てがたか 手形 〔法的特質〕手形は、小切手とともに財産的権指図禁止の文字、または、これと同一の意義を除のときは満期の日から一年、裏書人の他の裏 価証券。手形という語は古くは証書・証文をさ していたが、これは、証文などに固い約束を一小利を化体する証券であって、その権利の行使ま有する文言を記載しない限りは、裏書によって書人および振出人に対する再遡及権は、手形の すために手に墨をつけて手の形を押して相手に たは移転がその証券によってなされることを要譲渡できる指図証券である。しかも、手形は受け戻しをなした日または償還の訴えを受けた なんびと 渡したことに由来するといわれる。現行のようするから有価証券である。その手形上の記載文転々流通し、何人が債権者であるか不明なの日から六か月である。↓手形法〈太田和男〉 な手形制度は、中世にイタリアおよび地中海沿言は、金銭の支払いを目的とする債権に限られで、手形の所持人が手形を呈示して履行の請求回日本経済新聞社編『手形の常識』 ( 日経文庫 ) ▽田村諄之輔他著『手形・小切手の法律入 岸の諸都市で発達した両替商が発行した手形にるので貨幣証券ともいわれる。このように手形をすることにより、初めて手形上の権利を行使 門』 ( 有斐閣新書 ) 始まるとされるが、わが国でも鎌倉時代にはすは、信用証券としての機能を発揮して、円滑にできることから呈示証券であるといわれる。手 かわせ てがた・あしがたいし人の手 でに、割符とよばれる為替手形の一種が使用さ 流通することを要請されているため、手形がそ形の支払人は、手形と引き換えでなければ支払手形・足形石 いを行う必要はないので、手形は受戻証券とも形や足跡に似た中央にくばみのある石。神霊の れていた。↓割符 うした効力を発揮するように、一定の手形要件 よう 1 」う 来臨や影向を伝えたもので、神のほか英雄・貴 いわれる。 現在の手形には、手形法上、約束手形と為替の記載を厳しく要請されているので要式証券で 手形とがある。約束手形は、振出人が自ら支払 もある。もし、この形式を欠くと手形は効力を〔手形の種類〕手形は、法律上の性質はすべて人の手形・足跡の伝説を備えている。長野県下 くましろ みてがた とよおか なあて 人として、名宛人である受取人に対して、一定生じない。手形上の権利・義務は、その原因で同一であるが、その用途や機能面から種々名称伊那郡神稲村佐原 ( 現豊丘村 ) の御手形神社の たけみかづち たけみなかた 金額を支払う約束をした手形である。当初の手ある売買代金決済関係などとは別個に、手形が が付されている。商業手形というのは、振出人手形石の由来は、神代に建御名方神が武甕槌神 に降伏して石に右手をついて帰順を表したとき 形当事者は振出人と受取人である。この約束手作成されて初めて発生するので、手形は設券証と受取人との間に商行為があり、その商取引に 形は、支払いの繰り延べ機能を有するため、金券であり、手形に署名した者の手形上の法律関基づいて振り出された手形のことであり、融通のものと伝える。この石の破片を御守りにする 銭の支払いや貸借などに利用されている。一係、責任は手形上の記載文言に従って判断、決手形は、振出人の信用を単に受取人に利用させと明神の加護があるという。長野県諏訪市中州 . : っ第 : っ 方、為替手形は、振出人が、名宛人である第一一一定されることとなるので文言証券でもある。まて、融資を受けさせることを目的に振り出されには、弘法大師回国の際に手をついた跡という 者に対して、一定金額を支払うよう委託した手た、手形には、手形振出しの原因となった売買る手形である。割引手形は、商取引に基づいて伝説の石があるが、土地の明神様が追われた際 形であり、名宛人 ( 支払人 ) は引受けの署名をのための代金支払いとか借入れとか手形の原因買取人が振り出した金額や支払時期が明確な複に当地から出ないと誓って石に捺し付けた手形 と かみみのち とも伝えている。長野県上水内郡柵村 ( 現戸 することにより支払義務を負い、手形上の主た関係については記載が許されず、一定の金額を名手形を、銀行が手形金額から満期までの利息 これもち 言たその他の費用すなわち割引料を差し引いて、販隠村 ) の矢本神社の縁起に、平維茂将軍が鬼 る義務者となる。為替手形における手形当事者支払うことについての単純な約束または委託、 売業者つまり手形の受取人から買い取った手形女に矢を射るときに、大石にふんばった跡が は、振出人、受取人、名宛人 ( 支払人 ) の三者けを記載することになっており、法律上、いっ はちまん たん手形が流通した場合には、原因関係の有である。貸付手形は、銀行が手形貸付に用いる社になったと伝え、矢の落ちた所に矢本八幡 である。現在では、為替手形は、国内取引上は ほとんど使用されておらず、主として貿易代金効、無効によって手形上の権利に影響がないの手形であり、手形上の債務者が振出人だけなのが祀ってある。長野県下高井郡中野町 ( 現中野 の決済に使われているが、これはその代金取りで無因証券、抽象証券、不要因証券といわれで通常、単名手形と称され、信用度は商業手形市 ) の常楽寺には弁慶の足跡石があって、水が ごんげん ゅうしゆっ より低い。また、手形が貿易上使用される場合湧出している。そのほか、神社には権現や明 立て機能を活用しているものである。為替手形る。手形はまた、指図式であればもちろんのこ 神の足跡石というのが多く、いすれもその神社 には、貿易手形といわれる。 と、指図文句を記載しない場合でも、振出人が の機能としては、このほか送金機能がある。 手形はまた、その期限により、一覧払手形、の祭神の影向を伝えるもので、柵などをして一 あさひ 一覧後定期払手形、日付後定期払手形、確定日般人の立ち入りを禁止している。弁慶石や朝比 払手形に分類される。このうち一覧払手形にお奈三郎の足跡という巨人の大力を説明した類の いては、所持人は振出日付より一年以内に呈示話が、規模が大きくなると巨人伝説になり、ダ イタラボッチ ( 巨人の法師 ) の足跡が池になっ しなければならす、手形債務者は、呈示があり しやか たというのもある。仏足石など釈迦の足跡を伝 しだいただちに支払いを行わなければならな 一覧後定期払手形、日付後定期払手形、確えるものも同系の類といえる。東南アジアなど 定日払手形においては、支払いをなすべき日おではスリバダといって、仏の足跡石は広く信仰 されている。 〈渡辺昭五〉 よびこれに次ぐ二取引日以内に呈示しなければ てがたかしつけ金融機関が借用証 ならない。支払いをなすべき日は満期日である手形貸付 が、満期日が休日のときは、これに次ぐ取引日書のかわりに、貸付先から約束手形を徴求して となる。 行う融資形態。手形による貸付なので手形貸付 といい、略して手貸ともいう。法的には証書貸 〔手形の時効〕手形上の権利の消滅時効につい 付と同様に金銭消費貸借契約であり、あわせて ては、手形上の債務者は相対的に重い責任を強 いられるため、短期時効となっている。すなわ手形法上の債権でもある。手形割引とともに銀 ち主たる債務者、つまり約束手形の振出人およ行の短期貸出の主要な形態であるが、手形割引 よりも支払いの確実性が劣るので、担保をとる び為替手形の引受人に対する手形上の請求権は ことが多く、利率も手形割引よりも若干高い 満期の日から三年、手形所持人の前者、つまり そきゅう 手裏書人および為替手形の振出人に対する遡及権なお、証書貸付に比べると利率は低く、また印 は、拒絶証書の作成日または拒絶証書の作成免紙税も安くなっている。↓貸出〈井上裕〉 9 上ヒ金新をあなたーたはあなたの物人へこの的第第こ引えにわまいいたし一す 出に東京都千代田区ーツ橋一丁目 x 番 x 号 甲山商事株式会社まも ) 編出人 代表取締役甲山太、 約東手形 83551 ま払期日昭和 6 え午 6 お / 0 日 000 いま 支払地 東京都干代田区 ま場既 富士龍行九段支店 ーー 0 000 引扣ロは ーローー第・日ヨ 5 ら一 と 一一ミ 7 、ど形 「当をと = 一 7 ぐ 支私第日昭“年 6 月 / ク日 支に場新 \ 工の 0 ユ 00 ※ ーたヤのみ、この物ー第 : ! 引をに上記新、い ( たさい 6 え、 3 月 / 0 日 ル地を不第引受、 0 6 年 3 月 / ぶ日 梶山地東京都千代田区ーツ橋一丁目 x 番 x 号 東京都中央区日本橋一丁目 x 番 x 号 甲山商事株式会社事〔も。 株式会社内野商店戔 代表取締役丙野次良 山人 代表取締役甲山太プ 富士録行 やしろ まっ
