してきた。彼らはみな、いずれも愛情の欠ける親によって子供時代を破壊され、その結果、心にネガ テイプなパターンをセットされてしまっていた。そして、そのために大人になった現在も生活が大き く影響され、いまだにその心のパターンに人生がコントロールされているという間題に苦しんでいた。 私は田 5 った。世の中には、彼らのはかにも同じような理由で人生がうまくいかす、だがなぜそうなの か自分ではわからすに苦しんでいる人たちは何百万人といるに違いない、と。私が本書を書く気にな ったのはその時だった。 なぜ過去を振り返る必要があるのか いまあげた整形外科医の物語は、特にめすらしい話ではない。私はこれまでにもカウンセラーとし て、十八年間に ( 訳注〕本書が書かれたのは一九八九年であり、著書はその後も引き続き活動を続け ている ) 数千人の悩める人々を見てきたが、その多くは子供時代に親からしつかりと心を支えてもら った体験がなく、むしろその逆に心や体を傷つけられたり、過大な圧力をかけられ、そのために心の 健全な成長が妨げられ、自分が生きていることに価値を見いだせない苦しみを抱えていた。 ところがいまあげた整形外科医の例でもよくわかるように、自分の身に起きている問題や悩みと 「親」との因果関係について気づいている人ははとんどいない。 これはよくある心理的な盲点なので衂 ある。なぜかといえは、はとんどの人は、自分の人生を左右している間題の最も大きな要因が親であ ると考えることには抵抗を感じるからである。
どのような大人に成長するかということは、成長の過程において自分のカではコントロールできない 家庭環境というものによって大きく影響され、それによってその後の人生の多くが決定されてしまう ということも忘れてはならない 大人としてのあなたの責任とは、現在自分が抱えている問題に対していますぐ建設的な対策を講 じ、問題を解決する努力をすることなのである。 本書にできること これからあなたが出発する旅は、嘘のない、そして発見のためのとても重要な旅だ。この旅が終わ った時、あなたはいままでなかったほど自分の人生を自分の意思で生きていることを実感するだろう。 ただし、本書を読んだからといって、あなたの抱えている間題が魔法のようにたちまち消え失せるな : けれども、もしあなたに、本書に書かれていることを学び、行 どというようなことは約束できなし 動する勇気と強さがあれは、あなたは一人の人間として本来与えられているべきにもかかわらす親に 奪われてしまった「カ」や、人間として本来備えているべき尊厳のほとんどを取り戻すことができる よ、つになるだろ、つ いままで とはいえ、その作業には「大きな心の痛みと苦しみ」という代価を支払わねばならない。 自分を防衛するために何重にもかぶっていた殻をひとっすっ剥いでいくと、それまではっきり意識し ていなかった「怒り」、「不安」、「心の傷」、そして特に「深い悲しみ . を体験することになるから
人生は止まらない す 心のなかの「悲しみ」と正直に取り組むことは、あなたの現在の状態を変えるためには欠くことの恥 日常生活は毎日変わら生 できないこととはいえ、その作業をしている間も人生は止まってはくれない 人 ら すに続き、仕事その他の人間関係における責任もある。強い怒りと悲しみはうまく管理していないと、 そういう日常生活に支障を生しるので、この時期は特に自分を大切にする必要がある。一日中考え込 親 んでいる必要はないのだから、意識的に遊びに出かけたり趣味を持つなどして楽しい時間を過ごすよ う心がける。もうひとりの自分になったようなつもりになって、苦しんでいる自分に語りかけてあげ 毒 る。親身になってくれる人のサポートがあれば、遠慮しないで受ければよい。話ができる友人がいれ ば会って話をすれはいい。・ とんなことでもよいが、大切なのはひとりで考えているのではなく、行動 することだ。 とはいえ、親しい人たちならみなあなたの話を快く聞いてわかってくれるとは限らないことも覚え ておいたほうがよい。多くの人は自分自身の子供時代に心が傷つけられた「悲しみ、と取り組んだこ とがないのである。いくら親しくても、あなたの悲しみについて耳を傾け理解する余裕はないという のもあり得ることだ。
ます、もっとも多いのが抑うつ症で、通常の「悲しみーのような軽い症状から、ほとんど体を動か せなくなるほど重い症状を示す場合もある。 つぎに、特に女によく見られるのが肥満である。それは無意識のうちに異性を遠ざけようとして襯 ん いるという側面があるとともに、体重を増すことが「力強さ . を増すことであるような錯覚に陥るた と めだと考える専門家もいる。このような女生は、体重が減ると喜ぶどころかパニックに陥る。 もうひとつよくあるのが、慢生的な頭痛である。こういう頭痛は、押さえ込まれた怒りと不安感が親 る 肉体的にあらわれたというだけでなく、自己処罰の一種なのである。 また、被害者の多くはアルコールや薬物の中毒になる傾向が強い。そうなることによって感覚を麻 痺させ、生きている意味がわからない自分とその空しさを一時的に忘れようとするのである。だがそ れでは本当の間題に直面することを先に延ばしているにすぎない。その結果は、苦しみを長引かせる はかりである。 この他にも被害者の多くはさまざまな形で自己処罰を行っている。愛する人との関係を自らだめに してしまう、やれる仕事なのにつぶしてしまう、などの自己破壊的行為がそれである。なかには暴力 を振るって事件を起こす者もいる。刑事事件を起こすのも、社会から処罰してもらうための自己破壊 行為のひとつなのだと考える人もいる。売春をしてトラブルに巻き込まれるのも同様である。
