はな ミ科、・フナ科、イラクサ科などのように、退化デ属、トネリコ属、シュロソウ属などでは、しの花が多く、単子葉植物には三数性の花が多があるが、合生心皮花では心皮の数にかかわら して目だたなくなる場合もある。このような花ばしば両性花と単性花とをもつものがみられ 。輪生と定数化が確立した場合、雄蕊は一一輪ず雌蕊は一個で、花の中央、すなわち花床の頂 被をもっ花は無花弁花とよばれる。さらに、ドる。これを雑居性という。 になり、さらに減輪して一輪になる。雄蕊が一一端に位置する。 クダミ科、センリョウ科、ヤマグルマ科などの 〔相称面〕花には、多くの場合、中心を通った輪である場合には、カキ科、アカテッ科などに 〔子房の下位化〕被子植物の花におけるもっと ように花被をもたないものもあり、これは無花 いくつかの相称面がある。二つ以上の相称面をみられるように、外輪が花弁または花冠裂片と も重要な進化として、子房の下位化がある。心 被花とよばれる。無花弁花や無花被花は、同花もっ場合を放射相称という。アプラナ科にしば互生するものと、イチャクソウ科、ツッジ科な皮はいちばんあとに形成される花要素であるた 被花から退化によって生じたとする説があり、 しばみられるような二つの相称面をもっ場合をどにみられるように外輪がそれらと対生するもめ、原始的な花では、雌蕊は他の花要素の上に ふうばい この退化は風媒と関係づけられることが多い 二放射相称とよぶこともある。相称面が一つの のとがある。また、一輪である場合にも、ツツ位置して子房上位花となる。しかし、進化に伴 しかし、一方では、これらの花を裸子植物の花場合を左右相称という。一般に花の相称面が減ジ科やイワウメ科などにみられるように、花弁って、花床がへこんだり萼筒が形成されて子房 と関係づけ、原始的な形態とみなす説もある少することは進化と考えられている。トリカプや花冠裂片と互生するものと、サクラソウ科やを取り巻き、花弁や雄蕊が子房と同じくらいの し、これらの花と発達した花被をもっ花とは、 ト属、ヒエンソウ属などの花では花被だけの左イソマッ科にみられるように、それらと対生す高さにつくと子房中位 ( 周位 ) 花となる。さら 起源を異にすると考える説も出されている。 右相称であるが、マメ科、シソ科、ゴマノハグるものとがある。 に、花床や萼筒が子房を包むようになると、花 〔両性花・単性花〕被子植物の花は、本来、雄サ科、タヌキモ科、ラン科などでは花全体が左 花要素を葉的器官であると考えると、離生し弁や雄蕊のつく位置は子房より上になり、子房 蕊と雌蕊とをもっ両性花であるが、なかには、右相称となる。また、放射面をもたない場合をているのが本来であり、合着しているのは進化 下位花となる。子房の下位化は胚珠の保護の強 どちらか一方しかもたない単性花 ( 雌雄異花 ) 不相称という。不相称は、サラシナショウマ属した状態といえる。花要素の合着には、同じ種 化のためであり、しばしば子房を包んだ花床が もある。しかし、被子植物の単性花は裸子植物の例にみるように、花の構成の退化と関連する類の花要素間の同類合着と、異なった花要素間 果実の形成に参加して偽果となる。 の場合とは異なって二次的なものといえる。すことが多い。↓花冠 の異類合着とがある。異類合着には、シソ科な 〔送粉法〕裸子植物では、花粉は風によって運 なわち、両性花から雌蕊が退化すれば雄花、雄〔花要素の数〕花を構成している花要素の数はどにみられる花冠と雄蕊の合着や、センリョウばれて胚珠につく風媒花である。一方、被子植 蕊が退化すれば雌花となる。したがって、アケ一般に不定・多数から一定・少数へと進化する科、ラン科などにみられる雄蕊と雌蕊との合着物では、花枌が昆虫によって他の花の柱頭に運 ビ科、ウリ科などでは、雌花に退化した雄蕊が ばれる虫媒花が本来であり、風媒花は花の退化 と考えられる。しかし、おびただしい数になるなどがある。同類合着では花弁の合着が古くか に伴って由来した二次的なものとみなすという あったり、雄花に退化した雌蕊のある場合が少場合は、二次的な増数とみなされることもあら注目され、双子葉植物はしばしば離弁花類と らせん なくない。アケビ、キュウリなどのように雌花る。花要素の数が多ければ螺旋に配列すること合弁花類に二分される。しかし、離弁花と合弁意見が強い。 しかし、被子植物でも風媒を本来 と雄花が一つの個体につく場合を雌雄同株、アが多いが、少なくなれば輪生し、かっ、三数、花は系統の違いを示すのではなく、進化の程度の送粉法であるとして、裸子植物と関係づけよ サ、ホウレンソウ、スイバ、クワ科、ヤナギ四数、五数などに定数化するようになる。定数を示す特徴である。また、心皮が離生している うとする意見もある。鳥媒花やこうもり媒花は 科、ヤマモモ科などのように雌花と雄花が別な 化は萼片、花弁から雄蕊、心皮に及び、花要素か合着しているかも進化の程度を示す重要な特虫媒花の変形で、とくに大形の花をつける熱帯 個体につく場合を雌雄異株という。また、カエ全体を通じて確立する。双子葉植物では五数性徴である。離生心皮花では心皮の数だけの雌蕊性植物によくみられる。水中で開花する水草は 水媒花である。↓花粉↓受粉〈田村道夫〉 〔花の文化史〕花と人のかかわりは、花枌分 析、遺物、彫刻、絵画、文献などの直接的証拠 のほか、神話、伝説、物語、語源、民族間の植 花 物利用の比較などから知ることができる。 雄 人類最古の花利用は、六万年前の旧石器時代 ギ どう 上 ナ にさかのばり、イラク北部のシャニダールの洞 くっ 窟に理葬されたネアンデルタール人に、ヤグル はオ マギクの一種 0 ミミミ so 一 s ミ、ノコギ リソウ属ゝミき、セネシオ ( キオン ) 属 Se ・ っ ミ、ムスカリ属ミミ、 ~ ・、タチアオイ属 、下 ゝミなどの花が手向けられていたことが、 雌株 花枌分析から明らかにされている。 古代のエジプトではスイレンが神へ献花され 花キ た。新王国時代のテーべの壁画には中庭の池の スイレンが描かれるが、これは記録に残る最古 っ の栽培花である。ッタンカーメンの墓からはヤ 花体 グルマギクの花輪が発見され、ほかにもヒナゲ 雌個 シやペニ。ハナなどが古代のエジプト王の墓に残 株同 同が されていた。異国の花への関心は古く、トトウメ 3 上 ス三世は紀元前一四五〇年ごろシリア遠征の記 花 同花被花で花被 片の退化した無 花弁花 ( オニグルミの 雌花断面 ) も ク 花花 被被 花花 同無 異花被花同花被花の進化 した状態で萼と花冠がある ( バラ ) ( 第物 . ツ ~
はな ン 下 花 ウ ョ れ イ セ 中 フ 花 花 蕊 置 の の ュ 雄 物 チ の 嚢植 植 子し弁 株 子子チ株 マ 上 花子 被雄花 胞裸雄 し力に多様で 進化し、イヌマキ科では胚珠をつける鱗片一枚ある。しかし、被子植物の花は、、ゝ 花はな植物の有性生殖にあすかる器官で、状になることがある ( これを「お葉付きイチョ のう あっても、それらの間に相同性を認めることが ウ」とよぶ ) 。このことから、椀状部は退化しで一個の球花をつくるに至っている。 広義には、胞子嚢をつける構造が集まって軸に 〔グネッム綱〕グネッム綱では、雄花も雌花もできる。被子植物の花は裸子植物の花と違っ 側生した構造をいい、狭義には、被子植物の有た大胞子葉と解釈されることもある。 かひ 若いときは、膜質の花被に包まれる。マオウ属て、本来、雌性器官と雄性器官をもち、それに 性生殖のための複合器官をいう。花を広義に解〔球果綱〕球果綱 ( マッ綱 ) では、普通、 りんべん の雄花穂では、軸に二 ~ 八対の包が対生し、包胚珠や花枌嚢をつけない花被をもった両性の複 釈すると、花はシダ植物、裸子植物にもみられつかの花粉嚢が鱗片の下面につき、それが軸に ることになる。 の腋に雄花をつける。雄花は一対の花被と、そ合器官である。すなわち、被子植物の花は、花 穂状に集まって雄花となる。球果綱を通じて、 しよう ゅうずい 〔シダ植物の花〕ックシはスギナの花で、胞子雄花の基本構造はほば一様とみなすことができれに覆われた一 ~ 八個の花枌嚢をつける小胞子床に下から上へと花被、雄蕊群、雌蕊群をつ 嚢をつける胞子嚢托が輪生し、それが数輪、穂るが、雌花はきわめて多様である。多くは鱗片嚢托よりなる。