とうえい 投影図 〔図 A 〕平行投影 解説 : 伊従勉 〔図 C 〕正投影 〔図 B 〕中心投影 A' Ⅱ 2 AS 2 BS CS Ⅱ 1 : 水平投影面 ル : 直立投影面 : 基線 新 2 三次元図形 ( 図は立方体を示 す ) は , ある方向の平行投射線 矢印の方向にルを倒してⅡ 1 に重ねる 投影面から有限距離内にある投影中心 O より発す によって投影面Ⅱ上に投影図 互いに垂直な二投影面Ⅱ 1 , ルによりできる第一角に置かれた立方 る投射線による三次元図形の投影図においては , を与える。このとき三次元図 体の正投影図を示す。点 A の平面図を A ' , 立面図を A " と表記する。 投影面に平行な稜は互いに平行な辺となるが , そ 形上で互いに平行な稜は , 投 点 A を通る投射線 (AA', AA") の投影図 (A'P, A"P) を投影の対 れ以外の平行直線群は一般に投影面上の一点で交 影図上でも互いに平行な辺と 応線 ( 配列線 ) といい , 正投影図上で A ' P と A " P は一直線となり , わる直線群に投影される。図中の立方体の垂直方 なる (AB//CD ならは ASBS しうれん 基線新 2 と直交する。対応線は点線で表示する 向の稜は投影図上では一点 Vp に収斂する , ク CSDS) 〔図 E 〕副投影 : 副水平投影面Ⅱ 3 ( 亠Ⅱ 2 ) の場合 〔図 D 〕副投影 : 副直立投影面 〔図 D ' 〕 Ⅱ 3 ( 亠Ⅱ 1 ) の場合 工 12 A'P : Ⅱ 2 への距離 A"P : Ⅱ 1 への距離 AC Ⅱ 1 とは別にⅡ 2 と垂直な投影 面Ⅱ止に投影図 ( 副平面図 ) を求む。それをⅡ 3 とルとの 交線 ( 副基線 ) ェ 23 を軸に回転 してⅡ 3 をルに重ね , 今度は 基線均 2 を軸にⅡ 2 , Ⅱ 3 をとも に回転してⅡ 1 に重ねると , 三投影面か一平面に重ねら れたことになる。この際Ⅱ 1 とⅡ 3 の交線は無視する。点 A の副平面図は副立面図の ときと同様 A ・ " と表記される から , 副立面図との区別は 副基線ェ 13 とェ 23 との違いによ り示される A' 副立面図 A"'(A'P=A"Q) ェ 13 : 副基線 A' Ⅱ 2 ト - ・ニ 、 3 / 工 12 Ⅱ 2 新 2 工 1 / て Q) 3 立方体の副立面図を作図する。ます副基線 直立投影面ルとは別に , 同しくⅢに垂直な 〔図 E ・〕 副投影面Ⅱ 3 を立て , その上に別の直投影図 , 新 3 を引き , 平面図 A より新 3 に直交する対 すなわち副立面図を求め , Ⅱ 3 とⅡ 1 との交線 応線 AQ を点線で引く。その対応線上に A " P 113 ( 副基線 ) を回転軸として回転しⅢに重 = A " Q なる副立面図 A ' を求む。他の点につ ねる。この際Ⅱ 2 とⅡ 3 との交線は無視する。 いても同様に副投影を行い , それらを順次 点 A の副立面図は A' " と表記され , 副基線均 3 結び , 才齲寸線方向から見えない稜を破線 ( 隠 に対して副投影の対応線 A ' A' " が直交するの れ線 ) で示す。これが副投影の投射線方向 は同様である から見た立方体の姿である 〔図 F 〕軸測投影 A' Ⅱ 1 A ・ (Q) 立方体の副平面図を作図 する。ます副基線ェ 23 を引 き , 副投影の投射線方向 を決める。次に立面図 A " A よリ均 3 に直交するように 対応線 A ' 'Q を点線で引く。 その対応線上に A'P = A' ' 'Q となるように副平面図 A"' を求む。順次他の点につ いても副投景彡を行い , そ 副平面図 A " ( AQ=A ・ P) れらを結び , 隠れ線は破 ェ 23 : 副基線 線で示す 二次元図形を投影面に直 投影し , 同時に図形上の 点の投影面からの高さを 数値で示す方法を標高投 影という。地図がその代 表的な例である。幾何学 的曲面ではない自然曲面 上の一定の高さの点の集 合が等高線となる X13 三次元図形とともに目盛りを付した三直交座標軸を投影面に平行投影した ときの座標軸の投影図を , 軸測軸という。点 A ( 3 , 3 , 3 ) の投影図 AS は , 鶯軸 上のとゞ軸上のおよび原点 os の 二点を含む平行四辺形の頂点 A ' s ( 点 A の軸測平面図 ) から三軸方向へ 3 の 直 AS として求まる。逆に , 投影面上 で任意な方向の三軸測軸を決め , 目 盛りを任意に付したとき , 投影面に 対してある方向に実際の三直交軸が 対応することがポールケ ( シュワルツ ) の定理として証明されている。立体 図として自由に描かれる一般の軸測 投影図は斜軸測投影図である。直軸 測投景彡は三直交軸の投景彡面への直投 影であり , 軸測軸上の目盛リは自山 には決められない ー 0 、 A ( 3 , 3 , 3 ) A' 、つ 0 - O 〔図 G 〕標高投影 6 5 4 3 从 AS ( 3 , 33 \ 565
とうしず 透視図 〔図 A 〕透視図法 ( 直接法 ) Ⅱ ( = Ⅱ 2 ) 解説 : 伊従勉 〔図 C 〕平行線の消点と全透視 〔図 B 〕直線′の消点 画面Ⅱが直立画面の場合 , 画面 を正投影の直立投影面Ⅱ 2 とし , 任意な水平面を水平投影面Ⅱ 1 と して , 視線と画面との交点を正 投影法により図解するのが直接 法である。図 A では視点 S を含 む水平面を III と考える。点 A の 透視図 Ap は視線 SA の直立跡 ( 正 投影法における直線と直立投影 面との交点 ) である。それを画面 上で作図したのが〔図 A 〕である。 水平線んを正投影の基線と考え , 視点 S(), (') と点 A(A', A つの正 投影図がます与えられている。 lp : 始点 視線 SA の平面図 SA ' と水平線 lp : 直線 / の透視図 ( 基線以との交点 A ' p ( 視線の直 IIP, 12P, 13P : 直線 / 1 , / 2 , / 3 の始点 立跡の平面図 ) に対応する立面図 Ap が点 A の透視図である。なお 互いに平行な直線群んの始点を L 卍 ( 〃 = 直線 / の透視図 / p は , 直線上の二点 , た SS " が視点と画面との距離 ( 視距 1 , 2 , 3 ) とすると , んの消点 Vp は視線 s とえば図 A , A ・のように作図された / 上の 離 ) , 水平線んと基線 9 との間隔が い〃いと画面との交点となるから , ん 点 A と始点 I とのそれぞれの透視図 Ap , 視点の基面からの高さ ( 視高 ) を の透視図は消点 Vp に集まる直線群 InpVp lp ( = I) とを結ぶことにより得られる。ま 示す た直線 / に平行な視線 s の直立跡 Vp が消 となる。ただし , 画面に平行な直線群 Ⅱ ( = Ⅱ 2 ) : 画面 , ただしⅡ亠 r 点であり , 始点 lp 以遠の半直線の透視図 は消点をもたす , 透視図も互いに平行 : 基面 , ただし ( Ⅱ 1 ) 汐 r IpVp を全透視とよぶ となる ただし S" : その立面図 S : 視点 , 〔図 E 〕測点法 A : 対象 , 立面図 ただしキ , A " : その平面図 , Ap : その透視図 / 匚 0 : A ″ lp Ap ( Ⅱ 1 ) S" S" A' Vp Vp Vp : 消点 〔図 A 〕 A' S" 〔図 E ' 〕 S" 〔図 D 〕消点法 画面に一面 ABCD を接する直方体 ( A ー H ) の正投影図 ( 水平線んを基 線とする ) が与えられると , 奥行方 向のすべての平行な稜の消点は S " ( 視心 ) に一致するから , それらの A' B' 稜の全透視は A , B , C , D より S " に向 かう。