にはじめて適切なことと言えるのではないか、と私は思うのだ。子供に害悪を与えた親は、自分の行 ったことがなんであったかを認め、その責任が自分にあることを認め、自分を改める意思を見せなけ れはならない。被害者のほうが一方的に加害者を許して責任を免除し、一方、加害者である親は相変 わらず事実を否定し、被害者の気持ちを踏みにしってひどいことを言い続けるのでは、被害者の心の 回復は起こり得ないのである。もし問題の親がすでに死亡していて、責任を取ることができない場合 は、被害者は怒りを抱いている自分を許すことによって、心身の健康に大きな影響をえていた親の 心理的支配から自己を解放し、傷ついた心を癒すことができる ( 詳しくは十三章を参照のこと ) 。 ここまで読んでも、なお「しかし、もし相手を許さなかったら、苦渋に満ちた人生はその後も変わ らないのではーと思っている方もいることだろう。その疑間はよくわかるが、事実はその正反対であ る。私は長年にわたって多くの被害者をカウンセリングし、観察してきたが、「毒になる親 , の支配 から自己を解放した者は、必すしも親を許さなくても心の健康と平和を取り戻すことができている。 そのような解放は、自分が内面に抱える「激しい怒り」と「深い悲しみ」という二つの感情と正直に腰 取り組み、苦しみの原因となったことの責任を本来負わなけれはならない人間、すなわち害毒をケえ午 た親の両肩に返すことができて、はじめて可能となっているのである。
この前の例にあげた実業家のケースと同しく、彼女もまた墓に入っている親の「私が苦しんで死ん だのはお前のせいだーという声に何年も苦しめられてきた被害者の一人だった。自殺を考えたことも 親 あったが、結局思いとどまった。死んだらあの世でまた親と一緒になってしまうと考えたら死にたく ん なくなったのだという。この世で人生をめちやめちゃにされたうえ、あの世でもまたそうはなりたく と ないと田 5 ったというのだ。 親 多くの「毒になる親 , の子供たちと同じように、彼女も親から苦しみをケえられたという事実の一 る 音は認めることができたが、それだけで罪悪感を完全に払拭することはできなかった。その後、多少 毒 時間はかかったが、彼女は親の残酷な言動の責任はすべて親自身にある、という事実をはっきり受け「 入れることができた。その時彼女の両親はすでに死んでいたが、彼女が親の亡霊からようやく解放さ れ、本来の自分でいられるようになったのは、それからさらに一年たってからだった。 アイデンティティーの分離ができない 自分が自分でいることに対していい気持ちでいられる親は、子供をコントロールする必要がない この章に登場したすべての「毒になる親ーに共通している点は、彼らの行動の根源には自分自身の人 生に対する根深い「不満」と、自分が見捨てられることへの強い「不安 , があるということである。 そういう親にとって、子供が独立していくのを見るのは、体の一部を失うはどっらいことである。 それゆえ、子供が大きくなってくると、彼らはますます子供の首につけたひもを強く引っぱらなけれ
子供の虐待には、「肉体的な虐待」、「精神的な虐待」、「性的な虐待」、「義務の放置」などがあると されているが、そこでよく見逃されがちなのが、子供の心に大きく傷を負わせる「精神的な虐待」で ある。日本でまだ一般に理解されにくいことは、事件になるようなセンセーショナルな″虐待〃でな くても、心の虐待は子供の人格を破壊し、健康的で正常な心の成長を阻んでしまうということである。 その結果、成長後の子供の人生を苦しみに満ちたものにしてしまい、たくさんの不幸を作り出す。ま た、心の虐待は大人になっても続いていく。つまり「精神的な虐待」は子供の時代だけでは終わらな いのである。本書には中年を過ぎてもまだそれが続いている被害者の例がいくつも登場する。 一口に「精神的な虐待」といっても、問題は残酷な言葉で傷つけるといったようなことばかりでは ない。本書で取り上げられているように、「義務を果たさない親ーによる粗末な扱い、「コントロール ばかりする親」による過干渉、あるいは「アルコール中毒の親」の支離減裂で破壊的な行動なども ″虐待〃にあたるということは、日本ではまだ一般にはなかなか認識されていない。また、性的虐待 というのは、暴力的な行為ばかりとは限らないということもあまり認識されていないようだ。こうい った認識の不足や誤りは、すべて″虐待〃という一言葉の与えるイメ 1 ジからきているように思われる。 親によって心に傷を負わされた子供は、成長してからもさまざまな問題に苦しむことになるが、そ の因果関係については、当の親はもちろん、被害者である子供も気づいていないことが多い。現代社 いくらもがいても人生がうまくしカオし いつも不快感がある、 会で多くの人が抱えている問題 ー ) が起き いつも気分がすっきりせず感情が不安定である、すぐに腹が立つ、かんしやく ( ヒステリ るとコントロールできない、異性との関係がいつもこじれる、アルコールや薬物に中毒している ( 多 3 巧あとがき
