次に、犯罪は「違法な」行為である。違法と多様化と方法論の多様化は、おのずからにし とされる。その一部なりとも祭司なり奉献者のほとんどいつの世にも犯罪とされ、刑罰の対象 いうのは刑法規範に違反することであって、どて、犯罪の観念を、少なくともその内容におい とされていたといえよう。しかし、その他の多 食用に供してはならない。犠牲獣としては雄ウ のような行為が刑法規範に違反するかは、刑法て多様なものにする。それそれの方法論に従っ シ、ヤギ、ヒッジ、ハトなどが使われ、いずれくの犯罪は、各民族の政治・経済機構や風俗・ も健全なものであることを要した。エルサレム習慣などを反映し、時代の進展とともに生々発各本条の構成要件と、刑法総則の違法阻却事由て描き出される要点をくみ入れてその実体を損 なわない統一的な犯罪概念を設定することは、 とに積極・消極両面から記述されているから、 神殿では毎日朝と午後、さらに安息日、新月の展を続けてきたのである。しかも、啓蒙期以前 の国家には、、 しわゆる罪刑専断主義が支配し、規範違反性すなわち違法性は、同時に、違法阻かなり困難な作業になる。しかし、犯罪という 日に、個人的には祭司の聖別、癩患者や産婦の ことを問題とする根本的な理由は、それが社会 却事由の不存在と構成要件該当性を意味する。 刑罰権の行使が大幅に権力者にゆだねられてい 清めなどに際して捧げられた。〈石川耕一郎〉 ところで、違法な行為は種々の観点から分類すにとって好ましくない現象であり、これにどの 藩債はんさい幕末維新期を中心に、諸藩た結果、何が犯罪であり、どのような行為に対 ることができる。作為犯と不作為犯、既遂と未ように対処すればよいかというところに要約さ が三都 ( 江戸または東京、京都、大阪 ) の商人して刑罰が科されるかが、かならずしも法律に や外国商社などに負っていた債務。廃藩置県よって明示されていなかった。ヨーロッパにお遂、正犯と共犯、一罪と数罪。これらはいずれれるものと考えれば、そのことを前提にして、 も違法である点では共通するが、違法性の重さ既存のさまざまな枠組みを整理することも、あ いてはフランス革命以降、日本においては一八 後、新政府はそれらの実態を調査し、処分に着 ながち不可能というわけではなさそうである。 八〇年 ( 明治一三 ) の旧刑法以降、ようやく罪の点ではそれぞれに相違があり、したがって科 手した。負債は、古債 ( 一八四三年以前の債 そこで、犯罪対策のあり方を検討する刑事政 務 ) 、旧債 ( 一八四四 ~ 六七年の債務 ) 、新債刑法定主義が確立され、国家が刑罰を科すためせられる刑の重さも違ってくる。 最後に、犯罪は「有責な」行為である。行為策論の立場から、犯罪という事柄をめぐる三種 には、あらかじめ犯罪と刑罰とを法律に明示し ~ 七二年の債務 ) に区分され、古債 の作業過程 ( 法律過程、臨床過程、理論過程 ) に対する違法性の評価が規範違反または義務違 に対しては棄却、旧・新債に対しては、新政府なければならないとされたのである。 を想定し、犯罪学で用いられる枠組みをも包摂 〔意義〕犯罪ということばには、種々の意義が反、すなわち「すべきであったのにしなかっ がそれらを肩代りして、公債証書を交付、また しうるような説明方法が試みられる。その場 た」という判断であるのに反して、有責性の評 現金で償還した。証券交付額合計は約二三四〇ある。第一は実在としての犯罪であって、甲が 乙を殺したというような現実のできごとそのも価は「しえたのにしなかった」という、可能性合、作業過程が異なれば犯罪の観念が違ったも 万円、現金交付額合計は約一一二万円に達した。 こうした内債に対して、外国商社に対する外債のをさす。第二は個別類型的な概念としての犯の面からする判断にほかならない。違法性の評のになりうる、という理解がとられている。 〔法律過程〕 ( 犯罪に対し刑罰を科すための法 もあった。それは外国から兵器、艦船などを輸罪であって、殺人・傷害・窃盗などの個々の犯価では客観的な行為が問題となるのに反して、 制度的過程 ) 法律関係は権利・義務関係であ 入した諸藩の代金末払い分であった。全国で約罪類型を意味する。第三は一般的概念としての有責性の評価では主観的な行為者が問題となっ 二〇数藩にわたるが、なかでも、秋田・盛岡藩犯罪であって、すべての犯罪類型を包括しうるてくる。したがって、たとえば犯人が一四歳末る。犯罪があれば国家には刑罰権が発生し、犯 以下、東北、日本海側の諸藩に比較的多く、債最高の普遍的概念を表すものである。この第一一一満の刑事末成年者であるとか、精神病者である罪を行った者には刑罰認受義務が発生する。刑 とかの事情は、有責性を否定する事実というこ罰権の内容は、犯罪者の生命を奪うこと ( 死 権者はイギリス商人が多かった。一八七二年の犯罪という一般的概念があることによって、 とになる。 刑 ) 、一般社会から隔離すること ( 拘禁刑 ) 、財 ( 明治五 ) 政府が引き継いだ外債総額は合計一一たとえば自動車事故で甲が乙に傷害を与えたと はくだっ 〈石塚裕道〉 いう一個の事実が、一方において民法上の不法〔種類〕犯罪は、法益すなわち法律の保護する産を剥奪すること ( 財産刑 ) などであって、こ 八〇万円に達した。 の過程を指導する犯罪の観念は、きわめて強力 利益の性質ごとに大別すると三種に分かれる。 行為として損害賠償の対象となり、他方におい 犯罪はんざい な措置が結果することを正当化する基礎にな て刑法上の犯罪として刑罰の対象となることが第一は国家の法益を害する犯罪であって、内乱 罪・公務執行妨害罪・犯人蔵匿罪・偽証罪・税る。その関係で、刑事手続が始まる以前の段階 沿革 / 意義 / 概念 / 種類 / 犯罪対策 / 無文わかる。 き、らに、巳非は、・後述するよ , つに、」 用法学上法違反・破壊活動防止法違反などがこれに属すでも、たとえば、警察官職務執行法上の活動を 字社会の犯罪 の厳密な意味では有責・違法な行為をさすのでる。第二は公共の法益を害する犯罪であって、規制するような仕方で、またたとえば、刑事手 刑罰を科せられるべき行為をいう。社会生活あるが、単なる違法行為を犯罪という場合があ騒乱罪・放火罪・文書偽造罪・各種の軽犯罪法続とは区別される保護手続の対象に制約を加え るような仕方で ( 少年法三条参照 ) 、重要な機 こ違反・道路交通法違反などがこれに含まれる。 る。たとえば精神病者の犯罪というように。 上有害な行為には無数の種類のものがあるが、 そのすべてが犯罪とされるのではなく、そのうの場合、精神病者の行為は有責性を欠くから、第三は個人の法益を害する犯罪であって、殺人能を営んでいる。この犯罪の観念の実体は、刑 きそん 非・傷害罪・名誉毀損罪・窃盗罪・横領罪・器罰権を導き出すための法律要件というところに 厳密な意味では犯罪とはいえないが、違法行為 ち有害の度合いが重大で、立法により刑罰とい 〈西原春夫〉あるので、とくに刑法学において解明され、そ う強い手段に訴える必要があると宣一言された行を犯しているという意味で、俗に犯罪を犯した物損壊罪などがこれに入る。 〔犯罪対策〕上記〔意義〕にある「実在としての枠組みは固く、かなり形式的な印象を与える 為だけが犯罪となる。刑法に規定された各種のということがある。 が、その果たす役割は優れて現実的である。構 〔概念〕犯罪は、内容的にいえば、有責・違法の犯罪」との関係で、一九世紀後半以降、とく 行為はもちろん、軽犯罪法その他の特別法や、 に第一一次世界大戦前後から犯罪学の発展が著し成要件に該当する違法で有責な行為、というの 道路交通法などの行政取締法規に違反する行為な行為である。犯罪はまず「行為」でなければ これは、巳 が、これである。 いことに注意しなければならない。 ならない。行為の主体は人に限られ、動物の活 も、これに対して刑罰が規定されている限りは 〔臨床過程〕 ( 診断し、予測し、処置する一連 犯罪である。したがって、スピード違反や駐車動や自然現象そのものは行為のなかには入らな罪という人間的・社会的事象を科学的に探究 。また、行為は意思によって支配しうるものし、とりわけその原因を究明して、その学問的の過程 ) 犯罪者に対する処遇の過程がその典 違反などの道路交通法違反も、犯罪という点で ↓用罰 でなければならないから、物理的な反射運動や成果を、合理的で有効な犯罪対策の用に供しょ型である。この場合、直接的には、その者が犯 は、殺人や窃盗と変わりがない うとするものである。同一事物を問題にする場罪に陥った原因を踏まえ、これに対してどのよ 絶対的強制下の行動は行為から除外される。さ 、〔沿革〕何を犯罪とするか、つまりどのような 六、行為に対して刑罰を科すかは、各時代、各民族らに、行為とは人の外部的態度を意味するか合でも、問題のたて方・研究方法が違えば、そうな措置を講すればよいかを究明することに関 心が向けられるので、人間的・社会的事象を科 ら、意思や思想そのものは行為でなく、犯罪に の方法論にふさわしい独自の枠組みが欲しくな によってかなり違っていた。もっとも、殺人・ ん ごうかん ならない る。つまり、現代の科学に特徴的な学問領域の学的に研究するのに好都合な枠組みがくふうさ は傷害・強窃盗・強姦などの基本的な自然犯は、 285
キ、た、白居易の閑適詩の側面を継承するものであとしてとらえ、利潤 ( 企業維持のための必要末決する。意思決定の拙劣なチームは、途中で倒 ひしぶんそう 〈野口一雄〉来費用 ) を目的関数とし、収益・費用の変動を産することもありうる。このゲームは、総合的 きよし 一にる。『皮子文藪』一〇巻がある。 な経営上の判断を体験できる特色がある。生 0 巨視生産・販売量の関数と理解する。利潤を極大に し微視的社会学びしてきしやかいがく てきしやかいがく びしてきしやかいがく する関数関係を解くために、需要、価格、生産産、販売、財務などに特化したゲームもっくら 的社会学・微視的社会学 び 〈森本三男〉 微視的分析びしてきぶんせき micro analy ・過程、原価、競争、販売促進などの関連を分析れている。 sis 経済分析の手法の一つで、企業、家計あするが、その分析用具はほとんどがミクロ・エビジネス・ロジスティックス busi- ness logistics ロジスティックスとは、元 るいは個人など個々の主体の経済行動の分析をコノミックスのものである。ただ、分析視点が 通じて、経済現象を解明しようとするもの。ミ経営者や管理者の立場に置かれるから、取り上来、軍事用語であり、軍隊の装備品、糧食など クロ分析ともいう。たとえば、個人は、労働時げられる主題は、需要分析の経済的意味と役だの軍事品の調達、供給に関する軍事科学である 間当りの賃金が与えられたとき、どれほどの労ち方、経済的にみた製品多角化の望ましいあり兵站術、およびその具体的運営を意味してい 働供給を行うか、こうして決まった所得をどの方、価格政策の意味と製品の性格に応じた価格る。この技術を企業経営における物資流動に適 ように消費と貯蓄に分けるか、また、企業が売決定方法、しだいに多用されるようになった非用したものが、ビジネス・ロジスティックスで タ 上げから費用を引いた利潤を極大にするよう行価格競争の意味と効果、広告・宣伝活動の経済ある。しかし、その定義については定まった見 シ 動するとすれば、与えられた技術のもとで、ど的意味と効果、投資決定とその管理用具として解がなく、おおむね二つの意味に使われてい ヒ のような生産要素をどれだけ雇用し、生産量をの資本予算などになる。全体として数理的・統る。一つは、生産者から消費者までの商品 ( 完 どこに決めるか、などを分析する。