頭 - みる会図書館


検索対象: 海辺のカフカ 上
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1. 海辺のカフカ 上

母さんの顔も、字を読むことも、算数をすることも、住んでいた家の間取りも、自分の名前さえ ぜんぶ忘れておりました。お風呂の栓を抜いたみたいに、頭の中がきれいさつばりからつほにな 」こよ、ナカタはとても成績の良いシュウサイであったそ、つ っておりました。その事故の起こる前。 ( です。ところがあるときばったりと倒れまして、目が覚めたときには、ナカタは頭が悪くなって おりました。お母さんは、もうとっくになくなりましたが、 よくそのことで泣いておりました。 ナカタの頭が悪くなったせいで、お母さんが泣かなくてはならなかったわけです。お父さんは泣 きはしませんが、いつも怒っておりました」 「でもそのかわりに猫と話ができるようになった」 「そのとおりでありますー 「ふん」 「おまけに健康でありまして、病気ひとっしたことがありません。虫歯もありませんし、眼鏡も かけません」 「オレの見る限りでは、あんたは頭は悪くないみたいだけどね 「そうでありましようかーとナカタさんは首をひねって言った。「しかしオオッカさん、今とな りましてはナカタはも、つをとっくに過ぎました。を過ぎますと、頭の悪いことにも、みんな に相手にされないことにも、慣れてしまいます。電車に乗れなくても生きていけます。お父さん はなくなりましたので、もうぶたれることもありません。お母さんもなくなりましたので、もう 泣くこともありません。ですので、今さら急にお前の頭は悪くないと言われましても、ナカタは せん

2. 海辺のカフカ 上

悪いのです。そう決まっております。とくにナカタのお父さんは、もうとっくになくなりました が、大学のえらい先生でありまして、キンユウロンというものを専門にしておりました。それか らナカタには弟が二人おりますが、二人ともとても頭がいいのです。一人はイトウチュウという ところでプチョウをしておりますし、もう一人はツウサンショウというところで働いております。 二人とも大きな家に住んで、ウナギを食べております。ナカタひとりだけが頭が悪いのです」 「でもあんたはこうして猫と話ができるじゃないか」 「はい」とナカタさんは言った。 「誰でも猫と話せるわけじゃないだろう」 「そのとおりでありますー 「じゃあ頭が悪いとは一一一口えないだろう」 「はし え、つまり、そのへんのことは、ナカタにはよくわかりません。しかしナカタは小 さいころからみんなにすっと頭が悪い、頭が悪いと言われつづけてまいりましたので、じっさい に頭か悪いとしか思えないのです。駅の名前も読めませんので、切符を買って電車に乗ることも できません。都ハスにはショウガイ者とくべっパスというものを見せれば、なんとか乗ることは できますが 「ふん」と感情をこめずにオオッカさんは言った。 「読み書きができませんと、働きぐちをみつけることもできません」 「じゃあ、何をして暮らしているんだい ?

3. 海辺のカフカ 上

第 6 章 あります。ナカタにしたところで、知事さんの名前だって覚えなくてはなりませんし、バスの番 号だって覚えなくてはなりません。しかし、それはともかくといたしまして、猫さんのことをオ オッカさんと呼んでかまいませんでしようか ? ひょっとしてご不央でありましようか ? 「愉央かと聞かれれば、そんなに愉央でもないけど : 力といってとくに不央でもないたカ いい。なんだかその、 らべつだんかまわないよ、オオッカさんで。もしそう呼びたいんなら呼べば 自分のことじゃないみたいな気がするけどな」 「そう言っていただけると、ナカタもたいへん嬉しくあります。たいへんありがとうございます、 オオッカさん」 「しかし、あんたは人間にしても、いささか変わったしゃべり方をするねーとオオッカさんは一言 った。 「はい、みなさんにそう一一一一口われます。しかしナカタにはこういうしゃべり方しかできないのです。 普通にしゃべりますと、こうなります。頭が悪いからです。昔から頭が悪かったわけではないの ですが、小さい頃に事故にあいまして、それから頭が悪くなったのです。字だってかけません。 本も新聞も読めません」 「オレだって自慢じゃないけど字なんてかけないねーと猫は言って、右手の肉球を何度かなめた。 「でも頭は普通だし、それで不便したこともない」 「はい、猫さんの世界ではまったくそのとおりでありますーとナカタさんは言った。「しかし人 間の世界では字がかけませんと、それは頭が悪いのです。本や新聞が読めませんと、それは頭が