点 G, H の透視図 Gp , Hp は図 B の方法で求まる。画面に平行な 直線群の透視図は画面上でも平行 であるから , Gp , H p よりんに平行 に直線を引けば , 全透視 AS",BS" との交点が透視図 Ep , Fp を与える F' E' S" C' D ・ CJ S So S"S = S"So VS" 亠 SoS" 心始線 / : 消線 ( 〃の M : 測点 AI = BI = 〃 VS=VM △ ABIcn △ SMV Ap : 点 A の透視図 Fp Gp 直線 g の全透視 IV が与・えられているとき , 直線 を含む任意の平面の始線にと消線 / / ) をつ くる。始線上に B I = AI = 〃なる点 B をとる朝は 与・条件 ) 。また視距離 ( SS " = S ( ) S " ) を一辺とし S Ⅳ を他の辺とする直角三角形 S 。 S " V 〔図 E 〕の三角形 S S"V に相当 ) をつくり , SoV = V M となるよう に測点 M を消線 / 上にとる。直線 g 上にあって始 点よリ距離〃なる点 A の透視図 Ap は IV と BM の 交点として求まる。このとき , 測点 M は直線 BA の消点となっている 直方体の三直交軸ェ , ) の消点をⅥ , Ⅵ , Ⅵ とするとき , 傾斜画面上にできる三角形ⅥⅥ Ⅵを消線三角形という。直交三軸の二軸がな す面 ( 主軸面 ) の消線がこの三角形の辺となっ ているからである。直交軸の測点をこの消線 上につくることができる。たとえば 1 軸の測 点 M 、は V 、 S = Ⅵ M , として水平線ん ( 面の消 線 ) 上に得られる ( 図 F ・の直角三角形 S ( ) V , V 当 は図 F の直角三角形 SV , V リの実形である ) 。 三直交軸の原点を画面上の始点 I に重ねて消 線三角形内に任意に決めると ( 三角形外でも よいが ) , 始点 I を通り水平線んに平行に測線 ( 主軸面の始線 ) 川をつくり , 図 E ' と同し要 領でェ軸上に単位距離 I の目盛りを刻むことが できる。 ) , 軸についても同様で , 目盛られた 三軸により立体格子の透視図が作成できる A, E" D, H" 〔図 F 〕三消点法の仕組み ヵ Ⅱ Vx Vy 〔図 F ・〕三消点法 XP YP 9 L Mxl My Vx, Vy,Vz: 消点 Mx : x 軸の測点 My : ) 軸の測点 襯 : 測線 / : 単位距離 699
てつどう ④それ以外に、馬や人力による馬車鉄道、人車鉄道などが、 ↓磁気浮上式鉄道↓ホバートレイン 気運転の場合もエネルギーの効率が良好である。 日本では二〇世紀初頭 ( 明治末から大正 ) に使われていた。 ⑦軌道の敷設面①地表に敷設する鉄道には、専用の用地に 6 沿線地域の開発に効果があること。原料、資材、製品など ↓蒸気機関車↓ディーゼル機関車↓ディーゼル動車↓電 の輸送が正確、大量、安価に行えるので、産業が振興され、敷設する一般の鉄道と、道路上に敷設する路面電車がある。 〈松澤正二〉 ②高架鉄道は、交通の頻繁な道路や他の鉄道との平面交差を気機関車↓電車 文化的交流にも寄与する。 〔経済上の分類〕①経営形態世界の鉄道は、初期の段階に ⑥国土防衛上有効であること。軍備をもつ国の鉄道は、戦時避けるために、高架構造上にレールを敷設する。③地下鉄道 おいて株式会社の形態が多かったが、現代では全国的な鉄道 は、都市の地下のトンネル内に敷設している。↓地下鉄 には軍事輸送に切り替えることができる。 ③軌間 ( ゲージ ) ①標準軌鉄道は、日本の新幹線や一部の網の形成に伴い国有国営の形態をとるものが多くなってい 鉄道の分類 私鉄、ヨーロッパ・アメリカなど世界の約七五 % が採用してる。イギリスの鉄道は一九四七年の法律によって国有化さ いる一四三五 : リメートルゲージである。②広軌鉄道は、標準れ、その後、六三年から公共企業体として運営されている。 鉄道は技術上、経済上、法制上の各基準によっていくつか 軌間より広いゲージで、スペインやインドの一六七二ミリメー 西ドイツの鉄道は、一九二〇年のドイツ国有鉄道の設立によ に分類される。 〔技術上の分類〕技術的には、軌道・車両の構造、軌道の敷 トルゲージ、ソ連の一五二五ミリメートルゲージがある。③狭り国有化され、第二次世界大戦後の五一年の東西ドイツの分 裂以降は、ドイツ連邦鉄道として国有国営の事業体となって 軌鉄道には、日本の旧国鉄在来線や多くの私鉄、ニュージー 設面、軌間、車両の動力などから分ける。 ランド、南アフリカ共和国などの一〇六七ミリメートルゲー いる。フランスの鉄道は、一九三七年の公私混合株式会社の ①軌道・車両の構造普通鉄道と特殊鉄道がある。①普通鉄 道は二本のレールの上に自走する車両を運転する一般的な鉄ジ、タイ、ビルマ、スイスの私鉄などの一〇〇〇ミリメートル発足以来国有化の道を歩み始め、八三年からは全額政府出資 道である。②特殊鉄道には、普通鉄道に特別な装備を付加しゲージなどがある。なお、日本の新幹線は標準軌間であっ の事業体として運営されている。アメリカの鉄道は、第一次 た歯車式鉄道 ( ラックレール式鉄道。アプト式、ストルプ式て、広軌とよぶのは正しくない。↓軌間 大戦中に一時期、国の管理下に置かれたことがあるが、基本 など ) と、まったく別構造の単軌条式鉄道 ( モノレール ) 、 ④動力源①蒸気鉄道は、多く石炭を燃料とする蒸気機関を的には民間の株式会社で、一九七〇年以降、国が管理・運営 鋼索鉄道 ( ケー。フルカー ) 、索道 ( ロープウェー ) 、無軌条電使用するが、一部には石油を燃料とするものもある。②内燃する鉄道として、アムトラック Amtrak ( 鉄道旅客公社 ) 、 車 ( トロリー。 ハス ) 、浮上式鉄道 ( リニアモーターカー、ホ機関鉄道は、ディーゼル機関車とディーゼル動車が主で、ガコンレール Conrail ( 北東地域鉄道 ) という特殊会社が設立 き、れた ートレイン ) などがある。↓ラックレール式鉄道↓モノ ソリンエンジンのガソリンカーもあった。③電気鉄道は、地 ー十ー「ロロノ レール↓ケー。フルカー↓ロープウェー 日本の鉄道は、一地方の交通を目的とする地方鉄道を除い 上施設から供給される電力による電気機関車、電車である。 て、一九〇六年 ( 明治三九 ) に国有化され、第二次大戦後、 四九年 ( 昭和二四 ) に公社 ( 日本国有鉄道 ) として新発足し たが、国鉄再建をめぐる国鉄改革の論議のなかで分割・民営 化が図られることになった。日本の鉄道体系は、国鉄と並ん るは で、株式会社形態をとる私鉄の役割の大きいことが、世界で あ時 で当 道業 も特徴となっている。私鉄は旅客輸送量の大きな部分を分担 の 一九八四年の し、とくに大都市圏での私鉄の役割は大きい。 最し鉄 年間輸送量は、国鉄六八億人、私鉄一一八億人で、私鉄が国 公・界業の影 世開初 鉄を上回っている。日本の私鉄は主として旅客輸送の分野で 真 一九八四年の貨物輸送量 あり、貨物輸送での役割は小さい 式年本道 業日、 は国鉄七四九二万トン、私鉄三二二八万トンである。〈雨宮義直〉 1 気 業務地域業務を行う地域から、全国鉄道、地域鉄道、地 し日ー訒 間次に 海 方鉄道に分けられる。①全国鉄道は全国的規模の幹線鉄道 タ・丘 ( 丿 で、主要都市間の長距離輸送を行う。分割・民営化以前の日 ス / 黄ロロ 、京 東 本国有鉄道がそれである。②地域鉄道は、旧国鉄の各旅客鉄 チン橋「 道会社のような、日本を数プロックに分けた程度の規模で、 LO っ 次の地方鉄道より広範囲に、相互の主要都市を結ぶ直通運転 明 も行う。③地方鉄道は、限られた地域内の局地的な短距離輸 プト年復 ク往 送が主で、大都市圏の地下鉄や郊外電車、路面電車などであ ト、 1- 日 る。 、い . 、第刈物鉄「、ス 7 161
