ちゅうこ 1 イ 北京の天安門広場。 五・四運動 , 人民共和 国成立 , 文化大革命な ど , 近代中国の歴史的 事件ではかならず集会 やデモが行われた 。これが盛夏の小乾燥期で「伏」とよ下資源の賦存状況の地域差である。農業生産の ばれる。 中心は、総面積の一二 % を占める平野と一〇 % 4 〔生物相〕中国の植物界の特徴は、植生の種類を占める止陵内部の小平地であり、そのほとん が複雑で植物の種類が多いことである。中国のどが海に近い東部に集中している。比較的雨量 しんれい わいが 高等植物は亜寒帯、温帯、熱帯に属し、三万一一も多く、とりわけ秦嶺山脈と淮河とを結ぶ線の 〇〇〇種以上あり、複雑な植物群系に分かれ南方は年降水量一〇〇〇 = 、リないしそれ以上の湿 る。すなわち、古北極群系、中央アジア群系、潤地域で、水稲栽培の中心地である。この線以 北アメリカ群系、ヒマラヤ群系、インドーマレ 北は比較的降水量が少なく、水利の改良によっ ーシア群系、日本群系、汎世界群系、中国特産て水稲栽培が若干増加したものの、なお麦・雑 群系などである。図 ( 膨 ) は植生の地域区分穀作が中心である。総面積の一九 % を占める盆 図である。—の寒温帯針葉林区域の五五 % は天地を有するが、農業が営まれている肥沃な大盆 しせん 地は四川盆地のみである。国土の西部は東部と 然林で、興安カラマツがその七五 % を占め、ト ウヒ、モンゴルアカマツなどがある。二次林は は対照的に雨が少なく、草原や砂漠、ゴビ ( 礫 シラカバである。Ⅱは温帯針広葉混交林区域質砂漠 ) が広がっている。国土全体の三三 % が で、長白山ではアカマツを主とする。Ⅲの暖温山地、一一六 % が高原であるが、その大部分が、 だいこうあんれい せつほう 大興安嶺ー太行山脈ー雪峰山脈を結ぶ線を境と 帯落葉広葉林区域ではカエデ、ニレ、カンバ、 りようとう - 一うど うんき よ ) つじゅ 榕樹などを主とする。Ⅱに近い潦東半島、山して西側に位置している。黄土高原、雲貴高原 せいぞう 東半島ではクヌギ、アカマツなどが卓越する。 では農業が営まれているが生産性は低い。青蔵 Ⅳの亜熱帯常緑広葉林区域では、標高によって高原北西部には寒冷で乾燥した寒漠さえみられ も異なるが、熱帯の森林と似ている。森林の上る。エネルギー資源の賦存状況も地域による違 いが大きく、北部は石炭の埋蔵量が多く、石油 層木は。フナ科とクス科が多く、中層木にはサザ ンカ科、キクレンゲ科などが多い。の熱帯季の採掘が盛んであり、南部は包蔵水力が大き 節風雨林や雨林区域では、板根をもち樹高四〇 これらの点を考慮しながら中国の諸地域を以 に達する常緑樹に、つる植物や着生植物が生 活している。Ⅵの温帯草原区域には細く硬い葉下に概観する。 こくりゅうこうぎつりんりようねい の芽が見渡す限り大草原をなしている。Ⅶの温〔東北〕東北地区は黒竜江、吉林、遼寧の三 帯荒漠区域は植生はほとんどないか、きわめて省からなる。東と北とは朝民主主義人民共和 りようとう 貧弱である。オアシスではドロノキなどがみら国とソ連に接し、西は大興安嶺、南には遼東 ばっかい れ、塩性の沼沢の周辺には塩生植物が成長して半島が海に突出して渤海と黄海を分けている。 いる。Ⅷの青蔵高原高寒植被区域では日向斜面中ソ国境を流れる黒竜江の南側を小興安嶺が走 り、中朝国境には長白山地が横たわる。これら に草原が広がっている。高原荒漠地帯では小さ かんはく の山地に囲まれて中国最大の平原地帯である東 い灌木だけとなる。 りま・つが 北平原が広がるが、この平原は南の遼河平原と 中国に生存する陸生脊椎動物は一一〇九一種あ しようどん 北の松嫩平原とに分かれる。松嫩平原は黒竜 り、現在知られている世界の総種数の九・九 % どん しようか である。この内訳は、両生類が一九六種で世界江の支流の松花江と嫩江の流域にあたる。さら はちゅう に、松花江と中ソ東部国境を流れるウスリー の七 % 、爬虫類は三一五種で五 % 、鳥類が一一 →はにゆ・つ とが黒竜江本流に合流するあたりに、湿地性の 六六種で一三・五 % 、哺乳類が四一四種で九・ 寺 ) ん - ごっ 七 % である。中国は第四紀以降、大陸氷河に覆三江平原がある。三江平原には多くの国営農場 がある。これらの平野では春小麦やトウモロコ われたことがないので、比較的古い種や珍しい シなどの食糧作物のはか、大豆、サトウダイコ 種が現存している。わが国でも有名なジャイア ントバンダは、現在は横断山脈北部とその周辺 ン、亜麻、ヒマワリなどの商品作物栽培が盛ん 〈吉野正敏〉である。周辺山地には針葉樹の原生林が広く分 にのみ生息する。 布し、紙・パルプ原料の重要な供給源となって たんとう 也士心 1 一 11 ロ いる。また遼東半島にはリンゴ園が多く、丹東 ~ くさん 〔概観〕中国は全体としてみると、農業、工業では柞蚕の飼育が盛んである。 地下資源では石炭が黒竜江省 ( 年産全国第三 ともに大きな地域差があるが、その背景となっ ているのは地形、気候などの自然条件および地位 ) 、寧省 ( 第七位 ) に多く埋蔵され、石油 せきつい はん ひょく れき
地下ダムの建設にあたっては、地質調査を行 資学』 ( 一九七三・共立出版 ) ▽福岡正巳・落合まれる。一八九八年 ( 明治三一 ) 東京帝国大学 ばならない。地下水は、水質、水温の安定性、 されき い、砂礫層など貯水能力の優れた地が厚くあ 敏郎・榧根勇編『地下水ハンドブック』 ( 一九哲学科を卒業。大日本仏教徒国民同盟の結成に 採水の容易さ、コストの安さなどの点で、水資 七九・建設産業調査会 ) ▽土質工学会編・刊参加し、仏教を公認教とするために九九年『政り、それらの周囲が岩盤や粘土層などの不透水 源としては地表水よりも優れた特をもってい 『地下水入門』 ( 一三 ) ▽山本荘毅著『新版教時報』を創刊し、政治的活動を行った。翌性の地層で囲まれて、地下ダムによりせき止め る。また地球上にある陸水のなかでは氷に次い られた水が他へ流出しないような、地下水を貯 年、ヨーロッパの宗教制度視察のため池山栄吉 地下水調査法』 ( 一九〈三・古今書院 ) で多い。乾燥地域では水資源の大部分が地下水 ぐどう と渡欧。帰国後、一九〇一年東京・本郷に求道留するのに適した地点を選定することが必要で である。しかし地下水は循環速度が小さいか 地下水性ミズダニ類ちかすいせいー しんらん 学舎を開設し、雑誌『求道』を発刊。親鸞のある。 ら、資源として長期にわたる利用を考える場合 stygobiontic water mite 節足動物のミズ たんにしよう 地下ダムは地下を利用するために地上の土地 には水収支を考慮する必要がある。自然涵養をダニ類のうち地下水に生息するダニ類。日本の『歎異抄』を広く社会に紹介した。大谷派二三 こうえん くぶつ 利用にははとんど影響を与えることがない利点 上回る揚水を行い、しかも永続的に地下水を利地下水中から約八〇種が発見されているが、生世大谷光演 ( 俳号を句仏という ) の限定相続に 用するためには人工涵養が必要である。人工涵息密度は低い。地下水域は暗黒で水温の周年変際して句仏擁護論を展開し、宗門より破門処分があるが、地下の状態を精確に知ることはむず かんよ・つ イが少ないため、このような環境下に生息するを受けた。著書に『信仰問題』『人生と信仰』かしく、地下水涵養量や地下貯水量を把握し、 養は人工の池、水路、埋管、井戸などで行われヒ、 : 〈北西弘〉地下ダムを適確に管理することが困難であるこ ミズダニは、体色が消失して無色または淡黄などがある。 る。地下水は貯留量が多く、かなりの年月にわ ちかせいかっしゃのしゆき とも多く、現在のところは実施例は少ないな たって水収支的赤字に耐えられるので、石油な色、目は退化して著しく小さいか消失し、その地下生活者の手記 ちかしっしゆき お、離島、海岸砂丘、海岸平野など海岸近くで 0 地下室の手記 どと同様に、乾燥地域では地下水を使いきる政かわりに感覚毛や触肢が発達している。また、 は、地下水をくみ上げすぎると、海水が浸入し 策がとられることもある。地下水利用に伴う障生殖時期は一定していない。日本産のおもな属チカダイアフリカ原産の淡水魚でテイラ ピアの一種。日本にも移入されて養殖もされててくることがあるが、地下ダムを建設すると、 害には塩水侵入のほか、水位低下による井戸枯としては、カワムラダニ K ミ ( ミミミミミミ s 、コ 利用されずに海に流出していた地下水を貯留 おり、イズミダイの名もある。↓テイラピア れや井戸干渉と、地盤沈下がある。地盤沈下 ハンダニ 0 s 、ヒゲチガイダニト e 〒 ちか 地下水の流れをせき止し、利用可能とする以外に、海水の浸入を防止 は、被圧帯水層からの過剰な揚水に起因する上さ、ミ、タマミズダ一一 ~ ~ ミミ斗を、ウチダ地下ダム 〈鮏川登〉 ニッポンミズダめ、地下水層に水を貯留するために地中に設けする働きもする。 ミズダ一一 U ミ、」ミミミ s 下の加圧層からの水の絞り出しによる圧密が主 なか られる遮水壁のことをいう。遮水壁は、地中に近露ちかっゅ和歌山県中部、叫牟婁郡中 原因であるが、沈下量は小さいが帯水層自体の ひき あな などがある。これらの地下水性ミズダニ類は人ポーリングした孔にセメントミルクを高圧で注辺路町の一地区。日置川上流の小盆地。近津湯 弾性圧密や、地中の水圧変化による地層のプロ くまの とも書く。熊野街道中辺路に沿い、近露王子社 入したり、地中に鋼矢板を連続して打ち込んだ 畜無害であり、これの検出はむしろ良水質で、 ック運動が原因になって生じる場合もある。↓ ( 県史跡 ) は垢離の場とされていた。近世には 〈榧根勇〉飲料に適した水であることを意味する。↓ミズり、地中にトレンチを掘り、その中にコンクリ 地盤沈下↓水↓水資源 とよとみ てんま 紀伊藩の伝馬所が置かれた。豊臣秀吉の紀州攻 〈今村泰二〉 ートを打設したりしてつくられる。地下ダムに 〔法律問題〕民法は、地表の流水については、 のながせ かんげき ちかずみじようかん ( 天七 0 ー一九四一 ) より地層の間隙に蓄えられた水は井戸により揚めに抗した野長瀬一族の墓が国民宿舎の近くに 相隣関係として不十分ながら規定を設けている近角常観 そ ) つりよ ^ 小池洋一〉 ある。 