4. 海辺のカフカ 上

だろう。そのほかにはまったく何も入っていない。ナカタさんは腰をかがめ、目を凝らしてそれ を見た。白い煙があらかた扉の外にこばれてしまうと、並べられているものが果物ではないこと がわかった。それは猫の頭だった。色や大きさの違ういくつもの猫の頭が切り取られ、果物屋に オレンジが陳列されるみたいに、冷凍庫の棚に 3 段にわたって並べられているのだ。どの猫も顔 をまっすぐこちらに向けたまま凍りついていた。ナカタさんは息を呑んだ。 よく見ろ、と大は命令した。その中にゴマがいるかどうか、自分の目でたしかめるんだ。 ナカタさんは一言われたとおり、猫の頭のひとつひとつを目で追ってみた。そうすることにとく に恐布は感じなかった。ナカタさんの頭にあるのはまず、行方不明のゴマをみつけることだった。 ナカタさんは嶼重にすべての猫の頭を点検し、そこにゴマかいないことを確認した。間違いない。 くもん 三毛猫はいない。頭だけになった猫たちは、みんな奇妙に空虚な顔つきをしていた。苦悶の表情 を浮かべているものは 1 匹もいない。それはナカタさんにとってはせめてもの救いだった。中に は目を閉じているものが少しいたが、ほとんどの猫たちは目を開いてばんやりと空間の一点を見 ていた。 「ゴマちゃんはここにはいないようであります」とナカタさんは抑揚のない声で大に言った。そ せき して咳払いをし、冷凍庫の扉を閉めた。 「はい間違いはありません」 大は立ち上がり、ナカタさんをまた書斎に連れて戻った。書斎ではジョニー・ウォーカーが革

5. 海辺のカフカ 上

「はい。親子丼もナカタの好物であります」 「それもまた関係性だ」と運転手は言った。「そういう風に関係性がひとつひとっ集まると、そ こに自然に意味というものが生まれる。関係性がたくさん集まると、その意味もいっそう深くな る。ウナギでも親子丼でも焼き魚定食でも、なんでもいいんだ。わかるかい ? 「よくわかりません。それは食べ物が関係することなのでありましようか ? 「食べ物には限らない。電車でも天皇でも、なんでもいいー 「ナカタは電車には乗りません」 「そりや いい。だからね、俺が言いたいのは、つまり相手がどんなものであれ、人がこうして生 きている限り、まわりにあるすべてのものとのあいだに自然に意味が生まれるということだ。い ちばん大事なのはそれが自然かどうかっていうことなんだ。頭がいいとか悪いとかそういうこと じゃないんだ。それを自分の目を使って見るか見ないか、それだけのことだよ」 「ハギタさんは頭がいいのですね」 ハギタさんは大きな声で笑った。「だからさ、こういうのは頭の良し悪しの問題じゃないんだ。 俺はべつに頭なんて良かねえよ。ただ俺には俺の考え方があるだけだ。だからみんなによく、つつ とうしがられる。あいつはすぐにややこしいことを言い出すってさ。自分の頭でものを考えよう とすると、だいたい煙たがられるものなんだ」 「まだナカタにはよくわからないのですが、ナカタがウナギを好きなことと、ナカタが親子丼を 好きなことのあいだに、つなかりかあるということなのでありましようか」 326

