リュック - みる会図書館


検索対象: 海辺のカフカ 上
35件見つかりました。

1. 海辺のカフカ 上

いないし、痛いのは左肩の内側の一点だけだ。たぶんただの打ち身だろう。 茂みの中で少しずつ身体を動かし、手の届く範囲をひととおり探ってみる。しかし僕の手は、 リュックはない。ズナ いじめられた動物の心みたいに硬くねじくれた灌木の枝にしか触れない。 ンのポケットの中を探ってみる。財布がある。中にはいくらかの現金と、ホテルのカードキーと、 テレフォン・カードが入っている。そのほかには小銭入れと、 ハンカチ、ポールペン。手探りで 確認した限りなくなっているものはない。僕が着ているのはクリーム色のチノバンツと、 > ネッ クの白いシャツ、その上に長袖のダンガ 1 丿ーシャツをはおっている。そして紺色のトップサイ ダー。帽子がなくなっている。ニューヨーク・ヤンキーズのロゴの入ったべースポール・キャッ とこかに落としたか、あるいは プ。ホテルを出るときにはかぶっていた。今はかぶっていなし そんなものはどこでだって買える。 置いてきたかしたのだ。まあいい やがて僕はリュックをみつける。それは松の木の幹に立てかけてある。どうして僕はそんなと ころに荷物を置き、そのあとでわざわざ茂みの中に入りこんで倒れてしまったのだろう ? だい たいここはどこなんだ ? 記億は凍りついている。でも大事なのは、とにかくそれがみつかった ということだ。リュックのポケットから小型の中電灯を取りだし、ざっとリュックの中身を確 かめてみる。なくなっているものはないようだ。現金を入れた袋もちゃんとある。僕はほっと息 をつく。 リュックを肩に背負い、灌木を乗り越えたりかきわけたりしながら、少し開けた場所に出る。 そこには狭い通り道がある。懐中電灯の光をあてながらその道をたどっていくとやがて明かりが

2. 海辺のカフカ 上

第 9 章 の血じゃない。それは誰かべつの人間の流した血だ。 いずれにせよ、君はいつまでもここにいるわけにはいかないぜ。こんなところで血まみれにな ったまま警察のバトロールとでくわしたら一巻の終わりだ。しかし今からまっすぐホテルに戻る のも考えものだ。ひょっとしたら誰かが君の帰りをそこで待っているかもしれないものな。用心 するに越したことはない。君はあるいは知らないうちになにかの犯罪に巻きこまれてしまったの かもしれない というか、君自身が犯罪者であるという可能性だってなくはないんだ。 幸いなことに荷物は全部手もとにある。用心のために君はどこに行くにも全財産を詰めこんだ 重いリュックを持ち歩いていた。それが結果的に役に立ったわけだ。君は正しいことをしていた んだ。だからそんなに心配しなくてもいい。怖がらなくても、 しい。この先もなんとかうまくやっ ていけるはずだ。なにしろ君は世界でいちばんタフな歳の少年なんだからな。自信を持つんだ。 息を整えて、要領よく頭を働かせるんだ。そうすればきっとうまくやれる。ただし君はじゅうぶ ん用心しなくてはならない。誰かの血がどこかで流された。それは本物の血だ。そしてたくさん の血だ。誰かが今ごろ君の行方を真剣に捜しているかもしれない さあ行動にかかるんだ。やるべきことはひとっし力なし彳 、、、。一丁くべき場所はひとっしかないそ れがどこだか、君にはわかるはずだ。 かっ 僕は深呼吸をして息を整える。リュックを担ぎ洗面所を出る。音をたてて砂利を踏みながら、 水銀灯の光の中を歩く。歩きながら精いつばい頭を働かせる。スイッチを押し、クランクをまわ 121

