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検索対象: 日本大百科全書 15
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1. 日本大百科全書 15

ちえこす 両共和国の経済指標の変化 耐久消費財の普及 ( 人口千人当り : 台 ) 品目 1960 年 1970 1980 チェコ スロ / ヾキアチェコ スロ / ヾキア 年 1960 1980 1960 1980 1948 1980 1948 1980 洗濯機 167 276 411 冷蔵庫 33 305 177 1948 年を 100 とする 国内における ラジオ 250 444 604 指数 比率 ( % ) テレビ 62 234 372 乗用車 17 57 139 109 116 145 72 . 1 67 . 6 27 . 9 32 . 4 116 150 72 . 5 69 . 7 27.5 30.3 注 : 「コメコン諸国統計年鑑」 ( 1985 年 ) による 112 127 103 139 325 174 578 82 . 0 71 . 4 18 . 0 28 . 6 436 1 193 468 1 475 70 . 2 65 . 8 29 . 8 34 . 2 260 635 338 1 103 80 . 9 71 . 3 19 . 1 28 . 7 349 957 523 2 498 86 . 7 71 . 4 13 . 3 28 . 6 432 1 200 429 1 710 72 . 1 64 . 7 27 . 9 35 . 3 132 191 147 221 71 . 0 67 . 3 29 . 0 32 . 7 チェコスロパキア独立以前にまでさかのばるこ とに開かれ、国民的な一大行事となっている。 に対して一〇一である。とくに妊婦と乳児に対 活動は、重要な意味をもっている。 とができる。一八七一年 ( 明治四 ) に派遣され 〔宗教〕憲法では宗教の自由がうたわれているする医療は完備され、生後一年までの乳児の死〔文化施設〕博物館はプラハの国民博物館をは いわくら じめとして二三二 ( 一九全 ) ある。各種あわせてた岩倉使節団のなかの数人の研修生はポヘミア が、宗教活動は、おおよそのところ国家の管理亡率は一〇〇〇人当り一五・二人にすぎない。 の各種の工場で技術研修を受けている。また今 下に置かれている。教会と国家の関係は多くの 年金は男が六〇歳、女が五三 ~ 五七歳 ( 育て図書館は一万三七七五あり、その蔵書数は約一 た子供の数で異なる ) から受け取れ、また鉱山二〇〇万冊 ( 一九会 ) に及ぶ。八二の劇場が一年日、広島の「原爆ドーム」として知られる建物 法律で規定されており、国家は各教会が必要と 間に延べ八六〇万人の観客を集め、人口一〇〇は、来日したチェコ人の建築家・レツツェル する経費 ( 聖職者の教育、建築物の維持と修理労働者や戦争中の抵抗運動参加者には、さらに の設計による。 なども含む ) を負担している。現在、チェコス優遇措置がとられている。一九八四年で年金生〇人当りの観劇回数は五五八回 ( いすれも一九 上・′、だい 日本でのチェコスロパキア文化の受容はおも 会 ) であった。歴史的建造物の数は大で、プ ロパキアでは一八の宗派 ( キリスト教各派とユ活者は三四〇万人である。 に文学を通してであった。第二次大戦前に、重 ラハ市に限ってもロマネスク期以降のあらゆる ダヤ教 ) が認められているが、もっとも多いの 文 はカトリックである。 建築様式が残っており、町そのものが美術史の訳ではあったが、チャベックやハシェクの戯曲 〔福祉〕医療はすべて無料で、医者の数は多〔概観〕チェコスロパキアの文化は長い歴史を最良の教科書であるといわれる。また、古い建が日本にも紹介され、築地小劇場で上演されて いる。戦後は、チェコ文学も直接チェコ語から く、人口一万人に対して三五・二人 ( 一九会、以 もち、その少ない人口に比べてはるかに大きな物の多くが今日でも使用されており、その維持 翻訳されるようになり、その範囲は小説や と修理には大きな労力が払われている。 下同じ ) であり、病院のべッド数は人口一万人貢献をしてきた。その文化は中世以来キリスト 教と深く結び付いている。またハプスプルク帝〔芸術〕近代チェコ文学とスロパキア文学の発童話を含む広い分野に及んでいる。 4 ・ -4 ーワ】ワ】 8 8 t•-— 0 0 《 0 チェコスロパキアでの日本に対する関心も決 0 ) 4 4 1 国内で、ドイツ化やハンガリー化の潮流に抵抗展は一九世紀の民族運動とも深いかかわりをも しながら、チェコ人やスロパキア人たちは自分っ。とくに一九世紀のチェコ文学は何人かの優して低くはない。第二次大戦前では、いくつか の日本についての旅行記が出版されたにすぎな たちの一一 = ロ語を守り、独自の文化形成に努力してれた作家を生んだ。そのなかでは『おばあさ きた。したがってその文化は、あらゆる分野でん』の・ニエムツオバーや詩人の・ネルダかったが、戦中から戦後にかけて日本研究は本 が有名である。また二〇世紀に活躍した作家で格的なものとなる。その中心はプラハのカレル その時々の政治や民族運動と深いかかわりをも は『兵士シュべイクの冒険』の・ハシェクや大学東洋学科で、そこを出た研究者たちの手に たざるをえなかった。第二次大戦後、とくに一 ・一うばう さんしよううお 九四八年以降は、社会主義という要素が加わ『山椒魚戦争』『虫の生活』など多くの小説、よって、『古事記』などの古典から安部公房や り、社会主義的文化革命がうたわれたが、いわ戯曲、童話を残した・チャベックは世界中で大江健三郎などの現代作家に至る多くの作品が ゆるスターリン時代が終わるまでの間は、社会翻訳され、親しまれている。さらに一九八四年翻訳されている。また文学以外では、柔道、空 主義の一面的解釈が行われ、文化の面でも画一 には、第二次大戦前から戦後にかけて創作を続手、いけ花などが多くの関心を集めている。 ・サイフェルトがノーベル文学賞 両国間の文化交流は近年、活発なものとな けた詩人、 化がおこり、文化活動が精気を失う結果となっ り、音楽家やスポーツ選手の来日が相次いでい た。それへの反作用として一九六八年の改革にを受賞している。↓チェコスロパキア文学 文学者をはじめとする知識人が積極的に関与す 美術では一九世紀の画家・マーネス ( 天 = 0 る。また一九八〇年と八二年のプラハ国立美術 ることになった。 ー七 l) に続い て、国民劇場の建設に加わった館の収蔵品の展覧会は人気を集めた。日本から 〔国民性〕長い間の他民族の支配と、それに対人々、すなわち建築家・ジーテック、彫刻家も、世界的に知られる「プラハの春」音楽祭に する抵抗という歴史のなかで、チェコスロパキ・ > ・ミスルべック、画家の・アレシュら多くの音楽家が参加している。 両国間の貿易は着実に発展しているが、全貿 アの慎重で冷静な国民性が形成されてきたとい の「国民劇場の世代」が現れている。またアー える。社会主義制度が採用されたのちも、それル・ヌーポーの代表的画家 < ・ムハ ( 一会 0 ー一九易高に占めるその割合は大きくない。一九八四 までの長い習慣、とくにキリスト教の習慣は 三六 ) はバリで活躍したため、むしろフランス語年で、日本からの輸出は六二九九万七〇〇〇ドル ( 対共産圏輸出の〇・六 % ) で、重化学工業製 人々の生活のなかで維持され、クリスマスやイ読みのミュシャの呼び名で知られている。 音楽では、オペラ『売られた花嫁』や交響詩品、とくに機械機器類が多い。輸入は六〇三一 ースターはいまでも長い休暇を家族とともに静 かに過ごす楽しいひとときである。 『わが祖国』の・スメタナ ( 一全四 ー会 ) 、『新万六〇〇〇ドル ( 対共産圏輸入の〇・八 % ) で、 麦芽、ホップ、ガラス製品、アルミニウムなど 子供たちは各種の集団生活を通して自立した世界交響曲』などの・ドボルザーク ( 天四一ー 〈林忠行〉 人間になることが期待され、夏休みのキャンプ一九 0 四 ) 、さらに・ヤナーチェク ( 天五四ー一九一一 0 がおもな品目である。 回木内信藏編『世界地理 8 ヨーロッパⅢ』 に多くの子供たちが参加する。また青少年教育の名をあげることができる。 ( 一九七五・朝倉書店 ) ▽渡辺一夫編『世界地誌 でスポーツはとくに重視され、よく整備された 演劇のなかで特筆に価するのは人形劇で、チ ゼミナールⅢ』 ( 一九ハ 0 ・大明堂 ) ▽・スト 各種の施設をもっスポーックラ・フが一般市民に エコ語の擁護で重要な役割を果たしたという歴 ラシエヴィチ著、谷岡秀雄訳『東欧新事情』 も広く開放されている。スポーツ人口は多く、史をもち、現在もその水準は高い。数ある人形 ( 一九全・三省堂 ) ▽・ポヌール著、山本俊 またその水準は高い。 とくに人気のあるスポー 劇場のなかで世界的に有名なのは「シュペー。フ 朗訳『チェコスロヴァキア史』 ( 白水社・文庫 ツはアイスホッケーとサッカーである。世界的ルとフルビーネック劇場」である。 クセジュ ) ▽ R. W. Seton ・ Watson 】」 4 His ・ に有名な選手では、長距離走のザトペックと体 日本との関係 、 00 、 the Czechs ミ d S 、 0 ~ ミ ( 1965 , Ham ・ 操のチャスラフスカがいる。またマス・ゲーム den, Connecticut) ▽ S. Harrison Thom ・ の大きな祭典であるスパルタキアードは五年ご 両国間の交流は散発的なものではあったが、 1983 467 358 645 392 156 人口 全労働人口 基本財産 投資 国民所得 工業生産 建設生産 農業生産 129

