つるい ツルウリクサ 〔蔓瓜草〕ご、 きき、 Lindl. var. 、 0 、 ~ 0S0 ミ Yamaz. 果ゴマノハグサ科の多年 キ草。茎は細長く、地上 をはって長さ一五 ~ 三 〇。葉は対生し、三 角状卵形で長さ三 ~ 五 きょ 、三 ~ 五対の粗い鋸 はって伸びる。葉は対生し卵形で、長さ一 ~ 歯がある。夏、枝先に 一・五。花は六 ~ 七月、茎の先に二つ、まれ長さ二・五 ~ 三垰一、濃 に三つつき、二 ( 三 ) つの下位子房は互いに合紫色の唇形花を開く。 がく 着し、一つの子房に花が二 ( 三 ) っ咲いている萼は筒形で、五本の翼 りよう ようにみえる。花冠は白色で、長さ一、四裂状の稜がある。果実は だえん して開く。実は赤く熟し、直径八、、リ。林下のや狭長楕円形で、永存性 や湿った所に生え、日本、朝鮮半島に分布すの萼に包まれる。沖 〈福岡誠行〉縄、および台湾に分布 くしろ 鶴居 ( 村 ) つるい ( むら ) 北海道東部、釧路支する。母種は葉の鋸歯 したから 庁管内の純農村。一九三七年 ( 昭和一一 l) 舌辛がより粗く、中国大 あかん こんせん 徳の講 忠そ徂真 村 ( 現阿寒町 ) から分村。根釧台地を南流する陸、インドシナ半島に分布する。 せつり 。井 , 写〔門 雪裡川などの流域で、南部は釧路湿原が占め ツルウリクサ属はおもに東南アジア、インド 館酒で。 1 入 道主校たお御 る。村名は特別天然記念物タンチョウヅルが生に約三〇種分布する。園芸種として、ハナウリ 致藩藩し , る 〈山崎敬〉 息することによる。農家数はわずか二〇〇戸ほ クサがよく知られる。 宀一兀 旧代たとか残岡 九し統ほが しようない 高高国 市藩立学のど どであるが、農用地八九六一タのうち九九 % 鶴岡 ( 市 ) つるおか山形県北西部、庄内地 岡」内創を亠廟な 立 鶴亠庄が学」聖堂 が牧草地で、乳牛頭数は人口の約四倍の一万一方南部の商業中心都市。一九二四年 ( 大正一 二〇〇頭に及ぶ。また肉牛やブタの飼育も行わ三 ) 市制施行。五五年 ( 昭和三〇 ) 加茂町と いっきこがねゆたがわ きようでんさかえ れる畜産の村。道内有数のゴルフ場もある。人斎、黄金、湯田川、大泉、京田、栄、田川 つるおかまさお ( 一九 0 七ー七九 ) 洋画 は電気、輸送関係の工場立地が進んでいる。城鶴岡政男 おおやま かみ ) うとようら ロ二八五六。 〈進藤賢一〉上郷、豊浦の九村、六三年大山町を編入。庄内跡の鶴岡公園付近には旧藩校の致道館 ( 国史家。群馬県生まれ。太平洋画会研究所に入り、 回「鶴居村史』 ( 一九六六・鶴居村 ) 平野の南西部に位置し、東端を赤川が北流、西跡 ) や致道博物館がある。西部の大山地区は武昭和初め一九三〇年協会展に出品、洪原会、 Z てしかが おたのし 五万分の一地形図「弟子屈」「鶴居」「大楽は庄内砂丘、加茂台地を隔てて日本海に臨む。藤氏の尾浦城があった地で、江戸時代から酒造 O>< ( ノバ ) 美術協会の会員として活躍、ま じふぶき ぜんぼう てしべっ 冬李は道路交通の障害となる地吹雪が強い。羽 毛」「阿寒湖」「徹別」 地で知られる。付近に船乗りの信仰の厚い善宝た第一一次世界大戦末期に同志と新人画会を結成 ツルウメモドキ〔蔓梅擬〕 0 s 、、越本線と国道七号が市域を東西に走るほか、一寺がある。加茂地区は鶴岡城下の外港として発する。一九四七年 ( 昭和一一一 I) 自由美術家協会 とうほん ミ b 一ミ Thunb. ニシキギ科の落葉藤本一二号、三四五号が通じる。 達し、現在は県下第二の漁港。市南部には国の の会員となる。第二回サンパウロ・ビエンナー しよう きんばう ( つる植物 ) 。枝は褐色を帯びる。葉は互生し、 平安中期に大泉荘が成立し、鎌倉時代にその名勝金峰山が、北西麓に鶴岡の奥座敷といわれレ展出品。第七回日本国際美術展で優秀賞、第 たいほうじ だえん 楕円形で長さ五 ~ 一〇弩。雌雄異株。五 ~ 六地頭武藤氏が大宝寺に居城し町造りの基礎が敷る湯田川温泉があり、日本海沿いには海水浴の 八回展に『青いカーテン』を出品、東京国立近 みなかみはちまん えきせい 月、腋生の集散花序をつくり、五数性の淡緑色かれた。一六〇一年 ( 慶長六 ) に庄内を攻略しできる湯野浜、由良温泉がある。水上八幡神社代美術館賞を受け、翌六六年の現代日本美術展 もがみよしみつ た最上義光が大宝寺を鶴岡と改めて城下を改修本殿、鶴岡カトリック教会天守堂 ( 一九 0 三建造 ) で神奈川県立近代美術館賞を受賞。〈小倉忠夫〉 花を開く。果実は球形で橙色、三裂する。 しようりゅうじ かーんい れいなん 海道から沖縄、および朝鮮半島、中国、南千島し、赤川の治水や青竜寺川の灌漑用水の工事や致道博物館に移築された旧西田川郡役所、田敦賀 ( 市 ) つるが福井県嶺南、敦賀湾に臨 むぎまた に広く分布し、変異に富む。変種テリハツルウ が行われるなど土地開発が進んだ。一六一三年麦俣 ( 朝日村 ) の多層式民家渋谷家は国指定重む港湾都市。一九三七年 ( 昭和一一 l) 敦賀町と しなの まっしろ さんぜ しやそう メモドキは葉は小さく光沢があり、山口県、九 ( 元和八 ) 最上氏の改易で信濃 ( 長野県 ) 松代要文化財。三瀬の気比神社社叢などは国指定天松原村が合併して市制施行。五五年 ( 昭和三 ちよぎゅう ただかっ ひがしうらとう一う なかごうあらちあわの 州に分布する。別の変種イヌツルウメモドキから酒井忠勝が入部し、城下の整備を進め、以然記念物。明治の文人高山樗牛の生地。人口〇 ) に東浦、東郷、中郷、愛発、粟野の五村 ( オニツルウメモドキ ) は葉裏の脈上に突起が 後明治まで庄内藩十四万石の城下町として発展一〇万〇二〇〇。↓大山↓金峰山〈中川重〉を編入して旧敦賀郡全部を市域とする。国鉄の おばま 北陸本線と小浜線の分岐点にあたり、北陸自動 あり、北海道、本州、および朝鮮半島に分布すした。屈曲した道路形態などに旧城下町のおも回『鶴岡市史』全三巻 ( 一九六一一 ~ 七五・鶴岡市 ) しゆすはぶたえ る。果実をつけた枝をいけ花に用いる。 かげをとどめる。明治に入ると繻子や羽二重な二万五千分の一地形図「湯野浜」「鶴岡」「羽車道、国道八号 ( 塩津街道 ) 、二七号 ( 丹後街 おうみじ ぜんかも 前加茂」「三瀬」 ツルウメモドキ属は世界に三〇種あり、日本どの絹織物業が隆盛を極めたが、第二次世界大 道 ) 、一六一号 ( 西近江路 ) が通じる。人口六 しようないはん 万五六七〇。 には本種のほかに二種が分布する。〈門田裕一〉戦後は農機具や木工家具の生産にかわり、近年 鶴岡藩つるおかはん 0 庄内藩 第Ⅲ山ⅢⅧ血、一 - い、一第 至第田 あまるめ 藤島 中央工 、木原 文運動ム たんご 910
いけ花、装飾に利用する。名は、この果実の形 に由来する。また、この角状の突起が歩行者の 衣服にひっかかって脳ますところからタビビト ナカセの名もある。若芽はピクルスとして食用 っ にする。 実 日当り、排水のよい所に適し、育てやすい みしよう 花繁殖は実生により、春播きとする。〈柳宗民〉 マッノザメ〔角鮫〕 spiny dogfish 軟骨 ノ魚綱サメ目ッノザメ科の海水魚の総称。ッノザ きよく ッ メ類は二基の背びれの前にそれぞれ強い一棘を しり 岩上に生え、植物体は濃緑色の葉状体で、一 ~ 有すること、臀びれがないことが特徴である。 二回二叉状に分かれる。長さ一 ~ 三、幅三 ~ ッノザメ科はツノザメ属 & ミき s 、ヘラッノ へり 五 = 、リで、縁はすこし波状に縮れる。葉状体にはザメ属 Deania 、アイザメ属 Ce ミ、をぎミ s 組織分化がほとんどなく、気室および気室孔も ビロードザメ属 Scym ミ 04 を、カスミザメ属 ない。細胞内には大形の葉緑体を一個もち、葉 0 ミき scy ミ ~ ミ、カラスザメ属 E ごきミ e ミ s な② 緑体には一個のビレノイド ( デンプンの形成と ど、いくつかの属に分類される。ッノザメ属の 貯蔵に関与する構造体 ) がある。雌雄同株で、 アプラッノザメ & ミミ s ミミは、世界の 雌器および雄器はともに葉状体の組織の中に , っ冷水域に広く分布し、日本近海でも北日本にみ かんゅ ずもれてできる。胞子体は長さ三 ~ 四弩の細長られ、まとまってとれるため、肝油をとるほか い円柱状で緑色。先端のほうから二裂し、中央肉は食用となり、産業的に重要である。アイザ に軸柱がある。胞子は黄緑色。蒴内には胞子と メ属のアイザメ Ce ミ、、、 0 ミ s ミきミ、 g きミ ともに二 ~ 四個の細胞からなる弾糸がある。ほ など深海性のサメは、肝臓がすこぶる大きく、 とんど全世界に分布し、日本でも全国各地にみそれからスクアレンをとる重要な原料である。 られる。 〈井上浩〉カラスザメ属のフジクジラミ、 e ミ s 一 ~ 、 c 、 せん ー・」るい苔類、蘚類と並ぶコも深海性で、ほば全世界に分布し、腹部に発光 ッノゴケ類 ケ植物の一群。配偶体はすべて葉状体で、組織器がある。このほかにも多くの種が知られ、大 分化はほとんどなく、細胞内には一 ~ 数個の大きな分類群である。