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検索対象: 日本大百科全書 18
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1. 日本大百科全書 18

はな ン 下 花 ウ ョ れ イ セ 中 フ 花 花 蕊 置 の の ュ 雄 物 チ の 嚢植 植 子し弁 株 子子チ株 マ 上 花子 被雄花 胞裸雄 し力に多様で 進化し、イヌマキ科では胚珠をつける鱗片一枚ある。しかし、被子植物の花は、、ゝ 花はな植物の有性生殖にあすかる器官で、状になることがある ( これを「お葉付きイチョ のう あっても、それらの間に相同性を認めることが ウ」とよぶ ) 。このことから、椀状部は退化しで一個の球花をつくるに至っている。 広義には、胞子嚢をつける構造が集まって軸に 〔グネッム綱〕グネッム綱では、雄花も雌花もできる。被子植物の花は裸子植物の花と違っ 側生した構造をいい、狭義には、被子植物の有た大胞子葉と解釈されることもある。 かひ 若いときは、膜質の花被に包まれる。マオウ属て、本来、雌性器官と雄性器官をもち、それに 性生殖のための複合器官をいう。花を広義に解〔球果綱〕球果綱 ( マッ綱 ) では、普通、 りんべん の雄花穂では、軸に二 ~ 八対の包が対生し、包胚珠や花枌嚢をつけない花被をもった両性の複 釈すると、花はシダ植物、裸子植物にもみられつかの花粉嚢が鱗片の下面につき、それが軸に ることになる。 の腋に雄花をつける。雄花は一対の花被と、そ合器官である。すなわち、被子植物の花は、花 穂状に集まって雄花となる。球果綱を通じて、 しよう ゅうずい 〔シダ植物の花〕ックシはスギナの花で、胞子雄花の基本構造はほば一様とみなすことができれに覆われた一 ~ 八個の花枌嚢をつける小胞子床に下から上へと花被、雄蕊群、雌蕊群をつ 嚢をつける胞子嚢托が輪生し、それが数輪、穂るが、雌花はきわめて多様である。多くは鱗片嚢托よりなる。雌花穂には四 ~ 七対の対生するけたのが基本的な形である。また、被子植物の 状に集まったものである。また、クラマゴケでの上面に胚珠をつけるが、これが軸に穂状に集包があり、雌花は上部の一 ~ 二枚の包の腋につ花は一種のシュート ( 苗条 ) 、すなわち、茎に き、花被に包まれた一個の胚珠である。ウエル葉のついた構造と考えられ、花床という茎的器 まってつき、球花をつくる。スギ科などでは、 は、上面の基部に胞子嚢をつけた小葉が集まっ がくへん て穂をつくるが、胞子嚢は雌性の大胞子嚢と雄胚珠をつけている鱗片は単純であるが、マッ科ウィッチア属の雄花穂と雌花穂では、多数の包官に、花被片 ( または萼片と花弁 ) 、雄蕊 ( 雄 しべ ) 、および雌蕊 ( 雌しべ ) をつくっている 性の小胞子嚢とに分化し、それらをつける小葉などでは、その下にもう一枚の鱗片があって一一を対生し、その腋にそれぞれ雄花と雌花をつけ しんび る。雄花は基部に一対の小包をもち、花被の中心皮といった葉的器官がついたものとみなされ は一つの穂に混じってつく。 重構造となっている。進化のうえからみると、 に三個の花枌嚢をつける小胞子嚢托を六本輪生る。花をつくっている葉的器官を花器官または 〔裸子植物の花〕裸子植物では、雌性の大胞子球果は、本来はもっと複雑な構造をもっていた はいしゅ 嚢は珠皮に包まれて胚珠となり、雄性の小胞子もので、古生代石炭紀に栄えたコルダイテスでし、中央には機能のない胚珠がある。雌花も基花葉という。したがって、シュートとしての性 は、球花の軸に包 ( 包葉 ) がっき、それの腋よ部に一対の小包があり、花被に包まれた一個の質をよく保っている花は原始的なものとみなさ 嚢は花粉嚢となる。 〔ソテッ綱・イチョウ綱〕ソテッ綱では、花粉り伸びた枝に葉と胚珠がついていた。やがて、胚珠よりなる。グネッム属の雄花穂では、輪生れるわけである。 しよう 嚢は小胞子葉の上面に三 ~ 四個ずつ集まって全包より腋生する枝が退化し、全体が穂としてのした包が合着して数段の輪状の鞘をつくり、そ〔同花被花・異花被花〕被子植物の花は、本 まとまりが強くなる方向に進化していったとみの腋に輪生する雄花を少数輪つける ( いちばん来、同質の花被片よりなる花被をもっ同花被花 面につき、胚珠は大胞子葉の下部の縁につく。 であるが、進化した状態では花被は内外二輪よ 小胞子葉は穂状に密集して雄花となり、大胞子なされている。したがって、現生の植物でも、上に機能のない雌花の輪をつける種もある ) 。 マツのように球花の鱗片が二重になっているも雄花は袋状の花被に包まれ、二 ~ 四個の花粉嚢りなる。外輪はつばみのとき内部を保護する萼 葉は茎頂に緩く集まって雌花をつくる。イチョ ウ綱では、花粉嚢は二個ずつ小胞子嚢托につ のは原始的で、下の鱗片は包、胚珠をつける上をつける一本の小胞子嚢托である。雌花穂でとなり、内輪は昆虫誘引のために発達して花冠 は、鞘の腋に一輪の雌花を生じ、雌花は二枚のとなる。萼は萼片よりなり、花冠は花弁よりな き、それが穂状に集まって雄花となる。胚珠はの鱗片は退化した枝またはそれに属するものと る。このように、萼と花冠をもった花を異花被 二個が対になって大胞子嚢托につくが、それの考えられる。そして、スギのように一重のもの花被に包まれた一個の胚珠よりなる。 わん 上端部は広がって椀状となり、胚珠の基部を取は、その二枚が合着したものとみなされる。球〔被子植物の花〕被子植物の花を裸子植物の花花という。同花被花でも花被片は昆虫誘引のた り囲む。この椀状部は、まれに伸び広がって葉花をつくる鱗片の数は、さらに減少する方向に のいずれかと直接的に関係づけることは困難でめに発達することが多いが、ヤマモモ科、クル 〔ックシ〕 胞子嚢托 へり 雄しべ 胚珠 部 襟 雌花 えき 雌の球花 雄の球花 葯花 柱頭 子房 カよ・つ 房 子 しずい 872

