奨励館の「電気関係代用品展示展」、東京科学「物」の意味を正確に把握するためには、そのやさなければならないのが現状である。大規模研究が保障されているかといえばきわめて不十 「物」にかかわる系統性を明確にし、存在感をな歴史美術系の博物館では、科学的な保管シス分である。研究部が確立されている博物館にお 博物館の「北支資源展覧会」「代用品工業振興 いてすら、研究員は相当な量の研究以外の仕事 浮かび上がらせなければならない。それをするテムについてもかなり整備されてきているが、 展覧会」などがそれであり、戦時下とはいえ、 をせざるをえない状況にある。 科学・技術系の博物館は未整備の状態である。 真理を追究する博物館にとっては不本意な展覧のはその「物」の周辺にある「物」であるが、 博物館が過去の物を展示するだけの存在であ 資料保管上、資料庫の温度、湿度、防虫、光 だからといって、なにもかも収集して展示すれ 会の開催であったといわざるをえない 第二次大戦後、戦災の復興とともに、博物館ばよいということにはならない。その判断は収による退色防止などの管理は徹底されなければるなら、それは博物館本来の機能を十分発揮し こく一部の博物館の一部の資料をていることにはならないであろう。見学者が過 も民主主義の下での新たな発展の方向を求めて集者 ( 研究者、学芸員 ) 集団の力量によって左ならないが、、 除けば、その管理はきわめて不十分といっても去の多くの資料のなかからなにかを読み取り、 活動し始めた。一九五一年 ( 昭和一一六 ) に「博右される。 物館法」が制定され、新しい時代に向けての展 考古資料などの場合は、発掘調査によって遺よい状態が、日本における資料保管の実状であ展望がみいだせるようにすることが重要であ 示更新が始まった。これと前後して、改称され品が出土しても、すべてが完全な状態で発掘さる。こうした点とあわせ、多くの博物館で切実り、この点で研究員が果たすべき役割には大き になっているのが保管スペースの不足の問題でなものがある。 た東京国立博物館、国立科学博物館は、全国のれるわけではないので、それをいかに復原する ある。 博物館の研究員には、とりわけ外部に目を向 博物館のリーダー的存在として、博物館活動のか、ということも重要である。 〔展示〕展示は、博物館にとってもっとも重要けて研究活動を行うことが求められている。そ 先陣を切って活動を開始する。 科学・技術の発達に関する資料については、 れは絶えざる資料の収集とも共通するところが な仕事の一つである。展示の仕方については、 その後、一九六〇年代に入ると、高度経済成さまざまな問題がある。とくに実物を収集し、 長政策と相まって、科学技術の振興がことさら展示・保存しようとすると、大きな困難にぶつ特定のテーマで一定の期間に開催する特別展示ある。それと同時に研究者個人と博物館全体と いう組織をどのように調和させていくか、とい に強調され、科学技術館の類が盛んに設立されかることが少なくない。たとえば、製鉄技術の会、博物館資料を外部に持ち出して外部の施設 るようになった。七〇年代以降には、国立民族発達過程のなかで平炉が重要な役割を果たしを利用して展示を行う移動展示など、いろいろうことが研究上の課題となってきている。さら により直接的な課題としては、資料保存技術の 学博物館が創設されるとともに、国家からの若た。その平炉が日本から消え去るから、収集な方法がとられている。どのような展示方法で 干の補助金を受けて、各地方自治体に民俗資料し、保存しようとしても、非常に大きなものであれ、その基本は、展示の内容、テーマがいか開発・研究がある。 博物館の教育活動は、展示そのものがまさに に見学者に理解してもらえるかという点にあ 館、郷土資料館などが続々と設立され、国立歴あり、現在の日本の博物館では維持・管理でき る条件を備えていない。 このような物についてり、その意味では展示の方法に画一的なものは教育活動の最たるものである。このほか、講演 史民俗博物館も設置された。 とはいえ、展示上のテクニッ 会、講習会、講座、映画会、野外調査、製作実 また企業のなかで、自らの生産活動に使用し どのように対処していくべきなのか、早急な解みいだせない。 クについては十分な配慮が求められる。たとえ習など、いろいろな形で教育活動を展開してい た道具、機械、史資料などを独自に保存し、展決を迫られている問題が多くある。さまざまな る。 示するところも出てきている。さらに各種の協困難や問題があるが、系統的に、必要な物はすば、見学者の目線の位置がどの高さにくるか、 会・同業組合などでも独自の資料保存、博物館べて収集するというのがその基本であることは見学の動線をどのように設定するか、その博物〔今後の課題〕日本の博物館にとって今後の大 いうまでもない。 館全体の見学時間と休憩場所をどのように設定きな課題の一つに、国の博物館に対する政策、 づくりなどを行っているところが少なくない 姿勢の改善がある。先人の文化を受け継ぎ、文 〔保管・整理〕収集した資料をどのように保管するかなど、さまざまな問題がある。 〔役割とその機能〕博物館の仕事には、資料の 化遺産を整備し、今後の文化形成に貢献してい 展示はつねに新鯡で魅力のあるものでなけれ 収集、保管、整理、展示、調査研究、教育活動し、整理するかも大きな課題である。その基本 がある。 ばならない。とりわけ現代の科学・技術に関すくべき博物館に対する国家予算は、文化国家と は、資料がどのようなときでも十分に活用でき 、うには貧困といわざるをえない るようにすることであるが、資料は一定の大き る展一小では、つねに展一小を更新できることが必 〔収集〕博物館というのは、博物館資料がなく また、博物館における研究活動の充実を図ら ては成り立たない。博物館資料は「物」が主体さにそろっていることはきわめてまれであり、要であろうし、その一方では、単に新しさだけ ではあるが、その「物」し。 こま、実物、標本、模異なる大きさの資料を整理し、その実態を把握ではない、展示物の内にある考え方の基本と真なければ、質的に高い博物館を望むことは困難 であろう。研究者が現代的なテーマに向かって 型と、いろいろな形態がある。さらに文献、図しておくためには高度な整理・保管の方法が要理を伝えるものでなければならない。 求される。 今日ではビデオ、スライドなどあらゆる方法研究ができるようなシステムを確立しない限 表、写真、映画フィルム、レコード、録音テー プなども資料に含まれる。 博物館に入ってくる資料の流れは、おおむを駆使して展示を行うことが可能となっており、現代の社会が求めるような内容での展示そ り、現代の科学・技術を最大限利用した形の展のものも生まれてこないであろうことは明らか 博物館資料の収集が展示を目的として行われね、受け入れ、登録、保管ということになる。 〈雀部品〉 である。↓美術館 ることはいうまでもないが、博物館の種類や目 このうち、登録のときにどれだけの情報を登録示を考える時期にきているといえよう。 的によって、たとえば、民俗、芸術、考古、歴しておくかが問題であり、博物館の目的や種類〔調査研究・教育活動〕調査研究活動は、博物回古賀忠道他監修『博物館学講座』全一〇巻 ( 一突一・雄山閣出版 ) ▽伊藤寿朗他編著『博 史、科学、技術、自然史などによって収集物、 によって違うであろうが、資料の履歴などの登館にとって、その博物館の質を決定づけるとい 物館概論』 ( 一九大・学苑社 ) ▽日本博物館協 収集方法も当然、異なってくる。したがって収録も必要な場合が少なくない っても過言でない。 会編『全国博物館総覧』上下 ( 一九大・ぎよう 集に際しては、事前に目的を明確にして系統的 近年では、資料管理の機械化が進み、コンピ 博物館における研究の柱は、博物館資料の研 しずれの せい ) ▽梅棹忠夫他監修『世界の博物館』 ュータによる記録の管理が多くなってきてお究、博物館における教育効果を高める研究とい に収集しなければならず、その結果、、 二二巻・別巻一巻 ( 一九七七 ~ 七九・講談社 ) ▽ 場合にも収集はかなりの時間を要する仕事にな り、さらに今後は、映像ディスクなどとコンピわれているが、いすれにしても、現代社会にお っ 北村哲朗他編『日本の博物館』全一三巻 ( 一九 ら」るをえない ュータとの連動による管理システムが考えられける現代的課題を解決する方向での研究でなけ 全・講談社 ) ▽梅棹忠夫編『博物館と れば、なんら意味がないといっても過言ではな か博物館は、ただ「物」を陳列すればよいのでてくるであろう。 美術館』 ( 一九ハ一・中央公論社 ) ▽同編『博物 / 、はなく、その「物」に意味がなければならな データの正確な管理とともに、「物」の保 いであろう。それは博物館に限定されず、どの 館の世界』 ( 一九〈 0 ・中央公論社 ) 事が起こるのには原因があるように、その管・管理は重要であり、それに多くの労力を費分野でも同じであるが、現実に博物館において 641
ねんりゆ さんけい じようぎよう あるが、全国に広く行われている太鼓踊や盆踊れ、多くの人が参詣する。 〈清水乞〉末浄行者一〇人の得度を定めたのに始まり、 に「クリスマスの寒波」 Christmas cold wave じようさい とい , っことばがある。 〈饒村曜〉 りなども念仏踊の影響を受けている。なお、近ネンブッダイ〔念仏鯛〕 lndian little 本来新年の攘災招福のためであったらしい いずもたいしやみこ 4 れ ~ 、に 世の初めに出雲大社の巫女と伝えられる阿国 perch/8APogon se ミミミミミ s 硬骨魚綱ス七九八年 ( 延暦一七 ) 年分度者のきびしい資格、念カねんりきじっと、いに思い込むことに が、このころ民衆の間に行き渡っていた念仏踊ズキ目テンジクダイ科に属する海水魚。本州中試験を定めた。八〇六年 ( 大同一 ) には天台宗より得られる力のこと。通常の能力以上、ある かぶき に歌を交えて踊ったのが歌舞伎の創始となった部以南、台湾、中国、フィリビンなどに分布二人を含め南都諸宗に配分し計一二人で、八三 いは超常的な効果を生じると考えられている。 のはよく知られている。↓大念仏↓天道念仏 し、内湾から水深一〇〇の砂泥底に群れをつ五年 ( 承和一 l) に真一一一一口宗三人を許した。その後 仏典のなかでは「五カ」 ( 信力、精進力、念力、 じようりきちりき ↓六斎念仏↓剣舞 〈高山茂〉くってすむ。全長一五垰一に達し、体は長楕円形も若干の増員があり、また特定の寺に割り当て定力、智カ ) の一つとされ、また「念カ岩を - 一うみようじ そくへん とお ることもした。 〈菅原昭英〉も徹す」というたとえなどで知られる。超心理 念仏三昧院ねんぶつざんまいいん 0 光明寺で側扁し、目やロが大きい。体色は桃赤色で、 寺一がとりいもと じようがく ~ し 2 し 念仏寺ねんぶつじ京都市右京区嵯峨鳥居本上顎先端から目を通り鰓蓋後端に達する黒色粘膜ねんまく動物の各種器官の内壁表面学において、 psychokinesis の訳として「念 〈大谷宗司〉 野町にある浄土宗の寺。華西山漸と号線と、その上方を平行に走り、第二背びれの後のうち、粘液によ 0 て湿潤に保たれている部分力」の語を用いている。↓ あみだによらい し、化野の念仏寺という。本尊は阿弥陀如来。方基部下に達する黒色線がある。また、尾柄のをいう。