自慢するわけじゃないけど、生まれてこの方「村上さんはハンサムですね」とっくづく 感心されたことは一度としてない。駅で電車を待っていたら知らないご婦人に、「道でお 顔を拝見したときから、お慕い申し上げておりました」という手紙を手渡された経験もな 醜くて目を背けられた覚えもないが ( あったけど気がっかなかったという可能性はあ るな ) 、 - つつとりと眺め、りれたこともない。 しかし何も僕に限らす、この不完全にして明日も知れぬ「世の中」を作りあげている 人々の大部分は、そういうあまりばっとしない薄暗いエリアで、良くも悪くもなくこっこ っと日々を送っているのではあるまいかと、まあ勝手に想像しているのだけど、そんなこ ともないのかしらん。 うちの奥さんはときどき「ああ、もっと美人に生まれたかったな」と鏡に向かって嘆い てつふやいているけど ( うちの母親も同じようなことを言っていたな ) 、僕はこれまで 「もっとハンサムに生まれたかったよ」と思ったことはない。よく思い出せないけれど、 これでいいや 1 ) 8
うちの奥さんが骨董好きで、旅行の先々で骨董屋に人り浸るという話は、前にも書い ような気がする。僕はなるべくものごとを決めつけないで生きていこうと決めている人間 だけど、思い切って独断的に打ち立ててしまいたい原則がひとつある。それは「骨董にとく に興味のない人間が、つきあいで骨董屋に人って長い時間をつぶすくらい退屈なことはほ かにちょっとない」ということです。うちの奥さんがわけのわからない専門用語を使って 店主と話し込んでいるあいだ、僕はあくびをしながら店内をうろついて、見たくもないも のを見ている。「なんで汚ねえ皿にこんなに高い値段がついているんだよ」とか思いながら。 まあランジェリー ショップに人るのとは違って ( 人らないけどさ ) 「目のやり場にこ まる」とい , つよつなことまよ、ゝ ( オしカら、その点は救いといえは救いなんだけれど、しかしそ れにしても退屈だ。 その京都の小さな骨董屋に人ったとき、最初からなせか不吉な予感がした。店番をして 骨董屋奇談 182
それを耳にして僕も凍りついたし、うちの奥さんも凍りついたし、ウェイターもソムリエ も凍りついた。向かいの席の女性もしつかり凍りついていた。 すべての人が息をのみ、す べての言葉を失った。でもその当事者の男性だけは、無、いに、するするすると、いかにも 幸福そうにパスタをすすり続けていた。 あのカップルはその後どのような運命をたどったのだろう。今でもときどき気になる。
たぶんないんじゃないかと田 5 う。 僕がそう一言うと、うちの奥さんは「あなたって本当にあっかましいわよねえ。まったく どういう性格しているのかしら」とあきれる。でもそれは違う。決してあっかましいわけ ではないんです。これまでとくに何か不自由した記憶もないし、不便も感じなかったから、 「べつにこれくらいでいいよ」と正直に述べているだけであって、決して「現状でじゅう ぶんにハンサムだ」と主張しているのではありません。そこには大きな違いがある。 これまでの人生の過程において、不特定多数の女性にもてはやされた記憶はないけれど、 何人かの女性に個人的な好意を抱いたことはあるし、彼女たちの何人かは幸いなことに、 しばらくつき合う程度には僕のことを気に人ってくれた。そして今思いかえしてみて一言え るのは、「どうやら彼女たちは、、 / ンサムだからという理由から、僕を好きになったので はないみたいだ」ということです。おそらく僕の考え方や、感じ方や、好みや、話し方や、 そんないろんな要素 ( 顔だちだって少しくらいは含まれているはすだと、ひそかに自負し ているのだけれど ) を総合して、その総合体としての僕を、たとえ一時的であるにせよ気 に人ってくれたのだと思う。 160
昔「コロッケ」という名前の、コロッケ色をした大きな雄猫を飼っていた。当然のこと ながら、この猫を見るたびにコロッケが食べたくなって困った。でもコロッケって憎めな かどうかまで い食べ物ですよね。僕は好きだ。コロッケの好きな人に悪い人はいよい は知らないけど、テープルに向かって無心にコロッケを食べている人に、後ろから急にバ ットで襲いかかったりはなかなかできない。 もちろん食べているのが焼き肉だったらやっ てもいいというものではないんだけど ( 当たり前だ ) 。 うちの奥さんは油を使った料理を作るのが好きではなくて、おかげで結婚以来コロッケ とか天ぶらを作ってもらった覚えがない。だからうちでコロッケが食べたければ、どこか に行って出来合いのものを買ってくるか、あるいは自分で作るしかない。僕は料理を作る のはそれほど苦痛ではないので、ときどき思い立っとコロッケの仕込みをした。 じゃがいもを買ってきて茹でてすり潰し、肉と混せてコロッケのかたちにして、パン粉 たくなった をつけてひとつひとっラップにくるんで冷凍しておく。そしてコロッケが食べ コロッケとの蜜月 114
すき焼きは好きですか ? 僕はけっこう好きです。子どものころ「今日のタ御飯はすき 焼きだよ」と言われると、とても嬉しかった。 でもどういうわけか、人生のある時点を過ぎてから ( どんな時点だろう ? ) 、僕のまわ りにはすき焼きの好きな人かひとりもいなくなってしまった。誰に質問しても、「すき焼 き ? うーん、そんなに好きじゃないですね」と冷淡な答えが返ってくる。うちの奥さん も「すき焼きなんか五年に一回食べれば、それでいいんじゃない」という人で、したがっ て結婚してこのかた、ろくにすき焼きを食べた記憶がない。 五年に一回といえはオリンピ ックよりも数か少ないじゃよ、ゝ。 オしカ誰か、僕と一緒にすき焼きを食べてくれませんか ? 僕は糸こんにやくと焼き豆腐と葱が好きなので、肉を中心に食べてくれる人だとすごく嬉 しいです。いや、ほんとに。 ところでご存じのように、坂本九の『上を向いて歩こう』は、アメリカでは『スキャ キ』という題でレコード発売された。 19 6 4 年のことで、そのときは「ひでえタイトル すき焼きが好き