どうばん 銅版画 / 過程 ① ムるでくをが コ盛莎置莎う上ン にをに冷るを】羅行りるチ 部ク寒取版にを刷せア さク 凹ン , でに上 たイは布上の刷る成ア しにクはのそ , く完 , しめしグ 蝕体ンれト 腐全イ汚一せ回を , ン に版なのレ伏を紙程チ 次 , 分クプにルに過 。ら余一 , 版ドかのエ 去がのマしをン静⑦ 除な部ト整紙ハ でめ凸一調たでげ②技 レ士ロ レをいさ上 一をりプ圧お速を正版 コクと , スての紗修と ルンきりレし定羅筆品 アイふ取プ湿一 加作 をでのきめ 脂一ク拭スしる上考し 松ランにレかせり参成 一イ々プらふ刷を完 でロ⑤徐⑥あか⑦り⑧ で壁る絵すン分剤 のせ下をウ部溶 すルさ , 4 目 ラすを やニ燥ら腐 , グ残 属ビ乾がの用でくるン 金化しな目使剤白すウ , 塩布し回を溶 , をラ しに塗慮 1 液 , せ触グ 意面を考 , 鉄しさ腐 用裏ドをしニ洗着のし を ンの , 第水固目洗 板 0 ウる真化をに回水 銅一ラな写塩版版 2 を の・ ( 、グに い , を , 版 大るド逆画低後脂後 ・物絵け一右描の蝕松燥後 下っハ左で性腐に乾蝕 すをにカ くル険の次 , 腐 まク面画ド危目 一表成一は回る覆め , 完ニ液 1 すで詰 ー、△目 用 去スク の一張画考腐蝕除ニン 版レを描参 ( 腐をワイ ①プ紙②をる③ドを④ 続けることによって、線の濃淡、強弱を調整す硬質グラウンドのかわりに、粘り気のある軟ら 液に浸けて腐蝕させる。この技法を最初に用い に発達した。そして従前のエングレービングに ることができる。酸は、もとの線に忠実な腐蝕 かいグラウンドを用い、これに紙を重ねて、そ かわって絵画複製の有力な方法となったが、写たのは、一六世紀初め、イタリアのジュリオ・ が必要な場合には塩化第二鉄、粗い腐蝕には硝の上から鉛筆やチョークで素描する。紙をはが 真術の普及とともにその役割を終える運命を担カンパニョーラであった ( 直接法 ) 。一八世紀 酸の溶液が用いられる。 したとき、素描された分だけ軟らかいグラウン っていたといえる。一九世紀前半には、ターナ後半にロンドンで活躍したイタリア人版画家バ けんさん ドが紙に付着し、銅の面が露出する。これを腐 デューラーはこの方法を最初に用いた版画家 ーがこの技法による「研鑽の書」の連作を刊行ルトロツツイは、この方法でパステル調の優美 の一人であったが、彼が使用したのは銅板でな 蝕した線は素描する材料に応じて太く、また紙 な版画をつくって人気があった。 して人気を博している。メゾチントは二〇世紀 く鉄板であった。鉄の表面を腐蝕させて装飾をの地肌の凹凸も軟らかいグラウンドの除去に影 〔間接法〕版面に防蝕層 ( グラウンド ) を施 になって創作版画の技法として再認識され、と よろい はせがわきよし ようぞう りわけ日本の長谷川潔や浜口陽三の作品にそし、露出した部分を腐蝕液で腐蝕させて製版す施す方法は、中世から鎧や武具などの金属工芸響するので、あたかも紙にチョークなどで素描 では発達していたが、デューラーのころには、 した感じを出すことができる。このため、この る方法。湿式、腐蝕法ともいう。 の成功例をみることができる。 イギ eau-forte 〕工銅の腐蝕にあった酸がまだみいだされていなか方法も素描の複製技術として用いられることが 〔スティップル・エングレービング stipple 〔ェッチング etching ったのである。銅板のエッチングは一六世紀な多かった。創作版画に用いられた早い例として ッチング針で描画する点ではドライボイントと engraving 〕この方法は間接法でも行われる。 は、一八世紀後半イギリスのゲーンズバラやタ かばごろからイタリアを中心に発達したが、こ 直接法は、ビュランの先で板面をつつくように同じであるが、直接銅板に彫刻するのでなく、 ーナーの作品があるが、一九世紀末ドイツやド の表現効果を十分に発揮させて版画芸術の代表 して無数の刻点をつくり、その集積密度によっグラウンドを削り取るだけでよい。このため、 ィッ表現主義の画家たちは、この技法のもたら て明暗のグラデーションを生み出す。湿式の場素描に近い自由な軌跡の線が得られる。腐蝕を的手法としたのは、レン。フラントであった。 〔ソフト・グラウンド・エッチング softground す粗さや即興性を好んだ。二〇世紀になると、 合は、版面に施したアスファルトの防蝕層 ( グ途中で停止し、必要な部分 ( 弱い線が欲しい部 verms mOUS 〕ェッチングの軟らかいグラウンドの上に木の葉、粗目の板、 ラウンド ) の上から同様に点刻し、さらに酸の分 ) を耐蝕性のワニスで覆い、ふたたび腐蝕を etching ⑥ っ 7 ⑧ 768
どうろ ③一般国道、都道府県されているものを含んでいる。高 道の総延長は約一七万速自動車国道は、自動車の高速交 キ。であるが、このうち通の用に供する道路で、全国的な 幅員五・五末満の車自動車交通網の枢要部分を形成 し、かっ政治、経済、文化上とく が満足にすれ違えない 区間がほば半分の七万 に重要な地域を連絡するものであ キ。を占めている。 る。一般国道は、高速自動車国道 とあわせて全国的な幹線道路網を ④地域の住民の足とし て重要なバス路線は約構成し、かつ国土を縦断し、横断 速長 一三万三〇〇〇キ。であし、または循環して、都道府県庁 っー -8 、 1 11 14 高延 ワ -0 11 -0 8 、 1 人タ / 、 るが、このうち満足に所在地 ( 北海道の支庁所在地を含 ち路阡 3 る あ 、つ道 すれ違えない区間は五む ) その他政治上、経済上、また の道路値 路 万九〇〇〇キ。に及んでは文化上とくに重要な都市を連絡 7 2 2 5 4 6 6 8 4 5 3 年農道数 4 び要の 1 人ワ】《 0 り・】戸 0 -4- っ 0 1 よ -8 -8 -8 っ 0 、 1 っ 0 、 1 11 -4 ・ いる。また、都市およするものである。市町村道は、市 1 3 2 9 ~ よ主み 道要阡 《 0 11 お , の びその周辺部で交通混町村の区域内に存する道路で、市 は道道道 也林国国 雑のためバス運行速度町村が認定したものである。都道 る -4 L.n 《 0 -8 -4 ・ 0- 1 よ 0 【 0 み、」の ト 6 ワ LO CO っ 0 11 1 人 -4 -8 長ダ率 が著しく低下し、定時府県道のうち地方的幹線道路網の 国路 《 0 1 画 延ン装 枢要部分を構成し、国道あるいは 性の確保が困難な区間 年路ラ舗吶 道オ 兄 の は一五〇〇キ。に及んで主要な都道府県道を相互に連絡す ワ」戸 0 一 4 ・戸 0 一 4 ・ 4 - 血 - 尸 0 -4 ・尸 0 は。るス 堋年 . 印一めン るものを主要地方道という。 路 * 年でラ計 四いフ統 道路の構造は直線部と曲線部と 道 ⑤全国で歩道などを設 ア額みの。路 年の路む道置する必要のある道路で異なり、またトンネル部では特 ン 資ス道含界 表 デ ラをンのも世 は約二四万キ。であり、 別な構造をもっている。道路構造 カルスアダ一ッスト 路ラ べ方 このうち一〇万キ。は緊の基本になる横断形状は、車道、 ジ ンエインス道フ ( す地 ろかた 本ン国メラギタラウドラ一 急に歩道などが必要な路肩、中央帯 ( 中央分離帯と側帯 日イ韓アプイイオス西フォ注 る によって構成されている ) からな 区間である。二四万キ。 そっ のうち三二 % が未整備の状況にある。また、すり、街路ではこのほかに歩道、側 か年計画 ( 一九八三年にスタート ) に基づき、 よあ おの 溝が幅員中に入る。代表例を示す 道路交通の安全の確保とその円滑化を図るととでに整備された歩道のうち幅員一一未満の狭い 』助久 と図のようなものである。直線 もに、生活環境の改善および活力とゆとりのあ歩道が半分を占め、質的にもきわめて不十分な る 部には、路面排水のために中央部 現状である。 る地域社会を形成するため、高速自動車国道か 状 このほか、防災上の危険箇所、震災上問題のから路肩部に向かい一・五 ~ 二・ ら市町村道に至る道路網の計画的な整備が進め 一一うばい あいろ ム間 域住保 られている。