卵胎生で数尾から十数尾の 形の葉緑体をもつ。葉緑体には一個のピレノイ子を産む。アプラッノザメでは妊娠期間は二〇のもの、不規則分岐して枝が互いに癒合して網どの種がある。ロは裂状のことが多く、その長 ド ( デンプンの形成と貯蔵に関与する構造体 ) ~ 二二か月で非常に長い。↓サメ〈仲谷一宏〉状となるもの、樹枝状分岐して樹状となるも軸は骨軸に直交する方向に位置する。胃腔内に こう がある。雌雄の生殖器官は葉状体の組織の中に ッノサンゴ「角珊瑚〕 black coral 腔の、主幹に小枝を分岐させ瓶洗い。フラシ状にな は各触手の間に位置するロ道に達する完全隔膜 ちょう うずもれてつくられる。胞子体は線状で、中央腸動物門花虫綱六放サンゴ亜綱ッノサンゴ目るものなどがある。骨軸上には薄くゼラチン状が六枚あり、骨軸方向に一致する二枚は大き に軸柱をもち、蒴の壁には気孔がある。胞子体 Antipatharia の海産動物の総称。クロサンゴの共肉がかぶる。個虫は多くの場合骨軸の一方 く、そこに生殖腺が発達する。種によってはこ の基部には分裂組織があり、これによって成長ともよばれる。北緯四〇度以北に産するものは に一列に配列するが、ネジレカラマツやムチカの六枚の完全隔膜しかないものもあるが、大多 する。胞子体の細胞内には配偶体と同じ葉緑体大西洋に一種あり、南緯四〇度以南に産するも ラマツの 0 、ミ s 属のみは骨軸半面に個虫数の種ではロ丘内にのみ四枚または六枚の小さ がある。世界中に約三〇〇種あり、一科五属に のは太平洋と大西洋にわずかに知られるが、ほ が数列をなして配列する。個虫の胃腔は一個体な第二次隔膜を有する。管溝ははとんど認めら 分類される。日本ではツノゴケ、ナガサキッノ かの多くの種は熱帯から温帯にかけて分布し、 ごとに独立しており、隣接する個虫の胃腔とはれない。筋肉系の発達はいたって弱く、ほかの きんき ゴケ、アナナシッノゴケ、キノボリッノゴケな暖海ほど豊富に産する。 つながらない。個虫は骨軸上にくつついた形と花虫類にみられる隔膜の縦走筋である筋旗もほ どがある。↓コケ植物 3 膨 6 〈井上浩〉 〔形態〕すべて群体をつくり、いろいろな形状なり、骨軸には個虫を収める穴はない。個虫は とんど認められない。深海産の羽毛状群体をな ッノゴマ〔角胡麻〕 P き & を。 jussie- の骨軸上を薄い共肉が包み、そのところどころ体壁が滑らかで、六本の円筒形の触手をもつ。す B ミを、ミ s 属、 Sc 2 ミ s 属やカラマ ミ・ Steud. ッノゴマ科の一年草。インドネシ に個虫が分布する。骨軸は黒色で角質、細いも 触手は骨軸に直交する二本と、その先方に二 ッ状群体をなすござ、ミ s 属では各個虫は骨 ・メキシコ原産。高さは約一。枝のはかなりの弾力性をもち、色も暗褐色である本、根側に二本と配列する。触手には刺胞のか 軸上に長く伸びて、それそれが一一本の触手をも は分枝し、広く開張して茂る。葉は互生または が、太くなると弾力性がなくなって非常に硬く たまりが点在し、そこが不透明な点となって見つ三つの胃腔に分離し、二型現象がみられる。 対生し、卵形で質は柔らかく、綿毛がある。 なり、色も真っ黒になる。すべての種の骨軸上えるが、そのほかのところは半透明である。口上下の二個虫にはロがなく生殖腺が発達し、中 夏、総状花序をつくり、淡紫色または乳白色で には枝先方向を向いた数縦列の棘がある。群体盤も半透明で、胃腔内が透けて見える。ロ盤中央の個虫はロをもち生殖腺を欠く。ただ南大西 えんすい 長さ約五の花を開く。果実は蒴果で、長さ約の形状は種によってさまざまで、分岐をしない 央部にはロが開き、ここは円錐状に持ち上がっ 洋の孤島アセンション島において過去一度だけ こうきゅう 一五、上部はくちばし状の鉤角形を呈する。 針金状のもの、数本の主枝に分かれて小枝を欠て口丘を形成する。個虫および共肉の色は一報告された De こ、 ob ミ属は、八放サンゴ 」、つキ一 だいだい この果実の形を珍重し、熟果を枝ごと乾かしてく 箒状のもの、主軸の両側に羽枝を出す羽根状般に淡く、乳白色、橙色、黄色、ピンク色な類のように羽状突起を備えた八本の触手をもっ さく ① ツノサンゴ ①岩礁の崖に樹状の 群体をつくるウミカ ラマッ ②針金状の群体をつ くるムチカラマッ ③群体がススキの穂 を思わせるススキカ フマッ ④群体の共肉がさび 色を呈するサビカラ ・④ せん 862
そうだき の家内的町工場数は三二〇〇余に及び県下一で石膏泉。夏は妙高山登山や惣滝の景勝が楽し ある。最近、輸出洋食器の不振で、金属ハウスめ、冬はスキー場で、初雪のころから春スキー ウェアを筆頭に、プラスチック製品、農機具、まで楽しむことができる。国民保養温泉に指定 ゴルフクラブなどの多角的な軽金属工業にかわされている。信越本線妙高高原駅からバスで五 〈山崎久雄〉 り、工業団地が造成されている。手作りでしか〇分。 観 ついき 均 できない鎚起銅器の技術は県の無形文化財に指囮二万五千分の一地形図「赤倉」 平 り人し の成 定されている。人口四万四六五一。〈山崎久雄〉ツバメガ〔燕蛾〕昆虫綱鱗翅目ツバメガ 見 年か 二万五千分の一地形図「越後吉田」「三条」 科 Uraniidae の総称。中形から大形のガであ 刀 るが、日本に土着しているウスパッパメガなど 第ツバメウォ〔燕魚〕 batfish/8Platax メ ミミこ s 硬骨魚綱スズキ目スダレダイ科に 三種は開張二五 ~ 四〇ミリ。体は非常に細く、は 属する海水魚。関東地方以南の西太平洋からイねは幅が広い。体、はねともに白色で、灰色の ッ ンド洋にかけて広く分布する。体は丸くよく側横線や波状線をもっている。幼虫は四対の腹脚 しり こなかがわ う伝えがあった。ツバメは水界とかかわり深し 小池、松長、小中川の三村が合併、市制施行。扁し、背びれと臀びれは著しく大きい。ロは小 をもち、白蝦物に覆われている。おもに熱帯地 きとう せんとう 鳥と考えられ、竜が好むので、祈疇家はツバメ古くは、信濃川三角州の自然堤防上の渡し場と さく、歯は細く先端は三尖頭に分かれ数が多方に分布し、マダガスカル島、ニューギニア を用いて竜を招き、雨を祈ったという。日本でして発生し、近世は中ノロ川通船の河岸場町と い。本科の魚は幼期と成魚期とでは体色と形態島、中央・南アメリカには、はねが金属光沢に えち ) ) いちのみややひこ 秋田県や福島県に生きたツバメを池などに投じ して栄えた。越後の一宮の弥彦参道の入口で、 が著しく変化するばかりでなく、泳ぎ方も変え輝く大形の美麗種を産する。このようにはでな あま」 て雨乞いをしたのも、同じ信仰であろう。渡り国鉄弥彦線が通じ、新潟交通の分岐点にもあたる。全長一〇ほどの幼魚は日本の沿岸に夏李種は、すべて昼飛性である。 の習性から、異郷 ( 他界 ) と現世を結ぶ神秘的る交通上の要衝で、最近は上越新幹線の燕三条から秋季に出現し、表面の流れ藻などのごみの オオッパメガこ s きききをは、はねの開張 な鳥とされたもので、アルタイ諸族で、ツバメ駅や、北陸自動車道の三条燕インターチェンジ周囲に体を横たえて枯れ葉を思わす擬態をす一〇〇ミリを超える大形種で、はねは暗灰色、は が創世神話の主役を演じているのも、共通の宗も設置され、目覚ましい発展を遂げている。 る。全長二〇くらいまではこの習性があるねの中央を細い白帯が走り、後翅には長い尾状 教基盤によるものであろう。ヤクート族やアル 洋食器の町としての発展は、近世中期三条金が、成魚は浅海の中・下層を群れで泳ぐ。近似突起がある。東南アジアの熱帯から亜熱帯に分 タイ族では、ツバメに変身した悪魔またはツバ 物町の一環として、やすり、きせる、銅器など種のアカククリ P. ききききは、ツバメウ布し、夜行性でよく灯火に飛来する。飛び方が メが、海底の泥をくわえてきて大地をつくったを特産とする町鍛冶から始まり、第二次世界大オより小形でサンゴ礁海域で単独生活を送る。 非常に活発で、空中高く舞い上がる習性のため という。ツバメを水に潜る鳥とする伝承であ戦後、金物業の不振から洋食器の試作に転換しその幼魚は、苦味のあるヒラムシ類 ( 扁動か、フィリビン方面で発生した台風によ 0 て、 る。プリャート族では、ツバメが天神から火をて、輸出洋食器生産の一大躍進をみ、一時は全物 ) の形態と泳ぎ方をまねた擬態を行う。日本 盗んできたといい 、そのお礼に、人間はツバメ国輸出洋食器の九〇 % を占める文字どおりの洋の沿岸にはこのほかにミカヅキッパメウォ P. じがね が家の中に巣をかけることを喜ぶという。ツバ 食器の町に発展した。その生産過程は、地金づ ミきも分布するが、はかの種と同様に成長に メが天界と地上と水界を結んでいる。日本でも くりをする親工場から、研摩、めつきなどの下伴って形態の変化が大きく、幼魚時の識別はむ ツバメが家に巣をかけると家が繁盛するといっ 請工場に渡って、ふたたび親工場に返し、仕上ずかしい。熱帯地方では食用とする。飼育が容 て喜び、巣棚を用意する風習さえあった。