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検索対象: 日本大百科全書 16
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1. 日本大百科全書 16

でんしせ 電子戦 / 戦闘例 空中戦闘 ②早期警戒機 ( AEW ) , A 国機の発進を捕捉 早期警戒機 ( AEW ) に依存し、ド・プローイの公式によると、加速 Diff 「 action HEED) とよんで区別する。デ電子線回折装置でんしせんかいせっそうち鏡像の任意の領域からの電子線回折像 ( 制限視 electron diffractometer 平行度のよい電子野回折像 ) を得ることができる。電子顕微鏡像 電圧一五〇ポルトで〇・一ナノメートル、一万五ビッソンーガーマーの実験は前者、トムソンと 〇〇〇ポルトで〇・〇一ナ / メートルである。こ菊池の実験は後者だった。後者の実験法の模式線を試料に当てて、透過あるいは反射電子線の観察を必要としない場合には、試料を回折試料 れらの波長は x 線の波長と同じ範囲にあるの図と回折写真の一例を示した。この回折写真は回折像から試料の原子配列を決定する装置。電室に移せばカメラ長が数に及ぶ高分解能回折 が可能である。 で、電子線を結晶に当てると、 x 線と同様に回約二〇万ポルトの電子を輝水鉛鉱 ( モリプデナ子線回折装置は市販されているものは少なく、 結晶の表面構造観察のためには最近一〇〇億 目的に応じて作製されていることが多い。現在 折現象をおこす。これを電子線回折、または電イト ) の単結晶薄膜に当てた場合のもので、こ 分の一トル程度の真空度をもっ低速電子線回折 子回折という。この現象は一九二八年に、アメの中に見られる多数の斑点は線のプラッグ反では電子顕微鏡が利用されることが多い 装置や反射高速電子線回折 電子銃から出た数十キ。ポルトの電子線は第一 射に相当するもの、放射状の帯は菊池図形の一 リカのデビッソン C. J. Davisson とガーマー ) 装置が開発され、長周期構造の研究な 収束レンズによって電子源の縮小像をつくる。 L. H. Germer ならびにイギリスのトムソン種の菊池バンドである。 〈外村彰〉 電子線回折は、 x 線回折と同様に結晶中の原さらに第二収束レンズによってその像が蛍光板どに利用されている。 G. P. Thomson によって、おのおの独立に発 みのわばんしよう てんじせんこう江戸の箕輪蕃昌 見された。彼らは電子の波動性を実験的に証明子配列の研究に応用されるが、電子線は >< 線よ上に結ばれる。第二収束レンズのあとに試料を天時占候 が、一七五〇年 ( 寛延三 ) に編集した当時の天 した功績によって、一九三七年にノーベル物理り吸収されやすく、回折現象もわずかな厚さで置いて回折像を蛍光板上で観察し、フィルムに 候についての占法をまとめたもの。引用書目を 記録する。電子線回折像の分解能は蛍光板上に 学賞を授与された。彼らの発見の翌年に、日本おこるから、薄膜や表面の研究に適している。 せいし とくに最近は、結晶表面の第一層の原子配列さおける電子源の像の大きさで決められる。分解みると六〇余種の書籍によっていることがわか の菊池正士も同類の実験に成功し、今日、広く 菊池図形 ( キクチパターン ) とよばれている電え明らかにされている。この種の成果は ( 薄能をあげるためには第一収束レンズで結ばれるるが、通説としての当時の天気俚謬がよく集め 子線回折に特有な図形を発見したことは有名で膜 ) 集積回路などの技術の基礎としてきわめてスポットを小さくすればよいが、そのかわり回られており、漢籍からの影響が大きいとして ある。 重要である。電子線回折は電子顕微鏡の理論的折像の明るさは減少する。回折像の大きさは力も、たとえば湿度に関するものなどは学理にか 電子線回折は、用いられる電子線の加速電圧基礎として欠くことができない。日本には菊池メラ長 ( 試料と蛍光板との距離 ) に比例するなうものが少なくない。例として「琴の音清か 以来の電子線回折の伝統があり、電子顕微鏡のが、通常は回折像の大きさを数メートルにすらずあるいは鼓の音さやかならざるは風雨ある が比較的に低い場合 ( 一〇〇〇ポルト以下 ) と 〈根本順吉〉 しるし也」などがある。 〈上田良二〉るためにカメラ長は数十メートルにする。 高い場合 ( 一万ポルト以上 ) で実験技術に大き開発にも貢献した。 でんしせん 電子顕微鏡を用いた場合にも観察の基本原理電子線リソグラフィー な差があるので、前者を低速電子線回折 (Low 回上田良二著『電子回折と電子顕微鏡』 ( 日本 物理学会編『日本の物理学史上』所収・一九は変わらない。電子顕微鏡像観察の状態から中 electron beam lithography 半導体集積回 Energy Electron Diffraction 【 LEED) 、後 間レンズの焦点距離を変えるだけで、電子顕微路の製造過程における回路パターンの記録方式 天・東海大学出版会 ) 者を高速電子線回折 (High Energy Electron のことをいう。電子回路は年々小型化が進んで るイ追 お偽 情急に ・皮こ いるが、現在のように集積回路として微細化さ イ 知緊撃 てすサ用し サ 探は要 無電機ダし発ミ幻重 ( 円板 ) れた理由は、一枚のシリコンウェハー タ の機の ・功型る一とを空索 の表面に非常に多くの部品を作り付けるプレー 一国機 機大すレ機報 レ ダ < 国 察て近素型警地ダ一 ナー技術に負っているといってよい。この技術 の偵し接大 , のダ射③知報地 探警 レ 国ンと の基本となっているのは微細な回路バターンを 剛をし国レ一発 ② し < 知 ( レ波 亠カト小し、つ・ 刻むリソグラフィー技術である。これまではフ ①モと装②探③ル尾 味に進か ①報発向 オトマスクを通して光で感光材料 ( レジスト ) に露光する光リソグラフィー方式が行われてき たが、さらに高密度バターンを作成する新たな 方式が不可欠となってきた。このため一九七〇 年代中ごろから各種の電子線描画装置が開発さ れた。すでに一部半導体の製造に実用化されて いるほか、バブルメモリーの製作などにも利用 されているが、本格的に利用されるようになる のはこれからである。 電子線描画装置の本体は走査型電子顕徴鏡に 非常によく似ており、図 ( し ) に示したよう に、電子銃、電子レンズ、偏向系、試料台など からなっている。タングステン、六ホウ化ラン タンなどの陰極から放射された電子線を数十キ。 ポルトに加速して電子レンズで収束し、偏光系 で走査して、微細バターンをレジストに露光す 5 る。パターンを描く方式には幾種類もあるが、 ④電子戦機が A 国の管制 通信を妨害 電子戦機 ④通信妨害 ②捕捉 ③通報 戦闘機 ト①発進・要撃 4 ⑤攻撃 ③ AEW が捕捉情報 を通報し , B 国機を 有利な態勢に誘導 ⑤通信による指示が得られ なくなった A 国機は , B 国機 の攻撃にさらされる 一メ 空軍基地 コントロール・センター ④ B 国の電子戦機は , A 国 地対空ミサイル陣地の追尾 用レータ、一の電波発射を探 知し , 所在地を戦闘機と地 上の地対地ミサイル部隊へ 通報する ④逆探知・通報 ①偵察・偽装 地対空ミサイル陣地攻撃 電子戦機 戦闘機 RPV ⑤ B 国戦闘機が , ミサイルを発射 7 ⑥攻撃 ⑤攻撃 7 ⑥ B 国 , 地対地ミサ イルを発射 捜索レーダー 地対地レーダーミサイル ( SSM )

2. 日本大百科全書 16