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0 ・ ・ , ◎ : ◎ 中国 ・オラ↓ま " をノーノ、薊 / 250 500km 1 : 15 , 〇 000 0 イしトカイ モアヾ トル ウ ンバ ウランホト・・白 = - カラッ 勺ン。ンガル地 ストウンン ツャ ) 一号 ) イ - チ善ムロ 砂ー漠 ビ カ・シしンノ ールこ え民利 ン雲亠 んきミタ 工溝 ・一 ' イバイコント = イ砂漢 ) ノ 。。第金亠所ュ・一 地地い べさ / 2 K カ 張家 。長し群島 ・呼野ムーウス砂漢「 / テン、漢蘭 銀川侘素砂漢 ) / ) ( 騰格里を漢 ) 勝 2 、ウル 0 五 陽泉 第島群島 を。煙台 脈汾楊 皐蘭 ウラン 大門日糾戸 . ネマエ 0 瑪沁 安多 漢午彑地 、大 巫、長 1 い 荊門 言一亠ン ムロ 地を・上ま仙 ' 第ト 3099 △ 口ま 4 新化 南すき 乙東沙群島 ワン マカオ 省匀 ロ 人口 200 万以上都市 ロ 人口 100 万以上都市 〇 人口 50 万以上都市 0 人口 25 万以上都市 〇 人口 10 万以上都市 人口 10 万未満都市 新ロ・ ロ・ 独立国界 ー係争・未定境界 門島 、き湖島 位置図 4 ロイ 3 乢 4 : 30 、 000 南海諸 ィをリス : をマカオ 〔丁ルに 1 い 朝東設群豊 尸半豊 海南島 インネイア 工、チャ、 ー 25 い 5

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がん 破壊される。この機構を利用して癌細胞を破壊第一中間宿主とし、フナやタナゴなどの淡水魚ロの移動、すなわち人口流動がおこる。都市の中間層ちゅうかんそう middle class 社会 し、医療に応用する可能性が研究され始めてい を第二中間宿主とする。中間宿主は寄生生物の拡大と都心部の地価上昇は、住宅を郊外に押しの階級・階層構造において、その上下いすれの る。 〈大槻昭一郎〉種ごとに決まっており、中間宿主内では無性生出して、人口流動はますます激しくなる。近層にも属さず、中間的な部分を構成する雑多な 回原康夫著『素粒子』 ( 一九〈 0 ・朝倉書店 ) ▽小 殖や幼生生殖が行われることも多い。中間宿主年、職住接近がいわれるが、この傾向に歯止め諸階層をさす。したがって、ひと口に中間層と 川修三・沢田昭二・中川昌美著『素粒子の複を必要とする寄生生物は、中間宿主に入って変をかけるには至っていない。 〈一杉哲也〉 いってもその性格はきわめて不明確であり、職 合模型』 ( 一九〈 0 ・岩波書店 ) ▽日本物理学会態を行わないと、終宿主に入って成体になるこ肘関節ちゅうかんせついわゆる肘の関節で、業、収入、学歴などの点でも多種多様であっ とはできない。↓寄生 編『物質の窮極を探るー・ー現代の統一理論』 〈近藤高貴〉上腕と前腕との間にある。肘関節は、三種類のて、それ自体行動能力をもたず集団的まとまり ( 一九全・培風館 ) ちゅうかんしようせつ文芸用語。関節が共通の関節包に包まれて構成される。関を欠く。それはまた、上層部分と下層部分との 中間小説 と・つ・一つ 中間周波増幅器 ちゅうかんしゅうはそうふく純文学と大衆文学との中間に位する小説の意味与する骨は、上腕骨の下端と橈骨および尺骨の 間にあってつねに動揺し、確固とした基盤をも き高周波増幅器の一種。送信機では最終的にで、日本独自のもの。第二次世界大戦の敗戦以上端、それに橈骨上端と尺骨上端との間につく たず、政治的にも経済的にも社会的にも中間 送信しようとする周波数、受信機では受信した 後、小説読者が増え、おもしろい読み物が要求られる次の関節である。 的・浮動的な立場にたち、それに応じた中間 電波の周波数より一般に低い周波数で増幅し されたので、いままでおもに純文学を書いてい ①腕尺関節上腕骨下端の滑車と尺骨の滑車切的・媒介的な機能を営む、と考えられている。 こん て、高い利得、安定度、伝送帯域幅の固定化が た作家が「高級な大衆小説」の筆をとるように 痕との間にできる関節で、肘関節の運動の中心 〔旧中間層と新中間層〕雑多な要素から構成さ 得られるようにしたものをいう。スー ーへテなり、それにあわせて『ト / 説新潮』『別冊文芸的関節である。この関節で屈伸運動が行われれるが、しいてグルーピングをすれば、伝統的 ロダイン方式の受信機で、受信した電波を高周春秋』などの雑誌が出て、これらの小説の舞台る。⑦腕橈関節上腕骨下端の上腕骨小頭と橈な生業基盤にたっ農・エ・商業自営層および自 波増幅器で増幅したのち局部発振器からの高周となったため大いに栄えた。この傾向の作品を骨上端の関節窩との間にできる関節で、屈伸運営の専門的職業者からなる旧中間層 ( 中産階級 くめまさお ふさお 波出力と混合して差の周波数をつくり、その周中間小説といい、久米正雄、林房雄がこの名称動とともに前腕の回旋運動を行う。③上橈尺関ともよばれる ) と、産業構造の変化につれて大 波数が中間周波トランスの周波数帯域と一致すを初めて用いたといわれている。石坂洋次郎、節橈骨上端の関節環状面と尺骨上端の橈骨切量に出現した事務・サービス・販売関係業務に ふなはし たいじろう ともいちろう るようにしておけば、その増幅区間ではどの電舟橋聖一、丹羽文雄、田村泰次郎、井上友一郎痕との間にできる関節で、前腕の回旋運動 ( 回従事する雇用勤労者、つまり新中間層とに分け 波を受信するときにも一定の帯域を増幅すれば らの作家が中間小説の筆をとり、とくに石坂の外、回内 ) を行う。 られる。前者は生産手段または営業手段その他 よく、前記の条件を満たすに好都合である。ま『石中先生行状記』 ( 一九哭 ~ 五 0 、続編一九五三 ~ 五四 ) これらの関節を運動形式からみると、腕尺関の資産所有に由来する生活様式の特性によっ ちょうつがい た高周波増幅器と異なる周波数で増幅するかや舟橋の「夏子もの」 ( 一九五一一 ~ 六 I) などがその節はいわゆる蝶番関節、腕橈関節は球関節、て、生産手段を所有せず自己の労働力を商品と ら、もし中間周波増幅器の出力から高周波増幅代表的作品とみられている。なお、中間小説と上橈尺関節は車軸関節である。 して売ることによって生計をたてる雇用労働者 器の入力回路に対して正帰還があっても、高周 いう称呼はその後も引き続き用いられ、現在に 肘関節は、その構造によって、上腕骨の長軸の生活様式とは区別される。 波増幅器の同調回路によって除去され発振がお至っている。 〈畑実〉延長上には尺骨の長軸はこない。すなわち、前 なお、政治学上の機能的概念として、支配層 腕軸はやや外方に偏している。上腕軸と前腕軸と被支配層を媒介する中間層概念が用いられる こらない。レーダーや衛星通信に用いられるよ昼間人口・夜間人口ちゅうかんじんこう・ ちゅうかく うな数ギガヘルツの周波数帯では、増幅によってやかんじんこうある地域に常住する人口が夜間 とがつくる角度を肘角といい、 正常では一六 ことがある。この場合、社会のビラミッド型権 大きな利得を得ることが困難で、数十メガヘルツ人口であり、昼間だけ現存する人口が昼間人口〇 ~ 一七〇度である。子供や女性では、肘関節力機構の末端に位置し、権力に同一化し、被支 帯の中間周波数に変換して必要な利得を得てい である。後者には、そこで働く従業者、通学すを伸展すると、関節の部分で前腕が後方に反る配層に対し権力を行使するか権力を媒介する役 る。一方、送信機では、単側波帯 single side ・ る学生をはじめ、旅行・商用・買い物などで一 ことが多い。これは尺骨の肘頭 ( 尺骨上端、肘割を果たす一群の人々が考えられている。政治 band の電波を一メガヘルツ程度の中間周波数で時的に現存する人も含まれるが、国勢調査などの突出した部分 ) の発育が弱かったり、小さい 学的には、企業内の第一線監督者、軍隊の下士 おもだち 形成してこれを適当に増幅し、帯域幅を整えてでは、夜間人口の従業地・通学地を調べること場合におこる。↓関節 〈嶋井和世〉官、村の重立 ( 旧家 ) 層、政治ポスなどは、支 から他の周波数と混合して送信周波数帯に変換 配層と被支配層との中間にあって権力を媒介 ちゅうかんせんきょ off-year elec- により、ある地域の昼間人口を推計する方法が中間選挙 する。このように中間周波増幅器はラジオ受信とられるので、一時的に現存する人口は含まれ tion, mid ・ term election アメリカ合衆国に し、体制順応に水路づける重要な機能を果たし 機のみならず、各種の通信装置の内部の増幅過ない。 おいて、大統領の任期 ( 四年 ) の中間に相当すている。 程で、増幅のしやすさ、帯域特性の設定のしゃ 一般に都市では昼間人口が夜間人口を上回る時期に行われる上下両院議員および州知事な ところで、中間層という場合の「中間」は、 すさ、変調の行いやすさ、などの利点から、受り、その近傍では逆になるが、これは産業化・ どの公職の選挙。アメリカでは、下院議員の任上下いずれかの両極に対して、この両極に分 信した周波数や送信する周波数と変・復調信号都市化に必然的に伴う現象である。すなわち、期は二年、上院議員は六年で二年ごとに三分の化・分解していない部分を意味している。この 周波数との間に選んだもっとも目的に合致した産業化は、農民・小商工業者などの家業的個人一ずつが改選される。また、各州の知事、議員中間性は、生産手段の所有に関しては、それを 周波数帯で増幅する装置である。↓高周波増幅業主および家族従業者が近代的労使関係に組みなどの公職の任期も四年または二年である。し所有して他人労働を搾取する資本家と、それを 器↓スー ーへテロダイン受信機〈石島巖〉込まれていく過程ともいえるが、これは個人生たがって、大統領任期の中間時に上下両院議員所有しないために他人によって搾取される労働 ちゅうかんしゆくしゅ寄生生物が活の場と生産活動の場を必然的に分離する。ま などの公職の選挙が行われることになり、この者に社会が完全に両極分解し尽くすのではな 中間宿主 その発育の段階に応じて一一種以上の異なる宿主た産業化は、人口の都市集中、すなわち都市化選挙を中間選挙という。中間選挙での大統領所 く、その中間形態として生産手段を所有するが 力を必要とする場合、成体が寄生する宿主 ( 終宿をもたらすが、都市はそのなかに、工業・商属政党の当選者状況は、現職大統領の一一年間の他人労働を搾取しない ( もしくは搾取してもそ 主 ) 以外の宿主のことをいう。中間宿主が二種業・娯楽・文教そして住居などの同質的機能を政治に対する国民の評価を意味するとともに、 の度が少ない ) 層が残留する事態に着目する。 ゅに及ぶときは、順番に第一中間宿主、第二中間 もっ諸地域を集積・集中する。こうして生活の次の大統領選挙の動向を予測する材料を提供すこの中間的所有者が早晩いずれかの極に分解す ち宿主という。たとえば、肝吸虫はマメタニシを場から生産・教育の場へと、夜間人口↓昼間人るものとして注目される。 〈三橋良士明〉る傾向にあるとみるかみないかについては意見 4 せつ