神奈げをして輸出する模式的な分業零細企業で、そ易であること、形態や生態が特異であることな 川県には新築祝いの歌に、ツバメが巣をかけて 〈井田齊〉 どで観賞魚とされる。 ひな 雛をかえしたという詞章を伝えていた村もあ ンバメオモト C = ミ 0 こミト Trau ・ る。ツバメがお礼に巣の中に貝を残しておくと tv. et Mey. ュリ科の多年草。短いわずかに いう伝えは、関東や中国地方にあり、その貝は 斜め上に伸びる根茎から黄白色の根を多数出 だえん 安産の御守りになるという。『竹取物語』にい す。葉は倒卵状長楕円形で、地下茎の上部に集 うツバメの子安貝も、安産の御守りという意味 まり重なり合ってつき、長さ一五 ~ 三〇、や へり である。子育てを身近にみるツバメに安産の信 や肉質で厚く、縁に軟毛がある。花期は五 ~ 六 仰を結び付けたもので、中国でも、ツバメのき 月で、花茎は初め一〇 ~ 三〇一、果期には五〇 たとき、子授けを神に祈り、またツバメの卵を 前後に達する。花は白色、散房状総状花序に 飲むと子供を生むとも伝える。スマトラのバタ 四 ~ 一〇個つく。果実は球形の液果で、径約一 ク人は、子供を授かり、災いを除くようにと、 、初めるり色で熟すると黒色となる。北海道 ツバメを放すという。古代ギリシアでも、家の から奈良県以北の本州の亜高山針葉樹林内に生 からふと 不幸を払うために、家の中でとらえたツバメに え、千島、樺太 ( サハリン ) から中国、ヒマラ 〈小島瓔禮〉 カ油を塗って放す習慣があった。 〈河野昭一〉 ヤにかけて広く分布する。 なかくびき め燕 ( 市 ) 0 ばめ新潟県中央、西蒲郡の信濃 つばめおんせん新潟県中頸城郡妙高 ウ燕温泉 なかくち おおたぎり メ 川と中ノロ川分流点にある市。洋食器の町とし 村にある温泉。大田切川の上流に位置し、標高 ッ って知られる。一九五四年 ( 昭和二九 ) 燕町と、 一一〇〇。妙高温泉郷の一湯。泉質は含土類 4.10 4.20 4. 10 3.31 3.31 3.20 3.28 、 3.31 3.20 ・ 2.20 2.16 .4 . 1 5 、 3.20 3.10 ・ 3. 16 せつこう ッパメオモト〔左〕初夏 , 白色花 を開く〔右〕果実 875
しなの 明治に入ってからも官製地図の根拠となった。 面清報に対しては、単位区域を設定する必要がアリストテレスは地球が球形をなすことを科学臣らが信濃国図をつくり、これを呈上した。さ しよくにほんぎ らに『続日本紀』し。 こま、七三八年 ( 天平一〇 ) 、 明治になって、測量および地図作成の事業は ある。このためには、通常、メッシュ ( 方眼 ) 的に証明し、エラトステネスは地球の円周を初 く ' 、 - 一おり ち が用いられるが、全国土を連続的に覆うものとめて測定したことで知られる。また、プトレマ諸国に命じて国郡の図をつくらせたという記政府機関が中心になって行うことになった。明 イオスは、紀元後一五〇年ごろ、世界中の都市事がある。このようにして諸国の地図ができ、治の初年、内務省 ( 当初はエ部省 ) はイギリス して、標準地域メッシュとそのコードが定めら でんず れている ( 昭和四八年行政管理庁告示 ) 。これ位置の経緯度を集大成した『プトレマイオス地他方では条里制、班田法に伴い、田図などがつ人やフランス人の指導で測量、地図作成を始 は、二万五〇〇〇分の一地形図の縦・横を各一 理学』を完成した。これは科学的地図の源とし くられたと考えられる。現存する最古の地図とめ、続いて陸軍も測量に着手した。内務省で しては、正倉院宝物のなかに、七五一年 ( 天平は、全国の三角測量を開始するとともに、六〇 〇等分する経緯線網 ( 一区画は約一平方キ。 ) をて、地図学史の第一次革命の成果といわれる。 こんでん おうみ 基準メッシュとしている。 中世のヨーロッパでは、神学がすべての学問 勝宝三 ) の東大寺領近江国水沼村墾田図などが〇分の一の地籍図や五〇〇〇分の一の市街図な ぎよ、つき このような数値情報の代表例として、国土地を支配し、世界はふたたび円盤とみなされた。 ある。奈良時代に僧行基がつくったと伝えら どをつくり、陸軍は一万分の一図に続いて、一 理院で整備された国土数値情報がある。そこでこの考えを端的に表したのがいわゆる地図れ、最古の日本全図といわれる行基図は、国境 八〇年 ( 明治一三 ) からいわゆる迅速二万分 は、標高、起伏量、地形分類、表層地質、土で、円形にオケアノスで囲まれた陸地の上半分のみの簡略な日本全図に対する、後世におけるの一図、八五年からは正式二万分の一図の作成 壌、谷密度、河川、流域、行政界、開発や保全がアジア、下半分は地中海を境として左側がヨ総称である。行基図とよばれる地図と同じ形式を始めた。また八四年に、内務省の測量事業は に関する指定地域、文化財、土地利用、道路、 ーロッパ、右側がアフリカとなっていた。中世の地図は江戸時代までつくられ、日本全図の基陸軍に吸収されて、参謀本部測量局となり、さ やましろ 鉄道、公共施設、公示地価などの情報が、基準の後半に入ると、十字軍の遠征を機に、地中海 になっていた。この形の地図には、山城国 ( 現らに八八年に参謀本部陸地測量部に改称した。 メッシュごとに記録され、点清報、線清報につを中心とする交通が盛んになり、一三世紀ごろ在の京都府南部 ) を中心として五畿七道の経路陸地測量部は、一八九二年から一九二四年 ( 大 いては基準メッシュと関連づけられるようにな から、ポルトラノ海図がつくられるようになっ が表され、これに諸国の位置と名称が記され正一三 ) までかかって、全国の五万分の一地形 っている。総務庁統計局では、基準メッシュに た。これは、地図の各所に分度円を描き、そのた。 図を完成した。また、二万分の一にかえて整備 基づいた人口などの統計を整備している。 中心から目的の港への方位線を放射状に引いた 江戸時代の初期に、幕府は各藩に命じて国絵することになった二万五〇〇〇分の一地形図 しようほ・つ は、一九三八年 ( 昭和一三 ) までに、平野部を 数値情報から、コンピュータを利用して直接ものである。十字軍の失敗により教会の勢力が図をつくらせた。これには、正保年間 ( 一六四四 げんろく ~ 四 0 の正保図、元禄年間 ( 一六会 ~ 一七 0 四 ) の元主に、国土の約四分の一にあたる一一〇〇面余 に、または加工して、いわゆる数値地図を自動失墜すると、ようやくギリシア・ローマ時代の 的に作成することができる。この場合、メッシ 科学の成果がヨーロツ。ハに復活し、一五世紀に 禄図などがあり、縮尺はいずれも一里六寸 ( 二りが作成された。 たけべかたひろ ュを単位区域とする分布図だけでなく、公共施は、『プトレマイオス地理学』と『世界図』が万一六〇〇分の一 ) である。建部賢弘はこれら 第二次世界大戦後は、陸地測量部の事業を引 設の分布、河川水系といった点や線の地図をつイタリアで印刷された の国絵図を総合して『享保日本総図』を作成、き継いだ建設省の国土地理院を中心に、地図作 せきすい ちょうかん くることもできる。また、地図以外の鳥瞰図 一五世紀末からの大航海時代に、世界の水陸さらに水戸の長久保赤水は、一七七九年 ( 安永成事業は主題図の分野も含めて、目覚ましい発 〈五條英司〉 八 ) 、一〇里一寸 ( 一二九万六〇〇〇分の一 ) 展を示している。 や地形断面図などの作成、行政区画や流域ごと分布の知識はしだいに正確なものになった。印 のデータの集計、あるいはデータの組合せによ 刷術の進歩とともに、世界地図が多く出版されの『改正日本輿地路程全図』を発行した。この回織田武雄著『地図の歴史』 ( 一九七一一一・講談社 ) るようになり、オルテリウスは初めて銅版によ 地図は先の新刻版を改定して出版したもので、 ▽野村正七著『地図投影法』 ( 一三・日本地 る地域の解析、評価を行うことも可能である。 図センター ) ▽ < ・・ロビンソン他著、 このほかにも、メッシュのかわりに街区あるる近代的な世界地図をつくり、メルカトルは一経緯線が入っている点で画期的であった。 近代的測量に基づく日本地図の作成は、い , 永井信夫訳『地図学の基礎』 ( 一九会・帝国書 いは等質の地域ごとに、境界線とその属性を入五六九年の世界地図で、いわゆるメルカトル図 のうただたか までもなく伊能忠敬に始まる。忠敬は、一七九 力して、それから地域の分析、評価のための地法を採用した。一八世紀後半のクックの探検に 院 ) ▽日本国際地図学会編『地図学用語辞 典』 ( 一九会・技報堂出版 ) 図を作成する方法もある。一方、コロプレス地 よって、南半球の大部分が海であることが判明四年 ( 寛政六 ) に家業から隠居し、翌年佐原 よしとき 図などの分布図を作成する場合に、従来の製図し、ほば完全な世界地図が成立するに至った。 ( 千葉県 ) から江戸に出て、天文方高橋至時の智頭 ( 町 ) ちす ( ちょう ) 鳥取県南東部、八頭 一方、オランダのスネルは、一六一七年、ア 門に入り、暦法や測量術を学んだ。一八〇〇年郡にある町。一九一四年 ( 大正三 ) 町制施行。 