雌花穂には四 ~ 七対の対生するけたのが基本的な形である。また、被子植物の 状に集まったものである。また、クラマゴケでの上面に胚珠をつけるが、これが軸に穂状に集包があり、雌花は上部の一 ~ 二枚の包の腋につ花は一種のシュート ( 苗条 ) 、すなわち、茎に き、花被に包まれた一個の胚珠である。ウエル葉のついた構造と考えられ、花床という茎的器 まってつき、球花をつくる。スギ科などでは、 は、上面の基部に胞子嚢をつけた小葉が集まっ がくへん て穂をつくるが、胞子嚢は雌性の大胞子嚢と雄胚珠をつけている鱗片は単純であるが、マッ科ウィッチア属の雄花穂と雌花穂では、多数の包官に、花被片 ( または萼片と花弁 ) 、雄蕊 ( 雄 しべ ) 、および雌蕊 ( 雌しべ ) をつくっている 性の小胞子嚢とに分化し、それらをつける小葉などでは、その下にもう一枚の鱗片があって一一を対生し、その腋にそれぞれ雄花と雌花をつけ しんび る。雄花は基部に一対の小包をもち、花被の中心皮といった葉的器官がついたものとみなされ は一つの穂に混じってつく。 重構造となっている。進化のうえからみると、 に三個の花枌嚢をつける小胞子嚢托を六本輪生る。花をつくっている葉的器官を花器官または 〔裸子植物の花〕裸子植物では、雌性の大胞子球果は、本来はもっと複雑な構造をもっていた はいしゅ 嚢は珠皮に包まれて胚珠となり、雄性の小胞子もので、古生代石炭紀に栄えたコルダイテスでし、中央には機能のない胚珠がある。雌花も基花葉という。したがって、シュートとしての性 は、球花の軸に包 ( 包葉 ) がっき、それの腋よ部に一対の小包があり、花被に包まれた一個の質をよく保っている花は原始的なものとみなさ 嚢は花粉嚢となる。 〔ソテッ綱・イチョウ綱〕ソテッ綱では、花粉り伸びた枝に葉と胚珠がついていた。やがて、胚珠よりなる。グネッム属の雄花穂では、輪生れるわけである。 しよう 嚢は小胞子葉の上面に三 ~ 四個ずつ集まって全包より腋生する枝が退化し、全体が穂としてのした包が合着して数段の輪状の鞘をつくり、そ〔同花被花・異花被花〕被子植物の花は、本 まとまりが強くなる方向に進化していったとみの腋に輪生する雄花を少数輪つける ( いちばん来、同質の花被片よりなる花被をもっ同花被花 面につき、胚珠は大胞子葉の下部の縁につく。 であるが、進化した状態では花被は内外二輪よ 小胞子葉は穂状に密集して雄花となり、大胞子なされている。したがって、現生の植物でも、上に機能のない雌花の輪をつける種もある ) 。 マツのように球花の鱗片が二重になっているも雄花は袋状の花被に包まれ、二 ~ 四個の花粉嚢りなる。外輪はつばみのとき内部を保護する萼 葉は茎頂に緩く集まって雌花をつくる。イチョ ウ綱では、花粉嚢は二個ずつ小胞子嚢托につ のは原始的で、下の鱗片は包、胚珠をつける上をつける一本の小胞子嚢托である。雌花穂でとなり、内輪は昆虫誘引のために発達して花冠 は、鞘の腋に一輪の雌花を生じ、雌花は二枚のとなる。萼は萼片よりなり、花冠は花弁よりな き、それが穂状に集まって雄花となる。胚珠はの鱗片は退化した枝またはそれに属するものと る。このように、萼と花冠をもった花を異花被 二個が対になって大胞子嚢托につくが、それの考えられる。そして、スギのように一重のもの花被に包まれた一個の胚珠よりなる。 わん 上端部は広がって椀状となり、胚珠の基部を取は、その二枚が合着したものとみなされる。球〔被子植物の花〕被子植物の花を裸子植物の花花という。同花被花でも花被片は昆虫誘引のた り囲む。この椀状部は、まれに伸び広がって葉花をつくる鱗片の数は、さらに減少する方向に のいずれかと直接的に関係づけることは困難でめに発達することが多いが、ヤマモモ科、クル 〔ックシ〕 胞子嚢托 へり 雄しべ 胚珠 部 襟 雌花 えき 雌の球花 雄の球花 葯花 柱頭 子房 カよ・つ 房 子 しずい 872
のように、美しいがはかないものともされて、 よ念に、その地のザクロやサトイモ科をはじめ一一は草花より花本が圧倒的に多かった。日本自生芸術は明治以降も発展し、現代はそれにフラワ ・デザインの分野も加わり、日本の花文化をさらに、『古今集』「仮名序」の「今の世の中色 8 の花木にはヤマ。フキ、アセビ、ハギ、ツバキ、 七五もの植物をカルナックの神殿に刻んだ。ッ ・ : っ 〈湯浅浩史〉 に付き、人の、い花になりにけるにより」のよう タンカーメンの副葬品にザクロをかたどった香フジ、サクラ、ナシ、ウッギ、アジサイ、セン形成している。↓いけ花 やどりぎ 〔民俗〕花の色、香、形に対する関心は人類に に軽薄さ、『源氏物語』「宿木」の「花、いにおは 膏用スプーンがあり、写実の正確さにおいて植ダン、ネムノキ、ツッジ、草花にはナデシコ、 におうのみや 共通のもので、さまざまな習俗に投影してい する宮 ( 匂宮 ) なれば」のように不実などを ハス、渡来種の花木としてウメ、モモ、 物を意匠する最古最高の芸術品の一つといえよュリ スモモ、ニワウメ、タチバナ、草花にカラアイる。神話・伝説をはじめ、信仰儀礼、年中行表すこともある。歌論で「花」「実」を対照さ う。クレタのミノア文明にはマドンナリリ つは ( ケイトウ ) 、クレナイ ( べニバナ ) があり、ほ事、贈答、花一言葉、国花、占いなどに用いられせて用いるが、この場合も、「心」に対する 壁画やサフランを描いた壺がある。 ギリシア神話にはキンセンカ、スイセン、アかにマツ、タケ、カエデ、中国産のシダレャナる。日本では『万葉集』のころまでは、単に花「詞」、心情に対する表現の意とともに、虚飾的 ぜあみ といえば梅の花をさす例が多く、『古今集』のな語感で用いられることもある。世阿弥の能楽 ネモネ、スミレなどの花々が登場する。古代のギやカラタチなども栽培されていた。ウッギは ギリシア人は花冠や花輪を儀式に使った。それ生け垣として使われているが、これは世界的に時代になると桜が勢力を増してくる。色やか論でも、「花」は重要な美的理念であり、『風姿 な花は仏教に結び付いている場合が多いように花伝』などで、役者の年齢やカ量に応じて表さ らはマドンナリリー スイセン、ニオイスミみて早い レ、アネモネ、イブキジャコウソウの類、マヨ 『万葉集』には、室内で飾られた花はユリの見受けられる。民族によっても、時代によってれる内面的な魅力、いわば華やぎを意味する術 かずら 語として用いられており、それは歌舞伎などに ナラ、ギンバイカなどでつくられ、栽培下にあ蘰 ( 四〇八六、四〇八七 ) を除いてない。『万も、人気のある花は変化するものである。 はぎ 年中行事を中心に、花の登場する場面を拾い も継承されていく。 った ( テオフラトス『植物の探究』 ( 前三世紀 ) 葉集』には「白露の置かまく惜しみ秋萩を折り き等一よう 『万葉集』の花としては、「朝顔 ( 桔梗か ) ・馬 ほか ) 。ディオスコリデスの『薬物について』のみ折りて置きや枯らさむ」 ( 二〇九九 ) と詠上げてみる。まず、花ではないが正月用の門松 かきつばたくず しびあやめ ( 一世紀 ) には、多肉植物のア工オニウムの一まれているように、当時は花を手折っても、そ迎えを花迎えとよぶ地方がある。小正月の削り酔木・菖蒲・卯の花・梅・杜若・葛・紅花・ じゅじゅっ すすきすみれたちばなっきくさ つつじつばきなでしこ かギ ) し のまま眺めるか挿頭華や蘰にして飾り、室内で花は、木の枝につけて豊作を予祝する呪術で桜・薄・菫・橘・月草・躑躅・椿・撫子・ 種ゝきミミミ、、 2 ~ ミの栽培が記述されてい はぎ かん る。 萩・藤・紫草・桃・山吹・百合・忘れ草 ( 萱 花をいける習慣はなかったとみられる。いけ花あるが、花飾り、花正月、花かき節供などとい ぞう をみなへし 小正月から月末までを花の内とよぶ地方も草 ) ・女郎花」などが多く詠まれ、『古今集』で 花は宗教とも関係が深い。聖書に飾られた花のもっとも古い記録は仏への供華で、『東大寺 まくらのそう は出てこないが、マドンナリリーは聖母マリア要録』に載る七五二年 ( 天平勝宝四 ) 四月一〇ある。旧暦三月ごろの花見は広く行われておは新たに「菊」などが加わっている。『枕草 がんごう の花として、中世の宗教絵画には数多く描かれ日、元興寺から送られた「東の山辺をきよみ邇り、そのころから春の農作業にとりかかるの子』の「木の花は」の段には、「紅梅・桜・ なしきりあふち るしゃな た。