この場合、 計的手法が多用されるが、実践的意味づけに努成品 ) の移動、つまり物的流通とまったく同義菱野薬師温泉ひしのやくしおんせん長野県 に使用され、他の一つは、これに原材料や仕入中東部、小諸市にある温泉。菱野温泉ともい 競争市場にあっては、各主体がそのような生力する点で経済学一般と異なる。〈森本三男〉 う。浅間山南西麓、標高一〇〇〇の高原にあ 産・消費・供給を決めるのに重要な手掛りとなビジネスオートメーション business れ商品の調達 ( 調達物流ともいわれる ) をも加 たてしな えた広い意味に使われている。 るのが価格であり、価格を媒介にして需要・供 automation 生産現場でのオートメーション 〈野村宏〉り、南方に八ヶ岳、蓼科連峰を望む。一一九一 、寸近こ菱野薬師堂 給が調整され、資源配分が決められるので、微に対し、経理や在庫管理などの事務部門でのオビシネフスカヤ raJlHHa FlaBJ10BHa BH ・年 ( 建久一 l) の発見と、 視的分析では価格分析が主要な役割を果たす。 ートメーションをいう。一八九〇年のアメリカ 111HeBcKaflZGalina Pavlovna Vishnevska- がある。泉質は炭酸鉄泉。信越本線小諸駅から 〈小林寛義〉 ya ( 一九一一六ー ) ソ連出身のソプラノ歌手。 ハスの便がある。 またそれは、経済分析の他の手法、たとえば産の国勢調査の際、パンチカード統計機械によっ 業の視点にたっ産業組織論、経済全体をとらえて、集計を機械的に処理したのが最初であると生地レニングラードで学び、一九四四年同地で囮二万五千分の一地形図「車坂峠」 る巨視的分析などに対応する。↓巨視的分析 される。マイクロエレクトロニクスの発達と歩デビュー。五二年以後はモスクワのポリショイヒシバッタ〔菱蝗〕 grouse locust/8 ちよくし ↓産業組織論 〈一杉哲也〉調をあわせて進められてきたが、最近はオフィ 劇場に属し、六〇年代初めから欧米各地の主要ゝ c 、斗ミミををぎき昆虫綱直翅目ヒシバッ スオートメーション ( O< ) とよばれることが多歌劇場にも出演、ソ連を代表するソプラノ歌手タ科に属する昆虫。地表面で生活する土色の、 ビジネス・ウィーク Business Week ↓オフィスオートメーション 〈小野勝章〉としての名声を確立した。七四年、夫のチェロ バッタに似た小形の虫。前胸背板が後方に強く アメリカの経済週刊誌。一九二九年創刊。産 ひし 業、経済に影響を及ばすニュース、動向、思想ビジネス・ケーム business game 経奏者ロストロポービチとともに国外に移住、七伸長して、背面からみると全体が菱形にみえる はくだっ を報道。『フォーチュン』『フォーブズ』とから営者や管理者の教育訓練の一方法。企業の内部 八年ソ連政府から国籍を剥奪された。表情豊かので、この名がある。バッタを押しつづめたよ りんべん うな形をしている。前翅は鱗片状に退化する なるアメリカ三大経済誌のなかのトップ。国際組織と外部環境 ( 市場 ) の相互作用をモデル化で、個性的な声、洗練された技巧、ドラマチッ し、競争状態に置かれた各企業をチームとしてクな演技力をもち、モーツアルト、ベルディ、 が、後翅は腹端に届く長さで、扇子のような形 的にはイギリスの『エコノミスト』と並ぶ強い 影響力をもっといわれる。販売部数約八八万部経営上の意思決定の優劣を争う。まず参加者をブッチーニ、プロコフィエフ ( 『戦争と平和』をしており、前胸背板下の腹部側方にびたりと よねで飛ぶこと ( 一九会 ) 。掲載広告量が多く、アメリカの全市販数チームに分け、各チームが一企業の経営陣をのナターシャ ) 、ショスタコビチなどの作品を折り畳まれていて目だたない。し 雑誌中、年間広告ページ数第一位の座を守り続構成するものとし、各人は全般管理、企画、生得意としている。また、ムソルグスキー以後のはなく、むしろ力強く発達した後肢の跳躍を用 いて、よく跳びはねる。前胸背板には紋をもっ けている。マグロウヒル社発行。〈星川正秋〉産、販売などの職能を分担する。市場状況と各ロシア歌曲の解釈も高く評価されている。六五 〈美山良夫〉ものもあるが、中間型が出たり、消失したりす 企業の初期条件 ( 資産、生産能力、売上高、従年 ( 昭和四〇 ) 初来日。 ビジネス・エコノミックス business economics 企業経済学と訳したり、マネジ業員、コストなど ) のデータが与えられる。各ヒシネフスキー BceBOJ10J1 BHTaJ1beBHq る。日本全土、朝鮮半島、中国、シベリアなど BHL11HeBCKHü/VseVOlOd Vital'evich Vish ・ に分布する。なお、この種はしばしば農作物を リアル・エコノミックス ( 経営者のための経済チームはそれそれ独立して協議によりこれらの 学 ) とよばれることもある。企業の経済的側面データを分析し、そのうえで求められた各種の nevskiy ( 一九 00 ー五一 ) ソ連の劇作家。一四歳加害することがある。 ヒシバッタ科 Tetrigidae の昆虫はいすれも を研究対象にした理論であるが、そこに作用し意思決定 ( 生産量、価格、設備投資、資本調達で第一次世界大戦の義勇兵になり、十月革命に ている法則性を客観的に記述するミクロ・エコなど ) を行って審判団に提出する。審判団は、 参加した体験をもとに、戯曲『第一騎兵隊』 小形で前胸背板に特徴がある。前・中肢の對節は そうかんばん 二節、後肢のそれは三節で、爪間盤や鼓膜を欠 ノミックスと異なり、経営者や管理者という実あらかじめモデル化されているルールに従って ( 一九一一九 ) 、シナリオ『われらクロンシュタットよ く点でバッタ類と異なる。湿った地表面に好ん 践主体の立場から、彼らの意思決定に関する経各チームの意思決定を評価し、経営業績を算出り』 ( 一九三三 ) などを書いた。革命のために英雄 済的諸問題を扱うことを特色としている。そのして各チームにフィードバックする。これで第的に戦って死んだ赤軍海兵隊の悲劇を前衛的手ですむ。日本にはヒシバッタのほか、本州以南 にすむトゲヒシバッタ C 0 、ミ、もぎ 0S5 、 一期が終了する。各チームは、この結果に基づ法で描いた『楽天的悲劇』 ( 一九三一 D は、タイー 意味では、マネジリアル・エコノミックスとい あまみ う名称のほうが適切である。 いて第一一期の意思決定を行う。以下、この手順 ロフ演出で大成功を収め、ソ連演劇の古典にな奄美大島以南にすむヒラタヒシバッタ P ミミ っている。 一般に企業を利潤極大化を志向する経済単位を数期反復して、最終期の業績によって勝敗を 〈山崎柄根〉 〈中本信幸〉ミ。など数種が分布する。 かんてきし へいたん ふせつ 5 川
ひだりじんごろう生没年不詳。江 古代日本では「左」はだいじなものとされ、左甚五郎 生産が少なくなり、出血傾向がみられる。このを意味するし、左をさす語は弱、邪、悪につな ほりもの ばんしゅうあかし すすむ 抗生物質の副作用としておこるビタミン欠乏がる。ラテン語の dexter も右という意味のほ尚右の思想はなかったといわれる。大野晋の説戸初期の大工、彫物師。播州明石 ( 兵庫県 ) たみ としかっ に生まれる。姓は伊丹、名は利勝。京都で禁裏 かに強とか幸運を意味し、左をさす sinister では、「ひだり」の語源は「日の出の方」にあ 症には、フィトナジオンが用いられる。↓ビタ 〈幸保文治〉は不吉をも意味する。これは不吉を意味する英り、これは南を前面にした場合、東が左にあた大工与平次について修業後、江戸に出て徳川家 飛騨屋久兵衛ひだやきゅうべえ江戸時代の語の sinister やフランス語の sinist 「 e の語源るからではないかとする。ところが、現在とらの愛顧を受けたと伝える。京都方広寺の鐘楼、 かんえい びよう 材木商、蝦夷地の山請負および場所請負人。祖でもある。古代ギリシア語のネは右およえられる日本各地の俗信には、尚右の観念、左日光東照宮、東京・芝の台徳院廟、上野寛永寺 たけかわ び幸運を意味し、ミ 2 でネやさきおを嫌い、あるいは左が呪力をもっとする観念がの造営などに携わり、建築彫刻に妙技を振る は甲斐武田の武将といわれ、姓を武川という。 ねむりわこ ますゆき まつまえ い、名声を得たという。日光東照宮の「眠猫」 みられる。たとえば、「左巻き」「左前」など悪 初代 ( 名は倍行、一六七四ー一七一一 0 のとき松前に渡よびミネは左とともに不吉も意味する。 い意味に用いられ、左縄とは、普通とは逆に左をはじめ、各地にその作と称するものが伝えら り、一七〇二年 ( 元禄一五 ) 松前藩から蝦夷また右と左は象徴的に男性と女性に関連してい よ しりべっ こより広く流布し た。そして尚右の思想は古代ギリシアに一貫しへ撚って綯った縄のことで、不運を意味するとれているが、その高名は講談ー 檜 ( 工ゾマッ ) 伐採の許可を得て、志利別、 さる くすりあっけし たものである。彫刻を多用する近世社寺建築を てみられる。 ともに、魔物の撃退に用いられることもある。 のちに沙流、久寿里、厚岸などの各山を開き、 ますやす ↓エルツ↓象徴的二元論↓象徴的分類↓一一生み出した大工像の典型の一人であるが、実在 右を尊ぶ観念は、ギリシアに限らず、世界中 江戸へ積み出し巨利を得た。三代 ( 倍安、一七三七 いーレんり 〈天田起雄〉 ーダム 〈吉田禎吾〉 したか否かはさだかでない。 に広くみられる。インドネシアにおいては一般 会 ) のときに石狩一二場所の下請負、さらに おくみ きりたつぶそうや に食事をするときは右手を用い、排泄など不浄ビターリ ( 父子 ) 父ジョバンニ Giovanni 左衽ひだりまえ上前の衽が左手のほうへ ヱトモ、厚岸、霧多布、宗谷場所を請け負い、 くるように重ねて着ること。「さじん」とも読 ー九一 l) 、子トンマーゾ その活動範囲を山から海へと広げた。しかしそな目的には左手を使う習慣がある。イスラム教 Battista Vitali ( 一六三一一 かえもん む。現在の女性の洋服の前合わせがこれに当た ー一七四五 ) ともにイタリ の及んでいないインドネシア諸族にも同様な観 Tommaso Vitali ( 一六六三 の後、藩と結託した元手代嘉右衛門とのいざこ ざがあり、藩により伐採業を禁止され、また四念がある。たとえばバリ島においても右手を尊ア・バロック期の作曲家、バイオリン奏者。父る。和服の前合わせは、男女とも着物の上前の くなしりめなし ますき、と 島民ジョバンニは一六三二年二月一八日ポローニヤ衽が右手にくるように着る。これは右衽 ( 右 <llll) に至って国後・目梨にび、左手を不浄視する習慣がある。バリ 代 ( 益郷、一七六五ー一 ほうき じゅじゅっ 前 ) である。わが国の上代の着装は、埴輪人物 に生まれ、聖ベトローニオ大聖堂の楽長カツツ おけるアイヌ蜂起の責を負わされ請負場所を没は、呪術を「右の呪術」と「左の呪術」とに 収された。以後没落の一途をたどり、一七九一分け、「右の呪術」は病気治療のための呪術でアーティに師事し、六七年に同聖堂のビオラ奏像により左衽であったことを知ることができ はんび 年 ( 寛政三 ) ついに松前の店を閉じるに至っあり、「左の呪術」は人を病気にするための呪者となる。七四年、モデナのエステ大公の宮廷る。また正倉院の宝物に左衽の半襞がみられ 楽団の第二楽長を経て、八四年第一楽長となる。隋・唐の文化の移入とともに、衣服も中国 〈山崎節子〉術であり、右を善、左を悪としている。 この種の研究を体系的に行った最初の学者はる。コレツリ以前のポローニヤ楽派の一人としのものがそのまま移入された。その着衣は右衽 回飛騨屋久兵衛研究会編「飛騨屋久兵衛』 ( 一九 盒・下呂ロータリークラ・フ ) エルツである。