真宗大谷派の僧侶。滋賀県湖北町の西源寺に生水され、利用される。 が、地下水についてはまったく規定を設けてい くりすがわ 靏二万五千分の一地形図「栗栖川」 なし判例は、地下水につき、原 地下鉄ちかてつ underground railway 則的に土地所有権が及ぶものと解 フラ イギ métro Untergrund ・ subway しているが、地下流水は一定の土 bahn イ 地下に敷設された都市高速電気鉄 地にとどまっているわけではない 道。地下鉄道の略称。ほかの交通機関や道路と し、地下滞留水も他の土地にまた の交差がないので列車運転速度を高められ、市 がっている場合が少なくないの 街地景観の維持ができること、騒音の発生が少 で、このような解釈には疑問が残 シ牽を装 ビで間止 ないことから、大都市公共交通機関の主流とな る。むしろ、河川等の地表水に準 車野停っ 鉄関上車な っている。通勤・通学などの便を図るため、路 じて、土地所有権から独立した地 下機 ~ 列と 地気草動け 線は都心から周辺郊外地区に向けて放射状に配 下水利用権と考えるべきであろ の蒸表自駆 モス , 先置される場合が多いが、ロンドン、パリ、 初を う。温泉については、すでに温泉 最間駅たの クワのように環状線を設けて放射状路線の相互 権として慣習法上の物権と認めら 界ト野ま 世一上。代 れている。工業用水のくみ揚げの たリのた近を連絡している都市もある。同じ路線が郊外に しト時し関 出ると高架や地平になる場合でも、運営主体が ように、地下水が多量に利用され 通ス当転機 開・通運通地下鉄道運営事業者であれば地下鉄とよぶ。 る場合には、地盤沈下などを生す にン開復交 往 〔沿革〕一八六三年一月、イギリスのロンドン るおそれがある。そこで、「工業 ドン 2 で用 に開設されたのが最初である。当初は蒸気機関 用水法」や「建築物用地下水の採 和分採 ロ一昭 3 を 車牽引で、ビショップス・ロードーファーリン っ取の規制に関する法律」により、 ア ( 隔ど 史 歴年フ年問な ドン・ストリート司 ド約六キ。メートルの営業を始 一に地下水採取の規制がなされてい フー一ムア , 鉄ド運 めた。排煙のために駅には天井を設けす、燃料 7 〈竹内俊雄〉 カる。 ばいえん には煤煙の少ないコークスを使用した。九〇年 ち回水収支研究グループ編『地下水 WAY 0UT み町 : 物 . : こい SS
回中山研一著「現代社会と治安法』 ( 岩波新書 ) が生まれながらにしてもっているものを規定要る農業をはじめ、その他の産業や集落、人口分医療の効率化とネットワークづくり、高度医療 ▽同著『治安と防衛』 ( 『現代法学全集現因とする。性や人種、あるいは血統、家柄、遺布、住民の生活様式などにも等質性が現れ、こを支える三次医療の供給体制づくりなどを推進 することである。すでに救急医療情報システム 代の国家権力と法』所収・一九大・筑摩書房 ) 産などに基づくもので、人々の基本的な生活様の地域の地域性が構成される。 は、このようなシステム化の体制内に入り始め しかし一方では、このような等質地域に対し ▽杉村敏正・中山研一・原野翹著『治安と人式を規定する。もう一つは獲得的地位 achieved status とよばれるもので、個人的な努力の結て、互いに隣接するが相異なるいくつかの等質ている。また、一次医療での休日夜間急患セン 権』 ( 一九会・岩波書店 ) 地位ちい status 集団や社会の階層構造果として、あるいは幸運などによって手に入れ地域を機能的に統合した統一地域も形成されター、二次医療での救急病院の輪番制や医師会 上の特定の位置を示すもの。その地位を占めるることのできるものを規定要因とする。教育程る。統一地域は諸機能が集中する中心によって病院の設立、三次医療での広域の医療圏による 者は特定の社会的資源の配分にあずかる。どの度や職業などさまざまなものが含まれ、社会生結節・統合されるために結節地域ともよばれ救命救急センター制度の設立などが、地域医療 る。これを大都市圏をもって一例とすれば、商システムを具体化した事例としてあげられる。 ような社会でも、そこに生活する人々の間に活を営むうえで決定的な意味をもつ。 さらに地域医療システムでは、地域内での医 生得的地位であれ獲得的地位であれ、特定の業地域、工業地域、市街地域、近郊地域など、 は、なんらかの形で階層構造がつくられてお 地位を占める個人や集団がその地位に基づく優それぞれ異質の多くの等質地域が、いずれも大療需要に応じて一定のガイドラインを設け、そ り、それを通じて社会秩序を維持している。 めいりよう れに従って医療の供給を整備するとともに、需 性、年齢といった比較的単純明瞭なものを基越性を表示するために使われるものが地位のシ都市を中心にして機能的に結合しているので、 この大都市圏を地理学では統一地域または結節要の側もなんらかの方法で不要な医療需要を抑 ンポルである。シンポルとなるものは、ことば 準としてつくられる階層構造もあるが、一般に 階層構造は細分化されており、かっ複雑微妙な遣いや礼儀作法といった行動様式から、位階勲地域と称するのである。しかし都市に大小があ制することが考えられている。具体的には、地 等や役職などの制度、記章や服装をはじめとするように、結節地域も機能的中心の大小によっ域内に多角的自動化検診システムを入れ、患者 形をとっている。 〔権利・義務・役割〕元来、地位とは権利と義る意味を付与されたものなどさまざまで、手にて階層的差異が生じ、大きな結節地域のなかの早期発見・早期治療を行う試みや、地域での しいくつかの小さな結節地域が含まれる階層高額医療機器の配分を行う試案のほか、アメリ 務の範囲を決める法制上の概念として用いら入れることがむずかしければそれだけシンポル 的構成が形成される。この結節地域の階層的地カで行われているような、ある疾病に対する医 としての効用は大きい れ、社会生活を営むうえで欠くことのできない 〔地位と集団〕同じような地位を占める人々は域構造を最初に明確に打ち出したのが、一九一一一療費の外枠を定める方法などというように、供 資格要件を示すものであった。一九世紀に入 り、ヨーロッパでは旧来の社会秩序が大幅に変地位を契機とする集合体を形成する傾向があ三年のドイツのクリスターラの中心地理論であ給・需要の両面からのシステム化である。今後 る。 〈織田武雄〉 の地域医療システムにおいては、これらの社会 る。集合体の一員になることによって、人々は わり、人々の地位にさまざまな影響を及ばし ちいきいりようーー医化された医療の側面と、現状の市場メカニズム た。日本でも、明治維新によって既存の身分秩生活様式や利害関係について共通の認識をも地域医療システム 序が崩壊したため、高い地位にいた人々は、そち、互いに一体感を育てるだけでなく、自分た療を地域的な視野でとらえようとする仕組みをに任された自由な医療需給との組合せをいかに いう。その時点で考えうる最高の医療をすべてするかが主題となると考えられる。わが国のよ ちに与えられている特権を守るとともに、より れまでに享受していた特権や名誉が失われてい うな経営主体がきわめて多様な医療体制の下で よい生活を享受するために、より高い地位を求の人に平等にという考えは、少なくとも現時点 くことを経験したし、低い地位を占めていた は、各施設の機能の調整のためにはなんらかの 人々は、自分たちの運命が開けていく可能性をめて組織活動を展開している。↓階層↓社会では、膨大な医療資源を消費することが明らか 〈本間康平〉 になりつつある。こうした事情を背景に、定め方法論が必要と考えられ、その一つとして医療 的移動↓社会的成層↓身分 信じることができた。工業化の進展とともに、 情報システムが大きな役割を果たすものと思わ このような特権や名誉の侵食がいっそう進んで・リントン著、清水幾太郎・犬養康彦訳られた医療資源の下に有効にその配分を行い 〈藤正巖〉 医療水準を向上させるためには、地域を中心にれる。 『文化人類学入門』 ( 一九五一一・東京創元社 ) おり、地位を法制上の問題として固定的にとら ちいきかいぜんたいさくじ えることはできなくなっている。 ちいき一般には地表上の広狭の広が医療計画をつくって実施するという、「地域医地域改善対策事業 地域 」、つわ」しギー、つ 社会構造上の位置を示す地位には、地位を占りをもっ特定の部分をさすことばであり、地方療のシステム化」が一つの解決策であるとされぎよう 0 同和事業 ちいきかいはっ regional develop ・ 地域開発 めている人々の個人的資質とは無関係に、そのあるいは地区などと同義に用いられる。しかしている。 わが国を含むすべての西側先進諸国では、一 ment 地域の潜在的可能性を開くことを掲げ 位置を規定する権利と義務、および、役割行動世界の地表上には、実にさまざまな自然的ある いは人文的事象が複雑に分布している。これら九八〇年代に入り、医療費の高騰を防ぐためにる社会的計画。その先駆的な例としては、アメ についての期待の枠組みがはっきりと打ち出さ リカの大恐慌を救ったとされるニューディール れている。同時に、地位が確定しているとい , つの諸事象のうち、独自性を備え、地域の構成要地域医療システムの強化が計画され、自由市場 政策の一環としてのなどがあげられる。 での医療システムとの適合の道が探索されてい ことは、その地位を占める当事者がプラスの特素としてなんらかの意味で等質的性格を有し、 権をもっことによって社会的尊敬をかちとるこ周辺の外部の地域とは異質的であるとき、それる。わが国でも一九八三年 ( 昭和五八 ) に施行開発や計画の主体や推進力としては、行政や企 された老人保健法以来、種々の地域医療システ業体が中心となることが多く、とりわけ日本で とを主張し、あるいは、マイナスの特権をもつを基準にして、他地域との間に境界を定めるこ ことによって社会的蔑視の対象となることを受とができる。このようにして設定された地域ムの立案がされ始めているのはその一例であは住民の関与や参加は少ない 認するとともに、その事実が社会的に確認されを、地理学では等質地域あるいは均質地域と称る。