インドではヒンドウーの神話にハスが登場井々せる盧舎那仏に花たてまつる」の記述であで、特定の花の咲きぐあいによって、各作業を藤・橘・梨・桐・楝」、「草の花は」の段には、 かるかや つば まくらのそうし し、仏教でもハスは聖花である。ほかにも仏典る。いけ花は、『枕草子』『源氏物語』をはじめ始める時期の目安にしている。旧暦 ( 現在では「撫子・女郎花・桔梗・朝顔・刈萱・菊・壺 かんぶつえ りんだう にはアショ力、ディコ、キンコウボク、ザク 菫・竜胆・かまっかの花・かにひ ( 雁緋 ) の とする平安文学には、サクラ、リンドウなど少多くは太陽暦 ) 四月八日の灌仏会は花祭ともい あし ふ みどう 、御堂の屋根を花で葺くことが知られている花・萩・八重山吹・タ顔・しもつけの花・葦の ロ、マツリカ、キョウチクトウをはじめ多数の数を除いて、ほとんど登場しない。盛んになる さお ; 、ほかにも同日に長い竿の先に花をつけて掲花・薄」などが取り上げられており、特異なも 花が顔を出す。 のは室町時代以降である。 たかはなてんとうばな 中国の花は周代の『詩経』にシャクヤク、 日本の花卉園芸は江戸時代に入って急速な発げる高花・天道花の習俗がある。盆にはオミナのもあるが、王朝文学にみられる花はここにほ もとかっ ェシなどの盆花迎えがあって、その花を売る盆ば網羅されていると考えてよいだろう。『風俗 ス、ランが、『礼記』 ( 前一世紀 ) にキクやラン展を遂げた。それらは水野元勝の『花壇綱目』 もんぜん が載るが、花を観賞するよりは薬用としての面 ( 一六 全 ) 、貝原益軒の『花譜』 ( 一六九四 ) および市を花市ともいう。春の七草は野草が中心であ文選』 ( 一七 0 六刊 ) の「百花譜」は、「梅・紅梅・ かいた・つ しゃうび ちきんしよう 桜・海棠・梨・椿・桃・藤・山吹・薔薇・ が強かった。唐代に至って花卉園芸は発達を遂代々の伊藤伊兵衛による『花壇地錦抄』 ( 一六るが、秋の七草は野花でまとめている。紋章に たんしやくやく そうわ げ、姚氏は『西渓叢話』で花卉三〇種を客に例九五 ) をはじめとする一連の地錦抄シリーズに跡も花をあしらったものがあり、皇室は菊の花を丹・芍薬・罌粟・杜若・百合・姫百合・合 けいとうらん あちさゐ あんらくあんさくでん ひやくちん ばたん えてあげた。それらは牡丹 ( 貴客 ) 、梅 ( 酒をとどめる。種類別には安楽庵策伝の『百椿用いている。華道は仏教を背景として、日本人歓・昼顔・紫陽花・卯の花・朝顔・鶏頭・蘭・ さんのじよう まうせんくわ あんずえん はす の美意識を芸道に高めた。↓花言葉↓花暦 仙花・女郎花・桔梗・萩・菊・寒菊・冬牡 客 ) 、蘭 ( 幽客 ) 、桃 ( 妖客 ) 、杏 ( 艶客 ) 、蓮集』 ( 一六三 0 ) 、伊藤伊兵衛三之丞のツッジ類の し かいど、つしよく きんしゅうまくら もくせ、 ↓花祭↓花見↓春の七草↓秋の七草↓国丹」などの花を女性に見立てて論じたもので、 ( 渓客 ) 、本犀 ( 岩客 ) 、海棠 ( 蜀客 ) 、躑躅 ( 山『錦繍枕』 ( 一六九一 I) 、山村遊園のボタンの『紫 よ - っ きふよう 〈井之ロ章次〉近世の文学における花の代表的な品種が掲げら 客 ) 、梨 ( 淡客 ) 、菊 ( 寿客 ) 、木芙蓉 ( 酔客 ) 、陽三月記』 ( 一六九一 ) 以降、カエデ、キク、サク花↓県花 . っ・つ・はい 〔文学〕草木の花の総称、あるいは花鳥風月、れている。和歌から俳句に至る詩歌を中心に、 蝓梅 ( 寒客 ) 、丁香 ( ライラック、情客 ) 、政瑰ラ、アサガオ、ウメ、ハス、ハナショウブなど ぎくろ はなもみじ ( バラ、刺客 ) 、木槿 ( 時客 ) 、安石榴 ( 村客 ) の図集が次々と刊行された。さらにサクラソ雪月花、花鳥、花月、花紅葉など自然美の代表日本の文学においてつねに花が題材としてもっ などで、ほとんどが花木である。 ウ、ナデシコ、ミャマウズラ、ミスミソウ、フ的な景物としての花を概念化した呼称。また、 とも大きな位置を占めており、花が咲くのを待 やくもみしよう 日本では『古事記』『日本書紀』にそれそれクジュソウ、セッコク、マンリョウやカラタチ『八雲御抄』 ( 一三世紀 ) に「近代はただ花と云ち、花が散るのを惜しむ心情を表出すること なり バナ、マッパラン、オモトなど日本固有の草花ふは皆桜也」というように、のちには桜など典が、自然美を描く文学の中心的な主題であっ 約八〇種、あわせておよそ一〇〇種の植物がみ 〈小町谷照彦〉 られるが、そのなかで花や実の美しい植物は、 を中心とする品種改良が流行した。それらは庶型的な花を限定していうようにもなった。『万た。 あをに ュリ、サクラ、ツバキ、ナシ、フジ、ヒオウ民も加わった点で、当時世界に類の少ない花文葉集』に「青丹よし奈良の都は咲く花のにほふ回浜健夫著『植物形態学』 ( 一九夭・コロナ社 ) おゅ ▽田村道夫著『被子植物の系統』 ( 一九七四・三 ギ、ホォズキ、ハス、外来のタチバナ、スモ化であったといえよう。なかでも斑入りや観葉がごとく今盛りなり」 ( 巻三・小野老 ) とある はんていきんた 省堂 ) ▽同著『生きている古代植物』 ( 一九 モ、ニワウメ、フジバカマと八分の一ほどにす植物の観賞も世界に先駆け、繁亭金太の『草木ように華やかさを象徴する景物であり、「はな ただとし かがみ 七四・保育社 ) ▽本田正次監修、山崎敬編 ぎない ところが『万葉集』では、名のあがる奇品家雅見』 ( 一全七 ) や水野忠暁の『草木錦葉やぐ」「はなめく」「はなばなし」「はなやか」 など、華美を表現する語にも「花」に関連する 『現代生物学大系高等植物 < 2 』 ( 一九〈四・中 一六〇余りの植物のうち、花の美しい草木は四集』 ( 一 0 九 ) に集大成された。 このはなのさくやひめ いけ花、盆栽、生け垣、造園など日本の植物ものが多い。また、『古事記』上の木花開耶姫 山書店 ) ▽原襄・福田泰二・西野栄正著 四種に増える。当時、人家で栽培されていた花 あ
はな , ントド 花 民俗〔日本〕①陌花百草図屏風』 重文東京徳川黎明会復古大和絵派の画家田中訥言の筆 江戸後期紙本金地着色六曲ー双 になる装飾的な屏風絵で , 90 余種にもおよぶ四季の草花が , 色彩も鮮やかに描かれている けすりばな ③削花。ヤナギ , ニワトコ , ェノキ , ミズキ , ヌル デなど木質が柔らかく白い木を削って , 花のように け ( りかけ つくった小正月の飾り物。削掛ともいう。墓地に飾 られた彩色された削花。 1 月 1 5 日。福島県郡山市 ④花祭。灌仏ムともいい , 釈 迦の誕生日を祝して , 花々で はたみどう 飾った花御堂をつくり , 誕生 仏を安置して甘茶を注ぐ。 4 月 8 日。東京都文京区護国寺 ; ーんはな、 ⑤盆花市。盆棚や墓に供える キクやキキョウ , オミナェシ など秋の草花が売られる。盆 花を依代として祖霊を迎える 形式と考えられている。 8 月 1 2 日。長野県上田市 ⑥花神。美市第神社の 例祭では , 特産の美濃紙を桜 色に染めて花をつくり , 神輿 を飾る。神輿の花と花がふっ かり , 町中花吹雪となる。 4 月 1 4 ・ 1 5 日。岐阜県 ⑦水口祭の供花。番代由の水口に季節の花を挿 して田の神を迎え , 豊作を祈願する。 5 月上旬。 ー愛知県海部郡大治町 4 キ ②。ヤナギ , ェノ キ , ミズキ , ヌルデな どの枝に , 小さく刻ん だ餝を花のようにつけ て , 神棚近くの柱に飾 ′る。作物の豊穣を祈る ぶ ) 年頭の予祝行事。 1 月 14 日。青森県下北郡東 通村 ・上 2 れ ~ ぐ 1 ⑧やすらい花。疫扣を簸い , 花の霊を鎮める。やすらい祭の直 径 2 m 余の赤い花傘の上にはサクラ , ツバキ , ヤマプキ , マッ , ヤナギなどが飾られ , 金属の鯑が隠されている。傘の下に入る と悪霊退散の効があるという。 4 月第 2 日曜日。京都市今宮神社 ⑨ゆり祭。三輪山で摘まれた「三枝の百合」 ( 一本の茎に三つの ュリの花のついたもの ) を酒樽に飾り , 率川神社 ( 大神神社の摂 社 ) に献する三枝祭。神前での儀式のあと , 奈良朝の風俗を倣 った女性たちが町を清めて回る。 6 月 1 7 日。奈良市本子守町 みなくら おおみれ 875