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ちゅうこ 中国地方 土地利用 を、 1 プ。 0 ま 0 了・ 0 仙ロ。 。をこに 1 島三。、三にきを 岐諸島、 0 0 匚コ水田 果樹園 = 桑畑 低木地・草地 裸地 匚 : コ市街地 0 50km 県別耕地面積・耕地率・総農家数 計 畑 (ha) (ha) 普通畑樹園地牧草地 176.4 鳥取 43 500 28 700 8 230 5 450 1 070 119.9 島根 51 600 39 900 7 300 3 210 1 230 270.5 岡山 88 700 67 500 13 400 5 850 1 880 333.1 広島 55 400 79 000 10 200 11 400 2 040 262.2 山冂 65 600 52 100 6 170 6 810 565 243.8 計 243 600 45 300 6 785 328 400 32 720 全国 5 379 000 2 952 000 1 257 000 320 549 200 620 800 注 : 農林水産省統計情報部 ( 1985 年 ) 調べによる 注 : 産業別就業者数は 1980 年「国勢調査」による 1 3 .8 〇第一次産業 ・第ニ次産業 ・第三次産業 県別面積・人口 県名 面積 人口 人口 (km2) ( 1980 年 , 人 ) ( 1985 年 , 人 ) 鳥取 3 492.34 604 221 616 024 島根 6 627 . 41 784 795 794 629 岡山 7 086.70 1 871 023 1 916 906 広島 8 462.88 2 739 161 2 819 200 山口 6 108. 18 1 587 079 1 601 627 計 31 777.51 7 586 279 7 748 386 全国 377 708.09 117 060 396 121 048 923 注 : 総務庁統計局『国勢調査要計表』 ( 1985 年 ) による 県別産業別就業者数の構成比 ( % ) 1 3 . 2 耕地率総農家数 ( 千戸 ) 48 . 7 68 . 8 127.9 123.0 82 . 8 451 . 2 4 376.0 人口密度 田 1985 年 (ha) 12 . 5 12 . 5 10 . 7 1 4 . 4 県別小売業・製造業 製造業 県名 商店数従業者年問販売額事業所従業者出荷額 ( 千人 ) ( 億円 ) ( 十億円 ) 島取 35 4 902 2 632 640 9 062 島根 13 400 46 6 286 3 698 664 岡山 102 12 689 6 026 26 925 15 557 広島 39 395 153 24 126 15 277 6 464 山冂 24 867 94 13 087 4 692 5 584 計 1 1 3 649 430 63 958 39 880 1 8 486 全国 1 628 620 6 329 1 017 157 780 280 238 688 注 : 小売業はデハ。ートを含む。通商産業省「商業統計表産業編」 ( 1985 年 ) による。 製造業は通商産業省「工業統計表産業編」 ( 1983 年 ) による 20 . 4 22 . 4 5.3 35. 広島 0.2 8.6 島根 岡山 ( 千人 ) 28.9 鳥取 29. 54 65 215 293 133 760 1 1 347 山口 れた。六三年の全国総合開発計画では地域格差 是正を目的として、地方都市を開発の拠点とす なかうみ る岡山県南、中海の二新産業都市と、すでにあ しゅうなん る程度の発展基盤を備えている備後、周南の 一一工業整備特別地域が指定された。いずれの地 域でも干拓、埋立てが行われ、鉄鋼、石油化学 を中心として、機械、金属、化学の重化学部門 の産業が大きく伸びたが、原燃料を多く輸入に 依存する臨海型の重化学工業に偏り、装置型産 業であったため、地域への波及効果はそれほど 大きくなく、むしろ内海沿岸には新しい公害や 環境問題をもたらした。八四年の通産省による 開発構想では、近年急速な発達をみた先端技術 などの新産業と、学術研究機関の融合を目ざす 高度技術集積都市いわゆるテクノボリスの計画 地域として、吉備高原と広島中央 ( 呉を含む ) 、 宇部の三地域があげられ、地方の活性化を図ろ うとしている。一方、中国山地の農山村は全国 的にも深刻な過疎化地域として知られるが、島 根県横田町のように、複合経営を目ざす国営の 農地開発を試みる地区もあり、鳥取県では砂地 農業の先進地鳥取砂止のほかに、北条砂止や弓 ケ浜砂丘などでは用水の開発によって新しい園 芸酪農地域が形成されつつある。 の計よ 〔人口〕一九二〇年 ( 大正九 ) の第一回国勢調 地合の査による中国地方五県の人口は四九七万人、そ 国問国年 っ 01 ー (. 0 つ」 の全国比は八・九 % であるから、中国地方の面 中年全 っ 4 ー (I) 4 ・′ 4- ( 0 っ 0 希積の全国比八・五 % に比べるとわすかながらこ っ 0 (. 0 民れを上回っていた。その後、四大工業地帯の発 っ乙 ( しつ」 1 ー旧 達、第二次世界大戦後の巨大都市への人口集中 31 年 1 ー CO 8 の影響で、中国地方の人口も大きく変動した。 一九五五 ~ 六五年 ( 昭和三〇 ~ 四〇 ) の一〇年 間に六九九万人から六八七万人に減少し、高度 県 経済成長期にはとくに鳥取、島根、山口三県の 減少率が高かった。七五年以降は各県とも増加 に転じ、七五 ~ 八五年の一〇年間に七三六万五 〇〇〇人から七七四万八〇〇〇人に増加した が、この時期の五県の増加率は広島県の六・五 % が最高で、全国平均八・一 % に比べればいす れも低い。しかも中国地方の人口の全国比は 円六・四 % を占めるにすぎす、全国的にみて人口 立思 の少ない地方といえるであろう。とくに過疎地 域市町村数が全市町村数三一五のうち一六二に 単 及び、面積においても広く、中国山地・吉備高 日 原にわたって五三・六 % を占めていることは注 所 年 っ 0 つ」 民目される。 00 ( 0 「 / 県 人口分布のうえからみると、山陽三県の人口 4

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鉄化は、札幌の地下鉄建設後の効果にみられる「駅」、次の駅へ向けての輸送情報は「ぶどうづるが、人種的には甚だ多様な人々から成り立っ硯 っ る電信」とよばれた。主要な運行ルートとしていることに注意せねばならない。チカノ人口 一に①火災駅事務所やプラットホームの建築資材ように高く評価されている。 は、合衆国の南西部、ことにカリフォルニア州 今後、エレクトロニクス技術による自動化装て、東海岸沿いに北東部州に至るもの、テネシ や備品は完全に不燃化され、火災報知装置、消 ーやケンタッキー東部からオハイオに至るも ( 三六三・七万人 ) やテキサス州 ( 二七五・二 火栓、各種排煙装置、乗降客の多い駅では構内置がいっそう多く採用され、また駆動方式とし ち 看視用テレビも設備されている。照明や排水ポてリニアモーターの実用化時代に入ろうとしての、ケンタッキー中西部からイリノイ、インデ万人 ) に集中しているが、イリノイ州やミシガ ンプの電源も、配電線を一一系統の切換え可能と いる。地下鉄は二一世紀にも、大都市交通の主ィアナに至るものがあった。「車掌」として多ン州など工業化の進んだ中西部の諸州し こも多数 しており、さらに、非常電源用の蓄電池やディ 役を担っていくものと思われる。〈大塚和之〉 くの同胞を救出した黒人女性名フマンの活躍は住んでおり、今日、都市化・工業労働者化が著 ーゼル発電機も準備してある。 〔地下鉄輸送と経営〕地下鉄は都心部で路面交著名である。地下組織のため正確な数は割り出しく進行している。 浸水豪雨などの対策として、地上の出入口通の混雑に妨げられることなく大量・高速の輸せないが、「従業員」は三二〇〇人以上とされ、 〔チカノの起源〕アメリカ合衆国の南西部一 これにより「南部は一〇万人の奴隷を失った」帯、すなわちアリゾナ、カリフォルニア、コロ の床面を道路面より高くする、出入口に浸水予送ができ、騒音防止や都市美観など環境保全に ・メキシコ、テキサス、ネバダ、 も役だっため、他の路面電車や高架鉄道よりも という。一八五〇年以降はカナダ領まで「地下ラド、ニュー 防板を常備する、とくに水位の高くなりそうな 〈古川博巳〉 ュタの各州、およびカンザス、オクラホマ、ワ 出入口には防水遮断扉を設けておく、などの対建設費が高いにもかかわらず、世界各都市で積鉄道連行」の必要が高まった。 策を講じている。トンネル内にも浸水が広範囲極的に建設されてきた。