「許す」ことの落とし穴 人間の感情は理屈に合わないことを無条件で納得できるようにはできていない。許さないといけな いからという理由で無理やり許したことにしてしまっても、それは自分をだましているだけなのであ る。その最も危険な点は、閉じ込められた感情がそのままになってしまうということだ。それで怒り が本当に消えたわけではもちろんなく、心の奧に押し込まれているのである。しかし「許した」と言 っている以上、その怒りを認識することなどできるわけがない。 自分の身に起きたことの〃責任〃は、自分にあるかだれか他の人にあるかのどちらかでしかない。 例えば、あなたがだれかに傷つけられた時、そうなったのはあなた自身の責任か、それともあなたを 傷つけた人間の責任かのどちらかでしかないのである。そこで、親を「許した」と言っている人たち は、無理して親の責任を免除した結果、自分がその責任を負うことになる。そして自責の念や自己嫌腰 悪に陥り、または押さえ込まれた怒りが原因で心身にさまざまな障害を引き起こしているのである。 多くの人をカウンセリングして私が気づいたもうひとつの点は、真実を見つめて間題に取り組むと いうのは非常につらい作業であるため、その苦しさから逃れるために「許しーに逃げ込んでしまう人る かいるということだった。そういう人は、あたかも親を「許し , さえすれはたちまち気分は回復し、 元気になれるとでも思っているようだ。そしてかなりの人が「もう許したから」といってセラピーを 早々に切り上げてしまい、後になって以前よりひどい抑うつ症や不安症候群に苦しむことになるので
空しい希望 多くの被害者の持っ驚くべき矛盾点は、これほど苦痛に満ちた人生を生きているのに、加害者であ 彼 ( 彼女 ) らの苦しみは、まさにそ る「毒になる親」との密接な関係を断ち切ろうとしないことだ。 , の親のおかけでこうむっているというのに、その苦しみをなんとか軽減しようとしてその親にまた近 づく。大人になった被害者が「幸せな一家」の幻想を断ち切るのは、それほど困難なことなのだ。 、〃斗びカか 6 しノ , イ〃 ) 彷皇こそ、虐待を受けた子供がへたをす 「親の愛と承認」を得るための、終わりのなし ると無意識のうちに一生追い求めてしまう「虐待の遺産」なのである。この彷徨はまるで流砂のよう に被害者を実現不可能な夢にはまりこませ、自分の人生を自分自身のために歩むことを阻んでしまう。 ある被害者の女匪はこう言ったことがある。 私はいつの日か両親が手を差し伸べて「あなたは私たちの素晴らしい子供だわ。今のままのあな親 たが好きよ」と言ってくれることをいつも夢見ていたんです。私が子供のころ義父にいたすらさす れていたことも、母が義父との関係を保っために私を守ってくれなかったことも、すべてよくわ為 かってはいるんですけど : なんていうか、彼らに私のことを許してはしいみたいな気がして 生
0 私がカウンセリングした被害者はたいてい一家のなかで最も健康的な人間だと言うと、多くの人は みな一様に驚いた顔をする。なぜなら、被害者は普通、「自己嫌悪」、「抑うつ症」、「自己破壊的行動 , 、 カ 「セックスに関する諸問題」、「自殺企図」、「アルコールや薬物の依存症」など、心の不健康さを物語襯 る症状をたくさん見せ、一方で家族の他のメンバーはみな普通の人と変わらないように見えることがど 多いからだ。 と だが、真実をいちはんはっきりと見ているのは、被害者である。彼 ( 彼女 ) らは心が不健康なので翩 る はなく、 家庭内の狂気とストレスを秘密にしておくために無理やり抑圧され、犠牲にされてきただけ なのだ。そして「まともな一家」の仮面を守るために、はかり知れない苦しみとともに生きることを 強いられてきたのだ。その苦しみがあるからこそ、彼 ( 彼女 ) らは外部の人間に助けを求めているの しいくらい、例外なく「事実の否定」をかたくなに続け、自己 だ。一方、親の方はほとんどといって ) 防衛をやめようとしない。 だが、正しい心理学的治療を受ければ、そのような被害者も自分が本来持っている力と人間として の尊厳を取り戻すことができる。自分の抱える問題を正しく理解し、助けを求めることは、心が健康 であるばかりでなく勇気があることを示している証拠にほかならないのである。