ばなな 開く。花柄には細かい曲がった毛が密生する。 になる部分に花や葉の美しい植物を植えた、装九九〇年の天球上の位置は赤経一七時五七分、 ほかのトリカプト類に比べて花が大きく美しい 飾的な花時計となっている。また時計盤になる赤緯プラス四度三二分である。一年間に動く視 ためにこの名がある。茎の先に大形の花が密集 位置の変化角、すなわち固有運動が全天の恒星 面は、普通一五度程度傾斜させて見やすいよう してつくため、キクに見立ててカプトギク、あ にくふうされている。外国ではイギリスのエジ中最大で、年一〇・三一秒にも及ぶので有名で るいは、中国原産であるため、日本産のトリカ ーナードにより ンバラ王立植物園、スイスのジュネー。フのものある。一九一六年に・・ 。フトと区別してカラトリカプトともいう。 が知られ、日本では神戸市市役所前 ( 一九五七 ) 、発見されたのでこの名がある。視線速度も大き むこうおか オ 花や切り花に用いる。漢方薬の烏頭や附子は、 ノ く、毎秒一〇八キ。メートルで太陽系に近づきっ 川崎市向ヶ丘遊園地 ( 一九六三 ) 、神奈川県立フラ この植物の根を減毒して乾燥させたものであ つあり、合成した空間速度は太陽に相対的に毎 ワーセンター大船植物園 ( 一九六七 ) などのほか、 こまざわ ナ 〈門田裕一〉 る。↓トリカフト 東京都駒沢オリンピック公園、札幌市市民会館秒一四〇キ。メートルとなる。スペクトル型は おとふけ ナナ〔花菜〕きミ s ミミミを s 、こ s L. 5 の主系列星で、表面温度は約二五〇〇。質 前 ( 一九五 0 、北海道音更町などに設置されてい 月、茎頂に小さな唇状の管状花を数十個、穂状アプラナ科の一年草。花を野菜として利用する る。 〈堀保男〉量は太陽の〇・一五倍ぐらいと推定されてい につける。花色は普通は淡紅色であるが、白色のでナバナ ( 菜花 ) ともいう。チリメンハクサ <lll) 放送作る。またこの星の固有運動が蛇行的に方向を変 花登筐はなとこばこ ( 一九天 えるところから、不可視伴星の存在が確認されの品種もある。北アメリカ原産。切り花、花壇イから分離してできたといわれるが、詳細はわ 家、小説家。本名花登善之助。滋賀県生まれ。 だえん ており、周期二五年、離心率〇・七五の楕円軌用として観賞する。繁殖は株分けにより、春、からない。冬季に千葉県や淡路島の暖地で切り 同志社大学経済学部卒業。コント作家を経て、 ひがん でっち 道で周りを回っている。この不可視伴星の質量秋の彼岸ころ、地下茎を一本すっ株分けする。花として栽培される。品種は大きく分けて、葉 テレビドラマ『番頭はんと丁稚どん』 ( 一九五九 ~ ちりめん みしよう が縮緬状に縮むチリメン系と、広葉で縮みがな 実生も可能である。寒さに強いじようぶな宿根 六 I) でヒットを飛ばし、以降、大阪を舞台にしを求めると太陽の〇・〇〇一六倍 ( 木星の一 く花房が大きい丸葉系がある。つばみが柔らか また連 七倍 ) になり、恒星界における惑星の存在を暗草であるが、夏の極端な乾燥には弱、。 た根性ドラマを書き、人気放送作家となった。 はんじようき 〈北村正利〉 作すると地下茎が長く伸び、花つきが悪くなるくて美味なので、ツマナ ( つま菜 ) とよび、野 示している。 代表作に『堂島』『細うで繁昌記』『どてらい ので、毎年植え替えをするとよい。〈神田敬二〉菜としての出荷も多い。ナノハナとごく近縁で 男』など。大衆小説や商業演劇台本にも進出 ハナトラノオ〔花虎尾〕 P を s 。 s 、 e を ^ 水落潔〉、をこミミ Benth. シソ科の多年草。茎の断 し、劇団「喜劇」を主宰した。 ハナドリ「花鳥〕 flowerpecker 鳥綱スあるが、ナノハナと異なる点は、花茎は太くて 伸びず、葉は小形で、葉柄、花柄ともに短く、 ーナード星ー。。・せい Barnard へびつ面が四角形であることからカクトラノオ ( 角虎ズメ目ハナドリ科に属する鳥の総称。この科 総状花序に形よく花がつく。花色は同じく黄色 Dicaeidae には、ホウセキドリ類とよばれるも かい座にある実視等級九・五等の暗い赤色の尾 ) ともいい、属名のフイソステギアでよぶこ アルファ のも含めて、七属約五八種が含まれている。全であるが、花は大きく、よく開く。九月中旬か ともある。茎は直立し、高さ〇・六 星。ケンタウルス座星の四・三光年に次い きよし ひしん 長七 ~ 一九弩。大部分の種は全長一〇以下のら下旬播きで、一二月以降、短日の真冬でもよ 。葉は対生し、披針形で鋸歯がある。七 ~ で二番目に近い直星で、距離は五・九光年。一 〈横山二郎〉 く開花する。 小鳥で、雄は一般に赤、黄、青、黒などの羽毛 バショウ斗バンヨウ属 をもち、はでな色をしている。雌は緑色やオリ ナナ banana ー。フ褐色を主とした目だたない色である。嘴辷 ~ 、召の英語名であるが、一般には果実を食 は比較的短く、じようぶで、先がとがる。足も用・料理用とするものをさす。 〔特性〕バショウ科の常緑多年草で、高さは二 じようぶである。インドおよび中国南部からオ 一〇に達する。根には定着根と栄養根があ ーストラリアにかけて分布する。多くのものは み - っー」しみ、つ る。茎は葉鞘が互いに抱き合ってできた円柱 開けた林やジャングルの樹冠部にすみ、活発に そうせい かみつ 動き回りながら、花蜜、花に集まる昆虫類、種状の擬茎で、上端から葉身を叢生する。花茎は 葉叢基部から抽出する。この際に直立性の花序 子、小形の果物や漿果を食べている。ハナドリ 類は花で採食することが多いので、花枌の媒介をつけるフェイバナナ groupZM. きミ に役だっている。また種子 ( とくにヤドリギの Mac. を除き、花茎は伸びるにつれて垂れ下が わん 種子 ) を媒介するものがいる。巣は椀形か、枝り、その先端に擬宝珠状に包葉をつけ、包葉が えき からつり下がった袋状で、一腹の卵は普通二先部のつばみを包む。花は各包葉の腋部に二列 につく。その花序の基部に雌花を、中央部に両 個。チッ、チッと聞こえるような声で、飛行中 〈森岡弘之〉性花を、先部に雄花をつける。雄花は雄しべ五 、な、どに良可 / 、。 たちおどり 本、雌花は雌しべ一本で、子房は三室。果実 はなとりおどり 0 太刀踊 花取踊 は、野生型は多くの種子をつけるが、栽培型に ハナトリカフト〔花鳥兜〕」 4 きミ、ミミ き、ミミミ = Debx. キンボウゲ科の多年草。は種子はほとんどない。種子は灰黒色、不斉の の道ン さ海ザ 中国原産。有毒植物で植物全体に毒を含むが、球形で径は三 ~ 四 : リ。各果房を果掌 hand 、各 き 大 , 計ロ 果実を果指 finger とよび、生食用種で長さ六 とくに根に多い。茎は直立し、高さ〇・六 のる時 一誇花ス計 ~ 二〇弩、径二・五弩であるが、料理用種には 一・五葉は質が厚く光沢があり、長さ六 界をのイ時 計世盤町ス花 長さ三〇弩、径七に達するものもある。果指 、深く三裂する。九 ~ 一〇月、茎の先に 時字更司の 花〔文」音〔ヌ総状花序をつくり、青紫色の花を多数密集して数は二〇 ~ 三〇〇〇、果色は淡黄から褐赤色 8 やっ もミ第立 ン
