奥さん - みる会図書館


検索対象: 村上ラヂオ
43件見つかりました。

1. 村上ラヂオ

か、別のときには正しくないことだってあるわけだから。 という風に考えていくと、なんだか自分がただのそのへんの空気になってしまったよう な気がして、とくに頭をひねらなくても毎週わりにすらすらと文章が出てきた。「 anan 」 の読者が実際に読んでどう思ったのかはよくわからないけれど、僕自身のことをいえば、 好きなことを好きに書けたので、けっこう楽しかった。ここに集められた文章が世の中の 役に立っとか、そういうことはたぶんあまりないと思うけど、楽しんで読んでいただけた としたら、その上でたとえ少しでもあなたの個人的なお役に立てたとしたら、筆者として は幸いです。 連載に大橋歩さんの絵がついていたのも、僕にとってはとても励みになった。僕がまだ 猿同然の脳味噌しか持ち合わせない高校生だったころ、大橋さんは若くして既に「平凡パ ンチ . の表紙を書いておられた。僕は毎週「平凡パンチーを買って読んでいたものだ。連 載分に加え、単行本化にあたって大橋さんにはたくさんの挿し絵を新たに描いていただく ことになった。感謝します 213

2. 村上ラヂオ

こられない。当たり前のことなんだけど、オートバイで実際にグランド・キャニオンを跳 び越えた人の口から聞かされると、「うーん、哲学だなあ」と深く納得してしまう。 それとは内容が反対になるが、大江健三郎さんの昔の本に『見るまえに跳べ』というの がある。若い頃そのタイトルを目にして、「そうか、見る前に跳ばなくちゃいけないんだ」 と不思議にしみじみと納得したことがある。これもやはりひとつの哲学かもしれない 9 7 0 年前後の争乱の時代には、その「見るまえに跳べ」というのはひとつの流行語みた もなった。ィープル・ニープルさんと大江健一二郎さんが膝を交えて、ジャンプについ て対談したらすごく面白そうだけど、たぶんしないだろうな。 僕もこれまでの人生でいくつかの冒険をしてきたわけで、今あらためて振り返ってみる と「まあ、ここまでよく生き延びてきたよなあ」と我なから感心してしまうことになる。 もちろんどれをとってもグランド・キャニオンをオートバイで跳び越すような派手なジャ ンプではなかったけど、そのときの僕にとってはけっこうたいした冒険だった。着地のこ とをよくよく考えてから跳んだこともあったし、場合によってはろくすっぽ考えすに 考えるだけのアタマがなかったということもあるーーー「見るまえに」跳んちまったことも あった。怪我をしたこともあったけど、幸いなことに致命的な怪我ではなくて、おかげさ

3. 村上ラヂオ

がったおはあさんが一人、太いくしみたいなものを手にむこう向きに立っていたそして 僕が見守る中で、それをどおんと振り下ろして、うなぎの首を刺した。まるで古い夢の中 の光景みたいだった。 僕は黙って二階に戻り、待ち続けた。しばらくあって、女中さんが「どうもお待ちどお さま」と言って、鰻重を運んできた。それは冗談抜きで、留保抜きで、本当に本当におい しいうなぎだった。うなぎってかなり特殊な食べものだ。つくづくそう思う。

4. 村上ラヂオ

だって「そうか、ウッズさん、そこまでうちのプロモートに打ち込んでくれているのか」 と感動して専属契約料をどーんと上けてくれるに違いない。めでたしめでたし。それに額 にナイキの三日月マークなんて、旗本退屈男みたいでかっこいし 、じゃないですか。え、旗 本退屈男知らない ? そうですか。古い話ですみませんね。 僕の知り合いにもゴルフをやる人はほとんどいな、 というかむしろ、ゴルフというス ポーツの存在自体に反感を抱いている人が多い。イラストレーターの安西水丸さんもその 一人で、二人で夜中に酒を飲んでいると、知らす知らすゴルフやゴルファーの悪口になる ことがある。あのちゃらちゃらしたウェアが気に人らないとか、ぶつふつ穴の開いたポール のかたちが胡散臭いとか、例によってほとんど難癖をつけるという状況に近いんだけどね。 水丸さんは学生時代に某ゴルフ・コースでキャディーのアルバイトをしていて、そのと きに根性の悪いゴルファーにいろいろとひどい目にあわされて、それでゴルフそのものが すっかり嫌いになってしまった。若き日の原体験というか、そういうことってわりによく ある。僕も学生時代に日銀でアルバイトしたことがあり、そのとき毎日朝から晩まで一万 円札を刷っていたので、以来すっかりお金が嫌いになってしまった : ・というのはもちろん 真っ赤な嘘です ( あーくだらない ) 。 200

5. 村上ラヂオ

以前どこかで、ものすごくむすかしいことの比喩として「猫にお手を仕込むくらいむす かしい」と書いたら、「いや、うちの猫はお手をします」というメールをけっこうたくさ んいたたした。いやいや、驚きました。ある人によれば、餌を与えながら気長に仕込んで いると、たいていの猫はお手を覚えるんだそうだ。僕はこれまで多くの猫を飼ったけど、 とてもそんな訓練ができるような雰囲気じゃなかったし、だいたい猫にお手を仕込もうな んて思いっきもしなかった。 僕にとって猫はあくまで仲の良い友人であり、ある意味では対等のパートナーであって、 芸を仕込むというのはイメージとして「ちょっと違うな」という気がする。だから猫山さ ん ( という名前で擬人化して呼ばせていただくけれど ) にはもっと凜として生きていてほ しいと思う。もちろんお手をする猫がいけないと言っているんじゃなくて ( それはそれで ールな存在なのだ 立派なものだと思うよ ) 、あくまで僕にとっての猫山さんとは自由でク ということです。 猫山さんはどこに行くのか ?

