ける場所を設けることが、私を普通の生活に戻けてくれた仲間がいた。ものすごくうれしかっ たか、これまでお互い会ったこともなく、だか す唯一の手段だった。そして、それは今も続い ている。でもポジテイプに考えると、自分自身 ら思いきり「私は過食嘔吐です」ということが できた節もあるのに、実際に会えるだろうかと を認めてもらえる、もう一つの場が持てている い、つ不安でいつばいになった。でも仲間とい、つ のだから、今はそれを一番に考えるようにして いる ものを知って三年、今度は仲間に会ってみたい という気持ちが少し出てきていた時期でもあっ た。そしてオフ会。三人の仲間が集まってくれ ⑩仲間について。 たが、どの方とも初対面だったのに、なぜか懐 七年間、自分の障害をひた隠しにしてきた私 にとって、仲間との出会いは一つの大きなター かしい気持ちでいつばいだった。仲間に会えて、 ニングボイントだった。アディクション持ちの ほんとによかったと、心の底から思った。そし てそのうちの一人が、 Z に連れていって 本当の気持ちは当事者同士にしか分からない。 くれた。みんな、温かかった。だれも私を異常 仲間との出会いは新たな世界の展開だった。自 助グループにつながって、決して積極的な会員者扱いしなかった。仲間につながれたことに、 ではなかったが、 本当に感謝した。 何かのときには自分を吐き出 せる場がある、と思うだけで救われた。 それから三年後、メーリングリストで一時帰回復を選んでどう変わりましたか ? 国のことを書いたら、オフ会をしようと持ちか 「回復したい」という気持ちで自助グループ 139 仲間と出会って楽になれた
ル乂。 3 ア一ナイクションにはまったきっかけは ? 夫との出会い。夫と交際しながら「この人は 私がそばに付いていてあげなくちゃあ、・」と思 うようになったことが、人間関係の依存 ( 共依 存 ) の始まりだったように田 5 います。 ④ < O を自覚したきっかけは ? カウンセリングを始めて半年くらい過ぎたこ ろ、カウンセラーが「あなたの参考になるかも しれないから : : : 」と言って <O に関する資料 を渡してくれました。 6 あなたにとって「底付き」とは ? 六年くらい前、今のカウンセラーとの出会い が私にとってのターニングボイントだったと思 います。それまで四年間地元の精神科に通院し ていましたが、 ドクターとの関係はだんだん悪 くなり、も、つほとんど話かできない状態でした。 し - し / 、、 . っ 薬をもらうためだけの関係といっても、 いなのに、「薬が効かない と言っても何もし てもらえませんでした。毎日毎日苦しくて、頭 の中は「死にたい思い」でいつばいでした。真っ 暗な迷路の中で身動きできずにうずくまってい る感じでした。藁にもすがる思いで出かけたカ ウンセリングルームで、生まれて初めて私の話 を百パーセント肯定して聴いてくれる人に出会 いました。そのカウンセラーとの出会いが私に とって回復に向かうためのスタートラインだっ たと思います。 6 援助者に対してどのように感じますか ? 以前 ! こ通院していた地元の病院のカウンセラー やソーシャルワーカーは「 <0 ってなんですか ? 」 と私に聞いてきます。援助職なのに今時この程 川 9 仲間と出会って楽になれた
・アイドルだと思ってた。でもそれは、幻想だ と知った。 ( ゅうか ) ました」とレス ( 返事 ) をもらったときは、じ】 んときましたね。掲示板の常連には独身者が多 く、私のような子持ちの母親は肩身の狭い思い をしましたが、 ママネットと出合い、私の境遇 に共感してくれる人がたくさんいてとてもうれ し / 、田ハい亠ました。 ( いかさき ) ・正 ~ 旦一言って、仲間はよいことだけじゃない ほかの人間関係以上に苦しみを与えられる。で も、同じ生きづらさをもっ仲間だから、その言 葉や行動に腹が立っても、本人が一番つらいの だと思う。病気や薬がそうさせているのかもし れない。すべてを受け入れて、仲間の幸せを願 しチ / し ( 花 ) ・初めて仲間とつながったのは、ある本に載っ ていた自助グループに、勇気を出して電話した ときだった。その仲間は、私の気持ちをよく分 かってくれたのだが、知り合ったばかりの顔も 知らない人を、そんな商単に仲間と田 5 って ( 信 じて ) よいものか、と抵抗があった。 その後会報への投稿や文通などで、会ったこ とがなくても信頼感は増していき、いまは同じ 「回復を目指す仲間」と思、んるよ、つになった。 やはり、同じような症状を持っ仲間同士、気持 ちも通じ合いやすく、つらいときにも気持ちを 受け止めてもらったりできる大切な存在となっ ている 傷をなめ合、つのではない。お互いの回復を願っ て一緒に歩いていけるのが仲間。もし病気が治っ ても、一生友人としておっきあいしたいと思う。 病気にならなかったら出会えなかった人たち。 これは病気になって良かったと思えることの一 151 仲間と出会って楽になれた