地下鉄事業の経営は地・・フランクリン著、井出義光訳『奴隷イオミング諸州の一部からなる広大なこの地域 制と地域間闘争』 ( 『アメリカ黒人の歴史 に及ばないように止水扉を設けてある線もあ方公共団体の直営、公共企業体、特殊会社ある は、一八四五年から五四年にかけて、テキサス る。通風口にも必要によりシャッターをつけ、 いは民間会社などによるが、日本では東京 ( 営 奴隷から自由へ』所収・一九大・研究社出版 ) 併合、メキシコ北部の征服と併合、ガズデン購 遠隔操作により閉鎖・開放する構造としている団と都営 ) 、神戸 ( 市が一部出資する株式会社 ) ▽・スウイフト著、三谷貞一郎訳『自由へ入などを通じ、メキシコ領からアメリカ合衆国 ものもある。 のはかはすべて市営である。今日、東京都区部 の地下鉄道』 ( 『世界新少年少女文学選 9 』所領へと編入・併合された。この結果、スペイン や大阪市内では年間輸送人員の約二割を運んで 収・一九六七・新日本出版社 ) ③暴風地上部分については他の鉄道と同じく から独立してまもないメキシコは、領土の北半 風速による列車運転規制を設けている。 ちかどう俗語であって明確な定義は分を喪失し、この地に住む約八万人と推定され いるが、企業債発行や借入金で巨額の資金を自地下道 ④地震地下鉄のトンネルは構造が頑丈で、ま己調達して建設を急いだ地下鉄事業は、採算が ない。おもに都市の平地部の地下に設けた小規るメキシコ人が、征服と併合によりアメリカ人 た地震の揺れも地上より少ないこともあり、安とれずに深刻な赤字経営が続いている。地下鉄 模のトンネルで、一般に人の通行に用いるもの化されたのであった。チカノは、この、征服さ 全度が高い 一九八五年のメキシコシティの大建設は都市構造施設の改善の一環でもあるたをいうが、最近では地下街の発達によって、地下れたメキシコ人民族集団と、「北方の巨人」ア 地震でも地下鉄のトンネルには被害はなかつめ、一九六一年 ( 昭和三六 ) から建設費補助制 街の通路をも含めていう場合がある。地下道の メリカ合衆国から引き続き強い政治・経済上の た。しかし、列車運転の安全のため、沿線に地度が実施され、現在は補助対象建設費の六六 % おもな目的は、①交通量の多い道路、鉄道を人支配を被ってきたメキシコからの移民と、そし 震計を配置し、運転指令所と技術区に指示値がを国と地方公共団体とで六年間に分割補助するが横断する場合に人々の安全を守るとともに交て両者の子供たちとから成り立っている。 表示され、それに基づいて運転規制など適切な ようになったが、欧米諸国では建設費の全額の通流を妨げないようにする、②都市部のビル街〔チカノ人口の増大〕チカノは、メキシコから ほか、営業損失の一部まで公費負担とする例もでビル相互間の人の通行の便利を図る、③駅の 処置をとる態勢が整備されている。 の大量の移民によって、その人口を急激に増加 〔将来の展望〕自動車が生活必需品にまで普及みられる。↓公営交通↓都市交通〈辻和夫〉プラットホームと駅の出入口とを連絡する ( と させた。アメリカ合衆国は、二〇世紀に入って しているアメリカでも、地下鉄が都市内交通の回八十島義之助編『都市交通講座 1 都市と交 くに地下鉄の場合にはかならす地下道が用いら からしだいに移民制限を強めていくが、西半球 基幹として運行され、いまもなお新しい路線が 通』 ( 一九七五・鹿島出版会 ) ▽運輸省大臣官房れる ) 、などである。地下道は歩道橋に比べ一 は制限から除外されたため、一九二〇年代には 次々と計画されている。一九八六年刊の資料 監修『都市交通年報』各年版 ( 運輸経済研究般に風雨などの影響がなく、市街地の景観を損メキシコからの移民は五〇万人近くに達した。 (Chris Jackson : R ミ G02 ミ、 e 、ミ e こや センター ) ▽自治省編『地方公営企業年鑑』なわないなどの利点がある反面、建設費が高二九年に始まる大恐慌期には、移民は抑制され き ) によれば、世界中で一〇〇〇キ。メート 各年版 ( 地方財務協会 ) ▽和久田康雄著 く、排水、照明、清掃などの維持管理費が必要と たうえ、合衆国の市民権をもっメキシコ系住民 『日本の私鉄』 ( 岩波新書 ) ▽朝日新聞東京 ルを超える地下鉄路線が新たに建設中で、さら なるので、都心部や主要駅や地下鉄などの連絡の強制送還さえ行われたが、第二次世界大戦の に一七七〇キロメートルが計画段階にあるとい 本社社会部編『地下鉄物語』 ( 一三・朝日新路に主として用いられる。↓地下街〈吉川和広〉勃発以後、合衆国の労働力、とりわけ農業労働 聞社 ) ▽中川浩一著『地下鉄の文化史』 ( 一九 う。一方、建設費が安価な軽快電車 (-æf*) チカノ Chicano メキシコ系アメリカ人力不足を緩和するため、「。フラセロ計画」とよ システムの進出も著しく、ヨーロッパでの計画 ハ四・筑摩書房 ) Mexican American の総称。最近になって定ばれるメキシコ人労働者の導入が、アメリカ、 は従来の地下鉄のような大型通勤電車システム地下鉄道ちかてつどう Underground Rail- 着してきた用語。一九八〇年の国勢調査によれメキシコ両国政府の協定により推進された。果 road アメリカ合衆国で、南部奴隷制地域か との比率が二対一、アジア、オーストラ ば、チカノ人口は八七四万人強で、アメリカ合実や野菜生産に特化した南西部の農業は、収穫 ら北部自由州やカナダへ黒人奴隷を救出した、 リアでは三対一であることも報告されている。 衆国において人種的・民族的な差別と抑圧を受期に大量の収穫労働者を必要としたうえ、第二 けている諸集団のなかでは、人口数で黒人に次次大戦中から始まる南西部の工業化が戦後も引 大量高速輸送が必要な大都市では将来も地下鉄奴隷制反対運動の秘密組織をいう。クエーカー ぐ集団である。メキシコ人そのものが、インデ を中心とする大型レール輸送機関が要求され、教徒などが私的に逃亡奴隷をかくまうなどの行 き続き進行した ( 南西部の「サンベルト」化 ) 為に発したが、一九世紀に入って組織化され、 イオ、スペイン植民者、アフリカ人 ( 黒人 ) 、 小都市では軽快電車が選択されるであろう。 ため、メキシコ人労働者に対する需要は増大 日本では主要都市の地下鉄網がほば完成に近「地下鉄道」とよばれたのは、蒸気鉄道が普及および彼らの間の混血によって生まれたメステし、六〇年代には四五〇万人強、七〇年代には づき、今後は中小都市にも経済的なミニ地下鉄し始めた一八三一年ごろからとされている。こ イソやムラートから成り立っているため、チカ五八〇万人強ものメキシコ人移民が入国した。 の誕生が待望されている。とくに、雪国の冬李の組織内では、黒人と白人が協力し、奴隷の逃ノも、スペイン語やカトリックなどスペインおまた、正規の移民に加え、合衆国に密入国する における市民の足を確保する役目としての地下亡を誘導する人を「車掌」、かくまった場所をよびメキシコの文化的伝統を継承・共有してい メキシコ人も、膨大な数に上るとみられてい ばつばっ

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tsi ソ連西部、ウクライナ共和国チェルノフ文はいずれもメンデルの遺伝法則を再発見した人形』 ( 天九一 ~ 九一 l) の「こんべい糖の踊り」や、 についての自覚がまったく欠如していたといえ バルトークの『弦楽器、打楽器、チェレスタの ものであり、近代遺伝学の出発点をなした。そ ツイ州の州都。ルーマニアとの国境に近いカル る。急激な反応度増加の結果、核燃料は一瞬の エ・ノ、→っ・、 〈前川陽郁〉 の後、彼は育種にメンデルの遺伝法則を応用すための音楽』 ( 一九三六 ) が有名。 バティア山脈北麓に位置し、プルート川上流に うちに破裂し、冷却水は急激に気化するととも る研究に努め、多くの大学から称号を送られチェレポべッ qepe110Beu7Cherepovets 一部はジルコニウムー水反応の結果水素化 沿う。一九四四年までチェルノビッイ qepH0- 〈真船和夫〉 ソ連、ロシア共和国北西部の工業都市。人口二 して圧力管を破壊し、原子炉建屋上部に噴出し BHub1/Chernovitsi と称した。人口二四万四た て水素爆発を起こした。破裂し過熱した核燃料〇〇〇 ( 一九会 ) 。少なくとも一四〇八年から記チェルムスフォード Chelmsford イ九万九〇〇〇 ( 一九会 ) 。リビンスク貯水池に港 の破片が飛び散って三〇か所で一時に火災が発録に記され、一七 ~ 一八世紀の教会が残る。鉄ギリス、イングランド南東部、エセックス県の湾を有し、ソ連北西部の鉄鋼業中心地となって いる。一九五五年鉄鋼コンビナートが建設さ 生したという。その結果、燃料交換用の二〇〇道交通の中心地。電子機器、織物、縫製、皮革県都。ロンドンの北東約五〇キ。に位置し、チェ 川に臨む。人口五万八一五九 (R<I)O れ、以後生産能力が拡大されている。はかに本 などの工場があり、食肉、油脂、精糖 ( テンサルマー トンクレーンが落下して炉心上部を破壊した。ま ローマ時代にロンドンーコールチェスター街道材加工、繊維、縫製、製靴の諸工業がある。市 た高温化した黒鉛と水が反応して可燃性ガスをイ糖 ) などの農産物加工も盛ん。一八七五年創 に臨む宿駅が置かれた。直接には中世の市場町は、一六世紀から知られるポスクレセンスキー 立の大学、民族建築博物館がある。〈渡辺一夫〉 生じて爆発・炎上した。数次にわたる水素・化 ひょく に起源を有する。肥沃な農業地域を後背地とし修道院のそばにできた村から発展し、一七七七 学爆発の結果、原子炉建屋上部は吹き飛ばさチェルべンコフ vulko Chervenkov れ、放射能を含む噴煙は高さ八〇〇 ~ 一〇〇〇 ( 一九 00 ー含 ) プルガリアの政治家。ソフィア近て発展し、牛の取引市場として知られるように年市となった。文化施設としては教育大学、郷 〈中村泰三〉 郊の生まれ。一九二九 ~ 四四年の間モスクワ在なった。