3. 海辺のカフカ 上

ったら、そのときに捨てればいいのだ。 リュックにはどうしても必要なものだけを入れることにする。服を選ぶのがいちばんむすかし 、 0 下着は何組必要だろう。セーターは何枚必要だろう。シャツは、、 スポンは、手袋は、マフラ ーは、ショートパンツは、コートは ? 老 ) 、んはじめるときりかない。でもひとつはっきりとして いることがある。大きな荷物をかついで、いかにも家出少年ですというかっこうをして、知らな い土地をうろうろと歩きまわりたくはない。そんなことをしたらすぐに誰かの注意をひいてしま う。警察に保護され、あっというまに家に送りかえされる。あるいは土地のろくでもない連中と かかわりあ、つことになる。 、、し坦戸にいかなければいいんだ。僕はそういう結論にたどりつく。簡単なことじゃないか どこか暖かい土地に行こう。そうすればコートなんていらない。手袋もいらない。寒さを考えな ければ、必要な服の量は半分くらいになる。洗濯しやすくてすぐに乾いて、なるべくかさばらな い薄手の服を選び、小さくたたんでリュックの中に詰めた。洋服のほかには、空気を抜いて小さ く折りたためるスリ ・シーズン用の寝袋、簡単な洗面用具キット、雨天用ポンチョ、ノートと ボールペン、録音のできるソニーの Q ウォークマン、川枚ほどのディスク ( 音楽はどうしても 必要だ ) 、予備の充電式電池、そんなところだ。キャンプ用の調理用具まではいらない。重すぎ るしかさばりすぎる。食べものならコンビニエンス・ストアで買える。長い時間をかけて僕は持 ちもののリストを短いものにしていった。いろんなものをそこに書き加え、それから削った。ま

4. 海辺のカフカ 上

第 11 章 夜のこともできるだけ思いださないようにする。歯を磨き、新しい下着に着替える。寝袋を小さ く畳み、リュックに入れる。たまった汚れ物を洗濯機で洗わせてもらう。乾燥機はなかったので、 洗い終わって脱水したものを畳んでビニールの袋に入れ、リュックにしまう。どこかのコイン・ ランドリーで乾かせばいい。 僕は台所の流し台に重なりあうようにたまっていた食器を全部洗い、少し乾かしてから拭き、 棚にしまう。冷蔵庫の中身を整理し、悪くなっている食品を処分する。中にはひどい匂いを放っ ているものもある。プロッコリにはかびがはえている。キュウリはゴムみたいになっている。豆 腐は期限切れだ。容器を新しいものに入れ替え、こばれたソースをふきとる。灰皿の中の吸い殻 を捨て、散らばっている古い新聞を集める。床に掃除機をかける。彼女にはマッサージの能力は あるかもしれない。でも家事能力はゼロに等しいらしい。タンスの上にだらしなく積みあげてあ る彼女のシャツに片端からアイロンをかけ、買い物をして今夜の夕食をつくりたいという気持ち になる。僕はひとりで生きていけるように家にいるときからできるだけ自分で家事をこなすよう にしてきたし、そういう作業は苦にならないのだ。しかしそこまでやるのはたぶんやりすぎだろ ひと仕事を終え、台所のテープルの前に座り、あたりを見まわす。そして、ずっとここにいる し。 ( い力ないと田 5 、つ。それはかなりはっきりしている。ここにいるかぎり僕はまちかいなく、 絶えまなく勃起しつづけるだろうし、絶えまなく想像しつづけるだろう。洗面所に干してある彼 女の小さな黒い下着から目を背けつづけるわナこま、ゝ 。し ( し力ない。彼女に想像力の許可を求めつづけ 161