工程にかわって、原図の色彩を自動的に判別 やまがた ルクマールとベルゲンの間で初めて三角測量をまず北海道と奥州街道を実測したのち、幕命を三五年 ( 昭和一〇 ) 山形、那岐、土師の三村と し、製版用のフィルムを作成することや、多く とみぎわ やま亠こと 受けて翌〇一年 ( 享和一 ) から一四年 ( 文化一 合併、三七年富沢村、五四年山郷村を編入。国 の点情報から等値線図を自動作成することなど行い、科学的な測量に基づく精密な地図作成の 道を開いた。フランスでは、一八世紀末に、カ一 ) までかかって、全国の沿岸および主要な街 鉄因美線、国道五三号、三七三号が通じる。中 も実用化されている。 みちまた シニ一族の努力によって、三角測量に基づく全道筋の測量を完了し、さらに翌一五年には江戸 心の智頭は『日本後紀』の古駅「道俣」と推定 かみがた 地図の歴史 彼の測量は、距離と水平角の され、江戸時代には上方往来の宿場町。中国山 土の八万六四〇〇分の一の地図が完成された。府内を測量した。 , イギリス、ドイツ、デンマークなどでも、一 測定を主体とするいわゆる道線法が主体で、必地に位置し、町域の九〇 % は山地。天然スギ林 地図の歴史は、文字などのなかった人類文化 世紀末から一九世紀にかけて相次いで本格的な要な地点で樹木や塔などの目標物をねらって位の学術参考保護林がある林業地で、挿木による の初期にさかのばるといわれる。 みはしらまつり 造林を特色とする。杉神社の御柱祭には杉丸 〔世界の地図〕世界で最初に文明が栄えたバビ三角測量を始め、科学的な地図が作成されるよ置を点検するための交会法を用いるものであっ ぶじようじ うになった。 た。忠敬は一八一八年 ( 文政一 ) に没したが、太を若者が担いで町を練り歩く。新見の豊乗寺 ロニアでは、粘土板に刻まれた地図が発見さ かげやす ふげんばさっ 〔日本の地図〕日本における地図作成の最古の 高橋至時の子景保が中心となって、一 八一一一年には平安時代の絹本着色普賢菩薩像 ( 国宝、東 れ、現在、イギリスの大英博物館に所蔵されて ひょっ 京国立博物館蔵 ) などがある。岡山県境は氷ノ にその成果である『大日本沿海輿地全図』を完 いる。また、パビルスに描かれたエジプトの金記録としては、『日本書紀』に、六四六年 ( 大 せんうしろやまなぎさん 化二 ) 、諸国をしておのおのその境界を調べ、成させた。忠敬の地図は、大図 ( 三万六〇〇〇山後山那岐山国定公園の一部。人口一万一一 山の地図なども現存する。古代ギリシアの初期 〈岩永実〉 これを図にして提出させたとある。六八五年分の一 ) 、中図 ( 二一万六〇〇〇分の一 ) 、小図九九。 には、世界は円盤状で、オケアノスとよばれる ( 天武天皇一三 ) には、朝廷から派遣された使 ( 四三万二〇〇〇分の一 ) の三種類からなり、囮五万分の一地形図「坂根」「智頭」 大洋に取り囲まれていると考えられていたが、 いんび き一かね なぎ 244
幅に変化する。その変化幅は三〇〇から一三〇おこる類似の発光現象であるが、そのエネルギ 6 だす芸術的な仕事である。調合香料の組立て各大学の学部、学科、研究科ないしは機関が、 ーの源は磁気圏から極地上空の熱圏に侵入する 6 は、べース、調和剤、変調剤、保留剤の四種の他の学生の学習に支障のない場合に限り、また〇度 0 ぐらいの範囲である。この気温変化に応 電子や陽子の粒子流である。このような粒子の 香料を適当に組み合わせ、さらに熟成させて製本人が正規の学生と同等またはそれ以上の学力じて、気圧や大気密度も大幅に変化する。 よ 侵入は極地に特有のものであるが、オーロラの をもち、また相当額の聴講料を納めることを条〔超高層大気の組成分布〕超高層大気が太陽か 品とする。調合香料の用途は香粧品、歯磨き、 ち せつけん、洗剤などのほか、医薬品、溶剤、殺件に、聴講を許可する。わが国では、学校教育らの極紫外放射を吸収すると、大気分子は解離発光だけでなく、超高層大気を電離したり加熱 虫剤、防臭剤、塗料、印刷インキなど広範囲に法、大学設置基準などにその明確な規定はなや電離をおこす。大気密度が十分濃いところでするので、日射の少ない極地の冬季では重要な 〈佐藤菊正〉く、 教育職員免許法施行規則などで聴講生の課は大気はよく混合されており、窒素や酸素などエネルギー源となっている。↓オーロラ 及んでいる。↓香料 〔超高層大気の運動〕下層大気では、さまざま ちょうこうさいれい / チャンコワンツア程も大学の課程として扱うことを規定しているの組成は一定であるが、高度約九〇キ。メートル 張広才嶺 きつりん な波動が存在することが知られている。これら ィリン中国、黒竜江省南東部から吉林省北東にすぎない。各大学は、聴講生の資格、入学から上では、太陽極紫外放射の解離作用によっ 料、聴講料、諸手続、単位認定の有無などにつて大気組成に変化が生じる。解離作用は、酸素の波動が上方に伝わると、超高層大気は密度が 部にかけて走る山地。長さ約三〇〇キロ、北東ー ばたん 小さいので、振幅が大きくなることが予想され いて規定し、また近年、単位互換制度の発展とや窒素の分子を遊離状の原子に分解するからで 南西方向の比高の小さい山地で、牡丹江と松花 ある。そのため高度一二〇キ。メートルでは、酸る。しかし、超高層大気は粘性が大きく電離度 江の分水界をなす。この延長は松花湖を経てジともに、特別聴講生の受入れの規定も設けてい ぶじゅん が高いため、波の発達を抑える効果も大きい。 リンハタ嶺となって撫順に達する。最高峰は大る。アメリカでは、聴講生を special student 素原子は酸素分子とほば同量になる。 とくちょうしさん さらに、高度約九〇キ。メートルから上では分高度一〇〇キ。メートル付近で実際に観測される 禿頂子山 ( 一六九 0 ) 。地質はデポン紀の花崗岩とよび、外国人聴講生を含み、聴講する大学で ちょうせき きようたんそう で一部にジュラ紀の夾炭層を含む。落葉広葉の学位取得ないしは卒業を目的としない暫定的子拡散の効果も有効に働きだす。そのため大気風系を特徴づけているのは、太陽潮汐波動で 〈金子忠史〉の各成分分子は重力の作用のもとで、その質量ある。太陽紫外放射による加熱によって、一日 な学生をさす。 樹、チョウセンゴョウ、トウヒが多く人工林も ろくじよう に応じて独自の高度分布をとるようになる。重周期、半日周期の大気潮汐が誘起される。この ちょうこうそうたいき upper at ・ 増えている。てん皮、鹿茸、薬用ニンジンを超高層大気 いものは下層にたまりやすく、軽いものは上層潮汐波動の誘起されるのはおもに超高層大気よ 〈浅井辰郎〉 mosphere 地球大気のもっとも高いところ、 特産する。 に分布しやすくなるのである。その結果、上層り低い高度であるが、高度一五〇キ。メートルぐ ちょうこうさんかくす / チャンチャンおおよそ高度七〇 ~ 九〇キロメートルから三万キ 長江三角州 ようす - 」う らいまではこの波動が存在するらしい。潮汐波 サンチャオチョウ中国東部、長江 ( 揚子江 ) 下メートルあたりまでの領域に対する用語。大気ほど比較的軽い酸素原子の占める割合が高くな ちゅうかゆう 流南岸にある三角州。長江中下游平原の一部での成層構造からみると、熱圏と外圏がこれに含り、高度約一五〇キ。メートルより上では、窒素動による風によってイオンの運動がおこり、そ まれる。一方、超高層大気の大きな特徴の一つ分子や酸素分子にかわって酸素原子が主成分との結果電流が流れて地磁気の日変化を引き起こ 江南三角州ともいう。太湖を中心とした盆地に している。 海水が浸入して形成された海湾に、揚子江南岸に電離度が高いことがあり、そのことに着目すなる。 熱圏の上部になると電離度が高くなるので、 高度約五〇〇キ。メートル以上の外圏では、水 から南東方向へ、また銭塘江北岸からも北東方ると、電離圏、プラズマ圏、磁気圏といった諸 領域に分けられる。超高層大気は、電離圏の電素やヘリウムなど軽い原子が主成分となる。外イオンの運動が中性大気の運動に影響を与える 向へ砂州が伸長して連端し囲い込んだ。さらに この古砂州の外側に揚子江が運搬した大量の泥波伝搬が長距離無線通信に利用され、ロケット圏大気はきわめて希薄で、大気分子どうしの衝ようになる。この高度領域では気温の日変化が 砂が堆積して新三角州が形成され、現在も成長や人工衛星が飛び交う領域であることから、わ突はまれにしかおこらないので、大気分子は大きいため、水平方向の気圧傾度が大きくなっ 個々独立に動き回っている。そのため、水素原て、地球的規模での風系が生じる。この風系 を続けている。面積約五万平方キ。、うち新三角れわれ人間生活に身近な存在となっている。 へいたん 気圧は高度の上昇につれて減っていく。した子のうちで運動速度の大きいものは、地球の重は、粘性とイオン運動の効果により、高圧の昼 州は一一・二八万平方キ。。地形は平坦で大部分が ・一うしゅう 側から低圧の夜側に向かって吹く傾向がある。 