彼は一九〇九年の論文「右手のて、バロックのトリオ・ソナタの歴史に先駆的であり、七一九年 ( 養老三 ) には前合わせが右 干だらひだらマダラや大形のスケトウダ優越ー・ーー宗教的両極性の研究」で、ポリネシアな役割を果たし、九二年一〇月一二日モデナで衽に統一された。以後和服は右衽 ( 右前 ) に着 〈藤本やす〉 ラの干物。棒だら、開きだらなどがある。掛けのマオリ族、インドネシアのダヤク族などの資世を去った。息子のトンマーゾもポローニヤ生衣することが慣習となった。 だらは棒だらと同じものである。棒だらは主と料に基づき、人が右利きになるのは、生理的原まれ。父とともにモデナのエステ大公の宮廷楽ヒダリマキマイマイ〔左巻蝸牛〕 E 〒 d き 2 軟体動物門腹足綱オナジマイ してマダラを使った素干し。頭と内臓を除いた因によるよりも社会的習慣によることを力説し団で活躍、一七四五年五月九日同地で没した。 マイ科のカタッムリ。多くのマイマイ類が右巻 バイオリンと通奏低音のための「シャコンヌ』 、っそう新しい調査資料を世界各地に求め のち、三枚におろして背骨を除くが、尾の部分たし ) は互いにつながるように切り残す。これを丸太て尚右の観念を二元的象徴体系との関連で推しの作者として知られるが、近年の研究では、彼きであるのに、本種は左巻きの殻をもつ。殻高 三〇 = 、リ、殻径四五ミリぐらいになる比較的大形の の作であるかは疑問視されている。〈樋口隆一〉 の桟にかけ乾燥する。干し上がるまで約一か月進めたのはニーダムである。 らかん を要する。開きだらには無頭と有頭がある。無 尚右の観念はアフリカのスーダン共和国のヌ左利きひだりきき左手をはじめとする身体力タッムリで、螺管は太く、成長脈は粗く、黄 頭開きだらは頭、内臟を除き、背開きまたは腹エル ( ヌアー ) 族にもあり、バントウー系の一一左側の器用さや運動能力が、右側のそれを上回褐色の殻皮をかぶっている。周縁よりやや上部 すいせん に一本の褐色帯があり、殻底の臍孔 ( へそあ ョロ族にも、左右の象徴的対立がみられる。王ること。新生児では中枢神経系の未成熟のため 開きしたものを水洗後、三 ~ 四日塩蔵、水洗い な ) の周りも褐色。関東地方、中部地方の平野 して乾燥する。約一五日で干し上がる。有頭開の右手は現れているが、左手は肩から手首まで左右の運動能に差はないが、二 ~ 三歳でしだい にごく普通に分布する。山地型は色も黒ずみ、 きだらは頭を残したもので製法は無頭とほとん隠している。ところが女はこれと逆に右手を隠に個性化してどちらかの側の器用さが優位とな ど同じである。干だらは干し上がるまで日数が し、左手を現している。ニョロ族で子供が誕生り、利き手が確立する。まれに両側の運動能や色帯が多く、また火炎状模様もある。これをチ ャイロヒダリマキマイマイ E. 4. ミ 0 ミミと かかるので、冬期寒冷地でのみつくられる。日すると、父親は、子供が男の子の場合は戸口の器用さが対等の場合もあるが、これは両手利き くしろ 〈奥谷喬司〉 いう別亜種にする。 本では釧路、根室、宗谷など北海道でつくる。右側に、女の子の場合は戸口の左側に穴を掘とよばれる。利き手の原因は、どちらかの側の ) アメ 軽くあぶってむしって食べたり、茶漬けにすり、えな ( 後産 ) を理める。右が男に、左が女大脳半球の運動野が他側よりよく発達しているビダール Gore Vidal ( 一九 = 五ー リカの小説家。ニューヨーク州ウエストボイン に象徴的に結び付いていることが明らかであためと考えられ、これによって支配されている る。また、もどしてしようゆで煮る。京名物の ト生まれ。幼少時に両親が離婚、孤独な少年期 芋棒は干だらとエビイモの旨。〈金田尚志〉る。ケニアのメル族は、右手を尊ぶが、最高祭反対側の手足の器用さが勝ることとなる。左半 左ひだりインド・ヨーロッパ語では、一般司は儀礼の際に左手を用い、この左手は神聖視球の運動野が優位な人は約六五 % と見積もらを送る。アリューシャン列島を結ぶ貨物船要員 あらし に右にあたることばは強、吉、正という意味をされている。さらに、インドネシアのカリマンれ、これが右利きの多数を説明するが、なぜ一としての兵役体験を描く長編小説『嵐』 ( 一九四 0 タン ( ポルネオ ) のンガジュ・ダヤク族では呪側の運動野がとくに発達するかは明らかでなでデビュー。同性愛物語『都市と柱』 ( 一九四 0 、 っ含み、左にあたることばは弱、不吉、邪という 。しかし、利き手は素質だけではなく、経験帰還兵士物語『黄色い森にて』 ( 一九四七 ) 、一族の 師は女装する。宗教的職能者が象徴的に左や女 オ意味も含んでいる。たとえば英語、ドイツ語、 かっとう 〈藤永保〉愛の葛藤をたどる『愉悦の季節』 ( 一九四九 ) 、 や学習によっても変わる。 ひフランス語も、右を表す語はすべて強、正、善性に関連することは世界各地にみられる。 ひのき いもーう っ ) 0 はいせつ 575
は。フワイフ朝、北西からはビザンティン帝国、 っ多くの場合きわめて困難であり、ハム・セム語 南方からはファーティマ朝に脅かされ、支配は ヾこ族の比較研究は容易ではない。比較研究におい 〈清水宏祐〉 てます最初に打ち立てられるべき音韻の対応を短命なものに終わった。 0 、 ームチット permutite アメリカのリ よ得ることはむずかしく、基本的な単語について ンデ社が一九五四年ころから製造したモレキュ もすべての語派にわたって対応の得られる例は ほとんどない ラーシープとしての合成ゼオライトの商品名。 しかし、・コアンの『ハム・セム語族の語現在では一般化した。また、アメリカのパーム 彙および音韻論に関する比較試論』 ( 一九四七 ) 以チット社およびドイツのパームチット < ・社 後、近年とくに活発に研究が進められており、 のイオン交換樹脂の商品名 Permutit でもあ フ 左 ・・ディアコノフの『セム・ 取り入れロの羽村堰が設けられ、付近は現在公 ハム諸語』る。↓ゼオライト↓モレキュラーシープ 市 , のきサ部ャ 碑者かムと一上シ王。ル ( 一九六五 ) をはじめとして、着実に成果が積み重 ハムデン John Hampden ( 一四ー一六豐 ) 園となっている。羽村草花丘陵自然公園のほ 石要たラのス。神ビる 典た主いエ撃都たのラあ 。バッキンガムシャー生ま か、禅林寺には本町出身の中里介山の墓があ ねられてきている。さらに、ハム・セム語族をイギリスの政治家 法んのて , 攻首れ義ムが ビ刻アれ紀アのら正 インド・ヨーロッパ語族と結び付けようとするれ。オックスフォード大学、テンプル法学院でる。人口四万七二〇三。↓羽村堰〈沢田清〉 ラをニら世ニム帰とと彫阯 ム典ロてロラち陽ュ浮美 試みも繰り返しなされているが、十分に説得的教育を受ける。一六一一一年、初めて庶民院 ( 下囮二万五千分の一地形図「青梅」「拝島」 にしたま ハ法ビ建 d ビエ持太シの高ル な成果を得るには至っていない。 院 ) 議員に選出され、その後チャールズ一世の羽村堰はむらぜき東京都西多摩郡羽村町の じようすい もとで有力な反国王派指導者として頭角を現し南西部にある玉川上水の取り入れロ。一六五し、「水を豊かに」供給しては「活力を与え」 〔類型論的特徴〕ハム・セム語族に属する一一一口語 の多くにみられる構造上の特徴には次のような た。三五年には船舶税の徴収を拒否し、それを四年 ( 承応三 ) に設けられ、水門わきには幕府つつ、社会的弱者を保護して「正義を実行」す どのう じゃ ものがある。①母音の数が少なく、それに対しめぐる裁判は、結局国王の勝利に帰したもの の水役人の陣屋が置かれていた。堰は土嚢や蛇ることにあった。事実、行政記録、書簡あるい かご て子音の数が比較的多いこと。たとえばセム語 の、全国の耳目を集めた。四〇年、長期議会が 籠を積んで流れを制し、二か所に幅一〇ほど は法典などによれば、内政に対する王の配慮は かんがい では、元来母音は短母音が、•- 、、長母音 招集されるとハムデンはピム J. Pym とともの水門を設けたものであった。現在も多摩湖、きめ細かく、王領地を中心に灌漑網の維持や拡 さやま ⅱのそれそれ三つだけだったと思 に議会派指導者の一人となり、さらに内戦が始狭山湖へ水を引く東京都の多摩川給水系の取り大に努めて農業生産力、輸送力の上昇を図り、 えんてい われる。子音において無声音ー有声音という まるとすぐ軍隊を組織してバッキンガムシャー 入れ口がある。堰堤の一〇〇〇本余りのサクラ手工業と遠隔地貿易を育成、高利貸に対しては 対立に加えて、強調音とよばれる系列の音が存を議会派の手に確保した。しかし四三年、オッ と町内各神社の祭礼が毎年春を彩り、多くの観ある程度の規制を加えつつ、各種の手厚い保護 おうめ 在し、三項の対立をなすこと。③調音点が後ろクスフォードシャーの戦闘で致命傷を受け、惜光客を集めている。東日本旅客鉄道青梅線羽村を通じて賦役負担能力の維持を図った。また官 - : つ ~ い いんと - っ 〈小泉徹〉駅から徒歩で一五分。 〈沢田清〉吏には厳しい統制を加えてその職責遂行をチェ 寄りの子音 ( ロ蓋垂音、咽頭音、声門音 ) を多しまれつつ世を去った。 ックしつつ、王の意志の正確な実現に努めた。 くもっこと。これは時代をさかのばるほどはっ ーム・ビーチ Palm Beach アメリカ / ムラビ Hammurabi 生没年不詳。西セ きりとみられる特徴である。④代名詞は独立形合衆国、フロリダ州南東部の保養地。人口九七ム系アムル人のバビロン第一王朝第六代の王二八二条からなる法典の発布はその集大成であ ーム・ビーチ ~ 前一七五 0 または前一七一穴 る。しかし、彼のこの意図は十分結実しないま と、名詞・動詞に接尾的につけられて所有 ( 私二九 ( 一九含 ) 。↓ウエスト・パ ( 在位前一七九一一 かん - 一う 法典の制定者として知られる。慣用でハムラビ まに終わった。彼の死後王国内にしだいに社会 の、君の、など ) 、動作の対象 ( 私を、君を、 ハムフン 0 咸興 など ) を示す非独立形の二つのセットをもつ。 ーーゅ palm 0 = シュロ科のオとよばれるが、より正確にはハンムラビまたは的矛盾が蓄積され、王国は衰退に向かってい ーム油 ↓バ、ビロン く。↓ハムラビ法典 〈五味亨〉 ハンムラピー。北 のアッシリア、南のラルサに 引・単語は、基本的意味を担う語根 ( 子音からな イルバームの実の果肉から得られる脂肪。圧搾 ームの主要生産国はマ挟まれた中部バビロニアの小国バビロンの王と EE ・クレンゲル著、江上波夫・五味亨訳「古 る ) と、文法的機能を示す母音バターンとの組法により採油される。 合せからなる。 〈柘植洋一〉 レーシアである。融点は二七 ~ 五〇度 O 。ョウして出発、当初はアッシリアのシャムシ・アダ 代バビロニアの歴史』 ( 一九含・山川出版社 ) ほうてん紀元前一八世 素価四五 ~ 六〇。主要成分脂肪酸はパルミチンド一世に従属したが、ラルサのリーム・スイー ーム・ダット 0 ダット ハムラビ法典 くさびがた 紀中ごろにハムラビ王が制定した、楔形文字 ーーちょう Hamdän 上ュ酸、オレイン酸で、固体脂肪酸四〇 ~ 五〇 % ン一世の打倒 ( 治世三一年 ) を皮切りに、アッ ハムダーン朝 、小 / 、ー」ゅっ ーフラテス、シリアを支配したアラブ系王朝液体脂肪酸五〇 ~ 六〇 % を含む。 ーム油の成シリア、マリ ( ューフラテス川中流域 ) など周法典。「目には目を、歯には歯を」の同態復讐 辺諸国を次々に征服して、約二五〇年ぶりにメ法で名高い。一九〇一 ~ 〇二年に西イランのス ( 九 0 六 ~ 一 00 四 ) 。九世紀末にハワーリジュ派と連分脂肪酸は、。ハ ーム核油、やし油のそれと異な っている。マーガリン、ショートニング、食用ソボタミア全土の統一に成功した。