同計画においては、総額三八兆一一ある老朽橋など道路交通上隘路となっている箇〇 % の横断勾配がつけてある。曲面 概 地種一 < 2 翫兄 ド 1 ノ・ー、 〇〇〇億円をもって、①道路交通の安全確保、所は数多く残されており、日本の道路整備水準線部は、自動車が遠心力を受けて ②生活基盤の整備、③生活環境の改善、④国土は量的にも質的にも今後の整備にまっところが横滑りしないように横断形状を片の 勾配にし、かつ自動車の走行上、路 の発展基盤の整備および⑤維持費の充実にかか多い状況にある。 おな 省 道 〔種類と構造〕一般に道路といわれているもの直線部より広い車線幅を要するの わる各施策について、それぞれの重要性を総合 種 1 良地 車 第びる 的に勘案して整備を推進することにしている。 は一般公衆の通行の用に供される施設をさしてで、車道幅員を曲線半径に応じて各 日本の道路整備の現状から今後の道路整備のおり、道路法に基づく道路のほかに、いわゆる拡幅する。直線部から円曲線部に 幹線道路 地域区分道路分類主要幹線道路 私道、林道、農道、あるいは道路連送法に基づ入るには、ハンドル操作を円滑に 課題のいくつかをみてみよう。 いて運営されている一般自動車道なども含まれするため、両者の間に緩和曲線を ①一般国道、都道府県道のうち、一一車線以上の 改築済み区間は五三 % となっているが、交通渋ている。しかし、日本の基本的な道路網を形成入れる。緩和曲線にはクロソイド曲線が多く用安定上すべてゆったりした高級なものにする必 いられる。平面曲線部および縦断曲線部はとも要があるので、建設費が高くなる。 滞の著しい区間が約五 % 、九三〇〇キ。あり、円しているものは道路法に基づく道路であり、① 道路各部の構造寸法と舗装および付属設備の に見通し距離が不十分になりがちなので、走行 、 % にすぎな高速自動車国道、②一般国道、③都道府県道、 滑に通行しうる区間は全体の四ノ ④市町村道の四種類をさし、トンネル、橋、渡上の安全を確保するため、線形の修正あるいは設計は、道路構造令に基づいて設計速度、設計 一般国道、都道府県道ですら、本舗装済み区船施設、道路用エレベーターなどの道路と一体障害物の除去を行って、必要な見通し距離が得交通量、その他必要条件を満たすように行う。 間は約四八 % にすぎず、簡易舗装済み区間が約となってその効用を果たす施設または工作物、られるようにする。上記のような種々の幾何構道路の構造設計は、まず道路中心線の平面形と および道路の付属物でその道路に付属して設置造は、道路の設計速度を大きくするほど、走行縦断形の決定、安全見通し距離の確保、横断形 三四 % ある。 lkm2 当り道路投資 道路延長年額 ( 百万米ドル ) 舗装率 (km) 72 334 * ( 億円 ) 645 * 1 253 51 285 1 548 4 168 * 4 979 1 382 1 986 * 7 748 * 8 690 2 380 1 127 1985 2 . 98 57 . 9 0 . 47 0 . 52 0 . 67 0 .19 1 . 51 1 . 00 2 . 68 0 . 30 1 . 97 1 . 46 47.35 49 . 8 5 5 . 0 100.0 100 86 . 0 69 99 100 49 . 8 地方部 都市部 B 地域 D 地域 都市部であって A 地域以外の地方部にあって沿道に集落 C 地域以外の地方部 などかあるか , または将来の地域 地域 その形成が見込まれる地域 4 車線 ー一一 25 C 地域 4 車線 4 車線 2 車線 4 車線 4 車線 2 車線 を 25 0.75 0.75 3 3 832
とう 道教への打撃は少なかった。このとき、還俗さ 2 立した。陸修静の経典整備の後を受けたのが陶の武帝は、儒教的王朝体制に、仏・道両教を順るとされた。唐室の受命を予言した王遠知には よ キ、弘景であり、彼は茅山を拠点として「上清経』応させる政策を進めた。五六九年に前後三回、特別の位を与えて紫衣を賜り、太史令に道士傅せ「民」とした私度の僧尼が多か 0 た。僧・道 6 、フを大成し、いわゆる「上清派」を確立した。彼儒・仏・道三教の論客を集めて法論を行わせた奕を任命した。太宗のとき、宮中での僧・道のともにその得度を証明する官文書すなわち度 の思想は、科学的な医経・経方・神仙の学を基が決着をみず、かえって仏教側が『笑道論』 順序を、道先仏後としたが、則天武后は仏教を牒が発給された。この度牒の制は六朝時代に ど 礎としたもので、それにはさらに仏教との交流や『二教論』をつくって道教を攻撃した。五七重んじ順序を逆にした。玄宗は道教に傾倒し自始まるらしいが、その制度が固まったのは唐代 ほ・つ - っ・、 らも法鱇を受け、太上老君を太上玄元皇帝とし もみられ、彼は初めて理論的な道教教学を打ち二年の法論では、武帝は三教の順位を儒・道・ からである。度牒の制は僧尼について明らかに びよう かきょ によかん されることが多く、道士・女冠については、僧 立てたといえる。 仏としたが、五七四年の道・仏の法論で、道士て玄元皇帝廟を各地に建てた。また科挙と同じ どうきょ ちょうひん 六朝末から隋代には、華北に新天師道、江南張賓が仏教側によって論破されたので、つい く道挙制を定め、道士の官吏登用の道を開い 尼に準じて扱われたと考えてよい。度牒の発給 げんぞく すうげん には試経 ( 試験 ) がたてまえであったが、官許 地域に天師道と上清派がそれぞれ展開してい ・に仏・道両教をともに廃し、僧・道を還俗させた。玄元皇帝廟に「崇元学」を、諸州に「道 ぎらん た。唐代に入ると、上清派の本拠である茅山をた ( 法難の第二回 ) 。続いて「玄都観」を「通学」を設け、学生に老子、荘子、列子などを習の度牒をもたぬ「偽濫」の僧・道や、売牒の問 めいナい 中心として、南北道教の統合と交流を目ざす動道観」と改めて国立宗教研究所とし、三教の師わせた。その成果を明科に倣って試験を行っ題などを生じた。それは道士より僧尼に多かっ たとみられる。 きが活発となる。陶弘景の教学を受けた唐初の の優れた者を通道観学士として、そこで仏・道た。唐初の道士には、右の王遠知や傅奕のほか おうえんち 上清派道士王遠知は、初め新天師道の修行をし に、方技の学に優れ『千金方』 ( 「道蔵」収 ) 五代時代、江南各国では道教が発展した。唐 二教の儒教化の研究を行わせた。 と - 一うてい りゅう・一 はんしせい そんしばく たし、弟子の潘師正は茅山から新天師道の拠点 六朝時代から唐初には、数術・方技の学問に を著した孫思遞がいる。高宗のときには王遠知末五代の道士杜光庭は、江南の茅山派、竜虎山 せんばく 嵩山へと移り住んだ。このような上清派の活躍秀でて王朝の政治顧問となったり、特別の待遇の弟子潘師正、符鱇呪術・占ト・養生の術に優 ( 江西省 ) の天師道派などの系統に属し、四川 しようほうぜん ぜんしよくおうけんおうえん に入って前蜀の王建・王衍に重んじられ、道 は、茅山を唐代道教の中心的な存在とし、上清を受けたり、太史令に任命されたりした道士がれた葉法善らが重用された。とくに葉は高宗 りよう 派を天師道と並ぶ道教の二大流派に育てた。 現れた。南朝梁の陶弘景、その弟子王遠知、唐から中宗に至るまで、皇帝の側近にいて信任さ経を整理し儀礼を集成した。後蜀も呉も、呉 たいぶ ふえき しばしようてい の後を受けた南唐も、その領域内の道教を保護 〔道教と仏教の交流〕北魏の太武帝 ( 在位四一一一一一初の傅奕らである。隋の文帝は仏教を重んじたれた。上清派の司馬承禎は、玄宗の信任厚く ちょうきしん しようえん 一い - 一う ~ 四五一 l) は宰相崔浩の勧めによって寇謙之の新が、北周の武帝が都長安に設けた通道観を玄都玄宗に法鱇を授けた。武宗は趙帰真ら八一人のした。竜虎山の張天師道が荘園を与えられて さい 天師道を国教とし、年号も太平真君と号した観にあわせ、玄都観を仏教側の大興善寺と並置道士を宮中に召して斎 ( 祭祀 ) を行わせ、宮中教団としての基礎を固めたのは、呉・南唐治下 てき りよ よ・つ ~ い した。