がって超高層大気はきわめて低圧で、その底に力を振り切って、宇宙空間へ逃げ出してしま 標高一〇以下であるが、揚子江沿岸と杭州 ↓大気 〈小川利紘〉 湾岸がやや高く中央部は低いため排水が困難であたる高度九〇キ。メートルでも一〇〇万分の一 ぐざんろうぎん ちょうこうそくてつどう時速三 ある。恵山、天平山、虞山、狼山など二〇〇 ~ 気圧ほどである。高度五〇〇キ。メートルになる〔超高層大気の電離〕太陽からの x 線や極紫外超高速鉄道 放射の超高層大気に与える作用として重要なの〇〇キ。メートル程度より高速で走行する鉄道。 三〇〇の丘陵も散在する。太湖をはじめ多数と、気圧は一〇〇億分の一気圧以下、一立方 メートル当りの大気分子の数は一億個はどであは、電離作用である。これによって大気中の分現在の鉄道は回転しようとする車輪とレールと の湖沼があり、無数の運河と河川が網の目のよ そう ねーれ ~ い 子や原子から、遊離した自由電子とイオンの対の摩擦力によって推力を得ている。速度の増加 うに縦横に走る。唐・宋代以降、灌漑・排水技るから、普通なら高真空とよべる状態である。 にしたがって車輪とレールの摩擦力は低下し、 〔超高層大気の構造〕超高層大気は希薄であるができる。そのため超高層大気の電離度は高さ 術の発達により中国の穀倉となった。水稲、ト 麦のほか、綿花、菜種、ジュート ( 黄麻 ) の生が、太陽からの線やエネルギーの高い極紫外とともに増え、電気伝導度のよい電離圏が形成伝達できる推力も低下してしまう。一方、走行 される。電離圏は短波電波を反射したり、内部 に伴って生じる走行抵抗は速度とともに増大す 産も多く、太湖周辺では養蚕が盛んである。ま放射を吸収するには十分な厚さをもっている。 る。このため、現在の鉄道では時速三〇〇キロか に電流が流れて規則的な地磁気の日変化をおこ た湖沼、水路を利用して淡水養殖業も発達して吸収されたエネルギーは大気を加熱する。超高 みん いる。明代後半より綿・絹織物の生産が農村に層大気は、密度が低いうえ、熱放射冷却が小さすので、地上から感知でき、一九世紀末から一一ら三五〇キ。メートル程度の速度が限界と考えら いので、高温状態となる。このため、最低気温〇世紀初頭にかけ早くも、その存在が知られてれている。これ以上の速度で走行するには、在 普及し、繊維工業都市も数多く発達した。中国 来とまったく異なった方式の開発が必要とな 最大の貿易港で、大商業都市である上海は東端のみられる高度九〇キ。メートル付近を超えて熱 太陽極紫外放射の作用によってつくられた原る。 〈林和生〉圏に入ると、気温は高さとともに急増する。高 に立地する。 〔方式〕超高速鉄道には、推進方式と車体の支 ちょうこうせいど大学または他の度三五〇 ~ 五〇〇キ。メートルになると、気温は子、電子、イオンは反応性に富んでいるので、 聴講制度 高等教育機関において、学位取得ないしは卒業高さによらずはば一定となるが、この値は太陽電離圏の中では原子や分子の衝突過程や反応過持・案内方式の開発が必要である。考えられる を目的としないで、特定の学科目を選んで聴講極紫外放射の強さによって大きく左右され、昼程が活発におこっている。その結果は、大気光方式として次のようなものがある。 〔推進方式〕①航空機と同様にプロペラまたは する学生 ( 聴講生 ) を受け入れる制度をいう。夜による日射の有無と太陽の活動度によって大として観測される。オーロラも超高層大気中で たいせき せんとう
つばき ッパキ属の原種 / 日本 ④サザンカ分布九州と四国の南西部 , 琉球列島の海岸 , 山地 ⑦サルウインツバキ ( 中国名・怒江山茶 ) 分布中国・雲 ①ャブッパキ分布本州 ~ 琉球列島に至る海岸 , 山地と 特徴花は白色の平開咲き中輪。花期は 10 ~ 12 月。花に香 南 ~ 四川省の山地 朝鮮半島の南西部海岸 りがあり , 花弁は散り性。南に分布するが , ャブッパキに 特徴花は白 ~ 桃色の小輪。花期は現地で 1 ~ 3 月 , 東京 特徴花は紅色の筒咲き中輪。花期は 1 1 ~ 5 月。多くの優 近い耐寒性をもつ ( 琉球列島産のものをオキナワサザンカ で 2 ~ 4 月。花っきよく , ャブッパキなみの耐寒性がある。 れた園芸品種を生み出した母体で , 耐寒性があり , また , として分けることもある ) 。 また他原種との交雑親和性がよい ⑤ヒメサザンカ分布奄美大島から西表島までの山地 ⑧グランサムツバキ分布香港の九竜半島中部の大帽山 他原種との交雑親和性が高い優れた種 ②ユキッパキ分布秋田 ~ 滋賀県に至る日本海沿いの山 特徴花は白色の極小輪。花期は現地で 12 ~ 2 月 , 東京で 特徴花は白色 , 平開咲きの極大輪で , 花期は現地 , 東京 3 ~ 4 月。多花性でウメに似た甘い芳香があり , 香りツバ とも 1 1 ~ 1 2 月。海抜 700 m の山中岩石地に 1 0 数本のみ自生 地多雪地帯 特徴花は紅色の平開咲きの小 ~ 中輪。花期は 4 ~ 6 月。 する珍種。ャブッパキよりも寒さに弱い キ作出の花粉親として注目されている ⑨金花茶 ( きんかちゃ ) 分布中国・広西チワン族自治区 低木で , 株際から叢生し , 冬期は雪の下に倒伏 , 寒気から 中国 の南寧市より南西のベトナム国境沿いの山地 保護されて越冬する。北陸の農山村に園芸品種が多く栽植 ⑥ヤマトウッパキ ( 中国名・雲南紅花山茶 ) 分布中国・ されている 特徴花は黄色の小輪。花期は現地で 11 ~ 3 月 , 東京で 2 ~ 雲南省のビルマとの国境近くの山地 ③リンゴッパキ分布屋久島の海抜 ~ 138m 付近の山地 特徴花は桃 ~ 紅色の中輪。花期は現地で 1 ~ 3 月 , 東京 4 月。ツバキ属でもチャに近い種類で , 花柄がある。葉は 特徴花は紅色の細い筒咲き小輪。花期は 4 ~ 5 月。果実 で 3 ~ 4 月 , ャブッパキよりも寒さに弱く , 枝葉が透ける 大きく , 葉脈が強く陥没する。寒さに弱く , 降霜地での露 が大きいはか果皮が厚くて , 種子は小さい。また , 葉も小 欠点がある。トウッパキ系園芸品種の生みの親として , ま 地植えはむすかしい。黄色ツバキ作出の母樹として世界中 さく細い。ャブッパキの変種とされている た油料資源として中国では重要視されている で注目されている 868
つば くちばし にある斑紋に似た円形斑紋が散在する。体色はの東西両岸と広い。図海藻 ( 別刷 ) 〈新崎盛敏〉る。嘴は縦に平たくて体に比べて大きく、先、ミ e 、ミを s などがある。これらは雌雄ともに同 あなん 紫紅色が基本ではあるが、紅藻類とは思えない 津峯つのみね徳島県東部、阿南市にあるのほうが赤色で基のほうが黄色をしている。足じ角をもつようなので、敵との戦いに使われた らしい。そしやく筋肉が発達し、歯は垂直に三 は赤つばい ほどに黄色や青緑色となるものもある。体形に山。標高二四七。頂上には津峯神社があり、 近似種のニシッノメドリ F. ミぎは、大五も連なる柱をつくっており、繊維の多い植物 も、分岐しないコマタ型や、大きく広開して葉徳島市の中津峯山 ( 七七三 ) 、小松島市の日峰 あわさんほう 縁にも側葉片をもっオオバッノマタ型などがあ ( 芝山ともいう ) とともに阿波三峰とよばれる。西洋北部の寒流域に分布する種で、生態はエトを常食としていた。図トリケラトプスプ たちばな ロトケラトプス 〈小畠郁生〉 ピリカ、ツノメドリに酷似する。全長三〇。 り、体色と体形は変化に富む。外海で荒波の当津乃峰スカイラインが通じ、山頂からの橘湾 たる岩礁上、潮間帯に周年生育するが、分布はの眺望に優れる。二等三角点のある陣カ丸は、嘴の基部は灰色をしている。 〈柳澤紀夫〉ッノロウムシ〔角虫〕 0 、 s 、 ) うずべんもう ちょうそがべ 広く、日本沿岸のどこにでも産する。ッノマタ長宗我部氏の阿波侵攻の際の陣屋跡といわれッノモ〔角藻〕 C 。「。をき渦鞭毛藻。。。。「ミ「昆虫綱判翅目同翅亜目カタカ は、日本では古くから知られてきた海藻の一つる。 〈高木秀樹〉 ( 綱 ) に含まれる単細胞体の一属の総称。珪藻イガラムシ科に属する昆虫。ッノロウカイガラ ムシともいう。ろう殻は大きく、六 ~ 九 = 、リで厚 で、刺身のつまなどの食用とされるが、より以二万五千分の一地形図「橘」 に似て、細胞は上下の二殻に包まれているが、 あなん つのみねじんじゃ徳島県阿南市津殻 ( 細胞壁 ) の主成分はセルロースである。上みがあり、淡紅色をわずかに帯びた灰白色。成 上に、含有する粘質物を漆食、壁土などの粘着津峯神社 - 一りよう ひがしふん 剤として使用されてきた。こうした糊料的な用乃峰町東分に鎮座。創立年代はつまびらかで殻にはつねに一本、下殻には一 ~ 三本の長い角熟した殻はドーム状に丸くなる。雌の虫体は暗 しようむ 途に使われてきたものに北海道産のクロバギンなしがネイし 、土云こよれば聖武天皇の七二四年 ( 神があることからッノモとよばれる。クロロフィ赤褐色で、腹面は強く隆起し、半球形。年一回 ナンソウがあるが、これは今日ではエゾッノマ亀一 ) に神託があり、国家の鎮護長寿延命の神ルはとのはかにカロチノイド系の色素をも発生。