とくに南部 ーサで発見された石碑 ( ループル美術館蔵 ) に 合して頭角を現した、始祖ハムダーンに由来し 脂、せつけんなどに用いられる。〈福住一雄〉の広大で豊かな農業地帯に王領を拡大し、そのは、神 ( おそらく太陽と正義の神シャマシュ ) た名。その子アプー・アルハイジャーの代に にした は、逆にアッパース朝の側にたって、ハワーリ 羽村 ( 町 ) はむら ( まち ) 東京都北西部、西多水利権を掌握しつつ、さまざまな職業に従事すから権力の印を受ける王の浮彫りと、楔形文字 による法典とが刻まれている。序文、本文、結 ジュ派攻撃に勲功をあげ、モスルの総督となっ摩郡にある町。一九五六年 ( 昭和三一 ) 西多摩る人々に土地を分与、その代償に夫役、軍役、 むさしの た。次のナースイル・アッダウラ時代に独立政村が町制施行して羽村町と改称。武蔵野の外れ納税を要求するイルク制度を整えて、王国の経びの三部からなる法典の構成は、ウルナンム法 にあるところから端村の意味が地名となったと済的、軍事的基盤を確立した。 典など古い時代の伝統を継承している。神々を 権を樹立、西方へ勢力を拡大し、九四五年に は、サイフ・アッダウラ ( 在位九一六 ~ 九六七 ) がア いわれる。西端を多摩川が流れ、台地にあって 王の政治理念は法典の序文や結びで明らかな敬う心に篤い王の人格を強調する序文に続く本 地下水が深く、都史跡のまいまいず井戸の跡が ように、神々、とりわけ太陽と正義の神シャマ文は、「人々に正義を与えるために」編まれた レッポにも政権を開いた。サイフ・アッダウラ おうめ シュ、あるいは国家の守護神マルドウクの召命 二八二条の法律を含み、この法律を遵守するよ は文人の保護者としても名高く、その下からは東日本旅客鉄道青梅線羽村駅東方にある。一六 じようすい によって、国を「再建」し、「豊かさを施与」う子孫に諭すのが結びである。楔形文字法典中 詩人のムタナッビーらが出た。しかし、東方で五四年 ( 承応三 ) 江戸へ水を送る玉川上水の ぜき かいぎん あっ
ュ ) ▽服部幸三著『バロック音楽のたのし ローダ Baroda インド西部、グジャラ半のヨーロッパ音楽を「バロック音楽」とよぶ度に発展させた。ここでもまた前奏曲 ( トッカ み』 ( 一九七九・共同通信社 ) ▽ O ・ > ・パリス ータ、ファンタジー ) とフーガのように、二つ ト州東部の都市。人口七四万四〇四三 ( 一九ようになったが、フランスではこの語に本来備 カ著、藤江効子・村井範子訳『バロックの音 の相異なった要素の対立が、基本的特徴として (I)O アーメダバードの南東一〇五キ。に位置すわる否定的な意味を嫌い、また当時のフランス 楽』 ( 一九七五・東海大学出版会 ) ▽今谷和徳著 る。デリー 、アーメダバード、ポンべイなどイ文化が一つの全盛期を極めたとの認識から、むあげられる。 『バロックの社会と音楽上 ( イタリア・フ バロック音楽の発端と終結に関しては諸説あ ンド西部の主要都市と鉄道、道路で結ばれ、工しろパイヤールのように『フランス古典音楽』 ランス編 ) 』 ( 一九会・音楽之友社 ) ▽・フ る。発端をオペラの誕生に求めれば、一六世紀 業、商業ともに活発である。肥沃なレグール土 ( 一九六 0 ) という呼び方を好む傾向にある。 ロッチャー著、山田貢訳『バロック音楽の演 〔特徴と時代区分〕バロック音楽の本質的な特末のカメラータたちの活動と、ペーリのオペラ のワタ栽培地域を背景に古くから綿織物工業が 奏習慣』 ( 一九七四・シンフォニア ) 『エウリディーチェ』が初演された一六〇〇年 盛ん。また陶器、ガラス、金属、機械などのエ徴は、「モノディ様式」と「協奏 ( コンチェル タート ) 様式」にある。前者は初期のオペラのが目安となるが、ユーゴスラビア出身のアメリ 業に加えて、最近石油化学工業が導入された。 びじゅっ バロック美術 町の歴史は古く、すでに九世紀にその存在が確様式で、のちにレチタティーボとアリアとに分力の音楽学者バリスカのように、分割合唱様式 イタリアのバロック / オーストリアとドイ 認されるが、現在の町の大部分はマラータ出身化するが、独唱とそれを支える通奏低音との間を生んだ・ヘネチア楽派の創始者ビラールトの曲 ムジカ・ノー へんさん ツのバロック / フランドルとオランダのバ の緊張関係によって成立する一一元的ないし両極集『新音楽』が編纂された一五四〇年代をもっ のガーイクワール王朝、とくに二〇世紀初めご ロック絵画 / スペインのバロック / フラン ろのサヤジ・ラオ三世の時代に建設されたもの的な構造の様式である。後者は、ガプリエリにてバロックの始まりとする説もある。バロック スのバロック といわれる。一九四九年に創立されたバローダ代表されるベネチア楽派の分割合唱に端を発すの終わりに関しても、かってはバッハの没年で 大学は九学部をもっ総合大学で、この時代の文る対照性を重視する音楽の構造を意味する。そある一七五〇年をもって区分としたが、すでに 一七世紀初頭から一八世紀前半にかけてのヨ 化を受け継ぎ、そのうちのいくつかの分野ではれは、グループ間の対照であれ、独唱 ( 奏 ) と一七二〇 ~ 三〇年代には、啓蒙主義の影響によ ーロッパ美術の様式。バロック Baroque の語 インドでも指導的な立場にある。〈中山晴美〉全オーケストラ ( 総奏 ) の対照であれ、さらにる歌謡的でよりわかりやすい音楽が支配的とな だえきせん り、複雑で対位法的なバッハの音楽は時代遅れ源はポルトガル語もしくはスペイン語で「ゆが は器楽と声楽の対照であれ、やはり二つ、また ハロチン 0 唾液腺ホルモン剤 おんがく 一六世紀の終はそれ以上の相異なった要素の間に生じる緊張となっていたため、一七二〇年ごろに区分を置んだ形状の真珠」を意味する barroco に由来 バロック音楽 するといわれ、初め「不規則な」「グロテスク く考え方が最近では支配的となっている。 く、一一元性ないし多元性を基本とす わりから一八世紀前半にかけてのヨーロッパ音関係に基づ ぶべっ な」といった否定的ないしは侮蔑的な意味で、 楽を表す時代概念。一般的には、オペラの誕生る様式である。これらの様式は、バロック音楽〔社会的背景〕絶対主義王政の全盛期であった キリシアの バロック時代の音楽の担い手は各地の宮廷であ曲線を多用した装飾過剰のこの様式をよぶのに のさまざまなジャンルに浸透した。・ から、モンテベルディ、シュッツ、コレツリの った。なかでもルイ一四世のベルサイユ文化は用いられた。しかし、一九世紀後半以降その種 音楽劇の復興運動としてフィレンツェで誕生し 活躍を経て、クープラン、ビバルディ、バッ の語源的意味は薄れ、今日では美術以外の他の ドイツ、オーストリアにまで影響を与えたが、 たオペラは、モノディ様式を基礎にしながらも、 ヘンデルの時代まで、と考えてよい。「バ リュリが確立した管弦楽組曲もまた各地の作曲芸術についても用いられる、客観的な時代およ ロック」の語源は「いびつな真珠」を意味する器楽の参加によって協奏様式を取り入れた。ま 家によって採用された。フィレンツェのメディび様式の概念となった。バロックは、ローマを ポルトガル語「バローコ」 barroco に由来すた教会コンチェルト、教会カンタータ、オラト リオ、受難曲などの宗教的な声楽曲も、歌詞のチ家の宮廷から始まったオペラは、モンテベルキリスト教世界でもっとも美しい都市にしよう る。これを初めて音楽に適用したのは一八世紀 ディによって芸術的成熟を遂げ、・ヘネチアとナとするローマ教皇の美術振興策に端を発してい 内容の宗教性にもかかわらず、音楽的表現手殳 フランスの音楽批評家ノエル・アントアーヌ・ るため「反宗教改革の表現」とよばれ、さらに へと広められた ( ロ の点では、基本的にオペラのそれと大差はなポリを中心に全ヨーロッパ プリュシュで、彼は一七四六年にパリで出版さ ンドンにおけるヘンデルの活躍 ) 。こうしてオ絶対王制下の豪奢・華麗な趣味を反映するもの また、これらの基本様式との関連における れた書物のなかで、フランスの「歌うような音 ペラは各地の宮廷の栄華を誇示する尺度としてとして「絶対主義の様式」ともいわれたことが 楽」に対して、イタリアの協奏曲を奇抜で騒々「器楽の台頭」も、バロック音楽の現象面での ある。いすれにせよ、端正なルネサンス美術に しい「バロック的な音楽」とよんでいる。この大きな特徴の一つである。ォルガン音楽の隆機能するに至り、一七、一八世紀のヨーロッパ ように否定的な意味を含む形容詞として用いら盛、北イタリアのクレモナを中心としたバイオ音楽のもっとも指導的な芸術となった。一六〇対して、動感に満ちた劇的表現を特色とする。 きとう 〔イタリアのバロック〕ミケランジェロによる 丿ンの発展に伴う室内楽曲 ( コレツリ ) や協奏〇年二月ローマのオラトリオ会祈疇所で上演さ れた「バロック」を芸術の様式概念に高めたの ローマのサン・ピエトロ大聖堂の丸屋根の設計 曲 ( ビバルディ ) の発達、さらには弦楽器、金れたカバリエリの『魂と肉体の劇』をはじめと は、一九世紀の美術史家プルクハルトだった。 チチェローネ に、すでにバロックの序曲ともいうべき要素が 彼の『美術案内』 ( 天五五 ) は、ミケランジェロ管楽器、木管楽器の発達と、それらを駆使するするモノディ様式の宗教音楽は、シュッツか 認められ、一七世紀初めのこの大聖堂の工事続 以後の時代を盛期ルネサンスの衰退期としてと名人芸の完成があった。演奏技術の飛躍的向上らバッハに至るドイツのプロテスタント教会の 隆盛をもたらした。教会はまた、市民の音楽生行が新しい様式の発端となった。このとき工事 らえ、その様式を「バロック様式」とよんだのは、演奏における即興性の開発を促した。クー である。「バロック」から否定的な意味を取りプランに代表されるフランスのクラ・フサン芸術活の中心でもあった。都市や農村の民衆にとっ主任となって本棟を完成したのはミケランジェ における微細な装飾音の分化、コレツリに代表て、さまざまな舞曲に代表される民俗音楽が重ロの弟子マデルナであるが、彼は師の創案した 去り、「ルネサンス」と対等な価値をもっ芸術 されるイタリアのバイオリン・ソナタにおける要であったことはいうまでもないが、それらは外観形式を踏襲しつつ、正面玄関の部分に劇的 様式として評価したのはウエルフリンの『ルネ サンスとバロック』 ( 一犬ノ 、 ) である。彼は『美旋律的装飾は、これらの演奏における即興性をまた組曲の構成要素として、さらにはオペラやな強勢を与える独自のフアサードをつくりだし た。支柱の間隔が中央部に近づくにつれて狭く 術史の基礎概念』 ( 一九一五 ) において両様式の特前提としていた。また、パッヘルベル、プクス世俗カンタータの一部として、バロック音楽に 〈樋口隆一〉 なり、壁面がしだいに前面にせり出してくるこ テフーデ、 / に代表されるドイツのオルガ彩りを添えている。 / 、徴を五対の対立概念で表したが、それを音楽に ン奏者たちは、プロテスタント教会の礼拝のな回皆川達夫著『バロック音楽』 ( 講談社現代新のフアサードは、「奥行をもっフアサード」と っ適用し『バロック音楽』 ( 一〈一〈 ) という新語を 書 ) ▽・・パイヤール著、渡部和夫訳して空間と動的な関連性を生み出す画期的な新 かでの伴奏的機能から出発して、コラール前奏 ) わ提唱したのがクルト・ザックスである。こうし 『フランス古典音楽』 ( 白水社・文庫クセジ構想であった。マデルナに続くバロックの建築 2 曲、変奏曲、フーガなどの即興演奏の技術を高 て今日では、一六世紀の終わりから一八世紀前 ひょく ぎい 1 一うしゃ
