せるためには、ます心の奧にたまっている怒りを認識し、安全に吐き出す必要があるからだ。 だがこの作業は、多くの人にとって簡単なことではない。何年もの間、怒りの釜にふたをしてきた 人のなかには、従順で犠牲的精神の強い完全主義者のようになっている人もいる。それはちょうど 「おれはちっとも傷ついてなんかいないんだ。なんでも完璧にやれることでそれは証明できる気「私 は自分を犠牲にしてでも人のためにつくすことができます。少しも怒ってなんかいません。言われた 通りのことをします , と言っているようなものなのだ。こういう人が自分でも気づかすに押し殺して きた怒りを解き放ったら、それこそ火山の噴火のようになる。そうなった時には、そのすさまじさに 本人も圧倒されてしまうだろう。また、強い怒りを心の奧に押さえ込み、意識の外に押しやっている 人は、頭痛や抑うつ症などの心身の障害となってあらわれている場合もある。 いつもあふれるにまかせてい 一方、もうひとつのタイプは、怒りを押さえ込んでいるのではなく、 て自分がコントロールできなくなっている人たちである。そういう人は、まわり中の人間に対しても のすごい剣幕で食ってかかったりするが、本当に腹を立てている相手すなわち自分の親に対してはそ れができない いつもけんか腰なのは、親に対する煮え立っ怒りを他の人に向かってぶちまけている のにすぎないのである。なかには、そのように行動することによって人を遠ざけている人もいる。 内面の怒りは管理された形で外に出すことが必要である。それがうまくできるようになれは、自分 に対するコントロールを失うことなく激しい怒りも管理することができる。 28 ラセラピーの実際
ことができるようになってくる。この方法は、自分一人のカでは心のなかに幸福な将来像を描くこと のできない人には特に意味が大きい なかにはユーモアあふれる話を書いたり、書きながら子供のようにふざける心を取り戻す人もいる ばかばかしくてできないと言って抵抗する人も多い。だが、そうい が、一方で、何も書けないとか、 う人も最後には必す熱中するようになり、この童話書きは心を癒す感動的な作業となる。 5 ・恋人や配偶者へ トナーへ宛てたものだ。もし現在そういう相手がいなけれは、別れた昔の つぎの手紙は人生のパ 恋人や前夫 ( 妻 ) 宛てに書いてもよい ( これらの手紙は出さなくてもいいのだということを思い出し てはしい。その人と現在連絡を取り合うことができるかできないかは関係ない ) 。 その人に、自分の子供時代のトラウマがいかに二人の関係に影響していたのかを説明してみてはし 二人がうまくいかない ( なかった ) 理由のすべてがそこにあると考える必要はないが、相手を心 際 から信頼できなかったこと、本心にそむいて追従的になってしまったこと、生生活がうまくいかなか 実 の ったことなどは子供時代の体験のせいである可能性は大きい この手紙を書くことのポイントは、自分の身に起きた出来事について、愛する ( した ) 人にオープラ セ ンに正直に語り、恥辱の気持ちを捨て去ることにある。
■もし人にしゃべったら、殴ってひどい目にあわせてやる。 ■もし人にしゃべったら、ママは病気になるよ。 ■もし人にしゃべったら、みんなはお前の頭がおかしいと思うよ。 ■もし人にしゃべっても、だれも信じないよ。 ・もし人にしゃべったら、ママはすこく怒るだろうよ。 、八八は一生お前のことが嫌いになるよ。 ■もし人にしゃべったら 、八八は刑務所に入れられて、みんな生活に困ることになるんだよ。 ■もし人にしゃべったら このような脅しは、けがれを知らない子供の無垢な心を餌食にゆすりをかけているようなものだ。 ところで、一般に思われているのとは異なり、近親相姦 ( 的行為 ) の被害者が親の〃お気に入り まれに、見返りに小遣いやプレゼントをもらったり、何 の〃子供であるということはめったにない。 ゞ、ほとんどの場合、子供はむ理的または肉体的に強要 か特別なことをしてもら、つとい、つこともあるカ されている。 なぜ子供は黙っているのか 近親相姦 ( 的行為 ) の被害者の子供の九十パーセントは、何が起きたのか ( または現在何が起きて いるか ) ということについて人に語ろうとしない。その理由には、自分が傷つくことを恐れていると 「毒になる親」とはどんな親か巧 6
親から独立したひとりの人間になること。 す 2 ・親との関係を正直に見つめること。 3 ・自分の子供時代について、目をそらさすに真実を見つめること。 取 を 4 ・子供時代に起きた出来事と、大人になってからの人生とのつながりについて、認める勇気を持つ人 ら こと。 る 5 ・親に対して本当の感情を表現する勇気を持っこと。 6 ・現在親が生きていようが死んでいようが、彼らが自分の人生に及ぼしている支配力とはっきりと 対決し、それを減少させること。 7 ・自分が人に対して残酷だったり、人を傷つけたり、人をこき下ろしたり、人の心を操ったりする ような行動を取ることがある場合には、それを改めること。 8 ・親に負わされた傷を癒すため、適切にサホートし援助してくれる人たちを見つけること。 ・大人としての自分の力と自信を取り戻すこと。 これらの事項は、それに向かって努力するための目標であり、 いますぐすべてができることを期待