越冬成虫は五月に産卵し、六月中旬から かしはひめのみことまっ あわ タ C. こ Yamada et Mikami の名で同属として、加志波比売命を祀ったという。『阿波っため、葉緑体の色は橙色となる。核は巨大下旬にかけて幼虫が孵化し、九、一〇月に成虫 えんぎしきまたしようし の仲間とされている。↓ギンナンソウ 志』に「延喜式亦小祀と為す。水潟村南津峯で、静止期でも染色体が見える。ほとんどの種となる。日本では雄は現れす、単為生殖を行 ごんげん う。ミカン、チャ、ツバキ、ケヤキなど、多く ッノマタとよく似た和名の海藻としてコトジ に在り、今津峯権現と称す。旧北麓に在り、林類は海産であるが、マミズッノモ C. ミミこ ~ ・・ そうぜん ッノマタがある。コトジッノマタは、叉状分岐木蒼然古松一株其の大きさ比なし。昔時封田若ミ 0. F. Muell. は淡水産で、広く分布すの植物に寄生し、大害を与える。本州の宮城 〈小林弘〉県・山形県以南の日本全土および世界各地に分 を三、四回繰り返し、細長い体形となる。名の干あり」とみえている。旧来より国守領主の崇る。 はちすか つのりゅう ceratopsian/8Ceratop ・布する。有力な天敵として、ツノロウアカヤド 由来は、先端部の形状が琴の弦を支える「琴敬が厚く、とくに阿波藩主蜂須賀家歴代は家運角竜 sia 角をもった恐竜。恐竜の最後の亜目とし リトビコバチムき s きき、 es が知られて 柱」に似ることによる。分類のうえからみる長久を祈願した。一九三六年 ( 昭和一一 ) 郷社 〈林正美〉 と、コトジッノマタは長い間 C. ミミミ s とされ に加列。例祭は一一月一七、一八日。四月初旬て中生代白亜紀後期に出現した。その起源は白 だえき の日曜日に桜祭。 〈落合偉洲〉亜紀前期のプシッタコサウルス Ps ミミ。SきミS てきたが、現在では別属の G ミきミミ つば 0 唾液 Kim. に改められている。分布は伊豆半島以ッノメドリ〔角目鳥〕 horned puffm に求められる。これは全長一たらすの二肢歩鐔つば刀装の一具。鍔とも書く。『本朝車 行の恐竜であったが、頭とロだけでなく、骨盤器考』には都美波の音の詰まったものとあるが 東、三陸沿岸までとやや限定される。コトジツ F 、ミ e 、ミき、ミぶ鳥綱チドリ目ウミ 明らかではない。鐔は柄を握る手が刀身のほう ノマタにはカラゲニンの含有量が多いため、パ スズメ科の鳥。べーリング海のアラスカからアや五本指の手と四本指の足も角竜に似ていた。 へ滑らないため、また相手の攻撃から自らの手 ン、アイスクリームなどの食品加工用天然物と リューシャン列島、千島列島など北太平洋北部角竜の始まりはプロトケラトプス P き、。、ミ s しての用途が拡大している。なお、欧米での寒の寒流域に分布、繁殖している。日本では夏李で、著名なものにトリケラトプスがある。このを保護するための盤状の装具であるが、最大の 役割は刀剣のバランスを整えることにある。古 天製造主原料は古くからトチャカに似た lrish の記録もあるが、普通は冬鳥として少数が北日 ほかに一本角のモノクロニウスミ 0 き c 一をき s 、 今を通じて大小、形状、材質、技法とも変化に 本の海岸に渡来するのみである。全長三五・五首のひだ飾りが棘状に発達した一本角のスティ moss. ZC. c ミ s Stackhouse が使われてい ふんどう るが、これはツノマタと同属である。形状はコ 垰一。頭上と体の背面は黒色で、顔と腹は白色。ラコサウルス S きき s ミ s 、穴のあいたひだ富み、奈良時代までは小さく、分銅形のものな どもあるが、それ以降は直径八 ~ 一一程度 トジッノマタに似ており、分布域は北部大西洋顔の目の部分に角のような形をした皮膚があ飾りを首にもっ五本角のペンタケラトプス洋〒 富 あフ のでる 十語い は単て にとれ 1 ま ( 、 一初絵さ 文 , な 、姦ド色 本うう み一のよふ のる スのせ リさ ギえ 、当ツ・・タ岩 マの のッ っ飾ペ ぐー XC ー . はんもん 第日伍 Batt1edore bede g•わリ kl 川ハ。 p 【「 St ・文 VZ ユ 1 0 ABCDEFOHIJKLMNOPQ S T V ア XY Z . 3 0 】 0 ひ良ー 0 山れ恤 bi 恤 b は 靆 C ぐ 0 JCOCtLCcaCeC1 ad oduddadAdi dodu / つ : e 山Ⅲ、 of e 山び , ダ山 e EE ス gl に . R F 】 he 以 w ⅲー artm Name ・ dツ灯れ。、 . th ) ' üllb せ肥 00 ・は市 .23i い s ] Ⅱ F. h. 月、・ゼ月 . ・ Give us せ sD 0 " 「 d 田ツ第 ;andfcngiveusour Tref ” swe 「 g ⅳ e 山 e 川 0 。。 . that 、 , 中、。・ i " 代。、 = And 00 leadusnottntorremptatton,but del ⅳい " 56 明れ E Ⅵ l•ノ′〃・ しつくい つの ひのみね ツノメドリ崖にコロニーをつくる 865
の っ この類は古生代デポン紀に出現し、すべて海 わることもない。サイの角は特殊な分化をした 産で、浅海から深海まですむ。砂泥中に体の前 毛が表皮とともに非常に硬く角質化したもの 1 〕いとっ ちゅうじっかく 半を埋めて後端を出し、砂泥中の有孔虫や珪藻 で、内部に角心がなく中実角あるいは毛角と などを食べる。現生種は二科 ( ゾウゲッノガイ いわれる。一般に雌雄とも角があるがジャワサ こんせき 科、クチキレッノガイ科 ) 約五〇〇種があり、 イの雌の角は痕跡的になっていたり、まったく イた ガし 潮間帯下から深海底に至るまで分布して、いず ないものもある。これら哺乳類の角は外敵から れも砂底や泥底にすむ。日本には約五〇種を産 ツを 身を守るのにも使われるが、シカの雄などは外 体イ 左 する。貝殻は貝細工に用いるが、アメリカ・イ 敵からの防衛がもっとも必要と思われる春から 軟ガ ンディアンは貨幣の材料に用いた。 夏にかけての出産期と育児期はまだ袋角で武器 イ状ッ カ管ド 種のツノガイムミミ ~ ミミ当は、ゾウ にはならす、雌にさえ追われるため、離れて暮 ッャゲッノガイ科に属し、房総半島から九州まで分 らすものが多い。しかし秋の交尾期には雌を奪 布し、水深三〇 ~ 一〇〇の砂泥底にすむ。殻 い合うのに威力を発揮する。 長一〇〇ミリ、殻口径八 = リに達し、殻は背方へ弓 哺乳類のほか、節足動物に属する昆虫類で - につレ」う・ 形に湾曲し、黄橙色の個体と白色の個体があ は、カ。フトムシ類の雄がりつばな角をもってい る。殻頂部には九本の縦肋があり、その間に細 る。この角は表皮と同じクチクラからなるが、 い肋もあるが、殻口に向かって弱くなり、つい 相手を攻撃するときも角は上を向いたままで武 には消失する。 器にならず、求愛のときも雄が雌の後ろから近 そのほか、日本産の大形種にはマルツノガイ づくので雌には見えず、どんな役目をするのか わかっていない。そのほか、軟体動物に属するツノカイ〔角貝〕 tusk shell, t00th shell Fiss ミ e ミミミミ、ミ d があり、殻長一四〇 : 腹足類 ( ウミウシ、タニシ、カタッムリなど ) 広義には軟体動物門掘足綱に属する貝の総称に及ぶ。ャカドッノガイきミミミ。ミ・ も頭部の左右に一対のいわゆる角をもつが、多で、狭義にはそのうちの一種をさす。掘足綱、ミミきは殻長六〇ミリぐらいで、わが国ではも くは感覚器であって触手といわれ、必要に応じ Scaphopoda の仲間は、殻が管状で前方に太っとも普通種、各地の水深一〇ぐらいの砂泥 角 やかど 〈守隆夫〉 く、後方に向かって細まり、背方へ弓形に反っ底にすむ。名前は「八角」であるが、六 ~ 九角 て引っ込めることができる。 ていることが多く、獣の角を思わせるので、普形の変異がある。ゾウゲッノガイ De ミミミ 古くから強精剤として珍重してきた。古く日本都農 ( 町 ) つの ( ちょう ) 宮崎県中部臨海、旧 ~ 通、ツノガイ類と総称されることが多い。殻の ミミ il ミきはヤカドッノガイを大形にした でも、大陸から輸入した薬狩りとよばれる年中湯郡にある町。一九二〇年 ( 大正九 ) 町制施行。 えんしき 行事があり、不老長寿の薬にするために男はシ古代『延喜式』神名帳に都農神社、都濃野馬牧色は多くは白色であるが、緑青色や黄色などをような種で、殻長一〇〇 ' 、リに及ぶが、わが国に 力の袋角をとり、女は薬草をとっていた。『万の記載がある。広義の宮崎平野の北端に位置帯びる種類がある。殻表は平滑または縦肋があは産さずフィリピン以南に分布する。ニシキッ ぬかたのおおきみ り、そのため殻の断面や殻ロは円形のはか四角ノガイ F. こきききミは殻長八〇ミリで太く、 葉集』にあり、よく知られる歌である額田王し、海岸部は隆起開析扇状地の海岸平野、背後 おすず なめき しめの のもり カ - 一うはん の「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずやは花崗斑岩の尾鈴山地である。