私がいてもいい場所なんだ」と思えてきて安心 ⑩あなたの「しごと」について。 一応、「家事」が私の仕事だと思っています感を感じることができました。帰り際に、そこ で初めて会った人が握手の手を差し出してくれ か、これはも、つ・本立ョに . 何企・もの間、田 5 、つよ、つに て、私もためらわずにそれに応じることができ はできていません。たぶん普通の人の三割くら ました。その時とても温かい気持ちになれまし いしかできていないと思います。このことを考 た。こういう気持ちを少しずつ積み重ねていく え始めると自己嫌悪のドッポにはまって出られ 一」と」刀・ 4 卩ー 中司の中で回復するということなのか なくなるので、今の私にとって一番大事な仕事 なあと田 5 いました。 は「今日一日を生きること」、これを積み重ね ていくことだと田 5 、つよ、つにしています ⑩回復を選んでどう変わりましたか ? 変わったことⅡ頑張らなくなった。自分を少 ⑩仲間について。 しずつ肯定できるようになってきた。苦しいと 自助グループのミーティングや会報、電話相 談、インターネットなど今までいろいろな方法 きに援助を求められるようになった。 で仲間と出会ってきました。そのほとんどは自 変わらないことⅡ将来 ( 未来 ) に何の希望も 持てない。死にたい。 分で探し求めたものです。初めて自助グループ のミーティングに行ったときのこと。最初はと ても緊張していたのですが、ミーティングが始の今日一日。 まってみんなの話を聴いているうちに「ここは 朝寝坊して、子どもを遅刻させてしまいまし 113 仲間と出会って楽になれた
顔をおがみに、ちょっくらいつものミーティング場に足を運んだりして、平安に元気だ。 仲間、今自分が「いる」ということ、すべてがいっかは終わるということ。 孤独、自分の存在の否定、居場所のない苦痛が永遠に続くというとらわれ。 初潮が始まる前に感じた、私がいることの痛みと、生きのびるため選んだ「酔いーを手 放して、もう数年たつ。 子どものくれた一一一一口葉。 「死ぬの嫌ゃな—」 彼の言葉に、私の胸は満たされる。 ともかくこの瞬間は、私のように小学生のころから自分の継続にうんざりしてしまわな かった彼とともに生きる幸せ。 彼と出会うために生まれた私がいなかったら生まれていなかった彼と、残りの人生の最 初の今日を過ごせる sobriety 仲間に感謝。仲間と会わせてくれたハイヤーパワーに感謝。 91 あなたは独りばっちじゃないよ
⑩あなたの「しごと」について。 楽しんでやれるようになりました。絶対に付 き合わないと思っていた人とも、少しすっこち らから近づけるよ、つになりました。 の今日一日。 これを書いていて、心地よい日でした。 ⑩仲間について。 しんどい中でも生きていた仲間に出会えた時五年後のあなたは ? とても、つれしい、私は独りではないことを実感 今が精いつばいなので考えられないけれど、 できます。 もっと穏やかに物事を見られるように、そんな 五年後の自分になりたいと思います。 回復を選んでどう変わりましたか ? 頑張らなくなって休息が取れるようになりままだ仲間につながっていない人に一言。 いっかあなたに会いたいと思っています。きっ した。人の評価は気になるけれど、自分が心地 よければ、そんなことはど、つでもよくなってき AJ いっ , か たし、人の世話役は好きだけど、適当なところ で切り上げることかできるようになりました。 気に入った人にはしがみつきやすいけど、その 前に一呼吸入れるゆとりもできるようになりま した。場の中心でいないとやつばり寂しいのは、 変わっていないようです。 129 仲間と出会って楽になれた
コラム 仲間とともに 私がママネットとかかわりを持つようになったのは、「あんふあんて」という母親グルー プの広報からだった。人間不信の私は、孤独な育児の中、藁をもっかむ思いでママネット とつながりを持った。暗闇の中のトンネルを歩いていたような私は、ママネットの会報で、 私と同じように苦しんでいる仲間を知った。「私だけではないんだ」と思った時、会った ことも話したこともない人々が、私の仲間になった。「独りじゃないんだ」。こう思った時 から、私の回復が始まったような気がする。 苦しい胸の内を会報にたくさん書いて、私は癒された。ミーティングに出席して、苦し いことをいつばい話して、人間不信も癒された。人間関係が下手な私でも、無理して合わ せる必要がなくなった。私は私のままでいいんだと思えるのも、ママネットの仲間がいて くれるから。自分の生活、自分の時間、自分の仲間、どれ一つ欠けても私でなくなってし まう。毎日、自分の大切なものを大事にしていくことに、エネルギーを使っています。こ こまでくるのは苦しかった。この先も、苦しいことがあると思うけど、仲間がいてくれる ( とまと ) から大丈夫だと思、つ。 1 15 仲間と出会って楽になれた