次の煬帝は、神仙説を信じ、道術に優れたの九天壇で法を受けて道士皇帝となった。趙 においてであった。呉越国は茅山派の師承の閭 ( 四四 0 ) 。道教を信じた漢人豪族の崔浩は、夷狄 ) いーレ髪、・つ きゅうほうえん の教えであり王朝の財政を損なう仏教を排除し道士を重んじたが、王遠知は近づかなかった。 の進言によって八四五年に仏教弾圧 ( 会昌の丘方遠を重んじた。 ・つしゅ - っ りよう りえん りせいみん せんえん ようとして、太武帝に勧めて四四六年に仏教弾 唐の高祖李淵、太宗李世民は、即位前から王法難の第三回 ) を行った。続いて五代の後周 宋代には、遼との戦争で敗れ、濱淵の盟 ( 一 0 せいそう しんそう さんぶいっそう 圧を行わせた ( 三武一宗の法難の第一回 ) 。太遠知による太上老君の告げを受けて唐の建国の の世宗は、九五五年に廃仏 ( 法難の第四回 ) を 0 四 ) を結んだ真宗 ( 在位究〈 ~ 一 0 一一一 l) のとき、 武帝ののち仏教は復興したが、北周の武帝 ( 在業を進めた。太上老君すなわち老子の姓が唐室行った。この廃仏では、国家財政の立て直しのおもに茅山派道士が儒教的天の信仰と道教の降 位五六 0 ~ 五七 0 のときふたたび弾圧された。北周と同じであるところから、唐室の祖は老子であため、堕落した仏教教団を厳しく粛正したが、神術とを結び付けて、一〇〇八年「天書事件」 官館 , う祥がの表絵 道教 / 道教の神々 の「諸神聖誕日表」のなかに示されている。そかで、宋代には最高神として確定、教会道教で た三物 願吉画家代に 祀を・う像 , の右れ④博 の神々の図像は、「年画」 ( 新年に家屋の内外に も受け入れられた。 てんしんちぎ を護い神いそ左さ史 * 印は、別に本項目があることを一小す。 * げんし 貼付される吉祥を祈るための木刻版画 ) のな 神加との買。のと神歴 元始天尊 儒教でいう天神・地祇の てんそん * 1 いとっ ょに画りをる門ぐ門 儒教の祭喪の礼に出る神々に対応する民間の かにみいだせる。次に代表的な神を列記する。 天神が道教神化したもので、道教の最高神であ ま々年刷れえ , 防③国画 ざ神 , 色そ迎りを る。六朝時代の上清派の間でこの神の名が用い 俗生活文化の神々や、仏教など外来宗教の影響か まっと刻はをあ入帝 しよくかん かんう さもる木々月で来関良民 らくる神々などが道教の神々である。民間の関帝蜀漢の武将関羽の神格化されたも られ、それが唐代より道教各派を通じて行われ ぎよくせい にをなた人正神の②華 中神々のなかには、道家および神仙聖祖からきたの。武神となったのは八世紀末に始まる。九世るに至った。のちに、玉清元始天尊、上清霊 宅割にし , て門鬼光 がらん そう たいせい さん 居役末表れつが悪君眼 神々、生活文化本来の神々、すなわち農村生紀初には伽藍神ともなった。宋代には道教信仰宝天尊、太清道徳天尊の三神をあわせて「三 はれ年をさ貼のり老⑤刊 でぞに味出にも貼上 活・養生医療関係・ギルド的生活の神々、福建の武神としての地位が高まり、王朝の祭祀の対清」というようになった。 まっ 国れく意り所なを太帝 台 げんてんレし 中そとの売各的像①大 ( 方の天の上帝。天の中 など特殊の地域文化 ( のち台湾、東南アジアに象にもなった。また民間信仰で財神として祀ら玄天上帝 じようてい・ヨイ みん 広がる ) などの神々がある。民間の神々にしてれるようになった。明末には関聖帝君の号が与 心である北極星を神格化したもの。北極星信仰 そうし も宗祠関係だけは儒教的姿を保って存してい えられ、民衆道教の神として中国はもちろん、 は周代にみられたが、道教の神として定着する る。第二次世界大戦前には日本の学者の研究東南アジア、日本、朝鮮など各地中国人の関帝のは、唐末以後であろう。宋代に玉皇信仰が確 びよう は、媽祖のように海上交易によって広がったも廟など寺廟で祀られている。↓関帝廟 立するのに伴い、「北極紫微」星座の神は、玄 ) よく・一う じよ、ってい 天、上帝、天帝の道教神帝、真武 ( 玄武 ) 、玄天上帝などの名でよばれ のを除き、華南 ( とくに福建 ) の神々に及ぶこ玉皇上帝 とは少なかった ( 台湾総督府関係の研究を除化したもの。玉皇の名は唐代に始まるが、最高るようになった。 げんしてんそん いんちゅう ちょう く ) 。しかし戦後は福建系の神々にも関心が及神である元始天尊の雅称である「玉帝」からき五顕財神以ん殷の紂王の臣、趙玄壇を中 りくちょう じようせい んできた。民間の生活文化の神々の多くは、年たものであろう。六朝時代の上清派の神統譜 心に四神をあわせて五顕財神という。四方五路 ぎよくこう しんれいいぎようず ごろ 中行事 ( 「歳時」 ) の神々となり、また『玉匣『真霊位業図』のなかの最高神が元始天尊であの財を集める神として五路財神ともいう。宋代 記』 ( 『道蔵』本や民間本などにある ) や民間 るのに対し、三教合一の民衆的信仰の成長のな ころからこの信仰が固まり、「五聖」「五通」の すうぎん ① ずい ちょうふ ごえっ
回平井昌夫監修『手紙の百科ーーホーム・コンるのだが、名高い大悪党チェッ つけるか、一、二字空きにする。 パレッロは臨終に一世一代の大 サルタント〈ホーム・シリーズ 5 〉』 ( 一九七 0 ・ め〔末文〕本文が行の上部で終わ 0 たときは、 嘘をついて聖者チャッペレット 小学館 ) 二、三字隔てて「敬具」と書く。 になりすますという筋書き。ま 〔日付〕日付は第二行に三字下りから書く。た デカメロン Decameron 一四世紀イタリ わきづけ で た一日の末尾には締めくくりの アの大作家ジョバンニ・ポッカチオの代表作。 だし、脇付のある場合は、第三行目から書く。 ことばとともに、一座の者たち 〔宛名・署名〕宛名は第一行目、本文より一字「十日物語」の意。一〇日一〇〇話の短編物語 が踊りに打ち興じて、カンツォ 下がり、日付よりは一、二字上がりに書き、署を集大成した作品で、三界百歌の構成をもっダ ーネを歌うことになっている。 名はその下または次行の中部やや下より書き始ンテの『神曲』 ( 神聖喜劇 ) に対して、『人曲』 一〇〇話の短編物語はそれそ め、裾は本文より一、二字上がりに収める。前 ( 人間喜劇 ) ともよばれる。中世ヨーロッパの 民間伝承、逸話、史実、伝説などを素材にしれに奇想天外なものばかりで、 付書式がもっとも妥当な形である。 〔封筒の書式〕図 ( し順 ) のように宛名は表て、王侯貴族から下男下女、教皇から乞食に至おおむねは明るい喜劇だが、不 面の中央に上二字ばかり空けて書き出し、下もるまで、ありとあらゆる社会階層の人物群を登幸な愛を物語る第四日のように ほば同寸の空きとなるように「様」を書く。住場させ、「千一夜物語』などの流れをくむ枠物暗いものも配置されている。物 語の結構に収め、著者、一日の物語の主宰者、語の舞台はイタリア半島を大き 所は上一字空け、都道府県名から書く。敬称は く踏み出して、ヨーロッパはも 中身と同じにする。脇付は敬称の左下にやや小 話者、作中人物らが、複雑に語り合い、重層的 な対話世界を、前衛的な文学手法で描き出してとより、オリエント、アフリカ さく書く。切手は左上すみになるべく一枚で。 の各地に及び、この作品が中世 署名は裏面の中央中ほどから下に宛名より小さ 著者は長年にわたって書きためてきた、あるからルネサンスにかけての「商 くして書く。住所は署名の右肩に字を小さくし いは温存してきた短編物語も含め、一三四九年人の叙事詩」とよばれるゆえん て書く。日付は右上部の余白にしたい。封は から五一年にかけて、一〇日一〇〇話をまとめともなっている。〈河島英昭〉 「〆い「封」「緘」など。 〔封じ方〕便箋の折り方は、図 ( 要 ) のよ上げた。巻頭と巻末に断り書きがあり、第一日回森田草平訳『デカメロン』全 二巻 ( 一九三一・新潮社 ) ▽柏 うに、書き上げた紙を下から上へ文字を内側に の冒頭には長い序文も付せられていて、著者の 熊達生訳『デカメロン』 ( 一九 して正しく二つに折り、次にその折り目を上へ創作意図がときには細部にわたって記されてい 五五・河出書房 ) ▽岩崎純孝 二つ折りにする。