んどなかったという。そのため、彼女は子供の時から、何をするにもどうやって母に叱られないよう にするかをいつも考えていなければならなかった。だが母は、彼女が同しことをしてもある時は機嫌 親 がよく、つぎの日は不機嫌を爆発させた。 ん どんな親でも、言うことがいつも完全に一貫しているというのは不可能に違いない。だが、ある日 つぎの日には「ダメ」と言うパターンは、アルコール中毒の親には特に顕著にあし らわれる。親の言うことがそうひんばんに、しかも不意に変わるようでは、子供は混乱するばかりか、親 いつも心がすっきりすることがない。それは、親に不満やフラストレーションを吐き出すためのはけ 口にされているからである。 アル中の親がこのような行動をするのは、自分が失格者であることをごまかし、自分を正当化する ためである。だが、子供には、そういうことはなかなかわからない。飲まずにいられないことを自分 以外の人間や物事のせいにするのはアルコール中毒者の常であるが、それを子供のせいにする親もい 糸彳 ( し力なくても自分かいけないの るのである。子供は親の「話のすり替え」がわからないので、内等ま ) 、 かと田 5 ってしま、つ 子供がスケープゴートにされるのは、アル中の親のいる家では昔からよく知られたパターンのひと つだが、その結果、多くの子供は自己破壊的な行動に出たり非行に走ったりしてネガテイプな自己像 を満たそうとする。また、そうならない場合には、さまざまな心身の症状を示して無意識のうちに自 己処罰を行う者もいる。彼女のひどい頭痛もそれだったのだ。
ることはできない性格だったが、不機嫌な顔をしたりうるさく小言を一言うことで、命令はしなくても やはり周囲の人間をコントロールしようとしていたのだ。 だが残念ながら、そのように間接的に人をコントロールしようとする行動は、本当は親しくなりた襯 ん いと思っている人たちとの間の距離を広げ、彼に対する嫌悪感を作り出すだけだったのである。すべ と ての種類の「毒になる親、を持った多くの子供たちと同様、人をコントロールしたがる彼の性格は、 相手からの「拒否、という、自分がもっとも恐れている結果を招くだけだったのだ。子供の時に寂し る さや孤独感に対抗するために身につけたその性格が、大人になってから寂しさと孤独をもたらすことな になったというのは、なんとも皮肉な結果である。 もう一方の親の果たしている役割 ところで、先に例にあげた化学者のように、両親が二人ともアルコール中毒というのはまれで、た いていの場合は片方の親はそうではない。以前はあまり注目されていなかったことだが、最近の研究 では、そういう家庭環境におけるアルコール中毒ではないほうの親の果たしている役割についてよく わかってきている。その親は、アル中の親の〃協力者〃であり、〃共依存み ( 訳注〕二章五十四ペー ジ参照 ) の関係にあるのである。 それはどういうことかというと、この、〃飲まないはうの親〃は、アル中の夫 ( または妻 ) が引き 起こしているさまざまな問題の被害にあっているという事実にもかかわらす、自分では意識せすに相
彼の母は、彼が幼いころから非常に明確なメッセージを送っていたのである。それは、「私はお前 かいらない」というものだったのだ。父親も家を出て行った時に幼い彼を救おうとしなかった。こう して彼は警察官になってから、子供の時から母が望んでいたことを無意識のうちに実行しようとして襯 ん いたのである。 ど この例でよくあらわれているように、親の非情な言葉は子供をひどく傷つけるはかりでなく、魔力し をもった呪文となることがある。実は、彼のような形の自殺願望は、こういう親を持った子供には比 る 較的よくあるのである。そのような子供にとっては、文字どおり「毒物のような親、との過去の心の 結びつきを清算できるかどうかは、まさに生きるか死ぬかの問題であるといえる 親の言葉は〃内面化〃する 友人や教師や兄弟姉妺その他からけなされても傷つくことに違いはないが、子供がもっとも傷つく のは親の言葉だ。