という側面の二つがあり、たとえば火への信仰 ひ五十音図第六行第二段の仮名で、平仮名春分点に対するものを視恒星日、章動の影響をが必要である。そのためには何度か火に出会い が太陽崇拝の一形態として現れる場合などのよ の「ひ」は「比」の草体から、片仮名の「ヒ」取り去った平均の春分点に対するものを平均恒火を扱う機会がなければならないが、それ以前 つくり に火を恐れず火に近づく精神構造が確立されてうに両者が不可分のこともあるが、本項目では は「比」の旁からできたものである。万葉仮名星日という。太陽の南中から南中までの時間が いなければならない。動物進化の長い歴史のなおもに熱としての火の意味を中心に述べ、光と には二類あって、甲類には「比、砒、必、卑、一視太陽日であり、平均太陽のそれを平均太陽 しての火は「灯火」の項を参照されたい。 かで多くの動物は火を恐れ近づくことはなかっ 日という。太陽が黄道上を運行すること、また 賓、嬪、避、臂、譬 ( 以上音仮名 ) 、日、氷、 〔火の起源神話〕人間が火をどのようにして獲 たであろうが、人類の祖先は火に興味をもち、 その運行が一様でないことからおこる不等のた 飯、檜 ( 以上訓仮名 ) 」乙類には「非、悲、 得したのかを説明する神話は多く、その内容も この不近づき観察し、いじくったりしたに相違ない。 め、視太陽日の長さは毎日一様でない 斐、肥、飛、彼、被、秘、妃 ( 以上音仮名 ) 、 さまざまである。代表的な型として四つある。 北京原人が毎日焚火をして生活していたという 火、樋 ( 以上訓仮名 ) 」などが清音に使われ、等を取り除いて一年について平均した一様な長 第一は神が人間に火を与えたとするものであ ことは、彼らが火の扱いに相当慣れていたとい 濁音仮名としては、甲類に「妣、砒、婢、鼻、さの太陽日が平均太陽日である。平均恒星日も 弭、彌、寐 ( 以上音仮名のみ ) 」、乙類に「備、平均太陽日も〇時から二四時まで数えるが、両うことであり、それ以前に人類が火と接触するる。アフリカの諸族のいくつかにこの種の神話 があり、たとえばエチオビアのダラッサ族で に至るまでの長い前史が想定されるのである。 肥、飛、眉、媚、縻 ( 以上音仮名のみ ) 」者には次の関係がある。 人類と火とが出会い、北京原人が火を利用すは、人間が神に火をねだったところ、神は死と 三六五・二四二二〇平均太陽日 ( 「肥、飛」は清濁両用 ) 、ほかに草仮名として ともに火を与えてくれたという。第二はいわゆ るまでに、少なくとも次の四つの段階が考えら ・二四二二〇平均恒星日 る盗火神話とよばれるもので、プロメテウスが れる。①人類が山火事などの自然火に興味をも 一平均太陽日Ⅱ二四時平均太陽時 などがある。音韻的には一耳 ( 濁音 /bi/ 、半 ゼウスのもとから火を盗んでくるギリシアの神 Ⅱ二四時三分五六・五五五四秒平均恒星時ち始め、その残り火などに近づくようになる。 濁音宣一 ) で、硬ロ蓋無声摩擦音〔 0 ( 両唇 ②恐れつつも火に触れ、一段と興味を深め、触話が代表例である。第三は体内型といわれ、神 一平均恒星日Ⅱ二四時平均恒星時 有声破裂音「 b 〕、両唇無声破裂音「 p 」 ) を Ⅱ二三時五六分四・〇九〇五秒平均太陽時れる機会が増してついに慣れてしまう。③火のや人間や動物の体内から火が取り出されたとす 子音にもつ。上代では甲乙二類に仮名を書き分 日とは太陽そのものもいう。また日の出から暖かさ、明るさを知り、利用できることを発見るものである。南米ガイアナのアロワーク族で けるが、これは当時の音韻を反映したものと考 い火を焚は、ある女性の女陰から火が出される。日本神 〈渡辺敏夫〉したが、その保存方法はわからない。 ) 〈上野和昭〉 日没までの昼間を意味する。 えられる。 か いぎなみのみこと 火により保存し、恒常的に利用する ( 北京原人話で伊弉冉尊から火神軻遇突智が生まれ、そ 比ひ数、わについて、 b= きすなわち 火ひ のとき伊弉冉尊は女陰を焼かれたという話もこ の段階 ) 。そして⑤として必要に応じて火がっ ミⅡ、であるとき、をわの 4 に対する比ま くれる段階へと発展していく。①②は猿人の時れに類する。体内型はオセアニア、とくにメラ 人類と火 / 火の一一面性 / 火の起源神話 / 火 ( 「対わ」と読む ) たは比の値といし 神 / 火の儀礼 / 火と社会集団 / 清浄・不浄代、③は猿人 ~ 原人の時代、④は原人の時代、ネシアに多く分布し、やはり女性器から出現す とも書く。 4 、わはそれそれ、この比の前項、 ほかに動物 ( とくに蛇 ) から ⑤は旧人の時代と考えられる。⑤の場合、発火る神話が多いが、 と火 / 生殖力としての火 / 火の保存と更 後項とよばれる。これを入れ換えた比 b を ひみぞ 火が取り出される話もある。そのほか、性行為 新 / 二種類の火 / 境・分離と媒介の象徴と法は往復摩擦式の一種 ( たぶん火溝式 ) が用い もとの比の反比または逆比という。以上の定義 によって火が出る神話も、ニューギニアのマリ られ、効率のよい回転摩擦式や火花式発火法は しての火 に従えば、ある比とその反比が意味をもっため おそらく新人 ( クロマニョン人 ) の段階に発見ンド・アニム族などにある。この神話は発火法 には北 0. b 北 0 でなければならない。なお、 〈岩城正夫〉との関連がよくいわれる。第四は火獲得という 普通、「火」は、空気中で可燃物質が行う酸されたと思われる。 割合は比の値を表す日常用語である。 二つの量ス、召を比較する場合も、召がの化反応 ( 燃焼 ) によるものであり、光と熱を発〔火のニ面性〕火は人間にとって実用面はもちより火神誕生の神話で、火神が親の神から生ま している状態、すなわち「炎」として見ることろん、観念・宗教面においても重要な意味をもれたとする。インドのアグニ神が代表例である / 倍であることを、のを基準とする比また が、この類の神話では、北欧の「エッダ」のロ っている。人間は火を武器に寒さや猛獣などと は比の値がであるという。とくに、スを単位ができる。↓燃焼↓炎 ーキ神や『カレバラ』の火神のごとく、生まれ 〔人類と火〕人類が火を使って生活していたと戦い、さらに自然の動植物は火にかけられるこ 量とすれば、广は召の大きさを表す数になる。 、これを小数で いう確実な証拠は四〇万 ~ 五〇万年前の北京原とによって人間の食物となり、土や鉱石は火のるときに母神を焼き殺したり暴れ回ることが多 同種の量の比の値を比率といし く、日本の軻遇突智も一面ではこの型に入る。 表したものを歩合という。これを、一〇〇分の人の遺跡から発見されている。遺跡の灰の状態熱によって土器や金属器となり、原野は耕地 からみて、彼らは火を日常生活で恒常的に、つま ( 焼畑 ) になる。火の獲得は人間を自然・野生火の起源神話では、しばしば火の獲得とともに 一、一〇〇〇分の一、一〇〇万分の一を単位と して表したものをそれそれ百分率、千分率、百り火を絶やさずに使っていたらしいが、そのた状態から文化的状態へと移行させたのであり、農耕や鍛冶や土器づくりなどが人間にもたらさ たきび 万分率といし 単位名としてはパーセントめには焚火ができなければならない。焚火が初火はまさに人間の文化的存在者としての象徴でれる。日本神話でも軻遇突智の出生の前後にそ ーミル ( % ) 、ピーピーエム (QQE) 期の人類にとって簡単であったとはいいきれなある。そのような火の重要性は、火をめぐるされらと関係する神々が生まれる。アフリカのド ゴン族の神話では、鍛冶屋が火といっしょに穀 焚火の技術の簡単でないことは子供に焚火まざまな信仰や儀礼を生んできた。 が用いられる。わが国では一〇分の一、一〇〇 火には生産的な側面と破壊的な側面がある。物も盗んでくる。火の獲得が文化の発生である 分の一、一〇〇〇分の一をそれそれ割、分、厘をさせるとわかる。焚火の上手にできる子供が つまり、火は人間の統制下に置かれていれば多ことを神話自身も語っている。また火とともに とよぶことも行われている。これが狭い意味で多いとはいえない。ところが火に対する興味は 病気や死も人間界に導入されたとする神話も、 くの恵みをもたらしてくれるが、そうでない 二 ~ 三歳の幼児にもある。火への興味の発生と の歩合である。異種の量の間でも比を考えるこ とができる。速さ (m/V' など ) 、密度 (g/cm3 それを上手に扱うことの間には時期的にかなり火、たとえば火山の噴火、山火事などは多くのプロメテウス神話をはじめ多い 〔火神〕火は、火そのものとして崇拝されるこ 〈植竹恒男〉のずれがある。同様なことが原始時代にもあっ災いをもたらす。この火の二面性がさまざまな など ) がそれである。 たことが想像される。焚火ができるためには火火に対する意味づけの基盤をなしており、そのとも少なくないが、神格化されて崇拝されるこ 日ひ地球自転から定まる時間単位で、恒 とも多い。火神には、インドのアグニ神や日本の 3 星日と太陽日がある。春分点の南中から南中まの性質がある程度わかっていること、薪をくべため一見相反する意味づけがなされることすら ひでの時間を一恒星日といい、章動を含む刻々のるタイミングを判断し、作業ができることなどある。なお、火には光、明るさという側面と熱軻遇突智のような狭い意味での火神のほか、か まき
けいじじよう るいは形而上学は、まさに、西欧近世の合理主情。ハターンがあるとする立場がある。この立場 8 ひょうじゅんよさん現代の予算規後には八時間労働日が、さらに第二次大戦後に じ標準予算 一フ模は、絶対的にはもちろん、国民総生産なると週休二日制と結合した週四〇時間制がほ義的技術文明の基盤をなすものにほかならなをとる同じくアメリカの心理学者ェックマンら 7 いしかしムフ日では、い っさいの事物を、人間意 は、うれしさ、怒り、嫌悪、悲しみ、驚き、恐 とんどの先進国で確立し、現在では週三八 ~ などに対して相対的にもきわめて膨大なも よ のとなっており、その毎年の編成作業もまた多五時間制が要求されている。一九四七年 ( 昭和識の操作対象という側面からだけみることの一れといった基本的な感情を現す特有な表情があ ひ くの時間と作業を要する。そこで、できるだけ二一 l) に成立したわが国の労働基準法は、一日面性への反省が、さまざまな角度から現代哲学り、これらは表情を現す個人の国籍、文化を超 えた共通な普遍性をもっている、と主張してい よけいな作業を省き、能率的な予算編成をする 八時間、週四八時間を標準労働日として定めたの主要テーマの一つとなっている。〈坂部恵〉 ひょうしよう / ピンシャン中国、広西チる。 ためのさまざまのくふうがなされているが、標もので、国際的にみて非常に低い水準にある。 憑祥 この最後の「表情の文化・社会的規定性」に このため労働基準法の改正が重要な国民的課題ワン族自治区南西端にある市。人口八万 ( 一九 準予算の作成もその一つである。標準予算とい そう ついては、通常はむしろこの主張と逆に、表情 うのは、正式の予算ではないが、予算編成事務となっている。↓労働基準法↓労働日↓八時会 ) 。ベトナムとの国境に位置し、宋代から交 〈湯浅良雄〉通、軍事の要地として開けた。一九五一年に は文化的・社会的影響を受けてしだいに民族や 間労働制 の効率化を図るために、毎年の決まりきった経 しようけい 費についてあらかじめ大蔵省の主計局で決めて回藤本武著『労働時間』 ( 岩波新書 ) ▽・マ湘桂鉄道が通じ五五年にハノイまで延長して国民特有のものとして成立すると考えている研 ルクス著『資本論』 ( 向坂逸郎訳・岩波文庫から、両国を結ぶ交通基地として発展した。食究者が多い。日本人は欧米人に比べ、表情が乏 おく基準額のことである。この基準額は、いち 品、農機具、電機などの工業が立地する。市のしいことがよく指摘される。