わが国の地域医療システムとして国から提〔資源開発中心主義の段階〕日本において地域 ていることを一小す。したがって、ある地位を占している。たとえば三角州、黒土地帯、熱帯雨案されているものは、各都道府県が地域を設定開発ということが本格的に取り組まれるように し、そのなかで約八割を占める一般的な疾病なったのは、第二次世界大戦後の経済再建の過 めるということは、その地位を占める当人が主林地域など、地形、地質、気候、植生などの自 程、とりわけ一九五〇年 ( 昭和二五 ) の国土総 張するだけでなく、人々がその主張を容認して然的事象が複合し、相互に作用して等質性が形の、治療とその予防を中心とするプライマリ・ ヘルス・ケア ) である一次合開発法の制定以降の時期であった。それは、 成された地域である。また人文現象の場合でケア ( プライマリ・ いるという事実が不可欠である。 キ、〔地位とシンポル〕地位は、地位を規定する要も、たとえば東南アジアのモンスーン地帯にみ医療の供給体制 ( ホームドクター制度や情報シ敗戦による植民地の喪失、領土の縮小という現 ステムによるバックアップ体制 ) の確立をます実を前にして、その経済的復興の道が国内市場 られるように、季節風に代表されるこの地域の > 因によって二つに大別される。一つは生得的地 ち位 asc 「 ibed sta ( とよばれるもので、人々自然的事象の等質性に対応して、米作を主とす基幹とし、ついで、入院医療を中心とする二次の発展や後進地域の開発に求められたからでも
六〇六年版のメルカトル地図帳の南アメリカ図る。また、縮尺に応じた表示事項の取捨選択、主題図のおもなものである。このほか、国や地 ず 地図の作成工程 にすでに用いられていた。しかし、一六五〇年細かく表示できないものの総描 ( 総合描示 ) の方の機関で作成される各種の計画図や、民間か ち サンソン N. Sanson が大陸図に用い、一七一一仕方、図上で接着してしまう場合の転位の原則 ら発行されているレクリエーション用の地図、 〔地形図の作成〕一般図のうち、ここでは実測 九年にフラムスティードが星図に用いたのが有などが規定される。さらに、地名などの文字に 道路地図、住宅地図なども主題図である。 図である地形図の作成工程について述べる。地 じだい 名になり、この地図投影の名称となった。 ついては、対象物に応じて書体、字大、字形〔縮尺による分類〕地図の縮尺の面からは、わ形図をつくるためには、三角測量で水平位置が 一八世紀にフランスでは、プトレマイオス第 ( 直立体、傾斜体など ) 、文字の間隔、配列方が国では、一万分の一以上の縮尺を大縮尺、一決められた三角点と、水準測量で標高が決めら 二図法の数学理論をポンヌ R. Bonne が完成向、名称の表示位置などが決められている。 万分の一から一〇万分の一までを中縮尺、一〇れた水準点とが骨組みになる。これらの基準点 し、ポンヌ図法が生まれた。第一図法を二基本 図式は、地図の目的のはかに縮尺によっても万分の一以下を小縮尺とよんでいる。しかし、 をもとにして、地表面の高低、起伏の状態や、 緯線正距円錐図法に拡張し、それによる地域図異なってくる。たとえば、道路は五〇〇〇分の この区分は固定したものではなく、その国の地その上にある自然物、人工物の位置を測り、地 が作成されたが、これは作成者ドリール De 一以上の縮尺ならば、ほとんどが実際の幅を縮図整備状況により、また時代によって違いがあ図に描き表す作業を地形測量という。地形測量 Lisle により、ドリール図法とよばれる。また尺化した幅の記号で描き分けられるが、二万五る。なお、地形図という呼称は、中縮尺およびの方法は、かっては平板測量のみであったが、 カシニは正距円筒図法を横軸の場合に直して測〇〇〇分の一となると、実際の幅を階級区分し大縮尺の一般図に対して使われる。 現在では大部分が写真測量にかわった。平板測 量座標系に用い、世界で最初といわれる三角測て、それそれを所定の ( 縮尺化したものよりも〔実測図と編集図〕地図はまた、作成方法によ量では、三脚のついた平板上に、基準となる点 量に基づく統一規格の切図形式による基本地形拡大された幅の ) 記号で表示するようになり、 って実測図と編集図に分けられる。実測図は、数点をプロットした図紙を固定し、現地でこれ 図測量を始めた。その後プロイセンで行われた同時に取捨選択、総描、転位などの手法が必要空中写真からの図化や地上での測量・調査によを正しい方位に水平に置き、アリダード ali ・ 地形測量には、『プトレマイオス地図帳』地域 になる。このような手法は、さらに縮尺が小さ って直接作成される地図であり、これに対して dade という器械を用いて目標物への方向線の 図に用いられた多面体図法が採用され、これは くなるほど大幅に行われるようになる。 編集図は、既存の地図や各種の資料から編集し交わりや、測定した距離から、次々と必要な地点 二〇世紀初頭までの世界の地形図の標準図法と てつくられる。一般に、縮尺の大きい一般図はの位置を図解的に求めて、地形図の原図を描い 地図の種類 なった。一七七二年にランベルトが発表した横 実測図であり、縮尺のより小さい一般図は編集ていく。高低、起伏については、普通は尾根や 軸正角円筒図法ー横メルカトル図法は、ガウス 地図の種類はきわめて多様であるが、これを図である。国土地理院の国土基本図や二万五〇谷の線を測って描くとともに、その線上のおも いろいろな観点から分類することができる。 が精密化し、クリューゲル L. Krüger が実用 〇〇分の一の地形図は実測図であるが、五万分な点の高さを求め、これらを基準として等高線 計算式と数表を完成してから、測量座標系に広 〔一般図と主題図〕まず、地図の内容ないし利の一地形図は二万五〇〇〇分の一地形図から、 の通過する点の位置を求める。平板測量は、現 く用いられるようになり、二〇世紀後半の地形用目的から、一般図と主題図に大別できる。 二〇万分の一地勢図は五万分の一地形図から編在は五〇〇分の一などのとくに大縮尺の地形図 図の標準図法となった。 〔一般図〕土地の高低、起伏、水系、植生、土集される。一方、主題図のうち、量的な分布をの作成や、小規模の測量に用いられている。 世界全図については、その後モルワイデ K. 地利用状況、交通路、集落や各種の工作物な 示す地図は、統計資料などをもとに作成される 写真測量は、空中写真からの図化を主体とす B. Mollweide 、ハンメル E. Hammer 、エケど、地表面の自然物、人工物のすべてのものを編集図であるが、地形分類図、地質図、土壌るもので、平板測量に比べて高価な設備を要す 、一うぞ、つ ルト M. Eckert 、北田宏蔵らがさまざまな正まんべんなく表現した地図で、多目的に広く利図、植生図、土地利用図、海図などのうち縮尺るが、能率的に、精度の一様な地形図をつくる 積楕円図法を考案した。またビンケル 0. Win- 用される。国土地理院発行の二万五〇〇〇分の の大きい地図や、地籍図は、実測図といえる。 ことができる。空中写真は、普通、東西の飛行 kel 、グード J. P. Goode らが合成図法を開一や五万分の一の地形図、二〇万分の一の地勢地図の編集に際して縮尺の変更を伴うときは、 コースに沿い、隣接する写真が約六〇 % 、隣接 発し、グードはさらに断裂法を導入した。二〇図、五〇万分の一の地方図、一〇〇万分の一の投影法や図式も変更されるのが普通である。 コースの写真とは約三〇 % 重複するようにして 世紀中期にコンピュータの普及と前後して、横国際図 ( 日本 ) などは代表的なもので、全国土 〔その他の分類〕地図は、普通は一枚のシート 連続撮影される。また、地上の基準点が空中写 軸、斜軸への変更とか、投影式に任意定数を組をカバーしている。同院ではまた、大都市地域 になっているが、多くの地図を集めて本にした真上で同定 ( 確認 ) できるようにするため、撮 み込むミラー図法などによる地図が作成されるの一万分の一の地形図や、都市部を中心としたアトラス ( 地図帳 ) や、教育用の撕図、折り畳影前に基準点にあらかじめ白い板などでつくっ ようになった。地図投影の基礎数学理論は一八 五〇〇〇分の一や二五〇〇分の一の地形図 ( 国み地図などの形をとったものもある。アトラスた対空標識を設置するか、撮影後に写真を現地 八七年にテイソー A. Tissot がひずみに基づ土基本図 ) も発行している。このほか、地方公 には、一国の自然、経済、社会、文化などに関に携行して、その上に基準点の位置を刺針す く体系を完成している。 〈金澤敬〉共団体などが計画用につくっている二五〇〇分する地図を集大成したナショナル・アトラスのる。隣り合った一対の空中写真のポジフィルム 〔図式〕地図の投影法、規格、精度、ならびに の一などの地形図や、市販の地図帳の主要部分ほか、地質、気候、道路などの主題別のアト一フを図化機に正しくセットし、それに光線を当て 表示する事項の種類、それそれの記号とその表も一般図に属する。 スや、世界地図帳、分県地図帳、社会科地図帳ると、地表面の実体模像が観察される。この模 示法など、地図を描く場合のいっさいの約束を〔主題図〕特定の主題について専門的に表した などがある。市販の市街図などには折り畳み式像表面の物体に沿うように視野の中の測標とよ 図式というが、狭義には後者の記号に関する約地図で、多くは同じ縮尺の一般図を土台にしてで表紙をつけたものが多い ばれる点を動かすと、自動的に図が描かれる仕 束をさすことが多い。図式は、地図の作成に際作成される。国土地理院発行の土地利用図、土 また、特殊な地図としては、地球儀のほか、 組みになっている。一方、人工物の種類、名称 して不可欠であるとともに、地図利用者にとっ 地条件図、沿岸海域土地条件図、湖沼図、ナシ写真図、レリーフ・マップ ( 立体地図 ) 、触地や地名、空中写真で判読できない事項などにつ ョナル・アトラス、海上保安庁水路部の海図、図 ( 点字地図 ) などがある。写真図は、空中写 ても、地図を有効、適切に利用するためによく いては、現地調査が行われる。図化された素図 理解しておかねばならない 航空図、工業技術院地質調査所の地質図、国土真像を土台にしたもの、レリーフ・マップは地 と現地調査の結果から、地形図の原図がまとめ られる。 狭義の図式には、表示する対象物の種類ごと庁の土地分類図、地籍図、農林省の土壌図、環表面の起伏を実際の凸凹で表したものであり、 に、記号の形、大きさ、線の太さ、色や記号を境庁の現存植生図、気象庁の日本気候図、総務触地図は図形や文字を紙面より突出させた、視 地図の原図は、所定の図式に従って製図され からすぐち 表示する位置、向き、配列などが定められてい 庁統計局の人口図などは、国の機関が作成する覚障害者のための地図である。 る。製図作業は、従来はペンや烏口を使って ( 以下ページに続く ) 232