粘膜は、粘膜上皮と、それに続く粘膜念流ねんりゅう新当流、会流と並ぶ中古 おしよう 1 、ちさんによらいじ わんあじおん 空海の開創で、五智山如来寺といった。のち法基部に黒色の円点がある。産卵期は七 ~ 九月下結合組織からなる。粘液は、上皮細胞間にあ剣術流派の一つ。流祖は念阿弥慈恩。念和尚の そうま わんしようにん えん 然上人 ( 源空 ) により中興された。法然が延で、産み出された卵は粘着性の糸で互いに連なる棒状細胞や、多細胞性の粘液腺から分泌され伝記には種々の説があるが、通説では奥州相馬 こも よしもと りやく あたご がつりん ただしげ ふか 暦寺の弾圧から逃れ愛宕山の月輪寺に籠った り、これを普通、雄がロにくわえ、孵化するまる。その成分は生物によっても異なるが、糖タの人、相馬四郎左衛門忠重の子、俗名義元のこ ンバク質、糖類、無機塩類などが主要なものでととし、七歳のとき父が非業の死を遂げたた ころ、当地に念仏の道場を開き、ここに多くので保護する習性がある。小形の魚のため食用と ゅぎようしようにん 念仏衆が集まったので念仏寺と改められた。当しての価値は少ない。 〈片山正夫〉ある。粘膜は消化器官、呼吸器官、生殖器官、 め、相州藤沢の遊行上人の弟子となり、一〇 くらま らくざんれんだいの 歳京都に上って鞍馬で剣の手ほどきを受け、一 地は昔、あだし野とよばれ、洛山の蓮台野とと年分度者ねんぶんどしゃ鎮護国家の目的で排出器官などにみられ、内壁表面の乾燥を防い つれづれぐさ ごさいえ じゅふくじ しんそうえいゅう もに墓地であり、『徒然草』にもみられる。本出家を官許された僧尼の一類。毎年正月御斎会だり保護するばかりでなく、吸収または分泌機六歳鎌倉に下って寿福寺の神僧栄祐に秘伝を授 とくど たんけい すみのくらそあん つくしあんらく 尊の阿弥陀如来像は湛慶作。角倉素庵の墓が にあたり宮中で得度式を行った。六九六年 ( 持能をもつものもある。一般に粘膜は皮膚の表皮与され、その後も廻国修行を重ね、筑紫の安楽 こんこうみようえ ある。八月二四日の地蔵盆には千灯供養が行わ統天皇一 l) 一二月、宮中金光明会に備え毎年のように角質化することはない。 〈高橋純夫〉寺に至って、ついに剣の奥義を感得したとい あかまっさんしゅぎじさん う。二代の赤松三首座慈三は、遠州の人とも慈 年末調整ねんまっちょうせい所得税制度に いなだに なみあい よ上。あにい国松す仏る おいては、給与所得は源泉徴収の対象とされて恩の舎弟ともいい、信州伊那谷の波合で一三九 遍仏にりて 浜念す 一一念。鼓周し 7 県を歌躍 おり、給与等の支払者が、その支払いのたびご七年 ( 応永四 ) ・五月相伝を受けたと伝える。さ , 踊 " 鉦 , 物巻岡頼 , 勇 おがさわらとうせんばうこうめ、 ) たのち見館静依り鼓 とに、その支払額に応じた税額を徴収し、国に らに三代の小笠原東泉坊甲明は、教授の体系を とら しようぼうへいほうみらいき っ , たカ物 ( の回打 安 行央尼女ま博仏う。をら納付することになっている。また、給与等が一 『念流正法兵法未来記』入門巻・獅子巻・虎之 ぞう りゅう 々が て中僧男立念 年し台るの国大えロ家な 定の金額 ( 一九八六年度は年額一五〇〇万円 ) 巻・象之巻・龍之巻の五巻にまとめ上げた。越 さえもんの 京舞踊俗、京丿 , 以下の者については、その年の最後の給与等の えて一五七八年 ( 天正六 ) 六代小笠原左衛門 踊入 ( て僧」東遠郷盆和 じよううじしげ えちぜんはくさん ともまつろくざえ が遍せ ; 賤 近新唱 支払いの際に、その年の給与等の総額に対する尉氏重の伝を受けた越前白山の人友松六左衛 念〔人一わ、貴る宝佐市たを ぎあん もんうじむねせいさん 正式の所得税額とそれまでの源泉徴収税額を比 門氏宗 ( 清三入道偽庵 ) は諸国を歴遊中、上州 ひぐちまたしち 較し、過不足を清算することとされているが、 多胡郡馬庭村 ( 群馬県吉井町 ) の郷士樋口又七 ろうさだつぐ この調整を年末調整とよぶ。年末調整を行った 郎定次に巡り会い、その執心鍛錬に対し、一五 給与所得者は、他の所得が一定額以下である場 合には確定申告をする必要がないから、大部分 の給与所得者は源泉徴収のみで事がすむことに なる。しかし、給与等以外に一定額以上の所得 がある場合には、給与所得も総合所得税の対象 わしいころに日本付近を低気圧が発達しながら 通過し、大きな社会的影響を与えることが多い ので、とくにこのときの低気圧を年末低気圧と よぶことがある。ヨーロッパでは、似たことば だえん せん ネンブッダイ 321
の さんばそう 『翁・三番叟』『道成寺』『石〔舞・謡・囃子〕一曲の能を演ずることを「能を舞う」とい やまんば 楽部分だけを演奏するもの。 橋』『松風』『山姥』などは近うように、。 能の略式上演方式 とんな劇的な内容の曲でも、舞踊的統一に貫かれ くせまい * はかま 面・装束を用いず、紋付・袴で 袴能 のう 世以降の舞踊・邦楽へ多くのている。曲舞などの文意に沿った舞の一方に、純粋な器楽演 * は別に本項目があることを示す ちゅう かみまい 舞う夏季の便法。作り物や小道具は常のとおり 流れを生んだ。文芸では、奏による抽象的な舞があり、「序ノ舞」「中ノ舞」「神舞」「男 かんぎんしゅう かっこ みだれらんびようし = う謡い手一人と鼓一人で曲の一部をに用いる。 『閑吟集』。。 こま多くの能の詞舞」「早舞」「神楽」「楽」「羯鼓」「獅子」「乱」「乱拍子」な 蔔ノテの部分を省略し、ワキの登 演奏するもので、むずかしい習い物となる。 半能 * まん のう月、、 いっちょう 章、狂言の歌謡が載せられ、ど、シテがどの舞を舞うかが、その曲目の内容と「位」を決 一調に笛を加えたもの。 場からすぐ後場へと接続する。フィナーレ用に 一調一管 いっかん 仕舞 * しまいクセとかキリとかの一段を地謡上演される場合に多い 江戸時代の謡曲の流行は、一めている。ドラマの頂点部分にこの無機的な舞を置くのが能 ばん 謡と囃子だけで一番の能を演 だけで紋付・袴のまま舞うもの。能のデッサン番囃子 ・はやし一一口 種の古典ダイジェストとしての特徴であり、能が再現写実を目的とする一般演劇とまった はいかし せん まいばたらき であり、能の稽古はこの仕舞から始める。 奏するもので、演技を伴わない方式。 の役割を果たし、俳諧・ く別の方向を目ざした、なによりの証拠である。「舞働」 一曲の主要部分だけを、紋 りゅう かなぞうし よみほん ~ 索一畄 * すう 無伴奏で声楽部分だけを独立させ舞囃子 * 肆 柳や、仮名草子・読本・黄「祈リ」「カケリ」など、舞と演技の中間的存在もある。また たもので、室町末期から現代まで、能とは別に 付・袴で、地謡と囃子によって舞うもの。 しだい びようし 表紙の類に題材を提供して人物の登場や退場にも、「次第」「一セイ」「早笛」「名ノリ 流行している。 曲の一部分を数人で謡うもの。一 連吟湫 かぐら らいじよ 素囃子や第序ノ舞とか神楽とか独立した器人で謡うものを独吟という。 いる。松尾芭蕉は、謡曲は俳笛」「来序」など、さまざまな囃子の種類がある。 諧の『源氏物語』、つまり原 謡は舌を後方に引き、のどばとけを押し下げるような、ど さいかく ふん かきつばた ③三番目物 ( 鬘物 ) 『井筒』『野宮』『定家』『松風』『杜若』典といっている。近松門左衛門や井原西鶴の文学も、謡本のの邦楽とも違う、独特の発声法である。女性の役に扮して きようか 第一おりとらひ一 ) のがみやえこ かぶき ゅや おはら′、こう 『熊野』『大原御幸』など三九番。女性をシテとし、能の理想文句を多く利用している。泉鏡花、郡虎彦、野上弥生子、も、歌舞伎や中国の京劇の女方のような発声はまったく用い そのこたちはらまさあき ま著 ) かず・ えんちふみこ とする幽玄味のもっとも濃いもので、能のなかで最高に位置円地文子、杉本苑子、立原正秋、山崎正和らに能に取材したず、男の声のままである。ここにも能の逆説的な主張があ おばすて する。『関寺小町』『檜垣』『姨捨』の老女物は、至高の能と 作品があり、三島由紀夫の『近代能楽集』は西欧でも上演さる。ッョ吟は、明治初期に完成したとされる音階と発声で、 される。 れている。アイルランドのイエーツは能にヒントを得た『鷹力強さの表現であり、繊細なョワ吟は、発生当時からのもの ④四番目物 ( 雑能物 ) 他の曲籍に含まれぬすべての能を一 の井戸』を書いたが、逆輸入され新作能ともなった。また現で、音階も細かく明確で節扱いも変化に富む。謡は絶対音高 著」いぎよう 括する。鬘物としても扱われる『西行桜』司雲林院』など四代音楽、電子音楽にも影響を与えつつある。 の考えをとらず、偶然の要素のなかから、その日の必然の高 み 番。『雨月』『三輪』など脇能に近い曲柄八番。『班女』『三井 さを探り出そうとし、世阿弥はこれを「時の調子」とよんで でら かげつ 能の上演 寺』『隅田川』『弱法師』などの物狂い能二五番。『花月』『東 かんたんまくらじどう ぜあみ 岸居士』『自然居士』の美少年の能。『邯鄲』『枕慈童』など〔演出〕世阿弥は多くの秘伝書を残し、能の演出を説いた。 能の謡と囃子は、八つのリズムに支配され、八拍子または うとう ひら 地拍子という。三通りのリズム型がある。「平ノリ ( 小ノ の中国種の能七番。『通小町』『善知鳥』などの地獄の能八 現代に至る演出の大綱は世阿弥によって指示されているとい あやのつづみ おんりよう リ ) 」が中心で、七五調一二音原則の文章を八拍子一六音に 番。『葵上』『道成寺』『綾鼓』など怨霊の能八番。人情味ってよい。創成期の能が観客の意表をつく珍しさが「花」の とりおいぶね の濃い『俊寛』『鳥追舟』など九番。『安宅』『夜討曽我』な理論によって説かれるように、当然流動的、即興的な要素があてはめ、微妙な、そして多分に即興的な演奏の変化に生命 ちゅう ど直面の武士の能二〇番。ドラマチックで人気のある曲柄で多かったと考えられる。実際の武具や馬を用いた野外能も行がある。「中ノリ ( 修羅ノリ ) 」は二字を一拍にあてる躍動的 おお ある。 われた時代であった。 な謡。「大ノリ」は一字一拍のゆったりとしたリズム感をも きりのう そうかい ⑤五番目物 ( 切能 ) フィナーレ用の豪快あるいは爽快な能 室町末期の伝書である『舞芸六輪』には演出の様式化がみつ。謡には以上の「拍子一一合ウ」部分と、八拍子に支配され どうぶしよう しもつましようしん の一群。『野守』『鵺』『船弁慶』『黒塚』『鞍馬天狗』『融』 られ、桃山時代の下間少進の『童舞抄』に今日の原型をみない「拍子合ワズ」の部分があり、会話などの節のない「コ たえま しやっきよう 『当麻』『石橋』『猩々』など五一番。 ることができる。江戸以降は古典芸能としての道を歩み、今 トバ」も、一定の抑揚がある広義の歌である。 この能の曲目の籍には流動性もあり、略脇能、略三番目物日の上演様式は江戸中期にほとんど完成したとされる。演出 能の楽器は管楽器一に、打楽器三の構成。楽器もリズムを のうかん という扱いで番組編成の融通がつけられている。現在では五の新しいくふうは「小書」、つまり特殊演出として流儀に登とる演奏と、とらぬ演奏がある。笛は能管とも、 しい、メロデ 番立ての演能形態はほとんどまれで、一日一 ~ 三番が常態と録され、これも今日固定化している。能は脚本も演技も細部 イを吹くというよりも、八つのリズムを吹くのである。「序 なっている。 まで様式化しているため、慣習的な上演が可能であり、西欧ノ舞」などの舞では主導権をとるが、謡の部分では、笛は叙 〔能の影響〕能の創成期には、歌舞伎の世界とごく近いド一フ演劇的な演出の考えが薄い。各出演者がその能の曲目に対し情的に吹き添えられるだけで、謡の旋律やリズムにあわせて くらい マチックな曲がたくさん上演されていたが、やがて夢幻能がてもっている「位」の概念、これは文学的な読みから演技、吹くということはない。革を火であぶって乾燥させる大鼓の とうた 首位を占めるとともに能の世界から淘汰され、その劇的傾向演奏のテンボ、ピッチ、リズムまでを含むだいじなものだ鋭い衝撃音と、小鼓の柔らかく微妙な音色とがみごとな対比 じようるり はそのまま浄瑠璃や歌舞伎へ移行されたとされる。能をそのが、出演者同士のこの「位」の感覚の総合、あるいはぶつけを聞かせる。太鼓は曲の一部分しか演奏せず、曲目によって かんじんちょう っちぐも まま歌舞伎化した『勧進帳』『紅葉狩』『船弁慶』『土蜘』なあいで上演されるのが普通であるが、演出の見直しの風潮も は参加しない。強さと華やかさを添えるが、異次元の存在を まつばめもの どの「松羽目物」は、幕末から昭和に及ぶ傾向だが、能の強まっている。↓小書 舞台に引き出す機能をもっ楽器と考えられる。したがって神 第がき く 342