前述のエックマン / 岡崎次郎訳・大月書店・国民文庫 ) おう前年度の予算に基づいて、あらかじめ増減 は、ある文化圏に所属する人は、その環境に特 の調整のつく項目については、その調整を加え晶ひょうしよう大気中で生まれたばかり南西二三キ。にある峠が古くから両国の国境とな ゅうぎかん っている友誼関である。↓友誼関〈青木千枝子〉定する、こういう情況ではこうした表情をみせ て作成する。 〈林正寿〉の微細な氷の結晶で、大きさが〇・一ミリメート てはいけないというような表現規則を学習する ルに達しないもの。雪結晶は水蒸気の昇華によ表情ひょうじよう expression 表出の一 標準労働日ひょうじゅんろうどうび Normal- 、し。し、カ ため、表情表出が抑制されるのであって、基本 側面である感情の表出を、表情という。 arbeitstag 書国家の法律か、一般的拘束力り氷晶が成長して大きくなったものである。対 じゃっき をもっ労働協約によって規制された一日の労働流圏の上部 ( 五〇〇〇 ~ 一万三〇〇〇 ) は気えれば、ある感情状態が身体の上に惹起するさ的な感情表出のパターンは文化を超え共通であ ると説明している。いずれにしろ、表情を規定 温が零下数十度 O にも下がるので、そこに生ずまざまな変化の「現れ」の総体が表情である。 時間のことをいう。産業革命以前の社会におい る雲 ( 巻雲など ) は氷晶でできている。また地しかし、一般に、変化が顕著に現れるのが顔面している要因は複雑である。↓表出〈細木照敏〉 ては、慣習的な労働時間の長さは日の出から日 没までの時間であり、一日の労働時間は労働す上でもごく低温の地方ではダイヤモンドダストであることから、顔に現れる表情だけを意味す苗条びようじよう維管束植物の、一つの茎 る昼間 ( 日 ) という意味から労働日とよばれて ( 氷霧 ) として観測される。結晶形は六角柱、る場合もあり、研究も顔の表情についてなされとそれについている葉とをまとめてよぶ語。英 たものが多い 語のシュート shoot に相当するが、苗条の語 いた。したがって、この場合はほば一二時間が六角板など雪結晶としてもっとも単純なものが が適訳でないという考えから、シュートと片仮 慣習的な労働日であった。 多い。氷晶の存在は、雲から雨が降る仕組みの 〔研究法〕表情の研究はダーウイン ( 一 0 九ー 全 ) に始まるといわれている。彼は進化論的な名で書くこともある。茎の先端にあって茎の成 なかで重要な役割を果たしている。↓雨↓氷 産業革命の進行はこのような慣習的な労働日 品説 〈三崎方郎〉立場から、動物における表情の普遍性と、その長点ともよばれる茎頂分裂組織において細胞が の限界を取り除き、工場で働く労働者を昼夜の 区別なく長時間働かせるようになった。労働者表象ひょうしよう一般に心または意識に現起源を明らかにしようとした。人の表情は人と増加すると、これらの細胞は茎の成長のもとと なるだけでなく、茎頂はその側方に規則的な配 の肉体的・精神的限界を超えた労働日の延長前するものを意味する。通常は、 representa- 人との間のコミュニケーションや共感過程な イギ、 tion フラ、 Vorstellung représentation ど、人間関係を支える重要な心理行動である。置と周期で葉を形成する。したがって、苗条 は、その肉体的・精神的荒廃を進めざるをえな 。とくに、大量の児童や婦人が工場に雇用さ の訳語として使われる。英語、フランス語の語その研究法の一つは、人間が自然な生活場面やは、一つの茎頂分裂組織によってつくられたも れたため、その弊害はいっそう甚だしくなっ源であるラテン語 repraesentatio は「ふたたある特別な場面に置かれたときにみせる表情をのの全体をさすということもできる。本来の茎 た。このため、一日の労働時間を法律によってび ()e ・ ) 現前せしめること (praesentatio) 」写真や映画、などに記録し、記述、分析頂とは別の位置 ( たとえば葉腋 ) に新しい茎頂 ができたり、本来の茎頂が二分して二つの新し 規制し、標準労働日を確立しようとする運動を意味することからも明らかなように、「表象」する方法である。もう一つは、上記のように記 い茎頂ができ、これらの活動によって茎や葉が が、労働組合をはじめさまざまな社会階層によの語は、少なくとも近世以後の用法において録した写真などを幾人かの人に見せ、どのよう つくられたならば、そこには新しい苗条が生じ って活発に展開されるようになった。このよう は、人間の「意識」の対象定立作用、反省作用な感情が現れているか判断させる方法である。 たこととなる。 に相関する対象の側面を指示する用語として使 これらの方法を用いて、表情と感情の関係や、 な連動の結果成立したのが工場法である。↓工 場法 われる。 人間が相手の表情を認知、あるいは理解する仕 同じ植物の苗条に、節間の長さが著しく短く いっさいを人間の意識に取り込んで考えよう 組みを明らかにしようとするのである 世界各国の労働運動は、このような標準労働 て年々わずかしか伸びないものと、そうでない 日の確立と労働時間の短縮を、労働者の健康をとする、近世のデカルト以来の意識内在主義〔ニつの考え方〕表清に対する考え方には、一一ものが区別されるとき、それそれを短枝、長枝 守り、また知的な発達や文化的生活を保障し、的、主体主義的哲学は、カントを受け継いで世つの立場がある。さまざまな色の現れも、すべとよぶ。イチョウ、カラマツ、カッラ、ウコギ りんべんよう 社会的・政治的活動に従事するために必要であ界のいっさいを人間意識の表象に解消させるシて色相、明度、彩度の程度によって分類される などの例がある。マツの長枝は鱗片葉のみをつ り、また、それなしには、、 しっそう進んだ改善 ヨーベンハウアーの「意志と表象としての世ことはよく知られているが、多様な表情の現れけ、その葉腋から出る短枝はいくつかの鱗片葉 や解放の試みがすべて失敗に終わらざるをえな界」の哲学から、さらにそれを受けて、同じく も色と同じように、快ー不快、拒否ー注意、眠と一ないし五本の針葉をつけて成長を終える い先行条件をなすものと位置づけ、非常に重要世界のいっさいを権力意志による解釈の産物と りー緊張の三つの互いに直交する座標軸上に位が、まれに、針葉の間から苗条が伸びて短枝が 視して運動を行ってきた。 みなすニーチェの「遠近法主義」の哲学におい 〈福田泰二〉 置づけることができる、とアメリカの心理学者長枝に転換することがある。 歴史的には、ます一〇時間労働日が確立し、 て一つの頂点に達するとみることができる。こ 大気中でつくられ シュロスパークはいっている。これに対し、程日核ひょうしようかく ついで九時間労働日へと進み、第一次世界大戦の近世の人間中心主義的な主体主義の哲学、あ度の差はあれ、特定の感情に対応する特有の表る氷晶の核。過飽和の大気中で水蒸気が凝結し ようえき
ンをもとにイギリスの大英博物館が発足したの パリの国立近代美術館、アメリカのニュー 剤となり、美術の将来は予測しがたいものがあ本質から外れたものといえよう。 っ ヨーク近代美術館など、ヨーロッパの近代絵画 作者の人生・生活・人間性が込められて初めをはじめ、ヨーロツ。ハの各王室のコレクション ゅ一る。人間の生活に根ざした情念を形や色によ 0 じて表現したものをかりに美術と定義すれば、こて優れた作品といえるように、その国、その民の一部が公開されるようになった。そしてフ一フや自国の現代美術を常時展示する美術館が増え ひのような現代の美術の現象は肯定してしかるべ族の伝統や歴史を切り捨てては、その国の美ンス革命によ 0 て実現したルー・フル美術館は世てい 0 た。 〔日本〕日本には古くは正倉院があり、また奈 きものである。そしてこの場合、これらが美術術、その民族の美術はありえない。現代の美術界最初の公立美術館となった。 一九世紀は探検や古代遺跡の発掘が盛んに行良時代から社寺に奉納された美術工芸品は宝物 作品として永続性に耐えるか、それとも一過性は広く社会のなかに根を下ろしている。社会生 のものであるか、そこに価値判断を持ち込むこ活、個人の日常にあって心の安らぎを与え、まわれた時代で、古代文明の秘宝がほとんど略奪殿や宝蔵に秘蔵され、毎年一定期間だけ虫干し とは危険である。新旧の概念でとらえうる美術た活力の源泉になるものを美とみなせば、美術に近い形で次々とヨーロッパにもたらされたを兼ねて一般に開帳される習慣があった。この 矣や富裕な町人の個人的なコレクション は、現代という限られた時代の人間精神を一時は美術館や画廊やアトリエばかりでなく、社会が、この反省から一九世紀後半には学術的な発ほか諸イ のあらゆる分野に存在しているといえる。美術掘調査と同時に遺跡の復原や現地保存の遺跡博もあったが、これらは一般に公開されることは 的に表現して時代とともに消えてゆくものと、 なく、西洋的な意味での博物館、美術館は明治 〈永井信一〉物館がつくられるようになった。一八五一年ロ 時代を超えて人間精神の根源に触れて存続しては時代を映す鏡である。 ンドンで開催された第一回万国博覧会では、パ 以後になる。一八七二年 ( 明治五 ) 東京・湯島 いくものとに分別されるべき両面性を備えてい美術館びじゅっかん美術品を収集保管し、 るといってよい 必要に応じて展示を行う機関、およびその施設クストンのクリスタル・バレス ( 水晶宮 ) が近聖堂で文部省博物館主催の美術工芸品の展示が 行われたが、七七年に第一回内国勧業博覧会が 時代の変化、社会機構の多様化に伴い、美術の建物。収蔵品を研究し展一小公開の準備をする代建築運動の先駆として注目を浴びたが、こう のは、日本では学芸員とよばれる美術・美術史した博覧会では、産業革命以後の科学技術の進上野公園で開催されたとき、美術品を陳列した の包含する範囲はますます広まりつつあるとい 歩が説明図や実験器具・模型などによって具体部門を美術館と称した。これが後の帝室博物 うことができる。写真、映画、テレビ、ビデオの専門家があたる。 美術館には、絵画、彫刻、工芸のほか、考古的に展示されて好評を得た。この展示法は現在館、現在の東京国立博物館の前身で、一九二五 などはすでに絵画・彫刻と同列の地位を確保 年 ( 大正一四 ) に科学部門、三八年 ( 昭和一 し、美術そのものが末来への大きな展望を一小し学的遺物や武具、服飾品などを含む美術博物館も科学博物館などに受け継がれている。 アメリカでは一七七三年公開のチャールスト三 ) に歴史部門を分化して、美術博物館として ともいうべき性格のものと、絵画のみを扱う絵 ているし、以上のジャンルを「映像」というこ ン博物館がもっとも古く、一九世紀になってコ の性格を明確にしていった。一八九五年に現在 とばでよぶようになってすでに久しい。同様な画館 ( ドイツ語でピナコテーク Pinakothek) 、 ーコラン、ポストン、メトロポリタン、フィラ の奈良国立博物館、九七年に京都国立博物館が ことはデザインについてもいえよう。デザイン彫刻専門の美術館 ( グリュプトテーク Glypto- デルフィアの各美術館が相次いで公開された。開館、一九三〇年には倉敷の大原美術館が西洋 thek) がある。またロンドンやワシントンの が「図案」とよばれ絵画と近接した関係をもっ ていたのは過去のことで、いまや都市計画や科ナショナル・ギャラリーのように、元来は歩廊二〇世紀に入るとアメリカの経済支配が世界に絵画のコレクションを常設展示する民間最初の はんちゅう 及び、カーネギー、ロックフェラーなどの巨大西洋美術館として発足した。第二次世界大戦後 学技術の分野にまで進出し、美術の範疇を超や通路をさすギャラリー gallery が絵画館に の一九五一年 ( 昭和一一六 ) に神奈川県立近代美 財閥により、多量の美術品がヨーロッパやアジ えて、科学と美術を総合した独自の世界を形成近い意味で使われることもある。 