ぶん遠くの方の、子どもたちがまず行かないところに、もし行ったとしてもまず目につかないは ずのところに隠して捨ててきたからです。それは当然のことです。女性としてもっとも恥ずかし く、もっとも人目にさらされたくないものなのですから。どうして彼にそれを見つけることがで きたのか、私には見当もっきません。 気がついたとき私はその子を、中田君を、 叩いていました。肩のあたりをつかんで、何度も何 度も平手で頬を張ってました。何か叫んでいたかもしれません。私は混乱していました。明らか に自分を失っていました。私はきっと深く恥を感じ、ショックの中にいたのだと思います。それ まで子どもを叩いたことなんて一度もありません。でもそこにいるのは私ではありませんでした。 気がつくと子どもたち全員がじっと私を見つめていました。あるものは立ち上がり、あるもの 叩かれ は腰を下ろしたまま、こちらに顔を向けていました。真っ青な顔をして立っている私と、 て地面に倒れている中田君と、私の血に染まった手拭いが、子どもたちの目の前にありました。 私たちはしばらくその場に凍りついたみたいになっていました。誰も動かず、ロをききません。 こよ表清がなく、それは青銅でできた仮面のように見えました。森の中には深い 子どもたちの顔。 ( 沈黙が降りていました。鳥のさえずりが聞こえるだけです。私はその情景を今でも鮮明に記憶し ています。 どれほどの時間が経ったのでしよう。それほどの時間ではないと思います。でも私には永遠と も思える時間でした。私が世界のぎりぎりの縁まで追いつめられた時間でした。やがて私は我に 172
第 12 章 返りました。まわりの風景が色彩を回復してきました。私はその血のついた手拭いを後ろに隠し、 地面に倒れていた中田君を両手で抱き上げました。そして強く抱きしめ、心から謝りました。先 生が悪かった、許してちょうだいと言いました。彼もまたショック状態にあるようでした。目は うつろで、私の言っていることが耳に届いているとも思えません。私は彼を抱いたままほかの生 徒たちに向かって、キノコ取りに戻りなさいと言いました。それで子どもたちはまた、何事もな かったようにキノコ取りの作業に戻りました。今そこで何が起こったのか、子どもたちにはたぶ ん理解できなかっただろうと思います。すべてはあまりにも異様であり、あまりにも唐突でした。 私は中田君をしつかりと抱いたまま、しばらくそこに立ちすくんでました。私はこのままここ で死んでしまいたいと思いました。このままどこかに消えてしまいたいと思いました。すぐそこ の世界では巨大な凶暴な戦争が進行し、あまりに多くの人々が死に続けていました。何が正しい のか正しくないのか、私にはもうわからなくなっていました。私の見ている風景がほんとうに正 しいものなのか、私の目にしている色彩がほんとうに正しいものなのか、私の耳にしている鳥た ちの声がほんとうに正しいものなのかどうか : 。そして私は森の奥で、ひとりばっちで、混乱 し、子宮から多くの血を流し続けていました。私は怒り、法え、恥の中に沈んでいました。私は 泣きました。声を上げずに静かに静かに泣いていました。 こんすい それから子どもたちの集団昏睡が始まったのです。 あら ご理解いただけると思いますが、私はこのような露わな話を軍の方々の前でするわけにはいき 173
今回このように失礼を顧みず先生にお便り申し上げましたのは、昭和十九年の秋に起こったあ の山の中での昏睡事件が、どのようにしても私の脳裏を去らないからなのです。事件発生以来、 早いもので既に一一十八年の歳月が過ぎ去りました。しかしそれは私の中ではつい昨日起こったこ とのように、ありありと身近に感じられます。その記億は未だもっていっときも私から離れるこ とはありません。それは何かの影のようにいつも私のそばにあります。そのために私は数多くの 眠れない夜を過ごしましたし、その田 5 いは眠りの中には夢となって現れました。 私の人生は、常にその事件の余韻に支配され続けてきたようにさえ感じられます。ひとつには 私はその事件に遭遇した子どもたちとどこかで顔をあわせるたびに ( 彼らの半数はまだこの町に 住んでおり、今ではもう一二十代半ばになっています ) 、あの出来事は彼らに、あるいは私自身に 何をもたらしたのだろうと、あらためて自問しないわけにはいかないのです。あれだけの事件で すから、それは必ず何かしらの影響を私たちの身体や心に及ばしたはずなのです。及ばさないは ずはないと私は感じています。しかしながら、その影響が具体的にどのようなかたちをとったの か、それはどれほどの大きさのものだったのか、ということになりますと、私には見当もっきま せん。 あの事件は当時、先生もよくご存じのように、軍の意向によってほとんど世間に公表されませ んでした。また戦後はアメリカ駐留軍の意向により、同じように秘密裏に調査がおこなわれまし た。正直に申し上げまして、アメリカ軍であれ日本軍であれ、軍のやることには基本的にほとん