が、外側に残っている外胚葉の一部を裏打ちし た、抗生物質は解熱後二 ~ 三日まで投与する。 ( 幕間劇 ) のほか、ドレスデン宮廷礼拝堂のたれが嚢胚 ( 原腸胚 ) である。このころには胚細 て、その部分の外胚葉を神経組織に分化させる シラミの駆除が予防上重要で、予防接種も有効めに書いたカトリック教会音楽をはじめ、フル胞は三つの集団を形づくり、それらは外・中・ である。 〈柳下徳雄〉 ート協奏曲、フルート・ソナタなど数多くの室内胚葉とよばれる。各胚葉は将来それそれ特定 ( 第一次胚誘導 ) 。続いて頭部では神経化した組 〈樋口隆一〉の器官や組織となるよう決定されている。たと織が脳となり、その一部が目となり水晶体や角 発疹熱は 0 しんねっ murine typhus 「ほ内楽曲を残している。 っしんねつ」ともいい、発疹チフスによく似た ー一九七九 ) ドえば、外胚葉は体の外表面を覆って皮膚やその膜を備えるようになる。これらはいずれも誘導 、ツセ Helmut Hasse ( 天九ハ 急性伝染病であるが、症状は比較的軽く、死亡ィッの数学者。カッセルの生まれ。ハレ大学、付属物をつくるほか、神経系などをつくる。中の連鎖と考えられている。胚の中ではさまざま じんぞう の危険もない。病原体は発疹熱リケッチア帋ゲッティンゲン大学、・ヘルリン大学などの教授胚葉は筋、心臟、腎臓、内部骨格、間充織などの誘導がおこりながら複雑な体制がつくられて ミ、 s mooseri で、ネズミノミによって媒介さを経て、一九五〇年ハンブルク大学教授。代数となる。内胚葉は胃、腸などの消化管とこれに すいぞう せん れ、ほとんど全世界に分布する。日本では関東学の研究で知られ、ネーターを中心とするドイ付属する肝臓、膵臓などの消化腺をつくる。こ 〔発生の諸変異〕このように細胞の増殖と分化 とが巧みに調和しつつ胚をつくりあげていく過 以西の各地に風土病的に存在し、地方によってツの学派で活躍し、とりわけ一九世紀末以来、れらの過程は動物の種類が違えばすこしずつよ 程が発生であるが、発生の基本的な仕組みは実 は二週間熱などとよばれており、かって満州チデーデキントやヒル・ヘルトらによって創始されうすが違うが、基本的には共通である。 フスといわれたのも、この疾患である。 た代数学の公理化の方向を、強力に推進した。 種子植物でも受精卵が出発点となることは同は個体がつくられたのちにも働き続けている。 病原体を保有するネズミからノミの媒介によ類体論の整理や代数関数論、整数論の分野でのじであるが、受精卵が分裂して幼芽・幼根・子たとえば、けがをすると、それまで休止してい って人に伝染する。潜伏期は六 ~ 一四日。症状業績が著しい 〈藤村淳〉葉をもった胚が種子中につくられ、いったん休た増殖の働きが動きだし、元の形をつくりあげ ゅうりやく は悪寒とともに急に発熱し、三九度 0 前後の熱泊瀬朝倉宮はっせあさくらのみや雄略天皇眠する。発芽すると植物体の成長は茎や根の先るように細胞が分化してふたたび休止する。こ が一週間くらい続く。また、頭痛、筋肉痛、結 の宮室。『日本書紀』雄略天皇即位前紀によれ端などに局限して行われる細胞分裂による点れが再生であって、動物によって能力に程度の あんこう あし 差があり、イモリのように肢一本を再生できる 膜充血、吐き気などもあり、赤くて細かい発疹ば、安康天皇三年一一月、壇を泊瀬の朝倉に設が、動物と大きく違っている。 ものから、ヒトのように傷を治すぐらいまでの が全身にばらばら現れる。治療は発疹チフスと けて即位し、ここに宮を定めたという。所在地〔発生の機構〕個体発生では細胞の増殖と分化 いわ 4 こか 同様で、抗生物質がよく効く。予防には患者の については、奈良県桜井市大字岩坂説と桜井市が大きな役割を果たしている。発生が進行するものまである。再生は成体での部分的な発生の くろさき 隔離、ノミの駆除、ネズミの捕殺に努めるが、大字黒崎説の二説がある。泊瀬朝倉宮に近接し につれて細胞数は増えていくが、ある限度に達やり直しとみることができる。 ぶれつ はっせなみきのみや これらについては法律的な規制はない。↓発疹て、武烈天皇の泊瀬列城宮があったと考えられすると増殖は止まり、器官や組織はつり合いを 個体の中で細胞増殖の調節が働かなくなり分 チフス 〈柳下徳雄〉る。一九八四、八五年 ( 昭和五九、六〇 ) 、桜保って、全体としてある大きさを保つ。個体の化にも異常をきたしたものとして癌をみようと わき - もレ」 とうみようでん ハッスナ遺跡ーーいせき Hassuna イラ井市大字脇本小字燈明田から、五世紀後半を中では細胞の増殖はある制限を受けているためする研究者がある。これもやはり個体の中で発 ク北部最大の都市モスルの南約三五キロにあるハ 下らないと思われる掘立て柱建物が発掘され、 であるが、この制限の本質については現在でも生の仕組みが働き続けているとする立場であっ ッスナ村近くの遺跡。約二〇〇 x 一五〇 両宮跡との関係が注目されている。〈中尾芳治〉 よくわかっていない。また、胚の中にさまざまて、癌を発生の失敗とみるわけである。また、 最高所約七の規模をもっテルである。一九四発生は。せい development 生物学用語の組織が生じ、これが秩序正しく配列して個体個体が成体になるまでに幼生の形を経ることが 三 ~ 四四年に約一〇分の一の範囲が発掘されとしての発生は、二つの異なった意味で用いら となる過程を細胞の分化といい、発生の仕組みある。この際には体制に激烈な変化 ( 変態 ) が た。一五層に区分され、最下部の第— ~ 層のれる。一つは、地球上に最初に現れた生命かのなかではもっとも基本的な事柄である。細胞おこる。これは、発生の一種の繰り返しともみ 〈木下清一郎〉 間に当遺跡を標準遺跡とするハッスナ文化期、ら、長い年代の間に現在みられるような多様な は本来さまざまの形質を発現する能力をもってることができる。図膨 第Ⅵ ~ 層にハラフ文化期、第 ~ 層にウバ ・バリンスキー著、林雄次郎訳『発生 生命形態が生じてきた過程、すなわち生物種の いるのであるが、個体の中で組織をつくってい たいせき 学』 ( 一九六九・岩波書店 ) ▽・・イバート イド文化期の堆積物が認められた。ただ第Ⅷ層歴史的な発生をいう。これを系統発生とよぶ。る細胞は、ある形質のみを選んで発現し、その かくらん から上部はかなり攪乱していた。最下部のハ 著、岡田瑛・岡田節人訳『発生ーーそのメカ もう一つは、多細胞生物の生活環のなかで、一結果、脳、筋、肝臓などの性質を表していると ニズム』 ( 一九六七・岩波書店 ) スナ文化期の発見物は、メソボタミア北部の新個の細胞から出発して個体がつくられるまでの理解されている。このように、個体の中では細 イギ 石器文化を定義するうえで欠かせない資料であ過程、すなわち細胞が増殖し、おのおのが分化 はっせい VOice production 胞の増殖と分化とはある制限を受けている。こ発亠尸 るが、その特徴は前後で若干異なる。当遺跡最を遂げて、複雑な有機体である個体になるまでの制限があって初めて個体が成り立っていると Stimmgebung 0 呼気によって声帯を振動 初の住人が残した第層の遺物は、彼らがまだをいう。これを個体発生とよび、普通、単に発もいえる。発生とは胚の中で細胞の増殖と分化 させ、音声を発すること。ヒトを含めて動物 完全に定住農民ではなかったことを示す。それ生といえばこちらをさす。以下、本項では個体を秩序だてて制限していく過程である。また、 は、本能的に、あるいはなんらかの意図をもっ に続く第層から定住的な農耕村落社会の証拠発生について解説する。 個々の細胞が生命をもっているうえに、個体はて声を発する。生殖にかかわる雌雄の行為に伴 〈赤澤威〉 が現れる。 〔発生の過程〕個体発生は有性生殖によって始個体としての高次の生命をもっているわけであったり、驚き ( 恐怖 ) 、喜び、悲しみといった ハッセ Johann Adolf Hasse ( 一六究ー一七まるのが一般的な形式である。ます、個体の体るが、個体の生命とはとりもなおさす細胞の能情感の表現として、また遊戯や芸術 ( 人間の場 合 ) の一側面として発せられた声は、それそれ 会 ) ドイツのオペラ作曲家。ハンプルク近郊内で生殖細胞が減数分裂を行って配偶子がつく力を制限する力であって、発生とは細胞の生命 に生まれ、ナポリでポルボラとアレッサンド られる。続い て受精が行われるまでは動植物とを個体の生命に高めることである。 の状況に応じた伝達の機能を果たしている。と ロ・スカルラッティに師事。一七三三 ~ 六三年も同じである。動物では受精卵は卵割を繰り返 胚の中ではある組織がほかの組織に働きかけ りわけ人間の発声は、言語や音楽の成立を担う ドレスデン宮廷でイタリア・オペラを上演し し、生じた割球は中空の球状体となる。これがて、その結果として細胞分化がおこるという過重要な行為であり、民族、時代、文化によっ せた。七三年にはベネチアに居を移し、オペラ・ 胞胚である。やがて細胞集団の中で形態形成運程が次々に連なっている。この現象を誘導とよて、意識的または無意識的に、さまざまな発声 っセリアの巨匠として活躍、同地で世を去った。動がおこって原腸が陥入をおこし、胞胚は内部ぶ。たとえば、両生類などでは、嚢胚ができる法が駆使されてきた。そして歌唱における発声 五六曲のオペラ、一三曲のインテルメッツォ に折り畳まれ、二重の壁をもった胚となる。こ際に内部に陥入した原口背唇とよばれる部分法は、音楽様式を決定する重要な契機となって 8 まくあし のうはい