2. 日本大百科全書 18

ひゅうが 〈井之ロ章次〉ら抜け、「魔術的レアリズム」を唱えるポンテ野辺山宇宙電波観測所のべやまうちゅうで 4 延岡藩のべおかはん日向国延岡 ( 宮崎県延を組まない ンペッリが同誌を主導した。印象主義、ダダイ んばかんそくじよ東京大学東京天文台の電波天 4 お岡市 ) を城下とし、その周辺を中心所領とした延紙のべがみ半紙に対する全紙の意味で、 小形の杉原紙のことをさす。別名を小杉原またスム、シュルレアリスムなどの時代思潮を紹介文台。一九八二年 ( 昭和五七 ) 長野県南佐久郡 みなみまき へ藩。一六九二年 ( 元禄五 ) までは旧地名により 、工戸時代に懐中紙し、・ジャコプ、 > ・ウルフ、・・ロー 南牧村野辺山の標高一三五〇の高原に建設 県藩と称した。一五八七年 ( 天正一五 ) 豊臣は小杉、略して延とも、 やまと たかはしもとたわ された。電波のなかでも波長の短いミリ波 ( 波 秀吉の島津氏征討後、高橋元種入封 ( 五万三千として鼻紙などによく用いられた。大和国 ( 奈レンスらが寄稿者に名を連ねた。またモラビ えちぜん ア、アルバーロらイタリアの新進作家を数多く 長一垰一メートル ~ 一ミリメートル ) を観測する電 石 ) 、一六一三年 ( 慶長一八 ) 高橋氏改易後、良県 ) の吉野産を最良とし、越前 ( 福井県 ) 、 あわ ありまなおずみ いずも 〈古賀弘人〉波望遠鏡としては世界最大の口径四五望遠 翌年有馬直純 ( 五万三千石 ) 入封。直純の父は出雲 ( 島根県 ) 、阿波 ( 徳島県 ) その他の諸国輩出させた功績も見落とせない。 で産出された。井原西鶴の『好色一代女』に、 キリシタン大名として有名な晴信。有馬氏は一 延売買のべばいばい通常の商取引において鏡、一〇パラボラ鏡五基を組み合わせたミリ は商品の受渡しとともに代金が決済されるが、波干渉計を主力装置とする。このほかデータ処 六九一年まで在封し、その間、居城の本丸を修「延の鼻紙ひざちかく置きて」とあるように、 築するとともに城下町を整備拡大した。有馬氏その身近な使い方がしのばれる。↓杉原↓半信用取引が発達した江戸時代には、売買契約と理解析用の大型コンピュータ群、受信機開発室 みうらあきひろ 〈町田誠之〉商品受渡し、さらに代金決済との間に一定の時など各種研究設備を備えている。ミリ波観測で に次いで九二年三浦明敬入封 ( 二万三千石 ) 、紙 かみきた 間的間隔を置くことが行われるようになった。 は世界一の能力を有する国際的電波天文台とし 一七一二年 ( 正徳一 l) 拠野入封 ( 八万石 ) 。野辺地 ( 町 ) の〈じ ( まち ) 青森県東部、上北 のべうりのべかい 牧野氏は領内の農政に意を注いだようで、こと郡の町。一八九七年 ( 明治三〇 ) 町制施行。東これを延売・延買という。このような取引が発て内外の研究者が多数観測・研究に訪れてい おおみなと せき に一七三四年 ( 享保一九 ) に完成した岩熊井堰日本旅客鉄道東北本線と大湊線、国道四号と達すると、未決済のままで順次転売買することる。ミリ波はとくに低温の星間物質の観測に不 ないとうまさき は有名。一七四七年 ( 延享四 ) 内藤政樹入封二七九号の分岐点にあたる交通の要地で、函館も可能になり、商人が投機を目的に行う空売買可欠で、暗黒星雲や恒星外層大気中の種々の分 いわき ( 七万石 ) 。このときは内藤氏が磐城平より日向へのフェリーポートも就航する。下北半島の基をさす用語にもなった。江戸時代に、天下の台子が放っスペクトル線の観測により宇宙物質の ひたちかさま 延岡へ、井上氏が常陸笠間より平へ、そして牧部に位置し、野辺地湾に臨む。野辺地湊は藩政所として諸商品の集散地となった大坂では、信組成や星間空間化学を解明し、地上にない宇宙 野氏が延岡より笠間へ入るという、いわゆる一一一時代には盛岡藩の港として物資の輸送に重要な用制度の発達に伴い、はとんどの取引にこの延特有の化合物を数多く発見している。また星の 角転封であった。以後、廃藩置県まで内藤氏が 役割を果たした。一九五五年 ( 昭和三〇 ) に北売買がみられたが、金銀、米、油、綿、肥料、形成の過程、銀河系の構造と進化、銀河系中心 の活動性の研究など多くの成果をあげている。 在封。内藤氏の所領は、城下延岡周辺と西方九部上北大規模機械開墾と、これを結ぶ幹線道路砂糖、乾物などではとくに延売買が多く、米、 うすき 〈海部宣男〉 州山地の村々 ( いずれも日向臼杵郡 ) 約二万五が野辺地町を中心に建設された。近年は、むつ油、綿などでは取引市場として特別の会所を設 3 し天文台 しろっき とびち おがわら 千石 ( 城付所領 ) を中心とし、飛地所領とし 川原大規模工業開発に伴って関連開発公社や立したところもある。 野辺山高原のべやまこうげん長野・山梨県 レ」 - っ - っ・、 ぶん 明治維新後は延取引、先物取引とよばれ、多境、ヶ岳連峰の主峰赤岳東麓に展開する高 て、南方の宮崎郡内に約二万五千石、北方の豊企業の出先機関が設置されている。野辺地湾で まかど はやみ く業者間で行われた。 〈村井益男〉原。標高一三〇〇前後で、野辺山原ともい 後三郡 ( 大分、風東、速見 ) に約二万石があはホタテガイの養殖が行われる。西部の馬門温 う。高冷地で盛夏でも二五度 0 に達しない。近 り、譜代藩所領分散の一典型を示す。内藤延岡泉は近代的設備が整い、付近には野辺地スキー延払い輸出のべばらいゅしゆっ export bY 〈横山弘〉 deferred payment basis 輸出業者が相手の世は佐久甲州街道 ( 国道一四一号 ) が通じ、幕 藩は九州における数少ない譜代藩の一つであっ場がある。人口一万八三五一。 輸入業者に対して代金の支払いを一年以上繰り府は行路者救済のためお助け集落 ( 南佐久郡南 たが、なにぶんにも辺境の地にあり、歴代藩主回『野辺地町郷土史年表』 ( 一九七七・野辺地町 ) とく一りめ - 一し のなかから幕府老中は一人も出ていない。一 囮二万五千分の一地形図「戸鎖」「目ノ越」「野延べることを認めた輸出方式。国際間の長期信牧村板橋 ) を設けた。酸性の火山灰土壌と乏水 用取引のことで、ユーザンスなど短期の信用供のため長く原野であったが、長野県側では昭和 六九年 ( 明治一一 ) 九州山地高千穂地方に起こっ 辷地」「狩場」 たいわゆる鬼打ち一揆は、世直し一揆の代表事野辺地湾のヘじわん青森県中央部、陸奥与とは区別される。代表的なケースは、発展途初年に開拓者が入り、第二次世界大戦後全国か なつどまり らの入植者により全面的に開拓された。現在は 例の一つである。一八七一年廃藩、延岡県とな湾の支湾で、夏泊半島東側の湾入。湾奥の野上国に対する船舶やプラント類の輸出である。 にしまわり みみつ 日本の代表的高原野菜の産地で、夏産のレタス 辺地湊は江戸時代には日本海の西廻航路の拠信用供与が長期で多額になるため、民間資金だ り、美々津県、宮崎県、鹿児島県を経て、八三 は東京市場の六〇 % を占める。牧場もあり、広 けで負担するのは困難であるので、わが国では 年再置の現宮崎県に編入された。〈木村礎〉点として栄えた。現在は函館との間にフェリー 日本輸出入銀行、海外経済協力基金など政府金大な高原には野菜畑やサイロのある酪農家が点 回明治大学内藤家文書研究会編『譜代藩の研究ポートが就航する。湾内ではホタテガイ養殖が 〈土屋六郎〉在する。山梨県側は農業開拓はほとんどなく、 譜代内藤藩の藩政と藩領』 ( 一九七 = ・八木盛んで、県水産増殖センターの指導により生産融機関が融資している。 書店 ) 量も年々増加し、「陸奥湾ホタテ」の主要漁場延米のべまい江戸時代の付加税の一種。カラマツや雑木林の中に学校の寮や民宿が点在 のべこく でめまい 〈横山弘〉延石、出目米ともいう。関東を中心に当初、年する典型的な高原保養地。なお、東日本旅客鉄 野辺送りのべおくり葬列のこと。土葬でを形成している。↓陸奥湾 ます 道小海線野辺山駅西方は標高一三四六で、わ は喪家から墓場まで、火葬では焼き場まで、遺ノベチェント Novecent0 イタリアの文貢米は枡に山盛りにして納めていたが、一六 〈小林寛義〉 体を運ぶための行列をいう。転じて葬式全般を学雑誌。「一九〇〇年代」の意。一九二六年、六年 ( 元和一 I) に山盛りの分を斗掻きによってが国の鉄道の最高所である。 いうこともある。葬列の順序は、地方により、 ・ポンテンペッリと O ・マラバルテによって掻き落とし、そのかわりに三斗五升の俵に二升ノーヘリウム nobelium アクチノイド ひつぎ に属する放射性元素の一つ。一九五七年アメリ ローマで創刊された。初めの二年間はフランスを加えて三斗七升として納入した。この二升を また家族構成によって一定しないが、柩の近く ぜん しし関力のアルゴンヌ国立研究所、イギリスのハーウ につくことの多い位牌 ( 相続人 ) 、お膳 ( 相続語、あとは二九年六月の廃刊までイタリア語で延米とよび、この制度を三七の延と、、、 ほんこくはかりだて てんがいむすめむこ 人の妻 ) 、天蓋 ( 娘婿 ) 、杖 ( 孫 ) 、香炉 ( 子や発行された。編集顧問には・ジョイスやエレ東・東海地方では本石斗立ともいった。地方エル原子力研究所、スウェーデンのノーベル物 ン・フルグの名がみえることからもわかるよう によって四六の延など延米の割合も異なり、高理学研究所の共同研究により、ノーベル物理学 孫 ) などは近親者が持ち、その前後につくこと はたたいまったかどうろう に、同時代のヨーロッパの文学的営為に門を開崎藩領での一石に四斗六升の例もある。維新後研究所においてサイクロトロンで加速した の多い幡、松明、高灯籠などは葬式組の人たち れいきゅうしゃ くことによって、イタリア文化の地方生からのも旧慣として続いたが、地租改正によって消滅こ C 、、をキュリウム二四四に衝撃させ、ノー。へ が持つ。霊柩車を利用するような近代的な葬 〈吉、水昭〉 リウム二五四が人工合成されたが、アメリカお 脱皮を目ざした。マラバルテは二七年に編集か 儀の場合は、位牌と遺影 ( 写真 ) だけで、葬列 ふだい しまづ っえ みなと はこだて みなと はこだて さきもの から こうみ

3. 日本大百科全書 18

ばなな 開く。花柄には細かい曲がった毛が密生する。 になる部分に花や葉の美しい植物を植えた、装九九〇年の天球上の位置は赤経一七時五七分、 ほかのトリカプト類に比べて花が大きく美しい 飾的な花時計となっている。また時計盤になる赤緯プラス四度三二分である。一年間に動く視 ためにこの名がある。茎の先に大形の花が密集 位置の変化角、すなわち固有運動が全天の恒星 面は、普通一五度程度傾斜させて見やすいよう してつくため、キクに見立ててカプトギク、あ にくふうされている。外国ではイギリスのエジ中最大で、年一〇・三一秒にも及ぶので有名で るいは、中国原産であるため、日本産のトリカ ーナードにより ンバラ王立植物園、スイスのジュネー。フのものある。一九一六年に・・ 。フトと区別してカラトリカプトともいう。 が知られ、日本では神戸市市役所前 ( 一九五七 ) 、発見されたのでこの名がある。視線速度も大き むこうおか オ 花や切り花に用いる。漢方薬の烏頭や附子は、 ノ く、毎秒一〇八キ。メートルで太陽系に近づきっ 川崎市向ヶ丘遊園地 ( 一九六三 ) 、神奈川県立フラ この植物の根を減毒して乾燥させたものであ つあり、合成した空間速度は太陽に相対的に毎 ワーセンター大船植物園 ( 一九六七 ) などのほか、 こまざわ ナ 〈門田裕一〉 る。↓トリカフト 東京都駒沢オリンピック公園、札幌市市民会館秒一四〇キ。メートルとなる。スペクトル型は おとふけ ナナ〔花菜〕きミ s ミミミを s 、こ s L. 5 の主系列星で、表面温度は約二五〇〇。質 前 ( 一九五 0 、北海道音更町などに設置されてい 月、茎頂に小さな唇状の管状花を数十個、穂状アプラナ科の一年草。花を野菜として利用する る。 〈堀保男〉量は太陽の〇・一五倍ぐらいと推定されてい につける。花色は普通は淡紅色であるが、白色のでナバナ ( 菜花 ) ともいう。チリメンハクサ <lll) 放送作る。またこの星の固有運動が蛇行的に方向を変 花登筐はなとこばこ ( 一九天 えるところから、不可視伴星の存在が確認されの品種もある。北アメリカ原産。切り花、花壇イから分離してできたといわれるが、詳細はわ 家、小説家。本名花登善之助。滋賀県生まれ。 だえん ており、周期二五年、離心率〇・七五の楕円軌用として観賞する。繁殖は株分けにより、春、からない。冬季に千葉県や淡路島の暖地で切り 同志社大学経済学部卒業。コント作家を経て、 ひがん でっち 道で周りを回っている。この不可視伴星の質量秋の彼岸ころ、地下茎を一本すっ株分けする。花として栽培される。品種は大きく分けて、葉 テレビドラマ『番頭はんと丁稚どん』 ( 一九五九 ~ ちりめん みしよう が縮緬状に縮むチリメン系と、広葉で縮みがな 実生も可能である。寒さに強いじようぶな宿根 六 I) でヒットを飛ばし、以降、大阪を舞台にしを求めると太陽の〇・〇〇一六倍 ( 木星の一 く花房が大きい丸葉系がある。つばみが柔らか また連 七倍 ) になり、恒星界における惑星の存在を暗草であるが、夏の極端な乾燥には弱、。 た根性ドラマを書き、人気放送作家となった。 はんじようき 〈北村正利〉 作すると地下茎が長く伸び、花つきが悪くなるくて美味なので、ツマナ ( つま菜 ) とよび、野 示している。 代表作に『堂島』『細うで繁昌記』『どてらい ので、毎年植え替えをするとよい。〈神田敬二〉菜としての出荷も多い。ナノハナとごく近縁で 男』など。大衆小説や商業演劇台本にも進出 ハナトラノオ〔花虎尾〕 P を s 。 s 、 e を ^ 水落潔〉、をこミミ Benth. シソ科の多年草。茎の断 し、劇団「喜劇」を主宰した。 ハナドリ「花鳥〕 flowerpecker 鳥綱スあるが、ナノハナと異なる点は、花茎は太くて 伸びず、葉は小形で、葉柄、花柄ともに短く、 ーナード星ー。。・せい Barnard へびつ面が四角形であることからカクトラノオ ( 角虎ズメ目ハナドリ科に属する鳥の総称。この科 総状花序に形よく花がつく。花色は同じく黄色 Dicaeidae には、ホウセキドリ類とよばれるも かい座にある実視等級九・五等の暗い赤色の尾 ) ともいい、属名のフイソステギアでよぶこ アルファ のも含めて、七属約五八種が含まれている。全であるが、花は大きく、よく開く。九月中旬か ともある。茎は直立し、高さ〇・六 星。ケンタウルス座星の四・三光年に次い きよし ひしん 長七 ~ 一九弩。大部分の種は全長一〇以下のら下旬播きで、一二月以降、短日の真冬でもよ 。葉は対生し、披針形で鋸歯がある。七 ~ で二番目に近い直星で、距離は五・九光年。一 〈横山二郎〉 く開花する。 小鳥で、雄は一般に赤、黄、青、黒などの羽毛 バショウ斗バンヨウ属 をもち、はでな色をしている。雌は緑色やオリ ナナ banana ー。フ褐色を主とした目だたない色である。嘴辷 ~ 、召の英語名であるが、一般には果実を食 は比較的短く、じようぶで、先がとがる。足も用・料理用とするものをさす。 〔特性〕バショウ科の常緑多年草で、高さは二 じようぶである。インドおよび中国南部からオ 一〇に達する。根には定着根と栄養根があ ーストラリアにかけて分布する。多くのものは み - っー」しみ、つ る。茎は葉鞘が互いに抱き合ってできた円柱 開けた林やジャングルの樹冠部にすみ、活発に そうせい かみつ 動き回りながら、花蜜、花に集まる昆虫類、種状の擬茎で、上端から葉身を叢生する。花茎は 葉叢基部から抽出する。この際に直立性の花序 子、小形の果物や漿果を食べている。ハナドリ 類は花で採食することが多いので、花枌の媒介をつけるフェイバナナ groupZM. きミ に役だっている。また種子 ( とくにヤドリギの Mac. を除き、花茎は伸びるにつれて垂れ下が わん 種子 ) を媒介するものがいる。巣は椀形か、枝り、その先端に擬宝珠状に包葉をつけ、包葉が えき からつり下がった袋状で、一腹の卵は普通二先部のつばみを包む。花は各包葉の腋部に二列 につく。その花序の基部に雌花を、中央部に両 個。チッ、チッと聞こえるような声で、飛行中 〈森岡弘之〉性花を、先部に雄花をつける。雄花は雄しべ五 、な、どに良可 / 、。 たちおどり 本、雌花は雌しべ一本で、子房は三室。果実 はなとりおどり 0 太刀踊 花取踊 は、野生型は多くの種子をつけるが、栽培型に ハナトリカフト〔花鳥兜〕」 4 きミ、ミミ き、ミミミ = Debx. キンボウゲ科の多年草。は種子はほとんどない。種子は灰黒色、不斉の の道ン さ海ザ 中国原産。有毒植物で植物全体に毒を含むが、球形で径は三 ~ 四 : リ。各果房を果掌 hand 、各 き 大 , 計ロ 果実を果指 finger とよび、生食用種で長さ六 とくに根に多い。茎は直立し、高さ〇・六 のる時 一誇花ス計 ~ 二〇弩、径二・五弩であるが、料理用種には 一・五葉は質が厚く光沢があり、長さ六 界をのイ時 計世盤町ス花 長さ三〇弩、径七に達するものもある。果指 、深く三裂する。九 ~ 一〇月、茎の先に 時字更司の 花〔文」音〔ヌ総状花序をつくり、青紫色の花を多数密集して数は二〇 ~ 三〇〇〇、果色は淡黄から褐赤色 8 やっ もミ第立 ン

