向かっ - みる会図書館


検索対象: 海辺のカフカ 上
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1. 海辺のカフカ 上

「求めるって、どんなものを ? 。バックミラーに向かって顔をしかめる。「さあ、どんなものだろう。僕 大島さんは首を振る にはわからない。ただの印象をただの印象として述べているだけだ」 僕は黙っている。 「経験的なことを一一一一口うなら、人がなにかを強く求めるとき、それはまずやってこない。人がなに かを懸命に避けようとするとき、それは向こうから自然にやってくる。もちろんこれは一般論に 過ぎないわけだけれどね」 「その一般論をあてはめて、僕の場合はいったいどうなるんですか。もし大島さんが一言うように、 僕がなにかを求めると同時に、それを避けようとしているとしたら 「むずかしい問題だ」と言って大島さんは笑う。少し時間を置いて彼は一言、つ。「でもあえて言、つ なら、こういうことになるだろうね。そのなにかはたぶん君が求めるときに、求めるかたちでは やってこないだろう」 「なんだか不吉な予言みたいに聞こえる」 「カッサンドラ」 「カッサンドラ ? ーと僕は尋ねる。 「ギリシャ悲劇だ。カッサンドラは予一言をする女なんだ。トロイの王女だ。彼女は神殿の巫女に なり、アポロンによって運命を予知する能力を与えられる。彼女はその返礼としてアポロンと肉 のろ 体関係を結ぶことを強要されるがそれを拒否し、アポロンは腹を立てて彼女に呪いをかける。ギ

2. 海辺のカフカ 上

ないみたいだな。今の君は泣きだしたくてしようがないみたいだ。まったくもう、このぶんじゃ 朝までに小便をちびってしまうかもしれないぜ」 僕は彼のあざけりの言葉をやりすごす。しつかりと目を閉じ、鼻の下のところまで寝袋のジッ ーをあげ、すべての考えを頭の外に追いやる。フクロウが夜の言葉を宙に浮かべ、遠くのほう でなにかが地面に落ちるようなどすんという音が聞こえても、部屋の中でなにものかが動く気配 があっても、目を開けない。僕は今ためされているのだ、と僕は考える。大島さんも同じくらい の歳のときにここに何日もひとりで泊まった。彼も今の僕が感じているのと同じような法えをき っと体験したはずだ。だから大島さんは僕に向かって「孤独にもいろんな種類の孤独がある」と 言ったのだ。僕が真夜中にここでどんな思いを味わうことになるのか、大島さんにはおそらくわ かっていた。それは彼自身がここでかって味わった思いでもあるのだから。そう考えると身体か ら少しだけ力が抜ける。時間を超えて、そこにある過去の影を指でなぞることができる。その影 に自分をかさねることができる。僕は深く息をつく。そしていっとはなく眠りにつく。 朝の 6 時過ぎに目を覚ます。鳥たちの声があたりにシャワーのように勢いよく降り注いでいる。 鳥たちは枝から枝へとまめまめしく飛び移り、よくとおる声で互いを呼びあっている。彼らのメ ッセージには夜の鳥たちの、あの含みのある重い響きはない。 僕は寝袋から出て窓のカーテンを開け、小屋のまわりに昨夜の暗闇がひとかけらも残っていな

3. 海辺のカフカ 上

ナカタさんは焼きなすとキュウリの酢の物の入ったタッパーウェアと、お金の封筒を鞄にしま コイズミさんの家を出た。駅に向かって足早に歩き、商店街の近くにある交番まで行った。 交番には若い警官が一人で机の前に座り、書類に何かを書き込んでいるところだった。無帽で、 帽子は机の上に置かれていた。 ナカタさんは交番のガラスの引き戸を開けて中に入り、「こんばんは。失礼いたしますーと一一一口 った。 「こんばんは」と警官も言った。彼は書類から目を上げ、ナカタさんの風体を観察した。害のな いおとなしそうな老人に見えた。たぶん道でも聞きにきたのだろうと警官は田 5 った。 ナカタさんは戸口に立ったまま帽子をとり、それをズボンのポケットに入れた。そして反対側 ノカチをたたみ、もとのポケットに入れた。 のポケットからハンカチを出し、鼻をかんだ。ハ、 「それで、何かご用ですか ? 」と警官は尋ねた。 「はい。ナカタはさきほど人を殺しました」 警官は持っていたボールペンを思わず机の上に落とし、ロを開けてナカタさんの顔を見つめた。 彼はしばらくのあいだ言葉を失っていた。 「ちょっと : まあ、そこに座って」と警官は半信半疑で、机の向かいにある椅子を指さした。 けんじゅう それから手をのばして、拳銃と警棒と手錠を腰に帯びていることをいちおう確認した。 「はい と言って、ナカタさんはそこに腰を下ろした。背筋を伸ばし、両手を膝の上に置き、警 官の顔をまっすぐに見た。