ねずみさ ネズミガヤ ほにゆ・つ といわれる。江戸・中村座の本戸番定七の子と 前半の部分だけ独立して、経文を知らない僧 がある。ロは小さくて頭部の腹面に開き、歯を rat ・ kangaroo 哺乳 ネズミカンガルー とびにん うろこ 綱有袋目カンガルー科ネズミカンガルー属に含欠く。鱗は小さくて粗雑。背びれと臀びれが尾が、目前に見える物を経文らしく唱える「にわして生まれ、建具屋に奉公に入り、のちに鳶人 ばくち おしよう びれ近くにあること、胸びれと腹びれの基部直か和尚」としても知られており、その類話は江足となるが、博打を覚え、資金に窮して夜盗を まれる動物の総称。この属、 0 、ミミ s の仲間 はなしばんせいすいしよう 八二二年 ( 文政五 ) ごろ 戸初期の咄本『醒睡笑』にもある。落語の働くようになった。一 は、オーストラリア、タスマニア島に次の三種上にそれそれ一枚の小皮弁があることが著しい とや ハナナガネズミカンガルー P. 特徴である。体長は三〇余りになる。本州中「鳥屋坊主」 ( 東京は「万金丹」 ) も「にわか和から約一〇年間に一〇〇回、およそ一万二千両 が分布する。 の金を、奥向きの警戒が手薄である大名屋敷を 斗 c 募は、オーストラリアとタスマニア部地方以南に分布し、深海に生息する。底引網尚」の一例で、これには偽経文の趣向のはか、 ひん 売薬の袋の文字を切り取って戒名として渡す段専門に盗んだ。芝居や講談では義賊として描か 島に分布するが、オーストラリアでは絶滅に瀕でときどき漁獲される。食用上の価値はない が、コイ科魚類にあるウェーバー器官に似た構がっき、きめ細かい語りになっている。またれているが、実際に貧民に施した形跡はない。 している。頭胴長四一拜一、尾長二三ン。鼻先が 1 」しよう 「後生を買う」のように、後生を願うために経三二年 ( 天保三 ) 四月、浜町の松平宮内少輔の 造物があり、ニシン目とコイ目の中間型である 非常に細長く、鼻鏡は鼻先の上面に突出する。 〈落合明〉文を買いに行き、でたらめな文句を教わるが、屋敷へ入ったところを逮捕され、同年八月、江 点が、系統分類上注目される。 後足は体に比べ短く、前足と後足の長さの差が ひきまわ は」にゆ・つ 少ない。耳は短く丸い。体の上面の毛は、夏毛ネスミキツネサル mouse lemur 哺乳そのことばのおかげで盗人が逃げ去るという話戸中引廻しのうえ獄門になった。両国 ( 墨田 〈稲垣史生〉 では霜降り状の灰色を帯びた暗い茶色で、冬毛綱霊長目キツネザル科ネズミキツネザル属に含もある。この類話は朝鮮にもあり、経文を一〇区 ) の回向院に墓がある。 は黒っ、。 下面は白色または灰色を帯びた白まれる動物の総称。この属ミミ。。の原猿〇両で買ってきた話を下男がしているのを盗人ネズミゴチ〔鼠鯒〕 Richa 「 dson d 「 agon ・ et/$) R 0 ミミこ、 0 こ ~ ・硬骨魚綱 が聞き、自分のことが知れていると思って逃げ には二種があり、マダガスカル島に分布する。 色である。おもに海岸地方の低木林地帯に生息 スズキ目ネズッポ科に属する海水魚。日本列 ショウネズミキツネザル M. ミミ、はミ一フたという。中国にも、強盗に入ろうとすると、 する。普通、夜行性で、単独で生活し、昼間は ーネズミキツネザルの別名をもつもっとも小形夫婦が強盗を引き合いに出した話をしているの島、東シナ海、南シナ海各沿岸に分布する。体 低木の茂みや草むらの中に、枯れ草などでつく った巣や隠れ家で休息する。巣材などを尾で巻の霊長類の一つで、頭胴長約一三、尾長一七で、あきらめるという話がある。意外なことば長一七余りになる。雄は成長すると体の側面 の下半分に黒っぱい斜線が多く出る。雄の末成 拜一前後。体重は約六〇しかない。歯式は他のが盗賊を撃退する話は、インド、インドネシア き付けて運ぶ。主食は草である。妊娠期間約六 2 ・ 1 ・ 3 ・ 3 〈小島瓔禮〉魚および雌の成魚は第一背びれに大きな黒点が で計三六本。体毛のほか、ヨーロッパにもある。 週間で、普通一子を産む。生まれたばかりの子キツネザルと同じ 2 ・ 1 ・ 3 ・ 3 のう の頭胴長は約一・五で、育児嚢で育てられは柔らかく、灰色ないし赤褐色と個体差があねずみ講禁止法ねずみこうきんしほう正し一個ある。雌雄とも背びれの棘が長く伸びな い。沿岸の砂底のごく浅い所に生息し、底生小 くは「無限連鎖講の防止に関する法律」とい る。寿命は約一〇年である。②ギルバートネズる。目と耳介が大きく、ガラゴに似た顔つき すじ う。一九七八年 ( 昭和五三 ) に制定、翌七九年動物を捕食して生活する。産卵期は春から初夏 ミカンガルー P. を e 、は、ウエスタン・オで、鼻から額に白い筋が通る。コクレルネズミ にかけてである。近縁種にトビヌメリ R. ~ , ーストラリア州の南部に分布していたが、現在キツネザルミ . c ミミミはすこし大形で、頭五月に施行された。ねずみ講 ( 無限連鎖講 ) は、子を二人以上、おのおのの子がさらにその、ミスセトヌメリや 0 こミ s がいる。 はほとんど絶滅したと思われる。頭胴長三九胴長二五前後、尾長約二八、鼻ロ部の白い いずれの種も、煮つけ、てんぶらなど食用にさ 子 ( 孫 ) を二人以上、さらにおのおのの孫が、 ③ヒロガオネズミカンガルー P. ミ s 筋がない 〈中坊徹次〉 おもに昆虫と果実を食べる夜行性単独生活者というように無限に加入者が増えていくものとれる。図しネズッポ は、ウエスタン・オーストラリア州南部とカン びんしよう して組織に加入させ、自らは順次上位に昇り、 ネスミサシ 0 ネズ ガルー島に分布したが、 現在はほとんど絶滅しで、細い枝の間を敏捷に動く。昼間は木のう 後順位の加入者が支払う金銭から自分が支払っ ネズミサメ〔鼠鮫〕 salmon shark, P07 ろの中などで眠る。乾期にはやや不活発になる たものと思われる。頭胴長三四。 〈上原重男〉 た以上の金銭の配当を受けるという金銭配当組 beagle/8Lamna 軟骨魚綱サメ目 なお、近縁でネズミカンガルーの名がつくも時期がある。↓キツネザル ネズミザメ科に属する海水魚。一フクダザメとも のにフサオネズミカンガルー属、アカネズミカ鼠経ねすみきよう昔話。偶然、幸せを得る織である。上位者は自分が支払った金額以上の いう。日本近海では東北・北陸地方および北海 配当を受けうるが、この仕組みですべての加入 ンガルー属、サバクネズミカンガルー属、ニオことを主題にした笑い話。爺に死なれ、婆は仏 道に分布し、さらに北太平洋に広く分布する。 ィネズミカンガルー属などがある。図カンガ参りばかりしている。旅の僧が宿を請う。婆は者がそのような利益を受けうるには、加入者が きようもん 〈中里竜二〉喜んで経をあげてくれと頼む。僧は経文を知ねずみ算式に無限に増加していかねばならな尾びれの下葉がよく発達し全体的に三日月形の りトそっル / 、 。しかしそのようなことはありえず、終局的尾びれをしていること、上下両顎の歯がナイ ネズミギス「鼠鱚〕 beaked salmon/8 らない。ネズミが出てきたので、そのネズミの そくせんとう はたん には多数の被害者を生じて組織はかならず破綻フ形でその両側に小さな側尖頭をもっこと、尾 GO き、を b ミミ s 硬骨魚綱ネズミギようすを描写し、経文のように唱える。「おん 柄部に二本のキール ( 隆起縁 ) があることが特 ス目ネズミギス科に属する海水魚。体は円筒形ちょろちょろ出てこられ候」「おんちょろちょする。 昭和四〇年代に入ってこの種組織の活動が活徴。寒海性のサメで、春から夏にかけて北上 に近く、吻がやや長く、その下面に一本のひげろ穴のぞき」「おんちょろちょろなにやらささ し、秋から冬にかけて南下する。日本近海のも やき申され候」「おんちょろちょ発となり、多大の被害者を生するようになった ろ出て行かれ候」という。婆はそため、本法でねずみ講を禁止した。罰則によのはいくつかの系群に分けることができる。ま り、ねずみ講を開設または運営した者には三年た、成熟している個体は雌雄で生息域を別にし の後、この経文をいつも唱えてい る。ある晩、盗人が入るが、この以下の懲役もしくは三〇〇万円以下の罰金、まている。生殖は卵食生という特殊な方式で、子 は母ザメの子宮内で自分の卵黄を消費して孵化 経文を聞いて、婆が後ろ向きなのたはそれが併科される。また加入の勧誘をした に盗人の動きをなにもかも見透か者は一年以下の懲役または三〇万円以下の罰金するが、その発育はまだ末熟で、子宮の中に卵 〈伊藤高義〉黄が卵巣から供給され、子ザメはこの卵黄を母 していると思い、驚いて逃げ去 に処せられる。↓マルチ商法 る。旅僧や座頭のような半僧半俗鼠小僧ねずみこぞう ( 一七九五ー一盒 = ) 江戸後体内で食べ、六〇くらいになって春期に産み の遊芸人などによって語り広めら期の有名な怪盗で、名は次郎吉。鼠小僧の異名出される。生まれる子ザメの数は四、五尾であ れたものであろう。 は、鼠のように身軽にどこにでも出没したからる。 ふん 小穂 しり 249
あくだ とうろう ・一くだか にわたり毎夜踊られる。また、町の東部安久田 6 チビキ〔葉血引〕 bonnetmouth 、、、をつくり、近くに鉢明かりの灯籠を配置する。 しょ・つにゆうどう ちの村数・石高は、御分地郡村小高帳之写によれ ば、合計八三村、表高二万石、内高三万六千一一 Ery 斗きミ s schlegelii 硬骨魚綱スズキ目ハチ灯籠は軒に釣灯籠を下げることもある。縁の上で発見された大滝鍾乳洞には多くの観光客が 〈上島正徳〉 から手水を使うため、水鉢は台石にのせるか、訪れる。人口一万八二三〇。 百石であった。家格は、無城主から一八三八年ビキ科に属する海水魚。南日本、南アフリカな ち ( 天保九 ) に城主格になった。行政組織は、盛どに分布し、やや深海にすむ。全長六〇に達背の高いものを据える。書院で茶の湯を行うた回太田成和著司郡上八幡町史』全二巻 ( 一九六 0 ~ そくへん とおり 六一・八幡町 ) めの設備であったが、建物と庭をつなぐ重要な し、体は細長く側扁する。ロは斜め上向きで、 岡藩と同じく通制度を採用し、村の組織、田畑 きよく 役割を演じ、書院にはなくてはならない装置と鷓一万五千分の一地形図「郡上市島」「沢」「徳 月に突き出すことができる。背びれには棘部と の丈量単位、年貢徴収法も本藩に倣った。農業蔔 永」「郡上八幡」 して普及し、濡れ縁を含めて鉢前の構成には趣 軟条部との間に深い欠刻がある。尾びれは深く 生産は、寒冷地であるため多くを期待できない しつりん 〈中村昌生〉 八幡朝見神社はちまんあさみじんじや大分 「一叉する。体は粗雑な櫛鱗で覆われる。体色は向が凝らされている。 ことから、八戸藩では、製鉄、製塩、水産業な てめぐい はちまき手拭かぶりの一種。頭の鉢県別府市別府に鎮座。朝見八幡ともよばれる。 どの振興に力を注いだ。藩主は、直房、直政、紅色で腹方は銀白色。釣りで漁獲され、肉は赤鉢巻 おきながたらしひめの あしなかひこ まっ・一う ほんだわけのみことおおささきの のぶまさのぶゆき みちのぶ のぶおきのぶより 〈片山正夫〉 に手拭などの布を巻く習俗。古くは抹額または誉田別尊、大鷦鷯尊、足仲彦尊、気長足姫 通信、広信、信興、信依、信房、信真、信順とみを帯び、やや美味である より みことまっ ぶん 1 」 も - ′一よノ じようすい なすのよいち むら 末額ともよんだ。『源平盛衰記』に那須与一が命を祀る。鎮座地豊後国 ( 大分県 ) は、源頼 0 村ハチプ 九代続き明治維新に至った。八戸県、弘前県を とも てんりゅうはちぶしゅう オが一一九 「薄紅梅の鉢巻しめ」とみえるように、鎌倉時朝挙兵後早くからその配下に入っこ、ゝ、 経て青森県に入る。