朝早く起きるので ( 普通は五時前後 ) 、よくラジオを聴く。台所でコーヒーを作ったり、 ンをトーストしたりしているあいたたしたい Z の早朝のラジオ番組をつけている。 とくに熱心に喜んで聴いているというのではない。ほかにやることもないので、なんとな く聴いているわけだ。 朝の五時前から z のラジオ番組を聴いている人のほとんどは たぶん想像がつく と思うんだけどーーー老人です。アナウンサーもいかにも老人相手に話すように話している し、紹介される手紙もおおかた老人からのものだ。音楽もマッチボックスの『べンド』 なんかじゃなくて、大田区児童合唱団の歌う滝廉太郎の『花』とか、そういうなかなか渋 いものがかかる で、このあいだ聴いていたら、番組の中で六十代の男性からの投書が読み上けられてい た。この人はある日、円周率をできるところまで暗記しようと決意し、今では 600 桁ま で覚えた。それを毎朝すらすらと暗唱している。そうすると脳の老化が防げるということ 円周率おじさん 762
ドビュッシーに『版画』という曲がある。三つの部分に分かれていて、最初が「塔 ( パ ゴダ ) 」、二つ目が「雨の庭」、最後が「グラナダの夜」、それぞれの異国的な情景を、ピア ノか印象派の絵のように音で細密に描写していく。美しい曲なので、機会があったら聴い てみてください 僕は高校生のときにスヴィアトスラフ・リヒテルというピアニストのレコードでこの曲 をよく聴いていた。 何度も何度も何度も、レコードがばろばろになるまで繰り返し聴いて、 隅々まで記憶した。リヒテルは冷戦時代のソビエトの人で、それまで西側にほとんど姿を 見せたことのない幻のピアニストだったんだけど、 19 6 0 年前後に初めて外国に演奏旅 行をし、イタリアでライプを録音した。この『版画』もそのときの演奏なんだけど、それ はそれは素晴らしい演奏です。強靱なタッチでありながら、きわめてセンシテイプで、し かもなんかどろんとした情念のようなものが奥底に漂っている。ひとくちでいうと「鬼気 迫る」とでも一言えはいいのだろうかいわゆるドビュッシー的というのとはちょっと違う 版画 102
なる。まだトランジスタ・ラジオが珍しくて貴重な時代だったんだ。トランジスタという 言葉の響きそのものが新鮮で、「トランジスタ・グラマー」なんて流行語も生まれた。小 柄だけどグラマラスな身体をしている魅力的な女性のこと。 僕はこの他愛のない歌を今でもよく覚えているんだけど、それは僕もちょうどその頃同 じようにポケット・トランジスタを手に人れて、夢中になって「ヒットパレード」を聴し ていたからだ。ラジオのスイッチを入れると、リッキー・ネルソンやらエルヴィス・プレ スリーの歌が聴こえてきた。音は貧弱だったけれど、手の中にすっぽり人る小さなラジオ だったから、どこにでももっていけるし、一人で親密に音楽を聴くことができた。音楽が あれば何もいらないというくらい、それが楽しかった。 それからすっと一貫して音楽に夢中でありつづけてきたけれど、その小さな「ポケッ ト・トランジスタ」が、僕の音楽生活の原点のようなものになっている。オーディオ機械 も進化し、聴く音楽もマイルズ・ディヴィスからバッ、ゝ / カらレッド・十ット・チリ・ペ ーズまですんすん ( なんというか野放図に ) 拡大していったけれど、心の中心にはいっ もあの小さなラジオがあるし、黒い革のカバーの匂いまで鮮やかに記憶している。そして 144
特定の状況になると必す頭に浮かぶ歌がある。たとえば空がきれいな夜に星を見上ける と、『恋している人のように (LikeSomeoneinLove) 』という古い歌をふとロすさんで しまう。ジャズの世界ではよく知られたスタンダード曲なんだけど、ご存じですか 最近ふと気がつくと 知らなしあしたに 一人で星をじっと見つめたり、 ギターの調べに聴きいったりしているんだよね、 まるで恋している人のように。 恋をしているとそういうことがある。意識がどこやら気持ちの良い領域をふらふらと蝶 のようにさまよい、今何をやっているのか忘れて、ふと我に返ると長い時間が過ぎてしま 恋している人のように 170