4. 海辺のカフカ 上

第 23 章 に深い火口湖の底に沈んでいるのだ。 彼女は急に頬杖をつくのをやめ、両手を膝の上に置く。スカートの裾のところに、 小さなふた そろ つの白い膝が揃えられている。彼女はふと思いついたように壁を見つめるのをやめ、身体の向き を変えてこちらに視線を向ける。手を額にやり、落ちた前髪に触れる。いかにも少女らしい細い 指は、なにかを思いだそうとするみたいにしばらく額の上に留まっている。彼女は僕を見ている。 僕の心臓が乾いた音をたてる。でも不思議なことに僕のほうには自分が見られているという感触 かない。少女が見ているものは僕ではなく、僕の向こう側にあるものなのかもしれない。 僕ら一一人が沈んでいる火口湖の底では、すべてがひっそりとしている。火山の活動が終わった のはずいぶん昔の話だ。そこには孤独が柔らかな泥のように積もっている。水の層をくぐり抜け てきたわずかな光が、遠い記憶の名残のようにあたりを白く照らしている。深い水底には生命の しるしは見あたらない。どれくらいの時間、彼女は僕を、ーーあるいは僕のいる場所をーーー眺めて いたのだろう。時間の決まりがうしなわれてしまっていることに僕は気づく。そこでは時間は、い よど の必要に応じて引き延ばされたり、淀んだりしている。でもやがて少女はなんの前触れもなく椅 子から立ちあがり、ひっそりとした足どりでドアのほうに向かう。ドアは開かない。しかし彼女 は音もなくその奥に消える。 僕はそのあとも布団の中でじっとしている。目を薄く開けたまま身動きひとっしない。彼女よ また戻ってくるかもしれない。僕はそう思う。いや、戻ってきてほしいと願う。しかしどれだけ 待っても少女は戻ってこない。僕は顔をあげ、枕もとの目覚まし時計の夜光針に目をやる。 3 時 377

5. 海辺のカフカ 上

僕は言う。「お前はいっかその手で父親を殺し、いっか母親と交わることになるって」 それをいったん口に出してしまうと、あらためてかたちある一一一一口葉にしてしまうと、僕の心の中 に大きな空洞のような感覚が生まれる。その架空の空洞の中で、僕の心臓は金属的な、、つつろな 音をたてている。大島さんは表情を変えずに、長いあいだ僕の顔を見ている。 「君はいっか君の手でお父さんを殺し、いっかお母さんと交わることになるー・ーそうお父さんが 言ったわけだね 僕は何度かうなすく。 「それはオイデイプス王が受けた予一言とまったく同じだ。そのことはもちろん君にはわかってい るんだろうね ? 」 僕はうなずく。「でもそれだけじゃない。もうひとつおまけがある。僕には 6 歳年上の姉もい るんだけど、その姉ともいっか交わることになるだろうと父は言った」 「君のお父さんはそれを君に向かって予言したんだね ? 「そうだよ。でもそのとき僕はまだ小学生で、交わるという一一一一口葉の意味もわからなかった。それ かどういうことか理解できたのは何年もあとのことだった」 大島さんは何も言わない。 「僕はどんなに手を尽くしてもその運命から逃れることはできない、と父は言った。その予言は 時限装置みたいに僕の遺伝子の中に埋めこまれていて、なにをしようとそれを変更することはで きないんだって。僕は父を殺し、母と姉と交わる」 弭 8

6. 海辺のカフカ 上

でももちろん私には引率の教師としての責任があります。私はすぐに気を取り直し、転げるよ うに斜面を駆け降り、助けを求めるために学校に向かいました。

7. 海辺のカフカ 上

一一一一口った。 「ヒッチハイク ? 「そのへんの車に頼んで乗せていってもらうの。だいたいは長距離トラックだけどね。一般車は あまり乗せてくれないから」 「長距離トラックだとか一般車だとか、そういうむずかしいことはナカタにはよくわかりません が」 「まあ行っちゃえばなんとかなるものなんだ。私も昔、学生時代に一度やったことがあるよ。ト ラックの運転手の人ってみんな親切だったわね」 「ところでおじさん、東名高速道路のどこまで行くの ? ーと茶髪の子が尋ねた。 「わかりません」 「わからない ? 「わかりません。でもそこに行けばわかります。とりあえす、トーメイ高速道路を西に向かいま す。それからあとのことは、またあとで考えようと思います。とにかくナカタは西に向かわなく てはならないのです」 二人の女の子は顔を見合わせたが、ナカタさんの話し方には一種独特の説得力があった。そし て二人はナカタさんに対して自然な好意を持っことができた。彼女たちは弁当を食べ終え、空き 箱をゴミ箱に捨て、べンチから立ち上がった。 「ねえ、おじさん、私たちについておいでよ。なんとかしてあげられると思うから」と黒髪の女 320