- 一も け邸内の持仏堂に籠ることを承諾させるのがやということもある。いすれも子柄がよく発達まれた花一言葉は、ヨーロッパの国々にはば共通われていた。また開花期に従って花の名を順に え したものとして伝えられている。 記し、それぞれの名所などをあげた花暦が近世 8 っとである。そこで、妻が見にきたときの用心 し、分枝が多く、子器は枝の先につき、小さ かじゃぎぜんぶすま 〈倉石忠彦〉 そして中世以来、愛する女性に花を贈って意にはつくられていた。 し地衣体は、子柄を残して早くに消失する。 に、嫌がる太郎冠者に座禅衾をかぶせて身代 あんじよう はなごよみ四李別または月別に花の 志を伝え、その返事も花束を贈り返すことによ花暦 りにし、喜び勇んで出かけて行く。案の定見舞この群の分類は、分枝の仕方や化学成分の相違 によって行われる。日本で知られているのは七つて示す風習なども生まれた。しかし花のどこ開花期や果実の観賞時期を示した暦。自然界で いにきた妻は、窮屈そうな姿に同情し無理に衾 をとり冠者と知って腹をたてるが、こんどは自種ほどであるが、北極圏には多く、地表一面がを取り上げるかによって、また国によって、その花の開花は、季節を予知するうえで重要な指 このハナゴケで覆われることもある。いずれもの意味も違っているものがある。たとえば「節標的役割をもち、かっては農作業を進める目安 分が衾をかぶり、夫の帰りを待ち受ける。そう しん 制」を花言葉とするツッジも、日本ではその燃ともした。歴史的には中国が古く、清代初期の とは知らず、夢見心地で帰宅した夫は、顔を見トナカイの飼料として重要である。以下、石蕊 陳淏子『秘伝花鏡』の中編「花暦」の項には、 えるような赤色を太陽に見立て、旧四月八日に ては恥ずかしいからそのまま聞けと、花子の宿群に含まれるおもな種を示す。 きめぎめ ①ワラハナゴケ C. ミミ (Wallr. ) Rabh. 天道花などとよんで家の門口に高く掲げる習俗主として開花や天候にあわせた農作業の取り組 所を訪ねてから後朝の別れまでの一部始終を、 があり、赤は日本や中国では喜びの色とされてみ時期が指示されている。わが国の花暦は中国 妻の悪口まで交えて小歌で長々と語り尽くす。 var. ~ 斗ミ Ahti ハナゴケによく似てい いるが、インドでは怒りを表すとされる。黄色から取り入れられて発達したもので、『会津農 るが、子柄が黄色を帯びる。低地から高山にか さて衾をとって驚く夫を妻が追い込む。 のうえん についても、日本のフクジュソウなどは正月を書』 ( 一六会 ) には指標植物の開花による作業指 けて生育し、日本では北海道から四国にやや普 濃艶な内容を上品に表現しなければならない 示が記載されている。 ところにむずかしさがあり、長々と舞いながら通にみられる。また、北アメリカ、シベリアに寿ぐ花で、花言葉は「しあわせを招く」とさ こうしてわが国では自然気候下で、春のコプ れているし、中国では貴重な色として崇拝する も分布する。 謡うことは体力的にも容易でないので、秘曲と たそがれ シ、サクラ、秋のヒガンバナといった毎年定期 ミャマハナゴケ C. s 、 ellaris ( 0 三 z ) Pouzar が、西洋では黄昏、退廃、病気、死などを連想 して扱われている。これを歌舞伎舞踊化したの はしゅ みがわりぎぜん ときわずながうた et Vézda 高山帯に多く生育する。子柄の分する不吉なものとされ、その花一言葉は「悲しき的に咲くものを経験的に読み取り、播種、繁 が岡村柿紅作『身替座禅』 ( 常磐津・長唄掛合 おのえ い ) で、六世尾上菊五郎が一九一〇年 ( 明治四枝が著しく、かっ、枝がほば同じ長さで放射状思い出」である。ゲッケイジュの木は栄光のシ殖、収穫に利用した。一方欧米では自然学者ら によって温度、日長などによる開花条件の研究 に分枝するため、全体としては丸みをもった形ンポルとして貴ばれるが、黄色の花が咲くと 三 ) 東京・市村座で初演、家の芸「新古演劇十 が進み、逆に開花の促進や抑制を行って園芸的 〈小林責〉 となる。子柄全体 ( とくに先端部 ) は黄色を帯「不信」「裏切り」の意味をもつ。紫も日本では 種」の一つに加えた。 3 し狂言 はなごえ鼻にかかる発音異常の一つびる。日本では北海道から本州中部にかけてみ高貴な色とされているが、西洋では悲しみの意利用につなげた。現在、花暦がもっとも活用さ 鼻声 びせい れているのは観賞面においてであり、開花時期 で、医学用語としては鼻声という。閉鎖性鼻声られる。また、アジア北東部、北アメリカにも味をもっている。 花の形状などによって特定の意味を与え、そよりも期間が重要視される。とくに植物園や庭 分布する。 3 地衣類 と開放性鼻声の二種類に分けられる。 ③ホソハナゴケ C. 、 e きさこ Ahti ハナゴれによって意志を伝えたりしようとすることは園では観賞期間の案内に花暦を作成し利用して 閉鎖性鼻声は、鼻閉 ( 鼻づまり ) のために鼻 〈堀保男〉 による共鳴腔が異常に減少するもので、鼻声のケによく似た種類であるが、子柄が暗緑灰色日本でも行われた。花や木の小枝を添えて贈答 はなごよみはっしようじん滑稽 大部分はこれである。マ行の音がバ行の音に、 で、枝の長さはやや不同。日本では本州北部にする風習や、花に託して自分の意志を伝えた花暦八笑人 みられる。また、ソ連 ( ウスリー 川周辺 ) 、朝り、花の色に恋心を詠み込んだりすることは平本。五編一五冊。一八二〇年 ( 文政三 ) から四 ナ行の音がダ行の音に近くなる。 りゅうてい どうかん びいんくう 〈井上浩〉安時代にもみられた。また、太田道灌が狩りで九年 ( 嘉永一 l) 刊。初編から四編までは滝亭 開放性鼻声は、鼻咽腔の閉鎖が不完全なため鮮半島、台湾にも分布する。 りじよう くにさだ いっぴっ けいさいえいせん はなむしろ 雨にあった際、民家に雨具の借用を請うたとこ 鯉丈作、渓斎英泉・歌川国貞画。五編上は一筆 に鼻による共鳴腔が異常に増加するもので、 花茣蓙はなござ 0 花莚 あん よほうてい はなことば flower language 花詞ろ、乙女がヤマプキの一枝を差し出して蓑がな庵主人作、歌川国芳画、五編中・下は与鳳亭枝 行の音がマ行の音に、ダ行の音がナ行の音に近花言葉 き一じろう - ごっん、 まひ いことを伝えた話は有名である。ただしヤマ。フ成作、歌川芳綱画。主人公佐次郎を中心とする とも書く。その色、香り、形、形質などの特質 くなる。この開放性鼻声は、ロ蓋筋の麻痺やロ でめすけ そっはちあば のろまっ 〈河村正三〉 に基づいて、ある花や植物に特定の意味をもたキの花一一 = ロ葉はこうした故事とはかかわりなく、卒八、安波太郎、野呂松、出目助、頭武六、呑 蓋裂の場合にみられる。 しちがんしち / ナコケ 0 をきミ斗ミ (). ) せたもので、古くからさまざまな民族、宗教、「崇高」「待ちかねる」とされている。日本人が七、眼七などののらくら連中が、花見を手始め このはなさくやひめのみこと に、次々とたてる茶番の趣向に失敗する滑稽 Web. 地衣類ハナゴケ科の一種。低地から高民俗などにおいて象徴や標章として用いられ古来愛してきたサクラは、木花開耶姫命が富 ま あまくだ 山にまでみられ、地上、岩上などに大きな群落た。花は神話や伝説のなかにおいても語られ、士山頂に天降って種を播いて以来、国中に咲きを、あくどく低級な笑いのうちに描く。末期江 し うろ・一 戸市民の退廃的な遊戯生活に取材した末期滑稽 をつくる。地衣体は小さな鱗状で目だたす、子それによって花に自己の感情や意志を託して表乱れるようになったものであると伝え、また豊 〈興津要〉 柄が大きくなるころには消失する。子柄は高さ現する風習が行われてきた。なかでもギリシア作の期待が込められた花でもあった。そして単本の代表作。 にその外見的な美しさが愛されただけではな回興津要校注『花暦八笑人』 ( 講談社文庫 ) 三 ~ 一〇弩。中心になる太い軸には多数の枝が神話には花にまつわる物語が多く、美少年ナル 風雅・もののあわれなど日本の深い心を象 出るが、枝の先は細く、同じ方向に傾く。子柄キッソスが自分に思いを寄せる森の精エコーをく、 、ナゴンドウ〔花巨頭〕 Risso's dolphin 冖はにゆ・つ \ G 、ミミ、 s grisez 、 s 哺乳綱クジラ目イル の表面は滑らかで、灰白色。子器は子柄の枝の捨てたために、女神ネメシスの怒りに触れスイ徴する花であった。そのため日本での花一一 = ロ葉は 頂端にまれにつく。北極圏ではトナカイの飼料センの花に変えられてしまった話は広く知られ「精神美」であり、ことにヤマザクラは「純潔」カ科に属する海獣。成体の体長は約四。新生 「淡泊」「高尚」「美麗」などの花言葉をもって児は背側が紫黒色、胸腹部が淡色であるが、成 に利用される。また、日本ではショーウインドている。この神話がもとになって、スイセンは 長するにつれて淡色となり、皮膚に寄生虫によ イギリスでは「自己愛」「自己主義」、フランス ーの飾りなどに用いられている。北半球に広く る花模様ができ、しかも歯による線状の傷が松 現在、わが国で用いられている花言葉は、外 分布し、日本では北海道から九州にかけて普通では「愚かさ」「あなたはあなた自身だけを愛 にみられる。 している」などを意味する花になっている。こ国ことにヨーロッパのものが多いしかし日本葉を散らしたようにつくので、マッパイルカ せきずい ( 松葉海豚 ) ともいわれる。鎌状の背びれは比 ハナゴケ科ハナゴケ属のなかの石蕊群とよば うしたギリシア・ローマの神話・伝説によるもでも花に対する関心が弱かったわけではなく、 のや、キリスト教の宗教的シンポルによって生開花によって季節の推移を測ることは各地で行較的大きく、背の中央部に位置する。頭部は丸 れる群を総称してハナゴケ reindeer lichen みの