とうしず 透視図 〔図 A 〕透視図法 ( 直接法 ) Ⅱ ( = Ⅱ 2 ) 解説 : 伊従勉 〔図 C 〕平行線の消点と全透視 〔図 B 〕直線′の消点 画面Ⅱが直立画面の場合 , 画面 を正投影の直立投影面Ⅱ 2 とし , 任意な水平面を水平投影面Ⅱ 1 と して , 視線と画面との交点を正 投影法により図解するのが直接 法である。図 A では視点 S を含 む水平面を III と考える。点 A の 透視図 Ap は視線 SA の直立跡 ( 正 投影法における直線と直立投影 面との交点 ) である。それを画面 上で作図したのが〔図 A 〕である。 水平線んを正投影の基線と考え , 視点 S(), (') と点 A(A', A つの正 投影図がます与えられている。 lp : 始点 視線 SA の平面図 SA ' と水平線 lp : 直線 / の透視図 ( 基線以との交点 A ' p ( 視線の直 IIP, 12P, 13P : 直線 / 1 , / 2 , / 3 の始点 立跡の平面図 ) に対応する立面図 Ap が点 A の透視図である。なお 互いに平行な直線群んの始点を L 卍 ( 〃 = 直線 / の透視図 / p は , 直線上の二点 , た SS " が視点と画面との距離 ( 視距 1 , 2 , 3 ) とすると , んの消点 Vp は視線 s とえば図 A , A ・のように作図された / 上の 離 ) , 水平線んと基線 9 との間隔が い〃いと画面との交点となるから , ん 点 A と始点 I とのそれぞれの透視図 Ap , 視点の基面からの高さ ( 視高 ) を の透視図は消点 Vp に集まる直線群 InpVp lp ( = I) とを結ぶことにより得られる。ま 示す た直線 / に平行な視線 s の直立跡 Vp が消 となる。ただし , 画面に平行な直線群 Ⅱ ( = Ⅱ 2 ) : 画面 , ただしⅡ亠 r 点であり , 始点 lp 以遠の半直線の透視図 は消点をもたす , 透視図も互いに平行 : 基面 , ただし ( Ⅱ 1 ) 汐 r IpVp を全透視とよぶ となる ただし S" : その立面図 S : 視点 , 〔図 E 〕測点法 A : 対象 , 立面図 ただしキ , A " : その平面図 , Ap : その透視図 / 匚 0 : A ″ lp Ap ( Ⅱ 1 ) S" S" A' Vp Vp Vp : 消点 〔図 A 〕 A' S" 〔図 E ' 〕 S" 〔図 D 〕消点法 画面に一面 ABCD を接する直方体 ( A ー H ) の正投影図 ( 水平線んを基 線とする ) が与えられると , 奥行方 向のすべての平行な稜の消点は S " ( 視心 ) に一致するから , それらの A' B' 稜の全透視は A , B , C , D より S " に向 かう。点 G, H の透視図 Gp , Hp は図 B の方法で求まる。画面に平行な 直線群の透視図は画面上でも平行 であるから , Gp , H p よりんに平行 に直線を引けば , 全透視 AS",BS" との交点が透視図 Ep , Fp を与える F' E' S" C' D ・ CJ S So S"S = S"So VS" 亠 SoS" 心始線 / : 消線 ( 〃の M : 測点 AI = BI = 〃 VS=VM △ ABIcn △ SMV Ap : 点 A の透視図 Fp Gp 直線 g の全透視 IV が与・えられているとき , 直線 を含む任意の平面の始線にと消線 / / ) をつ くる。始線上に B I = AI = 〃なる点 B をとる朝は 与・条件 ) 。また視距離 ( SS " = S ( ) S " ) を一辺とし S Ⅳ を他の辺とする直角三角形 S 。 S " V 〔図 E 〕の三角形 S S"V に相当 ) をつくり , SoV = V M となるよう に測点 M を消線 / 上にとる。直線 g 上にあって始 点よリ距離〃なる点 A の透視図 Ap は IV と BM の 交点として求まる。このとき , 測点 M は直線 BA の消点となっている 直方体の三直交軸ェ , ) の消点をⅥ , Ⅵ , Ⅵ とするとき , 傾斜画面上にできる三角形ⅥⅥ Ⅵを消線三角形という。直交三軸の二軸がな す面 ( 主軸面 ) の消線がこの三角形の辺となっ ているからである。直交軸の測点をこの消線 上につくることができる。たとえば 1 軸の測 点 M 、は V 、 S = Ⅵ M , として水平線ん ( 面の消 線 ) 上に得られる ( 図 F ・の直角三角形 S ( ) V , V 当 は図 F の直角三角形 SV , V リの実形である ) 。 三直交軸の原点を画面上の始点 I に重ねて消 線三角形内に任意に決めると ( 三角形外でも よいが ) , 始点 I を通り水平線んに平行に測線 ( 主軸面の始線 ) 川をつくり , 図 E ' と同し要 領でェ軸上に単位距離 I の目盛りを刻むことが できる。 ) , 軸についても同様で , 目盛られた 三軸により立体格子の透視図が作成できる A, E" D, H" 〔図 F 〕三消点法の仕組み ヵ Ⅱ Vx Vy 〔図 F ・〕三消点法 XP YP 9 L Mxl My Vx, Vy,Vz: 消点 Mx : x 軸の測点 My : ) 軸の測点 襯 : 測線 / : 単位距離 699

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とうえい 投影図 〔図 A 〕平行投影 解説 : 伊従勉 〔図 C 〕正投影 〔図 B 〕中心投影 A' Ⅱ 2 AS 2 BS CS Ⅱ 1 : 水平投影面 ル : 直立投影面 : 基線 新 2 三次元図形 ( 図は立方体を示 す ) は , ある方向の平行投射線 矢印の方向にルを倒してⅡ 1 に重ねる 投影面から有限距離内にある投影中心 O より発す によって投影面Ⅱ上に投影図 互いに垂直な二投影面Ⅱ 1 , ルによりできる第一角に置かれた立方 る投射線による三次元図形の投影図においては , を与える。このとき三次元図 体の正投影図を示す。点 A の平面図を A ' , 立面図を A " と表記する。 投影面に平行な稜は互いに平行な辺となるが , そ 形上で互いに平行な稜は , 投 点 A を通る投射線 (AA', AA") の投影図 (A'P, A"P) を投影の対 れ以外の平行直線群は一般に投影面上の一点で交 影図上でも互いに平行な辺と 応線 ( 配列線 ) といい , 正投影図上で A ' P と A " P は一直線となり , わる直線群に投影される。図中の立方体の垂直方 なる (AB//CD ならは ASBS しうれん 基線新 2 と直交する。対応線は点線で表示する 向の稜は投影図上では一点 Vp に収斂する , ク CSDS) 〔図 E 〕副投影 : 副水平投影面Ⅱ 3 ( 亠Ⅱ 2 ) の場合 〔図 D 〕副投影 : 副直立投影面 〔図 D ' 〕 Ⅱ 3 ( 亠Ⅱ 1 ) の場合 工 12 A'P : Ⅱ 2 への距離 A"P : Ⅱ 1 への距離 AC Ⅱ 1 とは別にⅡ 2 と垂直な投影 面Ⅱ止に投影図 ( 副平面図 ) を求む。それをⅡ 3 とルとの 交線 ( 副基線 ) ェ 23 を軸に回転 してⅡ 3 をルに重ね , 今度は 基線均 2 を軸にⅡ 2 , Ⅱ 3 をとも に回転してⅡ 1 に重ねると , 三投影面か一平面に重ねら れたことになる。この際Ⅱ 1 とⅡ 3 の交線は無視する。点 A の副平面図は副立面図の ときと同様 A ・ " と表記される から , 副立面図との区別は 副基線ェ 13 とェ 23 との違いによ り示される A' 副立面図 A"'(A'P=A"Q) ェ 13 : 副基線 A' Ⅱ 2 ト - ・ニ 、 3 / 工 12 Ⅱ 2 新 2 工 1 / て Q) 3 立方体の副立面図を作図する。ます副基線 直立投影面ルとは別に , 同しくⅢに垂直な 〔図 E ・〕 副投影面Ⅱ 3 を立て , その上に別の直投影図 , 新 3 を引き , 平面図 A より新 3 に直交する対 すなわち副立面図を求め , Ⅱ 3 とⅡ 1 との交線 応線 AQ を点線で引く。その対応線上に A " P 113 ( 副基線 ) を回転軸として回転しⅢに重 = A " Q なる副立面図 A ' を求む。他の点につ ねる。この際Ⅱ 2 とⅡ 3 との交線は無視する。 いても同様に副投影を行い , それらを順次 点 A の副立面図は A' " と表記され , 副基線均 3 結び , 才齲寸線方向から見えない稜を破線 ( 隠 に対して副投影の対応線 A ' A' " が直交するの れ線 ) で示す。これが副投影の投射線方向 は同様である から見た立方体の姿である 〔図 F 〕軸測投影 A' Ⅱ 1 A ・ (Q) 立方体の副平面図を作図 する。ます副基線ェ 23 を引 き , 副投影の投射線方向 を決める。次に立面図 A " A よリ均 3 に直交するように 対応線 A ' 'Q を点線で引く。 その対応線上に A'P = A' ' 'Q となるように副平面図 A"' を求む。順次他の点につ いても副投景彡を行い , そ 副平面図 A " ( AQ=A ・ P) れらを結び , 隠れ線は破 ェ 23 : 副基線 線で示す 二次元図形を投影面に直 投影し , 同時に図形上の 点の投影面からの高さを 数値で示す方法を標高投 影という。地図がその代 表的な例である。幾何学 的曲面ではない自然曲面 上の一定の高さの点の集 合が等高線となる X13 三次元図形とともに目盛りを付した三直交座標軸を投影面に平行投影した ときの座標軸の投影図を , 軸測軸という。点 A ( 3 , 3 , 3 ) の投影図 AS は , 鶯軸 上のとゞ軸上のおよび原点 os の 二点を含む平行四辺形の頂点 A ' s ( 点 A の軸測平面図 ) から三軸方向へ 3 の 直 AS として求まる。逆に , 投影面上 で任意な方向の三軸測軸を決め , 目 盛りを任意に付したとき , 投影面に 対してある方向に実際の三直交軸が 対応することがポールケ ( シュワルツ ) の定理として証明されている。立体 図として自由に描かれる一般の軸測 投影図は斜軸測投影図である。直軸 測投景彡は三直交軸の投景彡面への直投 影であり , 軸測軸上の目盛リは自山 には決められない ー 0 、 A ( 3 , 3 , 3 ) A' 、つ 0 - O 〔図 G 〕標高投影 6 5 4 3 从 AS ( 3 , 33 \ 565