名貫川は尾鈴山から八角または多角形で、歯車状になるものも丸みのある縦肋があるほか、暗紫紅色と白色な しらたきやとぎたき そで おおあまのおうじ いし黄緑色の色帯がある。紀伊半島以南に分布 ( 一四 0 五 ) に発し、白滝、矢研ノ滝などの尾鈴ある。殻頂には切れ込みを生じるグループがあ 君が袖振る」と、それに答える大海人皇子の につまう ル、レ」っ あれ 「紫のにほへる妺を憎くあらば人妻ゅゑに我恋山潴布群 ( 国の名勝 ) がかかる。日豐本線、国る。軟体は外套膜が体を左右から包み、腹側でする。相模湾以南のやや深い所にすむムチッノ たかなべ ひめやも」が詠まれた舞台も、西暦六六八年五道一〇号が通る。近世は高鍋藩領。牧畜、野菜合して管状となるが、前後の両端は開く。頭部ガイ 4. 、ミ。きは殻長五五 = 、リ、曲がり方 は吻状に突出しているが目や触角はなく、先端カく 号、一五本ぐらいの縦肋がある。クチキレ 月五日の薬狩りのおりである。シカと同じ偶蹄栽培が盛ん。人口一万三八五九。〈横山淳一〉 かわみなみ ひも 一地三万五千分の一地形図「都農」「川南」「尾 にロがある。また、吻から多数の頭糸とい , っ紐ッノガイ S 、 0 ミ 0 ミミミ 00 ~ は内湾の 目でもウシ、ヤギ、ヒッジなどの角は枝分れし いしかわち 状の器官を出す。頭糸の先端は多少太く、吸盤水深一〇ぐらいの泥底にすみ、殻高一〇 : リ 鈴山」「石河内」 たり、毎年抜け換わるようなこともないま つのうじんじゃ宮崎県児湯郡都農状で感覚をつかさどり、また頭糸の背面は溝状殻頂には三対の切れ込みがある。〈奥谷喬司〉 た、例外も多いが一般には雌雄とも角をもって 都農神社 おおなむちのみことまっ かくしん になっていて、そこに生えている繊毛の運動に 町大字川北に鎮座。大己貴命を祀る。当社の ッノガエル〔角蛙〕 horned frog 両生 いる。これらの角は前額骨の突起である角心 じんむ ひゅうが つのぎや 創祀は、神武天皇が日向国 ( 宮崎県 ) を発幸より海底質中の有機物を口に運ぶ。口には軟体綱無尾目レプトダクチルス科ッノガエル属に含 を、角質化した表皮である角鞘が覆っており、 しんかく やまと レ J ・つんル′、 まれるカエルの総称。この属 0 、ミ 0 rys 中空であるところから洞角また真角といわれし、大和国に向かわれるとき鎮祭されたのに始動物門特有のそしやく器官である歯舌がある。 しよくにほんぎ は南アメリカ産の六種が含まれ、大形の種は体 る。ウシでは品種改良の結果角なしのものもあまるという。『続日本紀』に官社にあずかった本綱の歯舌は腹足綱のそれほど複雑ではない じゅ イし上長一五以上に達する。背面は赤、紫、緑、黄 る。工ダヅノカモシカは例外的な洞角をもってことがみえ、従五位下が授けられている。『一一一が、四辺形の中歯、縁歯、側歯をもち、本こヒ はんもん いて、枝分れもしているし、外側の表皮だけが代実録』には従四位上が授けられたことがみべて大きく強い。足は先端のはうへとがって周などの多様な斑紋があって美しい。代表種はプ えんぎ いちのみや つば え、延喜式内社でもある。日向国一宮で、と囲が刀の鐔状になり、海底の底質に足を突き入ラジルツノガエル C. きこミ・ヘルツノガ工 毎年はげ換わる。また偶蹄目に属するキリンの れてから、この鐔を支点にして体全体を引き込ル C. 0 こミ、コロンビアッノガエル C. き、・ くに疫病に対し神験があるとされている。一 角も特殊で、前額角が短く、普通の表皮で覆わ れており、キリン角といわれ洞角と区別され七一年 ( 明治四 ) に国幣小社に加列。例祭は一む。えらを欠き、外套の腹側に繊毛を生じ水肺ミミなどである。ずんぐりした体形で、頭 がんけん となる。心臟など循環系も単純で、心耳や血管部と口が著しく大きい。上眼瞼が三角形の突起 二月五日。夏祭八月一 ~ 二日。冬祭一二月四 ~ る。奇蹄目に属するサイでは頭部正中線上に一 ・一うもん となって目の上に張り出す。林床で生活するが 〈落合偉洲〉はない。肛門は体の腹側に開く。雌雄異体。 本または二本の角があり、枝分れもせず抜け換五日。 角 角 づの 叫町気イ第叫 中実角 キリン角 つのの ふん さがみ
ちょうる 鳥類 / 系統図 科によっては、旧世界または新世界のどちら ⑤アビ目、⑥カイツ。フリ目、⑦ペリカン目、⑧ な真鳥類で、歯をもっていない る。古鳥亜綱はアーケオプテリックスだけを含 鳥類の分類は、外部形態、比較解剖、習性やコウノトリ目、⑨フラミンゴ目、⑩タカ目、⑩か一方にだけ分布するものもある。たとえば、 み、多くの尾椎よりなる尾のあることや、手指 ミフウズラ、ノガン、ハチクイ、サイチョウ、 の先につめが残っていることなど、爬虫類的特行動、血清反応、染色体、タンパク質組成などカモ目、⑩キジ目、⑩ツル目、⑩ディアトリマ サンショウクイ、コウライウグイス、ヒョド 目 ( 現生種はいない ) 、⑩チドリ目、⑩ハト目、 に基づいて、さまざまな意見が提出されてい 徴が多い。新鳥亜綱は、あごに歯のあるものも リ、ムクドリ、タイヨウチョウ、ハナドリなど いる点を除くと、すべての特徴は現生の鳥類とる。比較的多くの学者によって採用されている⑩オウム目、⑩ホトトギス目、⑩フクロウ目、 の諸科は旧世界だけに、コンドル、ンルモド 3 ヨタカ目、のアマッパメ目、 2 ネズミドリ 同じである。新鳥類のうちで、歯をもったもの分類は、次のようなものである。 目、キヌバネドリ目、のブッポウソウ目、 3 キ、ハチドリ、タイランチョウ、モズモドキ、 目としては、古鳥類、歯鳥類を除けば二六目 は白亜紀の歯鳥類で、ヘスペロルニスというア ビに似た潜水鳥と、イクチオルニスというアジを認める。それらは、①ダチョウ目、②シギダキツッキ目、のスズメ目、である。以上の目はアメリカムシクイ、ムクドリモドキなどの諸科 サシに似た海鳥とである。それ以外の鳥類はみチョウ目、③ミズナギドリ目、④ペンギン目、約一五八科に分類される ( 化石種だけの科は除は新世界だけに分布している。一方、ネッタイ く ) 。真鳥類のなかでは、スズメチョウ、グンカンドリ、フラミンゴ、ヒレア シ、ハサミアジサシ、キヌバネドリ、ゴシキド 目がいちばんあとから進化したも リなどの諸科は新旧両大陸の熱帯地方に隔離分 っとも高等な分類群で、現生の鳥 類約九〇〇〇種の半分以上 ( 五六布しており、ウミスズメ科とペンギン科はそれ ぞれ北半球と南半球にだけ生息している。 科 ) がこの目に入る。 世界的な地理的分布の型は、隔離とその後の 分布 進化の結果である。一方、鳥類は分布障害を越 える能力に優れ、また環境の変化に敏感に適応 鳥類は、極地、高山、砂漠のご く一部を除いて、世界のほとんどするので、種の分布域は、適当な生息環境の存 すべての陸地、淡水域、海洋に分在 ( とくに適当な植生と食物の存在 ) 、気候そ 布している。しかし、世界的に分のほかの生理的適応限界、競争関係にある近縁 布している種はむしろ少なく、各種の有無などによって著しく左右され、容易に 大陸はそれそれ独特の鳥類相をも変化する。たとえば、アマサギやコシアカッパ すっている。 メのように近年繁殖地を北に広げているものも を 鳥類の地理的分布は、主としてあれば、都市化や環境破壊によって絶滅に近く 割・ *-ä・スレーター ( 一会 0 ゃなったものも少なくない。高緯度地方や高山で の < ・・ワラス ( 天七六 ) の研究に繁殖する種の多くは、渡りや季節移動によって 基づき、世界を次の六つの動物地分布地を変える。こうした分布地の変遷は、地 の理区に分ける。すなわち、旧北区質年代を通じて大陸規模でもおこり、たとえ さ ば、氷期における鳥類分布は現在とは非常に違 多 ( ヨーロッパ、中近東、北アフリ 力、ヒマラヤ以北のアジア ) 、東っていたと考えられる。 洋区 ( ヒマラヤ以南の熱帯アジ さ 形態 太ア ) 、エチオピア区 ( サハラ以南 枝のアフリカ、マ、ダガスカル ) 、新 鳥類の体は、、頭、頸、胴、翼、尾、足 北区 ( 北アメリカ ) 、新熱帯区よりなる。また、嘴と足を除く体は羽毛で覆わ ( 中央・南アメリカ ) 、オーストラれ、嘴と足は角質の外皮ないし鱗で包まれてい し リア区 ( スラウェシ島以東のオセる。足指にはとがって先の曲がったつめがあり へんべい ( ダチョウとカイップリではつめは扁平 ) 、キジ アニア ) である。このうちではエ 科では足に一 ~ 三個のけづめをもつものがある チオピア区、新熱帯区、オースト 樹ラリア区は隔離の程度が比較的高 ( けづめはとくにある種の雄でよく発達してい て し 旧北区、る ) 。さらに、それらの各体部は、骨格・筋肉、 、固有の科が多いが、 主東洋区、新北区は隔離の程度が低消化、循環・呼吸、排出、生殖、脳と感覚、な 冖日 く、固有の科はそれそれ一科ずつどの諸組織・器官系により構成されている。次 に、鳥類に特徴的な嘴、羽毛、翼、およびそれ しかない ( 旧北区はイワヒバリ ら諸系について述べる。 科、東洋区はコノハドリ科、新北 〔嘴〕嘴は上下のあごが角質の鞘で覆われたも タ区はシチメンチョウ科である。た だし、固有の属や種は少なくなので、上嘴は頭骨と癒合している。鳥類では前 肢は翼となっているので、嘴は食物をとるため 7 スズメ目 キツッキ目〕 . ・ ブッポウソウ目、 キヌハネドリ目 不スミ」「リ目 アマッパメ目を、 ヨタカ目ま フクロウ目寺 ホトトキス目 チ、ト冂・目 ンル目 ディアトリマ目 キジ目 カモ目 タカ目 フラミンコ目 コウノトリ目 。ヘリカン目 カイッフリ目 アビ目 。ヘンギン目 ミスナキドリ目 シギダチョウ目 ダチョウ目 第四紀 第 新生代 白亜紀 ( 現生鳥 類出現 ) 中生代 始祖鳥 ジュラ紀 樹上性 水・陸上性 さや