↓盛岡藩〈長谷川成一〉 ノ部衆はちぶしゅう 0 天竜八部衆 ぶぜん はちはちかんたい アメリカを仮想鉢伏山はちぶせやま兵庫県北西部、美方、代以降は、武士が軍陣に際して、精神を引き締六年 ( 建久七 ) 一〇月豊前 ( 福岡県東半部と大 、八艦隊 よしなお せきのみや めると同時に、烏帽子の脱げ落ちるのを防ぐた分県北部 ) ・豊後守護職大友能直入国のとき、 敵国とする戦艦八隻、巡洋艦八隻を主力とする村岡、関宮の三町にまたがる山。標高一一三 かんじよう つるがおか ひょうせんうしろやまなぎさん 。氷ノ山後山那岐山国定公園の一角にあり、めに鉢巻を締めたので、鉢巻は長く武装の一種鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請した豊後国八幡宮七 日本海軍の建艦計画。一九〇七年 ( 明治四〇 ) 社の一つで、以後大友氏が守ってきた。明治の と考えられていた。江戸時代になると、額のと 策定の「帝国国防方針」に基づく海軍の国防所主峰氷ノ山とともに更新世の火山活動で噴出し ころに金具をつけたり、内部に鎖を仕込んだ鉢制で県社。例祭一〇月一九日、はかに四月一日 た鉢伏火山岩層からなる。ハチ高原、東ハチ・ 要兵力で八八艦隊の方針が決定された。しかし - ごっ かんめしけ ハチ北などの緩斜面の高原が広がり、スキー場巻もっくられている。これに対して庶民は、あ春の温泉祭がにぎわう。神主家として神氏が奉 日露戦後の財政困難はその実現を許さず、一九 べつくいえ 〈鎌田純一〉 仕してきている。 として有名。南麓には高地性縄文遺跡の別宮家りあわせの手拭を利用して鉢巻を行い、細長く 一四年 ( 大正三 ) の防務会議で八四艦隊案が認 の ノ幡神を祀る神社。八 折り畳んで頭に巻き、額のところで結ぶのを向八幡宮はちまんぐう められ、その予算が通過したのは一七年の第一一一野遺跡がある。山陰本線八鹿駅から途中までバ ほんだ おうじん 幡神は奈良時代には第一五代応神天皇 ( 誉田皇 〈大槻守〉 こう鉢巻、後頭部で結ぶのを後ろ鉢巻といし スの便がある。 九議会であった。その翌年の第四〇議会では八 よ しごいて撚りをかけ、結ばずに額に挟み込むの子 ) に比定され、その本宮は大分県宇佐市鎮座 六艦隊成立に必要な予算が通過した。以上のよ鷓一万五千分の一地形図「氷ノ山」 をねじり鉢巻といった。このはか、鉢巻をするの宇佐神宮である。この神宮に祀る八幡神が中 うな経過措置を経て、二〇年の第四三議会で八 はちぶんき座〔八分儀座〕はちぶんぎざ 八艦隊の予算が通過した。これによると二七年天の南極を含む、日本からはまったく見ること習俗は、ごく近年まで各地に行われていたが、央に進出するのは、東大寺大仏鋳造に神助を与 どうぎよ・つ のできない南半球の星座。一八世紀のフランスたとえば、端午の節供に男児がショウブの葉をえて入京したこと、法師道鏡の専横を託宣に ( 昭和一 l) 完成の予定であったが、二一年のワ よって排除したことなどで、八幡神を鎮護国家 の天文学者ラカイユが、一七六三年にその遺著鉢巻にしたり、頭痛その他の病気や出産に際し シントン軍縮会議の結果、計画は変更となり、 のなかで発表した一四の新星座のなかの一つでて布の鉢巻をしたりした。またヒッシュ、アカ神とする信仰が確立された。やがて八幡神に菩 戦艦は長門、陸奥と、のちに航空母艦に転換さ あかぎ れた赤城、加賀の四隻がつくられただけで終わある。当時使用された天体観測機器のなかでテヌグイなどといって、伊豆諸島の婦人たちは薩号が授けられ、これまでの神仏習合形態はい あさぎ つ ) 0 っそう進められた。八五九年 ( 貞観一 ) その分 も、とくにイギリスのハドレーが改良した八分儀式や神仏の参拝に際して、赤、紫、浅葱など 〈由井正臣〉 おとこやま かんじよ・つ やましろ ) の布を二つに折った鉢巻霊は山城国 ( 京都府 ) 男山に勧請されて石清 回防衛庁戦史室編『大本営海軍部・聯合艦隊儀を記念し「ハドレーの八分儀座」と名づけらの六尺 ( 約一・ そうし みず しすれも鉢巻に一種水八幡宮が創祀されると、八幡神は王城鎮護、 れたが、現在では単に八分儀座とのみよばれてをした。これらの習俗は、 ) ①』 ( 一九七五・朝雲新聞社 ) シグマ いる。五等のび星が天の南極に近い肉眼星であの霊力を感じているといえよう。なお現在も祭勇武の神として朝野の尊崇を集め、八幡信仰は 浜はちはま岡山県南部、玉野市の一地 きんこうざんせいろく る。 〈藤井旭〉 礼、芸能、生産の場において、鉢巻は重要な意急速に広まり、やがて伊勢の神宮と石清水八幡 区。旧八浜町。児島半島の金甲山西麓にあり、 にしょのそうびよう こうちょ ) っ 〈宮本瑞夫〉宮は「二所宗廟」と称せられた。その後、武 義をもっているといえる。 児島湖に面する。近世には岡山藩の在町、また ハチボリプ scyphopolyp 腔腸動物門ハ つるがおか 漁港として栄えたが、児島湖の干拓化、淡水化チクラゲ綱のポリブ世代をいう。一般に小形で八幡 ( 町 ) はちまん ( ちょう ) 岐阜県中部、郡家政権の成立、鶴岡八幡宮の創祀とともに、武 高さ数 : リのものが多いが、エフィラクラゲのポ上郡の中心町。郡上八幡ともいう。一八八九人の守護神としての八幡信仰が普及し、全国各 で漁業は衰退した。↓玉野 ( 市 ) 〈由比浜省吾〉 年 ( 明治一三 ) 町制施行。一九五四年 ( 昭和一一地に八幡神が勧請され、八幡宮が創設された。 リプであるイラモは例外で、顕著な群体をつく 囮二万五千分の一地形図「八浜」 かわあい くちみようがた にしわら 0 、 0 、 〈二宮正彦〉 ↓八幡〕信 . 仰 ノンシャ中国、黄り、高さ十数垰一に達する。ハチボリプの体は花九 ) 川合、相生、ロ明方、西和良の四村と合 盤峡はちばんきよう / ながら えつみなん かんしゆくらんしゅう 河上流の甘粛省蘭州よりすこしさかのばった瓶状で、胃腔内には縦に四つの隔膜がみられ併。長良川鉄道越美南線と国道一五六号が通回宮地直一著『八幡宮の研究』 ( 一九五六・理想社 ) ひだかなやま みの そうろう 、一うすい 〈山田真弓〉 ▽中野幡能著『八幡信仰史の研究』上下 ( 増 じ、東は飛騨金山、南は美濃・関・岐阜、北東 所にある峡谷。左岸より荘浪河と湟水が流入する。↓ハチクラゲ類 ちょうずがまえ えんか りゆ、つん 補版・一九七五・吉川弘文館 ) はちまえ手水構の一形式で、縁先手は高山、北は白川郷・福井へ通じる交通路が開 る。この上流の劉家峡、塩鍋峡におのおのダム鉢前 ば寺、つ はちまんぐどうくん八幡大菩薩 八幡愚童訓 が設けられたが、八盤峡にも一九六九年からダ水鉢ともいう。縁先の一隅に構える。普通は座け、観光、商業の町である。おもな町並みは、 の霊験を愚童にもわかるようにと説き示したも ム建設が着工し、七五年から発電を開始した。敷の外あるいは縁の外に濡れ縁を付し、その前郡上藩 ( 約四万石 ) の城下町に由来し、長良川 やくいし の支流吉田川にまたがって発達しており、街はの。同名にして内容の異なる二種がある。 ダムの規模は付近の一連のもののなかではもっ方に手水鉢を据え、周囲に役石を配して縁との いわしみす はん そうぎ ①二巻。蒙古襲来に際し、石清水八幡とその別 ずれに木工団地がある。本町の宗祇水は名水と 間に海を形成し、排水のための吸込みをつく とも小さく、高さ四〇、容積四九〇〇万立方 はる・一ま みすくみ かがみいしのぞき 宮筥崎八幡が示した神威発揚について説いたも 一八万キ。ワットの能力をもっ発電機が装着る。役石には蟄石、覗石 ( 清浄石 ) 、水汲石、して知られる。有名な郡上踊は、川崎・春駒・ しかん そでがき みずあげ 三百など九種類の郡上節にあわせて、一か月余の。作者は石清水八幡宮の祠官と考えられ、成 されている。 〈秋山元秀〉水揚石がある。水鉢の背後には植え込みや袖垣 なんろく みかた たんご さっ はこぎき まっ
には黒人種であるが、古代エジプト人やアラ・フず、鋸の歯のようになっているため、山の魅のグループをさす呼称になった。中、いになった家の隷属下に戻した。しかしながら、この激し い反乱の影響により、清代には、法律の運用に のは映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』で批 人、またトルコなどのアジア人との長い混血の力に欠ける。一九六一年イギリスのウォルムス レイ隊が南から初登頂に成功した。〈金子史朗〉評の筆をとっていた人々 ( 前記三人を含む ) でおいても奴婢扱いの範囲をできるだけ限定する 歴史の結果と考えられる。ヌビアには古代から そく Nupe 西アフリカのナイあるが、とくにゴダールの「勝手にしやがれ』努力がなされ、身分的性質をもっ規制はより緩 エジプトの影響を受けた国家、続いてキリスト ヌペ族 ばっこう 〈森正夫〉 教国家、イスラム国家などが勃興した。現在、ジェリア中西部、ニジェール川流域の南北に広はアメリカのギャング映画を下敷きにしながやかなものになっていった。 彼らはバラブラ、ビルケド、ディリングなどい がる地域に居住する黒人種族。人口約一〇〇万ら、映画文法の無視、演劇的演技や心理描写の回谷川道雄・森正夫編『中国民衆叛乱史 4 』 ( 平凡社・東洋文庫 ) くつかの集団に分かれている。 人。ニジェール・コルドファン語族クワ系諸語拒否、といった一見アマチュアリズムの居直り とも思える映画スタイルによって観客を驚かし ヌーホー・レアリスム nouveau réal- おもに農耕を行うが、牧畜を重視する集団も に属する一一一一口語 ( ヌペ語 ) を話す。雑穀やイネ、 フ一フ lsme フランスの批評家レスタニー Pierre ーグ誕生に大きな影響を与え た。ヌーベル・ヾ ある。おもな作物は雑穀のミレットやソルガャムイモなどを主作物とする農耕民であるが、 Restany によって、バリ在住の画家・彫刻家 た先達としては、映画監督のアレクサンドル・ ム、スイカ、ヒョウタン、オクラ、ゴマなど。 狩猟や漁労も行う。またヌべの一支族ケデは、 ニジェール川主流に沿って居住し、流域の漁業アストリュック、『カイエ・デュ・シネマ』のを中、いに組織された運動で、「新しい現実主義」 出自はどの集団でも父系をたどる。居住様式は の意。一九六〇年四月ミラノのアポリネール画 理論家アンドレ・バザンがいる。トリュフォー だいたい夫方居住であるが、結婚後の婚姻奉仕権と河川連輸を独占し、独特の河川国家ともい ハリウッド映廊で最初の宣言を発表し、「社会の現実を論争 らはバザンの批評をさらに進め、 ( ブライド・サービス ) の時期に、妻方居住を うべき組織を形成した。ヌべは、一五世紀ご の意図なくありのままに記録する」ことを表明 とる集団もある。割礼は男女とも広く行われてろ、伝説的な英雄ツォエデによって統一された画を高く評価して批評軸の転換をもたらした。 した。ついで六月、パリのリーフ・ドロワット 『カイエ・デュ・シネマ』派にはほかにジャッ いる。すべての集団で最近まで奴隷制が残されといわれ、エッ ( 王 ) ・ヌべとよばれる王をい ク・ドニオル・バルクローズ、エリック・ロメ画廊で「現実は虚構をしのぐ」のモットーで ていた。 〈加藤泰〉ただく。 王国は一八世紀後半に最盛期を迎えた ール、。ンヤック・リべットらがおり、同派以外「パリとニューヨークのヌーポー・レアリスム が、一九世紀に入ると、北方のイスラム教徒フ ヌ、フー Georges Neveux ( 一九 00 ー デ展」を催した。メンバーは、イプ・クライン、 にはルイ・マル、アラン・レネ、ロジェ・バ フランスの劇作家。