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でんせん 電線 ゴム , プラスチック絶縁電線およびケープル ① , ⑥ , ⑦高圧キャプタイヤ⑩プロンズ鎧装付き船用電線 ⑩高圧耐火ケープル ケープル ②平型制御用キャプタイヤ⑩ , ⑩耐火・耐熱ケープル ⑩耐熱ビニル絶縁電線 ケープル ③平型制御用キャプタイヤ @, ④ビニル絶縁電線 @ロ出線 ケープル ( 同軸線入り ) ④平型高圧キャプタイヤケ @車両用電線 制御用波付き鋼管鎧装ケ ープ丿レ ープル ⑤平型複合キャプタイヤケ ①制御用鉄線鎧装ケープル ープル ⑧鉱山用防爆キャプタイヤ @制御用ビニルケープル @制御用銅テープシールド ケープル ケープル ⑨鉱山用鎧装付きキャプタ ⑩コンクリート直埋用ケー イヤケープル プル ⑩リグ用耐熱難楙ケープル ⑩受鋼台車用キャプタイヤ⑩プレハプ分岐ケープル ⑩平型ビニルエレベーター ケープル 1 ⑩高圧船用電線 ケープル ⑩ , ⑩ , ⑩船用電線 ⑩プロンズ鎧装付き高圧船 用電線 ⑩ー⑩ ⑩ @ ⑤ ④ ⑩⑩ ①②③ ⑨ ⑧ ⑥ 1 通信ケープル 配電用ケープル ④ ⑤ ⑤ ① ⑩ ① 9.5mm 18 心同軸鉛被ケープル ⑩発泡ポリスチレン絶縁同軸ケープル ②アンテナフィーダー ⑩ 400 対市内 ccp ー LAP ケープル ③高周波同軸コード ⑩市内 PEF スタルベスケープル ④ 4.4mm 12 心同軸複合鉛被ケープル⑩市内 CCP-LAP-SS ケープル ろうえい ⑤漏洩同軸ケープル ⑩ PE 絶縁アルミ被 PE 防食ケープル ⑥紙絶縁搬送鉛被ケープル ⑩中継 PEF-LAP ケープル ⑦ユニット市内星形絶縁鉛被ケープル⑩市内 ccp ー JF ケープル ⑧テレビカメラケープル ⑩市外 PEF アルベスケープル ⑨広帯域対形ケープル ⑩ PEF 絶縁ジェリー入り LAP ケープル ⑩ユニット市内星紙絶縁スタルベスケ ープル ⑦ ④ ⑩ ⑨ ⑦ でんせん electric wire 従来は電気 電線 を導く金属線の総称と定義されてきたが、最近 では光ファイバーケープルのように、グラスフ アイバーを用いるものも含まれるよ , つになっ た。電線と並んでケー・フルということばも使わ れているが、電線とケープルの間には明確な区 分がなく、一般に構造が複雑で太く、シース かとう sheath があり、可撓性のあるものをケープル とよんでいる。 電線の歴史は古く、一七四四年ドイツのウィ ンクラーが放電火花を金属線で遠距離に送るこ とに成功した。これが電線の誕生である。一七 五二年にはアメリカのフランクリンが高所に設 けた避雷針を電線で接地して落雷を防止した。 これが電線の実用化の最初である。 レレ 日本での電線製造の起源は明らかではない。 チ レ プ 年代のはっきりしたところでは、一 ルルケ プケププ > ( 天保三 ) 大坂で平川製線の先祖が銅線をつく > 橋 き架 っており、一八五四年 ( 安政一 ) 京都で津田電 ケ き一 ケケ付き Q- > 壮衣〕何 線の津田幸兵衛が水車を用いて銅線を引き始め き壮衣去」き ている。 線鎧ル ププ管プ装フ線プ 電線は電流を流すためのものであるから、電 ケケ 帯付帯線被角ケ気抵抗はなるべく小さくし、電力損失が小さい 鋼波Ü鋼鉄鉛平ン ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩ ものが要求される。したがって、電線の導電材 料は電気抵抗がなるべく小さく、加工性がよ 、機械的に強いものが望まれる。経済性も考 えると、銅とアルミニウムおよびそれらの合金 が広く使用されており、ことに銅がもっとも広 く使われている。単線の太さは日本では直径を ミリメートルで表すが、番号表示でアメリカの < (American Wire Gauge 、別名 Brown and Sharpe's Gauge) 、イギリスの (Standard Wire Gauge) などがある。たとえ ばナンバー川は直径二・五八 ルであり、ナンバー川は直径三・二五一 、リメートルである。 銅線は、電気分解でつくった九九・九六 % 以 上の純度をもっ電気銅から荒引線 ( ワイヤーロ ッド ) をつくり、伸線して所定の太さの線に仕 上げる。荒引線の作り方には三種類ある。古く から行われている方法は「さお銅圧延法」で、 電気銅を溶解炉で溶かして鋳型に流し込み、さ お銅 ( ワイヤー ー ) をつくる。さお銅は鉄道 の枕木のような形をしたもので、一本の重さは 一八〇キ。グラムまでの各種がある。さ お銅を加熱炉で約八〇〇度 0 に加熱し、熱い尸 に溝付きロールに連続的に何回も通して圧延 3 ⑩トリプレックス型 CV ケープル ⑩鉄線鎧装付き cv ケープル ⑩鋼帯鎧装付き cv ケープル 当昱当昱 まくらぎ

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かいそん よしつわ て 東北平原にはこの両平 、弘法大師や、義経、弁慶、海尊、小野小 する修験道の聖地とされ、彼らの教理は山麓の 5 よれ 原のほか三江平原も含 町、中将姫など巡国の主人公を語る例が多い。 跡さ 一よ民間信仰に大きな影響を与えてきた。 しもきた おそれぎん 長遺納 これらは、山缶宗教が盛んな東北にあって、寺める場合がある。三江 青森県下北半島の恐山は、火山による奇怪 。島埋 矛黒て 社を中心に往来した宗教者の影響によるのであ平原は黒竜江、ウスリ な景観から地獄、極楽が連想され、死者の霊が 銅のべ館 ギ一とう び 形馬並物 川、松花江の三河川 とどまる山としての信仰があり、山上の円通寺ろう。山伏、座頭、神人、巫女、比丘尼などが 広対が博 そうとう ほうえ の県矛立 ( 曹洞宗 ) の七月の法会には、多くの登拝者を管掌した語りを、村人が聞き覚え定着させたもの合流点にあたる、東 期崎銅国 北地区の北東隅にある称 後長形京 集め、死者供養が行われる。近年の風ではあるのとする見方が一般的である。 でんば 代広東 名 これらの外来者と流れを異にする民話の伝播平野で、標高五〇以 が、法会に近郷のイタコが集まり、参拝者の求 ムロ えさし 立ロ しげじろ、つ 生、冫本う ん川 - 日 Ln 、 めに応じてのロ寄せは盛況をみせている。山形者に、江差の「繁次郎話」を語る出稼ぎ人があ下の低地からなり、大各 りつしやくじ やまでら 年。と 部分は沼沢、湿地であ 市の山寺とよばれる立石寺 ( 天台宗 ) は慈覚る。東北地方海岸部に分布するこの笑話は、北 しゅ めいさっ 部 銅出い 大師の開基と伝える名刹であるが、全山奇岩怪海道のにしん場を渡り歩いたヤン衆の運んだ話る。東北平原の地下に - 」うかっ は豊富な石油、天然ガ 石が累々とし、奥の院にはおびただしい数の塔である。狡猾な知恵者をおもしろく語り、下北 〈河野通博〉 の銅矛は袋部の根元両側に半環状の耳がつく。 婆がみられ、死者霊の集まる山として死者供養から秋田、東北地方南部の海村まで広く語られス資源が埋蔵されている。 さんけい とうほくほんせん日本国有鉄道の西周時代以降の銅矛には耳のつかないものが多 のために参詣する者が多い。山形県鶴岡市近郷ている。山間部にあって笑いを伝えるものに会東北本線 はくしんびよ、つ たん いが、河北省唐山雹神廟出土の鋳型に刻まれ の森ノ山は、盆に山麓の人々が登って森供養と津の「南山話」がある。愚人譚であるが、里線路名称。東京ー仙台ー青森間七三九・二キ。メ ちょうろう こつほり た矛には片耳のものがある。朝鮮半島では紀元 ートル、日暮里ー尾久ー赤羽間七・六キロメート よばれる死者を供養する習俗がある。宮城県中で暮らす者が山人を嘲弄する仕組みになって りふ 前三世紀ごろに、無耳の銅矛と片耳の銅矛の二 ル、岩切ー利府間四・二キ。メートル ( 単線 ) 、 いる。風俗習慣の違いを揶揄するものである。 田町の勒寺 ( 真一一一〔宗 ) は水田に囲まれた丘の 種が使用されていた。