かべることができます。 長々と書き連ねてしまいましたが、最後にもうひとつだけ書かせてください。私の主人が終戦 の少し前にフィリピンで戦死いたしましたとき、実は私はそれほどのショックを感じませんでし た。そのときに私が感じましたのはただただ深い無力感に過ぎませんでした。それは絶望でもな なぜ く怒りでもありません。私は一粒の涙さえ流しませんでした。何故ならばそうなることは、主人 がどこかの戦場で若い命を落とすであろうことは、前もってわかっていたからです。私がその前 の年に主人との激しい性交の夢を見て、予期せぬ月経が始まり、山に登り、混乱の中で中田君を 叩き、子どもたちが不可解な昏睡に陥ったときから、それはあらかじめ決定されていたことであ り、私が前もって事実として受け入れていたことだったのです。夫の死を知らされたとき、私は 事実を確認したに過ぎませんでした。そして私の魂の一部はまだあの森の中にとどまっておりま す。何故ならばそれは私の人生のあらゆる営為を超えたものであるからです。 末筆ではございますが、先生のご研究のますますのご発展をお祈りいたしております。どうか ご自愛くださいませ。 敬具」
第 12 章 るいは性的な夢を見たおかげで私の中の何かの機能が刺激され、ときならず月経が始まってしま ったのかもしれません。いずれにせよ突然のことですので、そのための準備など持ち合わせてお りません。おまけに山の中です。 私は子どもたちにしばらくそのまま休憩するように指示し、林の奥の方に一人で入っていって、 てぬぐ 持参した何枚かの手拭いをつかって応急処置をいたしました。出血は量が多く、私はひどく取り 乱していましたが、学校に戻るまではこのままなんとかもつだろうと思いました。頭がほんやり として、うまく筋道立ててものを考えることもなりません。私はまた罪悪感のようなものを心に 感じていたと思います。赤裸々な夢を見たことについて、自慰をしたことについて、子どもたち の前で性的な幻想にふけっていたことについてです。私はどちらかというと、そ、ついうことに対 して自制する傾向が強かったのです。 適当に子どもたちにキノコを集めさせ、野外実習はなるべく早く切り上げて、山を下りようと 思いました。学校に戻れば、あとはなんとかなります。私はそこに腰を下ろし、子どもたちがめ いめいにキノコを集めているのを見守っていました。子どもたちの頭数を数え、誰も私の視野の 外に出ていかないように気をつけていました。 でもしばらくしてふと気がつくと、一人の男の子が何かを手に持って、私の方に歩いてくるの が見えました。中田という男の子でした。そうです。その事件後意識を回復しないまま、長いあ いだ病院に入っていた子どもです。その子が手に持っているのは、血に染まった私の手拭いでし しいますのは、私はそれをずい た。私は息を呑みました。自分の目が信じられませんでした。と、 171
試したこともなく、そのような激しい絶頂を感じた経験も一度としてなかったからです。しかし とにかく夢の中では私たちは普段の抑制を取り払い、まるで獣のように交わりました。 目がさめたとき、あたりはほの暗く、私はひどく妙な気持ちになっておりました。身体がどん よりと重く、腰の奥の方にまだ夫の性器の存在を感じておりました。胸がどきどきして、息が詰 まりました。私の性器も性行為のあとのように濡れていました。それは夢ではなく本物の交わり であったように、ありありと切実に感じられました。お恥ずかしい話ですが、私はそのまま自慰 しず をしました。そのときに私の感じていた性欲はあまりにも強いものであり、それをなんとか鎮め るためのものでした。 それから私は自転車に乗って学校に出勤し、子どもたちを引率して「お椀山に向かいました。 山道を歩いている途中でも、まだ私は性交の余韻を味わっておりました。目を閉じると子宮の奥 に夫の射精を感じることができました。子宮の壁に、夫の放っ精液が当たるのがわかるのです。 私はそれを感じながら、夫の背中に夢中になってしがみついていました。これ以上大きく開けな ふともも いくらい脚を大きく開いて、足首を夫の太股にからめていました。子どもたちを連れて山を登り ながら、私は一種の放心状態の中にいたようです。生々しい夢の続きの中にいたと言ってもいし かもしれません。 山を登り、目的地の森の中について、みんながさあこれからキノコ取りにとりかかろうかとい うところで、出し抜けに私の月経が始まりました。そんな時期ではありません。つい十日ばかり 前にそれは終わったばかりでしたし、もともと私のその周期はとても規則正しい方なのです。あ 1 フ 0
第 12 章 の初老の女の繰り一一一一口として読み飛ばし、そのまま捨て去っていただいてけっこうです。ただ私は そこにあった真実を、まだそれができますうちに、正直な告白としてそのままに書き記し、しか るべきどなたかに手渡したかっただけなのです。私は病を得て、いちおうの回復はいたしました しんしやく が、いっ再発するともしれない身であります。その点をご斟酌いただければ幸いと存じます。 子どもたちを引率して山に参ります前夜のことですが、私は夫の夢を見ました。夜明け前のこ とです。出征して戦地に行っております主人が夢の中に出て参りました。それはひどく具体的な 性的な夢でした。ときどき夢と現実の境目が見定められなくなるような生々しい夢がありますが、 まさにそのような夢でした。 