ウクライナに生まれ、一九ラニ ( フルべ ) 族のジハード ( 聖戦 ) がこの地 イム、アニエス・バルダらがいて、文学的・演ティンゲリー、ニキ・ド・サンファル、アルマン にも及び、フラニ族の支配下に置かれた。ヌペ 二七年パリに出て、シュルレアリスムの運動に Armand Fernandez ( 一九一天 ) 、セザール 劇的フランス映画の伝統に新風を吹き込んだ。 参加。処女作『ジュリエットまたは夢の鍵』社会は男性を中心に組織されているが、女性は ) 、シュペー César (Baldaccini) ( 一九一一一 〈岩本憲児〉 ( 一九三 0 ) は不評に終わったが、四三年マルセ商業活動に従事することによって、男性に勝る↓フランス映画 ) らにニューヨーク ル・エラン Marcel Herrand ( 天九七ー一九五三 ) 演経済力をもつ。このため、男性と女性の間に回飯島正著『ヌーヴェル・ヴァーグの映画体 Daniel Spoerri ( 一九三 0 ー あつれき ようじゅっ のネオ・ダダの美術家たちが加わっている。彼 〈四・冬樹社 ) 系』全三巻 ( 一九含 ~ は、しばしば軋轢が生じ、女性は妖術師とみ 出による『テゼの旅行』ま oy ミ Thésée に よって名声を確立。第二次世界大戦後は『ザモなされる。 〈渡部重行〉奴変ぬへん中国の華中・華南各地で、一らは抽象表現主義への反動として、現代の都市 みんしん 七世紀中葉、明・清交替期に起こった奴婢・奴的現実の呈示をねらう一種の反芸術を展開し ール』 ( 一九五一 (l) 、『うらおもて』 ( 一九五五 ) など、し ヌべール Nevers フランス中部、ニエー ロアー とよばれていた人々の反乱。明代、官僚、商た。六二年にニューヨーク、六三年にミュンへ だいに。フールバール劇的色彩を強めていく。外。フル県の県都。ハリの南南東二三八 ン、七〇年にミラノで凱旋展を催し、その運動 〈利光哲夫〉 ル川とニエー。フル川の合流点にある。人口四万人、地主などの家の私的な使用人の大部分は、 国劇の翻訳も多数ある。 - 、 1 うじん 〈野村太郎〉 ヌフー Ginette Neveu ( 一九一九ー四九 ) フ四七七七、都市圏人口約六万 (IR<II)O 機械、雇傭された良民として「雇工人」「雇傭人」のを終えた。 電気、鉄道資材、ゴム、既製服などが生産され身分にあったが、法律の運用や民間の慣例でヌーホー・ロマン nouveau roman ランスの女流バイオリン奏者。パリ生まれ。パ は、良民とは区別された奴婢としての扱いを受第二次世界大戦後にフランスにおこった新小 るほか、伝統的な陶器工業もある。ニベルネ地 リ音楽院卒業後、ジョルジュ・エネスコとカー しんけい ル・フレッシュに師事して腕を磨き、一九三五方の中心都市で、宮殿 ( 一五 ~ 一六世紀 ) 、サけていた。彼らは主人によって身契という身売説。普通『嫉妬』 ( 一九五七 ) のロ。フ・グリエ、『プ ラネタリウム』 ( 一九五九 ) のサロート、『、い変り』 ン・シール・エ・セントジュリエット寺院 ( 一り証文を握られており、主家に対して隷属的な 年ワルシャワのウィエニアフスキー国際コンク 地位にあるだけでなく、地域社会の一般住民か ( 一九五七 ) のビュトール、『フランドルへの道』 一六世紀。一九四四年に爆撃されたが修 ールで優勝して名をあげ、三六年ニューヨーク、 せんし 復 ) 、ロマネスク様式のサンテティエンヌ教会らも賤視されていた。主家の番頭格にあたる ( 一九六 0 ) のシモンら四人の作家をさすが、さら 三八年ベルリンでデビュー、圧倒的な人気を得 き - ごっまく に・ヘケット、デュラス、パンジェ、およびソレ 「紀綱の」を除き、彼らの大部分は主人の厳 た。第二次世界大戦後、華やかな活動を再開し ( 一一世紀 ) 、クルックス門 ( 一四世紀 ) などが ようえき ルスら『テル・ケル』 Tel 0 ミ ~ 誌グループを しい管理・指揮の下に、農・エ・商業や徭役の てはどなく、渡米途中の航空機事故で死去。卓あり、観光の対象となっている。〈大嶽幸彦〉 しんひひょう 代行など各種の実労働に従事していた。明代後含める評者もいる。最初サルトルがサロートの 越した技巧、激しい情熱、厳格な様式感覚に支ヌーベル・クリティック 0 新批評 nouvelle vague 半期にはすでに個別的な逃亡や抵抗が始まって『見知らぬ男の肖像』 ( 一九四九 ) を、小説が小説自 えられた演奏は、残されたレコードにわずかに ヌーベル・バ いたが、一六四四年の明朝倒壊を機に、多くの身を反省する現代小説の一つと評して、その序 〈岩井宏之〉 そのおもかげをとどめている。 一九五八年ごろから輩出した新しいフランス映 画をさす総称で、フランス語で「新しい波」を場合全県的な規模で彼らによる主家の人々の殺文で「アンチ・ロマン」 anti-roman ( 反小説 ) さん Nuptse 、不バール ヌブツェ山 りよ・つじよく ヒマラヤ山脈、エベレスト山群中の高峰。工べ意味する。初め週刊誌『レクスプレス』が一般害、監禁、殴打、凌辱や放火が集中的に行わと命名したのが契機だが、今日ではこの呼称は 用いられない。流派を形成することなく、独自 ローツェ山 ( 会 0 一的に使ったが、クロード・シャプロルの『いとれ、これらの暴行の過程で身契が奪回された。 レスト山の南西約四・ きようしん の作風を展開していった右の四人の営為が、フ ) から西へ延びた尾根上にある。標高七八七こ同志』 ( 一九五 0 、フランソワ・トリュフォーの地域社会の支配層としての郷紳といわれる官 そうまう わか ランス小説の相貌を一変させたのは、次の三つ 『大人は判ってくれない』 ( 一九五九 ) 、ジャン・リ 僚の家では多人数の奴婢が使用されていたた 九。クーンブ氷河の源頭であるウエスタン・ ュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』 ( 一九五九 ) め、その被害はとりわけ大きく、社会秩序は動の共通点による。 ) わクームを馬蹄形に取り囲むように、エベレスト 第一に、客観的写実描写と合理主義的心理分 などが登場すると、映画製作の経験がはとんど揺した。清朝は華中・華南を版図に入れる過程 ほ山、ローツェ山、ヌブツェ山が並ぶ。ヌブツェ ざんしん とは「西の峰」の意。独立峰としての姿をせない二十代の青年たちがつくる斬新な映画とそで各地の奴変を武力弾圧し、奴婢をふたたび主析を基軸とした、バルザック以来の小説作法を 2 ぬ かぎ のこぎり がいせん
8 「 / 0 8 ワ】ワ《 0 ^ 0 ^ 0 電という。普通、形の半導体と形の半導体 このようにネットワーキングは、ある種の組 0 じ値の熱伝導度をもっから、ここではこのよう 、 1 ワ】ーワ】戸 0 1 よ 0 0 ん ワ】一 4 0 0 0 1 0 0 0 0 な場合について考えよう。物体の中を、たとえを接合したものを素子として用いるが、熱効率織であるといってよいのだが、それは人々の固 2 て 。は低、。 ↓熱電気発電 〈野口精一郎〉定的な分業関係を階統的にまとめあげた官僚制 ば方向に流れる熱エネルギーは、温度勾配 っ ス D T D T D T ネットホーラー net hauler 漁網を水的組織とは異なり、主体性をもった自律的な参 ムレ ウン Dx' Dy' Dz 中から引き上げる揚網機。網地を引き上げるも 加者が「全体と部分の一体化」を達成しようと ュ のもあるが、漁網に付属する綱類を引き上げるする構造的特徴をもつ。またネットワーキング と熱伝導度 i< を使えば、 ン 導 コマス石 タ金リル理塩 伝ル ö T D T D T ようにつくられているものが多い。ネットホー では権限と責任が分散され、目標や手段の選択 熱熱単ア銅金銀鉄チ白シゲ大岩 Dx 6 Dz ラーは摩擦車式とリール式に大別される。摩擦 に関しても複数の選択が可能であり、多くの指 の現象は、熱 ( エネルギーの一形態 ) が高温ので表される。この熱エネルギーが移動するにつ車式は、外部動力により回転する円板に綱また導者が存在する。確かに現代はさまざまなネッ 物体から低温の物体へ移動することによっておれて失われる分が、その部分の物体の温度を上は網を密着させると、摩擦によって小さな力でトワーキングの群生の時代である。しかしその こる。このように、物質の移動を伴わずに熱と昇させることになる。すなわち、温度の時間的大きな力に対抗できることを応用したもので、群生が危機管理国家をどのように変革してもう いうエネルギーだけが移動する現象を熱伝導と変化 DT 、、ミは物体に吸収される熱量と物接触面に > 形の溝を有する円板が多く用いられ一つのアメリカや日本をつくっていけるのかが いう。熱伝導には、伝導電子による伝導と格子体の単位体積当りの熱容量 ( 比熱と密度とている。リール式は、一本の胴の両端にフラン問われることになるだろう。↓市民運動↓消 でぶち 〈矢澤修次郎〉 ジ ( 出縁 ) を付して直接その胴に綱や小型の網費者運動↓大衆運動 振動による伝導とがある。電気の良導体であるの積 ) によって次のように表される。 D T K D 2 T D 2T D 2 T を巻き取るものをいう。 ッブナック、・スタンプス著、社会 〈笹川康雄〉 E)h 金属では、この両者が相伴っておこっており、 Dt き Dx2 Dy2 Dz 開発統計研究所訳『ネットワーキング』 ( 一九 格子振動のみによる絶縁体に比べて、特別の場 ネットワーキング networking もっと も一般的には、人々がつくるあらゆる種類のも 会・プレジデント社 ) ▽金子郁容著『ネッ 合を除き、はるかによく熱の移動が行われる。 この式を熱伝導の方程式という。〈野口精一郎〉 トワーキングへの招待』 ( 中公新書 ) その程度を表す量を熱伝導度 ( あるいは熱伝導熱天秤ねってんびん物質の温度を変化させのを横につなげて網の目 ( ネットワーク ) を形成 率 ) という。物体の中に、面内では温度の等し た場合におこる質量変化を精密に測定するためすることをいう。しかしこの概念が注目されるネットワーク network 異なった地域に ようになったのは、先進資本主義社会が情報社ある二つ以上の放送局が、番組搬送ラインを使 い単位面積、たとえば一平方垰一メートルを考の特殊な天秤。結晶水や揮発性成分が分離する 会とよばれるようになった段階、すなわち、あって同一番組を同時放送すること、およびその え、この面と垂直に単位の温度差をつけたと温度を知り、同時にその質量を知るために用い き、この面を垂直に通過していく熱エネルギー る。通常の天秤の皿の部分を電気炉中につるし らゆる情報のやりとりがかなり自由に手軽にで組織をいう。番組搬送ラインは、テレビの場合 きるようになったことを踏まえて、価値を共有はマイクロ回線、ラジオではマイクロ回線と放 を測定してエジュールという値を得たとすれた構造をもち、皿の上にのせた試料を徐々に加 ば、この物体の、測定した方向における熱伝導熱しながら連続的に質量測定を行う。温度の変している諸個人がそのまま横に連なって自主的送用高規格線が用いられている。アメリカでは っ化や不均一が天秤のバランスを損なわないよ な組織をつくっていく動き、さらにはそれを基人工衛星が使われており、日本でも人工衛星利 度は ( いー、、洋・ cm ・。 