呼んだ。誰かに「カボーティさん、美しく顔写真を撮られるコツはなんですか ? 」と質問 されたときに、彼はこう答えた。「そんなの簡単だよ。君の頭の中を、美しいものでいっ ばいにすれはいい。美しいもののことだけを考えるんだ。そうすれは誰だって美しい顔に 写る」。でもそんなに簡単なことじゃないんですよね。実際にためしてみたけど、せんせ んうまくいかなかった。たぶんカボーティさんのほうが特殊なんだと思う。 ただしそんな僕でも、動物と一緒に写真を撮られると、不思議なくらいリラックスした 顔つきになる。猫でも犬でも兎でもラマでもなんでもいいけど、手の届く距離に動物がい ると、わりに自然ににつこりとしている。そのことにこのあいた気かついた同じ一人の 人間が、動物がいるいないというだけで、こんなに顔つきが変わるものなのかと 今さらハンサムになりたいとは田 5 わないけれど ( というか、思ったところでどうなるも のではないけれど ) 、常にそばに小動物がいるような穏やかな顔つきで、心楽しく日々が 送れたらいいだろうな、とは田 5 う。岸田今日子さんが歌っていた童謡に『こいぬはなぜあ たかい』というのがあった。僕はこの歌が好きなんだ。作詞は岸田衿子さん。 こいぬはなぜなせこいぬはやわらかい ?
な部分があるかもしれない 」と思う。正直言って。 それと同じ意味あいにおいて、僕はたしかに馬鹿だし、嘘つきだ。自分勝手で、頑固で、 それでいて移り気で、短気で、無神経で、教養に乏しく、洗練されていない。 都合の悪い ことはすぐに忘れちまうし、意味のないくだらない冗談も一言う。協調性ゼロ。人間が浅く、 考えの内容は薄い。小説だって、読み直してみるとすいぶん下手だ。うーん、もちろん「多 かれ少なかれ」という注釈がつくにせよ、こうしてリストアップしてみると、つくづく生 きている価値のない人間みたいに見えてくるなあ。あと人格欠陥の余地として残っている のは、アル中と幼児虐待と靴下フェチくらいのものじゃないゝっ しかし一度そういう具合に開き直ってしまうと、失うべきものはもう何もない。誰にど んなひどいことを言われても恐くないし、かくべっ腹も立たない。 池に落ちてぐしょ濡れ になったところに、誰かからひしやくで水をかけられても冷たくないのと同じことだ。そ ういう人生って気楽といえば、けっこう気楽です。かえって「そんなひどい人間のわりに は、よく健闘してるじゃん」と自信がわいてくるくらいだ。 かなりの確信を持って思うんだけど、世の中で何がいちばん人を深く損なうかというと、 188
があったはずだな」と田 5 う。だから悔いが残るーーーというほどのことでもないんだけど ( たとえ悔いたとしても、それで生き方が改まるというものでもないし ) 、自分がいかに不 十分でいい加減な人間であるかをあらためて実感させられることは確かだ。人間というの はたぶん何かあって急にすとんと死ぬんじゃなくて、少しずついろんなものを積み重ねな がら死んでいくものなんだね。 例外的にうまく美しくさよならを言えた話をしよう。 世紀最後の大晦日、カウアイ島のノースショアでは夕日が素晴らしく綺麗だった。鮮 やかなオレンジ色のかたまりが、山の端に今まさに隠れようとして、雲と海も同じ色に染 まっていた。 僕はタ焼けを眺めるためにあてもなく車を運転していた。ラジオからはたま たまプライアン・ウイルソンの名曲『キャロライン・ノー』が流れていた。聴いていたら 胸がぐっと熱くなって、しばらくのあいだ言葉が出なくなった。 世紀が去っていくことについては、それまでとくに関心を持たなかった。ただの暦の 問題に過きないじゃないかと内心思っていた。しかしその歌を聴いているうちに、「今こ うして、時間のひとつの大きなかたまりに別れを告げているんだな」という心持ちが自然 208
