう ) と、その側方にある聴器嚢からなる。鼓 っていかなる「意味」をもってい 称。中形から大形の昆虫で、体長八 ~ 七〇 : リ 膜上に伸びる聴突起から聴器嚢へと振動が伝わ るかによって左右される。アメリ 頭部には左右に離れた複眼、頭頂部に三角形に る。雄では、発音中には聴覚器が働かない。 こうふん 膜力の心理学者オスグッドらは、行並んだ三個の単眼、短い触角がある。ロ吻は長〔分類・分布〕セミはアワフキムシ、ヨコバ 動を生じさせるために重要な役割く、畳んだ際には中脚または後脚まで達する。 イ、ツノゼミに近縁の昆虫である。種々の形態 よろい 弁膜 背鏡を果たしている表現的・感情的な前胸背は鎧状の内片と板状の外片からなる。中的特徴から、アワフキムシにとくに近いと考え 意味に注目し、その測定法を開発胸背は丸みがあって大きく、はっきりとした斑られている。 もん 紋をもっことがある。中胸背の後方には隆起し 世界に分布するセミは約一六〇〇種といわ 普通、測定は、弁別される概念 た部分があり、その形から X 隆起とよばれる。 れ、それらの多くは熱帯・亜熱帯地方にすんで しようじゅんばん とそれを弁別するための相反するこれは、ほかの半翅類における小楯板に相当 いる。とくに、中央・南アメリカと東南アジア 形容詞対の尺度を被験者に呈示するものである。はねは一様に膜質で堅く、透 には多くの種が知られている。セミ ( セミ上 し、五 ~ 七段階程度で評定され明のことが多い。前翅は長く三角形で、後翅は 科 ) には二つの科が認められ、一つがセミ科 る。結果の表示と分析にはいくっその二分の一から三分の二の長さである。はね Cicadidae で、もう一つがテティガルクタ科 かの方法があるが、たとえば には太くてしつかりとした脈が通り、前翅の翅 ( ムカシゼミ科 ) Tettigarctidae である。後者 「月」という概念を、美しいー醜端近くにある四本の横脈上に暗色紋をもっこと は中生代ジュラ紀に栄えた原始的なセミで、体 うれしいー悲しい、暖かいー がある。脈の通り方はセミ全体で共通してい 中に長毛が密生し、頭部が小さく、左右の複眼 冷たい、 といった形容詞対で評定る。三対の脚のなかで、前脚が太く、ほかの同が近接し、三個の単眼は大きい。発音器も未完 させたならば、非常に美しく、や翅類 ( ョコバイ、アワフキムシなど ) と異なっ成の状態で、聴覚器を欠いている。化石種が多 や悲しく、冷たい、という評価がて、後脚が跳躍脚とはならない。雄の腹部には いが、オーストラリア南東部に二種が現生して 与えられるかもしれない。「月」 特殊化したりつばな発音器があり、一方、雌の いる。いずれも山地性で、昼間は樹皮下に隠 という概念の意味内容は、評点の腹端には太くて鋭い産卵管がある。この産卵管れ、夜に活動する。セミ科は六亜科に分けられ プロフィールで表される。また、 は左右二本からなり、それそれの外側先端部に るが、どの仲間でも少なくとも雄は発音する。 のこぎり 複数の概念を弁別するために重要は鋸の歯のようなぎざぎざがある。 聴覚器も備えている。発音器が完全で、背弁を と思われるいくつかの形容詞対を〔発音器・聴器〕セミは大声で鳴く昆虫としてもっセミ亜科にはもっとも多くの種が属し、普 取り上げ、意味空間を構成し、そ知られる。セミにとって発音活動は生活のうえ通、セミといえばこの仲間をいう。セミ亜科 こに概念をプロットすることによで重要な役割を果たしている。 Cicadinae に似ているが、背弁を欠くことで区 って、意味の類似性を把握するこ セミの雄の発音器は大きく分けて、次の三つ別されるチッチゼミ亜科 Tibicininae にも世 ともできる。たとえば、赤、白、 の部分からなる。 界で多くの種が知られる。そのほか、中胸背に 黄、緑、青というような色のイメ ①音 ( 基音 ) を発生する部分これは腹部第一 やすり板からなる副発音器をもっテティガデス 背弁 後脚 部 腹 X 隆起 ( 小楯板 ) ( 雄 ) 後翅 はん