C ) となる。いく かの物質についての熱伝導度の値を別表に示 う、また、振動の影響を除くよう種々のくふう礎にしてこれまでつながりのなかった草の根の用の時代に移行すると見込まれている。フィル が施してある。分銅を加減してバランスをとる市民運動がこれまた横に連なって広く連帯の輪ム、、録音テープの送付によって行う同 す。熱伝導度は、物体の温度や圧力によっても 一般に異なる値をとり、また異方性の結晶で通常の天秤のほか、最近では電磁力を利用してを広げていったことを意味するものとして使わ時放送および異時放送も、慣習上ネットワーク は、方向によって値が異なる。この表からわか 自動的にバランスを保つ方式の電磁天秤が効果れて以来である。とりわけアメリカでは、このという場合があるが、純粋の意味ではネットワ 〈三井清人〉意味でのネットワーキングが「もう一つのアメ ークではない。 ( 日本放送協会 ) はそれ るように、電気の良導体である金属は、絶縁体的に利用されている。 自身全国ネットワークではあるが、通常は民放 リカ」を形成する運動として注目されている。 に比較して大きな熱伝導度をもつ。これは、伝熱電流ねつでんりゅう thermoelectric cur ・ ちゅうたい このネットワーキングの紐帯は、なにより ( 民間放送 ) テレビ・ラジオの在京各社をキー 導電子による熱伝導が格子振動による熱伝導よ rent 異なる種類の導体 ( または半導体 ) を りもはるかに大きいことを示す証拠といえる。 図のように接合し、接合部分の温度に差をつけ もまず価値観である。リッブナック Jessica 局とする系列についていう。民放のネットワー 実際に多くの金属において、熱伝導度と電気伝ると、一般にこの回路に電流が流れる。この現 Lipnack とスタンプス Jeffrey Stamps はそクは、後述するように、幾重もの協力協定によ り構築された恒常的な組織であり、その全国的 象をゼーベック効果といし 、この電流を熱電流 の価値を、治療、共有、資源利用、新しい価値 導度の比に絶対温度の逆数を掛けた値がウィー という。熱電流は、この回路に発生した起電力創造、学習、成長、進化の七つにまとめてい な広がりを生かし、報道・番組活動や営業活動 デマンーフランツの定数に近い値を示すことか ら、金属の熱伝導は主として伝導電子によると によって引き起こされる。これが熱起電力である。これらの価値の脈絡のなかでネットワーク面で、いわば運命共同体として機能し、局経営 る。熱起電力は、導体づくりが行われるが、ネットワーキングでは、 に大きな比重を占めている。アメリカには <<Z2 考えることができる。ただし、金属のなかで も、多くの合金では伝導電子が結晶格子によっ 中に温度差が生じたこ人間と人間の質的な社会関係、すなわちゅがめ O 、 Z220 、などのネットワーク会社が て散乱される程度が大きく、伝導電子による寄 とによる熱の流れと、 られないコミュニケーション、友人関係、信頼あり、多くの放送局を所有・運営している。 与は格子振動による寄与に比較してかならずし それに伴っておこる電関係などに関心が払われる。またこの内部の相↓↓ これは、ステンレス鋼 〔日本のテレビ・ネットワーク〕ネットワーク も大きいとはいえない 計子の流れとの比が、導互作用、コミュニケーションによってネットワ などの熱伝導度がアルミニウムなどに比べては 、体の種類によ 0 て異な ークが確認されるが、外部との明確な境界線はの形成は、テレビがラジオに先んじた。ラジオ なく、それはオープンなままにされている。さ るかに小さいことからも推定できる。 ることから引き起こさ に比べテレビは、放送設備や番組制作に要する 物体の中で熱が移動することによっておこる れる。熱電流を利用し らに個人はコミュニケーション関係の結節点を経費が大きいうえに、とくに地方局ではタレン 流 温度の局所的変化は、次のように考えることが て発電を行うことがでなし、それと集団とは同等の重要性をもっこと トその他の制作条件に恵まれず、ナショナルス 電 できる。多くの物質では物体のどの方向でも同熱 きる。これを熱電気発が認められ、上下関係が措定されることはない。 ポンサー ( 全国的な販売網をもち、全国的に広 異なる種類の 導体または半導体 加熱
よ本では一九一一年 ( 明治四四 ) 文芸協会で初演もなれず、人魚にも戻れず、ついに海に身を投 たといえる。このため人間は「霊長類にして食回木村徳三著「文芸編集者その跫音』 ( 一〈 すまこふん 全・ ()* 22 リタニカ ) げるが、その魂は空へ昇ってゆく。アンデルセ肉類」とみなされる。殺人、拷問、戦争などの され、松井須磨子扮するノラが大きな反響をよ んだ。 〈山室静〉 ンの童話としては最初期に属する作だが、清景実例から、人間はど残忍な動物はいないといわ人間以上にんげんいじよう More Than Hu ・ man 幻想派の作家シオドア・スタージ こ回『人形の家』 ( 竹山道雄訳・岩波文庫 / 矢崎源と文章の美しさ、愛の観念の至純さなどで、彼れながらも、他方、ほとんどの動物が利己的に の童話の本領を初めて広く世界に知らせた名作ふるまうなかにあって、人間は利他的にも行動ョンの代表作。一九五三年刊。手を触れないで 九郎訳・新潮文庫 / 島村抱月訳・角川文庫 ) である。 〈山室静〉することが可能で、日常的に他人に尽くし、号 物を動かせる少女、瞬時に姿を消せる双生児、 ニンギョウヒドラ〔人形水〕 P き・ こうちょう bosc ミミぶをミ、きき腔腸動物門ヒドロ回高橋健二訳『アンデルセン童話全集 1 』 ( 一九者を扶助愛護する唯一の動物である。多くの動恐るべき記憶力をもっ不良少年、すこしも成長 物では老いて生殖能力のないものは死んでいく 七九・小学館 ) せすにコンピュータのように知識を蓄えていく 虫綱ヒドロイド目工ダクダクラゲ科に属するク が、老人は社会の保護により生存し、その知恵赤ん坊。この奇妙な五人が二五歳の白痴の男の 間にんげん human being 人、人類と ラゲ。工ダクダクラゲのポリプ型である。群体人 せいかん をつくっており、つねに多毛綱のエラコの棲管 ほば同義であるが、人文科学的なニュアンスをと経験をその社会に十分に生かす。 周囲に集まったとき、彼らはゲシュタルト生命 上、おもにその先端部に付着している。エラコ もって受け取られる。本来は仏教用語として世 自然選択は人間社会においては部分的に作用を形成して高次な存在となる。ひとりひとりで の棲管上に網目状に広がるヒドロ根から生する 間と同じ意味に使われたが、人界に住むもの、する。人間は人間のつくった環境のなかで育は中途半端な彼らも、六人がその力を結集すれ ポリプは高さ約一ミリほどの円筒形で、その先端すなわち人を表す日常語として単数・複数の区ち、生きるため、その属性はしばしば自己家畜ば、人類を破滅に導くほどの恐ろしい力を発揮 皮らは個々の人間であると同時 にロが開き、またロのすこし下に二本の細い棒別なく用いられるようになった。ヨーロッパ語化で説明されるが、家畜とは異なり、人間は主できるのだ。彳 状の触手が並んで突出している。これはちょうでは、人間に相当する語は男性の意をも含むこ体性を維持する。人間は技能や知能の発達が期 、単一の生物でもあり、白痴がこの有機体の ど両手をあげた人の形に似ており、名前の由来とが多いが、日本語ではそのようなことはな待されるため、その社会特有の形で教育を受け頭脳であった。超存在の誕生と成長を描くュニ ークなアメリカの。 〈厚木淳〉 となっている。また、これらのポリプのほか このことは、両者の間で人間という認識のる。したがって生得的な性質をそのまま維持し に、より細くて短い生殖ポリプもみられる。生内容が異なることを示す。一般には動物またはて成人することはない。人間は一定の価値観を回矢野徹訳『人間以上』 ( ハヤカワ文庫 ) 殖ポリプはロをもたず、その上に数個のクラゲ神と区別する語であるが、古今東西にわたり人もつよう期待され、その身体も生活も彼が居す人間科学にんげんかがくもともとフランス の芽ができ、それらは小さなクラゲとなって遊 間は多様なものと理解されている。アイヌ語でる社会の文化の影響を受け、着衣を強制され語の science de l'homme の訳語であったと たかさご 離し、成長してエダクダクラゲとなる。北日本「アイヌ」とは人間のことであり、台湾の高砂 る。人間は不自然であることが自然である動物 しわれるが、いまではヨーロッパ語での語源に 沿岸の浅海に普通にみられる。 〈山田真弓〉族の「アタヤル」もアタヤル語で人間を表す。といわれる。 こだわらない、日本語の単語として流通してい ありま みや 人間は周囲の物体を選んで、これを加工してる。そうしてその意味も、使う人、場合によっ 人形筆にんぎようふで兵庫県有馬温泉の土このような事例は世界各地でみられるが、彼ら 産用郷土玩具。名産有馬筆の竹軸に五色の絹糸がかって異民族と接触する機会がきわめて少な 道具をつくる。道具なしでは人間は生存するこてさまざまである。たとえば大学で、伝統的な を巻き、軸の中に鉛をつけた糸で小さな人形を い過疎の状態に置かれていたことを考えれば、 とができない。人間とは人と人の間を意味する文学部とは少し肌合いの違う人文系の学部をつ が、人間として生きるためには人間関係の維持 くるときに、これに「人間科学部」の名前を与 吊るし、毛先を下にして筆を立てると人形が軸自称民族名すなわち人間ということは当然なこ とである。 端から飛び出す仕掛けになっている。七世紀、 。ゝたいせつである。人間の社会は夫婦および家えている場合がある。こういう学部には、哲学 、一うとく ありまの そうかん おたらしひめ 孝徳天皇の妃小足媛がこの名湯に浴して有間 私たち自身をも含む「人間とは何か」につい 族を基本単位とし、いすれの社会も近親相姦を者も「哲学的人間学」の担当者ということで参 皇子を懐妊したという伝承にちなみ、一五五九ては古来多くの思想家が論じている。そこで忌避する。また人間は一一一一口語なしでは人間的存在加していることがある。これに対し、生物学、 年 ( 永禄二 ) ころ考案されたという。習字嫌い は、人間は動物の一種であり、直立二足歩行すとなりえないし、言語を通して思考することが生態学のなかの人間に関する部分と、ロポット の若殿が筆の仕掛けに興じて、のち能書家となることは自明の事実とされており、それ以上の多い。とくに文字の有無によって人間の社会は工学、人間工学とを組み合わせたようなものを とよとみ ったという伝説、豊臣秀吉が有馬温泉に遊び、特性をもって人間を規定しようとしている。未開と文明に分けられる。なお人間という語は中心として人間科学のイメージを描いている人 この筆を激賞したという挿話もある。筆を玩具 「英知人 Homo sapiens 」「工作人 H. faber 」人柄の意を含む。このことは人間における精神もいる。また、精神分析学や文化人類学、民族 すずり 化した着想はほかに類がなく、硯を人形にかた 「言語人 H. loquens 」「政治人 H. politicus 」 性の重要さを示唆している。↓人類〈香原志勢〉学、言語学などを核としたうえで、文学にもか なり接近したものを「人間科学」とよぶ言い方 間にんげん文芸雑誌。