はな 花 / 文化史〔西洋〕 ①テーべの壁画新王国時代ロ ンドン大英博物館池にスイレ ンが栽培され , 水際にパビルスが 植えられている。バビルスとスイ レンはそれぞれ上・下エジプトの シンポルであり , 宗教儀式や実用 , 観賞など多方面に用いられた ②ディオスコリデス「薬物につい てコウィーンオーストリア国 立図書館近代医学の発達前は , 植物の知識が薬学の基本であった なかでも , この「薬物について」 は本草書の範として多くの手写本 がつくられた。本図は , キイチゴ . 属ルプス・フルティコーススの描 かれた現存する最古の一葉 ③上部ライン地方の画家による 「天国の園』 1 41 0 年ころフラン ② クフルト市立美術館垣根に囲ま れた泉湧く花園は , 中世からルネ サンスにかけて聖俗に共通する楽 園のイメージであった ト : 1 ーン ( 1 す ! 」いーをい ; 第を ④フィリッポ・リッビ「受胎告知』 1443 年ミュンヘン アルテ・ヒ。ナコテーク天使の持つマドンナリリーは , 純潔を表し , 受胎告知の場面に頻繁に描かれた。このよ うに , 美術やキリスト教文学では , さまざまな花がシン ポルとして用いられてきた ⑤ポスシャールト ( 父 ) 「花束』 1 609 年ウィーン美術 史博物館 16 世紀から 17 世紀にかけ , 花卉園芸は急速に 発達した。それと同時に , 園芸花を主題とする静物画が 独立したジャンルとして確立し , ポスシャールトやャン・ フリューゲルの花の絵がもてはやされた ーリドリ鷲贒 : い「「 ! し ! 戸 ⑧ドームエ房「サフランの壺ェ 1900 年ガラ ⑦ルドゥーテ『バラ図譜」 1817 ~ 24 年ロン ス高 18cm パリ装飾美術館 19 世紀の末 , ドン王立園芸協会 19 世紀初頭に非常な人 花のデザインがヨーロッパの都市にあふれた 気を博したルドゥーテの植物図譜は , 特定の 植物的モチーフによる , うねるような曲線を 神話やシンポル , 実生活とのかかわりをいっ 特色とするアール・ヌーポーの運動は , 建築 さいもたない , 純粋に観賞用の美しい花が描 やポスター , 工芸品にまで及んだ かれている。このバラはローサ・シネンシス ⑥プサン『フローラの勝利」 1627 ~ 28 年ころパリ ループル美術館ギリシア・ローマ神話に登場する花 は , 文学や美術に数多く描かれてきた。プサンのこの 作品には , 花の女神フローラを中心に , オウイデイウ スの「転身譜』中の , 花に変身した主人公たちが集め られている 874
はなまっ かんぶつえ く分布し、潮間帯の岩礁にすむ。殻高三五 はなまつり 0 灌仏会 ざ鬼花祭 きたした 。嵬下花祭」なま 0 り愛知県北設殻幅一一四 ' 、。、背腹径一七 = 、。に達する卵円形。 1 な / 、はーれ とよね て”村 匕 , 根楽郡の東栄町、豊根村を中心に近面の膨らみには小白斑が多数あり、前後端は灰 徹っ豊 郷の山間部で一二月から翌年一月白色、両側は黒褐色。腹面は平らで、側縁はや を一郡 かぐら 夜の . 一楽 にわたって行われる神楽。花神楽や鋭く縁どられる。狭い殻口に向かってしだい しル文 らそう ゆだて に淡色になる。末成殻では殻は薄く小さい螺層 。または単に花ともよばれる。湯立 周る県 響のれ知を中心とした霜月神楽である。花があって殻ロは広く、外見は成貝と著しく異な 釡ら愛 る。 3 第タカラガイ 〈奥谷喬司〉 祭の花は稲の花を意味するとか、 大じ はなやま かぎん まっ 立初鎮花祭の花、花山院を祀 0 た花山花見はなみ主として桜の花を観賞するた ときわぎ まつり 湯能月 祭の略称とか、常磐木を意味すめ、野山に出て飲食し遊ぶ行事。日本列島は南 北に長く、また起伏も著しいため開花時期が一 る花とか諸説がある。中世末期に しゅげん 花ま舞 定せず、旧暦の三月三日から四月八日ごろまで 山伏修験の徒によってこの土地に みようど 定着した祭りで、祭りに携わるのは宮人とよぶの間に行われる。もとは個人の趣味や風流の行 代桜の 特別な家系の人々で、その中心となるのが花彌事ではなく、農事の開始に先だつ物忌みのた しんじん だゅう 8 , 戸たば波の 半に江っ・、筑近う 宜 ( 花太夫とも ) とよぶ専門の神人である。民め、屋外に臨時のかまどを設けて飲食する行事 さんがつば 前代れな , 遠、 家あるいは神社や公民館の土間を舞処とし、土であった。山遊び、磯遊び、三月場、ひいな 紀時らと光どと おおがま 世のえつ日なた 間の中央にかまどを築き大釜をかけて湯を沸か飯、かまこ焼きなどともいう。たとえば、岩手 3 宗植一 かみへ びやつけ , 」吉がのれ荒で画続す。天井に五色の紙飾りの白蓋という一種の天県上閉伊郡のかまこ焼きは三月三日の行事で、 は川株所優 , 望長枚 「山徳千名に峇一清三蓋をつるし、また四方にザゼチという切紙飾り子供たちが一〇人前後の組をつくり、川原にか 見か鳥軍数の望の府が居え絵 花飛将樹花眺国水鳥い錦 をつける。こうした祭場で一昼夜にわたり儀式まどを築いて煮炊きをして一日中遊ぶ。他の組 のかまどを荒らす遊びもある。多くの地方で三 と芸能が演じられる。芸能は大別すると素面の 」ま・た、り 舞 ( 地固めの舞、市の舞、花の舞、三つ舞、四月節供の料理に蛤の吸い物を添えるのは、磯 な 1 一り っ舞、湯ばやしなど青少年の舞 ) と、仮面の舞遊びで蛤をとって食べた名残である。屋外での 寺」かき おきな やまみ ( 山見鬼、榊鬼、朝鬼、翁、禰宜、みこ、獅子炊事が簡略化されると、家で料理したものを重 舞、しずめの舞など ) からなる。鬼はヘンべ箱に詰めて持って行くようになる。 へんばい 古代・中世においては貴族・武家の間で行わウシに似るので、アメリカヤマボウシともい ( 返閇 ) という悪霊を鎮める足踏みを行い、榊 鬼や翁などの舞には花禰宜との間に問答があれたが、近世には大名も町人も、花見弁当や酒う。アメリカヤマボウシとハナミズキの名を混 さるがく る。これら仮面の舞には能大成以前の古い猿楽器を持って山野に繰り出した。都市近郊の社寺ぜ合わせてアメリカハナミズキという場合があ 芸が想定され、芸能史的価値が高い。国指定重境内、広場、堤などには、人工的に桜を植えてるが、アメリカの名を冠する呼称は適切ではな ごてん 。高さ五 ~ 一一一。樹皮は灰黒色で縦に溝が 〈渡辺伸夫〉「桜の名所」をつくりだし、江戸では品川御殿 要無形民俗文化財。 む′一うじま 、一がねい やまあすか ばう Panama hat 中南米山、飛鳥山、向島、上野、浅草、小金井などあり、小枝は緑白色または紫褐色である。葉は ハナマ帽 だえん に産するバナマソウの若葉を裂き漂白したものが著名であった。その後も次々に名所ができ、短い柄があって対生し、楕円形または卵形で長 へりきよし さなだひも 一五拜一、先は短くとがり、縁に鋸歯はな を、細く編んだ真田紐からっくった帽子。柔ら行楽の花見は広がった。現代も花見の行楽は続さ八 ~ 葉裏は白色を帯び、脈上に微毛がある。 いているが、一部には、会社などの団体で争っ かさや耐久性が優れているので、高級な夏の帽 秋、美しく紅葉する。四 ~ 五月、小枝の先に頭 ~ 」子として扱われる。色は白やクリーム色で、主て場所をとり、夜桜の下で宴会を開き、夜遅く 〈井之ロ章次〉状花序をつくり、黄緑色で小さな四弁花を集め まで騒ぐ人たちもいる。 産地はエクアドル、ベルーなど。名称は、取引 はなみがわ千葉県北西部、千葉市のて開く。花序の基部に白色で花弁状の大きな総 場所がパナマであったことに由来する。熱帯に花見ー しも、つさ 一地区。下総台地上に位置する。住宅・都市整包片が四枚あり、倒卵形で長さ四 ~ 五、先は 、住むイギリス人がかぶっていたものが広がっ こてはし わら へこむ。