6. 海辺のカフカ 上

第 6 章 かえって困るかもしれません。頭が悪くなくなったせいで、知事さんからホジョがいただけなく なるかもしれませんし、とくべっパスで都バスにも乗れなくなるかもしれません。なんだ、お前 は頭が悪くないじゃないかと、知事さんにしかられたら、ナカタは返事のしようがありません。 ですので、ナカタはこのまま頭が悪いままでいいような気がするのであります」 「オレが言いたいのはね、あんたの問題点は、頭の悪いことにあるんじゃないってことなんだ よーとオオッカさんはまじめな顔で一言った。 「そ、つでありましよ、つか ? 「あんたの問題点はだね、オレは思うんだけど、あんた : : : ちょっと影が薄いんじゃないかな。 最初に見たときから思ってたんだけど、地面に落ちている影が普通の人の半分くらいの濃さしか 「はい 「オレはね、前にも一度そういう人間を見たことがある」 ナカタさんはロを少し開き、オオッカさんの顔を見た。「前に見たことがあると申されるのは、 つまり、ナカタのような人間のことでありましようか ? 」 「ああ。だからオレはあんたがしゃべったときにも : : : そんなには驚かなかったんだ」 「それはいつごろのことでありましようか ? 「ずっと昔、まだオレが若かったころのことだね。でも顔も名前も場所も時間も、なにも思い出 せない。さっきも言ったように、猫にはそういう意味での記億ってのはないからな」

7. 海辺のカフカ 上

第 20 章 ともに生きていけるようなやつは、かえって信用できねえもんな」 「そのよ、つなものでしようかー 「そうだよ。それが俺の意見だ」 「ナカタには意見というものはあまりありません。ウナギは好きですが 「それもひとつの意見だ。ウナギが好き」 「ウナギも意見なのですか ? 「うん。ウナギが好きというのもひとつの立派な意見だ」 二人はそんな調子で富士川まで行った。運転手の名前はハギタさんといった。 「ナカタさん、あんたこれからこの世界はどうなると思うね ? ーと運転手が尋ねた。 「申し訳ありませんが、ナカタは頭が悪いので、そういうことは皆目わからないのです」とナカ タさんは言った。 「自分の意見をもつのと、頭のいい悪いはべつのことだよ」 「しかしハギタさん、頭が悪いと、そもそもものを考えることができません」 「しかしあんたはウナギが好きだ、そうだよな」 ナカタはウナギが好物であります」 「よい、 「それが関係性というものなんだ」 「はあ」 「ナカタさんは親子丼は好きかい ? ー どん 325

8. 海辺のカフカ 上

第 14 章 いつもいつも猫探しの依頼があるというわけではないから、一カ月を通してみればたいした収 入にはならなかったけれど、公共料金の払い込みは、両親の残した遺産 ( それほどの額ではな い ) とわずかな貯金をナカタさんに代わって管理している上の弟がやっていてくれたし、都から 高齢障害者向けの生活の補助も出ていた。その補助金でとくに不自由なく生活を維持することは できた。だから猫探しで受け取る謝礼はまったく自由に使えるお金になったし、それはナカタさ んにとってはけっこうな額のお金に思えた ( 実際の話、ときどきウナギを食べる以外にその使い みちを思いつけなかった ) 。余ったお金は部屋の畳の下に隠していた。読み書きのできないナカ タさんは銀行にも郵便局にも行かない。そこでは何をするにも用紙に自分の名前や住所を書き込 まなくてはならないからだ。 ナカタさんは猫と話ができることを自分だけの秘密にしていた。ナカタさんが猫と会話できる ことを知っているのは、猫たちをべつにすれば、ナカタさんだけだった。ほかの人にそんなこと を言ったら、頭がおかしくなったと思われてしまう。もちろん頭が良くないのは周知の事実なの だが、頭が良くないのと頭がおかしいのとはまたべつの問題だ。 彼が道ばたでどこかの猫と熱心に会話しているときに、人がたまたまそばを通りかかることは あったけれど、それを見ても、誰もべつに気にはとめなかった。老人が動物に向かって、人に対 するように語りかけているのは、とくに珍しい情景ではない。だからみんなに「ナカタさんって どうしてそんなに猫の習性や考え方がよくわかるのかしら。まるで猫ちゃんとお話できるみたい ね」と感心されても、何も一言わずにこにこと笑っているだけだった。ナカタさんはまじめで礼儀 203