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ぬくて いちのみやめきさきじん 貫前神社ぬきさきじんじゃ 0 一之宮貫前神から南画を教授され、東海道、中山道を経て、 糠みそ漬けぬかみそづけ米糠に食塩と水色止めをしてよい色に漬かる。漬け込み時間は 一時江戸にもとどまったが、のち京都に須静塾 をあわせ、乳酸菌を繁殖させた糠みそ ( 糠床 ) 材料の大小、切り方、床の状態、季節で変わ社 を開いて儒学を講じた。晩年は、もつばら書家 に、野菜類を漬けたもの。漬けた材料に、糠床り、早いものでは三時間ぐらいから、遅いもの抜取り検査ぬきとりけんさ sampling in ・ としての名声を博して京都第一とうたわれた。 spection 品質管理に関する用語。検査とは、 からの風味や酸味が移り、特有の香味を与えで三 ~ 四日かかる。 ーうじよ・つ 糠みそ漬けの栄養上の特徴は、米糠に含まれ製品をなんらかの方法で測定した結果を判定基古碑法帖の優品を学んでそこから一歩ぬきん る。一名どぶ漬けともいう。日本独得の漬物 ぺいあんまき るビタミンが材料に移行すること、また、乳準と比較して、個々の製品の良・不良、またはでた品格の高い独自の書風は、市河米庵、巻 で、江戸時代にはほとんどの家庭で普及してい りよう - 一 ロット ( 検査対象となるひとまとめの検査単位菱湖とともに「幕末の三筆」と称され、明冶 た。糠みそ漬けの原形は醸造なめみその一種で酸菌の増殖によっても増加することである。 〈松原茂〉 面を受けた。 の書壇でも高い評イ ある後藤みそ ( 五斗みそ ) といわれ、調味料と 比較的短時間に漬けるためビタミン 0 の給源との製品の集まり ) の合格・不合格を判定するこ とである。製品数が多すぎて、全製品の検査がヌグ 0 ニガーシード しても用いられていたものである。 もなり、また年間を通して各種の野菜が用いら しくつかの製品を抜き出し ヌクアロファ Nukua10fa 南太平洋、ト 糠床の作り方は人により好みが違い、材料のれる点でも副菜として大きな位置を占めてきできない場合には、、 ンガ王国の首都。南太平洋の主要港の一つ。ト 〈河野友美〉て検査し、製品全体の品質を推定することにな 配合割合は一定していないが、一例をあげる ど′一う ンガタブ島の北岸に位置する。人口二万〇三五 るが、これを抜取り検査という。また、抜取り ーーがわ 0 怒江 と、重量比で米糠一〇に対して塩二・五 ~ 三・ 一八四〇年代にジョージ・ツボウ 検査は完成品について実施するだけではなく、 五、水一〇 ~ 一三くらいである。水に塩を入れ貫ぬき木造建築において、柱を横に貫い て煮溶かし、冷ましてから糠とあわせて混ぜて、柱と柱を結び付ける部材。現在は、厚さ九生産工程の途中でも行われ、これを工程抜取り一世がここに都を置いて以来、つねに政治・経 る。できた糠床はすぐには使えない。捨て漬け ー . メートル、せい ( 材の上端と下端間の距離 ) 検査という。統計学の発達により、全製品の検済の中心であり、港町として発展した。緑の 木々と花壇に彩られた町並みは、ヌクアロファ といって、ダイコンの葉、ハクサイ、キャベッ九メートル程度の板を用いるのが普通であ査と同じ品質水準の維持を可能にしている。 一般に、抜取り検査の成否は製品母集団からの原語の意味「愛の家」にふさわしい。王宮、 など水分の多い野菜類を漬けて床をなれさせるる。古代には、柱と柱を結び付けるのに長押を かしらぬき 王立礼拝堂、王の墳墓などがある。〈大島襄二〉 の試料 ( 実際に検査するために抜き取った製品 必要がある。野菜は漬かったら取り替え、糠床使い、貫は柱の頂部をつなぐ頭貫だけであっ は底からよくかき混ぜる。一週間くらいで床は た。中世の初めに長押にかわって貫で柱をつなで、サンプルともよぶ ) の抽出方法にかかってヌクス HYKycZNukus ソ連南部、ウズ からようてんじく いる。もっとも多く使用される抜取り検査の方べク共和国を構成するカラカルバク自治共和国 柔らかく発酵してくるので、あとは本漬けに用 ぐ唐様・天竺様の二様式が伝わってから、広く の首都。アムダリヤがアラル海に注ぐ沖積低地 いる。糠の中に昆布、麹、からし、唐辛子など貫が使われるようになった。唐様や天竺様の仏式には、一回抽出した試料が許容不良数を超え を加えるといっそう風味が増す。発酵を早める殿では、貫を現していた。民家でも貫を意匠的ない場合には全製品を合格とする一回抜取り検に位置する。人口一三万九〇〇〇 ( 一九会 ) 。 八六〇年代に中央アジアのトルコ族の山村とし に現している場合がみられる。書院造の座敷で査、一回抜取りで一定基準に従って判定できな ためには、よくなれた糠みそをすこし混ぜると 場合に、二回目の抜取りによって合否を決めて誕生、一九三二年に市となり、三九年より同 よい。食パンやイーストもよいが、加えすぎる は長押を用いるのが普通であるが、その場合でい も貫がかならす使われている。しかし貫を現する二回抜取り検査、さらにロットについて多数自治共和国の首都。・フハラ、サマルカンドを経 と糠みそ床は酸味が強くなる。糠みそは毎日か ことはなく、壁の中に塗り込めている。現代の回の抜取りを実施する多数回抜取り検査などがてタシケントに通じる鉄道が通り、自動車道も き混ぜて、すみずみまで空気を入れることがた 〈平井聖〉ある。さらに、消費者保護の面から抜取り検査整備されている。自治共和国の工業生産高の一 いせつである。混ぜ方が悪いと、嫌気性の不快木造住宅でも同様である。 やきん をみると、ロット品質保護の方式と平均品質保五 % を占め、とくに冶金工業が注目される。ほ なにおいを出す菌類が繁殖し風味が悪くなる。 淡し画宗え画み江宗し 護の方式がある。このほか、品質特性が正規分かに油脂、家具、縫製、食品工業も盛ん。大 漬けているうちに水分が多くなり床が柔らかく 本と , 南な」近済と 絹家がな雅は臨所 布に従うと仮定できる場合とできない場合など学、科学アカデミー支部があり、文化、学術の なれば新しい糠と塩を足す。 0 書だ的温寺な名 〈山下脩二〉 のときの計量抜取り検査がある。〈玄光男〉中心地でもある。 漬ける材料はナス、キュウリ、ダイコン、カ ・る屋統 , 源名の は・ - ゅ・つ 景す海正ぎ永有葉 ヌクテー C ミ、 ~ き ~ 、 s をき哺乳綱 。フ、ウリ、ハクサイなど各種のものが使える。 貫名海屋ぬきなかいおく ( 一七大 表るも継。の紅る 火 9 あわ , れ 屋 不 & 代れてけた剽 戸末期の儒者、書家、画家。阿波 ( 徳島県 ) の食肉目イヌ科の動物。ヌクテーは、オオカミの 材料は洗って塩もみしてから漬ける。ナスでは でら 海〕怩をらし受 あわじのかみ 末知とを描茲寺知 人。藩の家老、稲田淡路守の弓術指南であった中形亜種チョウセンオオカミ ( チ・ヘットオオカ 古釘をよく洗って床に加えると、鉄分がナスの 貫彩幕て家画をのて 吉井直幸の二男として生まれ、二七歳のとき本ミ ) の朝鮮名であるが、ときにドール ( アカオ しげるあぎな 姓である貫名氏を名のる。名は苞、字は子善まオカミ ) をも混称する。体長九〇 ~ 一三〇 、弩、肩毛一〇 ~ 一二弩、体側毛 たは君茂。通称を政三郎、のち省吾あるいは泰肩高六二 ~ 七六 しゅうすい ・イ次郎といい、拾翠、海仙、海客、林屋、海屋、四 ~ 六弩、下毛が長い。ニホンオオカミより大 かいそうすうおう 海叟、菘翁、菘叟のほか、摘菘翁、方竹山人、きく、四肢が長く、吻がはるかに細長い。体毛 須静主人など多くの号を用いた。徳島の西宣行は北方の亜種より黄色みを帯び灰黄褐色、背筋 ルみ記人てカ ( 双渓 ) に書の手ほどきを受け、絵は藩の絵師に端の黒い毛からなる暗色帯があり、ロの周 のりひろかのう り、のど、頬は白く、目の周りが淡色。ときに で祖父にあたる矢野典博に狩野派を学んだ。ま こうやさん た、伯父を頼って高野山に登り、山内の図書を全身黒色のものがある。トルコ、イランから天 学ぶと同時に、空海の真跡に接してその影響を山山脈、ヒマラヤ地方、チベット、中国大陸の 受け、下山後は、大坂の儒者、中井竹山の懐徳中部と北部を通り、朝半島、沿海州まで分布 - ・ ~ 4 イん第 堂に入り、その塾頭となった。やがて書画研究する。朝鮮半島ではほとんど全域の山地に出没 9 〈今泉吉典〉 2 のため諸国を遊歴し、ことに長崎では日高鉄翁する。↓オオカミ くぎ じゃ