一八四三年の鉄道開通後は工業化が進土博物館がある。 にも達し、広い範囲に放射性物質をばらまく ごウラル語族のフィ 結果となった。 留、デイミトロフの補佐としてコミンテルンでみ、電気機械、ポールべアリングエ業が立地すチェレミス語 る。 〈久保田武〉 ン・ウゴル語派に属する言語で、マリ語 Mari 〔原子炉の埋葬〕原子力火災を消し止め、事故活動した。四四年に帰国し党政治局員となり、 けんばん 鍵盤と自称する。ポルガ川の中流でカザン市の西方 の拡大を予防し、放射能の放出を局限化するた四九年に党書記長に就任、五〇年には首相をもチェレスタ celesta célesta 駕 にあるマリ自治共和国を中、いに話されていて、 め、軍用へリコプターを使って事故炉にホウ素兼任した。「小スターリン」とよばれたが、ス付きの鉄琴ともいうべき楽器で、外観はリー 一一一一口語人口六二万二〇〇〇。方言は山地、北西、 化合物、ドロマイト、砂、粘土、鉛など五〇〇ターリン死後の五四年に首相に専任、党第一書ド・オルガンに近い。セレスタともいう。 〇トンが投下された。炉心下部の冷却水プールの記をジフコフに譲った。五六年に「個人崇拝」のオルガン製作者ミュステル Auguste Mustel 牧地、東部に分かれるが、山地と牧地の方言差 、六年こ考案し、特許をとった。木製のは大きく、東部方言は牧地方言に近い。チェレ 、カ一ノノノ。し 水が抜き取られるとともに、建屋基礎の下にコを批判されて首相を辞任、六一年に党政治局か ミス語 Cheremis は音声的に母音調和に支配 らも追われ、六二年に党を除名された。六九年共鳴箱につけられた鉄琴を鍵盤に連結したハン ンクリート片からなる人工的水平放熱層がつく 〈本尸蓊〉 マーで打って発音し、ペダル操作で音を止めされる。 por こ・ 0 「橋に」、 pör こ振 & 「家に」。 に名誉回復された。 られた。こうして事故炉は各種のセンサー ( 温 る。音色は鉄琴よりも繊細である。最初はÜか形態的に名詞は七格に変化し、所有語尾をと 度、圧力、放射能レベルなど ) を備えたコンクチェルマク Gustav von Seysenegg ー一九一一七 ) オーストリアのら四オクタープの音域 ( 記譜は一オクタープる。また動詞は人称と数で時制により変化し、 リート構造物で包まれて「埋葬」された。隣接 Tschermak ( 天一穴 岩石学者。モラビア ( 現チェコスロパキア ) に下 ) であったが、現在ではより広音域のもの文末にたつ。üdor kniga ・ ie-m *. 「少女 する三号原子炉をはじめ発電所内の除染作業が が・本・彼女の・を・読んでいる」。↓ウラル 八六八年ウィーン大学の岩石学教や、弱音ペダル付きのものもある。 行われ、また半径三〇キ。地帯の放射線監視なら生まれる。一 〈小泉保〉 語族 チャイコフスキーのバレエ音楽『くるみ割り びに除染が続けられている。また水系への汚染授となる。主として、オーストリアの鉱物学的 かくせん ( てく Cheremis ソ連 な研究を行ったが、とくに角閃石、斜長石、輝 チェレミス族 防止のため浸透防止壁の設置や堤防の建設など けいさんえん こ音館 に住むウラル系少数民族の一つで、ポルガ川中 石など珪酸塩鉱物の固溶体としての性質の研究 大規模な工事が行われた。 と " 野物 いんせき た蔵博・ 流のマリ自治共和国のおもな住民。ポルガ・フ 〔放射能の拡散〕事故の最初の発見が一五〇〇は有名である。岩石学、古生物学のほか隕石の タけし武器 スあ、楽 イン語派のチェレミス ( マリ ) 語を使用。モル キ。離れたスウェーデンの原子力発電所で行われ研究でも知られ、八三年「隕石の顕微鏡的性 レを京学 ドバ自治共和国のモルドビン族に近く、六世紀 エ・盡。大 たことからも推測されるように、また放射能の質」を発表した。主著に『長石族』 ( 一会五 ) が チ表ろ楽 中ごろの東ゴート王国の年代記に登場するスレ 〈吉井敏尅〉 放出が五月中旬に至るまで続いたために、気象ある。 ムニスカンがチェレミス族のことをさしている 条件とくに風向に支配されて、放射能は東ヨーチェルマク Erich von Seysenegg Tscher ・ といわれている。居住地域によって「山地」 mak ( 天七一 ー一九六 (l) オーストリアの植物遺 ロッパ全域に拡散した。このため牛乳の飲用制 「牧地」「東部」などのグループに分かれるが、 限、野菜の摂取禁止措置などがポーランド、西伝学者、育種学者。岩石学者の・チェルマク 農民として「山地」が比較的裕福なのに比べ ドイツ、オランダなどの各国でとられ、事故はを父に、ウィーンに生まれる。ウィーン大学な て、「牧地」はポルガ川北岸の低湿地帯に、恵 どで学び、実地の農業にも従事し、ハレ大学で 国際化した。放出放射能のうち一一〇〇〇万キュ まれない状態で長く取り残されてきた。はるか 学位を取得した。しかし、国内では研究できる リーは周辺三〇キ。地帯に沈降したものと推定さ ひばく 離れて暮らしている「東部」は、かって帝政時 れる。これら膨大な放射能に基づく被曝の結果ポストが得られず、ベルギーのヘント ( ガン ) 代に酷税を逃れて集団移住した人々の子孫とい 付近の農場でエンドウを材料にした交雑の研究 については、今後の疫学的調査にまたねばなら はちみつみつ われている。自然の採集法で知られる蜂蜜や蜜 ないが、広島・長崎、ネバダなどの大量被曝とを始めた ( 天九 0 。この研究はウィーン近くの 蝦は、一九世紀初めまで交易物資であり、また み・並ぶ新たな大量被曝であり、後発的癌発生率の国営農場でも続けられ、その結果は「エンドウ 重要な貢納品でもあった。現在は森林地帯で の人工交雑について」という題で、一九〇〇年 れ増加、遺伝的障害の増大は不可避とみられてい の、製材やパルプエ業などの仕事に従事してい 〈中島篤之助〉 にド・フリースとコレンスの論文とともに『ド る。女性は伝統的な衣装に凝り、民族楽器もバ ィッ植物学会紀要』に発表された。これらの論 ちチェルノフツィ qepHOBub1/Chernov- 川甲Ⅷ甲卩胛川甲幽鬮鯲謝 141

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った。これらのほかにも、火伏せの信仰として ンノなどとよぶ焼畑が行われ、トチの実をさら て、ローカル線の乗り継ぎをしなければなら県など北陸地方の豪雪地山村にも及んでいる。 あきば 秋葉講、雨乞いを中心にして戸隠講など、山や 北陸地方の人口は各県庁所在都市の周辺およびしてトチモチをつくったり、ナラの実を貯蔵し す、時間的にも多大な時間を要する。道路も鉄 社寺を中心に各地にいろいろの講がたてられ たりする所もあった。穀類の不足しがちなこう 道と同様山あいを通る狭い道が多く、まだ不便水田地帯に集中している。 した山村ではさまざまなくふうがなされ、とく 〔歴史〕縄文・弥生文化の時代には、先進的地 である。 はくさんろく 道祖神信仰は中部地方で特徴的な展開をし、 に石川県の白山麓の一山村では、冬になるとロ 海上交通では、太平洋側に名古屋港、清水港域の西南日本と、発展の遅れぎみの東北日本の などの貿易港があり、日本海側には新潟、伏中間地帯にある中部地方は、西南日本文化が東減らしと食糧を得るために、親子で平地の村の新潟、長野、山梨、静岡などの関東地方と隣接 つるが 北日本へと移行していく通路にあたっていた。家々を回り、なんら代償を与えることなく物もする地域では、小正月の火祭と結び付いている 木、金沢、敦賀港などがある。空港は名古屋、 すずか 小松、富山、福井、新潟、松本などにあり、東歴史時代に入ると古代は、鈴鹿 ( 東海道 ) 、不らいをして歩き、それを家に送ったという。山ものが多く、また男女双体の像を刻んだ碑が多 おちゅうど やまうば あらち 。しかし、伊豆地方には単体丸彫りの像が、 破 ( 東山道 ) 、愛発 ( 北陸道 ) の三関の東が関深い里には山姥の伝説や平家の落人集落の伝承 京との定期空路をおもな就航路としている。 が残され、長野県の秋山郷などもそうした伝承山梨県には丸石のものが多くみられる。祭りは 〔開発〕昭和三〇年代以降わが国は経済の高度東であり、したがってこの地方は開拓前線の地 ・一とようか えんぎしき をもつものとして有名である。また、厳しい自事八日の厄神去来の伝承と結び付いたものがあ 成長時代を迎えたが、中部地方でも各地で工業位を占めていた。『延喜式』 ( 九一一七成立 ) では、 やまと り、この地域と接してその祭記起源を兄妹婚と 化を主体とする開発計画がたてられ実行に移さ大和の近国は若狭、美濃、尾張、三河の四か然環境のため、生産様式や家族形態なども平地 しらかわ 1 一う のものと異なり、岐阜県の白川郷、富山県の五絡めて伝承する地域がある。しかし、北陸地方 れた。ます名古屋港の整備に始まった名古屋南国、遠国の越後、佐渡を除く一〇か国は中国に かやま がっしよう は浄土真宗の影響が強いためか、こうした民間 部臨海工業地帯は、愛知用水からの工業用水を位置づけられていた。また、全国の御牧 ( 勅使箇山のように合掌造の家がつくられた。豪雪 ほうおんこう おもや 確保して基幹工場東海製鉄を誘致して発展した牧 ) 三二のうち、甲斐国に三牧、信濃国に一六地帯では冬期間の仕事はいっさい母屋の中で済信仰は比較的少なく、それにかわって報恩講な どの仏教的な講行事が盛んである。また在家報 のを手始めに、一九六三年 ( 昭和三八 ) には新牧が置かれており、馬産が盛んであったことをますようにくふうされ、また、流水を屋敷内に 恩講などでは、村人が講長となり、葬儀に関与 引き込んでタネとよぶ融雪設備をつくっておく 潟、富山・高岡、松本・諏訪の三地区が新産業示している。当時、東海、東山、北陸三道のう きない 都市に、東駿河湾、東三河地区が工業整備特別ち、北陸道は海上交通も盛んで畿内との交流も所もある。山から流れ出る川は長大なものが多する所もある。 