一九四六年 ( 昭 どった嵯峨の人形硯 ( 京都 ) 、奈良一刀彫人形「経済人 H. oeconomicus 」「宗教人 H. religio- 人 の型を墨でつくった人形墨 ( 奈良 ) と並んで、 sus 」「芸術人 H. artex 」「魔術人 H. magi ・ 和二一 ) 一月から五一年八月まで六七冊と別冊がジャーナリズムではやったこともある。ギリ くめまさ 書道の三つ物玩具とよばれている。〈斎藤良輔〉 cus 」「遊戯人 H. ludens 」などは、いすれも三冊、増刊一冊を発行。鎌倉在住の作家久米正シア語までさかのばれば、人類学と同じ語源の やすなり にんぎよひめ Den lille Havfrue 人間の特性の一面を物語っている。 雄、川端康成、高見順らの始めた貸本屋から生ことばということになろう。 〈吉田夏彦〉 人魚姫 アンデルセンの童話。一八三七年作。一五歳に バスカルは「人間は考える葦である」とし まれた出版社である鎌倉文庫が発行所 ( 五〇年人間学にんげんがく anthropology フラ ッ 日本 なって初めて海上に浮かび出た人魚王の末娘て、人間の弱さと思考の優越性を説いたが、形 から目黒書店に移る ) 。木村徳三編集。戦後文 Anthropologie ト anthropologie は、船に乗っていた人間の王子を見そめ、嵐で而下的には人間はけっしてか弱い存在ではな 学の出発点として文芸の復興を目ざし、宇野浩語の人間学は、日本語の人類学とともに、本 じ ま一むねはくちょう よこみつり 、多くの動物たちにとり脅威となっている。 二『思ひ草』、正宗白鳥『人間嫌ひ』、横光利来、「アントロポロギー」の訳語である。 船が沈んだとき必死で王子を助けるが、失神し ていた王子はそれに気づかない。姫は魔女の助今日の自然破壊にみるまでもなく、後期旧石器一『微笑』など既成作家の作品が発表されたほ アントロポロギーは、初め生物学的な自然人 たいじゅん けで、美しい声と引き換えに人間の姿にしても時代以降、人間は多数の生物種を絶滅、または か、織田作之助、三島由紀夫、武田泰淳らの類学であったが、のちに文化人類学が自然人類 らい、王子の城に行って侍女になる。しかし王それに近い状態に追い詰めてきた。それという新人を紹介、さらに混迷する思想状況を立て直学と並ぶ人類学の一分野とされ、そこには、考 子は姫を命の恩人と知らず、隣国の王女と結婚のも、武器や火の使用ばかりでなく、優れた知そうとする論文も数多く掲載された、戦後の代古学、民族学、民俗学と並んで、社会人類学、 する。王子の愛を得られなかった姫は、人間し 能に由来する激しい攻撃性の展開の結果であっ表的文芸誌。 〈田沢基久〉 心理学的人類学、さらには教育学的人類学まで っ あらし
ばじきや 木るれ はしきらす漉き上げたままの耳九世紀にロシア人による植 端切らす すば つきの和紙のこと。端切らず紙の略称で、端切民地化の圧力で定住し、現 7 びとる ら」え り紙に対する。京都の東寺に伝わる『東寺百在は半農半遊牧的生活をし 大 じよう カ麿が 」へ三を " 年な歌か 合文書』にも「はしきらず五帖」などとあるている。家畜はウマとヒッ めのう シが中心。ウマの一品種で っ正く が、用途などは不明である。↓細川〈町田誠之〉 見大よ ル baL11KHp/Bashkir ソ連、あるバシキール ( パシュキ を「か ハシキー 女 鏡は地 す ル ) 種は小さいか、がっし ロシア共和国中西部にあるバシキール人の自治 ら 第 ~ - 〉第第庄 o 手に境 ( イ脅宅ま * 5 の性の と 共和国。正称バシキールスカヤ・ソビエト社会りしておりステップでの生 様女び美 あ 万 x 模の耽 る 主義自治共和国 baLLIKHPCKafl ACCP/Bash- 活に適している。ウマは農 葉金ぎの 数 耕、運搬、乗用に供される kirskaya ASSR ノシキーリア baL11KHPHfl 引にぬ葉 行 ン れ〕ミ - ロ」漆肌五 Bashkiriya ともいう。面積一四万三六〇〇平とともに、雌馬は一日に八 橋版黒片た し ~ 一〇の乳を出し、それ 方キ。、人口三八七万 ( 一九会 ) 。首都ウフア。一 載 によって独特の発酵乳 ( クミス ) が生産され初の木版画『浴女』を発表、木版画家としての 九一九年設立。西部は平地で、東部は丘陵・山 しようさっ しよ、つごっ を る。養もユニークな産業として昔から続いて活躍に入る。版画家が下絵から彫刻、摺刷の 地 ( ウラル山脈南部 ) である。大陸性気候で、 いる。宗教はスンニー派のイスラム教だが、ロ全工程を手がけるべきとする創作版画連動の流 平均気温は一月零下一五度 0 、七月二〇度 0 。 ジ ほりしすりし 行に抗し、彫師や摺師の熟練した技術を借り、 シア正教会に属する者も多い。言語は、タター 年降水量は五〇〇ミリ前後である。住民はトルコ え はるのぶ うたまろ 一備 ル語と同様トルコ語族のキプチャク語派に属す春信や歌麿など浮世絵美人画の遺産を近代的な 語族のバシキール人 ( 二四・三 % ) のほか、ロ 〈片多順〉感覚で再興させた。代表作に『化粧の女』 ( 一九 シア人 ( 四〇・三 % ) 、タタール人 ( 二四・五るバシキール語を話す。 じゅばん ャ % ) が多い ( 一九 ) 。地下資源に恵まれ、石油、橋杭岩はしぐいいわ和歌山県南東部、叫牟一 0 、『髪梳ける女』『長襦袢の女』 ( ともに一九 たていわ キデ ジ一鉄、銅、亜鉛、金が産出される。主要工業は石婁郡串本町にある岩石列。立岩ともいう。海岸 = 0 ) があり、ほかに風景画や花鳥画の版画も残 やきん 〈小林忠〉 から南の大島に向かい延長約七〇〇、大小一一一した。満四〇歳で東京に没。 油化学、冶金、機械、木材、食品工業である。 へ けつがん 農業も発達し、小麦、ライムギ、ヒマワリ、テ〇余の巨岩が海上一列に並ぶ。第三紀頁岩層の回『橋ロ五葉』定本・豪華普及版 ( 一九七・ノー ベル書房 ) ンサイ、果樹栽培と家畜 ( ウシ、プタ、ウマ、亀裂に噴出した石英粗面岩の岩脈が海食を受け 幟猿がしだいに衰退したのにかわって流行し みよし 一つ・つだいし ごろ はしくらじ徳島県三好郡池田町にあ 〈中村泰三〉 たもの。空海 ( 弘法大師 ) が架橋を中断したと箸蔵寺 た。ことに「はじきざる」の語呂が、災いをヒッジ ) の飼育が盛ん。 まうじゅさんしんこういん しん′」んおむろ いう伝説がある。国指定名勝・天然記念物。吉る真一一一〔宗御室派の寺。宀玉珠山真光院と号する。 ごトルコ系諸言語の一 「弾き去る」という俗信に結び付き、縁起物と バシキール語 こよらい 〈小池洋一〉本尊は薬師来。八二八年 ( 天長五 ) 空海が当 つ。ソ連のバシキール自治共和国 ( モスクワ東野熊野国立公園に含まれる。 して迎えられた。 けんぞくこんびらごんげん 地で修行中に薬師如来の眷属金毘羅権現を感得 かっては郷土玩具として全国各地にみられた方およそ一一〇〇キ。、首都ウファ ) で話されて囮二万五千分の一地形図「串本」 して如意宝珠と祭器の箸を山中に留めるという がわ Pasig フィリピン北 る。バシキール人の自称はバシコルトである が、その多くがすでに姿を消している。現在でい バシグ日 じようじゅ からくわおさき から、バシコルト語と称してもよい。話し手は部、ルソン島中南部の川。フィリピン最大の湖神託を受け、空海は済生利民の誓願を成就す は、宮城県本吉郡唐桑町御崎神社の祭礼 ( 一月 ハイ湖の北西岸から流出し、マニラ市街を経てるため当山を開創したと伝える。金毘羅神は当 。バシキール族の総数は一 一四 ~ 一五日 ) に売られる唐桑の弾き猿、東京約九〇万人 ( 一九七九 ) ぞうず はんらん まっ寺一か っー ) ん しばまたたいしやくてん 地と讃岐 ( 香川県 ) の象頭山を往来したと伝 都葛飾区柴又帝釈天の弾き猿、三重県松阪市三七万一〇〇〇人 ( 一九七九 ) であるが、母語の保マニラ湾に注ぐ。延長約二三キ。。その氾濫原に どうくっ はつうま やくよ おかでらさん マニラ市が建設され、この川を挟んで市街は南え、現に山底の洞窟中に祭器の箸を蔵してお の厄除け観音岡寺山継松寺で、旧暦初午の日有率が六六・二 % ( 一九七 0 ) と低く、他のトルコ 北に分かれる。北部は商業地区で中国系の住民り、これが寺名の由来になったという。室町時 ( 三月中旬 ) に露店で売られる松阪の猿弾きな系諸族の母語保有率がほとんど九〇 % 以上であ はちすか じよう一い も多く、南部はスペイン領時代から城塞が置代には寺勢衰退したが、戦国時代には蜂須賀氏 どが代表的である。 3 膨郷土玩具〈斎藤良輔〉るのと対照的である。トルコ語族のうち西方語 が再興。以後、香川県の金毘羅宮の奥の院とし かれ、住宅地でもあった。小船なら航行可能な ジキャリアー barge carrier 貨物派に属し、音韻特徴ではタタール語に近い関係 にある。アラビア文字で表記されていたが、一ため、バイ湖の漁獲物や、沿岸の農産物をマ一一て隆盛を誇った。寺域は広大で、本殿、本坊、 を積んだバージ ( 艀 ) をそのまま搭載して輸送 がらん 〈別技篤彦〉薬師堂、護摩堂、大門など三〇余の伽藍が並ぶ ラに運ぶのに利用された。 する重量物運搬船の一種。通常の貨物船では出九二九年のラテン化を経て、三九年からはキリ きよさっ はしぐちごよう ( 一会 0 ー一九一二 ) 明巨刹である。とくに本殿は八棟造で豪華森厳で 荷地から運ばれてきた貨物を港で船に積み替ル文字を基礎とした正書法を採用している。↓ 橋ロ五葉 おおみそか 〈竹内和夫〉治・大正の木版画家。鹿児島に生まれる。本名ある。節分・旧大晦日・旧正月六日・旧正月一 ハシキール族 え、到着港でもふたたび貨物を降ろして積み替 そく Bashkirs ソ連清。初め霧缶、清水、翠峯と号し、一九〇三年四日には星供大祭、八月四日には箸供養が行わ えなければならないが、バ ジごと積み、 ハシキール族 〈祖父江章子〉 に住むタタール系民族の一つ。主としてソ連邦 ( 明治三六 ) から五葉と改める。一八九九年上れる。 ジごと降ろすことで荷役の手間が省け、輸送能 ハシキール自治共和国を中、いに、ウラル山脈南京、橋本雅に入門。さらに東京美術学校西洋 バ、ノクルモン T 、ミ 0 、ミ・きミミミきミ 率が向上する。重量物を自力で積み降ろしする そう ために、ヘビーデリックなどの強力な荷役装置東部からポルガ川の草原地帯にかけて住み、人画科に入学して一九〇五年に卒業。同年夏目漱 (). ) W00dson var. s ミミき Hara キ せき わがはい ョウチクトウ科の多年草。茎は直立して多くの 石の『吾輩は猫である』を装丁、好評のため以 ロは一三七万一〇〇〇 ( 一九七九 ) 。人種的・文化 を備えるとともに、積載甲板の強度を強くし、 後漱石ほかの小説本の装丁にかかわる。一五年枝を出し、高さ四〇 ~ 八〇。葉は多くは対生 また荷役中の船の傾斜の防止と復原力の保持の的にタタール人にもっとも近い。他のタタール ( 大正四 ) 、浮世絵商で浮世絵伝統の木版技術のし、長楕円形で長さ二 ~ 五弩、幅〇・七 ~ 一 ために調整タンクを設けるなどのくふうがされ人と同様、かっては草原遊牧民としてフェルト えんすい 〈岩井聰〉造りのテントで移動生活を行ったが、一七 ~ 一保存に努めていた渡辺庄三郎の勧めにより、最五誓・。夏、枝先に円錐花序をつくり、小さな淡 ている。↓艀 7 ひやく きれつ さめき だえん 0 696