5. 日本大百科全書 18

ナ . カビリーなどの音楽ショーと映画の併映で人気流がしげくなるにつれてしだいにその数を増師の減少のほかにドッグショーが関与しているの理由は、古い日本犬の骨は小形であったのに レビュー人気の低下と都心再開発し、在来種との交流も進んだ。とくに明治時代と思われる。犬種団体はかっては日本犬を大対し、ニホンオオカミの骨は、大形であったこ んを集めたが、 とである。 まの要請で、八一年 ( 昭和五六 ) 二月一五日閉になると、闘犬の流行もあって雑化は急速に進形、中形、小形と分け、地域色を重視しなかっ たため、ドッグショーの上位入賞を目ざして、 近年、イヌの血液に含まれている種々のタン 〈水落潔〉んだ。身近に見慣れた在来種より、珍しい西洋 こ館、取り壊された。 ー・にゆ・つ ハク質の型について生化遺伝学的に調べられ、 日本大にほんけん乳綱食肉目イヌ科に属犬に人々の目がひかれた結果、徐々に純度の高中形どうしなら北海道犬と四国犬とか、紀州犬 する家畜イヌのうち、日本土着の立ち耳、巻き い日本犬は姿を消していった。しかし、数が少と四国犬といった異系交配がなされたことがあその型を支配している遺伝子の構成比率の犬種 間の違いについてコンピュータを使って分析が 尾または差し尾をもっ品種の総称。犬種団体なくなってようやく保存運動がおこり、一九一一る。中形に入るにはサイズが大きすぎ、大形に は不足のマタギ犬はショーでは不利で、自然に 行われた。その結果、血液タンバク質型を支配 ( 日本犬保存会、など ) が現在認める日 八年 ( 昭和三 ) 日本大保存会が設立され、血統 している遺伝子構成が、日本犬種と西洋犬種と 本犬は、秋田犬、北海道犬、紀州犬、四国犬、台帳の作成や、品種の保存と改良が本格的に行中形大のなかに吸収されたようである。 は著しく異なっていた。日本大種のなかでは、 小形犬である柴犬にも、信州柴のはか山陰小 甲斐犬、柴犬の六犬種である。ほかに、土着でわれるようになった。 北海道犬は台湾の高山地方の在来犬種と近かっ かって日本犬には、全国各地にその土地の名形などがあったが、現在の柴犬はほとんど信州 はないが日本を原産国とする品種としては、チ た。また北海道犬を除く日本犬種の遺伝子構成 ン、日本テリア、土佐闘犬、日本スピッツなどをつけられた多くの系統がみられた。文部省は柴の系統である。しかし、地域的には山陰小形 もまだ飼育されている。最近は異系交配は影をは、韓国の在来犬種である珍島犬と多くの類似 があるが、これらは日本犬とはよばない。 純度の高い在来種を文化財として天然記念物に 〔歴史と用途〕日本にもイヌ科の野生種として指定し保存を図った。日本大種のうち天然記念潜め、各地方色豊かな犬種がそれそれ一犬種と性がみいだされた。このことから、日本国土に は初め南方から入った古いイヌがいて、その後 ニホンオオカミが生息したが、これは日本犬の物の指定を受けた品種には秋田犬 ( 一九三一年して認められている。山陰小形にも復活の道は 先祖とは考えられていない。日本犬の先祖は、 七月指定 ) 、甲斐犬 ( 三四年一月 ) 、紀州大 ( 三残されていよう。また、岐阜・愛知地方には、朝鮮半島から新たにイヌが入り、この両者の混 みの 人の移住につれて日本へ渡来したとみなされて四年五月 ) 、越の犬 ( 三四年一二月。絶滅とみ戦前から美濃柴といわれる小形犬がいた。この血により現在の大部分の日本犬種の祖先がつく いる。日本最古の家イヌの化石は、神奈川県な なされる ) 、柴犬 ( 三六年一二月 ) 、四国犬 ( 三美濃柴は、短胴のものがみられること、毛色が られたと考えられた。北海道犬では、この混血 ひあか どの貝塚で発掘され、九五〇〇年ほど前のもの七年六月 ) 、北海道犬 ( 三七年一二月 ) がある。 独特の緋赤のものが多いこと、舌に黒斑をもつがほとんど行われなかったと推定された。この といわれている。日本犬は主として獣猟犬とし〔現状〕現在、日本犬は品種として固定され、ものが出ることなどから、その純度を疑われ公ような日本犬の起源は、日本に先住民族として やよい て、中形のものはクマ、シカ、野生イノシシ猟根強いファンを有している。第二次世界大戦認犬種にはなっていない。しかし、遺伝子構成縄文人がおり、その後朝鮮半島を経て弥生人が に、小形のものは小獣、鳥猟などに用いられて後、秋田犬はアメリカ合衆国西部に渡り愛好者上は紛れもない日本犬の一系統とされるもので渡来したという、人の歴史との関連が注目され きたが、西洋犬種のように体形に著しい人為的を増やした。最近は小形の柴犬の海外進出もみあり、信州柴に押される山陰小形ともども貴重る。北海道のアイヌが古い型のイヌをもってお 影響を及ばすような作出はなされず、むしろ自 られ、日本犬のなかで飼育数、輸出数ともそのな在来種といえよう。そのほかの小形犬種とし り、これが現在の北海道犬になったと考えられ 亠こつま る。↓イヌ 〈田名部雄一〉 然のままに飼育されてきた。 伸びが著しい。前述の六犬種のほか、かってはては、薩摩犬、四国小形もみられなくなってい 〈増井光子〉回田名部雄一著『犬から探る古代日本人の謎』 〔保存〕長い歴史を有する日本犬であるが、大マタギ犬なども存在したが、現在はごく少数がる。 〔渡来経路〕前述のように日本犬は、古い骨か 正時代に入るまでは特別に保存しようという運愛好者に飼育されているにすぎず、戦後多少み ( 一九会・研究所 ) られた岩手マタギは中形犬のなかに吸収された 動もおこらなかった。西洋犬種の渡来は一五八 らみてニホンオオカミ ( すでに絶滅した ) から日本原子力研究所にほんげんしりよくけんき は′れー ) め・、ま・、け・んキ 1 ゅ、つしし画 三年 ( 天正一一 ) にすでにみられ、外国との交とみられる。このマタギ犬の衰退には、専門猟家畜化されたのではないと考えられている。そゅうじよ 0 原子力研究所 にほんけんちく 多く、それらは壁を主体とする面的な構成をとるのに対し、 日本建築 日本建築の変遷 日本建築では線的な構成となる。入口や窓などの開口部を例 まぐさ 「日本建築の変遷」先史時代 / 飛鳥・奈良時代 / 平安時にとれば、日本建築ではその上部に楯とよぶ水平材を置く 〔先史時代〕わが国の建築もまず住居から始まるが、先土器 代 / 鎌倉時代 / 室町・桃山時代 / 江戸時代 が、外国のそれでは湾曲するアーチでせり上げるのが通例で時代は岩陰や洞穴がイ 主居に利用されており、木材を一部組み たてあな 「日本の近代・現代建築〕西洋建築移植時代 / 欧米追随ある。いわば日本建築は組立て式であり、西欧諸国の建築は立てたような住居は縄文早期の竪穴住居に初例がある。これ からの脱皮 / 分離派と日本の / 国粋主義の積み上げ式である。日本は古くから建築用木材に恵まれてい は日本の各地でつくられたが、地面に穴を掘り、その上に屋 ひのこぎり 風潮 / 現代 たが、巨材を挽く鋸がなく、製材上の工具に難があったた 根をかぶせた単純なものであった。 もくめ く、び たかゆか め、もつばら木目に楔を打ち込んで裂き割る方法がとられ 竪穴住居に次ぐ建築としては、弥生前期に出現する高床倉 日本建築は伝統的には中国建築の一支流として位置づけら た。そのため、平滑に裂けやすく耐用年数も長いヒノキが多庫がある。竪穴と違って高床の建築は地上に高くつくられる れ、木造建築が主流を占める。したがって柱や梁など直線的用された。室町時代中期に大鋸が用いられるようになり、各ので、建物内は乾燥し、倉庫のみならす、弥生後期には住居 な材料で組み立てた構造となるが、中国建築の多くが本材の種木材の製材が容易になったが、それまではほとんどの用材 としても建てられるようになり、古墳時代へと至る。弥生時 けさだすきもんどうたく 露出部を彩色するのに対し、日本建築では白木のままを基本がヒノキで占められていた。マツは中世以降、各所で多用さ代の高床倉庫は、伝香川県出土「袈裟襷文銅鐸」 ( 国宝 ) の むなもちばしら から一 ) れるようになったが、 とするなど、中国とは異なる特質を有している。 スギは軟らかいため主要材とはなら棟持柱のある印刻や、奈良県田原本町唐古遺跡出土土器の へ、つがき 一方、西欧諸国など外国の建築はれんが造や石造のものがず、近世以降に住宅の用材として利用されている。 篦書などによりその形が知られる。 おおが - 」くはん やよい