つまるところ、小さい子供にとって親というのは世界の中心なのである。全能のは すの親が自分のことを悪いと言っているのなら、「自分は悪いのに違いない」と潜在意識は感じる。 もし母親がいつも「お前はバカだ」と言い続けているなら、私はバカなのだろう。もし父親がいつも 小さな子供には、 「お前は無能だ」と言っているのなら、私は能のない人間なのに違いない、等々。 親によるそのような評価に疑いを投げかけるようなことはできない 人間の脳は、人から言われた言葉をそのまま受け入れ、それをそっくり無意識のなかに埋め込んで
なのである。 あなたが自立すればするはど、「毒になる親ーはそれを好まないだろう。物事が現状から変わりそ うになると脅威を感じるのが「毒になる親ーの特質であることを思い出してほしい。だから、あなた の新しくて健康的な行動パターンを彼らが受け入れようとしなくても、まったく不思議はない。 時間がたては、「毒になる親ーのなかにはあなたを受け入れられるようになる人たちもいるかもし れない。そして、彼らも認識を新たにし、子供じみた行いを改めて、大人同士のつき合いができるよ うになる場合もあることだろう。だがその一方で、ますます抵抗し、現状維持をはかろうとして争お うとする「毒になる親ーも多いに違いない。 いすれにせよ、「毒になる家」の有害な行動パターンか ら自分を解放できるかどうかは、あなた次第だ。 人間として真に成長するのは平坦な道のりではない。上り坂もあれは下り坂もあり、進んだり戻っ たりすることもあるだろ、つ。たじろぐことも、ためら、つことも、間違いを犯すことも当然あると田 5 っ の と ていたほうかいし 不安、恐れ、罪悪感、心の混乱、などといったものが、永久に完全になくなると生 人 うことはあり得ない。そういうものがないという人間はこの世に存在しないのである。だが、あっ も ても、もう左右されなくなる。これがカギなのだ。 過去や現在の親との関係に対するコントロールを増していくにつれ、あなたはそれ以外の人間関係、グ ロ 特に自分自身との関係が劇的に改善されていることに気づくだろう。そうなった時、あなたはおそら 工 く生まれてはじめて、「自分の人生を楽しむ」自由を手に入れることになるだろう。
は他のどのような場合よりも強くなり、これが自己嫌悪と羞恥心をさらに強める結果となる。こうし て近親相姦 ( 的行為 ) の被害にあった子供は、自分の身に起きた出来事に対していつも気を張ってい なくてはならないことに加え、事件が発覚して〃不潔な子〃として外部の人間の目にさらされること を強ノ班 5 れるよ、つにか ( る。 被害者なのになぜ罪悪感を抱かなくてはならないのか、と部外者は理解に苦しむかもしれない。だ が子供というのは、どんなことをされたとしても、自分の親が悪人であるとはなかなか考えることは できないものなのだ。その行為が、いかに恥すかしくて屈辱的な、または恐ろしいことでも、親が子 とい、つことにか 6 る 供に悪いことをするはすがない。そうだとすれは、自分かいけないのに違いない のである。 「体に感じる不潔感」、「いけないことをしているという意識」、「自分のせいという意識」、この三つ 家のなかで の意識のため、被害者の子供は事実をだれにも言うことができす、極度に孤立していく。 も外でも、完全にひとりばっちなのだ。自分の身に起きていることなどだれも信じないだろうと思い つつ、しかし秘密が知られることを恐れて友達を作ろうとしないこともしはしばである。だが一方で親 は、この孤立のためにかえって家で加害者の親と一緒にいることが多くなってしまう。それがどんなす 為 に異常な親だとしても、他に身を置くところはないからである。 そして、もうひとつ重要なことがある。もし被害者の子供がいくらかでも肉体的な快感を感してい 的 性 たとすると、その子供の羞恥と不潔感は倍増してしまうということである。子供の時に被害にあって いた人のなかには、それがいかに忌まわしい事件であったとしても、その時には陸的な高まりを覚え