朝鮮の銅矛は中国の系統 東北地方は古くから開かれた良港が都の文 化新幹線上野ー盛岡間、および貨物線一一線区七・ 上にあり、盆の一五日夜の法会には近在からの 八キ。メートルよりなる ( 一九会・ハ現在 ) 。旅客扱を引くものであるが、片耳の出現は今後の検討 参詣者でにぎわう。「三年弥勒寺詣りをするとの取り入れロであった。今日、東北にある語り やよい おぐりはんがん ししれ記した線を除く全線が複線、黒磯駅を課題である。日本には弥生時代前期末ごろ、身 、参詣人のなかに死んだ物や昔話のなかには、「小栗判官」などのよう 死者に会える」といい かみがた 、京、上方の草子類の強い影響を受けたと思境として、以南が直流、以北が交流電化されてが短く鋭利な銅矛が朝弉から舶載された。日本 家族に似た者がいると、無理にも誘ってもてな 〈野村純一〉 いる。関東地方と東北地方を縦断して東京と結でも弥生時代中期中ごろ以降、銅矛が生産され す風があり、死者と邂逅することのできる山とわれるものがみられる。 オしし大形化 八三年たが、銅剣や銅戈と同様に、し。こ、こ 〈三崎一夫〉回森嘉兵衛他著『郷土の歴史東北編』 ( 一九ぶ幹線鉄道。日本鉄道会社によって一、 の信仰を伝えている。 きよ、つ じようし 五九・宝文館 ) ▽『日本地理風俗大系東北地 ( 明治一六 ) 上野ー大宮間を開業したのち逐次し、祭器化する。矛身の大きさによって、狭 〔民話〕柳田国男が『遠野物語』を上梓して以 方』 ( 一九六 0 ・誠文堂新光社 ) ▽『図説日本文延長し、九一年青森までを全通した。一九〇六鋒 ( 細形・中細形 ) 、中広形、広形などの諸型 来、東北地方の民話は人々の注目するところと 化地理大系東北Ⅱ』 ( 一九六一・小学館 ) ▽年 ( 明治三九 ) 国有化され、〇九年の線路名称式に分類される。しかし、その変化の方向は定 なった。東北の伝承資料は物量、質ともに優れ 向進化的で、銅剣や銅戈のような多様性がな 」」陸篇』 ( 一九夭・平凡制定とともに東北本線となった。上野ー東京間 『風土記日本東ヒヒ て豊かである。話者のなかには一〇〇話を語る おぎなおうな これは、銅矛の生産地が北部九州に限定さ 社 ) ▽『日本の地理東北編』 ( 一九六一・岩波の旅客線が開業したのは二五年 ( 大正一四 ) で 翁、媼も珍しくない。わけても六〇〇余話を - 一うえい かたりべ 書店 ) ▽高橋富雄著『東北の風土と歴史』あるが、東京側のターミナル駅は開業時より一れていることと関係するであろう。〈田村晃一〉 語る語部の後裔と伝える翁 ( 山形県米沢市 ) じようえっしんえっ とめ ( 一九七六・山川出版社 ) ▽豊田武編『東北の歴貫して上野である。上越・信越線方面への列 トウ卞ルスキー Kurt Tucholsky ( 天 や、一一〇〇余話を語り継ぐ宮城県登米郡の翁が 史』上中下 ( 一九六七 ~ 七九・吉川弘文館 ) ▽原車もここに発着し、上野ー大宮間では東北本線九 0 ー一九三五 ) ドイツのジャーナリスト、作家。 現存する現実からも、それは十分うかがい知ら れる。 田実他編『みちのく伝統文化』全五巻 ( 一九上を走る。貨物線を除く在来線全線の複線化と一月九日ベルリンの富裕なユダヤ系商家に生ま れる。法科の学生時代に小説『ラインスペル 小学館 ) 電化はともに六八年 ( 昭和四三 ) に完成した。 口頭伝承は、寒冷な風土はどきわめて濃密な ばた とうほくにほんかざんたい ク』 (一九 lll) で文壇に登場。第一次世界大戦後 八二年の東北新幹線の開業によって、大都市間 分布をみる。これは、いろり端で暖をとり、仕東北日本火山帯 ひがしにほんかぎ人たい は週刊誌『ベルトビューネ』を中、いに、カスパ の旅客輸送の機能は新幹線に移り、在来線は 事に励み、その火を中心にして祭りや行事を行 0 東日本火山帯 とうはくへいげん / トンペイピンユワン ハウザーなど四つの筆名を使って多彩な文 個々の都市圏内輸送と貨物輸送を主とするよう ってきた人々の暮らしと深くかかわる現象であ東北平原 筆活動をした。本領は『五馬力で』 ( 一九一一 0 、 中国東北地区中央部に横たわる大平野。関東平になった。 る。東北の各地に残される昔話がきわめて古い じようばん しようりよう しようこうあんれし 『ドイツ、世界に冠たるドイツ』 ( 一九一一九 ) などの 東北線には、東北本線のほかに、常磐線、 。北は小興安嶺、 原、松遼平原などともいう とされている原因は、いろりの側で行われたハ よせ あがつま すいぐん かわごえ ちょ・つはく レの日の古い形態の語りが、そこに残されるか西は大興安嶺、東は長白山地によって限られ、水郡線、川越線、高崎線、上越線、吾妻線、時局風刺短文や文学寄席 ( キャパレー ) 用のシ い・、よ - つ、わ - っ ・きっレ」 - っ あしお につ、につ ばっかい ャンソン。ワイマール時代の軍国主義、官僚主 両毛線、足尾線、水戸線、真岡線、日光線、 らであろう。農耕儀礼と深く結ぶ昔話が多いの南は渤海の遼東湾に至る。南北約一〇〇〇キ。 いしのまき からすやま せんぎん せんせき しおがま は、語りが農作に密着した機能をもっていたか東西はもっとも広い所で約四〇〇キ。、面積約一一一烏山線、仙山線、仙石線、塩釜線、石巻線、義、司法の腐敗などを社会主義ヒューマニズム 42 ふなと きたかみ たぎわこ けせんめま 五万平方キ。で、中国最大の平野である。主とし気仙沼線、大船渡線、北上線、釜線、田沢湖の立場から鋭く批判した。ほかにト説『グリプ らである。 はなわ はちのヘ おおみなと いわいずみ りようがしようか一一うどん一、う 昔話は、いろり端にあって特定の約束事をもて遼河、松花江、嫩江の沖積作用によって形成線、山田線、岩泉線、花輪線、八戸線、大湊スホルム城』 ( 一九三 D などがある。一九三五年 〈青木栄一〉 一二月二一日移住先のスウェーデンのイヨーテ つ。語る順序や語る作法が厳しくいわれ、「昼されたもので、大部分は標高二〇〇以下であ線が含まれる。 やり ぶんすいれい ちょうしゅん 〈井上修一〉 どうばこ銅鉾とも書く。槍先状の身ポリ近郊で服毒自殺。 むかし」の戒めをもっている。動物昔話、継子る。長春付近の松花江と遼河の分水嶺 ( 松遼銅矛 きよ、つ え 回野村彰訳『ドイツ世界に冠たるドイツ』 ( 一九 この分水嶺以の下半部が袋状 ( 琴 ) になっていて、そこに柄 譚がとくに好まれ、雪国ならではの「雪女分水嶺 ) も二五〇に達しない。 いん しようどん しつば 全・ありな書房 ) 房」、「尻尾の釣」などが語られる。伝説も多南を遼河平原、以北を松嫩平原とよぶ。なおを差し込んで使用した青銅製の武器。中国殷代 く 力い - : っ さんろく 、一うモう みなみやま ( 跼 、夏「気第発当ー 穂部 背 どうか 耳 808

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ときに放射される x 線の一群が系列のスペクの作家ムシルの長編小説。第一巻一九三〇年、戦力になりうる。一九世紀後半より各国とも特 しかし、「徳政と号して」蜂起した一揆が トルをつくる。同様に系列、系列などが続第二巻の前半部のみ三三年刊。長期的には一九設艦船整備に努力するようになり、日本海軍は 「私徳政、在地徳政の海」を背景にもつ以上、 につしん 日清戦争から使用を開始した。第二次世界大戦 き、この順に波長が長くなる。、殻から〇〇年ころから、短期間にみれば一九二〇年こ その徳政の内容を幕府の徳政令に限定してとら かきっ ろから構想されて、ムシルが生涯をかけてもなでは、主要交戦国海軍はいずれも多数の特設艦 えることはできない。嘉吉の徳政令に対し「田殻へ遷移するときはそれぞれ線、線とい 舎の大法」を主張した若狭国太良荘の事例は、 う。 *-a 、殻などのエネルギー準位は微細構造お末完に終わった。第一巻では、現実を可能性船を使用し、日本も大は大型商船改造の巡洋 艦・航空母艦・水上機母艦から、小は漁船改造 のほんの一部の実現した世界としかみなさない それを物語るものである。また一四五七年 ( 長をもつので、スペクトルはさらに近接した線に ふる やましろ 禄一 ) 大和国 ( 奈良県 ) 布留郷の郷民が山城国分かれる。なお線の強度はスペクトル中でも主人公ウルリヒの、この可能性を目覚ます感覚の駆潜艇・監視艇などに至る多くの艦船を戦闘 ( 京都府 ) の一揆に呼応して立ち上がり、布留っとも大きいので、 x 線回折の実験によく使わを梃子にして、第一次世界大戦前夜のオースト任務に供した。これら日本の特設艦船は、正規 ます リア老大国の古都ウィーンにおける支配層の閉の艦艇の類別等級に準じて、特設軍艦、特設特 郷に徳政を実施し、未進年貢の破棄、荘の桝をれる。 