このように、多くの状況のもとでは、感情がわき起こる直前に、常に家で培われた「考え」が無意 識のうちにあなたの全身を駆けめぐる。この「考え」がどんなものか、そして、それと「感情」との 道 す つながりを理解することが、自減的な「行動」に走ることを止めるための第一歩だ。 取 を 「感情」のチェック 生 人 ら どんな人間でも、「親」というものに対しては感情的な強い反応が起きるのが普通である。その感 親 については、よく自覚している人もいれば、無視することで自分を守ろうとする人もいる。自分の 自然な感情を心の奧深くに埋めてしまうことに置れてしまった人は、ますそれを掘り起こして、自分 の感情というものに馴染む必要がある。その練習のために、つぎに示すチェックリストを見てはしい。 その際、自分の感情がはっきり自覚できない人は、自分の親と同じような人間を親に持った人はど のような感情を抱くだろうか、と他人事のように想像してみるのもよいだろう。セラピストの助けな しには自分の深い感情をさぐることができない人も多いが、そういう場合でもその人の感情はなくな っているのではなく、どこにしまい込んだのかわからなくなっているだけなのである。いすれにせよ、 どのような方法を取るにしても、自分の「感情」をはっきり認識することなしに、これより先に進む ことはできない 押さえ込まれて自覚していなかった感情が表面に出てくる時には、しはらくの間、非常に不央な気 分が続くことがあるので、ゆったりと構えてあまり先を急がないことが大切だ。専門家のセラピーを
と自尊心を回復することができるはすである。 ます、子供のころに大人から性的な行為をされたことのある人は、つぎの項目のほとんどがあては まるはすだ。 1 ・心の奥底に、自分には価値がないという感じ、罪悪感、羞恥、などの根深い意識がある。 2 ・他人にすぐ利用されたり、食い物にされたりしやすい 3 ・他の人間はみな自分より重要に感じる。 4 ・人から愛情を得る唯一の方法は、自分のことは一一の次にして相手の要求を満たすことだと思って 5 ・自分が受け入れられることの限界をはっきり相手に示したり、怒っている時にその怒りを適切に 表現したり、人の要求を断ることなどがとても下手である。 際 6 ・残酷な人間や人をすぐ傷つける人を自分の人生に引き寄せてしまうことが多く、それでもなお、実 そういう人間が自分に良くしてくれたり好きになってくれると信じている。 セ 7 ・人を信頼することが困難で、自分は必す裏切られたり傷つけられたりすると感じている。 セックスや自分の性的な面が好きでない。
実感を与えてくれるのである。私は長年の間に、 この方法によりポジテイプな結果がでたというリポ ートをたくさん受け取っている。 つぎに、親の墓まで出かけていくのが現実的に難しい人には、同様の手紙を親の写真に向かって読す 戻 む、あるいはだれも座っていない椅子を目の前に置いてそれに向かって読み上げる、またはあなたの恥 を 問題を理解しサポートしてくれている親しい人のなかから協力者を見つけて ( あるいはカウンセラー 生 人 ら に ) 親の役をやってもらいロール ・フレイをするという方法もある。 もうひとっ強力な方法がある。親戚の人 ( 願わくは親と近い世代で、叔父や叔母など血のつながり 見 る か近い者かよい ) に相手になってもら い、親から受けた体験や人生についてその人に話すのである。 もちろんこれは、親からされたことについてその人に責任を取ってもらおうというのではない。だが この方法によって真実を語ることができれは、実際に親に向かって話すのと同じような大きな心の解 放がある。一方、その親戚の人からは、もし親が生きていたらそうするであろうと思われるのとまさ に同じようなネガテイプな反応をされるかもしれない。彼らは事実を否定し、あなたの言うことを信 しす、腹を立てたり、傷ついたり、あなたを嫌悪したりするかもしれない。だがそれを恐れてはいけ ない。それはまさに、親が生きていたらするかもしれない反応なのだ。あなたはそれに対して、相手 が親だったらするのと同しように対応する。つまり、反射的に反撃せす、自己防衛的にならす、相手 があなたを理解するかしないかには無関係に落ち着いて対応するのである。これは、変わらなくては ならないのはあなたであって相手ではないということを実践するための素晴らしい機会となる。 一方、その親戚の人が驚くはど理解を示してくれることもあるだろう。三章に登場した、いつも金