5. 海辺のカフカ 上

っ赤になるくらいの血だった。その流された血に対して、僕はたぶん責任を負うことになるだろ う。自分が裁判にかけられているところを想像する。人々が僕を非難し、責任を追及している。 みんなが僕の顔をにらみ、指をつきつける。記億にないことには責任を持てないんだ、と僕は主 張する。そこでほんとうになにが起こったのか、それさえ僕は知らないんだ。でも彼らは一言う、 「誰がその夢の本来の持ち主であれ、その夢を君は共有したのだ。だからその夢の中でおこなわ れたことに対して君は責任を負わなくてはならない。結局のところその夢は、君の魂の暗い通路 を通って忍びこんできたものなのだから」 いやおう ヒットラーの巨大に歪んだ夢の中に否応もなく巻きこまれていった、アドルフ・アイヒマン中 佐 . と同じよ、つに。 本を置いて椅子から立ちあがり、ポーチに立って背筋をまっすぐ伸ばす。ずいぶん長いあいだ 本を読んでいた。身体を動かす必要がある。僕は 2 個のポリタンクを持って流れの水を汲みに行 く。それを小屋まで運んで水桶に移す。その作業を 5 度繰りかえすと、水桶の中はだいたいいっ 士き ばいになる。裏手にある納屋から薪をひとかかえ持ってきて、ストープのわきに積みあげる。 ポーチの隅には色のあせたナイロンの洗濯ロープが張ってある。僕はリュックから生乾きの洗 濯物を出し、広げてしわをのばしてそこに干す。リュックの中から荷物を全部とりだしてべッド の上に並べ、新しい光にあてる。それから机に向かって数日ぶんの日誌をつける。細字のサイン ペンを使って、僕の身に起こったことを、小さな字でひとつひとっノートに書き記す。記億がは なや おけ 228

6. 海辺のカフカ 上

第 9 章 をたどろうとする。でもそのもろい糸はすぐに切れてしまう。僕は目を閉じ、時間をやりすごす。 時間が経過する。リュックのことをはっと思い出す。そして軽いパニックに襲われる。リュッ ク : : リュックはどこにあるんだ ? あそこには今の僕のすべてが詰まっている。あれをなくす 。立ちあがろうとしても、指先に力が入 しし ( い力ない。でもこんな暗闇ではなにも見えない らない。 僕は苦労して左手を上に持ちあげ ( どうしてこんなに左腕が重いんだろう ? ) 、腕時計を顔の 前にもってくる。目をこらす。ディジタル・ウォッチの文字盤は 11 【 26 という数字を示してい る。午後Ⅱ時分。 5 月日。頭の中で日誌のページを繰ってみる。 5 月日 : : : 。大丈夫、僕 はまだその日の中にいる。何日もここで意識を失っていたわけではない。僕が僕の意識と離れば なれになっていたのはせいぜい数時間のことだ。たぶん 4 時間くらいのものだろう。 いつもと同じことがいつもと同じように繰りかえされた日だった。とくべつなこ 5 月日 とはなにも起こらなかった。僕はその日やはり体育館に行き、それから甲村図書館に行った。機 械をつかっていつもの運動をし、いつものソフアで漱石全集を読んだ。そしてタ方に駅前で食事 をした。たしか魚を食べたはずだ。魚の定食。鮭だ。ご飯をおかわりした。味噌汁を飲み、サラ ダも食べた。それから : : : そのあとが思いだせない。 左肩に鈍い痛みがある。肉体的な感覚が戻ると、それにあわせて痛みの感覚も戻ってくる。な にかに激しくぶつかったときの痛みだ。シャツの上からその部分を右手で据でてみる。傷口はな とこかで交通事故にでもあったのだろうか ? でも服も破れては いようだし、腫れてもいなし みそ

7. 海辺のカフカ 上

第 19 章 「 My pleasure 」と彼は英語で返事をする。 大島さんが行ってしまうと、僕はリュックの中の荷物を整理する。数少ない服をチェストにし まし、、 ノヤッと上着をハンガーにかけ、ノートと筆記具を机の上に置き、洗面用具をバスルーム に持っていき、リュックをクローゼットの中に入れる。 部屋の中には装飾的なものはなにもないが、壁に一枚だけ小さな油絵がかかっている。海辺に いる少年の写実的な絵だった。悪くない絵だ。名のある画家が描いたのかもしれない。少年はた ひじ ぶん肥歳くらい。白い日よけ帽をかぶり、小振りなデッキチェアに座っている。手すりに肘をつ ゅううつ き、頬杖をついている。いくぶん憂鬱そうな、いくぶん得意そうな表情を顔に浮かべている。黒 士 6 も いドイツ・シェパードが少年を護るような格好でそのとなりに腰をおろしている。背景には海が 、。・甲にはトさな 見える。何人かの人々も描きこまれているが、とても小さくて顔までは見えなし こぶし 島が見える。海の上には握り拳のようなかたちをした雲がいくつか浮かんでいる。夏の風景だ。 僕は机の前の椅子に座って、しばらくその絵を眺める。見ていると、実際に波の音が聞こえ、潮 の匂いかかぎとれそうな気がしてくる。 そこに描かれているのは、この部屋にかって暮らしていた少年なのかもしれない。佐伯さんが 愛した同い歳の少年。歳のときに学生運動のセクト間の争いに巻きこまれて、意味もなく殺さ れてしまった少年。たしかめようもないけれど、なんとなくそ、ついう気がする。風景もこのあた りの海辺の風景のように見える。もしそうだとしたら、その絵の中に描かれているのは鬨年くら い前の風景であるはずだ。鬨年という歳月は、僕にはほとんど永遠みたいに思える。ためしに鬨 ほおづえ 297