ちかこう 〈長沢工〉 ↓測地↓地震 できたものである。このことは、現在の地殻の ちかけい地面よりも下にある茎の総 形成には、過去の地殻変動が、無視できない大地下茎 称。形はさまざまで、それに応じていくつかの きな役割を果たしてきたことの証明でもある。 現在、地殻変動の観測は、主として地震予知名称がある。地下茎には、根と間違えやすい形 こんせき のものもあるが、葉またはその痕跡をつけてい のために行われている。大規模な地震は、その 発生に先だって地殻の隆起などの小さな変動をること、外生的に分枝すること、維管束の配列 引き起こしていることがあり、新潟地震や一九が根の放射中心柱とは異なることなどの特徴に よって茎であることがわかる。地下茎は貯蔵養 八〇年の伊豆半島東方沖地震では、地震の前丿 と思われる変動が確認されている。そのため、分に富むことが多く、働きとしては、冬などの ように地上が悪環境のときに生き残れること、 地震の予想される地域で地殻変動を監視するこ とが、地震予知の手段の一つとして重要視されおよび栄養繁殖に役だっことがあげられる。 ている。そして、精密水準測量、光波測量、精 塊状または球状に膨れたものを塊茎または球地 両者の区別は厳密には不可能だが、 密重力測量などの繰り返し、地下観測坑におけ茎といし る地殻の傾斜、伸縮観測が精力的に実施されて概していえば、球茎はサトイモなどのように母 いる。さらに広域の地殻変動を検出する最新の体に接して生じ、軸が垂直で、頂端だけから発 手段として、 ( 超長基線電波干渉法 ) 芽するのに対して、塊茎はジャガイモ、キクイ モなどのように細長い柄があって横向きに生 や T) 衛星 (Global Positioning System りんけい はん 汎地球測位システム ) を利用して高精度の位置じ、数個の芽をもつ。類似のものに鱗茎があ一 測定をする方法が実用化されつつある。↓地殻る。これは園芸上では球茎などとともに球根と 向 方 動す 移示 のを へ量 置動 ←移 O 占らさ ー丨角丨か長 竺寸位印・ 旧矢 140 。 1923 年 ( 大正 12 ) の関 - ・地震による地殻の水平 ' 、動 . 晃石山 を示す。地震後に行った三角測量の結果を以前も 0.00m のと比較して描かれたにぼ角測早、、は相対的な・、化 しかわからないので , 一央から遠く離れ , ・・木県 石山を不動と仮定してが描かれている。とこ よっては 2 m を超える変動があったことがわか 堂平山 0 . 41 m 地殻変動 、・筑波山 0.43m 139 。 国師岳・一一 1 . 60 m 高根本郷 0.45m 0.55m 徳丸・、 0 . 39 m 連光寺ノ / / 下溝 0 . 7 1 m 尾山・ 36m し 37n1 雲取山・ - ー 1 . 43 m 典 法 .. 0.20m 東・ , 甲府小沢山・一一一・ T> 1 .29m 0 . 1 7 m 六地蔵 ・ 0.49m ノ宮・・ 0 . 34m 野々塚 0.82 御正体山・一一丹沢山 1 .84m 1 . 28 m . 55 m 野山大谷 0 . 77m 1 .50 m 山 嶺岡 0 .82m 横浜 言土亠 毛無山三 2.29 m 浅問山 2.75 m 子 冠ケ 1 . 56n1 愛鷹山・ 2 . 1 3 m 房大山 万城岳 2.86 m 0km ュ モ メ タ 茎 学・霽鱗 よばれたりしているが、鱗茎は茎があまり発達けの使用者にとって地表の権利は不必要である せずに、その周りに多肉の鱗片葉が多数ついてと同時に、地下だけの使用者が地表の権利を取 得する結果として地表の利用が妨げられること いる。したがって、鱗茎の体積の大部分は葉に になり、地下だけの使用のために地表の権利を よって占められている。鱗茎にはユリ、チュー リップ、タマネギなどの例がある。地中を横に取得しなければならないとすることは不経済で もあろう。そこで、地表の権利とは独立に、地 はうなどして根に似た外観を一小すものを根茎と ほふく いう。根茎では、地表面をはう匍匐茎、岩や樹下だけの利用権を認めようという声が強くな り、この権利が創設されたのである。↓地上権 木の表面に付着するよじ登り茎などとの間に明 〈高橋康之〉 ↓空中権 確な一線を引くことは困難な場合もある。根茎 ちかこうじ一九六九年 ( 昭和四 はタケ類、ヒルガオ、ドクダミなど被子植物に 地価公示 も多くの例があるほか、シダ類にはきわめて普四 ) 六月に公布された「地価公示法」 ( 施行は 通にみられる。ゼンマイのように短くて直立す同年七月 ) に基づいて、毎年、国土庁が全国の る場合でも、シダ類の地下茎は一般に根茎とよ土地価格を調査し、公示する制度のこと。この 〈福田泰二〉 制度の目的は、一般の土地取引の当事者に対し ばれることが多い ちかけん地上権の一種で、他人の土て信頼度の高い標準価格としての情報を提供す 地下権 地の地下だけを使用する物権をいう。この権利ること、および、公共事業の用に供する土地の は、一九六六年 ( 昭和四一 ) の民法改正で認め取得価格、補償金算定などの基準を提示するこ られた ( 民法二六九条ノ一 l) 。地表の利用権者とにある。また、そうすることによって、地価 ( 所有者、地上権者、賃借権者など ) の権利は形成の合理化を図ることが、制度の一般的趣旨 となっている。具体的には、国土庁に設けられ 地上・地下に及ぶから、従来の考えによれば、 たとえば地下鉄や地下駐車場などの建設のようる土地鑑定委員会が、全国の都市およびその周 に地下だけを使用する場合であっても、その使辺地域において、当該地域全体の地価水準をで 用者は地表の所有権、地上権などを取得しなけ きる限り代表しうる標準地を選定し、それにつ 3 いて、毎年一月一日における単位面積 ( 一平方 ればならなかった。しかし、この場合、地下だ 本 , を へ 塊茎 ( キクイモ ) 、ド 匍匐茎 ( ノウゴウイチゴ ) 根茎 ( ャプコウジ )
ちそう 地層 〔図 A 〕単層と葉層 単層 葉層 第事第鱗を第驪い る。日本では、大きい堆積盆が広く広がってい 海進層の上に直接不整合で次の堆積サイクルの炭田地区などで知られている。これについてはれることがある。↓海進↓海退 〔地層の堆積環境〕沿岸、沖合いの区別があるた中・古生代の地層について広い範囲に同一岩 開始層が堆積することが多いので、海進層までサイクロセム cyclothem ( 堆積小サイクル ) はん 一つの堆積盆内でも堆積環境は一様で層単位が適用できることが多い。堆積盆が狭か を堆積のサイクルとよぶことが多い。堆積のサの名がある。堆積のサイクルは汎世界的海面上ように、 った新第三紀の地層では逆である。 。したがって、ある期間をとると場所によ イクルは全体として普通二〇〇 ~ 三〇〇以上昇によってもおこるが、厚い地層からなるサイ 時代区分の単位は化石帯および期、世、紀、 って堆積層や生物群が異なる。これを同時異相 クル層は広域の造陸運動または局地的な地殻変 の厚さで、海成層を主体とすることが多い。こ という。そして堆積環境の違いを示す岩石学代である。異なる位置にある地層が同時代のも れに対して、普通、下半部が炭層をもっ淡水成動に伴う相対的な海面変動によっている。サイ のであるか否かの認定を対比という。対比は標 的、生物学的特徴をそれそれ岩相、生相とい 層、上半部が浅海層からなる厚さ数から数十クロセムも地殻の不安定に起因するとされてい う。そして沿岸相、沖合相などといわれる。砂準化石によって行われる。したがって、化石帯 の単位サイクル層が繰り返して現れる事象がる。日本では周期的におこる火山活動に帰せら が地層対比の基本単位で、それを示す標準化石 岸または泥岩が多いことで特徴づけられる場合 を ってる の種名または属名でよばれる。期、世、紀、代 には砂岩相、泥岩相とよばれたりする。堆積環 . 係 切しか は、単一、少数または多数の化石帯からなる。 をなわ 境を示す化石が示相化石である。これらは短い の 不 布をも 期間内の異相であるが、大陸的広域の長期にわ模式地域の地名でよばれることもあるし、そこ 分相と 異 の異こ での研究史を反映した呼び名のこともある。生 たる地質造構造環境の違いによって生じた異相 層時 をいうものに構造相がある。たとえば、地向斜物進化あるいは環境変化に起因して、模式地の 地同な のはら 化石帯群にやや大きい変化があったところに または安定陸棚環境に長期に堆積した地層群は 重る 海層限 がす 也は 期、世の境界が、もっと大きい変化があったと 地向斜相、安定陸棚相とよばれる。 層と る ~ 本のと 地境 〔鍵層〕とくに目だっ特徴をもち、かっ広範囲ころに紀の境界が定められている。代の境界に 、ら精 ( かギ一そ - っ 間れ堆 は動物化石群の世界的な大変化がおこった。模 にほば同時に堆積したとみられる地層は鍵層と よばれる。安定陸棚の沿岸近くで堆積した石英式地では、同一環境下で進行した生物進化によ , ち同 海わて 砂岩層はそのような特徴をもち、安定陸棚相区ってではなくて、その区域の環境変化による生 いなべ 浅すす域の地質調査の際に、鍵層としてしばしば利用物群の変化に従って紀の境界が定められている されている。地形的に突出して目だつので鍵層ことが多い。そのため、紀の境界の位置につい 、つつ山倉 よあ礫 としての有用性を増している。