アからアメリカに流入し、個人のコレクション術館が、五九年東京に国立西洋美術館が開か している。これを歴史的にみると、かっては王 〔歴史〕〔西洋〕博物館・美術館をさす muse ・ やまたね の寄贈によるものや、大学付属施設も含めて数れ、他方で、プリヂストン美術館、山種美術 侯貴族の権威の象徴、あるいは宗教活動の手段 um の語源はギリシア神話の詩や音楽をつかさ いでみつ やまとぶんかかん どる女神ミューズの神殿ムセイオン museion 多くの美術館が設立された。ロシア革命以後の館、出光美術館、大和文華館など実業家のコレ の一つとして文化の一翼を担っていた美術、い に由来する。紀元前三〇〇年ごろ、エジプトをソ連では、エルミタージュ美術館やクレムリンクションを核にした優れた民間の美術館も相次 わば特権階級によってはぐくまれ、一般庶民と 美術館が国家の手厚い保護のもとに公開され、 いで開設された。一九七〇年以降日本経済の発 距離を置けば置くほど貴いものとみなされてき継承したプトレマイオス一世はアレクサンドリ た美術が、現代社会にあってはこの関係が逆転アの宮殿内に絵画や彫像を陳列し、ムーセイオさらに社会主義体制に基づく社会史、革命、農展に伴い、地方公共自治体による公立美術館の 設立ラッシュが続いた。これらの多くは近代美 したということができる。現代においては美術ンと名づけた。紀元後二世紀にはアテネのアク工業などの新しいタイプの博物館が生まれた。 こうして美術館の内容が多様化するにつれ術館で、それそれに特色ある建物を競い、収蔵 ロポリスに近いピナコテーカとよばれるホール は社会の共有となり、血の通った美の創造は、 品の内容や展一小企画とともに、建築と美術との 既成のパターンを切り崩し、身近なものとしてで多くの絵画を展示・公開したが、これが今日て、考古学・民俗学を主とする歴史博物館と科 とらえられるよ , つになっている。 的な意味での最初の美術館とされている。 学博物館、美術博物館に分化、専門化が進むよ相互関係が注目され始めている。 うになる。さらに従来は軽視されがちであった その一方では、美術プームを反映して貸会場 ルネサンス運動の中心となったフィレンツェ 文化現象の各種のジャンルのなかで美術がも まくだい っとも実質的な交流を果たしたことを上述したでは、メディチ家の後援のもとに樊大な美術品装飾部門を扱う装飾美術館や、東洋美術館のよ専門の美術館や、日本の特殊例ではあるが、新 が、このことは現代においても変わらない。美の収集が行われ、コジモ・デ・メディチはこれうに特定地域の美術品をおもに収集する美術館聞社やデバートが主催する美術展が盛んであ などへ細分化が進んだが、なかでも各国で続々る。もの珍しさの時期を終えたいま、美術館本 術の交流が各民族、各地域の発展に著しい効果らの美術品展示のために、採光や遠近法のバラ と近代美術館が誕生したことは特筆してよい 来の役割と性格が改めて問い直され、国際的な をもたらしたことも事実であるが、美術の世界ンスを考慮したギャラリーをウフィッイ宮に設 近代美術の幕開きとなった印象派絵画の出現交流や中央と地方を結ぶ好企画の巡回、公開講 性、国際性を現代の視点にたって反省してみる計したが、これは美術館建築を明確に意図した ・メディアの導入など、新しい時代 と、相互交流より、民族性、地域性といった独最初の設計といえる。しかし美術館の建物の多以来、人々の関心と共感は、それまで美術の主座やニュー 自の性格を確立することが強く望まれるように くは、宮殿、教会堂、貴族の邸宅などがそのま流とされてきた古典作品よりも近代美術へ向けの美術館活動が期待されている。〈友部直〉 なってきている。すなわち、日本美術にあってま転用されて展示施設として使われ、西洋建築られるようになって、美術館も建築、デザイ回梅棹忠夫他編「世界の博物館別巻世界の博 物館事典』 ( 一九七九・講談社 ) ▽嘉門安雄監修 は、日本の伝統を現代に生かしたものこそが、史のなかで美術館が個別の施設として独自の展ン、写真、映像などを含めた近代美術への視点 の重要性を認識せざるをえなくなった。その結 『日本の美術館』第一期全一〇巻 ( 一九会 ~ 世界の美術のなかにあって存在意義を有するの開をするのは一八世紀後半以降である。 きょ - っ 一七五三年にスローン卿の莫大なコレクショ果、ロンドンの近代美術館テート・ギャラリ 〈七・ぎようせい ) であって、皮相な欧米化した作品は日本美術の 516
らの国はユートピア的な理想郷として考えられとして製造される。熱、光、空気に対して安定や法律に対し、非暴力によって抵抗する主義。 ヒペリオン Hyperion ギリシア神話のい わゆるテイタン神族の一人。ウラノスとガイアていった。その国はいつも光り輝き、人々は不でなく徐々に分解する。密栓して冷暗所に貯蔵ただ暴力を使用しないということでなく、非暴 の子。姉妹のティアとの間にヘリオス ( 太陽 ) 、自由なく幸福に暮らしている。そしてアポロンする。ヘリオトローブ系調合香料、せつけん香力で抵抗する、非暴力的抵抗主義のことであ あけばの 〈佐藤菊正〉る。通常、無抵抗主義という場合も、抵抗しな セレネ ( 月 ) 、エオス ( 曙 ) をもうけた。そのをたたえる頌歌がつねに響き渡り、平和と正義料として需要が多い。 いで暴力や不正に黙従するというのでなく、非 名は「天空を往来するもの」を意味し、また太を愛し、アポロンに奉仕を怠ることのない人々 非べンゼン系芳香族化合物ひーけいほ ほ、つこ、つぞくかノ、、フふつ 暴力によって抵抗することを意味するもので、 〈伊藤照夫〉うこうそくかごうぶつ 0 芳香族化合物 陽神ヘリオスの称号として用いられる場合もあが住んでいるという。 この場合は非暴力主義と同じ意味となる。すな る。 〈伊藤照夫〉ヒペレイデス Hypereides ( 前 = 〈九ー前ビホー Viborg デンマークのユトランド ピペリジン piperidine 複素環式化合物三 = = ) 古代ギリシアの弁論家。アテネの出身半島中北部内陸の中心都市。人口三万八七五七わち暴力的手段によっては抵抗しないというこ の一つで、環内に窒素原子一個をもっ飽和六員で、イソクラテスに師事して著名な弁論家とな ( 一九八 0 ) 。デンマーク最古の都市の一つで、異教とを意味する。そしてこの際非暴力とは単に物 理的意味にとどまらず心理的暴力も含み、した った。当時アテネを脅かしていたマケドニアの時代の聖地である「聖なる山」を語源とし、一 環化合物。ビリジンの水素化により得られる。 勢力に対抗し、デモステネスとともに活躍した〇六五年に司教座が置かれた。また中世以来ュがって相手を憎むことも排する旨主張すること が、ア工ギナ島で捕らえられて殺された。現存トランド半島を総括する「集会」が一八〇五年も多い ( 後述する・ガンディーや・・キ 度 4 ングなど ) 。 三六 ~ 四八 する作品は少ないが、文体は機知に富み、日常までここで開かれた。さらに一八 0 2 温 r-; 的語句を用いて相手に率直に訴える弁論となっ年、地方議会がこの地で開かれ、ユトランド半〔歴史的系譜〕以上のような意味での非暴力主 0 6 定 -9 LO い一 ン ていて、ギリシア散文の歴史の上に重要な足跡島北部の鉄道・道路、ヒース ( 荒地 ) 開墾、エ義は古来その例は多くみられるが、アテネの古 0 8 ジ 〈引地正俊〉業の近代化の中心地として栄えてきた。機械、典的悲劇作品にもその例があり ( ソフォクレス を残している。 式量 率 子子点点重折 〈村井誠人〉 『アンテイゴネ』など ) 、古代ローマではユダヤ ビべロ Don Rodo ュ go de Vivero Y Vel ・繊維、家具製造の工業がある。 分分融沸比屈 asco ( ? ・ ー一六 = 六 ) スペインのフィリピン臨秘法ひほう密教で行う秘伝の修法。密法人や平民たちの軍役拒否、キリスト教徒の異教 けんぎよう 礼拝強制に対する抵抗などの例がある。古代イ ともいう。広義には顕教に対して密教の修法 アンモニアに似たにおいをもっ無色の液体で、時長官。日本ではロドリゴの名で知られる。メ ンドでもヒンドウー教徒、仏教徒、ジャイナ教 水、有機溶媒のいずれにもよく溶ける。強い塩キシコで累進し、一六〇八年フィリピン臨時長はすべて秘法である。狭義には秘密の修法で、 官に任命された。着任早々に、マニラで暴動を祖師先徳がみだりに他に伝えない法。修法はそ徒の禁欲的苦行者に共通のアヒンサ ( 他の存在 基性を示し、種々の酸と塩を生成する。有機合 ぞうやく ごうぶく に危害を加えない ) 、軍人以外の階級にある、 成や医薬の原料として用いられる。〈廣田穣〉起こし捕らえられていた日本人の追放・送還をの目的によって息災法、増益法、降伏法、敬愛 - 」うしよう ヒベルポレオイ Hyperboreoi ギリシア日本に通知し、同時にマニラ渡航日本船の制限法、鉤召法などに分類される。また修法の対不満を非暴力的に示す方法としての断食やハル ひでただ を求めて、徳川家康・秀忠の答書を得る。翌〇象の本尊の相違で名称が異なり、修法の仕方でタール ( 一種のポイコット ) 、ときに集団移住 神話に出てくる北方種族。その名の由来につい かずさ ては諸説があるが、普通「ポレアス ( 北風 ) の九年 ( 慶長一四 ) メキシコに帰航途中、上総国大法、秘法、普通法がある。↓修法〈宮坂宥勝〉がこの問題と関係がある。ふたたび西洋に戻る いわわだ と一一世紀カタリ派にも非暴力主義があるとい かなたに住む人々」の意味に解されている。っ ( 千葉県 ) 岩和田海岸で難破、乗組員五〇余人微胞子虫類びほうしちゅうるい旧分類では きよくのう まり、古代ギリシア人には遠い極北地方の住民を失った。彼は救助されて、家康・秀忠に謁原生動物門胞子虫亜門極嚢胞子虫綱の一目とわれる。市民革命期になるとクエーカーが独自 しようすけ の神観念で、物理的抵抗なしに相手に罪を自覚 し、田中勝介 ( 勝助 ) らの日本船でメキシコして扱われた動物群であるが、最近、その構造 と信じられていた。アポロンを深く崇拝するこ させることを目ざす積極的非暴力の方法で目だ の特異性から微胞子虫門が設けられ、その一目 送還された。家康の要請を受け日本とメキシ とで有名な伝説的な民族で、アポロンを北方系に コの貿易開始に尽力。のち二〇年パナマ地方長 Microsporida となったものである。すべて動っている。その伝統は婦人参政権運動や第一 の光明神とか牧畜の守護神と考える際の、一つ しゆくしゅ 物細胞内に寄生する微小動物で、宿主は動物次・第二次両世界大戦期の平和運動、反ナチス の根拠としてしばしばあげられた。ヒベルポレ官兼司令官、二七年パリエ・ 抵抗運動にもつながっている。 界全般にわたり、ヒトに脳炎をおこすノゼマ・ オイがデロス島のアポロンに奉納する品は、まデ・オリサバ伯爵。日本滞在 5 コニコリ ~ ose きこのはか、ウナギの 〔思想史的展開〕〔トルストイ〕他方、思想家 す隣国のスキテス人に託され、その後さまざま中の見聞を記した『ドン・ロ としては、非暴力の理由づけの面でトルストイ 体表が凸凹になるべコ病病原体プリストフォ な民族に次々と渡されてアドリア海の沿岸に至ドリゴ日本見聞録』 ( 村上直。 そ、つしょ 一フ・アンギラウム P 、、 0 きミミ一ミき、 の果たした役割が著しい。彼はクリミア戦争従 り、さらに多くの島の住民の手を経てデロス島次郎訳『異国叢書八』所 〈沼田哲〉 ニジマスの体表が変色するグルゲア症病原体グ軍のころから現存秩序への非協力、さらに積極 へ送り届けられたという。