ビートルズ - みる会図書館


検索対象: 村上ラヂオ
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1. 村上ラヂオ

ーから解散まで同時代的に 僕は 1 0 年代に十代を送ったので、ビートルズをデビュ 体験したことになる。でもそのときはそれがたいそうなことだとは思わなかった。『イエ いい曲だな」と思ったけど、来る日も来る日も スタデー』がヒットしたときも、最初は「 しい加減にしてくれよ」と思 『イエスタデー』はかり聴かされて、最後には「くそ、もう、 しい加減にしてく った。今でも『イエスタデー』のイントロが聴こえると、「くそ、もう、 れよ」という思いが条件反射的にこみあげてくる。悪いとは田 5 うけど。 高校生のときにはジャズとクラシックにのめりこんでいたので、ビートルズはどちらか といえば敬して遠ざけていた。世間的に人気があったので「ふん」と思っていた。なにし ろ生意気盛りなので、そういうろくでもない態度をとっていたわけだ。でもいくら敬遠し ても、ラジオからはビートルズのヒット曲がかんがん流れてくるし、結局のところあれこ れ言いつつも、ビートルズの歌が僕にとっての年代のバックグラウンド音楽みたいにな ってしまった。たいしたバンドであり、たいした曲だったんだなと今では素直に感心する。 オプラディ・オプラダ

2. 村上ラヂオ

0 0 し 着メロもそうだけど、持っていき場所がなくて不思議に疲れる。 それでふと思ったんだけど、世の中にはたまに「サビのない人」みたいなのもいますよ ね。言っていることのひとつひとつは一見まともなんだけど、全体的な世界の展開に深み がないというか、サーキットに人っちゃっていて出口が見えないというか : こ , つい , つ人 と会って話をすると、やはりぐったり疲れるし、その疲労感は意外に尾を引く。これもま あ、ビートルズには直接責任のないことですけど。 0 一メッ

3. 村上ラヂオ

引っ越しをして、書庫のようなものができたので、段ボール箱に詰めたまま長いあいだ 倉庫に預けつばなしにしていた古い雑誌の山を、やっと手元に引き取ることができた。こ んな重くてかさばるものをいつまでも抱えていられないし、適当なところで処分しなくち ゃなと思いつつ、今の今まで捨てきれすに持ち歩いていたわけです。 19 7 0 年前後の 「平凡パンチ」だとか「映画評論」だとか「太陽」だとか「日本版ローリングストーン」 だとか「宝島」だとか。「平凡パンチ」はまだ大橋歩さんがカラフルな表紙を描いている 頃のものだし、「 anan 」も創刊号から何年分か揃っていたんだけど、十五年くらい前に飼 っていた雌猫かヒステリーを起こしておしつこをかけて、すいぶん駄目にしてしまった。 惜しいことをした。ー 苗のおしつこって臭いものね ( 人間の女の人もときどきヒステリーを 起こすけど、今のところ本におしつこをかけたりはしない ) 。 いや、懐かしいなと思いつつ、古い「平凡パンチ」を手にとってページをめくっていた ら、ジョン・レノンがインタビューで怒りをぶちまけたという記事があった。ビートルズ 年前に起こったこと

4. 村上ラヂオ

は既に解散していたけど、レノンはまだ元気に生きていた。何をそんなに怒っているかと いうと、「俺たち ( ビートルズの ) 四人はこれまでだいたいにおいて、女をみんなでまわ して共有してきたんだ。なのにあいつら三人は、ヨーコにだけは一度も手を出さなかった。 それってひどい侮辱じゃよ、ゝ。 オしカそのことで俺はすいぶん頭にきてるんだ」ということだ。 そうか、そんな印年代的な経緯があったのか。世の中にはいろんな腹の立て方があるもので すね。でもほかのみんながヨーコさんに手を出さなかった気持ちもなんとなくわかるなあ。 ハンティーストッキングが登場したのもこの頃のことで、おかげでデパートの下着売場 。。、ンツをはかすにパンティース でパンツがあまり売れなくなったという記事も出ている トッキングをじかにはいちゃう女の子が増えたせいだ、ということ。ふうむ。世の中には 紆余曲折というものがあるんだね。 吉本隆明さんの特集もあった。当時の「平凡パンチ」にはけっこう硬派な部分があり、 政治的な記事も多かったのだ。吉本さんはその頃、気鋭の思想家として若者のあいだでカ リスマ的な人気があった ( 今でもあると思いますけど ) 。タイトルは「吉本隆明・謎の私 生活の全貌」である。記事によると、吉本さんのお宅で食べているお米は自主流通米なん だそうです。「それが『謎の私生活』なのかよ」と言いたくなるけど、わざわざ近所のお

5. 村上ラヂオ

なぜ若いときにもっと素直になれなかったんだろう ? ぶつぶつ ある日用事があって遠くの街に行ったら、商店街をチンドン屋が練り歩いていて、その 音楽が『オプラディ・オプラダ』だった。いろんなチンドン屋を見かけたけど、ビートル ズを持ち歌にしているチンドン屋は初めてだったので、珍しいなあと思って眺めていた。 クラリネットと鉦太鼓という、例の古典的な楽器編成。でもその音楽を聴いているうちに、 頭が妙にうすうすとした感じになってきた。なんだか「メビウスの輪」的な迷路にはまり しったい何 こんで、いくら見回しても出口がみつからないみたいな感じだった。変だな、、 がいけないんだろうと考えているうちに、はっと気がついたのだけれど、そのチンドン屋 の演奏する『オプラディ・オプラダ』にはサビの部分がなかったんだよね。つまり < < < という形式の部分がなくて、 < 部分だけが繰り返し繰り返し演奏されていたわけだ。 なせ彼らはサビの部分を飛ばしていたのだろう ? 演奏が技術的にむすかしかったのだ ろうか。あるいは最初の部分を単純に繰り返していた方が魔術的な効果を発揮するという 計算があったのか。いすれにせよ、今でもときどきそのときの「うすうず感」が体内によ みがえってきて、正直言ってわりに迷惑している。新しいレバートリーに挑戦するのはい いけど、やるのならサビの部分までちゃんとやってほしい。サビのない音楽って、携帯の かね