つまど である。集落と耕地は標高八〇〇 ~ 一二〇〇 る。招婿婚を除けば妻方居住は、夫と妻のそれックマン事務所に在籍。八八年帰国。一九〇五ツマグロヨコバイ〔褄黒横這〕 ~ はんし ぞれの生得的家族間の経済的利害関係あるいは年 ( 明治三八 ) 大蔵省臨時建築部長となり、官。ミ、洋 ci ミ、ぎ昆虫綱半翅目同翅亜目ョ内外の高冷地にあり、その気候を利用した高原 野菜であるキャ・ヘッ、ハクサイ、ジャガイモの 感情関係の調整として機能している。一方、母庁建築の主導者として国会議事堂などの建設をコバイ科に属する昆虫。翅端までの体長は四・ たしろ 栽培が特色である。田代地区が高原野菜の中心 指導。おもな作品に東京府庁舎 ( 天九四 ) 、東京五 ~ 六 : リ。体は黄緑色ないし淡緑色で、複眼間 系制社会においても財産の管理運営権は男性が しようきん には黒色横帯があり、雄の翅端は広く黒色。雄地で、京浜・阪神方面に出荷される。石津、吾 掌握するのが常であるため、永久的な妻方居住商工会議所 ( 天究 ) 、横浜正金銀行本店 ( 一九 おぐし はけっして多くない。 〈横山廣子〉 0 四、現神奈川県立博物館、重文 ) 、日本赤十字の体腹面は黒色。本州以南、東南アジア各地に妻、小串の各硫黄鉱山は、石油産業の副産物の つまがけ 〈天田起雄〉分布する。ィネ科草本にすみ、とくにイネの害硫黄に押されて一九七一年 ( 昭和四六 ) 閉山し 本社 (一九 lll) がある。 爪皮つまかわ 0 爪掛 おおまえ 妻木つまぎ岐阜県土岐市の一地区。旧妻ツマグロキチョウ「褄黒黄蝶〕 spotless 虫として有名。ィネの汁を吸うだけでなく、そた。中心集落の大前まで国鉄吾妻線が通じ、鹿 1 一う の際、ウイルス性の縮病などをおこすマイコル温泉、新鹿沢温泉、万座温泉や鬼押出しなど 木町。中世の妻木郷で、領主妻木氏ゆかりの妻 grass yellow, angulated grass yellow はちまん 木城跡、崇禅寺、八幡神社などがある。陶磁器 E ミ e ミ、ミ昆虫綱鱗翅目シロチョウ科プラスマを媒介する。少なくとも年四回発生の観光地が多い。人口一万一〇五六。↓鎌原村 ^ 村木定雄〉 に属するチョウ。関東地方以南の本州南西部、し、普通、幼虫態で越冬。沖縄諸島など南方に遺跡 生産でも有名。↓土岐 ( 市 ) 囮五万分の一地形図「草津」「軽井沢」「須坂」 は、近縁種のクロスジツマグロヨコバイ ~. ツマキチョウ「褄黄蝶〕ゝミぎ c ュ s 四国、九州より南西諸島にかけて分布するが、 あまみ りんし 「上田」 ミ、 0 c き s やタイワンツマグロヨコバイ ~. sco ミ昆虫綱鱗翅目シロチョウ科に属する奄美諸島以南の地域で発見されるものは迷チョ ミ・、ご ce などが多く、両種ともイネの萎縮病ツマジロウラジャノメ〔褄白裏蛇目蝶〕 チョウ。北海道より九州にわたる各地に分布がウ、あるいは迷チョウによる一時的発生かと思 広く、屋久島がその分布の南限。国外では朝鮮われる。国外では朝鮮半島南部、中国、台湾よや黄萎病を媒介する大害虫である。〈林正美〉トミ、きトミを斗昆虫綱鱗翅目ジャ きそ なぎそ 半島、中国に産し、東アジアの特産種。はねのりヒマラヤ地域に産し、またフィリピンより一一妻籠つまご長野県南西部、木曽郡南本曽ノメチョウ科に属するチョウ。北海道、本州、 なかせんどう かぎ 開張四八、リ内外。前ばねの先端は鉤状に突出ューギニア島、オーストラリアにわたって東南町の一地区。中山道の木曽十一宿の一つで、岐四国に産するが、産地は一般に局部的である。 りようせん まごめ だいだい し、雄では先端部は橙色、雌では地色と同じアジアにも広く分布する。はねの開張三七 : リ内阜県側からは馬籠に次ぐ二番目の宿にあたる。岩肌の露出した崖や山の稜線の岩場にみるこ からふと とが多い。国外では樺太 ( サハリン ) 、朝鮮半 白色、裏面には後ろばねの全面と前ばねの先端外。季節的変異が著しく、夏型は小形、秋型は中央線の敷設でさびれたが、一九七一年 ( 昭和 く、こず 部に独特の草摺り模様があり、きわめて特徴が大形となり、秋型では前ばねの外縁は直線状四六 ) からの地元の保存運動により宿場町が復島、中国からチベット、ウラル地方に分布す 、。まねの開張五五 あって、これに紛らわしい種は日本およびそので、はねの先端部は切り取られたような特異な原され、国の重要伝統的建造物群保存地区に選る。ヨーロッパには産しなし。 リ内外。暖地では年三回の発生 ( 五 ~ 六月、七 化定されている。電柱などは撤去され、脇本陣は 付近にはいない。年一回の発生、早春に現れ、形となる。成虫態 ( 秋型 ) で冬を越し、第一 月、 ~ 九月 ) 、高地帯では年二回の発生 ( 六 出現期はその地域のサクラの開花期が目安となの夏型は六月ごろから出現、以後発生を繰り返奥谷郷土館となっている。馬籠峠を越えて馬籠 しなのじ ~ 九月 ) 、さらに寒冷地では年一回 ~ 七月、八 し、九月から秋型が発生する。幼虫の食草はマ宿へ至る信濃路自然歩道が整備されている。↓ る。幼虫の食草はハタザオ属の各種、イヌガラ 〈小林寛義〉 の発生。幼虫の食草はヒメノガリャス、イワノ メ科のカワラケツメイで、その他のマメ科植物南木曽 ( 町 ) ↓木曽谷 シ、タネッケバナなどのアプラナ科で、幼虫は ガリャス、ヤマカモジグサなどのイネ科。幼虫 二万五千分の一地形図「妻籠」 〈白水隆〉は食草とならない。 3 シロチョウ 実を食べて育つ。 つまきよりなか ( 天五九ー一九一六 ) 建 本種に近縁のものにホシポシキチョウ E. 嬬恋 ( 村 ) つまごい ( むら ) 群馬県の最西端、態で冬を越す。 3 ジャノメチョウ〈白水隆〉 妻木頼黄 やまとたけるのみこと っしま あがつま 築家。江戸旗本の家に生まれる。一八七八年をがあり、対馬、九州、南西諸島で発見吾妻郡にある村。村名は、日本武尊が妻であ妻戸つまど寝殿造の住宅で、出入口に設 あづまはや おとたちばなひめ けた両開きの板製の扉。寝殿造では、周囲の建 されたものは迷チョウによる一時的発生と考える弟橘媛をしのんで「吾嬬者耶」と三嘆した ( 明治一一 ) 工部大学校造家学科に入学するが あ亠こま しらね あずまや 八二年中退して渡米、コーネル大学に学び八四られる。幼虫の食草はツマグロキチョウと同じ故事にちなむという。浅間山、白根山、四阿山具は蔀であったため、出入りには不便であり、 すその 〈白水隆〉の三火山の広大な裾野にまたがり、長野県境のそのため建物の端の隅に板一扉を設けて出入口と くマメ科のカワラケツメイ。 年卒業。翌年帰国。八六年議事堂および中央官 とり した。妻は端を意味し、端にある扉であるため 鳥居峠付近に発する吾妻川が中央を東流する。 庁街建設のため臨時建築局が設置されると同局ツマグロヒョウモン〔褄黒豹紋蝶〕 ln ・ かんばら に妻戸とよばれた。寺院建築や神社建築では板 dian fritillary/ 4 、、ミ s をを s 昆鎌原は、一七八三年 ( 天明三 ) の浅間山大爆発 技師となり、ドイツに留学。おもにエンデ・べ いたからと りんし 虫綱鱗翅目タテハチョウ科に属するチョウ。本で死者四七七人を出して壊滅し、復興した集落扉を板唐戸という。妻戸は板唐戸の形式の扉で 州南西部、四国、九州、南西諸島の各離島に普 虫にの 通にみられ、中国、四国、九州の平地では七、 成側央 う内中 八月の酷暑期にもきわめて普通なヒョウモンチ をみ虫 ョウである。国外では朝鮮半島南部、中国か 液込幼 養しの ら、西はインド、東はニューギニア島、オース トラリアにわたって東洋熱帯にも分布が広い かを直 はねの開張七〇ミリ内外。雄は普通のヒョウモン 稲卵産孵 はんもん ①産てと 虫 ( 豹紋 ) のような斑紋であるが、雌の前ばね先 イ並の / 第わー - 、雄端部は黒色を帯び、その中に白色の斜帯があ 葉を前 コの卵直 り、雌雄の差は著しい。幼虫態で冬を越し、第 ョ ヨネの化 一化は四、五月に発生し、以後は、連続的に発 ロイ形 ~ チ グ , ナ 生して晩秋に至る。幼虫の食草はスミレ科の植 マ同ナ同尾 マ ノ②バ③ 6 〈白水隆〉 ッ物である。 3 しタテハチョウ とき りんし ① ② わき しとみ ( 3 ) おう 883