私たちはまな板のように平らな岩の上で何度も交わりました。それは山の頂上近くにある岩で、 淡い灰色の岩でした。広さは畳一一枚ぶんくらいあります。表面はつるつるとして、湿っています。 空は曇っていて、今にも激しい雨が降り出しそうです。風はありません。夕暮れが近いようで、 鳥たちもねぐらに急いでいます。そのような空の下で、私たちはロもきかずに交わっておりまし た。まだ結婚して間もないうちに、私たちは戦争のせいで離ればなれにされておりまして、私の 身体は激しく夫を求めていました。 言葉にはあらわせないほどの肉体の快感を私は感じました。いろんな姿勢でいろんな角度で私 たちは交わり、そのあいだに何度となく絶頂感を覚えました。それは考えてみれば不思議なこと でした。と申しますのは、私たちはどちらも内気な性格で、そのようにどん欲にいくつも体位を
第 2 章 女の子ばかり 3 人です。仲がよい 3 人組でした。私はその子たちの名前を大声で呼び、順番に ほおたた 頬を叩きました。かなり強く叩きました。しかし反応はありません。何も感じていないのです。 私が手のひらに感じたのは、硬い虚空のようなものでした。それはとても奇妙な感覚でした。 私は誰かを学校に走って帰らせようと思いました。私一人のカでは意識のない 3 人の子どもを かっ 担いで帰ることは不可能です。ですからいちばん足の速い男の子の姿を探しました。しかし立ち 上がってあたりを見まわしたとき、ほかの子どもたちもみんな地面に倒れていることに私は気づ きました。人の子どもたちが全員、ひとり残らずそこに倒れて意識を失っていました。倒れて いないのは、立って意識を保っているのは、私ひとりだけだったのです。それはまるで : : : 戦場 のようでした。 そのときに現場で何か異常なことに気がっきませんでしたか ? たとえば匂いとか、音と か、光とか ? え、先ほども申し上げましたとおり、あたりはとても静かで、平和そ ( しばらく考える ) 。いい のものでした。音にも光にも匂いにも、変わった点はありません。ただ私の学級の子どもたちが ひとり残らずそこに倒れていただけです。私はそのとき、この世界にたったひとりで取り残され てしまったような気がしました。とても孤独でした。どんなものとも比べようかないくらい孤独 でした。何も考えずにそのまま虚空の中に消え入ってしまいたいような気持ちでした。
ませんでした。それは戦争の時代でしたし、私たちが「たてまえ」で生きている時代でした。で すからその月経が始まった部分と、中田君が私の血のついた手拭いを持ってきて、彼を私が叩い た部分だけを省いて、みなさまにお話をいたしましたようなわけです。先ほども申し上げました けねん ように、そのせいで先生方の調査、ご研究に大きな支障が生じたのではないかと、懸念いたして おりました。今こうして包み隠さずにお話ができまして、私自身ほっとしております。 不思議といえば不思議なことなのですが、子どもたちは誰一人としてその出来事を記憶してお りませんでした。つまり血に染まった手拭いのことや、私が中田君を叩いたことを、誰もまった く覚えていないのです。その記億は全員の脳裏から抜け落ちてしまっているのです。事件後まも なく、それは私が個人的にそれとなく一人一人に確かめてみました。たぶんそのときから既に、 集団的な昏睡は始まっていたということなのかもしれません。 中田君について、担任の教師としての感想のようなものをいくつか書かせていただきたく思い ます。中田君があの事件後どうなったのか、私にもわかりません。東京の軍の病院に運ばれ、そ こでもかなり長く昏睡が続いたものの、そのうちにようやく意識を取り戻したという話を、戦後 面接を受けたアメリカ軍の将校から聞かされました。しかしそれ以上詳しい話は教えていただけ ませんでした。もっともそのような経緯につきましては、私よりはおそらく先生の方が詳しくご 存じでいらっしやるのではないかと推察いたします。 中田君はご存じのように、うちのクラスに入れられた五名の疎開児童のうちの一人でしたが、 ウ 4
「それは君次第だ」 「ナカタ次第でありますか ? 「そう。まさにナカタ次第だ」とジョニー・ウォーカーは言って、片方の眉を少しだけ釣り上げ た。「君の決心ひとつで君はゴマを連れて帰ることができる。コイズミさんの奥さんも娘さんも 大喜びする。あるいはまったく連れて帰れない。そうなるとみんなはがっかりする。みんなをが つかりさせたくはないだろう ? 「はい。ナカタはみなさんをがっかりさせたくはありません」 「私も同じだ。私だってみんなをがっかりさせたくはない。当然のことだ」 「それで、ナカタは何をすればいいのでありましようか ? 」 ジョニー・ウォーカーはステッキを手の中でぐるぐるとまわした。「私は君にあることを求め ているんだ」 「それはナカタにできますことでありましようか ? 「私はできないことを人には求めない。だってできないことを求めても、時間の無駄というもの だからね。そう思わないかい ? 」 ナカタさんは少し考えた。「たぶんそうであるとナカタも思いますー 「だとしたら、私かナカタさんに求めていることは、ナカタさんにできることだということにな るね」 220