をどう愛したらいいのかわからない親」というのは、言葉を変えれば「どのように愛情のこもった態 度で子供に接し、行動したらいいのかわからない親、ということである。どのような「毒になる親 , であろうとも、もし子供を愛しているかと聞かれれば「もちろんですよー と語気強く答えるに違い ない。だが悲しいことに、同じ質間を子供のはうにすれば、そのほとんどは「愛されていると感じた ことはない、と答えるだろう。「毒になる親、の言っている〃愛〃とは、あたたかい心をはぐくみ、 子供を優しく安心させてくれる態度や行動のことでははとんどないのである。 「毒になる親、に育てられた子供は、愛情とは何なのか、人を愛したり愛されたりするというのはど ういう気持ちになることなのか、ということについてよくわからす、混乱したまま成長する。その理 由は、彼らは親から、〃愛情〃の名のもとに〃愛情とは正反対のこと〃をされてきたからなのだ。そ の結果、愛情とは「非常に混乱していて、劇的で、紛らわしいもので、苦痛を伴うことがよくあり、 時としてそのために自分の夢や望みをあきらめなくてはならないもの」という認識を生む。だが、む の と の健康な人間ならすぐわかるように、真の愛情とはそんなものではない。 生 人 本当に愛情のある態度や行動というのは、けっして子供を消耗させたり、混乱させたり、自己嫌悪 を抱かせたりするようなことはない。 愛情ある親の行動は子供の心の健康をはぐくむ。愛情が相手をも ・ク 傷つけるなどということはあり得ないのである。愛されている時には、だれでも自分は受け入れられ、 ロ 気づかわれ、評価され、尊重されていると感じる。真の愛情は、あたたかい気持ち、喜び、安心感、 工 安定感、心の平和、などを生む。 もしあなたが「毒になる親」に育てられた人間だったら、あなたは本当の愛情とはどういうことな
物であり、他人の同意などまったく必要ないということはあり得ないからだ。感情的に他人にまった く依存していない人もいないし、そうなりたいと思う人もいないだろう。人とオープンにつき合って いくには、ある程度の相互依存は必要なのである。したがって「本当の自分でいる」ことには柔軟さす がともなわなけれはならないのは当然である。そういう意味では、親のために何かを妥協したからと 取 いって悪いことはひとつもない。大切なのは、なんとなく押し切られて、本当はいやなのにそうなっ生 てしまったというのではなく、自分の自由意思で選択してそうなったということである。それはつまら り、自分に誠実であるということだ。 親 自分に誠実であることと利己主義は混同されやすく、多くの人は利己主義だと言われたくないため に、自分に誠実になることに二の足を踏む。親に対する過剰な義務感を背負っている人というのは、 自分が利己主義でないことを証明するのがあまりにも重要なことになっているため、自分が本当に必 要としていることを親の要求の下に埋めてしまっているのである。そのような態度ですっと生きてき た人は、大人になってから子供時代を振り返ってみると、自分が本当にやりたいことをしたという思 い出がほとんどなく、そのために長い間に心の奧にたまった怒りと、心から充実した気分になったこ とがないという事実が、しだいに抑うつ症やかんしやくとなってあらわれてくる。 ほとんどの人は、人に脅威を感したり自分が攻撃されたと感しると、相手の言うことをろくに聞か すに反射的に反応する。この「反射的で自動的な反応」は、相手が恋人であろうが上司や友人であろ うがだれに対しても起きるが、たいてい最も激しく起きるのは親に対してである。 だが、「反射的で自動的な反応」をしてしまう時、あなたは相手が承認してくれるかどうかに依存