これに対して不てしばしば学界の論争がある。異なる環境のそ るか底 み面基安定区域では沿岸相も厳密に同時層でないことれそれには異なる生物グループの標準化石があ る。異相の地層が差し違えているとき、それそ が多い。たとえば基底礫岩は海進の進行に伴っ 同る て て、時間の変化とともに堆積地を変えることがれの標準化石を利用して互いの対比が可能とな 多い。その特徴ある岩質が地質調査の手助けとる。国際的な模式地域と同じ標準化石がない地 なるが、同時を示す鍵層とはなりえない。不安域でも、このような研究を基にして国際時代区 定区であった日本では、異なる環境にまたがっ分との対比が行われている。対比が行われ時代 とサ が確定した地層は階、統、系、界とよばれる。 て同時に堆積した火山灰層がよい鍵層となるこ 精〔る たとえば、中新世、ジュラ紀、古生代の地層は、 鍵堆い と一、が多一一い 〔地層の区分と対比〕地層は広い範囲ではかなそれそれ中新統、ジュラ系、古生界とよばれる。 すき あ示で 近年、各時代の年代が明らかになってきたの らず同時異相を示す。すなわち、場所によって か亠害か で、地層に挟まれた火山灰層などの放射年代測 層層ム 異なる岩質の地層が堆積している。したがっ 仄地 て、地層の区分には岩石学的性質による岩層区定値によっての対比も行われる。新生代後期層 山っ不 火だに については磁気層序学による対比も行われるよ 分と時代区分とがある。地層の記載、地質図へ は先部 うになった。堆積環境に限らず、似た地質環境 の記入にあたっての岩層区分の基本単位層とな てに」毋 っル戈 る累層は、単一または複数種の堆積岩からな下では似た岩石を生ずる。また、同じ時代の近 り、他の層から容易に区別できる特徴をもち、接した場所でも、しばしば互いの地質環境が異 サっ しかも地質図に記入可能の大きさをもつものでなる。たとえば、隣接する火山の岩質が異なる 層 、堆あ ことがある。したがって、岩質の類似のみをも ある。累層より小さい単位として層員 ( メンバ 層堆層 積の = 貝を って、離れた地区の岩体を対比することはでき ー ) がある。累層が集まってより大きい単位と 図行 堆さ面、、進 しての層群をつくる。不整合の存在をもって層ない。正しい対比によって、広い区域の中での 層の深の 0 の 灰海の海同 。進群の境界とすることが多い。これらの単位層ある時点における地質環境の分布を知りうる ・山い日し る海 は、典型的に発達する場所を模式地として、そし、他の時点との比較によって、地質環境の変 火浅中深 の っ 0 し きょすみ てル の地名を付して、たとえば清澄層 ( 累の字はし遷を知りうる。これが地質現象を理解する基本 かずさ 長か 6 イ 〈木村敏雄〉 ばしば省略される ) 、上総層群のようによばれとなる。↓地球 〔図 B 〕ニつの地層の相互関係 CD m B は A の上にのる , または重 B は A に , 挟まれる なる 1 。 A は B の下に重なる 層理 層 互 0 差し違え 舌状層 O : 消減 レンズ状 O : 消減 ( 継ぎ足し ) 〔図 C 〕海進・海退と堆積サイクル , 同時異相 , 鍵層 不整合 最大海進期 ( 4 期 ) の海水面 ( 2 ) 7 期の海水面 0 0 0 。。鍵層。 一口
もっと古い岩石が発見されて修正される可能性時の流れを示していることになる。 2 、地貝区ちしつく長い期間にわた 0 て同じよ地質時代ちしつじだい geological age がある。 うな地史をたどったことにより、その地域内で 地層は、古いものの上に順に新しい地層が積 2 っ は、地質学的特徴が同一の、広範な地域をまと 〔地質時代の区分〕 み重なって形成され、順序が逆になることはな し 地質時代の区分 めた地域区分を地質区という。同じような構造 〔地質時代区分の歴史〕 。このことを地層累重の法則または累重の法 ち 発達史をたどった、したがって同じような地質 〔地質年代の測定」 過去の時間を測り、過去のある時期を共通の則という。したがって地層の積み重なりの順序 構造をもった地域は構造区、成因的に同じ種類 〔地質時代の研究〕地殻変動の研究 / 古地 ことばによって示すことは、地球の過去を知 ( 層序 ) は、そのまま時間の経過、あるいはで のマグマに起因すると考えられる火成岩の貫入 理・古気候の変化 り、その歴史を明らかにするときの出発点とな きごとの前後関係を示す。また地層にはしばし や噴出によって特徴づけられる地域は岩石区と 「地球表層部の歴史〕先カン。フリア時代のる。またわれわれの生活に必要な資源の多くは ば化石が含まれている。化石は過去の生物の遺 こんせき よばれる。このような地質学的な特徴と、それ 世界 / 古生代の世界 / 中生代の世界 過去の特定の時代に形成され、地下に埋もれて骸または生息の痕跡であり、生物は時とともに に作用する気候的な特徴とが、両方ともに類似 新生代の世界 いる。それを効率よく発見し利用するために 進化するので、時代ごとに違う種類の化石が現 していると、その地域は同じような地形発達史 は、それらが形成された時代や成因を調べなく れる。したがってこの化石を用いて、遠く離れ をたどる。それが隣接地区とは異なるとき、そ 普通、地球が形成されてから現在までの、約てはならない。 このための手段として地質時代ているため地層累重の法則を直接適用できない の地域は、地形区として一括される。地質区は四六億年の期間を地質時代という。また、過去は詳しく区分され、われわれはその区分された場合でも、二つの地層の同時性を確かめること 時代とともに変化し、その占める地域と期間はの特定のとき、たとえばある岩石が形成された単位をいわば目盛りとして過去を測っているのができる。この同時性を確かめる作業を、化石 たいせき 時代によって異なる。地質時代の地形区は、そ時期、あるいは過去の事件や現象のおこった時である。 による地層の対比という。地層が堆積すると の気候や植生まで含めて、昔の自然地理区とも期をさして、「その地質時代は : : : 」というよ われわれの歴史のある時期を示すのに、たと きいつも連続的に堆積するとは限らない。長 考えられ、古地理区とよばれる。〈花井哲郎〉 うな限定的使用法もある。 えば鎌倉時代初期というように時代区分で一小す い期間にわたって地層が堆積せす、その期間を ちしつじだい ちしつけいとう 0 地質時代 地質系統 地質時代が地球の歴史のうちのどの期間にあ方法と、西暦何年というように暦年数で示す方代表する地層が欠落することがある。また、い 地質構造線ちしつこうそうせん地殻は、プたるか、ということについては、実は一般に認法とがあるが、それと同様に、地質時代のある ったんは堆積しても、後の侵食によって失われ ・ごっ レート運動、花崗岩などの広範な貫入や火山帯められた厳密な定義はない。その始まりの時期時期も、地質時代区分の単位を用いる方法 ( 相 てしま , っこともごく普通におこる。したがっ の形成にみられる火成活動、山脈規模の重力滑 については、先に記したような、地球が形成さ 対年代 ) と、いまから何年前というように年数て、過去の時の流れを測るのに必要なすべての 動などによって、つねに変形し破壊にさらされれたときというほかに、地殻が形成されたとを用いる方法 ( 絶対年代または地質年代 ) とが期間を網羅した完全な層序をどこか一か所で得 ている。その結果は大小の断層として地表にも き、最古の岩石が形成されたとき、などがよくある。この二つの方法は、歴史時代の過去を示ることはできす、いろいろな場所の断片的な層 現れている。これらの断層のなかでとくに大規使われる。最古の岩石 ( あるいは鉱物 ) のできす二つの方法といろいろな点で類似していて、序をつなぎ合わせるために地層の対比が必要に 模なもの、すなわちその延長が一〇〇キ。 ~ 数千た年代をもって地質時代の始まりと定義するその利点や欠点も同様と考えてよい。人間の歴なる。 キロメートルに及ぶ大断層を地質構造線とよぶこ と、それ以後については、現実に存在する物質史は政治や文化の特徴によって時代区分が行わ 地層累重の法則と化石による地層の対比、そ とがある。近年欧米ではそのような大断層であや物体によって時間の流れを認識できるというれているが、地質時代も、さまざまなできごとれに最近では放射年代測定その他の方法も援用 っても単に「〇〇断層」「〇〇スラスト」など 点で実際的であるが、地質時代の始まりがよりの特徴、とくに動物化石の種類の変遷をもとに して、世界各地に分布する地層の前後関係を比 とよぶことが多い。また、地表においては認め古い岩石の新発見によって変わってしまう、と詳しく区分されている。現在一般に使用されて較し、欠落のない理想的な層序を定め、その地 られないが、重力異常や磁気異常などによって いう不都合がある。 いる区分を図 < に示す。地質時代の相対年代区層を化石の特徴をもとに区分する。そしてその 地下に大断層が推定される場合、それを〇〇線 一方その終わりは、現在までというもののほ分の枠組みは一九世紀末までにほば確立された区分をいわば物差しとして、過去の時間を測 とよぶことが多い。このような大断層による地 かに、歴史時代の始まりまで、新石器時代の始が、放射性同位体を用いる年代 ( 放射年代 ) のり、時代未知の地層の時代判定をしたりするの 層のずれの量は一般に数キ。 ~ 数百キ。メートルに まりまで、など、さまざまに規定されている。 測定が広く行われるようになったのは一九五〇である。このような一連の作業を進めて、でき わたるため、断層を境にしてまったく性質 ( 岩しかし、地質時代を区分したときの最後の期年代以降で、しかも後述するような原理的・技る限り詳しくまた正確な時代区分と地層の対比 種・時代・地質構造など ) の異なる地層が接す 、第四紀あるいはそのなかを細分した単位で術的な問題から、実測によって個々の地層や化を行う学問分野を層序学 ( 層位学 ) という。 ることになる。大断層には、横ずれ ( 横すべり ) ある完新世は、現在に至る、と定義されてい 石の「絶対」年代を決めることは現在でも少な 以上のことからわかるように、地層の順序が 断層、正断層、逆断層 ( スラスト thrust) 、こ る。