8. 海辺のカフカ 上

第 20 章 冷凍大型トラックの運転手が、ナカタさんを東名高速道路の富士川サービスエリアの駐車場に 降ろしたとき、時刻は既に夜の 8 時を過ぎていた。ナカタさんはズックの鞄とこ、つもり傘をもっ て高い助手席から降りた。 「ここで次の車を見つけるといいよ」とその運転手は窓から首を突き出して言った。」、 「してま わったら、なんとかひとっくらいは見つかるだろう」 「ありがとうございます。ナカタはとても助かりました」 「気をつけてな」と運転手は言った。そして手をあげて行ってしまった。 フジガワ、と運転手は一一一口った。フジガワがどこにあるのか、ナカタさんにはまったくわからな 。しかし自分が東京を離れて、少しずつ西に向かって移動していることだけは理解できた。磁 石がなくても、地図が読めなくても、それくらいは本能的に理解できた。これからまた次の、西 に向かう車に乗せてもらえばいいのだ。 ナカタさんは空腹を感じたので、食堂でラーメンを食べることにした。鞄の中にあるおにぎり 第 章 3 巧

9. 海辺のカフカ 上

らだ。ナカタさんはそのときになって初めて、自分が海というものを長い期間にわたって失って いたことに気づいた。そういえば海について考えたこともなかった。彼はそれを確認するために、 何度も自分に向かってうなずいた。帽子をとり、手のひらで短く刈り込んだ髪を撫でた。そして また帽子をかぶりなおし、海を見つめた。海についてナカタさんが知っていることといえば、そ れがひどく広いとい、つことと、中に ~ が住んでいるとい、つことと、水が塩辛いとい、つことくらい だった。 ナカタさんはべンチに座って、海から吹いてくる風の匂いを嗅ぎ、かもめが空を飛ぶ姿を眺め、 遠くに停泊している船を眺めた。いつまで見ていても見飽きることはなかった。ときどき真っ白 なかもめが公園にやってきて、初夏の緑の芝生の上に降りた。その色の取り合わせはいかにも美 しかった。ナカタさんは芝生の上を歩くかもめに向かって、ためしに声をかけてみたが、かもめ は醒めた目でちらりとこちらを見るだけで、返事をしなかった。猫の姿は見えなかった。その公 すずめ 園にやってくる動物は、かもめと雀だけだった。魔法瓶からお茶を出して飲んでいるときに、ば らばらと雨が降りだし、ナカタさんは大事にもっていた傘をさした。 時前に星野青年が戻ってきたときには、もう雨はあがっていた。ナカタさんは傘をすばめて べンチに座り、ずっと同じ姿勢で海を見ていた。青年はトラックをどこかに置いてきたらしく、 タクシーでやってきた。 「よう、ごめんな。すっかり遅くなっちまってよ」と青年は言った。彼はビニールのボストン・ 372

10. 海辺のカフカ 上

第 13 章 「どこまで行くんですか ? 「高知」と彼は言う。「行ったことはある ? 」 僕は首を振る。「どれくらい遠いんですか ? 」 「そうだな、目的地まではたぶん 2 時間半くらいかかる。山を越えて、南に下る」 「そんな遠くまで行ってかまわないんですか ? 」 「かまわないよ。道路はまっすぐ通じているし、日はまだ暮れていないし、タンクにはガソリン がたつぶり入っている」 僕らは夕暮れに近い市内を抜け、とりあえず西に向かう高速道路に入る。彼は巧みにレーンチ エンジをし、車の間を抜けていく。左手の手のひらを使ってこまめにギアを変える。滑らかにシ フトアップし、シフトダウンする。そのたびにエンジンの回転音が細かく変化する。ギアを落と しガス・ペダルを床まで踏みこむと、スピードはあっという間に 140 キロを超える。 そのへんの普通のロードスターとはちがう。 「特別にチューンアップしてあるんだ。加速がいい。 君は車に詳しい ? 僕は首を振る。僕は車のことなんてなにも知らない。 「大島さんは運転が好きなんですか ? 」 「僕は危険な運動をすることを医者にとめられている。だからそのかわりに車を運転する。代償 行為だ」 「どこか体に悪いところがあるんですか ? 」 187