そく 務艇、特設特務艦船に類別されていた。 特性 x 線の振動数レは、その放射にかかわる塞した精神風土の大規模な分析解明が実験的に 小さくする行為に及んだため、興福寺の発向を 第二次大戦後、艦艇の能力向上と兵器系の著 受けた事件などをみると、一揆が求め、そして準位間のエネルギー差とポーアの振動数条件行われ、その破砕された現実の裏から自由な可 しい発達により、特設艦船の価値が減じたかに 実行した徳政の内容は、単に貸借関係の破棄やぎⅡ」 E の関係がある。したがって線の波長能性の新風が吹き付ける。第二巻では、ウルリ みられたこともあったが、近年、コンテナ船、 ヒと妺アガーテとの愛の可能性が厳密に一歩一 土地取り返しにとどまらず、未進年貢の破棄は、殻の電子の束縛エネルギーをル、 や、年貢収奪の象徴ともいえる収納桝を小さく ルとすれば、 /RK 。Ⅱ育〔で与えられる。歩追求されて、神なき時代の神秘的な合一のみロールオン・ロールオフ船 ( 車両簡易輸送船 ) 〈加藤二郎〉 など比較的大型かっ速力が速く、船内・船上ス し年貢の減免を図るといった、彼らの日々の生また系列の x 線が放射されるためには、殻ごとな瞬間が描き出される。 ペースが広くて軍事利用上の制限が少ない形式 活に深くかかわる問題の解決を図ろうとするもの電子がたたき出されることが必要で、それに回高橋義孝他訳『特性のない男』全六冊 ( 一九六四 ~ 六六・新潮社 ) ▽加藤二郎他訳『特性のなの商船が出現し、対潜・対空兵器システムのモ ので、さらに「世の生まれかわり」、再生を求め要する電子の最小の加速電圧広は eVK=WK を プイト ル ジュール化、コンテナ方式化の発達、 い男』全四冊 ( 一九六五 ~ 六六・河出書房新社 ) る意識をも内包していたのである。〈酒井紀美〉満たし、励起電圧とよばれる。たとえば銅に対 回三浦周行著『法制史の研究』 ( 一九一九・岩波書しては =1.54Å, 第Ⅱ 9.0kV である。特性徳政文一一とくせいもんごん売り手が買い手機・ヘリコプターの実用化などにより商船の軍 まいナん 店 ) ▽中村吉治著『土一揆研究』 ( 一九七四・校 >< 線のスペクトルは元素の原子番号に対して規に対して、売渡行為を保証するために売券に記事活用価値が重視されだし、一九八二年のフォ ークランド戦争でイギリス海軍が多数の特設艦 倉書房 ) ▽桑山浩然著『室町時代の徳政』則正しい関係 ( モーズリーの法則 ) があり、同した文言の一つ。徳政担保文言ともいう。鎌倉 一系列の特性 x 線の波長は原子番号が大きくな時代後期よりみられる。一二九七年 ( 永仁五 ) 船を使用してその価値を立証した。〈阿部安雄〉 ( 『中世の社会と経済』所収・一九六一一・東京大学 鎌倉幕府が徳政令を発して御家の売却した土ドクセリ〔毒芹〕 water-hemlock, cow ・ 出版会 ) ▽笠松宏至著『日本中世法史論』るとともに短くなる。↓モーズリーの法則 地の無償取り戻しを行ったことは、売買行為の bane/8Cicuta こきき L. セリ科の多年草。 物質に電子のかわりに X 線やイオンを照射し ( 一九七九・東京大学出版会 ) ▽同著『徳政令』 ても x 線が発生する。 x 線照射の場合、特性 x 秩序を権力によって動揺させることになった。地下茎や根にシクトキシンを含む猛毒植物。地 ( 岩波新書 ) ▽田中倫子著『徳政一揆』 ( 『一 そのため売り手は、たとえ徳政が行われても煩下茎は緑色で太く、節があることが特徴であ 揆 2 』所収・一大一・東京大学出版会 ) ▽勝線だけが得られ、とくに蛍光 X 線とよばれる。 ~ 一で中空。葉は二 ~ 三 いをかけない、といった文言を記して、徳政がる。茎は高さ〇・六 俣鎮夫著『戦国法成立史論』 ( 一九七九・東京大イオン照射の場合、イオンは電子に比べて重い ため制動放射はおこりにくく、 連続 x 線の成分行われた際に売り手が受けるはすの利益をあら回羽状複葉、裂片は幅〇・五 ~ 二 学出版会 ) ▽同著二揆』 ( 岩波新書 ) みん とくせい ( 一五四六ー一六一一三 ) 中国、明末は少なく、ほとんど特生 X 線だけが生ずる。↓ かじめ放棄することを約束するようになった。 徳清 どいっき かんざんあざなちょういん 〈菊田惺志〉その後室町幕府は頻発する土一揆の要求によっ の僧。号は愍山、字は澄印、俗姓は蔡氏、諡 x 線 キ」いりん ぜんしよう 号は弘覚大師。金陵全椒の人。一二歳で西林特性関数とくせいかんすう確率変数のてたびたび徳政令を発し、また各地でその地域 せいか うん - 一くまう にのみ適用される在地徳政が行われたため、売 永寧に師事し、一九歳で受戒、栖霞寺の雲谷法分布関数を F(x) とする。すなわち F(x)= しようりようちょうかん えふくぎゅうざんほうこう 券に徳政文言が記される頻度は増した。なお室 会、伏牛山法光に禅を学ぶ。また清涼澄観 P(X<x) とする。このとき 町幕府の徳政令は、徳政文言が記してある借書 の遺風を慕って華厳を学び、念仏も修して、諸 eitXdF(x) の債務破棄を認めている。同じく売渡行為を保 宗融合の立場にたち、さらに儒仏の融和も説い ちぎよく しゅ - 」う しんか た。株宏、真可、智旭とともに明末の四大釈家を確率変数の特性関数という。確率変数 * 証するものとしてほかに、売却でありながら寄 うりきしん せいしゅうろうざんかいいん ろぎんはううん とよばれる。青州牢山の海印寺、廬山の法雲の特性関数を f(t) 、確率変数の特性関数を進の形式をとる売寄進、将来の徳政を予想して らっきょ そうけ、 禅寺などを開き、五台山、曹にも住した。著只、 ) とする。、が独立な確率変数であれ買い手が売り手に一定の代価を支払う徳政落居 かんりようがきようき け、ん・一うよう りようごんつうぎ 〈馬田綾子〉 がある。↓売券↓徳政 述は『観楞伽経記』『華厳綱要』『楞厳通義』ば、 X + の特性関数は f( こ・ 9 ( こで与えら とくせつかんせん戦時または事変 〈末木文美士〉れる。 など多数ある。 特設艦船 とくせいエックスせん各一兀素に固 特性関数は分布関数によって決まる。二項分時に海軍兵力の不足を補うため、民間所有の商 特性線 ちょうよう 船・漁船を徴傭、あるいは官有船を臨時移管 有な線スペクトルをもっ x 線で、固有 X 線とも布 B ( ドをの特性関数は 0 + 4 ) : ボアソ ぎそう ー 1 ) 、正して、これに所定の兵装・艤装を施し、海軍車 いう。 x 線管などで高速の電子が陽極物質に衝ン分布 P(D の特性関数は exp(Reit 人指揮のもとに艦艇兵力の補助として用いる船 . り・突すると、特性 x 線と連続 x 線が放射される。規分布 ~ ( ) の特性関数は exp(imt— 〈古屋茂〉舶。一般に正規の艦艇より速カ・装備が劣る せ特性 x 線は、物質内原子の内殻の電子が入射電 ( 、、じ 3 である。 が、大容積、広い甲板面積、長大な航続力など / 、子によりたたき出されてできた空孔に、外側の特性のない男とくせいのないおとこ Der の特質を活用し、適材適所に使用すれば有効な と一殻の電子が遷移して発生する。殻に落ち込む Mann ohne Eigenschaften オーストリア ぜん えいねい ・につル′、 け 1 一ん ドクゼリ 〔左〕夏 , 大形の白色花序をつける 〔右〕地下茎は太く節がある 899

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てんきれ 電気力線 〔図 A 〕 うねびやま 畝火山昼は雲とゐタされば風吹かむとそ木の 気予報論』 ( 一九全・東京堂出版 ) ▽高橋浩一よい地震探鉱用電気雷管がある。また、静電気電荷のとき反発しあい、異種の電荷のとき引き によって暴発しにくい耐静電気雷管も硝安油剤合うことを示している。実際、この電荷間に働 葉さやける 郎著『天気予報の科学』 ( 一九八 0 ・。フッ よりひめじんむ く力を、この電界の電気的ひすみがマクスウェ クス ) 爆薬を用いる発破で用いられるようになってき は、伊須気余理比売 ( 神武天皇の皇后 ) が三人 た。↓雷管 〈吉田忠雄〉 ル応力で与えられるとして求めることができ の皇子の暗殺を恐れ、その危難を皇子に知らせ 電 ( 刄雷目でんきらいかん electric detona- でんきりきせん電荷の間に働く電る。電気力線の基本的性質は、①電気力線は交るために詠まれたものであるが、そのままの意 tor 起爆薬を詰めた火工品の一種である雷管電気力線 のうち、電気的に点火させる装置を内蔵したも気力について、カが電荷の間に直接働くとも考わらない、②電気力線は、正電荷か無限遠点に 味では風吹かんとする前兆を述べたものであ のをいう。