また、歴史時代や石器時代は人類の文化史 く、相対年代を調べて、それをもとに年数を推地質時代を区分する基礎であり、ます地層の区 れらの中間的すれ方の断層 ( 斜めすべり断層 ) を区分する呼称であって、自然史を区分する地定することが多い。 分が行われて、その後に、その地層区分の単位 がある。地質構造線には一億年以上にもわたる質時代の単位と混用しないほうがよい 地質時代を区分するときに、その基準とな が堆積した期間として時代の単位が定義され 運動史をもつものもあり、その間にすれ方がさ 地質時代の長さは、その始まりをどこに置く り、時計の役をするのは地層である。放射性同る。地質時代区分のための基準となる標準的な まざまに変化する場合がある。 かで違う。最初の地殻が形成された時期につい 位体を用いる年代測定が実用化された一九五〇地層の積み重なりを地質系統という。地質系統 日本における地質構造線には、地表に現れてて現在定説はないが、約四六億年前に地球が形年代より前しし こま、過去の時の流れ、あるいは過はいろいろな単位に細分されており、それに従 ぶっそう いるものとしては、中央構造線、仏像構造線、成された直後からマントル物質の分化によって去にある時期が存在したことを示す唯一の証拠って地質時代の区分にも、対応する単位がある いといがわ 糸魚川・静岡構造線などがあり、地表には現れつくられ、その後引き続いて形成が進んでいる は、そのときに形成された物 ( すなわち地層や ( 表 ) 。地質系統を区分する際には、地層に含ま ていないが重力異常によって推定されるものと と一般に考えられている。また現在知られてい 火成岩類、あるいはそれに含まれる化石や鉱れる化石の種類が変化する所を境界とし、大き しては盛岡・白河線がある。↓糸魚川・静岡構造る最古の岩石は、約三八億年前、最古の鉱物は物 ) の存在であった。その現存する「物」を形 な変化のある所は大きな区分の境界に、小さな 線↓中央構造線 〈吉田鎮男〉四二億年前のものであるが、この年代は、今後成された順に並べれば、それがとりもなおさず変化は小さな区分の境界にすることになってい
へいたん した。土地売買は生産活動ではないから、それ不整合面下にある断層地塊や侵食で平坦化されウィーン条約」によってその内容がいっそう明 て都心に及ぶとするものである。すなわち東京 た断層地塊などがある。また、地形学的地塊確にされた。外交官の治外法権は、裁判権およ 都八王子の奥で更地が供給されると、この限界によって生ずる所得の移転は、再分配ないしト 地においては、土地の生産価格というものは本ランスファーにすぎない。しかしこれは、勤労は、断層山地や断層盆地などのように、地形のび行政権からの免除である。外交官は、接受国 なりきん において、刑事裁判権から免除され、一定の場 来ありえないのだから、結局買い手の出しうる所得に比べて土地成金・投機業者に大きな不労起伏に現れた断層地塊をいう。このタイプの地 合を除いて民事および行政裁判権から免除さ 最大限の価格が地価を決めることになる。する所得をもたらす形で、分配の不平等化を引き起塊の発達は、カレドニア造山運動やバリスカン 造山運動などが行われた地帯や、アルプス・ヒれ、また、訴訟において証人として証言する義 とそれが八王子駅により近い地域の地価の評価こした。 きち 第三に、それは設備投資を阻害した。設備投マラヤ造山帯や環太平洋造山帯などに顕著にみ務から免除される。外交官は接受国の警察権に をあげ、八王子駅前の地価の評価をあげ、吉 じようじ 〈有井琢磨〉服さず、各種の租税を免除され、すべての人 資のため土地を必要とする場合、ますます大量られる。 祥寺駅前の評価をあげて東京都心に及んでい チカイエカ〔地下家蚊〕 C ミ義 s 的、物的役務や各種の年金、保険などの社会保 くとみるのである。これは・リカードの差額の資金を土地のために準備しなければならなく そうし き 0 き s 昆虫綱双翅目糸角亜目カ科に属する障上の義務を免除される。なお、国家元首や外 地代説を地価に応用したものといえよう。このなった 第四に、それは公共の福祉のために必要とさ昆虫。都市のビルの地下室の水たまり、地下鉄務大臣なども外国を訪れたときは、同様の治外 説では、買い手の出しうる最大限の価格がどう 決定されるかの説明が困難であるが、それは買れる土地 ( 公共住宅、学校、公園用地など ) の構内、浄化槽に発生し、冬でもヒトに吸血す法権が認められる。 領事が駐在国において自国の国民に対し本国 る。アカイエ力の亜種または生態品種と考えら い手の所得、財産、可能な借入資金などによっ取得をますます困難にした。 〈倉橋弘〉法に従って裁判権を行使する、いわゆる領事裁 第五に、それは人間精神の荒廃をもたらしれている。↓イエカ て左右されるものといえよう。 ちかいさんち断層山脈と同じ意味判制度も治外法権の一種である。しかし現在で この説で興味深いのは、政府が住宅金融公庫た。都市近傍の農家は、宅地化の進行につれ地塊山地 は、外国の領事裁判権を認めている国はない。 の貸出枠を拡大すると、買い手の借入資金が大て、所有する農地の値上りに期待し、それを農で用いられる場合と、塊状の断層山地の意味に このほか、領事、外国の軍艦・軍隊・軍用航 となって一時的には土地購入を刺激するが、や地として考えることをやめてしまった。一方、使用される場合とがあり、断層地塊山地とよば きたかみあぶくま がてそれが地価上昇を誘発してしまうとする点都市の勤労者は、マイホームが不可能になったれることもある。わが国には北上・阿武隈両山空機、国際組織の職員などにも、国際慣習法お ひだきそあかいし 地、飛騨・木曽・赤石三山脈をはじめ多くの地よび条約によって、それそれ一定範囲の治外法 である。この「いたちごっこ」は確実にみられことからくる絶望感、土地成金の不労所得と自 〈広部和也〉 るものであり、日本の土地政策の不妊性を暗示らの勤労所得との格差の大きさに対する怒り、塊山地がある。アメリカ合衆国のネバダ、ユ権が認められる。↓外交特権 ちかうんレ」う underground move ・ そしてそれらを平然と許す政治に対する怒り 夕、アリゾナ三州を中心とする地域、トルコ北地下運動 している。 ment 一般に非公然的あるいは非合法的に行 〔地価の評価方法〕実際に行われている地価のと、それを変えられない無能感、要するに疎外部からイラン北部に至る山地、東西両ドイツに 〈一杉哲也〉またがるハルツ山地などでは地塊山地の発達がわれる反政府もしくは反体制連動をさす。ただ 評価方法には、収益還元方式と取引実勢方式と感にとらえられている。 ^ 有井琢磨〉し、反政府、反体制は、かならすしも地下運動 がある。前者は前述の資本還元方式で、農地に回野口悠紀雄「地価上昇のメカニズムと地価対良好である。 ちがいだな二枚の棚板を左右から食ないしそれを行う地下組織の目的であるとは限 策」 ( 『季刊・現代経済』第三六号所収・一九 ついて用いられている。後者は、当該土地近傍 違い棚 らない。たとえば、ナチ体制下におけるレジス い違いに吊った棚で、工芸品などを飾るもの。 七九・日本経済新聞社 ) ▽新沢嘉芽統・華山 の売買取引価格を参考にして評価するものであ えびづか タンスや、非合法時代の共産党活動は、反政 上下の棚板の間にある束を海老束また雛束とい 謙著『地価と土地政策』 ( 一九七 0 ・岩波書店 ) り、農地以外について主として用いられてい ち力い う。床の間、書院のわきに設けられる。普通、府、反体制の思想的、政治的、軍事的活動であ ①礫の粒径の一区分として、 る。その一種に路線評価法がある。これは、土 地塊 るといえるが、かならすしも反政府、反体制で 一間 ( 約一・八二 ) か半間の間ロで、上方に 地の面している道路について標準を定め、他の角礫状の巨礫 ( ポールダー boulder ともいし じぶくろ てんぶくろ 土地はこれを基準にして位置・形状などを考慮粒径二五六 = 、リ以上 ) をさしていう場合と、断天袋、下方に地袋が設けられる。この設備全はない活動であっても、それが、政府や体制の 側からみて好ましくないと考えられるために、 して評価する方法であり、固定資産税や都市計層で限られた地殻の断片、すなわち断層地塊の体も違い棚とよばれる。床の間、書院とともに 画事業に伴う評価に用いられている。なお、わ同義語として用いられる場合がある。②の場和風室内装飾の重要なもので、室町時代に始まそれを公然と行えば弾圧されるおそれがあるの った。元来は置き棚であったが、やがて作り付で地下に潜って行われる場合がある。たとえ が国では一九六九年 ( 昭和四四 ) に制定された合、測地学的地塊、地質学的地塊、地形学的地 けとなったもので、江戸時代には書院造住宅のば、ソ連などの社会主義国のなかで政府の意向 地価公示制度により、標準的な価格を公的機関塊の三つの型の地塊が考えられる。 なかで大いに発展した。図棚 ^ 小泉和子〉やイデオロギーに反する文芸運動や宗教活動 断層で限られた大小さまざまな地塊 C フロッ ( 現在は国土庁 ) が判定公示することになった ちがいほうけん extraterritoriali- が、しばしば地下運動の形をとり、その存続が が、その評価方法は取引実勢方式から収益還一兀ク block) は、時代的に異なった断層運動 ( 地冶外法権 方式重点へとかわって現在に至っている。↓地塊運動 ) で形成される。測地学的地塊は、精度 tY' extrality 国際法上、外国人は現に滞在図られる。そうした運動の主張や報告は、これ また地下出版物 ( ソ連の場合はサミズダートと の高い水準測量の改測資料から判明する地殻表する国家の管轄権に服するのを原則とするが、 価公示 〔地価上昇の影響〕わが国の高度成長期以降の面部の断層地塊をさしている。わが国では一九例外的に、滞在国の管轄権を免れる場合があよばれる ) として流布される。 地下運動の新しい形態としては、文字どおり り、その地位があたかも滞在国の外にあるかの 一一〇年代 ~ 三〇年代に水準測量の改測資料によ 一貫した地価上昇は、土地資本主義ともいえる アンダーグラウンドあるいはアングラの名のも ようであるところから、これを治外法権とい って、肉眼では観察できない地塊の微細な差別 ようなゆがんだ経済発展をもたらした。 とに、一九六〇年代中葉からアメリカその他先 第一に、土地を購入した者はそれを担保にし運動が明らかにされた。このことから詳しくみう。治外法権が認められる場合はいくつかある 進高度工業化都市化社会のなかに現れたヒッビ て借入ができるから、地価上昇が借入能力を増ると、寄木細工のような複雑な地塊構造の一部が、その内容は同一ではない。 ー運動などがあげられるであろう。この場合 治外法権のなかでもっとも一般的で重要なの ん大させて土地投機を刺激し、それが地価上昇をが、新しい地塊運動の影響を受けていることが りゅう は、外交官に認められたものである。外交特権は、社会の主流をなす生活様式や文化に対する 一フ促進するという悪循環が進行した。これを笠信推定されるようになった。 たて 地質学的地塊には、海洋地塊、大陸地塊、楯の一部であり、古くから国際慣習法として確立「対抗文化」あるいは「もう一つの社会 ( オー カ太郎は「花見酒の経済」と評した。 じようち ち第二に、それは所得分配の不平等化をもたら状地地塊などのように地質学的大構造単元、しているが、一九六一年の「外交関係に関するルターナテイプ・ソサエティー ) 」を目ざすも れき ひな 149