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ま き、これを異形葉とよぶ。↓異形葉 低出葉の一つであり、花を葉腋に抱く包葉は高 五十音図第六行第一段の仮名で、平仮名ける働きももつ。托葉はシダ植物や裸子植物に がくへん ③葉脈葉には、葉の中における物質の移動に出葉である。花の構成要素である萼片、花弁、 の「は」は「波」の草体から、片仮名の「ハ」 はなく、被子植物のうち、とくに双子葉植物に は「八」からできたものである。万葉仮名では多くみられる。普通、托葉は葉の基部に一対あ役だっ葉脈がある。葉脈は次のように大別され雄しべ、心皮も葉に類するものと解釈すること 「波、破、婆、簸、八、半、伴、泙、絆、方、り、若い葉身を保護する役割をもっと考えられる。おもな葉脈から比較的細い葉脈に至るまでができる。このように、普通葉をはじめとして 芳、巴、播 ( 以上音仮名 ) 、早、羽、葉、速、るものが多い。また、葉の基部の托葉に相当す葉脈が網目をつくる場合を網状脈とよび、この葉に類するものをまとめて葉的器官とよぶこと ようしよう 齒 ( 以上訓仮名 ) 」などが清音に使われ、「伐、る部分が葉鞘となるものも多く、葉鞘と托葉うち、おもな脈が羽状となる場合を羽状脈、おがある。サポテン類の針は形態学的には短枝の 婆、麼、縻、磨、魔 ( 以上音仮名のみ ) 」など との関係が問題とされることもある。 もな脈が掌状に分かれる場合を掌状脈とよぶ。葉に相当するとみられるところから、葉的器官 が濁音に使われた。ほかに草仮名としては「け ' ②単葉と複葉葉は、葉身の部分の形から、単また、おもな葉脈が平行となる場合を平行脈、の一つとして扱われ、葉針とよばれる。メギの 葉と複葉とに区別することができる。単葉とは葉脈が二又に分かれることを繰り返す場合を一一針も葉針である。しかし、ニセアカシアの針は ( 八 ) 」「 ( 葉 ) 」「 ( 羽 ) 」「わ ( 破 ) 」などが葉身が一つの葉状の部分からなる葉であり、複又脈とよぶ。網状脈は双子葉植物に多く、平行托葉に相当するものであり、エンドウの巻きひ ある。 げは葉身の一部に相当する。 葉とは葉身が複数の葉状の部分、すなわち小葉脈は単子葉植物に多い。また、二又脈は、多く 音韻的には、、 ha/ ( 濁音 /ba 、、、半濁音 /pa/ ) に分かれている葉をいう。一般に葉柄から葉身のシダ類と裸子植物のイチョウにみられる。↓ 〔葉の寿命〕幼い葉は、芽の中で、種類によっ - 一うとう てさまざまな形に巻いている ( 幼葉態という ) で、喉頭無声摩擦音「 h 」 ( 両唇有声破裂音 の中央を通って葉の先端に至る部分を葉軸とい葉脈 「 b 」、両唇無声破裂音「を ) を子音にもつ。 うが、複葉のうち、葉軸を挟んで複数の小葉が ④葉の組織普通葉が光合成を行うことから、 が、芽の展開に伴って平面的な形となるのが普 このうち、普通葉の組織には、光合成を行う葉緑体を顕著通である。展開のあとの普通葉の寿命は、落葉 古く中央語のハの子音は、両唇無声破裂音左右に並ぶものを羽状複葉といし 「をから両唇無声摩擦音〔今」に変化し、さ先端に小葉のつくものを奇数羽状複葉、先端に にもっ葉肉 ( 葉肉組織 ) が目だっ。もっとも普樹であれば春から秋の紅葉までの期間である らに江戸時代になって「 h 」になったものと考 小葉がないものを偶数羽状複葉とよぶ。また、通の場合、葉の横断面をつくってみると、いちが、常緑樹では一年から数年のものまでとさま えられる。 〈上野和昭〉葉柄の先端に小葉が放射状に三つ以上っくものばん上に上側の表皮、その下に葉肉組織の一つ ざまである。マッ属のある種では、針状葉が四 である柵状組織、ついで同じく葉肉組織の海綿〇年近くも生きていると報告されているし、ア 葉は leaf 植物の器官の一つ。普通は茎のを掌状複葉とよぶ。 へんべい 複葉の小葉の一枚と単葉の一枚とはよく似て状組織、そしていちばん下に下側の表皮があフリカの砂漠に生育する風変わりな裸子植物で 周りに規則的に配列し、光合成を行う扁平な形 をもっ緑色の器官である。しかし、なかには光 いる場合がある。とくにフシ ・、バラなどの奇数る。表皮のところどころには気孔があり、特別あるウエルウィッチアは終生伸び続ける一対の 合成の機能をもたない葉、扁平ではない葉など羽状複葉は一本の枝につく単葉と似ている。しの形をもった二つの孔辺細胞に囲まれている。葉をもち、しかも、それが一〇〇〇年を超える さまざまなものがある。 かし、単葉であるか、複葉の小葉であるかの区気孔は葉の下側に多い。孔辺細胞の働きによっ寿命をもっといわれている。↓紅葉↓ウエル ようへい たくよう えきが ウィッチア 〈原襄〉 〔普通葉〕①葉身・葉柄・托葉光合成を行う 別は、腋芽によって知ることができる。腋芽はて気孔が開閉し、光合成、呼吸、蒸散といった 緑色の葉を普通葉とよぶ。普通葉には、葉身と一枚の葉の葉腋につくものであり、小葉と単葉植物体内と外界との間のガス交換が行われる。歯は ( 00 ( h ロ腔内に露出している硬組織 かんげき 葉柄と托葉の三つの部分が区別されるが、このは、腋芽のつく位置、葉柄と茎との組織の相違葉肉組織の細胞間には、豊富な細胞間隙 ( 空気の構造物で、審美性、発音、そしやく等の機能 などによって区別できる。 すべての部分を備えている葉を完全葉、このう 間隙 ) があり、葉の組織の細胞はこの間隙と気を営む。 単葉の葉身、小葉の小葉身には線形、針形、孔を通して外界との気体の交換を行うことがで 〔歯の発生〕ヒトでは、胎生期五 ~ 六週ごろに ちの一つまたは一一つの部分を欠く葉を不完全葉 とよぶ。葉身は、普通、平面的な形で日光を受円形、卵形などさまざまな形がある。また、葉きる。↓葉肉 外胚葉性のロ腔粘膜上皮が厚くなり、堤防のよ きよし けやすく、葉の主要な働きである光合成を活発の周縁に鋸歯 ( ぎざぎざ ) のあるもの、欠刻 〔普通葉以外の葉〕葉には、普通葉のほかに、 うに垂直に間葉組織内に進入し、歯堤を形成す びよう に行う部分である。葉柄は茎と葉身を連絡する ( 切れ込み ) のあるもの、鋸歯も欠刻もないも植物体の最初の葉である子葉、シュート ( 苗る。この歯堤からエナメル器を生じ、エナメル じよ - っ 部分であるとともに、この部分がその成長過程の ( 全縁とよばれる ) などがある。なお、一つ 条 ) の比較的下につく低出葉、シュートの上器に囲まれた中胚葉性の歯乳頭とともに歯胚を りんべん で適当にねじれて、葉身を日光のくる方向に向の個体に形や大きさの著しく異なる葉があるとのほうにつく高出葉がある。芽を包む鱗片葉は形成する。胎生期五か月ごろになると、エナメ 0 平仮名〔波〕にロロは 片仮名〔八〕へ八 , 、 478