基本的なものは瞬発電気雷管で、図えられるが ( 遠隔作用論 ) 、次のように考える始まり、負電荷か無限遠点に終わること、である。 はつば 〈山口重雄〉 天気俚諺はその後農事および航海に関連し種 に小した構造をしている。発破器から脚線を通こともできる。電荷は周囲の空間に電気的なひる。↓電場 して二アンペア程度の電流を通ずると、白金線ずみをつくりだす。電気的ひずみのある空間に 天気俚諺てんきりげん weather lore 天類も増え、内容も豊富になっていく。このうち 電荷を置くと、その電荷はその空間からカを受気や天候・気候について、古来伝承されてきた 航海に関するものは、航海者の生命に関するこ 線玉薬薬 ん全め火爆管装体 ける。このような考え方を近接作用論と、 経験則。内外ともその数は非常に多いが、それとでもあるので、内容的にはより正確なものが 白点起内添管 管【締 現代ではこの考え方が主流である。電気的ひずらは統計的に検証されたものはたいへん少な求められたが、これらのなかには現在の学理と 気 みのある空間を電界とよぶ。電気力線とは、電 も矛盾しないものが少なくない。 雷 く、そこに一部の真理が含まれた経験であると 電 ヨーロッパでは、これにさらに占星術的な考 界の中の曲線であって、その曲線上に電荷を置しても、それは科学的気象学ないし天気予報術 電瞬 え方が、日本や中国では陰陽五行説的な解釈が くと、それが受ける電気力の向きが、その曲線の前段にあたる人間の知恵と考えられる。天気 が加熱されて点火玉が発火する。この熱で起爆のその点における接線と一致するものをいう。俚諺の内容を調べてみると、天気、天候および付け加わって天気暦のようなものがつくられ、 ばく 1 一う ヨーロツ。ハでは一一 ~ 一七世紀ごろにこれがた 薬が爆発し添装薬を爆発させ、その爆轟衝撃に図 < はこれを説明するものである。図は正の気候を対象としたもの、季節の特徴を知識とし よってダイナマイトなどの爆薬を起爆する。ト いへん流行した。このような暦から迷信的な部 点電荷がつくる電界の電気力線を一小す。ここでて要約したもの、さまざまな予想をその内容と ンネル掘進発破ゃ。ヘンチ発破のような近代的な 分を一掃し、農民らに役だっ暦 ( アルマナッ 点に電荷を置けば、それは電気力線ーにするものなどに分けられる。 発破技術では、発破の精度や効率をあげるため沿う電気力を受ける。電気力線は単に電界の向 予言的内容のものは動植物などの物類にそのク ) をつくったのはアメリカの・フランクリ ンである。この形式の農事暦は現在もアメリカ 、段発電気雷管が用いられている。段発電気 きを表すだけでなく、その書き込み本数に一定前兆を求めるものと、風・雪などの大気現象な 雷管の構造は、瞬発電気雷管の点火玉と起爆薬の約束をつけておけば、電気力線の密度が電界ど無生物的自然に前兆をみいだしたものに分けでは刊行が続けられ、隠れたベストセラーの一 との間に延時薬を挟んで、点火玉の発火から起の強さを表すようにすることができる。したが られる。また地域的には、ある地域だけに特有冊となっている。↓天気暦「おもな天気俚諺 〈根本順吉〉 ( 日本・外国 ) 」ロ 爆薬の爆発までに時間遅れをもたせたものであって、電気力線は、電界のすべての特徴を表しの天気の変化に注目したもの、かなり広範囲に ク、 4 る。遅れ時間間隔が〇・二五秒か〇・〇二五秒ている。図 0 ・は、図の点に + 一の電どこでも利用可能な現象を要約したものなどに回全国学農聯盟編『農事必携・全国天気予知』 ( 一九哭 ・学習社 ) ▽ R. lnwards 【三き、、 かによって段発電気雷管と段発電気雷荷を置いたとき、二つの電荷がつくる電界の電分けられる。 トミ e ( 195P Rider and CO.) ▽根本順吉 管に分かれている。そのほか、瞬発性のとくに 気力線を示す。この電気力線の模様は、同種の 動植物のさまざまな生態に前兆を求める場 著「天候さまざま』 ( 一九七四・玉川大学出版部 ) 合、その判断は天気の影響↓生物の生態↓天気 ▽藤井幸雄著『観天望気入門』 ( 一九七六・青春 予想というように、どうしてもその判断が間接 的になるので、予想精度は落ちる。しかし生物 出版社 ) ▽ R. Rage 三き斗、 FO ミ s 、 i' ~ ( 1977 , The Country Way, Penguin Books) においては、そのときまでの過去と現在の気象 ▽大後美保編『天気予知ことわざ辞典』 ( 一九 などが積算して表れている場合も少なくないの 会・東京堂出版 ) で、積算効果としての影響がある気候や季節の れいぞうこ でんきれいそうこ 0 希蔵庫 場合には、生物を前兆とみた判断が役だっこと電気冷蔵庫 てんきれき暦は諸種の天文現象の記 が少なくない 天気暦 内外とも天気俚諺は古代からの長い歴史をも載をそのおもな内容とするが、これに対しさま ざまな気象・気候をそのおもな内容とするもの つものである。それは紀元前のバビロニア文明 の時代からすでに考えられていたことであるを天気暦という。日本では江戸時代から各地で か寺、 、、ゝ、たとえば、「月に暈がかぶると雨や雲が多刊行された『晴雨考』『気候懸断録』は天気暦 くなるだろう」というようなことは、すでにそといってもよく、このほか毎日の天気を予想し た一枚刷りの天気暦が刊行されていた。欧米で のころから知られていた。聖書の「マタイ伝」 はアメリカで Z2 ・フランクリンがつくり始めた には次のような天気俚諺が述べられている。 なんじ 「タベには汝ら、空赤きがゆえに晴れならん」農家のためのアルマナックと manac が気象 についての記載が多く、天気暦としての一面を 「あしたには、空赤くして曇るゆえに、きょ もっている。これは現在に至るまで刊行が続け うは風雨ならん」 また、わが国の『万葉集』や古代歌謡には天られており、主として農家で求める隠れたベス 3 〈根本順吉〉 トセラーになっている。 気に触れた歌が多いが、たとえば、『古事記』 電気力 正電荷電気力線 〔図 B 〕点電荷による 電気力線 負電荷 4 接線 〔図 C 〕ニつの点電荷十十 4 による電気力線 十 十 十 〔図 D 〕ニつの点電荷 + 4 , ー 4 による電気力線 十

8. 日本大百科全書 16

てれびじ ている。 線はプラウン管の蛍光面上を光の点が走った 〔カラーテレビ以後〕日本のカラーテレビジョ ( 走査した ) 軌跡である。光の点は画面の左上 から右へ水平に走り、右端に到達すると瞬時に ン放送は一九五六年一二月二〇日に実験放送と して始まり、六〇年九月一〇日から本放送とな左へ戻り、すぐ下の線を描き始める。この繰り った。当初カラー放送を受信できる地域も番組返しによって一枚の画面をつくりあげる。光の も少なかったが、現在は全国のテレビ局のすべ 点が左から右へ移動するとき、テレビカメラか ら送られてくる電気信号によってその場所場所 ての番組がカラーで放送されている。 一九六九年一二月二〇日、アメリカの劇映画の明るさを変え、画像を再現する。この動作は 『ばくはついている』が東京と大阪で原語の英テレビカメラで画面を分解する動作と一致しな くてはならない。テレビカメラでの分解走査が 語と吹き替えの日本語の二か国語で放送され た。世界に先駆けたテレビ音声多重放送の実験右から左であれば左右逆になった画像が再現さ の始まりであった。翌年三月には大阪で万国博れるし、画素の位置関係が崩れるとまったく画 覧会が開幕、ニュースや万博だよりを日本語と像が再現されないことにもなる。テレビカメラ と受像機とで同一時刻に同一場所を走査しなく 英語で放送し、またテレビの音楽番組にステレ オ音をつけて放送したりもした。八二年には本ては画像の再現はありえない。両者の走査のタ イミングをあわせるためにカメラ側から同期信 放送となり、いまでは全国どこでも受信でき る。もう一つのテレビ多重放送である文字放送号が送られている。日本のテレビジョンの走査 も八二年に実験放送が始まり、八五年には本放は水平方向には毎秒一万五七五〇回、垂直方向 には六〇回と決められている。一枚の画面が五 送となった。 衛星からのテレビ放送も始まった。山地の多二五本の走査線で構成され、これが毎秒三〇枚 い日本の地形でテレビの全国普及を図るため、送り出されて動画像を再現する仕組みである。 実際には走査線を一本おきに粗く走査して一枚 テレビ放送が始まって以来総合テレビだ けでも全国に約三五〇〇もの放送局がつくられの画面を送り、次に飛び越した走査線を埋めて 査 てきた。それでも離島などで見えない場所が出 いく形で見かけ上毎秒六〇枚の画面を送り、ち らっきを防止している。 る。