あるとくべつな夜に、あるとくべつな女性と、青山のとある高級なイタリア料理店に行 って、夕食をともにした。といっても要するにうちの奥さんと、結婚記念日を祝ったとい うだけのことです。なーんだ、つまらないですね。つまらなくないか。それはまあいいや。 静かな店です。テープルとテープルのあいだは適度に離れ、分厚いワインリストがあり、 本格的なソムリエも出てくる。真っ白なテープルクロスと、キャンドルライト。音楽はな ・ゝ、。、ツクグラウンド・ミュージック代わりになる。料 し。心地よい静けさと二人の会話カノ 理は北イタリア風で、手のかかった本格的な仔牛のカツレツが出る。だいたいの感じはわ かっていただけましたでしようか ? 要するにちょっと気取ったリストランテだ。値段も 安くはないし、そうしよっちゅう行ける店ではない。 我々がテープルについたとき、少し離れた席に若い男女がいた。まだ夜も早かったし、 客は我々とその人たちの二組だけだった。たぶん男性は一一十代後半、女性は一一十代半ばで、 どちらも顔立ちがよく、都会的でこぎれいな身なりをした、なかなかスマートな雰囲気の リストランテの夜
僕の趣味は古い *-a レコードのコレクション。守備範囲は主にジャズで、世界中どこに 行っても暇があれ、は中古レコード屋を探す。このあいだストックホルムに三日滞在して、 三日間レコード屋に人り浸っていた。そのあいだうちの奥さんはアンティック食器店に人 り浸りになって ( それが彼女の趣味なのです ) 、おかげで二人で買い込んだレコードと食 器の重さで、帰りは死ぬ思いだった。ストックホルムまで行きながら、市内観光なんて何 もしなかった。変な夫婦だよね。 良き中古レコード店を探し当てる最良の方法は、とにかく地元の人に訊ねることだ。 「どこかに中古レコード屋ありませんか ? 」と質問してまわる。市内地図を用意して場所 にしるしをつけていく。異国の街の地下鉄を乗り継ぎ、バスに乗り、重い荷物を抱えて長 い距離を歩く 。ルートを設定して一日に何軒もまわる。レンタカーを借りることもある。 行ってみたら定休日だったり、ヘビメタ専門だったりすることもあるけれど、それでもぜ んせんめげない。 「こういうことになるとマメだよなあ」と自分でもっくづく感心する。 世界は中古レコード店だ
いるおばあさんの目つきもいやだった。そのおばあさんは、『ヘンゼルとグレーテル』に 出てくる魔法使いみたい に見えた。深い森の奥の、八つ橋と千枚漬けでこしらえた家に棲 んでいるんじゃないか、というような妖気も漂っていた。「あまりあっちに近づかないよ うにしよう。ろくなことはなさそうだから」と心に決めた。 でも退屈だし、僕も奥さんにつきあっているうちに「門前の小僧」で、ある程度の知識 はついているから、目の前にあった皿を見て、「たぶん明治のインバンだけど、ガラとし てはまあ悪くないな」というようなことをつぶやいていた。そしてよせばいいのに ( なせ よさないんだ ! ) 、手にとって眺めまでした。まさにそのとき背中にびりびりと差し込ん でくる強力な電磁波のような視線を感じた。あ、これはますい、と思うまもなく、手が滑 って皿が床に落ちてばりんと割れた。 「かましませんよ。気にせんといてくださいね。そんなん、どうせ壊れもんどすから」と うようなことを、おばあさんはにこやかに言ってくれたけど、目はそれとはせんせん別 のことを語っていた。口元は笑っているけど、目は笑っていない。そういう特殊なメッセ ージを含んだ笑い方のできる人が、古都京都にはまだ少なからす生息しているみたいだ。 しようかないから、その「一枚売りはできない」という十枚揃いの皿を泣く泣く全部買い 784
だから、と言いわけするのではないけれど、ビールを飲みながら柿ピーを食べていると、 きりがないですね。気がつくと一袋空になっていたりする。それにあわせて ( 喉が渇くか ら ) ビールもついつい飲んでしまう。困ったものだ。こうなると、ダイエットも何もあっ たものではない。 ただそのように優れた食品である柿ピーにも、問題がまったくないわけじゃない。その ひとつは「他者が介入してくると、柿の種とピーナツツの減り方のバランスが狂ってしま う」ことである。たとえはうちの奥さんはピーナツツが好きなので、一緒に食べると、柿 ピーの中のピーナツツばかり一方的にぼりぼり食べて、その結果柿の種だけが余ってしま うことになる。僕がそのことで文句を言うと、「だって、あなたは豆類ってあまり好きじ ゃないじゃない。柿の種が多い方かいいんでしよう ? 」と言い返される。たしかに僕はピ ーナツツよりは、柿の種の方が好きだ。それは進んで認める ( 僕はだいたいにおいて甘い ものより辛いものの方が好きなのだ ) 。 でも柿ピーを食べるときには、僕は自分の内なる欲望をできる限り抑え、柿の種とピー ナツツをなるべく公平に扱うように努めている。自分の中に半は強制的に「柿ピー配分シ ステム」を確立し、そのとくべつな制度の中に、偏屈でささやかな個人的喜びを見いだし