8. 海辺のカフカ 上

第 5 章 家の番号を押してみる。すぐに呼び出し音が聞こえる。キロ以上離れたところなのに、ま るでとなりの部屋に電話をかけているようなくつきりとした呼び出し音だ。その思いがけないほ どの鮮かさが僕を驚かせる。二度だけベルを鳴らし、切る。心臓の鼓動が激しくなり、なかなか 、。電話は生きている。父親はまだこの電話番号の契約をキャンセルしていない もとに戻らなし あるいは机の引き出しから電話がなくなったことにまだ気づいていないのかもしれない。電話を リュックのポケットに戻し、枕もとの明かりを消し、目を閉じる。僕は夢も見ない。そういえば もうずいぶん長いあいだ夢というものを見ていない

9. 海辺のカフカ 上

第 13 章 狭い国だし、森の中で迷うことなんてないだろうと君は思うかもしれない。でも一度迷ってしま うと、森というのはどこまでも深くなるんだ」 僕は彼の忠告を頭に入れる。 「それから、よほど緊急のことがないかぎり、山を下りることも考えないほうかいい 。人家のあ るところまではあまりにも遠すぎる。ここで待っていれば、僕がそのうちに迎えに来る。たぶん 2 、 3 日のうちに来られると思、つし、それくらいの食料品は用意してある。ところで携帯電話は 持っている ? ・ 持っている、と僕は言う。リュックを指さす。 皮はにつこりと笑、つ。 「じゃあそこに入れたままにしておくほうかいいね。携帯電話はここでは使えない 。電波がまっ たく届かないんだ。もちろんラジオも聞こえない。 つまりー。ーー君は世界から完全に孤立している わけだ。ずいぶん本は読めるはずだよ」 僕はふと思いついた現実的な質問をする。「便所がないとなると、どこで用を足せばいいんだ ろ、つ ? ・ 大島さんは両手を大きく広げる。「この広くて深い森はすべて君のものだ。便所がどこかなん て君がきめれば ) しいことじゃないか」 201

10. 海辺のカフカ 上

第 5 章 ハスが瀬戸内海にかかる巨大な橋を渡るところを、眠っていて見逃してしまう。地図でしか見 たことのないその大きな橋を、じっさいに目にするのを楽しみにしていたのだけれど。誰かが僕 の肩を軽くつついて起こす。 「ほら、着いたわよ」と彼女は言う。 僕は座席の中で身体をのばし、手の甲で目をこすり、それから窓の外を眺める。たしかにバス は駅前の広場みたいなところにとまりかけている。朝の新しい光があたりに髑ちている。まぶし いけれどどことなく穏やかな光だ。東京の光とは少し印象がちがう。僕は腕時計を見る。 6 時 彼女は疲れきった声で一言う。「ああ、長かった。腰がどうにかなってしまいそう。首も痛い。 夜行バスになんかもう一一度と乗らない。少し値段が高くても飛行機にする。乱気流があろうと、 ハイジャックがあろうとぜったいに飛行機に乗る」 僕は頭上のもの入れから彼女のスーツケースと自分のリュックを降ろす。 第 5 章