物であり、他人の同意などまったく必要ないということはあり得ないからだ。感情的に他人にまった く依存していない人もいないし、そうなりたいと思う人もいないだろう。人とオープンにつき合って いくには、ある程度の相互依存は必要なのである。したがって「本当の自分でいる」ことには柔軟さす がともなわなけれはならないのは当然である。そういう意味では、親のために何かを妥協したからと 取 いって悪いことはひとつもない。大切なのは、なんとなく押し切られて、本当はいやなのにそうなっ生 てしまったというのではなく、自分の自由意思で選択してそうなったということである。それはつまら り、自分に誠実であるということだ。 親 自分に誠実であることと利己主義は混同されやすく、多くの人は利己主義だと言われたくないため に、自分に誠実になることに二の足を踏む。親に対する過剰な義務感を背負っている人というのは、 自分が利己主義でないことを証明するのがあまりにも重要なことになっているため、自分が本当に必 要としていることを親の要求の下に埋めてしまっているのである。そのような態度ですっと生きてき た人は、大人になってから子供時代を振り返ってみると、自分が本当にやりたいことをしたという思 い出がほとんどなく、そのために長い間に心の奧にたまった怒りと、心から充実した気分になったこ とがないという事実が、しだいに抑うつ症やかんしやくとなってあらわれてくる。 ほとんどの人は、人に脅威を感したり自分が攻撃されたと感しると、相手の言うことをろくに聞か すに反射的に反応する。この「反射的で自動的な反応」は、相手が恋人であろうが上司や友人であろ うがだれに対しても起きるが、たいてい最も激しく起きるのは親に対してである。 だが、「反射的で自動的な反応」をしてしまう時、あなたは相手が承認してくれるかどうかに依存
す 戻 を 生 人 ら どのような種類の「毒になる親」の被害者であっても、傷ついた心を回復し人生を自分の手に取り 戻すための原理と方法は似たようなものである。ここでは読者の理解を助けるために、子供時代に近 親相姦の被害にあった人の場合を例にとり、加害者の親と " 対決。するに至るまでのセラピーの実際 を簡単に紹介してみることにする。 ただし、子供時代に大人から性的な行為をされた人は、絶対に専門家の心理学的治療を受ける必要 がある。私がこれをここに示す理由は、その問題を抱えている人々にもどれはど大きな希望があるか を知ってもらうためであり、被害者はこれを読んだだけで一人で試みるべきではない。 この章は十三 章の補足として、セラピーのアウトラインをごく簡単に示しているにすぎない 現在カウンセラー ( セラピスト ) のセラピーを受けている人は、この章に書かれている方法をその カウンセラーの指導のもとに実行されることをお勧めする。ここに示すのは、私が考案し、長年の門 に千人以上の被害者の治療で改良を重ねてきた方法で、私の治療の経験では、心理学的なダメージの 深さのいかんにかかわらすほとんどの被害者は劇的かっ完璧に回復している。この方法は、前期、中 期、後期、の三段階に分かれており、道標通りに進んでいけば、おそらくほとんどの人が自己の尊厳 十四章セラピーの実際
自分の意思で選択していることを確認する す 人に対して自分をはっきりさせることができないのは、自分の弱さのためだと考える人は多い。け れども、「自分にはできない , と思っているのは、実際には「できない , のではなく、「しないでいる生 人 ら ことーを選択しているのである。 「自分にはできない , という考えは、そう思った瞬間に自分を縛ってしまう呪文のようなものだ。実 目九 際には自分の意思で「しないでいる . のだということをはっきりと自覚してほしい。選択してそうしる ているのか、それともそうでないのかの二つには、大きな違いがあるからである。 毒 逆に一一一口えば、選 例えは、自分が相手にからめ取られている時には、自分の意思による選択はない。 択できないということは相手にからめ取られているということである。子供の時には自分の意思で自 分のことを選択する余地はあまりなく、選択肢は親によって支配されている。親の間題を抱えている と一一一口、つ ている人なのである。「できない 人というのは、その状態が大人になっても相変わらす続い のではなく「しないと選択するーと言えるようになった時 ( もちろん言い訳ではなく ) 、未来へ通し るドアが開かれる。 と一三ロ、つ人、もいるかしれない。。 とう表現し なかには、「それは単なる〃言葉のあや〃にすぎない ようが、「できない」のは敗北であることに変わりはないではないかというわけである。だが、他の 選択肢をすべて検討し、他には選択の道がないと知ったうえで ( 例えは、自分にはまだ闘う準備がで