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はちきよ とうろく ィネ科のタケ・ササ類。高さ二〇、径約一〇 / チクマ〔蜂熊〕 honey buzzard/ 九一一・〇キ。。全線単線。関東山地東麓の集落を ふつ ~ はんのうよりい 弩に達する。節は二環があり、その点でマダケ Pernis ~ き、ミ s 鳥綱タカ目タカ科の鳥。ュ連ねて走る鉄道で、昭島、福生、飯能、寄居、 7 かん ーラシア中部に分布する。日本には夏鳥として藤岡などの都市が沿線にある。八高北線、南線 と同じであるが、マダケは稈面が濃緑色である のに対し、ハチクは帯白色または灰緑色であ渡来し、四国以北で繁殖する。全長約五七でとして両端から逐次工事を進め、一九三一 ~ 三 はちく る。そのため淡竹の名がついた。タケノコの皮トビよりやや小さい。体の下面の色彩には変化四年 ( 昭和六 ~ 九 ) 開業して、三四年の全通と は淡桃色で長い毛を散生し、マダケのような黒が多いが、上面は褐色で、尾に太い横帯があるともに両線をあわせて八高線とした。列車は倉 ひしん はんもん だけである。低山から山地の林にすみ、とくに賀野より高崎線に乗り入れて、高崎に直通す い斑紋はない。葉は披針形で長さ九 ~ 一一毳 こまがわ ようしよう かたげ ハチの幼虫を好むが、カエルやヘビもとらえる。南部の八王子ー高麗川間では、沿線の都市 幅約一・五社ン。肩毛 ( 葉鞘の上縁の毛 ) は、 ほば直立する。古く中国から渡来し、北海道南る。大木の枝上に営巣する。秋になると群れを化 ( 郊外住宅化 ) が進んでいて、非電化線では 〈青木栄一〉 つくって、同じタカ科のサシバとともに渡りをあるが列車本数は比較的多い 部から冲縄で広く栽培される。稈は強く、とく ちやせんちょうちん はちじかんろうどうせし 一日 〈高野伸二〉 に細割りがきくので、茶筅や提灯の骨の材料する。図膨タカ 八時間労働制 、一うちょう の労働時間を八時間とする制度。この制度を初 ー・るい腔腸動物門の一 とする。母種クロチクは稈は初め緑色で、二 ~ ハチクラゲ類 三年後に黒紫色に変わる。図要タケ〈鈴木貞雄〉綱 Scyphozoa の海産動物の総称。ハチムシ類めて確立したのは、オーストラリアのメルポル / チクイ「蜂喰〕 bee eate 「広義には鳥ともいう。一部の例外を除いてポリプとクラゲンの建築労働組合が一八五六年に締結した労働 反 ( 「国家」すなわち天皇を害することを謀る綱ブッポウソウ目ハチクイ科に属する鳥の総称の両方の世代をもつ。一般にポリブ世代は小形協約であるといわれているが、この制度が多く ぼうだいぎやく 罪 ) 、謀大逆 ( 山陵または皇居を毀っことをで、狭義にはそのうちの一種をさす。この科で目だたないが、それに対してクラゲ世代は大の国で一般化されるようになるのは第一次世界 むほん 謀る罪 ) 、圓謀叛 ( 内乱または外患を謀る罪 ) 、 Meropidae の仲間は三属二三種があり、アフ形となり、クラゲとしてよく発達していること大戦後のことである。 が多い。ポリプ、クラゲともに、同じ腔腸動物 労働時間の短縮を求める運動は、最初一〇時 リカ、ヨーロッパ南部、インド、東南アジア、 悪逆 ( 祖父母・父母を殴り殺そうと謀り、伯 しゆくふ 間労働を求める連動として始められたが、これ 叔父・姑〈父の姉妹〉などを殺す罪 ) 、国不道南太平洋の島々、オーストラリアなどに分布すの別の一綱であるヒドロ虫類のそれよりも、そ が確立すると九時間労働制、さらに八時間労働 の構造はより発達している。ポリプの胃腔内に ( 一家の死罪にあたらない者三人を殺すなどのる。全長一七 ~ 三五弩、体は赤、緑、黄、青、 ろうと だいふきよう は縦に四つの隔膜があり、またロ盤上には漏斗制が要求されるようになった。とくに、カー 罪 ) 、肉大不敬 ( 大社を毀ち、天皇の御物を盗茶、黒と色彩豊富で、嘴は細くて下に曲がり、 ひばう ル・マルクスによって一八六六年に創立された み、天皇を誹謗し、詔使の命に従わないなどの中央尾羽は伸びてとがっている。や土に穴を管とよばれる四つのくばみがつくられている。 ふきよう また、クラゲはその傘縁に普通一六個以上の縁国際労働者協会 ( 第一インターナショナル ) 罪 ) 、旧不孝 ( 祖父母・父母を告訴し、または掘って、集団で繁殖する。飛んでいるハチ、ト ちゅ、つ・ごっ ちょうない のろののし 詛い罵るなどの罪 ) 、 Z 不義 ( 帳内・資人が主ンボ、甲虫などを空中でとらえ、枝や石に止ま弁をもち、また中膠が発達し、胃腔には勝は、八時間労働制を要求して各国の労働者が運 人を殺し、本国の守または恩師などを殺し、夫って食べる。とくにハチ類が主食で、ハチクイ葉に囲まれて下傘側に胃糸が生じている。生殖動を強化することを呼びかけた。さらに八六年 腺はヒドロ虫類の場合とは異なって内胚葉から五月一日には、アメリカの労働組合が八時間労 の喪中に再婚するなどの罪 ) 、である。悪逆以の名もこの食性に由来する。 働制を要求して全国的なゼネストを行った。八 種のハチクイミ e き ) ミき、 ~ 、 s は、オース生ずる。 下は別に規定される犯罪のうち、とくに名教を 受精卵はプラヌラ幼生となり、プラヌラは海九年に創立された第二インターナショナルは、 トラリア、ニューギニア島などに分布し、全長 損ずるものをあげたものである。総括すれば、 りつりよう この日を記念して国際連帯の日 ( メーデー ) と 律令国家の秩序維持に重要なものを八虐と称約二〇弩、体は緑色で背や尾は青色、過眼線と底に付着して小形のハチボリプとなるが、この ぎしようげんしよく ハチボリプからは無性的にエフィラとよばれる定めるとともに、八時間労働制を国際労働運動 したのである。八虐を犯した者は議請減・贖胸に黒い帯がある。一九〇四年 ( 明治三七 ) 宮 じようしゃ 小さな幼クラゲが生する。ミズクラゲなどでの共通要求として決議した。↓メーデー 〈高野伸一一〉 の特典を失うし、また常赦にあっても赦され古島での記録がある。 こうした運動の高揚を背景に、二〇世紀にな なかった。なお、「謀る」は未遂または二人以 / チクイモドキ〔蜂喰擬〕 motmot 広は、付着したハチボリプは皿を重ねたような形 のストロビラというものになり、それが上方かると先進諸国を中、いに八時間労働制がしだいに 〈石井良助〉義には鳥綱・フッポウソウ目ハチクイモドキ科に 上の共謀を意味する。 局はちきよく維新政府中央官制の事務属する鳥の総称で、狭義にはそのうちの一種をら一つずつ離れてエフィラとなって泳ぎ出る。確立し、さらに第一次大戦後になると急速に普 じゅうもんじ さす。この科 Momotidae の仲間は六属八種本綱に属する十文字クラゲ目のものだけは一及した。一九一九年に創立された国際労働機関 分課に基づく官制。一 八六八年 ( 慶応四 ) 二月 三日、それまでの三職七科の官制を改め、三職があり、中央・南アメリカの熱帯森林にすむ。生付着生活を送っており、このような世代交代 (*-;O) は、その第一回総会において「工業 一じよう さんよ 的企業における労働時間を一日八時間かつ一週 すなわち総裁職、議定職、参与職の下に、総裁全長一七 ~ 五〇弩、体は緑色、緑褐色、赤褐色はみられない。 くちばし ハチクラゲ綱は十文字クラゲ目、立方クラゲ四八時間に制限する条約」 ( 条約第一号 ) を採 などで美しく、嘴は太くてすこし下に曲がり、 局を首位に神祇、内国、外国、軍防、会計、刑 はたくち ねくち かむり 縁にはぎざぎざがある。第三、第四の足指が癒目、冠クラゲ目、旗ロクラゲ目、根ロクラゲ目択し、また三〇年には、商業・事務労働者の八 法、制度の各事務局を設けた。総裁局は特別に ありすがわのみやたるひと に分けられるが、このうち立方クラゲ目だけは時間労働制に関する条約 ( 条約第三〇号 ) を採 総裁 ( 有栖川宮熾仁 ) と副総裁を置いたが、着している。中央尾羽は長く伸び、先端はラケ えさ ット状になっている。餌は昆虫、小形のトカほかの目とは別に、一つの独立した綱とすべき択した。 各局の長官は督、次位を輔とし、督には議定 わが国では第二次大戦前に八時間労働制は確 であるとする学者もある。ハチクラゲ類はすべ が、輔には参与が兼任となって就任した。明冶ゲ、果実などである。 だじようかん 種のハチクイモドキミ。きき、 s ミ。き。きはメて海産で、ミズクラゲ、アカクラゲ、ユウレイ立せす、戦後制定された労働基準法 ( 昭和二一一 太政官官制における中央行政機構であるが、 うるう クラゲ、タコクラゲ、ビゼンクラゲなど、日本年法律四九号 ) によって、初めて一日八時間 この官制もまもなく閏四月二一日の政体書によキシコからアルゼンチンにかけて熱帯の森林に 週四八時間制が採用されるようになった。しか る官制に改められた。↓政体書〈佐々木克〉すみ、全長約四〇弩、頭部はコバルトと黒、襟沿岸に普通の種類が多い。↓クラゲ〈山田真弓〉 と下面は黄褐色、背は緑で尾は青色である。土 八高線はちこうせん東日本旅客鉄道の線路し、わが国の労働基準法には時間外労働の最高 / チク「淡竹〕 P 三ミ os 、ミを s こき くらがの 限度を規制する条項がないため、その規制を条 (Lodd. ) Munro var. きこ s (Bean) Stapf 手や崖に横穴を掘って巣とする。〈高野伸一一〉名称。八王子 ( 東京都 ) ー倉賀野 ( 群馬県 ) 間 じん ハチクイ よ、つ せん あきしま

8. 日本大百科全書 18

はこべ 柄 尾る とえ れが ひか 魚か 幼す よ 、水 魚 成て し 「、カ 動 ク グを コ コ は防がないが、室内を戸外にまで広げる役目やユートの役目をする。七月ごろから羽化が始ま れを使って逃げる。産卵期は夏で、雄一尾に雌びアジア、アフリカ、ヨーロッパの温帯を中心 テラスを涼しくする役目を果たし、隣の二階かる。ヒメべッコウハゴロモ R 0 ミ、ミミ に広く分布する。これによく似たコハコペ S. 二 ~ 四尾でハレムを形成する。卵は分離浮性卵 らの視線も遮る。材料にはアルミ、フレキシプはやや小形で、イネやサトウキビなどに多く、 である。幼魚は甲らが鮮やかな黄色で黒点が散ミ d (). ) Villars は、茎は赤褐色を帯び、 〈中村仁〉ときには害を与える。スケバハゴロモ E ~ 、ユ c や 在する。肉は無毒で、甲らは熱を加えると容易葉はやや小さく、種子の突起は顕著でない。道ルシート、木などがある。 コロド Bacolod フィリピン中西部、ネミを s は、前翅の透明部が広く、脈も少 にとれるので食用にする所もある。また、本種端や田畑に普通に生え、日本全土、および温帯 ない。クワのほか種々の樹木に群生する。アミ は、ほかの魚と同じ水槽で飼うことはできなを中心に全世界に分布する。普通はミドリハコグロス島西岸の都市。ネグロス・オクシデンタ 皮膚から粘液毒を出してほかの魚を弱らせべとコハコペを区別せずにハコペとよび、小鳥ル州の州都。人口二六万二四一五 ( 一九八 0) 。フガサハゴロモ Poc 2 ミ b 。き c ミミ。は、前翅 は′、 2 な . れ えさ ィリピン随一の砂糖生産地である同州の行政、が黒褐色で、前縁に一白斑をもつ。カシ類のほ の餌や春の七草の一つとして親しまれる。 るからである。 ハコペ属は、北半球の温帯を中心に約一〇〇流通の中心地で、付近に製糖工場も多い。遠浅かいろいろな植物上にみられる。〈林正美〉 ハコフグはハコフグ科 Ostraciidae の魚の はごろも能の曲目。三番目物。五流 〈三木栄二〉 のため港湾には恵まれず、砂糖の積み出しには 羽衣 総称でもある。日本産のハコフグ科の魚は、コ種知られる。 ぜあみ 〔文化史〕平安時代から食用の記録が残り、南西二五キ。のプルバンダンとパナイ島のイロイ現行。作者は世阿弥ともいうが不明。三保の松 ンゴウフグ属トミ、ミ ( コンゴウフグ、ウミ ↓・ / 、りっ わみようるいじゅしよう 口が用いられる。一九七〇年代からの砂糖産業原の漁夫竜 ( ワキ ) が松にかかった美しい こま野菜 ( 当時は文字どおりの 『倭名類聚鈔』し。 スズメ、シマウミスズメ ) 、 ハコフグ属 9 、ミ・ はくべら の不況のため切実な貧困問題が生じている。住衣をみつけ、家の宝にと持ち帰ろうとする。シ cion ( ハコフグ、クロハコフグ ) 、ラクダハコ野の菜 ) の一つとして、波久倍良の名が載る。 〈高橋彰〉 テの天人が呼びかけ、それは天人の羽衣であ こよ、宮中で用い 民はヒリガイノン語を話す。 フグ属ミ s 。ミ ( ハマフグ、ラクダハコフ鎌倉後期の『年中行事秘抄』し。 はんし ななくさのな は・一べら り、元のところに返すように頼むが、白竜はそ グ ) の三属七種が知られている。本科の魚は硬る七種菜に繋萋の名があがる。ハコペは異名や ハコロモ〔羽衣〕昆虫綱半翅目同翅亜目 かがく い甲らに体を包まれ、腹びれを欠くのが特徴。方言が多いが、ハコペの名は『下学集』 ( 一四四四 ) ビワハゴロモ上科 Fulgoroidea のなかの数科れでは国の宝にと、持ち去ろうとする。羽衣が に初見する。江戸時代には種子を播いて育てたの昆虫を広義の総称とし、そのなかのハゴロモなくては天に帰ることができないという嘆き コンゴウフグ属の体甲の横断面は五角形で背中 きよく に、白竜は月の世界の舞を所望し、羽衣を得た ことが『百姓伝記』にみえ、はこべ汁 ( 『料理科は狭義の総称。 に隆起があり、眼前棘と腰骨棘もある。ハコフ ハゴロモ科は中形種が多く、体長五 ~ 一〇天人は、美しい景色をたたえ、君が代を祝い グ属の体甲の横断面は四角形で隆起も棘もな物語』 ) などにして食べられた。また、干して 、前翅は三角形状に広がりチョウに似る。前舞を舞いつつ、宝を国土にまき散らしながら昇 。ラクダハコフグ属の体甲の横断面は三角形枌にしたのを塩と混ぜたハコペ塩を歯みがきに たんご ふどき 。「丹後国風土記』などの羽衣伝説 天していく で眼前棘、腰骨隆起があり背中に棘もある。本使う習俗もあり、現在も歯茎の出血を防ぐ目的翅には多くの脈があり、とくに前縁脈は長く、 そ、つじよう による能で、外国にも類似の白鳥処女伝説が多 多くの横脈が並び、後縁の爪状部は長く大き 科の魚は、いずれも温帯と熱帯の浅海域に生息で使われることがある。 、。羽衣伝説では天人が漁夫・あるいは農夫と い。頭部は幅広く、前胸背とほば等幅。後脚附 ハコペの語源には諸説あるが、はびこる↓は する。なお、本科の分類上の位置については従 せつ こびる↓はこべら↓はこべの変化が考えられ節第一、第二節は短小で棘を欠き、転節は下向やむなく結婚し、子供ももうけたあとで羽衣を 来論議があったが、最近、骨格の形質に基づい てモンガラカワハギ亜目に属することが確認さる。同様の生態をとらえた、はいずる↓へえずきとなる。成虫、幼虫とも植物体上に生活し、発見して天に帰るのだが、能は天人を清純なま まで昇天させるところに主張がある。 〈松浦啓一〉るの派出とみられるヘずる、ひずる系の方言が幼虫は尾端に糸状の白いろう物質を分泌するも れた。 たまぐすくちょうくん くみおどり 〈湯浅浩史〉のが多い。熱帯地方に多く、とくにアフリカや 沖縄舞踊の組踊、江戸時代の玉城朝薫作 コへ S 、ミミミミミ Weihe ナデ西日本に多い めかるしい 東南アジアに繁栄し、世界で約三〇〇種が知らの『銘苅子』は、この能の翻案であり、沖縄の シコ科の越年草。春の七草の一つ。茎が緑色な ハコャナギ 0 ヤマナラシ ながうた 羽衣伝説の舞踊化。長唄には、江戸期の『天人 ーゴラ pergola 日陰棚の一種で、バラれる。日本産のおもな種類は次のとおり。 のでミドリハコペともいう。茎は柔らかく地表 いっちゅう べッコウハゴロモ 0 き s ミ ~ ををこミ s は茶羽衣』、大正期の『新曲羽衣』があり、一中節 をはい、先は斜め上に伸びる。葉は卵形で長さやフジなどっる性の植物を絡ますようにつくっ そうきよく あずまや に江戸期の『松の羽衣』があり、山田流箏曲 ~ 二垰一、先はとがる。春から夏、茎頂に小花た外廊下風の洋風四阿。イタリア語の。フドウ棚褐色で、前翅には二本の透明な横帯をもつ。ク ときわず から派生した。「緑廊」ともいう。古代エジブズ、クワなどに多く、ときに群生する。卵越冬『松の羽衣』に発展する。常磐津では明治期の をまばらに開く。花弁は白色、深く二裂する。 『松の羽衣』。歌舞伎の『羽衣』は、一八九八年 種子には、ややとがった微小突起がある。道端ト時代から知られ、ルネサンスのころイタリアで、幼虫は白色のろう物質に覆われ、尾端には ( 明治三一 ) の初演で、宙乗りの技法も用いら ーコラは上が抜けているため雨ろう質の糸の束があり、落下時にこれがパラシ や田畑、荒れ地に普通に生え、日本全土、およで広まった。パ。 メ ウ クロハコフグ ノ、マフグ ーノにを 花 676