その手の音楽はだいたい車の中で聴く。やはり大きな音で聴きたいし、家だと「うるさ い」と苦情を言われるので、一人で運転しているときに誰に気兼ねすることもなく思いき りかけるんだけど、そういうのって気持ちいいよね。とくに僕の車は屋根がついてないの で、天気の良い午後に、レッチリをぐいぐいと聴きながらそのへんをひとまわりすると、 頭がすかっと抜けて元気になる。あとエリック・ ードンとアニマルズの古い曲に『スカ ノドルを イ・パイロット』っていうのがあるんだけど、これをエンドレスでかけながらハ、 握っていると、異様にハイになる。私見ですが、別の次元に行ってしまいそうな気がする。 興味のある方はためしてみてください ( シートベルトを忘れないように ) 。 音楽にはたしかにシチュエーションというのが大事で、台所でおっさんが一人できんび らを作るときのにはレッチリは向かない。 『スカイ・パイロット』も向かない こはなんといってもニール・ヤングだ。びたっとはまった音楽が背後で流れていると、作 業もはかどるし、労働意欲も湧いてくる。でもそんなことを言い出すと、何かをするたび ックに流す音楽を選はなくちゃならなくて、それはそれで大変かもしれない 。「今日 はロール・キャベツを作るんだけど、さーて、音楽は何をかけようか」なんて考えこんで いるうちにするすると時間かたってしまいそうだ。
っている。「ものや思ふと人の問ふまで」という和歌があるけど、あれと同じだ。 思うんだけど、恋をするのに最良の年頃は歳から幻歳くらいではないだろうか。もち ろん個人差はあるから簡単には断言できないけど、それより下だとなんかガキっぽくて見 ていて笑っちゃうところがあるし、逆に代になると現実的なしがらみがくつついてくる。 更に上の年代になると、余計な知恵なんかもついちゃって、まあ、あれですよね。 でも川代後半くらいの少年少女の恋愛には、ほどよく風が抜けている感じがある。深い 事情がまだわかってないから、実際面ではどたばたすることもあるけれど、そのぶんもの ごとは新鮮で感動に満ちている。もちろんそういう日々はあっという間に過き去り、気が ついたときにはもう永遠に失われてしまっているということになるわけだけど、でも記憶 だけは新鮮に留まって、それが僕らの残りの ( 痛々しいことの多い ) 人生をけっこう有効 に温めてくれる。 僕はすっと小説を書いているけれど、ものを書く上でも、そういう感情の記憶ってすご く大事だ。たとえ年をとっても、そういうみすみすしい原風景を心の中に残している人は、 体内の暖炉に火を保っているのと同じで、それほど寒々しくは老け込まないものだ。 172
自慢するわけじゃないけど、生まれてこの方「村上さんはハンサムですね」とっくづく 感心されたことは一度としてない。駅で電車を待っていたら知らないご婦人に、「道でお 顔を拝見したときから、お慕い申し上げておりました」という手紙を手渡された経験もな 醜くて目を背けられた覚えもないが ( あったけど気がっかなかったという可能性はあ るな ) 、 - つつとりと眺め、りれたこともない。 しかし何も僕に限らす、この不完全にして明日も知れぬ「世の中」を作りあげている 人々の大部分は、そういうあまりばっとしない薄暗いエリアで、良くも悪くもなくこっこ っと日々を送っているのではあるまいかと、まあ勝手に想像しているのだけど、そんなこ ともないのかしらん。 うちの奥さんはときどき「ああ、もっと美人に生まれたかったな」と鏡に向かって嘆い てつふやいているけど ( うちの母親も同じようなことを言っていたな ) 、僕はこれまで 「もっとハンサムに生まれたかったよ」と思ったことはない。よく思い出せないけれど、 これでいいや 1 ) 8