季節ごとの祭日には、その土地に古くから伝 く、舟運や連材に利用されたし、冲積平野は豊 地域に指定され、工業化が促進された。それそ多く、いまとは逆に北陸道のほうが「表日本」 かな穀倉地帯をなし、大地主も出現した。新潟わる芸能が神社に奉納され、愛知、静岡、長野 れの地域は力点の置き方を異にしているが、新の感があった。鎌倉時代以降、幕府が鎌倉・江 でんがく くわかじ にまたがる地域では中世の田楽の系統を引く芸 潟、富山は港湾整備と新港建設に、松本は道路戸に置かれ関東地方が発展するにつれ、中部地県では鍬を鍛冶屋が農家に貸す貸鍬の制度がみ ゆだてかぐら 能や湯立神楽が行われるし、神々を迎えて豊 られた。しかし、信濃川、阿賀野川下流の低湿 改善等の基盤整備に、東駿河湾は田子浦港を軸方は東西の回廊地域としての性格を強めるとと に旧来からの工業、製紙や化学工業の発展に力もに、東海道の重要性が強まる。戦国時代、東地帯では、倉や母屋は土台を高くした「ジギョ穣を祈る祭りは各地の神社でも行われる。高 ひだのたくみ とよとみ を注いだ。しかし、工業発展の陰には工業公害海道出身の織田、豊臣、徳川の三傑が全国に覇ウ」の上につくったし、木曽川下流域でも石垣山市の祭り屋台は、飛騨匠として全国にその を生じ、居住環境を悪化させたものもあり、東を唱ええたのもその地理的位置によるところもの上に水屋をつくり、屋敷や集落の周りに堀を名を知られた人々の作品であり、町の文化を示 つくって洪水に対応した。静岡県では船形屋敷す華やかなものである。愛知県の津島神社の祭 駿河湾のヘドロ公害、伊勢湾、三河湾の海水汚大きい。 ぎおん りは、京都の祇園祭とともに、その形式が各地 染などその例も少なくない 江戸時代、幕府は、徳川氏の尾張藩と前田氏をつくって洪水に備えた。 に伝わり、夏祭として町を中心に定着し周囲の こうした厳しい自然の中で生きる人々には、 〔人口〕中部地方の人口の総数は二〇五九万人の加賀、富山藩を除けば、この地方には親藩・ だ ふだい ( 一九会 ) で全国の一七・〇 % を占めており、人譜代をあてるほか頻繁に配置転換を行った。そ豊作を祈る気持ちはより強く、石川県能登地方村々にも影響を与えたが、それは華やかな山 しひきやま 口増加率は年率約一 % 弱を示している。しかしのため開発の多くは河川下流平野と河口干拓にでは、秋の収穫が済むと、家の主人が田から田車・曳山・屋台などを伴うものである。 海岸近くに住む人々は、漁期には漁を行うの 一九二〇年 ( 大正九 ) は全国の一九・三 % の人とどまり、大規模開発は尾張・加賀藩などの長の神を家に迎えてきて接待をする「あえのこ ロであったから、全国的な比重は低下している期安定の大藩にとどまった。交通は東海道、中と」という祭りをする。旧暦一〇月一〇日に田は当然であるが、舳倉島の海女のように、夏季 ことになる。これは、東山・北陸地方に山間部山道、甲州道中と江戸を中心にした街道の整備の神を祭ることは中部地方諸県で行われ、長野だけ輪島から島に移住して潜り漁をするものも ちゅうま が行われ、大名の参勤交代をはじめ交通が頻繁県などではカカシアゲといって、案山子を田かある。こうして得られた海の幸や塩は、中馬や が多く、京浜・阪神方面への人口流出が続いた ら迎えてきて庭先などに祭る。田の神と山の神ばっか ( 歩荷 ) によって山里に運ばれていっ となる。その結果、東海・東山地方は江戸の影 結果から生じたものといえる。地域的にみると 〈倉石忠彦〉 名古屋を中心とする東海地方に集中しており、響力が強まり、この地方は畿内と江戸勢力の接との交替の伝承も各地にみられる。したがってた。 その増加率も高く、一九五五年中部地方のなか触圏となった。また水運も海上、河川交通とも山の神は農村でも祭られ、各戸で祭るほか、地〔民話〕中部地方の民話は、民俗学の草創期か ら活発な収集がなされた。それらは大正年間刊 での比重が四九・九 % であったのが、八五年に発達し、物資輸送の主役を果たしていた。明治域や仕事仲間や同齢者でも祭られる。しかし、 そうしょ おたり 以降になるとこの地方は殖産興業政策と貿易振猟師の祭る山の神には田の神の要素は認められ行の炉辺叢書『三州横山話』 ( 愛知 ) 、『小谷口 は五八・五 % となった。人口分布は東海道線に 碑集』 ( 長野 ) 、『越後三條南郷記』 ( 新潟 ) など 沿って大垣から名古屋、静岡、三島までに連な興によって、養蚕・茶・ミカンなどの商品農ず、長野県の伊那谷にはキューセン山の神とい たた に収められた。中部地方で特筆すべきは、新潟 う祟りをする山の神も伝承されている。姿など っている工業都市に集中しており、いわゆる東業、製糸・綿紡などの繊維工業が盛んとなり、 海道メガロポリスを形成している。東山地方の貿易港として清水、名古屋、四日市港の発展、特異な山は霊山として祭り、富士山を対象とす県の豊かな伝承状況である。一人で一〇〇話以 おんたけ 人口は甲府盆地、松本盆地、善光寺平などの盆各地での鉄道の普及が進んだ。ついで大正期かる浅間信仰は、近世に富士講をたて、木曽御嶽上を確実に管理している語り手は、現に二〇名 山を対象とする御嶽講も各地に広がった。富山を超して県下に健在である。それらの民話は、 らは近代工業も東海・北陸地方などでおこり、 、ふ地に集中がみられるが、山間部は以前から人口 たてやま 今日の中部地方の基礎がこのころにつくられの立山信仰は仏教的な地獄・極楽の信仰を取り古い伝承心意を今日に伝え、農耕儀礼と深く結 , フが希薄なうえに高度成長時代の流出が著しく、 かさじぞう 〈横田忠夫〉込み、石川・福井・岐阜の三県の県境にそびえび付いた伝承形式が残されている。「笠地蔵」 なかには挙家離村のために姿を消してしまった 、こるむこ よりあい ち山村集落も多い。こうした現象は福井・新潟両〔民俗〕山地の多い中部地方では、遅くまでカる白山に対する信仰は、中世に北陸一帯に広が「見るなの座敷」「猿婿入り」「猿と蝦蟇の寄合 5 だいら やよい みまき あま 1 一

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ちえこす ユーゴスラビア 2.9 総額 首万 プルガリア 2.7 米ドル 日本 0.5 9 706 その他 22.8 1 6 324 2.9 2.8 0.4 2.8 2.4 自動車による輸送は一〇 % である。鉄道密度はで、この問題ではいちおうの結論が出たといえ 一〇〇平方キ。当り一〇キ。で、東欧では東ドイツる。また連邦政府はスロパキアに対して積極的 に次いで高い。舗装された自動車道は七万三〇な投資を行い、両共和国間の経済格差の解消を 〇〇キ。 ( 一〇〇平方キ。当り六〇キ。 ) 、空路七万図っている。チェコスロパキアでは、公的な生 五〇〇キロ、河川航路四七五キ。である ( 一九含 ) 。 活においても、チェコ語とスロパキア語の両方 電話機数は三一五万台でほとんど自動電話でが用いられているが、両一一 = ロ語は非常に近い関係 ある。発送された手紙は人口一〇〇人当り八 にあり、互いに他方を理解することは可能であ アふ 二通。新聞、雑誌は八一部となっている。まる。したがって、テレビの全国放送では、番組 成 た、テレビも普及し三人に一台ほどの割合であ によってチェコ語とスロパキア語が交互に用い 構 る ( 一 0 ) 。 られている。また教育や出版活動も、チェコと オ西・ & ロ男女 〔金融・財政〕通貨の単位はコルナで、一ドル スロパキアではそれぞれの言語でなされてい 圦呂 入丿 ン が五・二五コルナ ( 一 (0) 。旅行者レートは一る。 男年 ン ドルが九コルナである。 第二次大戦前のチェコスロパキアには、チェ 年 一九八一年の歳入は三一一五億六八〇〇万わル コ人とスロパキア人以外に約三一二万人のドイ 類 0 冖 0 0 Ln 0 L.n 0 Ln 0 L-n 0 【 0 0 一 -0 0 L-n 0 で、生産部門からの税金が歳入の八割強を占ツ人、七五万人のハンガリー人、四六万人のウ ロ 「 / 「ー ( 0 (. 0 L'¯) にう ) 4 ・ 4 ・ CO っつ」っな 東 め、直接税 ( 所得税その他 ) は一〇 % 強であクライナ人 ( いずれも一九一一一 ) 、その他わずかで 国 手 る。歳出は三一〇九億二八〇〇万冖ルで、国民経はあるがポーランド人、ユダヤ人などのいわゆが高い部門としては、社会福祉 ( 八六・〇 % ) 、 相 済部門への投資と社会的サービスや文化、保健る少数民族が居住していた。第二次大戦後、ド保健・衛生 ( 七九・〇 % ) 、教育 ( 七三・〇 % ) ア などへの支出がそれそれ四割強、国防費は七 % ィッ人の多くはナチスに協力したという理由でなどがある。また収穫期の農村での人手不足は キ 強である。 追放され、またウクライナ人居住地域のほとん深刻で、学生や兵士が毎年応援に向かう。 年 ロ年 ( 0 っ 0 銀行は中央銀行である国立銀行のはか、商どはソ連領に編入されたため、ト ク数民族の数は 都市における住宅はアパートが中心である ⅱ・フー 00 ス 男 0- ) 0 ・ ) 業、貿易、投資銀行があり、いずれも国営であ大幅に減少した。しかし、スロパキア南部を中が、その家賃は安く抑えられており、また三部 工手入 類入 る。なおこの国の西側諸国からの借款は三〇億 / を 心にかなりの数のハンガリー人 ( 約五八万五〇屋以上の住居に住む世帯は全国て ~ チ相輸 品輸 トル台で、東欧諸国のなかでは低い金額である。 〇〇人、一九全 ) が残っており、自分たちの一 = ロ語占めている。しかし、近年は大都市へ人口が集 上国とは出超 ( 一 0 ) になっている。 〔開発と保全〕国土の開発が進んでいるので、 で教育を受ける権利が認められている。↓チェ中する傾向もあり、プラハ市などの大都市の郊 輸出品のおもなものは機械 ( 輸出額の四〇環境保全に力を入れている。