9. 日本大百科全書 18

の周囲を活性剤、主としてアニオン性または非系白人は一〇万人に約八〇人である。都市別に 水銀一一万両が献納されている ( 東大寺造立供養とを乳化という。乳化は乳化剤を用いることに せおしろい イオン性活性剤が取り囲み、安定な乳化状態にみると、ニューヨーク七五人 ( アメリカ在住日 記 ) 。江戸時代には伊勢白粉の原料として松坂より長時間安定化できる。乳化した液は乳濁液 商人を育てた。神宮寺に当時の採掘用具などがあるいはエマルジョンとよばれる ( 最近ではエなっている。重合は水溶性のラジカル重合開始系人四五人、中国人五〇人 ) 、オックスフォー 保存されている。↓勢和 ( 村 ) 〈伊藤達雄〉 マルションということが多い ) 。乳濁液の分散剤によって水中のミセルから開始していく。反ド五四人、コペンハーゲン四九人である ( 癌発 せぎみつお くづか よ - 一の 囮二万五千分の一地形図「国束山」「横野」 相が油で、連続相が水の場合を水中滴油型応条件も比較的穏和である。その特徴は、多量生率グラフ、瀬木三雄 ) 。日本では一九五五年 ( 昭和三〇 ) 約四五〇〇人、六五年約八〇〇〇 ( % 型 ) 、分散相が水で連続相が油の場合を油中水の水が存在するために系の粘度が低く、重合に 乳液にゆうえき化粧料の一つ。脂肪酸工 人、七五年約一万五〇〇〇人、八五年約四万人 よる発熱の除去が容易であり、粒子径が小さく ステル、ラノリン、スクワラン、流動バラフィ滴型 ( % 型 ) という。乳濁液がどの型になるか ンなどをおもな原料とする液状クリーム liq- ということに、もっとも影響を及ばすものは乳〇・〇五ないし〇・二メートル程度で、活性が乳癌になっており、従来横ばいであった乳癌 化剤である。 剤で保護されてラテックスになっているために発生率は、死亡率とともに六五年から八五年に uid cream0 普通のクリームに比べて、均一 , かけて急増傾向を示しており、今後の動向が注 相互に粘着することがない。ラテックスのまま 広く薄く皮膚に伸ばすことができる。皮膚の表 乳化剤には、油と水に対してそれぞれ適当な 面を乳化された薄い脂肪膜で覆って、脂肪分や親和性をもっことが要求される。界面活性剤の塗料、繊維処理剤として使用できるし、また凝目されている。生活様式の西欧化に伴い発生率 が上昇しており、食生活と関係が深く、その国 水分を補給して皮膚の角質層に潤いを与え、お多くは、この条件を備えているので乳化剤とし固させて通常のポリマー ( 重合体 ) をつくるこ での一年間に消費する脂肪性食品の量に比例す しろいのつきをよくする。あぶら性肌の、薄化 て用いられる。安定な乳濁液をつくるには、乳 とも可能である。欠点として活性剤や開始剤、 粧下地として、また化粧水がわりに濃い化粧の化剤として用いられる界面活性剤の親水性と親凝固剤の破片など無機系の不純物を含み、プ一フるという統計がある。なお、日本の女性の癌に よる死亡率では八五年現在、胃癌、肺癌、肝 スチックとしての電気的性質や熱安定性、透明 仕上げにも使う。冬季の手のあれ止めや、男性油性のつり合い ( 親水性親油性バラン のひげそりあとにも適している。〈横田富佐子〉 ス ) が重要な目安になる。グリフィン W. C. 性を損なうといわれている。↓重合〈垣内弘〉癌、子宮癌に次いで第五位を占めている。 乳癌になりやすい因子 ( 危険率 ) は一二歳以下 にゆうかわ ( むら ) 岐阜県北東部、 ・ウエストミンスター New Griffn によると、これには〇から二〇までの丹生川 ( 村 ) あらき で初潮のあった女性、閉経が五五歳以後の女性 Westminster カナダ、プリティッシュ・コ数値が目盛られ、値が高くなるにつれて親油性大野郡にある村。宮川の支流小八賀川・荒城川 のりくら ~ 二・八倍、また初産年齢が二四歳以 ロンビア州南西部の都市。バンクーバー東南東が減少し、反対に親水性が増加する。それぞれの上流域にあたり、乗鞍岳西斜面から高山市のは二・一一 へいたん 一九キ。のフレーザー川沿岸に位置する。人口三 の乳化剤には実験に基づいて固有のが与東郊に及ぶ。西部の平坦地などでは稲作・野菜下の人〇・五 ~ 〇・六に対して末産婦一・〇、 万八五五〇 ( 一九八 I)O 一八五九年から六六年まえられる。一定の油を乳化するときに、 作が、東部山間地では肉用牛が飼養される。国三五歳以上の高齢初産婦一・一一二、さらに授乳 ひおも しようにゆう で、イギリス直轄植民地のプリティッシュ・コ の値が低い乳化剤を用いると % 型の乳濁液が生道一五八号に沿う日面には鍾乳洞があり、下したことのない人、母親や姉妹などに乳癌があ ロンビアおよびバンクー ーの首都であった。成し、反対にの値が高い乳化剤を用いる保の千光寺は国指定天然記念物の五本スギや円った人は二・五 ~ 三・〇と危険率が高くなって いるほか、避妊薬ピル、女性ホルモン、副腎皮 一九二一年に鉄道および港湾施設が完成してか と % 型の乳濁液が生成する。↓↓エマ 空作の多くの彫刻で有名。荒川家住宅は国指定 ルジョン↓界面活性剤 ら発展し、フレーザー川下流の商業中心地とな 重要文化財。平湯峠 ( 一穴四 ) から乗鞍岳の質ホルモンを常用している女性や放射線を二五 たたみだいら る。魚貝類加工、木材加工のほか、鉄鋼製品、 乳化剤は日常生活と関係が深い。たとえばポ畳平に至る乗鞍スカイラインでは、植物帯の歳までに比較的多く ( 五〇ラド以上 ) 浴びてい ひだ 〈山下脩二〉 造船工業も発達している。 リ塩化ビニルのようなプラスチック原料、ある変化の観察や飛騨周縁の山岳が遠望できる。人る人も危険率が高い しゆりゅう 〈上島正徳〉 〔症状〕腫瘤 ( しこり ) を触れるものが七八 にゆうがく児童・生徒・学生等が、 ロ四六八七。 いはスチレンープタジェン共重合体のような合 入学 、授乳と関係のない乳頭からの分泌物 ( 血 学校または学校の設置者との間に、学校の利用成ゴム原料の製造には、乳化剤を用いて出発物回角竹喜登著『丹生川村史』 ( 一九六一一・丹生川村 ) やけだけ はた 関係を設定すること。入学によって、学校の児質を乳化状態として重合反応を行わせる。ま囮二万五千分の一地形図「焼岳」「乗鞍岳」「旗性、乳性、水様性など ) がみられるものは九 % まちかた あおや であり、八七 % は自分で発見できる。腫瘤は一 童・生徒・学生等としての身分を取得し、在学た、バニシングクリームやコールドクリームの 鋒」「町方」「飛騨青屋」 とうよ 」・中学校等の公立義務教育諸ような化粧品は、、 弩以下、とくに五 ' 、リ前後では悪性と判断しにく 関係が生じる。 にゆうがわ愛媛県東部、東予市の一 しずれも乳化剤を用いて製造壬生川 学校への入学は、就学義務に基づき ( 学校教育した乳濁液である。食品の分野では、マーガリ 地区。旧壬生川町。燧灘に面し、江戸初期か いものが多い。一弩以上になると大部分は硬 、表面がごっごっしてくる。二前後になる 法二二条・三九条 ) 、入学すべき学校を市町村ンは % 型、マヨネーズは % 型の乳濁液であり、 らの港町。松山藩の新田開発に伴って新川を改 いずれも乳化剤が用いられている。道路工事に と、えくば様のくばみができ、乳頭がどちらか 教育委員会 ( 盲者等の場合には都道府県教育委 修して港がつくられ、蔵米積出しでにぎわった。 に引っ張られたような変形症状 ( 奥へ引き込ま 員会 ) が指定する ( 同法施行令五条・六条・一使用されるアスファルトエマルジョンは、アス現在、卸・小売業が多く市の商業の中心地区で 四条 ) 。したがって一般的には入学許可の手続ファルトに、乳化剤として陽イオン界面活性剤あるが、予讃本線壬生川駅前地区に商業の中心れたり、左右対称でなくなる ) がみられる。さ 〈横山昭市〉らに大きくなると、皮膚に癒着し、潰瘍をつく を要しない。高等学校への入学には選抜制度がを加えてつくられたものである。〈早野茂夫〉が移りつつある。↓東予 ( 市 ) るよ , つになる。 とられ、入学資格をもつ者について選抜のう回北原文雄・玉井康勝・早野茂夫・原一郎編二万五千分の一地形図「壬生川」 えきか にゆうせん え、校長が許可する ( 同法施行規則五九条 ) 。 にゆうがん breast cancer 乳腺、か 腫瘤が三以上になると、腋窩 ( わきの下 ) 『界面活性剤ー・・ー物性・応用・化学生態学』乳癌 大学への入学は、教授会の議を経て学長が定め ( 一九七九・講談社 ) ら発生する、いわゆる乳房の癌で、自己検査法のリンパ節に転移して硬いリンパ節を触れるこ にゆ , つかじゅ , っう emulsion る ( 同法施行規則六七条 ) 。 とが多いが、癌が進行すると鎖骨の上や肺、肝 によって早期発見が可能な癌として知られる。 〈下村哲夫〉乳化重合 しけんせいど にゆうがくしけん 0 試験匍度 polymerization 重合法の一種。多量の水中男性の乳癌はまれで、女性の約一〇〇分の一で臓、骨、脳などに転移するものもある。子宮と 入学試験 にゆうかざい emulsifying agent にビニルモノマーとかジェンモノマーのようなある。日本人女性では一〇万人に約四七人、日 関係があると考えている女性が多いが、これは カ一学イ斉 、フ水と油のように、互いに相混ざらない二種の液水に難溶性のモノマー ( 単量体 ) を乳化剤の存本全国では年間約四万人の乳癌患者が発生して誤りで、子宮とは関係がない 〔診断と治療〕最近は専門分野として乳腺外科 ゅ - の一方が、他方の液中に、直径約〇・一 ~ 一〇在で分散させ、水溶性の重合開始剤を用いて行 いる。白人、とくに北欧系の女生に多く、ハワ メートルの大きさの小滴となって分散するこ う重合法である。モノマーは油滴状になり、そイ在住者の調査 ( 一九七七 ) では、カナダ人、北欧が設けられ、診断と治療が行われるようになっ ひうちなだ しも 105