核果は枝先に数個つき、楕円形で長さ た。日本でも明治二〇年代に麦藁帽が流行し、備公団によって旧犢橋村の山林と畑地が開発さ れ一大住宅団地が誕生、花見川と命名された。約一・一く先端に宿存萼があり、一〇月ころ 男子の外出に帽子は必携の傾向にあったため、 明治三〇年代から普及していった。パナマ帽は近くを流れる花見川は印旛沼の放水路の役割を深紅色に熟す。ヤマボウシのような集合果には 高価で量的な制限もあるので、合成繊維や他の果たす。その下には、新東京国際空港への燃料ならない。前年の秋には、擬宝珠状のつばみが 素材の類似品が多くなっている。〈浦上信子〉輸送のパイプラインが敷設されている。↓千葉枝に頂生する。 〈山村順次〉 カナダのオンタリオ州、アメリカのマサチュ ハナマルユキダカラガイ〔花丸雪宝貝〕 ( 市 ) ーセッツ州からフロリダ州、テキサス州と、メ / ナミズキ〔花水木〕 flowering dog serpentis 軟体動物門腹足綱タカラガイ科の wood \ CO こュ L. ミズキ科の落キシコの一部に分布する。アメリカではドッグ ージニア州の州花になってい ウッドと称し、バ 巻き貝。房総半島以南、太平洋、インド洋に広葉高木。北アメリカ原産で、花が同属のヤマポ とよれ しもっき てん ハナミズキ〔左〕 4 枚の総包片が花のように見える〔右〕秋 , 紅葉する 910
はなむし る市 織敷 織山 力し ャ干 を天 サの イ花 たた 当三ュ 3 染織 でで の見飾め 7 て ・典第 字装た字はれ ミ・と 花文字は、古代ヨーロッパの写本にすでにみ 一辞の < 活るの文トか られるが、キリスト教がケルト民族やゲルマン のい帳 1 ッ書 学織 ヒや夫夂 デるカて本はセも年 ・イーあ市 民族まで行き渡った中世に、修道院でつくられ カズあ つ見 5 1 段 にメ載。ズ , 値 た聖書の写本を中心に用いられ、それにはギリ 字「セ ' ジ字アに字一トと 文〕ン 一文〕帳文リンルる シアやローマの図柄とともに各地の民俗的装飾 ちみつ 花〔ラ ペ花〔本頭シセドい 文様なども取り込まれて発達し、精巧緻密で整 分を外腔と称する。この類の外形および内部構であるが、野生のイグサを織ってつくった敷物ったものになった。そこには、「イタロ・サク論を固守する立場から広告掲載を全廃するとと やまと ソン芸術」といわれるものも花開いた。 もに、「暮しの実験室」を設けて徹底した商品 造は、一見、放射相称のようにみえるが、管溝は大和時代にすでにみられる。現在は、栽培し 花文字を書いたカリグラファー ( 能書家 ) とテストを実施、実証主義ジャーナリズムを展開 たイグサを刈り取り、干してつなぎ合わせ、化 と隔膜の筋旗の方向によって、裂ロの縦方向に して、庶民の日常生活の防衛と変革、消費者運 対称軸をもっ二軸放射相称となり、完全な放射学染料で染める。さらにそれを乾燥させ、織機して、カール大帝の御用画家ゴーテスコルク ( 八世紀 ) をはじめ、ザンクト・ガレンの修道動の推進に大いに寄与した。昭和五三年一月一 にかけて織っていくという工程でつくられてい 相称となる腔腸動物門のほかの二綱すなわちヒ せん る。織機は自動で、ジャカードによって花模様院長のサロモン ( 一〇世紀 ) 、僧のラートャン四日急逝。著書に『一曳五厘の旗』などがあ ドロ虫類およびハチクラゲ類と異なる。 〈高須正郎〉 現生の花虫類のなかには一四目が知られるや幾何学模様を出している。天然原料のはか ( 一二世紀 ) とホーゼマン ( 一三世紀 ) 、尼僧マる。 ルガレータ ( 一五世紀 ) 、リンゲルスドルファ回二曵五厘の旗』 ( 一九七一・暮しの手帖社 ) が、それらは八枚の隔膜と八本の羽状触手を備に、最近はポリプロピレンによる花莚もっくら えるポリプをもっ八放サンゴ亜綱と、六枚あるれている。 ( 一六世紀 ) らの名があり、聖職者が多かっ花屋はなや草木の切り花を販売する店。 一八世紀ごろから大都市に現れ、おもに神仏に 岡山県は、気候、土地がイグサの栽培に適し たが、一三世紀以来、俗人の間にも花文字を含 いはそれ以上の隔膜と一般的には単純な形の触 ておけ む筆稿が広がった。中世に教会の権威を飾った供える花を手桶に入れて商った。いけ花の花は 手をもっ六放サンゴ亜綱とに二分される。六放ているため、全国の生産量の半分を占めてい 少なかったという。店の前に柳の木を植え、こ 手書きの花文字は、近世になると法王の権勢と サンゴ亜綱のなかにもわずかながら羽状突起をる。とくに倉敷周辺の工場でその大部分がつく られている。南の茶屋町には、昔ながらの手法ともに落ち目になったが、その一方で、グーテれを看板とした。一九世紀後半からは温室によ もっ触手をもつものがあるが、それらの隔膜は 一二枚よりはるかに多い。すべて海産で、一部で、しっとりした色合いの、じようぶさは格段ンベルクの活版術以来、活字のなかに組み込まる営利的栽培が普及し、華道の隆盛につれて、 いけ花用切り花の需要が増えた。一九五〇年 という手織りの花莚をつくっているところがあれた花文字 ( 活字 ) は、アルファベット一そろ 汽水域からも知られるが、淡水および陸上には ( 昭和二五 ) 以後は園芸店ともいうようになり、 〈秋山光男〉 いの字母を整えれば足りることもあり、聖俗に いない。世界中の海の浅海より深海に広く分布る。↓イグサ はなもじ capital letter 文書、書かかわらず生き続けてきた。花文字の発達期商品はおもに花卉市場から供給されている。一 する。現生種を含む二亜綱のほかに四放サンゴ花文字 亜綱、床板サンゴ亜綱、分裂サンゴ亜綱 Schi- 籍、器物などに芸術的な味わいを施すために用は、大文字と小文字の使用法および分かち書き方、こうした店売りに対して、振売りの花売り かしら 〈日下部文夫〉も存在した。、二階棚、竹筒などに自家栽培 いられる飾り文字または装飾頭文字。イニシア法の成立期でもあった。 zocorallia の、絶滅した種のみを含む三つの亜 - 一も てんびん ^ 内田紘臣〉 の切り花を入れて天秤棒で担いだ男性や、菰に 綱がある。 ル ( 頭文字 ) の一種。一般の字より際だって大花森安治はなもりやすじ ( 一九二ー七 0 ジャ ーナリスト。明治四四年一〇月二五日神戸市に巻いて頭にのせたり背負ったりした女性が町中 花莚はなむしろ花莚には、麻糸または綿きく、それに加えて、飾り枠に囲われていた った たて よりあわ 糸の撚合せ糸を経糸とし、緯糸には畳表に用い り、綯い縄や蔦がらみや縁どりなどをした飾り生まれる。東京帝国大学在学中から『帝国大学を売り歩いた。近代でも一九世紀末ころまでは 書体であったり、それらの組合せであったり、新聞』で活躍し、新聞のレイアウトに異才を発荷車にのせて売り歩く男性の花売りがいたり、 るイグサを各種の色に染めて模様を織り込んだ おはらめ また、京の大原女も薪にかえて花を売るように 機械織りと手織りのものとがある。織り方に植物、動物、人物、劇的場面など、文字以外の揮した。一九四〇年 ( 昭和一五 ) 大政翼賛会に あや は、平織、綾織、紋織、みす織があり、無地と図柄が添えてあったりする。表題や看板でもな入り、宣伝部で戦時スローガン制作などの仕事なった。現代では担売りはほとんどみられな すげぐ、 〈遠藤元男〉 に携わった。戦後、戦時中の自己の活動に対す い限り、各一段落の文字列の最初の一字 ( イニ 模様のものとがある。野草莚、金波莚、菅草 シアル ) にしか用いられないが、その字丈 ( ゲる厳しい反省を基礎に、庶民の暮らし第一主義 莚、とう ( 籐 ) 莚などがある。製品のほとんど ハナヤキ〔花海楊〕ゝミトき こうちょう はなござ き。ぎ腔腸動物門花虫綱八放サンゴ亜綱ャ ージ ) で数行を占める。なお、物品の持ち主やの思想にたって、四八年 ( 昭和二三 ) 九月新し が敷物用で、花茣蓙ともいわれている。岡山、 さが てちょう い形式の婦人家庭雑誌『暮しの手帖』を創刊、 ギ目全軸亜目フトャギ科に属する海産動物。相 贈り主を一小す頭文字などにもそれだけで用いら 広島、福岡県が産地である。 その編集に全精力を傾注した。花森は自由な一 = ロ模湾以南の本州、四国、九州に分布し、水深一 花莚として市場に出されたのは明治初年ごろれることがある。↓イニシアル イ第譱阯ハ ゆかいた き : 動′を第、れ 、ド、ドい下 . ーい町第を第トーれ 912