タトラ人民公園、 コ語↓チェコ人↓スロパキア語 外では大規模な団地の建設が進められている % 、一九八三 ) 、自動車 ( 八・四 % ) 、鉄鋼 ( 六・九クルコノシェ国立公園など美しい景観の保全に 〔国民生活〕人口密度は一平方キロ当り一二一人が、住宅供給は需要に追い付いていない % ) 、化学品・薬品 ( 六 % ) で、輸入品のおもな努めるとともに、工業活動による環境破壊の防 ( 一九会 ) である。人口の自然増加率は一〇〇〇〔教育〕教育制度は三つの段階に分けられる。 ものは機械 ( 二七・六 % ) 、石油および同製品 止にも努力している。褐炭田地域の環境復原へ人に対して三・五人 ( 一九全 ) と低く ( 一九八〇初等教育としては、六歳から始まる九年間の義 〈中村泰三〉 ( 二〇 % ) などである。取引相手国はソ連を筆の努力はその一例である。 八三年平均〇・二 % ) 、この問題は労働力の務教育があり、中等教育としては三年間の高等 頭に東ドイツ、ポーランドで、西側では西ドイ 不足もあって深刻に受け止められている。した学校 ( ギムナジウム ) や、各種の専門高校があ ッとの取引額が多い。ソ連、東欧圏から燃・原 がって政府は出産に対して補助金を給付するな り、その上に大学 ( 原則として五年 ) が置かれ 料を輸入し、機械、消費財を輸出している。ま〔住民・一一一口語〕チェコスロパキアを構成する主どの対策を講じている。なお、チェコスロパキている。また、婦人の就業率が高いこともあっ た、東ドイツ、西側諸国から機械、工場設備の要な民族はチェコ人とスロパキア人で、一九八 アでの平均寿命は七〇・八歳 ( 男が六七・一 て、義務教育前の幼児の教育制度も整ってお 輸入が多い。コメコン ( セフ ) の分業でチェコ四年において全人口のそれそれ六七 % と三三 % 歳、女が七四・四歳 ) である。 り、また身体障害者に対する教育制度もよく整 スロパキアは、工作機械、各種自動車、機関を占めていることは前述のとおりである。言語 生活水準は東欧諸国のなかでは、東ドイツと備されている。また社会人教育も盛んで、働く 車、エネルギー・化学・冶金・繊維・皮革工業の面からみると、チェコ語とスロパキア語は同並んで高い。たとえば、一〇〇〇人当りの保有人々を対象に夜間の外国語学校なども多く、ま 設備の生産に専門化し、これらの製品をおもに じ西スラ。フ語のグループに属し、非常に近い関率は、洗濯機が四八四台、ラジオが六六二台 た大学も働く人々に開放されている。大学は総 輸出している。また、伝統のある繊維、ガラス係にある。第二次世界大戦前には、チェコ人とで、いずれも東欧では一位であり、テレビの四合大学と工業や経済などの専門大学からなる 製品などの輸出も行われている。近年の新しい スロパキア人は一体をなすという考え方が公式〇七台と近年急速に増加している乗用車の一六 が、そのなかでは中欧で最古の歴史を誇るプラ にはとられていた。しかし、実際には経済発展二台は東ドイツに次いで高い 動きは、チェコスロパキアの技術力の低下から ハのカレル大学 ( 一三哭創設 ) は有名である。大 西側先進諸国と産業協力協定を結ぶようになつや教育の面で優位にたっチェコ人がスロパキア チェコスロパキアは社会主義体制をとってい 学の数は三六 ( 一一〇学部 ) 、学生数は一九万 たことで、西ドイツをはじめとして多くの西側人を支配することになった。チェコ人による中るので、原則として失業問題はない。労働力の 一九二八人で、そのうち外国人留学生は三八七 大企業がチェコスロパキアに進出している。 央集権化政策に反発するスロパキア人は自治要不足は大きな問題で、その結果として婦人の職 八人 ( いずれも一九八二年度 ) を占めている。 〔交通・通信〕以前に比べて国内交通に占める求を掲げてチェコ人と対立した。戦後も両民族場で占める割合は非常に高く、一九八〇年で四またチェコスロパキアでは学校以外の組織によ ウェイトが下がってきたが、鉄道が交通の中心 の対立はただちに解消されたとはい、 ; たかっ五・七 % に達している。その職種はあらゆる部る青少年教育活動にも力が入れられており、と で、貨物の約三分の二を運んでおり、第二位のたが、一九六九年に連邦制が採用されたこと 門に広がっているが、とくに女性の占める割合 くに青年社会主義者同盟やピオネールでの集団 ソ 3 46.2 0 0 1983 3 41.8 化学品・薬品 2.8 2.7 1 .8 石油および同製品 自動車鉄鉱石 2.7 鉄鋼 繊維原料 2.6 その他 29.5 9.8 26.9 撚糸・布地 3.1 アルミニウム 石炭・コークス 3.7 衣類ガラスおよび同製品 履き物 3.8 9.8 21.4 24.0 6.9 , 0 9 035 1 6 477 9 706 1 6 324 3.3 2.4 9 035 16 477 輸出 1976 1983 3.3 2.6 2.3 2.3 60 万人 60 40 1983 年「世界人口年鑑 : よる 128

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ちゅうご 行政区分 成 構 ロ男女 圦呂 男年 年 「 / 「 / 0 l-n Ln ′′な・つ -) っ 0 フ」っ」 ハルビン 長春 ウルムチ・ ノ 石家荘③ 太原 ④ 鄭州⑩ ⑩ 武漢・ ホフホト・ 1 ① 2 津 ・済南一 西寧 . ⑩ 西安・ 人口密度 ( 人 Zkm2) 合肥南只 ⑩ ・南昌 福州・ ⑨ 21000 以上 0 500 ~ 1000 ロ 300—500 [ こ : 」 200— 300 匚こ」 100—200 [ こ」 : 」」 50— 100 匚こコ 50 未満 海 @・成都 ・ラサ 6 6 千万人 2 0 中国の砂漠は一〇九万五〇〇〇平方キ。、全国土、揚子江中・下流域と華南の水田土の黄色土及ぶ。海に流出する外流流域は全国の総面積の の総面積の一一・四 % に及ぶ。タリム盆地の西と赤色土、南部国境近くの純赤色とさらにラテ 六四 % で、ほかは内陸流域が占める。水系のう 部はタクリマカン砂漠とよばれ、面積は三二万ライトの地域である。一方、東北地区中央部かち太平洋に流れ出るものがもっとも広い面積を 七〇〇〇平方キ。で中国で最大の広さをもつ。そら内モンゴルおよび黄河中流域にかけては栗占める。この流域では降水量も多く、年九一二 のうち流動砂丘に覆われた面積が八五 % 、残り色、褐色、灰色の砂漠土、一部には風砂が分布 、約五〇億立方であるが、蒸発量もまた多 が固定または半固定砂丘の地域である。流動砂する。北西部の乾燥・半乾燥地域には灰褐色、 く年五一七、リ、二八億立方に達する。黄河が 丘の高いものは二〇〇 ~ 三〇〇に達するが、褐色の砂漠土が広く分布する。青蔵高原やその運ぶ土砂はナイル川の三四倍に及び、一平方キ。 る 五〇ぐらいのものが八〇 % を占める。 他の高い山地には山地森林土、さらには高山の の黄土地域から毎年三七〇〇トンの土壌を侵食運 中国の土壌は次のとおりである。東北地区は褐色土、もっとも高度の高い所は高山の砂漠土搬している計算になるという。 〔気候〕中国の気候地域区分は次のとおりであ 森林土壌で、北から順に、東北地区北部の茶色となる。 4 人 のタイガ土、東北地区東部の暗褐色の森林土、 中国は世界でも有数の水系が発達した国で、 る。囮駟 界 世 東北地区南部から華北の湿原土および暗褐色流域面積一〇〇平方キ。以上の河川は五万以上に ①東北型最寒月の平均気温は〇度 0 以下で、 区 O ハ 0 、 -4 ワ」 11 1 人っ 0 「 / っ 0 -0- - -0 「ー 11 11 戸 0 -4 ・ 11 っ 0 -0- -4 ・「 / -0- 4 ー - 1 人 , 1 C'O 、 1 1 人 -. 11 、 1 -4 ワ」っ 0 11 11 C-O -4 ・ワ】ワワワ】 11 っ′」 市 4 ( 3 しノ ~ し @貴 昆明・ @ 広州 ・南寧⑩ 1 0 10 ( ) ()km 0 省 ( 自治区・直轄市 ) 別面積 , 人口 , 人口密度と行政区画 行政区画 地区級 ( 328 ) 県級 ( 2 204 ) 面積人口人口政府 ( 万人 ) 密度所在地市地自行市 (km2) 県自 ( 人 /km2) 区治政 州区 県 省 ( 自治区・直轄市 ) 北京 564 707 大津 293 石家荘 9 167 太原 5 17 ホフホト 4 251 瀋陽 122 長春 6 ハルピン 10 1 944 上海 602 南京 392 杭州 8 3 366 合肥 8 8 211 福州 6 3 205 南昌 6 5 499 済南 9 5 458 鄭羽ヨ 9 8 260 武漢 8 6 264 長沙 6 8 291 広州 9 3 165 南寧 5 8 179 成都 6 167 貴陽 2 4 85 昆明 7 2 2 ラサ 1 7 145 西安 6 4 45 蘭州 7 5 6 西寧 1 1 61 銀川 2 2 8 ウルムチ 3 5 8 108 1 63 133 31 ( 508 ) 台」 華北①北京市 16 808 947 ②大津市 11 305 799 ③河北省 187 700 5 487 ④山西省 156 300 2 600 ⑤内モンゴル自治区 1 183 000 1 985 東北⑥遼寧省 145 700 3 655 ⑦吉林省 187 400 2 284 ⑧黒竜江省 453 800 3 295 華東⑨ ~ E 海市 6 341 1 205 ⑩江蘇省 102 600 6 171 ⑩浙江省 102 000 3 993 ⑩安徽省 139 700 5 103 ⑩福建省 120 000 2 677 ⑩江西省 167 000 3 421 ⑩山東省 153 000 7 637 中南⑩河南省 167 000 7 646 ⑩湖北省 185 900 4 876 ⑩湖南省 210 000 5 561 ⑩広東省 212 000 6 166 ⑩広西チワン族自治区 236 200 3 806 西南四川省 570 000 10 112 @貴州省 176 100 2 932 雲南省 394 000 3 362 @チベット自治区 1 228 400 197 西北④陝西省 205 600 2 966 ①は粛省 454 000 2 016 青海省 737 000 402 寧夏回族自治区 66 400 406 ( ⑩新疆ウイグル自治区 1 600 000 1 344 9 575 254 103 475 ( 1 827 ) ( 35 981 ) 注 : 人口 , 人口密度は 1984 年未 , 行政区画は 1985 年末 盟は地区に , 旗 , 特別区 , 工農区 , 林区は県に , 自治旗は自治県に含む。全国計は台湾を除く 人口は「中国統計年鑑」 ( 1985 年 ) , 行政区画は「中華人民共和国行政区画図冊」 ( 1986 年 ) による ( 0 ( ー 0 00 「ーっ 0 っ 0 ^. 0 1 人《 .0 《 0 (. 0 戸 0 【 / -9 」 1 よ《 0 - ト一 -8 ) ( 0 《 0 「 / -8 「ー -8 一《 0 っ 0 11 《 0 (C) 11 ・ 4 【 / , 1 ワ】ワ 1 ・ LC) 2 戸 0 ワ】 - ュ - 《 0 ^. 0 《 0 -8 一 -0 ワ」 11 1 1 4 1 11 11 ・ー人 1 っっ -8 2 6 7 7 計 417