10. 日本大百科全書 18

はと ① じりよう ふんう を放って陸地の所在を知る。ヨーロッパのキリ かっ抜けやすい。さらに、粉羽 ( わき、ももな七日のものが多い。雛は、目は閉じ、裸かわずは、市販の伝書鳩の配合餌料を与えればよい どに房状に密生し、綿毛に似るが羽枝の先が崩かな綿毛の生えた状態で生まれ、最初の三、四ウスユキバトなど小形種には、ヒ工、アワ、キスト教世界で広くハトが神聖視されてきたの も、古代イスラエルのハトの文化の伝統によ 日は鳩の乳だけを、しだいに親が半消化した食ビなどにアサの実を加える。そのほか、青菜と れて粉状になる ) の分解物が多量に体羽につ き、サギ類やオウム類と同じように、外敵のつ物を与えられ、三、四週間で巣立つ。次の繁殖塩土およびきれいな水も必要である。熱帯産のる。一般にハトはキリスト教の三位一体説の第 めや牙からの防御や防水に役だっことが知られが始まると、若鳥は親に追われて巣の近くから種以外は特別な保温は必要なく、病気にもほと三位、聖霊の象徴とされているが、すでに「ル ふくいんしょ そのう 力の福音書」は、キリストは、天が開け、聖霊 る。味嚢は左右に袋状に発達し、育雛期の初め去る。成鳥の食物は、木の果実と草の種子がほんどかからない。 がハトのように自分の上にきたのを見た、と己 〔人間生活との関係〕ノアの箱舟の伝説のよう とんどであるが、少数の種ではカタッムリなど には雌雄とも、その内側の壁が厚くなってやが 平不または幸福の象徴としてハト類を愛すす。聖母マリアや天使もハトの姿に描かれるこ て液状になって溶け出し、鳩の乳とよばれる雛の小動物もよく食べる。水を飲むときは、嘴をに、 ' ロ とがあり、白いハトは純潔の象徴として尊ばれ る傾向が各地でみられる一方、食用として狩ら の食物となる。全長が約一五垰一の北アメリカ産つけたまま吸引する。これはハト科の鳥だけが スズメバトのような小形種から、約八〇の力もっ能力で、ほかの鳥は水を口に入れ、頸をあれ、日本でもキジバトが年に二〇〇万から三〇る。ハトと、ハトがくわえて戻ったオリープは げて飲み下す。採食習性から、木ややぶの枝上〇万羽とられている。島にすむハトには、すでノアの物語に由来して、平和の象徴であるが、 ンムリバトのような大形種まである。色は変化 日本では、一九一九年 ( 大正八 ) 第一次世界大 で採食する果実食のもの、地上で草の種子を採に絶滅し、また絶滅が心配される種が多い。日 に富み、光沢のある美しい羽をもっ種も多い 特異な飾り羽をもっ種は、ミノバトなどごく少食するもの、樹上でも地上でも採食するもの、本ではリュウキュウカラスパトとオガサワラカ戦終結の平和記念切手に、この図案が用いられ 〈小島瓔禮〉 の三つのグループに分けることができる。アオラスパトが絶滅している。特異な例として、数ている。 数である。尾は一般に短く、長い種でも全長の バトなど、森林性で果実食のハトは南アジアと十億羽もいた北アメリカ産のリョコウバトが食〔食用〕狩猟の対象とされ食用にされるのはキ 半分ぐらいしかない 用として狩られ続け、二〇世紀初めに絶滅してジバト ( ヤマバトともいう ) である。肉質は赤 〔生態〕一度できたつがいは永続する。繁殖行南太平洋に多く、嘴はとくに柔らかく、大きく 〈竹下信雄〉褐色で柔らかく、脂肪が少ない。寒いときにと 動は単純で、雄がクークー鳴いておじぎまたはロをあけることができ、果実をまる飲みにする しし脂がのって味がよ 頸を後ろへ反らす動作をして雌に近づいて嘴をのが普通である。地上性で種子食のハトは、各〔民俗〕ハトは、その生命力と繁殖カから、豊れたものを寒バトと、 じよう 特有のにおいがあるので、ショウガなどの 開くと、雌はその中に嘴を入れる。雄は食物を大陸に分布し、この科の鳥としてはじようぶで穣の象徴とされ、アッシリアのイシュタルや 吐き出して与えるが、実際には吐き出さず儀式長い足をもち、ウズラ類のような丸い体つきを古代ギリシアのアフロディテ ( ビーナス ) のよう薬味が用いられる。料理は肉団子、焼き鳥、ロ ーストなど、他の野鳥と同じである。アメリカ な愛と豊穣をつかさどる神々に結び付けられ、 化している種もある。営巣場所は雄が決めて巣している。嘴が堅く、落ち葉などをかき分ける 、けにえとして供献された。西南アジア一帯でで発達している食用パトは、野生のハトに比へ 材を運び、雌が巣をつくる。樹上に小枝を重ねとき、足ではなく嘴を使うことが多い。キジバ くせがなく、鶏肉と同じように各種の料理に用 ハトが赤子を運んでくると伝えるのも、同じ信 て皿形の巣をつくる種が多いが、岩棚や岩の割トやカラスパトなど人家近くにすむ多くのハト はちまんじん 〈河野友美〉 いられる。↓鳥料理 、ハトを八幡神の使 は半樹上性・半地上性で、アフリカ、ユーラシ仰の流れである。日本でも れ目に小枝や草で巣をつくる種や、地上につく アに多い いとする伝承は古く、鎌倉時代の説話集『古事 る種もある。卵の数は種によって一個または二 ハート Sir Robert Hart ( 天三五ー一九二 ) イギリス外交官。中国名は赫徳。二月二〇日北 個と決まっている。条件がよければ続けて繁殖〔飼い方〕多くの品種が作出されてきたカワラ談』には、一〇九一年 ( 寛治五 ) のこととし バト C 。き & の系統のほか、多くのハトて、ハトの出現を「八幡の御使いか」と記す。アイルランドのポートアダウンで、酒造業を営 する習性がある。これは、雛を育てる動物性タ あいがん ・ハートの長男として生まれる。ペ ハトが八幡神の象徴とされたのは、この神が母むヘンリー ンバク質源として、昆虫ではなく鳩の乳を与えが愛玩用として飼われ、飼育下でも比較的容易 きんしゃ ルファストのクイーンズ・カレッジ在学中に、 ることと関係している。抱卵と育雛は雌雄共同に 繁殖する。野外の広い禽舎で飼うことが好ま子信仰の形をとることに由来するのであろう。 ハトは、「創世記」のノアの箱舟の物語にも学長クラレンドン伯爵は外務大臣の任にあり、 で行う。抱卵日数は、小形種で一二日、大形種しいが、小形の種であれば、一立方ぐらいの えさ か 1 一 ト当時香港総督バウリングが唱導する、中国・日 で約三〇日、キジバトなど中形種では一五 ~ 一金網籠に入れて室内で飼うこともできる。餌登場する。大洪水を箱舟で逃れたノアは、ハ 本に強力な領事業務を確立すべしという提案を 受け、優秀な学生の選抜を試みた。このときハ ばってき ートは抜擢されて、一八五四年香港に派遣さ れ、貿易監督庁に勤務した。その後、イギリス の寧波領事館の通訳官、広東領事館の補佐官、 アロー戦争時、広州の連合軍司令部の書記官を 務めた。五九年三月広東領事館の通訳官に復帰 し、六月には、新設された広東海関の副税務司 となった。六三年初代総税務司レイの後を引き 継ぎ、一九〇八年に至るまで総税務司として北 京にあり、海関業務の拡充のみならす、中国の 行政・財政の近代化、さらに対外交渉の仲介な がもん どにおいて、重要な役割を果たした。総理衙門 に付設された同文館 ( 外国語学校 ) の運営にも あたり、また、一八七五年には北京および上 ちんこう 海海関・鎮江海関に郵政部を付設し、総郵務司 8 ひな ①抱卵中のキジバト ②カワラバトの親と巣中の雛 ③日光浴をするキジバト ホンコン さんみ