赤道上空三万六〇〇〇キロメートルの軌道に 〔テレビカメラ〕テレビカメラは光学像を電気 ある静止衛星からテレビジョンを放送すれば、 み 一つの電波で全国を一度にカバーできる。一九信号に変換する装置である。光学レンズ、三原 組 ム 仕 七八年、実験用中型放送衛星「ゆり」が打ち上色分解光学系、撮像管 ( 最近は半導体の撮像素 の げられ、各種の実験が行われた。その結果に基子もある ) 、増幅器類などで構成されている。 査 理 組 づき八四年五月から放送衛星「ゆり 2 号ー」に最近は、と一体化したテレビカメラもあ 走 電 線の 査 る。なお、数は少ないが白黒カメラでは三原色 よるテレビジョンの放送実験が行われている。 カ② ン 走 分解系が不要になる。 ョ の ① 原理と仕組み ム査 光学レンズは被写体像を撮像管の光電変換膜 ジ 銃せ に結像するためのもので、古くはカメラの前面 〔画素と走査線〕テレビジョンの基本原理は、 ビ平 レ 子水 まず、一枚の画面を細かな点 ( 画素 ) に分解のターレットに焦点深度の異なるレンズを三、 電 ① ③ し、それそれの点の明るさを電気信号の強弱に四本取り付け、ターレットを回転させることに 変え ( 光電変換 ) 、それそれの点の電気信号をよって必要なレンズを選択して使用したが、現 日本のテレビジョン放送は、一九三九年五月放送された。 順次秩序正しく取り出して一本の伝送路で遠方在はズームレンズ一本が標準装備となってお 一九四一年、太平洋戦争の勃発でテレビジョ 一三日の実験電波発射に始まる。ドイツがベル り、これでカバーできない超望遠、魚眼などの に届ける ( 送信 ) 。次に、送られてきた電気信 ンの研究は中止、戦後四六年 ( 昭和二一 ) 研究 リン・オリンピック大会をテレビ中継したこと に刺激を受け、一九四〇年に予定されていた東は再開されたものの、テレビジョン放送の再開号を元のとおり秩序正しく組み立て、最後に電特殊レンズは、そのつど変換装着して用いてい 気信号の強弱を光の明暗に戻して、目で見られる。 京オリンピックをテレビ中継しようと、日本放は五〇年二月二五日まで待たねばならなかっ 三原色分解系はレンズから入ってきた光を 送協会技術研究所が高柳健次郎を迎えて本格的た。東京での実験放送開始に引き続き、五一年る画像に再現することである。最初の機能を果 には大阪、五二年には名古屋でも実験放送が始たすのがテレビカメラであり、後の機能は受像赤・緑・青の三原色光に分解し、それそれ異な に進めていた研究・開発の成果が、実験放送と る撮像管に導くのが仕事である。撮像管を三本 して実ったものである。東京オリンピックは世まり、この三局を結ぶテレビ中継回線も五三年機が受け持っている。 使う標準カメラでは、プリズムやダイクロイツ テレビ受像機に近づいてその画面をよく見る にの手で完成した。本放送は五三年二月 界情勢の緊迫化により中止されたが、テレビジ 一日にが、同年八月二八日に初の民放テと、テレビ画面が細かな線で構成されているのクミラーが用いられるが、一本または二本の撮 ョンの実験放送は四一年六月まで続けられた。 ゅうげまえ がわかる。この線を走査線とよぶが、この走査像管でカラー画像を得る方式のカメラでは、色 レビ局の日本テレビ放送網 (Z+>) が開始し この間、日本最初のテレビドラマ『タ餉前』も 受像管 水平偏向コイル 実際の走査 帰線 ( この右から左へのビームの戻リ ( 帰線 ) は 受像画面に出ないように消している ) 走査線 262.5 本目の始まり ②垂直走査 垂直偏向コイル 水平偏向コイル 電子ビーム 263 264 3 , 262 ' 2 ・ 263 ' ー 3 ・ 264 ・ 画面 245 ' ※ ー 244 ′ 244 . 5 本目から上りだす※ヒ・一ムを上端に 戻す「垂直帰線期 最初の走査線 間」も光点は消す -- 2 回目の走査線 ・画面に現れない走査線 245 244 電子銃 ばつばっ 水平偏向コイル 垂直偏向コイル

9. 日本大百科全書 16

でんどう 電動機 / 〔図 A 〕電動機の構成 直流電動機 継鉄 界磁巻線 自らのカで電動機として回転を続けることがで自力で加速する。したがって十分速度が上昇し さらに三相誘導電動機を含めた三つの主要な電巻線があり、これを三相電源に結ぶ。回転子側 たときに界磁巻線に直流を流して励磁すると、 動機の基本構成を示すと次のようになる。 には直流で励磁する磁極がある。極数は回転速きる性質をもつ。したがって、停止した状態か ら同期速度まで加速させるには、なんらかのく同期速度に引き入れられる。これを同期引き入 ①直流電動機固定子側には継鉄といわれる鉄度の低いものほど多くする必要がある。一般に 。このためれまたは同期化という。最近の超大型三相同期 ふうを加えておかなければならない 心があり、その内側に磁極鉄心が取り付けられ同期電動機の毎分の回転速度は、極数を、 電動機には、塊状磁極鉄心を用いる例が多い る。極数はその電動機の容量や回転速度に応じ周波数を / ヘルッとするときミⅡ 120 P で表に、誘導電動機の性質を利用するものが多い 同期化後に直流励磁電流を加減するとき、回 て決められ、構成図に描かれる二極機のほかに される。を同期速度という。同期電動機は〃 たとえば、磁極鉄心の表面近くにスロット ( 溝 ) をつくり、毎極数本ないし十数本の裸銅転速度はつねに同期速度で一定であるが、電動 一〇極機などもある。磁極鉄心に の値を定常速度とし、その値でしか回れない は界磁巻線を巻き、これに直流を流して励磁すしたがって / が一定のとき、も負荷の軽重に 棒を入れ、誘導機のかご形巻線に似た電気回路機の力率が変わり、一〇〇 % または進み力率に かいじよう る。励磁の電流を加減すれば、磁極の強さが変かかわらず一定である。同期電動機のうちにをつくっておくか、磁極鉄心に塊状の鉄を用もすることができる。このことは同期電動機の わり、電動機の回転速度を変えることができ は、回転子側に三相巻線、固定子側に直流電動 この鉄内に自由に電流が流れられるように 一つの特長である。 る。磁極に永久磁石を用いたものもあるが、こ機のような磁極を置いたものもあるが、これは しておく。固定子に三相電圧を加えると、かご 小容量の同期電動機には、界磁巻線を置かな いものがある。この場合は、磁極の中心を通る れは小型の特殊用途のものである。回転部を電 小型機のみにみられる。 形巻線または塊状鉄心が誘導機の一一次巻線とし 機子といい、電動機の主要な巻線である電機子 同期電動機は、同期速度で回転するときだけて作用し、誘導電動機としてのトルクを生じて軸の磁気抵抗が、極と極の中間の軸のそれより 巻線がある。直流電源からブラシを経て電機子 小さいことが原理で、同期速度 レ」 一る 型タ度中 巻線に電流を流す。この電流は、電機子の各コ での運転を続けることができ あ 除用 大一速大 速 ン --D 掃車負 バせ拡 イル内では交流に変わる。 る。この電動機を反作用電動機 ャ業 や用ンわが 電大せイ転時 レ またはリラクタンスモーターと ②三相同期電動機交流発電機とほば同じと考 わ ち道イ合例 の ・ム ~ 度 も鉄はみる レど般 えてよく、固定子側に鉄心内に収められた三相 いう。反作用電動機は力率が悪 なみ連速 お気形組すみフな一 度減 電ごと御込ド械る 寸法が大きくなる傾向があ ン る一 ワと速加 かか一制み一機す るので、小容量機で、同期速度 シ ロ そほ すタ 組コ業要 形子 用みの用 ロⅢレ曲辰ん」 プいタうのみ 相 で回ることを条件とするような をモ 業か用業 , 多一行機 多 巻回・・・ 場合に用いられる。 電ンフ制 度ノ 産は業産 機どにプかハを量と 相 庭アン度 速オ 途般型産般 型な国るン例ン御容一 ③三相誘導電動機三相同期電 線 定フ 用 家フポ速 用外あボのイ制月 動 巻子 動機と同様に、固定子側に三相 電 相云 か 6 っ 0 度 導 れ れれ 巻線を置き、これに三相電圧を 要 子 不度 加える。回転子側は三相巻線を 機 固 安御 磁速 変 電 置くものと、回転子表面に等間 良を 励定 度 率度 長度 丈度 と速 隔にスロットをつくり、これに カ速 、旧か は ~ ロ回 頑速 速 特速 裸の銅棒を挿し込み、かごのよ うな形の二次多相電気回路を設 でま で けたものとがある。前者を巻線 数百 5 数 でらま 、・つ、わま ~ 数〃数 ~ 数 まく 形誘導機、後者をかご形誘導機 カト -= -0 0 ししいずれも広く用いられ 出数数数 数 数数 数数 っ・】 -4 ・糶女っー ている。かご形機のうちには、 回転子表面近くの外側かご形の 工甲一′ⅲ亠 形始始 奥に、もう一つの内側かご形を 置く二重かご形や、スロットを 形形ササイ形 半径方向に深くして、帯状また ・刀、刀廾 - 一丁一丁り・ム日 ' 彡 , 彡 ' 彡 ' 彡 甬一殊」線ンン耳イ はくさび状の導体を用い、かご ふかみぞ 普特巻ココ隈反分直分直 形回路をつくる深溝かご形があ る。