ター、不ット上でしか知りムロ、つことかない 、いに残っている言葉は、自分がホームページを 作った時に、私のことを「人間を愛している人 の言葉を使、つ人だ」という表現をもらった。自 分のことをそれまでは人の揚げ足を取るような 言葉にうるさいとしか考えていなかったので、 ( 。 c ) 目から鱗だった : ・まだ、そういう仲間とあまり出会っていませ ん。私のような、中年になって気付いた < O の 女性と知り合いになりたいと思いますが。 ( >-u ) ・仲間に出会って私の人生は変わりました。私 は独りで悩んできた時期が長かったので、自分 と同じような経験をした人と話してみたいと思っ ていて、自助グループに行くことでその願いが かないました。仲間といるときが一番楽しいし 落ち着ける。仲間を通して人間関係を学び、ほ かの人との関係もスムーズになった気がします。 155 仲間と出会って楽になれた
・ネット上で <O を知った時は涙が止まらなかっ たいいんだよ、いいんだよと、背中をさすら ( たがん ) れるような気持ちでした。 ・自分だけじゃなかったという、安心感。 ( どら ) ・うれしいしその人の言っていることがすごく 共感を持って聞けます。そうすることによって 相手が喜んでくれることがうれしいし自分が認 めてもらえているような気になれる。自分の言 、つこと深くうなずきながら聞いてくれて安心す る。 夫はもう私の口上は聞き飽きたといった態度 をとることもしばしばです。それは当たり前 <0 は不条理なことを相手に求めがちだから。 そこまで分かっているのですごく自分が追いっ められるときかあります。そういうときはすご ( 鏡花 ) くこ、ついう仲間は大切です。 ・正直言って、うれしかった。いい大人になっ て母親からの愛情を求めている人の正直な気持 ちを知って、同じよ、つに悩んでいる人かいるこ ( c 0 3) とにほっとした。 ・うれしかった。現実のだれもがわたしを嫌っ ていると思っていたときに掲一小板の仲間は優し かった。、 しつもパソコンの前で泣いていた。 ( かめたろう ) ・まだ実際に出会ってないので、身近にいたら ( やぎ ) ぜひ出会いたい。 ・初めて自助グループで仲間の話を聞いた時、 「皆一緒なんだ」と安心したことを覚えていま す。それからどんなに自分か恥ずかしいと思う ことでも、素直にロに出して吐き出していこう 153 イ中間と出会って楽になれた
につながったものの、現実には何も回復してい テップ記念日」は、ママネットに入会して仲間 ないので、何もコメントできない。でもいろん とつながった日。「第一一記念日」は、初めて仲 なことを考えるよ、つになったことは事実だ。 間と実際に会った日。そして今日は「第三記念 日」だ。回復までいくつ「独立ステップ記念日」 今日一日。 ができるか分からないか、すべて私にとっては もうすぐアメリカは独立記念日。全米中で花大切な日。今年の花火は、去年より一歩前進し 火大会が開かれる。このアメリカ版花火大会も、 た気分で、日本を、私自身の将来を思いながら 今年でもう五回目になった。どこでもそうだが、 見物するだろう。 「星条旗」の音楽をガンガン鳴らし、派手な花 火をバンバン打ち上げる。それはそれで見事な 五年後のあなたは ? のだが、 自信はないか、主人へのカミングアウトを果 「たあまやあー ! 」的な花火や、大き な一発のあとの火の粉が散る余韻を楽しみたい たし、摂食障害も回復の兆しが見えているとい と思うのは、日本人の性なんだろうな。毎年、 いなあ。そして、新しいオーケストラも見つけ 日本がとても恋しくなる日だ。 て自分の時間を取り戻し、グリーンカードをとっ 今日は私にとって、これまでの自分を振り返っ て自分のやりたい仕事に就ければ最高です。 た文章を書き上げた初めての日。独立、独り立 ち、今日は私の一つの独立記念日、いや独立へ まだ仲間につながっていない人に一言。 のステップ記念日になるだろう。「第一独立ス 仲間と出会うことは、回復への第一歩だと信 140