はなかじ 鼻かぜにはライノウイルスの感染がもっとも国、九州南岸の水深一〇 多く、インフルエンザウイルスの場合は流行性くらいの浅海に生息する。 が顕著で、症状が強い。アデノウイルスは小児キクメイシ亜目のなかで、 キ にとくに多く、夏季にプールでの感染で流行す隔壁が三個以上の石灰蒴 ちゅうせんけい いんとう ることがあり、咽頭結膜炎が著明である。パラ柱の扇系をもち、隔壁上 きよし インフルエンザは幼児に多く、ときに小流行を端に大きく粗い鋸歯をもっ カ おこす。ウイルスは乳児に多く、ときに危オオトゲサンゴ科に属す ス カッ 険な毛細気管支炎をおこす。コクサッキーウィる。オオトゲサンゴ科のな すいほう アョ ルスは夏かぜに多く、咽頭粘膜の小水疱が特有かでは群体性で、叉状分岐 をしたタバネサンゴ型の骨 なヘルバンギーナをおこす。 潜伏期間は一、二日で、くしやみ、水様の鼻格をつくる。隔壁は規則正 キ きようしん けんたい る恋さ照元 しい鋸歯をもち、莢心は 漏、鼻閉、全身倦怠感、発熱で始まる。最初は あ , をる世 カ - : っと、つ でに都す観 ナ 軽い鼻炎のみであるが、しだいに咽頭炎、喉頭葉状に連なる。足部の骨格 し手て会 がいそうせき させい 証をつ再テ 炎、気管支炎などをおこし、咳嗽 ( 咳 ) や嗄声は下から囲壁上に侵出する の籠追とシ 愛花を帝後 は春から夏にかけて花に集まり花粉を食べる昼 ( 声がれ ) が発現する。乳児や小児では成人よエピテカを欠き、莢中に多くのロをもっことに の人、 筺見いよ」前 , 間活動性のものが大部分であるが、ハイイロハ りも発熱などの全身症状が強い。普通は五 ~ 一よってほかの属から区別される。共肉部は褐色 花形しま」日正 〇日以内に治癒するが、経過が長引くと細菌か緑色で、夜間にロ盤周辺から透明の太くて短ナカミキリ R g ミをミなど花にこな だえん い触手を出す。紫外線を当てるとよく蛍光を いで枯れ木、倒木にくるもの、ケ。フトハナカミ ( ブドウ球菌、溶血性連鎖球菌、インフルエン 木。葉は対生し、長楕円形で長さ七 ~ 一二 五月、枝先に頭状花序をつくり、多数の白色花ザ菌など ) の二次感染をおこし、症状が増悪発する。近縁種のヒダべリハナガタサンゴト . キリき、ミ 0 斗 s のように夜間灯火 ミ、斗、は、外縁のヒダが著しく、隔壁は にくるものもある。雌は枯れ木や伐採した木に を密生する。名は、この花のようすを花傘に例し、肺炎などの合併症をおこすこともある。 コハナガタサンゴ 0 ミ・集まって産卵し、幼虫はそれら枯れ木や朽ち木 治療は、安静、加温、解熱剤の投与、および低く、莢はより幅広い。 えたもの。子房は下位、互いに合着して塊状に なる。屋久島から沖縄、および中国南部、東南対症的に鎮痛剤、鎮咳剤、消化剤の投与を行ミ cry きは単体である。ともにハナガの皮下や材を食べて育つ。なお、上ばねが短小 になり、一見ハチのようでよく飛ぶホソコバネ アジアなどに広く分布する。 う。最近は、抗ウイルス剤やインターフェロンタサンゴと同じような所に産する。〈内田紘臣〉 ハナガサノキ属は熱帯に約八〇種あり、根に も使用され始めている。幼児や老人で細菌感染花筐はながたみ能の曲目。四番目物、狂カミキリ属き 0 などもこの亜科に含め ぜあみ られている。ハナカミキリの代表的な種には、 黄色色素を含み、ヤ工ヤマアオキのように染料をおこした場合は、抗生物質の投与が必要とな女物の大作。五流現行。世阿弥作。『日本書紀』 けいたい えちぜん おおあとべのおうじ とされるものがある。 〈福岡誠行〉る。予防的治療としてワクチン、とくにインフ に材をとる。越前に住む大迹辺皇子 ( 後の継体アカハナカミキリ C 。こ b s ミ c をミ、ヨ てるひのまえ ルエンザワクチンは広く使用されるようになっ天皇 ) の愛人照日前 ( 前シテ ) は、即位のためッスジハナカミキリトきき 0 き c きを s / ナカジカ「花杜父魚〕 wrinklehead はなか 1 」 〈中根猛彦〉 〈河村正三〉都に上る皇子から手紙と形見の花籠を贈られてなどがある。 sculpin/8C0ttus 0 きミミ硬骨魚綱カサゴた。 、ナ花技術における基本的悲しむ。侍女 ( ツレ ) を伴い、狂女の姿となっ ハナカメムシ〔花椿象・花亀虫〕 flower 目カジカ科に属する魚。河川型と降海型の二型花型 はんし りつかせいか た照日 ( 後シテ ) は都に上り、天皇 ( 子方 ) の bug 昆虫綱半翅目異翅亜目ハナカメムシ科 がある。一生、河川で生活する河川型は北海道形態をいう。立花、生花、盛り花、投入れな 紅葉の行幸の行列を遮り、中国の皇帝の愛の物 Anthocoridae の昆虫の総称。メクラカメムシ と青森、岩手、秋田の各県に分布する。一方、ど、それぞれの様式により花型は異なるが、い やくえだ りふじんくせまい かんあみ 北海道の太平洋岸の河川の下流域には降海型がずれも構成上の主要な枝、すなわち役枝の位語 ( 李夫人の曲舞。観阿弥作曲 ) を舞って、天科 Miridae に似ているが、頭部は前方に突出 一い力し 皇との縁を取り戻し、伴われてともに都に帰し、二個の単眼がある点で異なる。また、長翅 生息する。両型とも体はハゼ型で、前鰓蓋骨に置、方向、形態によって形が定まる。花型は普 ・、よう′」 三本の棘があり、胸びれの上部軟条が分枝する通、真、行、草の三つに大別され、これのそれる。観世流には、のちに彼女が女御となる結末型では前翅にくさび状部を欠く。触角は四節か あんかんどめ らなり、前胸背は鐘状を呈し、その前葉部は隆 のが特徴。降海型の多くは胸びれが一五 ~ 一六ぞれをさらに真、行、草に細別し、計九つの型が語られる「安閑留 ( 女御留 ) 」という演出が 〈増田正造〉起する。長翅型においては、前翅膜質部の脈は 軟条であるが、河川型では一三 ~ 一五軟条であ に分類される。一般に真は基本形で直立的で端あるが、これが原作という。 あし ぜんたいせつ る。四 ~ 六月に石の下に産卵し、雄はこれを保正な形、行は真をやや崩した形、草はもっとも / ナカミキリ〔花天牛〕昆虫綱甲虫目カ室をつくらない。脚は短く、前腿節が太くなる ふかしぎよ ことがある。小形のカメムシで、おもに肉食 護する。降海型では孵化仔魚は小さく、一度海変化ある形をなす。花型はいけ花習得に便利でミキリムシ科ハナカミキリ亜科 Lepturinae に流下するが、河川型の仔魚は前者よりかなりあるが、定型化して形のみをなぞるいけ花となの昆虫の総称。北半球の温帯域に多く分布して性。種々の昆虫の卵、幼虫、成虫のほか、ハダ りやすいところから、第二次世界大戦後の解放おり、一部が熱帯や南半球に産する。日本には ニなどを捕食する。そのため、多くの有益種を 大きく、石の下で生活する。雄は一一弩、雌は 弩で成熟し、最大一三ぐらいになる。塩焼的いけ花では、花型にとらわれないいけ花の創一五〇種近くがおり、一般に中形から小形、細含んでいる。ヒメハナカメムシ 9 、 s 召ミ しよう つくだに き、佃煮などにする。図カジカ〈尼岡邦夫〉造ということが提唱され、創作的いけ花を生ん形で上ばねは後方へ多少とも細まることが多は体長約二ミリと小形で、体が黒褐色で半翅鞘は 〈北條明直〉 色彩は黄、赤から黒色で、模様のあるきれ白っぱい。花上や葉、枝上に生活し、小昆虫や 鼻かせはなかぜ普通感冒、鼻感冒症候群なでいる。 ハダニを捕食する。ズイムシハナカメムシ 7 どともよばれる。大部分はウイルス、一部はマ いな種類も多く、金属色のルリハナカミキリ ハナガタサンゴ〔花形珊瑚〕ト ob をを、・ こうちょう 、。き ~ ミを、 s は体長約四リで、色彩は前種 イコプラスマなどの接触感染または空気感染に = き s 腔腸動物門花虫綱六放サンゴ亜き。斗ききなどもある。頭は前方に突 いねわら よっておこる。原因になるウイルスは多いが、綱イシサンゴ目オオトゲサンゴ科に属する海産き出し、首はくびれ、前胸は後部が広い鐘形の に似る。稲藁に潜むニカメイチュウを捕食する するが えんすい おもなものを次にあげる。 〈林正美〉 動物。日本特産種で、駿河湾以南の本州、四ことが多く、前脚の基節は円錐形に近い。成虫有益種である。 2 882