9. 海辺のカフカ 上

第 16 章 なくてはならない。これは理屈でもなし = = ロ 、。侖理でもない。私のわがままでもない。ただの決まり なんだ。だからこれ以上猫を殺されたくなければ、君が私を殺すしかない。立ち上がり、偏見を 持って、断固殺すんだ。それも今すぐにだ。そうすればすべては終わる。ピリオド」 ジョニー・ウォーカーはまたロ笛を吹き、カワムラさんの頭部を切断し終え、その頭のない死 体をゴミ袋にひょいと投げ入れた。金属の盆の上には 3 つの猫の頭が並んでいた。あれほどの苦 悶を味わったはすなのに、どの猫の顔にも表情はなかった。冷凍庫の中に並んでいた猫たちの顔 と同じように、どれも奇妙に空虚な顔をしていた。 「お次は、シャム猫だ」 ジョニー・ウォーカーはそう一一一一口うと、鞄の中からぐったりとしたシャム猫をとりだした。それ はもちろんミミだった。 「『我が名はミミ」ときたね。ブッチーニのオペラだ。たしかにこの猫にはそういう優雅なコケ ットリーの雰囲気が感じられる。私もブッチーニは好きだよ。ブッチーニの音楽には、なんとい うか永遠の反時代性のようなものが感じられる。たしかに通俗的ではあるが、不思議に古びない。 それは芸術としてひとつの素晴らしい達成だ」 ジョニー・ウォーカーはロ笛で『我が名はミミ』の一節を吹いた。 「しかしね、ナカタさん、このミミさんは捕まえるのにずいぶん苦労させられたよ。なにしろす ばしこいし、用心深いし、頭の回転が速いと来ている。なかなかのことじやひっかからない。ま きだい さに難物中の難物だった。しかし高名なる稀代の猫殺し、ジョニー・ウォーカー様の手を逃れる 25 ラ

10. 海辺のカフカ 上

第 10 章 なところに、猫にむごい仕打ちをすることをたくらむ誰かが潜んでいたなんて、ナカタさんには うまく飲み込めなかった。 ぼうずあたま 彼はロの中であんパンをゆっくり咀嚼しながら、白髪混じりの坊主頭を手のひらで撫でた。目 の前に誰かがいれば、「ナカタは頭が悪いものですから」と説明したいところだったが、あいに く誰もいなかった。だから自分に向かって軽く何度かうなずいただけだった。そして黙ってあん ハンを食べつづけた。あんパンを食べ終えると、セロファンの包み紙を小さく畳んで鞄の中にし ふた まった。魔法瓶の蓋をしつかりと閉め、それも鞄の中に入れた。空は一面の雲に隠されていたが、 色のにじみ具合で、太陽がだいたい真上にあることはわかった。 その男は背が高く、奇妙な縦長の帽子をかぶって、革の長靴をはいている。 ナカタさんはその男の姿を頭の中に描いてみようとした。しかし奇妙な縦長の帽子がどういう もので、革の長靴がどういうものなのか、ナカタさんには想像もっかなかった。そんなものは生 まれてから見たこともない。実際に見ればわかる、とカワムラさんが言った、とミミは言った。 なら実際に見るまで待っしかないのだろうとナカタさんは考えた。なんといってもそれがいちば りち んたしかだ。ナカタさんは地面から立ち上がって、草むらの中で立ち小便をした。とても長い律 儀な排尿だった。それから空き地の端っこのあたりの、なるべく目につかない茂みの陰に腰を下 ろし、その奇妙な男が姿を見せるのを待ちながら午後をつぶすことにした。 待つのは退屈な仕事だった。その男がこの次いつやってくるか見当もっかない。明日かもしれ て、つい ないし、 1 週間後かもしれない。あるいはも、つ一一度とここには現れないかもしれない そしやく 143