三つ折りは下から上へ三分のるが、とりわけ、むしろ陽気さと活気に満ちた 訳『デカメロン』全二巻 ( 一九 一その上へ上から三分の一を折りかぶせる。封一〇〇の短編物語群をまとめる契機になった基 七一・集英社 ) 筒に入れるときは長封筒、横封筒とも折り畳ん盤、もしくはその背景を埋め尽くしている暗黒 はしがみ てがら日本髪に用し だ端紙のほうを表に向け宛名のあるほうを上に のベストの場景、すなわち地獄絵のような当時手絡 のフィレンツェ市国の惨状の描写は、注目に値る女性用髪飾りの一種。若い人用には桃色、緋囮二万五千分の一地形図「光岳」 して入れる。 あさぎ ちりめん デカリン decalin 脂環式化合物の一つ。 〔葉書の書式〕葉書には官製と私製の二種があするであろう。この陽気な物語群は、迫りくる色、年配者用には水色、浅葱色などの縮緬地に デカヒドロナフタレンともいう。中央の二個の り、官製は通常葉書、往復葉書、簡易書簡の一一一死の恐怖のなかで、閉ざされた社会の奥に心満鹿の子絞りを加工したもので、髷に掛けて用い たされぬ思いで生きる女性たちのために書かれる。江戸時代末期には「まげかけ」といわれ炭素につく水素の立体配置によって、シスおよ 種に分けられる。 てんばう た。天保の改革 ( 天四一 ~ 四三 ) の際のぜいたく禁びトランス形の二つの異性体が存在し ( 図 ) 、 〔通常葉書〕通常葉書の書式は①表面には宛名た、と著者は断っている。 〔その構成〕一三四八年のベストが荒れ狂うフ止令により縮緬の利用が止められ、それにかわ後者が安定形である。ナフタレンを白金触媒の を中央、上を一字下がりぐらいに書き、住所は イレンツェで、聖女マリーア・ノベッラ教会堂り和紙を縮らせた縮緬紙が使用された。しか存在下、水素化すると両者の混合物が生成する その右肩、都道府県名や市名を大きく書く。② が、シス形はトランス形に変えることができ に、年若い三人の貴公子と七人の貴婦人とが落し、禁令が緩むにつれてふたたび縮緬が用いら 発信者の住所・氏名は表面・裏面いずれに書く る。シス形はテトラリンを低温下、水素化する も随意であるが、表面ならば切手欄の下。③日ち合い、郊外の丘陵に囲まれた山荘へ難を逃れ、れ、これで女性の美しさを表現、今日なお続い 〈遠藤武〉と得られる。両者とも、水に溶けず有機溶媒に 付はその署名の上に小さく入れる。④下半部は黒々とした現実世界の憂さを晴らすため、一〇ている。 ほうせいどうきさんじ 日にわたって各人が一話すつ物語をすることに手柄岡持てがらのおかもち 0 朋誠堂喜三一一溶ける無色液体。脱水素反応でナフタレンにな 画線を引いて通信文を書くことが許されてい はいばらほんかわね てかりだけ 静岡県榛原郡本川根町とる。油脂、脂肪、ろう、樹脂の溶剤として用い る。 6 裏面には通信文を書く。上下左右それぞなる。そして、日ごとに一座を取り仕切る王も光岳 いなみなみしなの あかいし れ多少の余裕を残し、全紙面に一行一〇字のしくは女王を選び出し、その主宰のもとに、指長野県下伊那郡南信濃村との境界にある赤石られる。ラッカーや靴、床のつや出し剤に含ま みすみ 〈向井利夫〉 。三隅岳ともよれる。 、こ名されながら、各人が短編物語を話しだす。第山脈南部の山。標高一一五九言 五、六行、多くても一行二〇字一〇行ぐらしし さんりよう へいたん décalcomanie フラ一ムサ 一日と第九日は自由に自分の好みの物語を話し ばれる。山稜部は平坦面が広く、草原状のおデカルコマニー 書き収める。 てもよいが、他の日にはそれぞれに主題が定め花畑、二重山稜とよぶ高山地形など特異であ法と訳される。一般名詞としては、薬品処理を 〔往復葉書〕往信は通常葉書に準じて書く。 すまた る。山頂南西部側の寸又川源流部は原生自然環行った紙の上に描かれた絵を器の表面に押し当 〔簡易書簡〕封筒を兼ねた葉書便箋で、記入面られている。ただし、貴公子のディオネーオに えつけ が五面あるが、通信文を隠すには、四面しか使だけは主題からすこしそれてもよい特権が与え境保全地域に指定されている。山頂直下にあるててそっくり転写する、陶器やガラスの絵付に えない。旅中の便りなどに使えば、便利であろられてある。たとえば第一日は女王バンピーネ光岩周辺のハイマッ群落はその南限といわれ用いられる方法をいう。シュルレアリスムにお 〈北川光雄〉 、ては、「コラージュ」や「フロッタージュ」 〈服部嘉香・服部嘉修〉アが主宰し、第一話は貴公子バンフイロが物語る。 、う。↓外国郵便 じ デカメロン第 5 日の「ナスタジオ・テリ・オネスティの物語」の一場面。ポッテイチェッリの 工房作とされる 4 連作中の第 3 場面。神の罰を受ける若い女性と騎士の亡霊を , 未来の花嫁に見 せるナスタジオが描かれている。騎士は自殺の罪によって , かっての恋人を襲わなけれはならす , 女性は , 冷酷の罪によって , 大や騎士に追われなけれはならない。マドリードプラド美術館 ひ 川 6
テ・カナワ Kiri Te Kanawa ( 一九四四ー 形行為の形式をつくりだすこと。たとえば、 る。手形期間は一か月物 ~ 四か月物の四種類で関係に参加する場合が多い ( 隠れた手形保証 ) 。 ニュージーランドのソプラノ歌手。ギズ が権限がないのに他人 < の名義を使用して手形あるが、二か月物取引がもっとも多い。この取手形保証は、被保証人を表示し、「保証」その 行為をすることを、 しし、その方法としては、署 他これと同一の意義を有する文字を記載し、保ポーン生まれ。父方はマオリ族の名家。一九七 引金利が手形レートである。 名を偽造したり、印章を盗用または偽造して記 市場参加者はコール市場の場合とほば同様証人がこれに署名するという方式でなされる〇年、ロンドンのコペント・ガーデン王立歌劇 が、手形の表面にした単なる署名も振出人のた場にデビュー、モーツアルトの『フィガロの結 名捺印による他人名義の手形行為の形式をつくで、一九八五年の平均残高での構成比をみる りだす場合などがある。被偽造者は手形上の責と、売り手 ( 資金調達者 ) としては都市銀行九めの保証とみなされる。保証人は被保証人と同婚』の伯爵夫人の役で成功、一躍有名になり、 任を負わないが、偽造者については、手形法第〇 % 、外国銀行三 % 、買い手 ( 資金運用者 ) と一の責任を負う。これは保証の従属性からみて以後モーツアルトのオペラの主要な役を中心 当然のことであるが、他方、保証人は自己の手に、ベルディ、ブッチーニなどを世界の主要歌 八条の無権代理に関する規定の類推適用によっ しては農林系金融機関二九 % 、信託銀行九 % 、 劇場で歌っている。七〇年 ( 昭和四五 ) 初来 て責任を負わすべきであると解する説と、偽造全国信用金庫連合会・信用金庫一七 % 、地方銀形行為により独立して手形上の義務を負担した 者の氏名が手形面上に表れていないことを理由行三 % などとなっている ( 日本銀行『経済統計 ものであるから、被保証債務が実質的に無効で日。新で暖かみのある声質、豊かで陰りのな い発声、滑らかな歌唱、舞台栄えのする容姿に に、民事上・刑事上の責任は別として、手形上年報』による ) 。取引はすべて短資業者経由である場合にも手形保証は有効に成立し、手形上 の責任を否定する見解とがある。しかし、近時行われる。なお、一九八五年の市場規模は平均の義務を負わなければならない ( 手形法三二条より、今日のもっとも優れたリリック・ソプラ 〈美山良夫〉 の有力説は、偽造者が自己を表示する名称と残高でコール市場の約五兆一〇〇〇億円に対二項・七七条三項 ) 。これは手形行為独立の原ノの一人とされている。 とね して被偽造者の氏名を使用したものであり、 し、手形市場は約九兆四〇〇〇億円となってい 則の手形保証への顕現である。 〈戸田修三〉手賀沼てがぬま千葉県北西部、利根川下流 る。 てがたわりびき期日未到来の手形右岸にある湖沼。東西方向に細長く、周囲三八 手形上に記載されている < 名義の署名はいわば 〈井上裕〉手形割引 、面積六・五平方キ。、最深一一。