しなの 明治に入ってからも官製地図の根拠となった。 面清報に対しては、単位区域を設定する必要がアリストテレスは地球が球形をなすことを科学臣らが信濃国図をつくり、これを呈上した。さ しよくにほんぎ らに『続日本紀』し。 こま、七三八年 ( 天平一〇 ) 、 明治になって、測量および地図作成の事業は ある。このためには、通常、メッシュ ( 方眼 ) 的に証明し、エラトステネスは地球の円周を初 く ' 、 - 一おり ち が用いられるが、全国土を連続的に覆うものとめて測定したことで知られる。また、プトレマ諸国に命じて国郡の図をつくらせたという記政府機関が中心になって行うことになった。明 イオスは、紀元後一五〇年ごろ、世界中の都市事がある。このようにして諸国の地図ができ、治の初年、内務省 ( 当初はエ部省 ) はイギリス して、標準地域メッシュとそのコードが定めら でんず れている ( 昭和四八年行政管理庁告示 ) 。これ位置の経緯度を集大成した『プトレマイオス地他方では条里制、班田法に伴い、田図などがつ人やフランス人の指導で測量、地図作成を始 は、二万五〇〇〇分の一地形図の縦・横を各一 理学』を完成した。これは科学的地図の源とし くられたと考えられる。現存する最古の地図とめ、続いて陸軍も測量に着手した。内務省で しては、正倉院宝物のなかに、七五一年 ( 天平は、全国の三角測量を開始するとともに、六〇 〇等分する経緯線網 ( 一区画は約一平方キ。 ) をて、地図学史の第一次革命の成果といわれる。 こんでん おうみ 基準メッシュとしている。 中世のヨーロッパでは、神学がすべての学問 勝宝三 ) の東大寺領近江国水沼村墾田図などが〇分の一の地籍図や五〇〇〇分の一の市街図な ぎよ、つき このような数値情報の代表例として、国土地を支配し、世界はふたたび円盤とみなされた。 ある。奈良時代に僧行基がつくったと伝えら どをつくり、陸軍は一万分の一図に続いて、一 理院で整備された国土数値情報がある。そこでこの考えを端的に表したのがいわゆる地図れ、最古の日本全図といわれる行基図は、国境 八〇年 ( 明治一三 ) からいわゆる迅速二万分 は、標高、起伏量、地形分類、表層地質、土で、円形にオケアノスで囲まれた陸地の上半分のみの簡略な日本全図に対する、後世におけるの一図、八五年からは正式二万分の一図の作成 壌、谷密度、河川、流域、行政界、開発や保全がアジア、下半分は地中海を境として左側がヨ総称である。行基図とよばれる地図と同じ形式を始めた。また八四年に、内務省の測量事業は に関する指定地域、文化財、土地利用、道路、 ーロッパ、右側がアフリカとなっていた。中世の地図は江戸時代までつくられ、日本全図の基陸軍に吸収されて、参謀本部測量局となり、さ やましろ 鉄道、公共施設、公示地価などの情報が、基準の後半に入ると、十字軍の遠征を機に、地中海 になっていた。この形の地図には、山城国 ( 現らに八八年に参謀本部陸地測量部に改称した。 メッシュごとに記録され、点清報、線清報につを中心とする交通が盛んになり、一三世紀ごろ在の京都府南部 ) を中心として五畿七道の経路陸地測量部は、一八九二年から一九二四年 ( 大 いては基準メッシュと関連づけられるようにな から、ポルトラノ海図がつくられるようになっ が表され、これに諸国の位置と名称が記され正一三 ) までかかって、全国の五万分の一地形 っている。総務庁統計局では、基準メッシュに た。これは、地図の各所に分度円を描き、そのた。 図を完成した。また、二万分の一にかえて整備 基づいた人口などの統計を整備している。 中心から目的の港への方位線を放射状に引いた 江戸時代の初期に、幕府は各藩に命じて国絵することになった二万五〇〇〇分の一地形図 しようほ・つ は、一九三八年 ( 昭和一三 ) までに、平野部を 数値情報から、コンピュータを利用して直接ものである。十字軍の失敗により教会の勢力が図をつくらせた。これには、正保年間 ( 一六四四 げんろく ~ 四 0 の正保図、元禄年間 ( 一六会 ~ 一七 0 四 ) の元主に、国土の約四分の一にあたる一一〇〇面余 に、または加工して、いわゆる数値地図を自動失墜すると、ようやくギリシア・ローマ時代の 的に作成することができる。この場合、メッシ 科学の成果がヨーロツ。ハに復活し、一五世紀に 禄図などがあり、縮尺はいずれも一里六寸 ( 二りが作成された。 たけべかたひろ ュを単位区域とする分布図だけでなく、公共施は、『プトレマイオス地理学』と『世界図』が万一六〇〇分の一 ) である。建部賢弘はこれら 第二次世界大戦後は、陸地測量部の事業を引 設の分布、河川水系といった点や線の地図をつイタリアで印刷された の国絵図を総合して『享保日本総図』を作成、き継いだ建設省の国土地理院を中心に、地図作 せきすい ちょうかん くることもできる。また、地図以外の鳥瞰図 一五世紀末からの大航海時代に、世界の水陸さらに水戸の長久保赤水は、一七七九年 ( 安永成事業は主題図の分野も含めて、目覚ましい発 〈五條英司〉 八 ) 、一〇里一寸 ( 一二九万六〇〇〇分の一 ) 展を示している。 や地形断面図などの作成、行政区画や流域ごと分布の知識はしだいに正確なものになった。印 のデータの集計、あるいはデータの組合せによ 刷術の進歩とともに、世界地図が多く出版されの『改正日本輿地路程全図』を発行した。この回織田武雄著『地図の歴史』 ( 一九七一一一・講談社 ) るようになり、オルテリウスは初めて銅版によ 地図は先の新刻版を改定して出版したもので、 ▽野村正七著『地図投影法』 ( 一三・日本地 る地域の解析、評価を行うことも可能である。 図センター ) ▽ < ・・ロビンソン他著、 このほかにも、メッシュのかわりに街区あるる近代的な世界地図をつくり、メルカトルは一経緯線が入っている点で画期的であった。 近代的測量に基づく日本地図の作成は、い , 永井信夫訳『地図学の基礎』 ( 一九会・帝国書 いは等質の地域ごとに、境界線とその属性を入五六九年の世界地図で、いわゆるメルカトル図 のうただたか までもなく伊能忠敬に始まる。忠敬は、一七九 力して、それから地域の分析、評価のための地法を採用した。一八世紀後半のクックの探検に 院 ) ▽日本国際地図学会編『地図学用語辞 典』 ( 一九会・技報堂出版 ) 図を作成する方法もある。一方、コロプレス地 よって、南半球の大部分が海であることが判明四年 ( 寛政六 ) に家業から隠居し、翌年佐原 よしとき 図などの分布図を作成する場合に、従来の製図し、ほば完全な世界地図が成立するに至った。 ( 千葉県 ) から江戸に出て、天文方高橋至時の智頭 ( 町 ) ちす ( ちょう ) 鳥取県南東部、八頭 一方、オランダのスネルは、一六一七年、ア 門に入り、暦法や測量術を学んだ。一八〇〇年郡にある町。一九一四年 ( 大正三 ) 町制施行。 工程にかわって、原図の色彩を自動的に判別 やまがた ルクマールとベルゲンの間で初めて三角測量をまず北海道と奥州街道を実測したのち、幕命を三五年 ( 昭和一〇 ) 山形、那岐、土師の三村と し、製版用のフィルムを作成することや、多く とみぎわ やま亠こと 受けて翌〇一年 ( 享和一 ) から一四年 ( 文化一 合併、三七年富沢村、五四年山郷村を編入。国 の点情報から等値線図を自動作成することなど行い、科学的な測量に基づく精密な地図作成の 道を開いた。フランスでは、一八世紀末に、カ一 ) までかかって、全国の沿岸および主要な街 鉄因美線、国道五三号、三七三号が通じる。中 も実用化されている。 みちまた シニ一族の努力によって、三角測量に基づく全道筋の測量を完了し、さらに翌一五年には江戸 心の智頭は『日本後紀』の古駅「道俣」と推定 かみがた 地図の歴史 彼の測量は、距離と水平角の され、江戸時代には上方往来の宿場町。中国山 土の八万六四〇〇分の一の地図が完成された。府内を測量した。 , イギリス、ドイツ、デンマークなどでも、一 測定を主体とするいわゆる道線法が主体で、必地に位置し、町域の九〇 % は山地。天然スギ林 地図の歴史は、文字などのなかった人類文化 世紀末から一九世紀にかけて相次いで本格的な要な地点で樹木や塔などの目標物をねらって位の学術参考保護林がある林業地で、挿木による の初期にさかのばるといわれる。 みはしらまつり 造林を特色とする。杉神社の御柱祭には杉丸 〔世界の地図〕世界で最初に文明が栄えたバビ三角測量を始め、科学的な地図が作成されるよ置を点検するための交会法を用いるものであっ ぶじようじ うになった。 た。忠敬は一八一八年 ( 文政一 ) に没したが、太を若者が担いで町を練り歩く。新見の豊乗寺 ロニアでは、粘土板に刻まれた地図が発見さ かげやす ふげんばさっ 〔日本の地図〕日本における地図作成の最古の 高橋至時の子景保が中心となって、一 八一一一年には平安時代の絹本着色普賢菩薩像 ( 国宝、東 れ、現在、イギリスの大英博物館に所蔵されて ひょっ 京国立博物館蔵 ) などがある。岡山県境は氷ノ にその成果である『大日本沿海輿地全図』を完 いる。また、パビルスに描かれたエジプトの金記録としては、『日本書紀』に、六四六年 ( 大 せんうしろやまなぎさん 化二 ) 、諸国をしておのおのその境界を調べ、成させた。忠敬の地図は、大図 ( 三万六〇〇〇山後山那岐山国定公園の一部。人口一万一一 山の地図なども現存する。古代ギリシアの初期 〈岩永実〉 これを図にして提出させたとある。六八五年分の一 ) 、中図 ( 二一万六〇〇〇分の一 ) 、小図九九。 には、世界は円盤状で、オケアノスとよばれる ( 天武天皇一三 ) には、朝廷から派遣された使 ( 四三万二〇〇〇分の一 ) の三種類からなり、囮五万分の一地形図「坂根」「智頭」 大洋に取り囲まれていると考えられていたが、 いんび き一かね なぎ 244