きを強める貴重な手段となるが、だれかをこき下ろすことによって残りの人間を笑わせようとする冗 談は、とてもユーモアと呼ぶことはできなし 、。家庭内でひとりの子供がターゲットにされると、その 子供のむにはきわめて大きな傷が残る。子供というのは言われた言葉をその通りに受け取るものであ る。 、はとんどの場 多くの冗談は、多少は人をからかう要素を含んでいる。だが通常そこに悪意はなく 合はそのような冗談を言われたからといって深く傷つくということはない。そこで重要なのは、①何 を冗談のタネにしているのか、図残酷さの程度、③その発言の頻度、の三つであり、それによっては 冗談が冗談でなくなるのである。子供というのは、親の言葉はすべて額面通りに受け取り、自分のな かで「内面化、 ( 訳注〕百二十八ページを参照 ) してしまうものである。傷つきやすい子供をターゲ ットにして冗談をくり返し言う親は、加虐的で有毒である。 この男性の場合は、いつもこき下ろされ、笑いものにされていたが、それに抵抗して争おうとする と、今度は「冗談がわからないやつだ , と責められ、「ダメなやつだ」とやはり自分が悪いことにさ親 る れた。子供はそういう状態に置かれた時、感情の持っていき場がない。彼は子供時代の体験を私に話け している間じゅう落ち着かす、もう何十年も前の出来事なのにもかかわらす、いまだに思い出すたび に居心地の悪い思いをしているのがよくわかった。 彼のつぎの言葉は強く印象に残った。 酷 私は父を憎んでいます。なんという卑怯者だろうと思いますよ。そのころ私はまだはんの小さな
彼女の〃ジキルとハイド〃みたいなポーイフレンドは、ちょうど父親とそっくりだった。ある時は 機嫌がよくて最高だったかと思うと、ある時は最悪になって暴力を振るう。このように、気まぐれな うえ自分を傷つける相手を選んだことで、彼女は子供時代に農れ親しんだ体験をくり返し、本当の愛 情で愛し合う関係という、馴染みがなくて不安な領域に足を踏み入れるリスクを避けていたのだ。 彼女はその後も、自分のことを本当にわかってくれるのは父親しかいないという考えにあいかわら すしがみついていた。その考えが間違っているかもしれないという意見はまったく受け入れようとせ す、そのために友人達との関係がだめになっていったはかりでなく、私のセラピーも、グループ・セ ラピーに参加していた他のメンバーとの関係もだめになっていった。こうして彼女は、ついに自分の 人生を生きることをあきらめてしまった。 私は彼女がグループを抜けると言った晩の悲しい気分をいまでも覚えている。私はその時、このセ ラピーは楽なものではなく 、非常に大きな苦しみを通り抜けなければならないことははしめに言って あったはすだ、と再考をうながした。彼女は一瞬、考え直すような表情を見せたが、すぐもとの顔に 戻り、こう言った。 親 「私は父をあきらめたくないんです。どうして自分の親に腹を立てなくちゃいけないんですか。それ毒 中 に、あなたに対して父の弁護をし続けるのはもういやなんです。父とはうまくいっているんですよ。 どうして父ではなくてあなたを信用しなければいけないんですか ? あなたも他のメンバーも、私のコ 私が本当に傷ついている時に、あなたた ことを本当にむ配してくれているわけじゃないでしよう ? ちが助けてくれるわけないしゃないですか ,
「家」のバランスを取る行動 「毒になる親」は、自分の危機にどう反応するか 第一一部「毒になる親」から人生を取り戻す道 第二部のはじめに 不潔感に悩む子供 押しやられる記慮 ウソの生活の代償 何も言わないもう片方の親 近親相姦 ( 的行為 ) の残すもの 空しい希望 八章「毒になる親」はなせこのような行動をするのか 親の「ものの考え方」 言葉て語られる考えと語られない考え 言葉て語られるルールと語られないルール ききわけのいい子 親子の境界線の喪失 188 180 181 16 う 187 177 185 171