あるいはヒペロケと収 ) がある。 ルゲア・タケダイ 2 き、 & 、カイコの的服従拒否へと進み、軍役、政府勤務、納税、 PlPerO- ラオデイケという二人のヒベルポレオイの乙女ピペロナー 微粒子病病原体ノゼマ・ポンビシス Nosema 陪審員就任などの拒否を主張した。彼の影響を nal べンゼン誘導体の一つ。 が、五人の随行者とともに使節としてデロスに ミをなど経済動物に被害を与えるものを受けたトルストイ主義者はポリシェビキ政権の きたという。二人の乙女は、デロスで死ぬと神ヘリオトロピンともいう。オ 含め約七〇〇種が知られている。三 ~ 五の卵下でも武器をとらず投獄や処刑を受けた。また コチア油、サッサフラス油に として祀られ、随行者の子孫はその地で栄えた トルストイがその救援に努力した、軍役拒否の ともいわれていた。また、伝説的な詩人のオレ含有されるサフロールを原料 形微小な胞子が経ロ的に宿主に侵入し、消化管 ドウホポール教徒も非暴力主義で有名である。 アポロン 組織を経ておもに筋組織に達して増殖し、最後 ンはヒベルポレオイであったといい、 しようか とアルテミスの誕生を歌って頌歌をつくった。 に多数の胞子を生ずる。これらは崩壊組織より〔ガンディー〕またインドのガンディーは、非 1 0 0 0 レ 暴力の巧妙な戦術によって何十万もの人々を結 毖脱し、水などの媒体を通してふたたび経ロ的に さらに、デルフォイの神託にヘクサメトロス 8 っ 0 、 .0 っ ワ」 1 0 1 ル新宿主に入り、生活環を繰り返す。〈小山カ〉集し、少ない流血でインド独立をかちとった。 、フ ( 六脚韻 ) を用いたのも彼であったという。ヒナ 路 O O 式量 ベルポレオイは、ヘラクレスやベルセウスの英 非暴力主義ひばうりよくしゅぎ nonviolence 彼はジャイナ教徒の多い非暴力の伝統の強い地 子子点点火成 o 分分融沸引合 国家権力による圧制や個々の暴政、不正な政策帯に生まれ、イギリス民主主義思想や西洋の宗 ひ雄物語にも関係が深かった。後代になると、彼ピ まっ CHO CH2 ( ) オゾン酸化 O—C KOH 異性化
ぐる考察は古くからみられるとしても、科学的 八 0 ・青林書院新社 ) ▽江守五夫著『法と道 れる。このような宗教的理解は古代の犯罪観念統計的数値のうえにも反映しているであろうこ 徳』 ( 『人間の社会Ⅱ現代文化人類学 4 』所方法による犯罪・犯罪者の研究が出現するため に共通するところとされているが、語義に表れとなど、犯罪学の常識とされている問題もない には、一九世紀を待たなければならなかったと 収・一九六 0 ・中山書店 ) ▽ラドクリフ・プラ る文化的な差異は、事柄が人間的・社会的事象わけではないが、わが国における特徴的概要を 〈須々木主一〉 いう意味である。一八三五年、ベルギーの数学 にかかわる以上、軽視しがたい。たとえば、語知るうえでは便利である。 ウン他著、千葉正士編訳『法人類学入門』 者・天文学者ケトレーは、フランスの統計をも 源的に「破る」である場合 (delictum 冖テ、 Ver- 〔無文字社会の犯罪〕文字のない社会で犯され ( 一九七四・弘文堂 ) brechen 響 ) 、「責任がある」「区別する・定めた非行を処理する態様からみた場合に、①ある万歳ばんざい天子や国家の長久の繁栄をとにして、犯罪が社会的現象としてきわめて規 則正しく発生するものであることを統計学的に 社会自体が当該社会によって公認された処理方祝して唱えることば。正しくは「ばんぜい」と る」である場合 (crime ) 、「罰せられる」 明らかにし、それは、道徳的意味に満ちた行為 一万年 ( 長い年月 ) の意で、いつまでも である場合 ( ミ ) など。今日、比較法法で対応する非行と、②被害を受けた個人が自 とする大方の理解があるとしても、科学的究明 的にみて、犯罪とされる事柄が外見的に酷似し分の力によって加害者との間で私的に処理する生き、栄えることをいう。古来、わが国では、 ていることがあるとしても、文化的背景の違い 非行の二つがある。 天皇の即位式に「万歳」の文字を記した万歳旛の対象とするにふさわしい社会病理的現象であ まんぎいらく による意味的差異には重でなければならず、 文明社会で、公的な手続を通して死刑、体 が用いられ、雅楽の『万歳楽』が演奏されたることを示唆した。その後、フランスを中心に が、これも天皇の長寿を予祝するものであっ 社会現象としての犯罪に関する研究が進められ その犯罪と対をなす刑罰の性質・刑種・程度を罰、罰金刑などの刑罰が科せられる非行をもっ 含む総合的理解が必要である、とされる。 て犯罪というのであれば、そのような犯罪行為た。転じて君主や貴人の長久の繁栄をことほぎるかたわら、犯罪者の個人的特性に着目する見 さらに転じて、一般にめでた解も行われていたが、一八七六年、イタリアの 上記のような概念構造で表される「理論過程は、文字のない社会では、①だけでなく、②も願うことをいし における犯罪」は、犯罪対策のあり方を創造的含まれる。そこで、文字のない社会の非行につ いことを祝う叫び声をさすようになった。「千精神医学者ロンプローゾが、犯罪者の身体的特 に規制する ( 創設、改廃する ) 国の活動、すな いて、文明社会の法概念でもって理解するのは 秋万歳」「万歳千秋」ともいうが、とくに千秋徴を調査した結果を『犯罪人論』として著し、 わち刑事政策そのものを指導する枠組みである不適当であることが多くの法人類学者によって万歳の語は、平安末期ごろから祝福芸能に従事犯罪者は身体的・精神的退化を有する人間の変 と同時に刑法学と犯罪学とを架橋する理論的機指摘されている。①に入る非行は、その社会のする職業集団の呼称となり、江戸時代には単に種・隔世遺伝の所産であり、その身体的特徴に 能を果たす役割を担うべきものとされている。 秩序や平穏を損なう危険があるために、長老会「万歳」の呼び名で親しまれ、正月には欠かせよって正常人と区別しうるとした ( 生来性犯罪 しゅうちょう 〈宇田敏彦〉人説 ) ことは、まさに画期的なできごとであっ 以上、要するに、ひと口に犯罪とはいって議、裁判集会、酋長などの公認された機関でない風物の一つとなっていた も、その意味するところは多様である。とくに 責任者に処罰を加え、当該社会の憤りを表すと晩材ばんざい木材の一成長輪のうち、成たとされている。その主張は、後の研究、とく に一九一五年イギリスのゴーリングの研究によ 犯罪学の領域では、その内容が複雑多岐にわた同時に、加害者に制裁を加えるものである。こ長期の後期に形成される部分をいう。この時期 って否定されたものと解されてはいるが、ここ る。そこで、犯罪は、しばしば病気に例えられのような非行に数えられる行為は部族によって に形成層の活動が衰え、針葉樹では細胞壁が厚 インセスト・タブ に、犯罪の原因として、犯罪者における内部的 る。疾病に関する一般理論としての細菌理論異なるが、近親相姦禁忌を破る行為、他の社会く直径の小さな仮道管が、また広葉樹では細い は、特定の細菌による特定の疾病の理解・治療成員にまじないによって害を与える邪術 sor ・ 道管がそれそれ形成される。したがって、この諸条件を重視する立場 ( 素質説 ) と、その外部 的諸条件を重視する立場 ( 環境説 ) とが、科学 には役だちうるとしても、同じ身体的病である cery を行使する行為、また、超自然力を借り部分は密度が高く、しばしば濃い色にみえる。 ようじゅっ 心身医学的事態について、ましてや精神医学的て害をもたらす妖術 wichcraft を行使する行温帯に生育する樹木では、晩材の形成される時の名において対立する状況を生み出し、犯罪に ~ 」い 事態については無力である。そのように、多種為、部族慣行を反復して犯す行為、その社会の期が夏季の後半にあたるため、夏材 ( または関する実証的研究の機連は大きな盛り上がりを しゅうざい 「なっざい」 ) ともよばれる。また、秋材の呼みせることになった。環境説の論者としては、 多様な犯罪のなかである種の犯罪については当政治的・行政的権威を担う人を侮辱する行為、 該原因論的理論が妥当しうるとしても、そのこそのような人の命令に服従しない行為などが、称もあるが、形成時期を考えると、この語は不フランスのラカッサーニュ、タルドなどが有名 とが、他の種類の犯罪について同様でありうる概して含まれる。 適当とされる。↓早材↓木材 〈鈴木三男〉である。そのような状況のもとで、一九二九 ことを意味しない、また、リ 男の種類の犯罪につ はんざいがく criminology 犯罪の年、ドイツの精神医学者ランゲは、双生児の研 ②に含まれるのは、被害者が奪われた物を実犯罪学 いては他の理論と補足しあうなどということも力で取り返す行為、あるいは被害者の側が自分原因および現象に関する事実学。狭義では犯罪究に基づいて『運命としての犯罪』を著し、犯 考えられるから、各種理論の適用領域を整理し たちの手で加害者を処罰する行為である。この原因に関するそれをいい、広義では犯罪対策に罪における遺伝的素質の重要性を指摘した。そ ながら全体を取りまとめる方向で検討を進める 自力救済の仕方は部族によって異なるが、文字関する事実学を含む。これらと同義で、またはの後も行われているこの種の研究は、素質説・ のが得策であるという、そのような見解があるのない社会から文明社会に移るに応じて、②は とくに後者に力点を置いて、刑事学という名称環境説の対立に決着をつけるものであるかのよ うに説かれたこともあるが、しかし、一般的に ことを付言しておく。それらを取りまとめる支しだいに抑制され、個人は公の手続を通して、 が用いられることもある。犯罪学なるものが犯 いって、素質と環境との間には密接な動力学的 点が犯罪学内部に得られるかどうか、その研究 受けた損害の賠償を請求できる民事法が形成さ罪に関する事実学的研究成果の百科全書めいた 成果が待たれる。 ド係が認められるばかりでなく、現実にはその れる。これに対して、社会秩序を乱す行為は犯総体の便宜的呼称にすぎないのか、それとも、 なお、犯罪の現象的側面、とくに対策との関罪として刑罰が科せられる刑事法が構成され、 独自の犯罪理論に基づく理論体系、つまり一個両者を分離・分析することすら困難であること 係で整理されたわが国の犯罪状況については、法が二つに分化する現象が生じる。〈有地亨〉の独立した学問領域を意味しうるのか、議論のもまれではなく、犯罪との関連ではつねにそれ 『警察白書』 ( 警察庁編 ) 、『犯罪白書』 ( 法務省回団藤重光著『刑法綱要総論』改訂版 ( 一九七九・ 分かれるところではあるが、いすれにせよ、そらをあわせ考慮する必要があり、ただ個々の場 法務総合研究所編 ) 、『青少年白書』 ( 総務庁青 創文社 ) ▽西原春夫著『犯罪各論』 ( 一九盒・ の目的は、犯罪の原因ないし諸要因を明らかに 合にそのいずれの影響が大きいかが問題となり うるにすぎない、という一一元論的な見解も有力 > 少年対策本部編 ) が毎年公刊されて、その概要 筑摩書房 ) ▽法務省法務総合研究所編『犯 して、合理的な犯罪対策の構成に資するところ にある、とされている。 であった ( メッガー ) 。その延長線上では、理 六、を要領よく伝えている。これらの基礎となる公 罪白書』各年版 ( 大蔵省印刷局 ) ▽小川太郎 著「刑事政策論講義第二分冊』 ( 一九大・法〔犯罪学史〕犯罪学は一九世紀の所産である。論体系的整合性に関心をもたないプラグマチッ ん式統計の数字がその背後にかなりの暗数を抱え ているであろうこと、また、当局の活動方針が 政大学出版局 ) ▽吉岡一男著『刑事学』 ( 一九すなわち、犯罪に関する理論や犯罪の原因をめクな経験主義の立場からは、犯罪は多数の因子 2