10. 日本大百科全書 15

ちゅうこ へんばう にそれぞれ独自の言語があり、その使用が公的類例のない人口の急増があげられよう。中国は 偏旁を用いた文字が多い。このような傾向はご団を派遣し、内外に民族政策の普及を宣伝し く最近、解放直後まで続いており、旧中国では た。少数民族居住地区の各民族自身による自治に認められ、保護されている。漢族以外で通用世界で人口が最大の国で、一九八二年全国調査 の文字をもつのは、チベト、モンゴル、ウィ統計による全人口は一〇億三一八八万二五一一 少数民族の居住地区の経済・文化は、満州、モ政策は新中国の民族政策の骨幹をなすもので、 ンゴル、回、チベット諸族を除いて、漢族社会 一九五八年までに該当地区の九〇 % が地方自治グル、朝、タイ、カザフ、シボ、キルギス、人で、世界の総人口の実に約二二 % を占める。 より著しく劣り、差別と貧困を余儀なくされてを実現、六五年のチベット自治区の正式成立をウズベク、タタール、オロスの諸族で、これら七一年当時は不正確ながら約七億五〇〇〇万人 とされていたから、この間の急増のすさまじさ いた。漢族の少数民族に対する偏見や差別を改もって実質上の完成をみるに至り、八五年現在の民族の居住する自治区、州、県では、新聞・ しんきよう 出版や文書、市街表記の公用語にも、言語教育が知られる。一〇億三一八八万人のうち都市人 める契機となったのは、中国紅軍の長征の時期で省級自治区五 ( 内モンゴル、新疆ウイグル、 ねいか に少数民族居住地区での実態見聞を通して被差広西チワン、寧夏回族、チベット ) 、自治州一一一でも独自の文字が用いられ、漢語との併記のよロは二億〇六五八万八五八二人で、農民が約八 一、自治県九三、自治旗三を数える。 うな方法がとられている。イ、ミヤオ、ナシ、〇 % を占めるが、年を追って都市人口が急増し 別民族解放の緊要性が痛感されたことであり、 それは解放後の民族政策に連なる。その基本方〔言語〕わが国で中国語といえば漢語のことを ジンボウ、リス、ラフ、ワの諸族にも、通用のている。人口密度は一平方キ。当り一五〇人で日 針は「民族相互の平等の堅持と団結の強化、少さすが、中国全土で漢語を使用するのは、漢族程度は異なるが固有の文字がある。なお、解放本の三分の一にすぎないが、この数字は日本の 一一六倍にあたる広大な国土面積全体によって算 数民族地区の自治の履行、少数民族幹部の養のほかに、回、満州、ショーの諸族があるだけ 後の言語政策により、チワン、ミヤオ、プイ、 ハニ、トン、リー、ワなどの諸族、およびタ出したもので、実際は東部の主要省市区に人口 成、少数民族の経済・文化発展のための支援、で、その他の少数民族はいずれも独自の一一一一口語を 少数民族の一言語・文字の使用と向上の支援、少用いている。全人口の圧倒的多数を占める漢語イ、イ、ジンボウ、リス、ラフ、ウイグル、カが著しく偏っており、都市部の過密は深刻であ る。今後の人口膨張を抑制するために、政府は 数民族の風俗習慣の尊重などに集約される。民が中国の公用語である。しかし、その分布範囲ザフなどの諸族については、それそれアルファ 族相互の平等・団結・互恵の原則は、いち早く は広範な地方に及んでおり、方言も多種多様・ヘット表記による文字化、および民族文字の改晩婚の奨励や「一人っ子はすばらしい」のスロ りゅうちょう ーガンのもとに計画出産政策をとっており、人 解放直前の第一回中国人民政治協商会議の共同で、同じ漢族の間でも地方によっては流暢な良などの施策が図られている。↓中国語 綱領に規定され、後の新憲法に受け継がれてい 会話が困難な場合もある。ラジオ、テレビなど〔国民生活〕一九四九年の新中国成立以来、繰ロ問題は経済建設にとって当面最大の課題の一 るが、中央人民政府は解放直後から西南、西で公用語として使用されているのは、いわゆるり返し大きく揺れ動いた中国共産党の政治路線つである。八三年、八四年の人口増加率は前年 プートンホワ 、中南、東北、内モンゴルなどの地方へ訪問 「普通話」である。普通話は日本でいう標準語と、それを反映した国内政策の変動の直接的影比〇・九四 % 、〇・九五 % に抑えられ、八四年 末現在の人口は一〇億三四七五万人である。 に相当するもので、典型的な北京響を受けて、国民生活の面でも苦難の道が長く 中国では、大学・高校などの卒業生は、個人 官話を基礎とし、北京語音を標準続いた。たとえば五八年の「大躍進」政策の挫 有当 せつ ・庭物 の意志ではなく、国家が「分配」制度によって 音としているが、厳密には狭義的折とそれに伴う「人民公社」の出現は、当時の 家者家み 保戸 の陌農働員 な現実の北京方言とは若干異な 自然災害と相まって各地の農村に深刻な経済的就職先を決定するが、就職雇用問題はきわめて 労職 財 る。漢語方言は、大きく分類する困難をもたらしたし、また六六年以来全国に吹深刻な状況にある。一九八四年統計による全国 あらし 台 と、官話方言 ( 華北地方 ) 、呉方き荒れた「文化大革命」の嵐は、国民生活の精の社会労働者総人口は四億七五九七万人、内訳 、」うそ せつこう びん 久 言 ( 江蘇・浙江地方 ) 、閊方一一 = ロ神面での荒廃を招いたばかりでなく、農業・エは勤労者一億一八九〇万人、都市個人労働者三 カントン えっ ( 福建地方 ) 、粤方言 ( 広東地方 ) 、業生産の立ち後れをも引き起こした。さらに毛三九万人、農村 ( 集団・個人 ) 労働者三億五三 要 と・つしようへい および客家方言 ( 福建・広東付近沢東時代終焉以後の近年は、鄧小平の推進す六八万人。待業 ( 失業・未就職 ) 者の数は七九 主 の客家の言語 ) の五系統よりな る開放経済政策が加速され、農業においては人年の六三六万人 ( 待業率五・九 % ) から八四年 り、さらに東北、山東、四川、江民公社が解体されて生産責任制 ( 請負制 ) が導入末の一一三六万人 ( 同一・九 % ) と減少している 蘇、浙江の各地方などによって細 された。工業や商業でも工場・企業ごとの経済が、今後も毎年約五〇〇万人程度の青年労働者 かい差異が認められる。解放後は責任制が進められており、外資の積極的な導入の分配が必要と見込まれる。全国の勤労者の平 原則として普通話を基本とする言 も図られている。このため農村では年収一万一兀均賃金は八四年で年収九七四元。一方、住宅に ワンユフンフー 語教育が進められているため、広を超える「万元戸」も出現するなど、国民生ついては、農村の場合、従来は人民公社・生産 東や福建のように北方とは差異の活も一時より豊かになりつつある。七八年に政大隊、八五年以後はそれを引き継いだ郷人民政 甚だしい地方であっても、新制教府が経済建設を主眼とする開放政策を打ち出し府のもとで居民区が建設され、住宅もそれに従 って建設されている。都市部も同様に、勤労者 育を受けた若い世代はおおむね普て以来、国民経済も活発化の傾向をみせ、 CZ 通話を話し、聞き取ることができ は七二年二一三六億元、七八年三〇一〇億の所属する「単位」 ( 官庁・工場・学校など ) ごとに共同住宅が建設されており、八四年末の る。しかし、全般的にいえば、方元、八三年四六七三億元と成長しているが、八 めいりよう 言の差異は依然として明瞭な形三年の一人当り国民所得は約二三五ドルで、日本都市部の勤労者、住民の一人当り平均住居面積 で存在しており、華北・中原地方の二 ・八 % にすぎず、国民の生活水準は欧米やは四・七七平方であるが、都市部では労働人 ロ流入が激しく、住宅供給もなお十分とはいえ と江南地方、福建地方および広東日本に比較してはるかに低いことは否めない 地方とでは日常会話にも顕著な隔 その原因には、政治路線に振り回された経済ない状態である。最近、大都市では、若年層用 たりがあり、その差の大きさはわ政策の不安定性や、行政機構の性格とも深くかのアパートの建設、新築住宅の商品化のような が国の方言の比ではない かわる労働生産性の低さなど、中国社会特有の試みもみられる。 また、少数民族には既述のよう背景のはかに、新中国成立以降の、歴史上にも〔教育〕現代中国の教育の基本方針は、徳育、 4 テレヒ 83 . 2 1 9 . 8 1978 年 1 983 1981 1 983 ン シ 38 . 1 70 . 4 76 . 2 ラジオ 56 .8 1 00 . 5 1 04 . 6 30 . 7 / 自転車 63 . 4 1 35 . 9 1 59 . 9 27 . 4 91 . 4 - 三ロ 宀 2 240.8 268.2 1 50 200 250 100 50 注 : こ北京周報 : による 300