人生 - みる会図書館


検索対象: 村上ラヂオ
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1. 村上ラヂオ

レイモンド・チャンドラーの小説の中に「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」 という有名な台詞がある。僕もいざというときに、そういう決めの台詞を一度くらい口に してみたいとは思うんだけど、こっ恥すかしいというか、なかなか素面ですんなりとは一言 えませんよね。かといって酔っぱらうと言い違えてしまいそうな気がする。そういうのつ て、どうしようもないな。 しかしチャンドラーさんに異議を唱えるわけではないけれど、私見を述べさせてもらう なら、人は「さよなら」を言った直後には実はあまり死なないものだ。僕らが本当に少し 死ぬのは、自分が「さよなら」を言ったという事実に、身体の真ん中で直面したときだ。 別れを告けたものの重みを、自分自身のこととして実感したとき。でもだいたいの場合、 そこに行きつくまでには、あたりをひとまわりする時間が必要になる。 僕もこれまでの人生で、少なくない数の人々に別れを告けたけれど、上手にさよならを 一一一口えた例はほとんど記憶にない。 今思い返すと「もうちょっとまともなさよならの言い方 さよならを言うことは 206

2. 村上ラヂオ

「群像」新人賞をと「たとき、授賞式に着て行ったオリープ色のコットン・スーツ。スー ッというものを持っていなかったので、青山の > << Z のショップに行ってバーゲンで買っ た。それに普段の白いスニーカーをはいて行った。そのときはこれから何か新しい人生が 始まるんだなという気がした。実際に新しい人生が始まったかといえば、うーん、たしか に始まったとも言えるし、べつに前と同じといえばすっと同じという気もするんだよね。 うまく言えないけど。

3. 村上ラヂオ

気に吸い込まれて消えるか消えないか」というところで、反射的にわあっと手を叩いちゃ ったわけです。これはほんとに恥すかしかったんですよ。ここは日本なんだ。そんなとこ ろで拍手をする人間はほかにいない。穴があったら入りたかった 今でもときどきリヒテルの『版画』は聴くけれど、拍手が入るとそのときのことを思い 出して顔が赤くなってしまう。人生には感動も数多くあるけれど、恥すかしいことも同じ くらいたくさんある。でもまあ、人生が感動はかりだときっと疲れちゃいますよね。 10 )

4. 村上ラヂオ

アルマ・コーガンの古い歌をどこかで耳にするたびに、Ⅱ歳の少年の感じた風のそよぎや、 甘い草の香りや、夜の底知れぬ深さが、刻明によみがえってくる。 音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びつ いた深く優しい個人的情景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生 は ( つまり、いっ白骨になってもおかしくない僕らの人生は ) もっともっと耐え難いもの によっていたはすだ。 14 )

5. 村上ラヂオ

われても困るんだ。おい、僕の人生を返してくれ、僕の大事な分泌物を返してくれ、と大 きな声で叫びたくなる。 昔青山に、神宮球場に行く前に立ち寄る鮨屋があった。そこでお弁当に、特製太巻きを 作ってもらった。夕方の 6 時前なので客はほかにいないし、親方も店に出ていない。カウ ンターでビールを飲み、白身魚の刺身をつまみながら、顔見知りの若い職人が大きな太巻 きを作るのを眺めていた。ほど遠くない場所で、やがて野球の試合が始まる。そういうの って、人生の小確幸 ( 小さいけれど確かな幸せ ) というべきか。 うちの奥さんは野球を見に行かないので、ときどきよその女の子を誘って球場に行った。 「今日は ( 珍しく ) デートですね」と職人が声をかけて、「そうだよ」と答えた。外野席に 座って夏の夕暮れの風に吹かれ、紙コップの生ビールを飲み、作りたての太巻きを分けた。 そのころはまだそんな風に、「野球 ? うん、、、 ししよお。見に行こう」と気軽に催しもの につきあってくれる独身の女の子がまわりにちょこちょこといたんだけど、最近はそうい うこともなくなってしまった。みんな結婚して子供を作って、野球見物どころじゃない 日々を送られているようだ。僕がし、はらく外国で暮らしているあいだに、ヤクルトの選手 もほとんど世代交代してしまった。人生は人の事情にはおかまいなく勝手に流れていく。

6. 村上ラヂオ

服を着ていないと、レストランに行ってもひどい席に通される。とにかく身なりで人を判 何 断する国で、人格とか能力とか、日常生活のレベルではそんなものほとんど関係ない。 はともあれ、とりあえすは外見。だからみんなびしっとした格好で決めている。まあそれ はそれで潔いと言えなくもないんだけど : でも日本に帰ったら、あっという間にもとのチノバンとスニーカーの生活に戻って、ス ーツとかネクタイとか革靴のことなんかすっかり忘れちまっていた。困ったもんだ。 思うんだけど、人間の実体というのはいくら年齢をかさねても、それほどは変わらない ものですね。何かがあって、「さあ、今日から変わろう ! 」と強く決意したところで、そ の何かがなくなってしまえば、おおかたの人間はおおかたの場合、まるで形状記憶合金み オいに、あるいは亀があとすさりして巣穴に潜り込むみたいに、するするともとのかたち クローゼ に戻ってしまう。決心なんて所詮、人生のエネルギーの無駄づかいでしかない。 ットを開けて、ほとんど袖を通されていないスーツや、しわひとつないネクタイを前にし て、つくづくそう思う。しかしそれとは逆に「べつに変わらなくてもいいや」と思ってい ると、不思議に人は変わっていくものだ。変な話だけどね。 ところで僕がこれまでの人生でいちはんよく覚えているスーツというと、年ほど前に

7. 村上ラヂオ

までいちおう世間的に「作家」と呼ばれ、五体満足でこうしてろくでもない文章を書いて、 のうのうと日々を送っている。 もう一度若くなって、最初から人生をやりなおせるとしたら、やりなおしたいですか、 と質問されたら、「いやあ、もういいです」と答えるしかない。あんな恐いこと二度とや りたくないよ。ほんとに、冗談抜きで。

8. 村上ラヂオ

ンサムだとかハンサムじゃないとかいう以上に それは僕にとっては疑いの余地なく、 滋養のある事実だったし、僕がこの長くて面倒な人生を送っていく上でけっこう大きな励 ましになりました。だからこそ「このままでとくに不自由はないよ。これ以上ハンサムに なりたい とも望まないよ」と言っているわけです。 しかし、やつばりあっかましいのかな、これは ? あっかましいんだろうな、きっと。すいませんね。 161

9. 村上ラヂオ

ことは間違いないように思える。やはり猫の人生にだっていろいろとつらいことはあるだ ろうし、「あーあ、生きていくのって面倒だよなあ。もうこんな風にあくせくしたくない よ」とくらいは、漠然とではあったとしても、考えるんじゃないかと推察する。その結果 自暴自棄になって、頭が真っ白けになり ( 切れちゃう、というやつですね ) 、後先も考え ず手すりをばっと乗り越えることだってたぶんあるだろう。 というわけで、おたくの猫にも気をつけてくださいね。

10. 村上ラヂオ

というわけで、貴重な燃料をため込むためにも、若いうちにせっせと恋をしておいた方 かいいと思う。お金も大事だし、仕事も大事だけど、本気でじっと星を眺めたり、ギター の調べに狂おしく引き込まれたりする時期って、人生にはほんの少ししかないし、それは オ、カオ、刀し 1 、 、ものだ。放心してガスを消し忘れたり、階段から転け落ちたりというような こと、も、そりやたまにはあるけどね。 175