れない。国民の九〇 % 弱がカトリック教徒で、 学 ( システマティクジオグラフィ ) であり、特の研究には古地図、伝承、有形文化などのは や 国語はスペイン語。教育水準は中南米諸国のな 定地域の個性を解明する部門が地域地理学 ( リ か、自然史にわたる分野では、℃による年代測 あ かでももっとも高い国の一つであり、義務教育 ジョナルジオグラフィ ) である。 定、花粉分析、地層層序などが利用される。歴 さ は六歳から八年間。大学は国立チリ大学、チ たとえば季節風一般の発生を説明するのは、 史地理学の他の分野は、現在に至る歴史的過程 ち リ・カトリック大学など一七校。新聞は一八二 系統科学としての気象学であるが、インドの季の説明である。地名の研究は歴史地理学の一部 かる 七年創刊の『エル・メルクリオ』紙や、『ラ・ 片え節風をインドの位置・地形との関係において、 として解せられる。自然、集落、行政市町村、 被見 ナシオン』紙、『ラ・テルセラ』紙などがある。 活動の時期、降水量の地域的分布をも考察する土地利用などの分布と変化が比較考察される。 、一メ内花 テレビ局は五局あり、テレビの普及率も高い のが、自然地理学としての気候学である。さら 地理学は、領海・国境などの国際問題、国際 ヤが弁 みれ ~ い 芸術、文化活動も盛んであり、詩人のガ。フリエ に土地利用、稲作、灌漑、農村、土地制度、人理解、人口問題、都市問題、国土計画、環境保 一花め ラ・ミストラルとバ。フロ・ネルーダがそれそれ ロ密度などにわたって、インドの地域的性格が全、災害防除、市場調査などに応用される。応 一九四五年と七一年にノーベル文学賞を受賞し 説明され、地誌に導かれる。さらにインドの言用地理学は、土地利用調査の・スタンプ ( ロ ている。小説ではホセ・ドノソ、音楽ではビア名の、ミ c は「美しい」という意味で、三 語、文学、宗教、政治などに及ぶ地域研究 ( 工 ンドン ) 、応用地形学の・・・トリカー かひ ノ奏者のクラウディオ・アラウらが著名であ枚の外花被片は紫色で基部は白色。内花被片は リアスタディーズ ) の諸課題がある。 ル ( ストラスプール ) などによって大きな発展 る。伝統的な民衆の音楽にクエ力があり、祭り 小さいので三弁花のようにみえる。朝に花を開 をみた。 ・ハーッホンは『地理学方法論』 ( 一九三九。 にはその曲にあわせて男女のペアが踊る。 き、夕方に閉じる一日花であるが、次々と花を野村正七訳・一九五七 ) のなかで、地理学を系統地〔地理学の発達〕古代の地理学は惑星としての 〔日本との関係〕一八九七年の修交通商航海条開く。南アメリカ原産。耐寒性はあるが、それ理学と地域地理学 ( あるいは地誌学 ) に分け 地球の形状と運行を説明する宇宙誌 ( コスモグ 約の締結以来、友好的関係が続き、第二次大戦 ほど強くない。秋植えの場合は普通は鉢植えに た。前者は系統科学が地域との接点において考ラフィア ) を含み、のちに自然および人間の地 時にも一九四五年四月になって対日宣戦布告が して、冬季はフレーム内で育てる。日だまりの察される部門であり、後者は系統科学の諸分野域的研究を主とするようになった。すでに紀元 行われた。戦後は五二年に復交した。チリから ロック・ガーデンや芝の中に植えてもよい。春が特定地域について総合される研究である。 前四世紀のころから、ギリシア人は地球が球体 の主たる輸入品は鉄鉱石、銅、輸出品は乗用植えは二 ~ 三月植えとする。繁殖は分球による・ヘットナーの『地理学の歴史・本質・方であることを知っていたが、その大きさを測定 みしよう 車、電気製品、機械類であり、一時期を除き日 が、実生も容易である。 〈平城好明〉法』 ( 一九一一七 ) が原理的考察の一般地理学 ( アル して高い精度の値を出したのは、エラトステネ ス ( 前一一七六 ー前一九六 ) であった。彼はエクメネ ちりがく geography 地球表層にゲマイネジオグラフィ ) と個性記述の地誌学 本側の入超が続いている。チリにとって日本地理学 は、アメリカに次いで第二の重要な貿易相手国生起するさまざまな事象について、総合的な研 ( レンダークンデ ) を対照した方法論とはやや oikmene ( 可住地 ) の限界やクリマータ klima- となっている。わが国の対チリ直接投資額は少 究に従事する科学。 異なるが、地誌学に地理学研究の主体性を主張 ta ( 気候帯 ) についても記していた。 額にとどまっている。しかし、南緯四三度以南〔本質と方法および課題〕古代ギリシアにおい したところは共通である。 古代ローマ時代にはストラボンが一七巻の地 でわが国の水産会社が操業している。一九七八 て発達をみた地理学 ( ジオグラフィア ) は、地 系統地理学は自然地理学と人文地理学に二大理書を書き ( 後一 (0) 、プトレマイオスは気候帯 年以降日本・チリ経済委員会が発足した。チリ 球の形状、住民の風土による気質の比較、地誌別され、それぞれは深く研究が進み、細分化さを入れた最初の世界地図を作成した。中国では はいしゅう う、一うず にはわが国からの集団移住は行われなかった などを含む幅広い学問であって、今日それらはれている。自然地理学を大別すると、気候学、裴秀が「禹貢図」 ( 一一一一三 ~ 一一七 l) を描き、日本で ふどき ; 、ベルー、ポリビアからの転住者を中心に日気象、海洋、地質などの地球科学や、人口、民地形学、陸水学、海洋学、生物地理学になる。 は七 ~ 八世紀に風土記、国郡図がつくられた。 系人が二〇〇〇人程度おり、農業、商業などに族、経済などの人文・社会科学として分化してヨーロッパにおいては、・リヒトホーフェン 地球説は中世ヨーロッパでは宗教的理由によ 〈細野昭雄〉 いる。現代の地理学は、これらの諸科学を姉妹 ( ベルリン ) 、・ペンク ( 同 ) 、・ドウマル って禁圧されたが、かわってノルマン、アラビ 従事している。 E)a«・・ジェームス著、山本正三・菅野峰明 科学として、地図、統計、遠隔探査 ( リモート トンヌ ( パリ ) をはじめ、地形学者が地理学の ア人が地理の知識を充実させた。マルコ・ポー 著『ラテン・アメリカⅡ』 ( 一九七九・二宮書店 ) センシング ) 、野外調査などを武器とし、文献優れた指導者でもあった。地形発達のモデル ロの東方旅行が東西の橋渡しをつとめたのは一 りんね の解読などの伝統的方法や、近年は計量的方法 ( 輪廻説 ) をたてた・・デービス ( アメリ三世紀末であった。 ▽細野昭雄著『ラテンアメリカの経済』 ( 一九 ハ三・東京大学出版会 ) ▽細野昭雄・恒川恵をも用いて、世界およびその諸地域についてのカ ) の影響も大きかった。 コロン。フスの航海 ( 一五世紀末 ) に続く多く 研究を進めている。 気候学は・ケッペンや O ・・ソーンスウの探検は世界の地図を新しくし、メルカトル図 市著『ラテンアメリカ危機の構図』 ( 一九会・ 有斐閣 ) ▽・ピント著、丸谷吉男・吉田 地理学が興味をもっ対象は多様であって、そェイトの気候区分の研究が知られている。農業法が利用されるなど、地理学の進歩を促した。 秀穂訳『チリ経済の栄光と挫折、その経済史の全体は一学部 ( カレッジ ) が成立するはどで に関係の深い気候や気候災害などは多くの応用・ワレニウスが『一般地理学』を著したのは 一六五〇年であった。 的解明』 ( 一九七四・新世界社 ) ▽ラテン・アメある。すなわち、自然地理学、人文地理学、地的研究を生んでいる。 人文地理学は、経済地理学、政治地理学、都 三角測量に基づく地形図の作成は、一七世紀 リカ協会編・刊『チリ』 ( 一九六九 ) ▽大原美範図学、内外の地域研究、地理学史および理論研 編『チリ その国土と市場』 ( 一九ハ一・科学 究、地理教育論、応用地理学にわたる。これら市地理学、人口地理学、一言語地理学、社会地理末フランスにおいて始まった。探検は一八世紀 の諸分野が共有する基礎は地表 ( エリア ) ある学など多くの分野をもっている。経済地理学は も盛んであったが、その目的はクックの太平 新聞社 ) いは地域 ( リージオン ) である。その広がりは さらに、農業、林業、水産業、工業、商業、交洋、ビーグル号によるダーウインの世界周航な チリーアヤメ e e ミミ e 守 ど科学的調査を志していた。 Sweet アヤメ科の秋植えまたは春植え球根身近な郷土から全世界に及び、また地域の性格通に細分される。↓人文地理学 りんけい には形式的と機能的があり、均等性、複合性な 歴史地理学は、以上の諸分野と交差する研究 近代地理学は一八 ~ 一九世紀のドイツにおい 草。球根は小鱗茎で褐色の皮に覆われる。根出 領域を占める。その一つは古地理の研究であて開かれた。一人は < ・フォン・フンポルトで 葉は線形で長さ約二〇弩。四月下旬から五月上どがある。自然あるいは人文現象の立地、空間 旬、一五の花茎を出し、先端に花を開く。種構造など一般的研究に従事する部門が系統地理り、先史時代から近世の各期に分かれ、それら 自然地理学を、他は・リッターで人文地理学 0 742