近世初期に てがたほう広義では、手形取引に関を満期までの利息 ( 割引料 ) を差し引いて金融 自身の署名であるから ( 偽造者が「 < 」を手形法 ちょうし 羽本月が銚子で太平洋に注ぐ流路に変えられた 自己の別名として使用しているものと解する ) 、する私法法規の全体を意味するが、狭義では手機関が買い取る形式の融資形態。割引の対象に たいせき かとりうみ にがわせ 偽造者は当然に手形上の責任を負うと解して形取引に特有な規定をさし、一般私法の規定でなる手形には商業手形、荷為替手形、銀行引受ため逆流した土砂が堆積し、香取海の入口が埋 められて沼となった。江戸時代より湖岸に沿っ 手形関係に適用されるもの ( いわゆる民事手形手形などがあるが、大部分は商業手形である。 しんでん 手形の変造とは、権限がないのに手形の記載法 ) を除外する。後者を実質的意義における手手形貸付とともに、短期連転資金の融資方式とて干拓が行われて新田集落が増えたが、たび重 事項を変更することで、いわば手形債務の内容形法という。これに対し、「手形法」 ( 昭和七年して代表的なものである。なお、手形割引の法なる洪水の被害は大きかった。一九四六年 ( 昭 和二一 ) 食糧増産を目的として農林省が干拓を を変更することをいう。手形の変造は手形金額法律二〇号、昭和九年一月一日施行 ) を形式的律的性質については、手形の売買とする説と消 進め、六八年に完成して湖の東半部は完全に水 に関するものが多いが、これに限らない。変造意義における手形法という。本法は、旧来の商費貸借とする説とがあるが、今日では前者のほ 〈井上裕〉田化され、周辺農家の経営規模は拡大した。明 の方法としては、既存の記載を抹消してこれに法第四編「手形」の規定にかわり、一九三〇年うが一般的である。↓貸出 しがなおや むしゃのこうじさねあっ かわる新しい記載をするのが普通であるが、単 にジュネー。フで締結された手形法統一条約に基デカダンス décadence 退廃主義。頽治以後、志賀直哉、武者小路実篤などの文人 と - っ なる抹消または新しい記載のみによってもなしづいて制定されたものである。手形は流通証券唐派ともいう。衰微、衰退を意味する語で、ギが沼畔に住み、北の鎌倉とよばれたが、近年は じようばん / / ノ : ロ こ読国鉄常磐線、成田線沿線の住宅地開発が著し うる。手形の変造があった場合には、変造後のとして不特定人の間を転々流通するものであるポン著『ローマ帝国衰亡史』 ( 一七七六 ~ らんじゅく 。そこで家庭雑排水が流入して湖の汚濁が進 から、手形取引の安全性と簡易化を期するためまれるように、ローマ帝国が爛熟から衰退、 署名者は変造後の文言に従って責任を負うが、 変造前の署名者は原文言に従って責任を負う に、手形法は一般に強行法規とされている。し破滅に向かう過程の病的で享楽主義的文芸の風み、水質汚濁全国一の値を示すほどになってそ の浄化対策が図られており、湖沼水質保全特別 ( 手形法六九条・七七条一項七号 ) 。〈戸田修三〉 たがって、手形法はその大部分が債権法的な規潮をさすことば。一九世紀末フランスにおい てがたばいばいしじよう商業定であるにもかかわらす、契約自由の原則は及て、ポードレール、ベルレーヌ、マラルメ、ラ措置法の対象となっている。一帯は県立印旛手 手形売買市場 手形や銀行引受手形などの売買が行われる市ばず、手形関係はおのずから定型化し、自由裁ンポーらの悪魔主義、象徴主義の影響を受けた賀自然公園に指定され、マコモ、ヨシが茂り、 ロダンバック、一フ コイ、フナも多く、釣りやポート遊び、散策に 場。単に手形市場ともいう。コール市場ととも量の余地はない。また、手形に関する法律関係モーリス・ド・プレッシー 〈山村順次〉 に、インターバンクの短期金融市場を形成し、 は証券を中心として形式的に解決されるところフォルグら一群の象徴派詩人たちが自らをデカ人が訪れる。 ダンとよんだことから、世紀末 金融機関相互間の資金ポジションを調整する役 から、手形法の形式性は顕著である。さらに、 割を果たしている。わが国では、従来コール市手形が合理的に技術化された金銭支払いの手段的文芸思潮の呼称となる。彼ら つきごしもの はユイスマンスの小説『さかし 場で取引されていた比較的期間の長い月越物をであるために、手形法はとりわけ技術的色彩が 、。また、手形は国際間に流通するものであま』 ( 一会四 ) の反社会・反道徳 取り込む形で、一九七一年 ( 昭和四六 ) 五月に 創設された。コール市場がごく短期の運用調達るから、手形法は国際的統一の必要性が強い法性を模倣し、人工美や醜悪なも たんでき 〈戸田修三〉 のに美をみいだすことに耽溺し のマーケットであるのに対し、手形売買市場は分野である。 それよりも期間の長い一 ~ 四か月の資金運用・手形保証てがたほしよう手形上の債務を担た。イギリスのスウインバー 調達のマーケットである。 保する目的でなされる手形行為。手形外でなすン、ワイルド、わが国では木下 もくたろう 手形市場で売買される手形は、企業が振り出保証 ( 民事保証 ) と異なる。手形上になされる杢太郎を中心とする「パンの —lll) の文学運動に ました優良商業手形等 ( 手形 ) か、またはこれ手形保証は、かえ 0 て手形の信用に疑問を抱か会」 ( 一〈 0 〈 ぬを担保として金融機関が振り出した自己引受けせるおそれがあるので、実際界では、この目的この傾向がみられる。↓世紀末 かわせ 〈船戸英夫〉 力の短資会社あて為替手形 ( 表紙手形 ) であるのために振出し・裏書などの担保的効力を利用思潮 ナいすうまうでんかん てが、最近の取引は後者の方式がはとんどであし、保証人が通常の振出しゃ裏書の方式で手形デカトロン 0 謔数放電管 なついん 1 ロ テ・カナワ 1984 年 5 月の日本公演 101
とうおう 東欧美術 〔下〕角製台付杯 1480 年 ころ野牛の角鍍金銀 製台付鋳造打出し 高 50cm 工ステルゴム大 聖堂宝庫工ステルコム ハンガリ ハンガリ 史上もっとも傑出したマ ーチャーシュ王の財宝と 伝えられる ( 上 ) 教会用十字架 17 世紀 木彫鍍金銀製宝石 フルガリア国立リラ修 道院付属美術館リラ修 道院の周辺の村から , 優 れた木彫り職人が輩出し , 繊細で優美な作品の多く こに寄進された ( 下 ) 〔左〕「聖母の永眠』 1265 年ころ ソボチャニ修道院教会フレスコ画 ユーコスラビア セルビアには 1 2 世紀末以降多くの 教会 , 壁画などが残っている。 のフレスコ画に見られる人物像の 自然なポリューム表現は , 古典的 な風格を感じさせ , 後のミルティ ン王の時代様式を準備した 〔上〕グラチャニツア修道院 1 321 年ユーゴ スラビアセルビアのミルティン王が建てた 多くの建築の最後の一つ。西欧のロマネスク とビザンティンの集中式建築が融合した結果 , 独自の装飾的建築が生まれている 〔下〕受胎告知教会堂 1532 年再建 ( 壁画制作 1537 年 ) モルドビッァ修道院内モルドビ ツアルーマニアポスト・ビザンティンを 代表するモルドバ地方特有の教会建築の一つ。 外壁面に聖書の主題によるフレスコ画が描か れ , 民家に由来するアーケード型の簡を もつ 。「び 1 第ぃ 〔上〕トレイ・イエラルヒ教会堂 1 638 年ャーシルーマニア オスマン・トルコ支配下のコン スタンティノーフルから渡来し た画工たちによって伝えられた オリエントの装飾様式が , 西 から学んだバロックと土着の装 飾様式のなかに溶け込み , 独特 の浮彫り美をつくりあげた にラフーシン・プレポの原にて - : 1968 年油彩 70 x 1 005 ユー ゴスラヒ・アナイープ・べインターの多くが , 愛すべき村の風景や 日常を描く。優しく温かい色彩で描くラフージン独特のスタイルは , 故郷の風景を , 光と莽望に満ちた楽園に変える D. キーロフィ古いイコンの輝き」 1970 年代油彩 60 x 605 プルガリアキーロフは 1960 年代より国内 外で活躍。 74 年国家功労芸術家の称号を与えられる。 プルガリアの社会主義リアリズムは , テーマも構図も 表現も多様であり , 国際展に積極参加を行っている 579