6. 村上ラヂオ

丁寧で親切だった。子どもが帰ったあとで三重吉が「あれはどこの子どもですか」と尋ね ると、「どこの子だか英語を教えてくれと言ってやってきたのだ。私は忙しい人間だから 今日一度だけなら教えてあけよう。 いったい誰か私のところに習いにいけと言ったのかと 聞くと、あなたは偉い人だというから、英語も知っているだろうと思って来たんだと言っ てた」と漱石は言った。 しかし胃の痛みをおさえ、近所の汚い子どもに「ちょっとだけだよ。おぢさんは忙しい んだから」と言いながら、縁側で初級英語を教えている漱石の姿って、なかなかいいです よね。微笑ましい 。これは『英語教師夏目漱石』 ( 川島幸希・著新潮選書 ) という本の 中で紹介されているエピソードです。「俺は教師には向いてないんだ」と言いながらも、 漱石さんは教えること自体は決して嫌いではなかったのだろう。 僕は自慢じゃないけど、他人にものを教えることが昔から不得意だ。自分一人でこっこ っと何かを身につけるのは苦痛ではないのだけど、それを噛み砕いて他人に説明すること ができない。 「そういうのって結局、身勝手な性格なのよね」と妻は冷たく一言うけれど、 そうじゃなくてただ不得手なんだ。教えているうちにいらいらしてきて、こっちの教え方 が悪いのを棚に上げて、「なんでこんなものがわからねーんだよ」と思ってしまう。人間 120

7. 村上ラヂオ

いの、真ん中の席に座って開演を待った。席はほば埋まっている。 シートの中で身 で、芝居が始まったんだけど、舞台に神経を集中することができない。 ゝ、何故かというと、ケラーマンさんが正面を向くたびに、僕 体がもぞもぞと落ちっ力ない。 の目をのぞき込んでいるような気配を感じたからですーーーすごく濃密に。最初は思い違い だろうと気にしないように努めていたんだけど、時間が経つに連れてそれははっきりした 確信へと変わっていった。彼女は客席を向いて台詞をしゃべるときには、いつも必す僕の 目をじっと見ている。僕に向かってまっすぐ個人的に語りかけているのだ。 僕は舞台に立ったことがないのでわからないけど、俳優によっては演技をするとき、客 ひとつの演技テク 席の中から誰か一人を選んで、そこに視線を固定するのかもしれない。 ニックとして。まわりにいる観客はみんなインテリっぽい白人で、東洋人は僕一人だった。 だから彼女が客の中から、僕を識別しやすい「定点」としてとりあえす選んだとしても、 まあ不思議はない。 そんなわけで、僕の頭は最後までひじきのように千々に乱れて、芝居の出来がどうだっ たかまったく思い出せない。もちろんすべては僕の思い過ごしであり、ケラーマンさんは 実は 5 メートル以上離れると奄美の黒兎とボウリング・ポールの見分けもっかない強度の

8. 村上ラヂオ

の家はもともと侍の家系で、小さい頃から親に「ご飯の上にものを載せて食べるような下 品なことはしてはならん」ときつく言い聞かせられていたからだ「た。「でもこの、ちら しが好物なもので」 ( 苦笑 ) 、そういう面倒な個人的手続きを踏んでも、つい注文して食べ てしまうのだ。 志村さんの気持ちはわかりますよね。ちらし寿司という食べ物には、何かしらスタイル や道徳を超えた不思議な魔力があるもの。 129

9. 村上ラヂオ

解釈していたとしても、普通の人が現実の生活を送るにはとくに支障はない。というか、 むしろ「なんかよくわからん」というフアジーなものをある程度抱えていた方が、心地よ いフシがある。そう思いませんか ? 言葉の、とくに耳から人ってくる音声的な言葉のす べての意味と関係性が、大きな蛍光灯で照らされるみたいに隅々までクリアになってしま うと、それはそれでなんか味気ないものじゃないだろうか。人生にはある程度の理不尽な ( しですよね。 謎が必要なのだ。僕はそう思う。にんじんさん、、、

10. 村上ラヂオ

えただけで胸が痛む ) 、たまに商店街の肉屋さんで揚げたてのコロッケを買う。それから となりのパン屋で焼きたての食パンを買い、近くの公園に行「てパンにコロッケをはさみ、 むすかしいことなんか考えすにただ食べる。世の中には数多くのグルメ・レストランがあ るけれど、気持ちよく晴れ上が「た秋の午後に公園のべンチに座り、何の気兼ねもなく 熱々のコロッケパンにかぶりつく喜びに匹敵するものがあるだろうか ? いや、ありませ ん ( 反語 ) 。しかしこの本は食べ物の話が多いね。 117