両者を特殊かご形と総称す 三相単相 三相単相 式式式式 る。すなわちかご形誘導機には 式励巻巻巻 普通かご形と特殊かご形とがあ 整流子電動機 子類形他分複直誘導電動機 機呑分 る。前者は五キロワット以下の小 と 容量機に、後者は五キロワットを 直流電動機 超える中・大容量機に用いられ 9 動 電 ている。特殊かご形機は普通か 3 三相同期電動機 固定子鉄心界磁巻線 0 0 0 0 0 0 0 0 十フラシ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 00 00 00 00 ~ 0 〇 〇 0 0 0 0 00 00 0 0 0 0 0 0 0 0 電機子三相巻線 磁極鉄心 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 磁極鉄心 ほは・定速度運転 交流電動機 電動機の種類 従来形 無整流子形 7.5kW くらい 反作用形 3 .7kW くらい 永久磁石形 ヒステリシス形 15W 単反作用形 数 kW 以ト 相 永久磁石形 コンデンサー形 数百 W 以ト 数ト W 以ード ヒステリシス形 注 : * リニアモーターは , 直流運動をする交流電動機で , 誘導電動機形と同期電動機形かある 三相 同期電動機 二二卩 定速度

10. 日本大百科全書 16

でぞめし み。野望、正直、信用、功名心などを示す。適男は左手、女は右手とされてきた。しかし男女 丘丘の示す意味の判断、などである。 星星 ー ) は、二つの部門 度の発達は独立心を表す。③は中指底部の膨らの区別なく両手を比較しながら総合的に判断す 手相学 ( パ 丘丘丘丘丘火火 星星星陽星丘一ニすなわち、①手型学 ( キログノミー ) 、②掌紋み。思慮分別、勤勉、神秘性を示す。④は薬指るのが好ましく、また、これに限らずいかなる 金木土太水月第第 学 ( キロマンシー ) に分かれる。一般に手相と 付け根の膨らみ。芸術的感覚、経済力、名声成場合にも種々の条件をよく勘案してみるべきで フ」っ 0 4 う ) ( 0 「 / ・ 8 ⑤あると今日では考えられている。 ^ 吉野裕子〉 いえば掌線が重視され、手型はとかく軽視され功などを表し、その発達は美的感性を示す。 丘 掌 ーーそく Teso 東アフリカ、ウガ がちであるが、この二者はともに重要で優劣は は小指底部の膨らみ。研究心、社交性、商業的テソ族 と つけがたい。 素質などを表し、その発達は頭脳のよさを示 ンダとケニアに住む。ハラ・ナイル語系の部族。 ごよう 手型の分類は中国においては五行思想によりす。⑥は金星丘の向かいの縁にあり、空想、想形質的にはナイル亜人種に分類され、一般に長 大 五形質に分ける。しかし今日ではフランスのダ像力などを示す。⑦は二丘に分かれ、その第一身、皮膚の色は濃く、鼻根はつぶれていない ルバンチニーの七つの型による分類法がより一 は木星丘と金星丘の中間。積極性、度胸を表ウガンダ側に約五〇万人 ( 一九五九 ) 、ケニア側に 般的である。それは、①原始的、実 し、第二は水星丘と月丘の中間にあって忍耐、一三万人 ( 一九七九 ) が住む。ウガンダではテソ族 掌 芸術的、④活動的、⑤哲学的、⑥空想的、 ) はガンダ族に次ぐ大部族で国内の地位も高い は混自制心など内面の強さを示す。 相 掌線は、 ) 合的、の七種である。おのおのの型の特徴は、 は生命線、②知能線、③感情線を一一一が、ケニアでは多くの少数民族の一つにすぎな 手 ①は皮膚が粗く本能的で知的要素が少ない。② 。生業は牛牧を伴う混合農業で、トウモロコ 大線とし、最重要視する。①は人差し指と親指 しゆくふく こぶしけい シ、キャッサバ、雑穀類が主要作物。換金作物 中国の手相術は、周の叔服、姑布子卿に始は掌および指が方形をなし、実務的堅実型。③ の中間から金星丘に沿って下降する線。健康、 きょふそう ちんたん みん えんすい としてワタも栽培する。テソ族はかって政治的 まり、漢代には許負、宋代には陳摶が出、明のは先端が細くなり、円錐型。想像力豊富で、多病気の有無など生命にかかわる事柄を示す。乱 えんちゅうてつ 袁忠徹はこの陳摶の著述を増訂して『神相全芸多趣味であるが飽きやすい。④は指先が太く れがなく深く狭い線を良好とし、鎖状、切れ目 に統一されたことはなく、伝統的政治体制は首 編』を刊行した。これによれば手相は一七項目丸みをもち、明朗、快活、精力的、かつ自由奔のあるものなどを不健康、危険な徴候とする。長制をもたない非集中型で、年齢集団の長老、 ふし はつけ に分けられ、その内容は、論手、八卦十二宮賓放。⑤は指の関節が節だち、学究肌の人の手。 ②は人差し指の下から掌を横あるいは斜めに走地域の実力者、軍事的指導者、宗教的専門家た せんとう はは一一る線。知的能力、精神的活動力のすべてを一小ちが相互に影響を与えながら行っていた。ケニ 主之図、手紋七十一一論、掌紋論、手背紋論など⑥は指先が細く尖頭型で感受性が強い。 ) である。この書は日本では早く平安時代に中国種以上の型が混在し性格は多角的、というようす。直線的に掌を横切るのは極端な現実主義者ア・テソを含む南部テソ族は一八世紀末ごろか にみるわけである。 ら波状的に北部から移住したものと考えられて を表し、月丘に向かって大きく下垂するものは から伝来したといわれるが、この『神相全編』 いる。北部テソ族はカラモジョン族やトウルカ がもたらされると、日本の手相術は大きな影響 掌丘も七つに分けられ、それそれに固有の意感性の発達を示す。③は知能線の上部を小指の を受け、この書は指導書として、後の江戸中期味がある。その七種は、①金星丘 ( ビーナスの下から横に走る線。長ければ情に傾きやすく、ナ族と起源を同じくするが、長期にわたって移 の観相家、水野南北 ( 一七五七ー一公 = 四 ) の著『南北 丘 ) 、②木星丘 ( ジュピターの丘 ) 、③土星丘短ければ愛情に欠け、利己的とされる。この三住してくる過程で大きな変化を受け、この二つ の部族が近代化に抵抗し伝統を保持しているの 相法』とともに広く用いられた。大正時代に西 ( サタンの丘 ) 、④太陽丘 ( アポロの丘 ) 、⑤水大線以外の重要な線に運命線と太陽線がある。 ーの丘 ) 、⑥月丘 ( リューナ前者は手の中央を中指に向かって上昇する線と対照的である。テソ社会の親族組織は父系出 洋手相術が伝わり東洋手相術と並び行われた星丘 ( マーキュリ ーの丘 ) 、⑦火星丘 ( マーズの丘 ) である。そで、成功、失敗、事業運などを示し、後者は薬自、夫方居住、一夫多妻婚の三つの原理を基盤 が、現在では西洋の方法がより多く用いられて いる面もある。 れらの位置、意味、象意などはおよそ次のとお指に向かって上昇する線で、財運、人気、名声としてつくりあげられている。テソ族のほとん どはキリスト教徒になっているが、災厄の原因 などを示すとされる。 手相の判断の順序は、①手型の観察、②指のりである。①は親指の基底部の膨らみ。性、恋 つめ 手相をみる際に、西洋では古くから男女ともの説明と対処の方法を中心とする伝統的宗教は 長短、形状の観察、③爪の形、色による健康状愛、愛情などを表し、この部位の適度の発達は こ、重要な役割を果たしている。なんらかの被害を に左手を主にしたといわれ、日本では一般し 態の判断、④掌丘の厚薄、硬軟の観察、⑤掌線情感の豊かさを示す。②は人差し指底部の膨ら 受けた者が正当な報復として行う神秘的攻撃を じゅそ 〈加藤泰〉 請け負 , っ呪詛クランがある。 の京習 巻東演 回長島信弘著『テソ民族誌』 ( 中公新書 ) る 鉢 う事よ 出初式でぞめしき公式には消防出初式とい 向春団 う。消防団が新年最初に行う演習の儀式。一月 , 新防 二日の仕事始めと一連のものであるが、東京で 纏的消 半統の は一月六日に行われ、全国的にほば統一され の伝備 の装 た。日本の消防組織は、江戸幕府が大名火消、 ろ来代 じようびけし そ以近 旗本火消 ( 定火消 ) を設置したのが始まりだと 代 。み海 丿時水されており、その組織が整ったのは一六五八年 乗戸放区 ( 万治一 ) であった。一七一八年 ( 享保三 ) 町 こ子江斉央 ぶぎよう 奉行令によって町火消を設けたが成果があがら る草の都 上 〔よ浅車京す、二〇年改組し、「いろは四十七組」 ( のち に区防東 式人〕東消 四十八組 ) が発足した。出初式は町火消の初出 初職〔台「式 行事で、「いろは四十八組」の江戸町火消は、 出 3 鳶都〔儀 生命線 知能線 感情線 をッ へり は人てん はつで 1 引