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検索対象: 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ
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1. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

私が食事・洗濯などしなければならなかった。小学校 , ハ年の時と中学一年の夏休みのこと である。当時、私は母が家出したことを、何の感情もなしに受け止めるしかなかった。一 日中慣れない家事をこなしていた悲しい夏休みだった。私が後になって人間に対する嫌悪 感を強く抱くようになった原因は、両親の夫婦関係だったのではないかと思う。最初に見 た人間関係のモデルが夫婦げんかで、常に敵対するか、もしくは支配する人と支配される 人という上下関係しかなく、互いを認め合い共に楽しむという関係がよく分からなかった。 家庭の中には常に緊張状態の何かしらの問題があった。 結婚して、やっと機能不全家族の家からおさらばできたのに、出産して、子どもが成長 していくにつれ、自分の中にある機能不全家庭の記憶が頻繁に思い出されて、怒りを通り 越して信じられない気持ちでいつばいになる。 父のとった行動、母のとった行動、私が置かれていた状況。子どもが子どもとして安心 してすごせず、常に親の問題に振り回されていたあのころ。親になって子育てしていけば いくほど、私は自分の親のしたことが許せない。 同時に、自分は絶対にあんな愚かな親になるまいと思う。まさに私の親は反面教師なの かもしれなし しし手本を見せてもらって、同じようにしなさいとい、つのは簡単だけど、 こうなってはいけないという状况だけ教えられても、実際のところどうすれば幸せになれ

2. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

るのか分からない。だから、幸せな家庭像を勝手にどんどん膨らませてしまって、結果と ても疲れてしまう。 子どもを必要以上に怒ってはいけないとか、たたいてはいけないとか、子どもの前で夫 婦げんかしてはいけないとか、そういう「こうしてはならない的思考」にとらわれやすく なってしま、つ。 また、安心できる場所を持たなかった私が、どうやって子どもに安心できる場所を提供 してあげられるんだろうか ? 私は母親になるべきではなかったのでは ? 親から愛情を もらえなかったのにどうやって子どもにそれを与えられるんだろうか ? 等々。子どもの 要求に答えようとすればするほど、自分の中の小さな子どもが悲鳴を上げているような錯 覚にすらかられる。与えられなかったものを与えなくてはならないつらさというのが一番 だけど、ここでヘこたれるわけによ ーいかない。子どもの世話に休みはないし、家事も私 つらい時は、自分を見つめるチャンスだと思うように の代わりにしてくれる人はいない している。自分の感じたままを素直に受け止める。仲間に話を聞いてもらったり、別の見 方をしてみたり。そして、私は諸悪の根源である原家族との間に物理的な境界線をひくよ うにした。特に、共依存の母と接触を断つようにした。 57 あなたは独りほっちじゃないよ

3. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

母は私に安心できる場所をろくに提供できなかったくせに、孫ができるやいなや、自分 はしつかり子育てをしたと言わんばかりに、私にいろいろアドバイスをしてきたからだ。 母と連絡を断ってもう一一年以上過ぎたが、その間に私は第一一子を妊娠・出産した。妊娠中、 つわりがひどくて肉体的にも精神的にも本当に苦しかったが、母親だけには助けは求めま いと頑張った。産後退院してからすぐ家事を始めたし、ほとんどのことは自分一人でこな した。しんどかったけれど、母に手伝ってもらわなかったのは、親としての役割を放棄し た母への恨みがとても強かったからだと思う。そして、私の大切な家庭に入ってきて欲し くなかったからだ。 ある意味、私の親が行なった「反面教師的教育法 ? は、子どもの自立を促したかもし れない 私は親に助けを求めないし、依存もしない人間になったのだから。だけど、親子の間に おいて反面教師的な行動が教育になるのだろうか ? 親が子どもにしてあげられることは、 安心できる場所を提供してあげることと、楽しい思い出をつくってあげることではないだ 過去はどうであれ、これからの自分の人生をどうやって生きていくか。今、いろんなこ とを吸収するつもりで、自助グループに参加したり、子どもを介した人間関係にも積極的

4. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

るならば、「もう過去の自分じゃない。原家族を引きずって生きる必要はない。自分のこ とを考えてもいいんだ」ということです。 振り返ってみると、なぜ私が対人関係で悩み、自分を強く否定したのかが、父との関係 や家庭環境からきているのだということがやっと分かってきたようです。私の戸籍謄本を 父から見せられて以来、父は「あのころはこうだった」ということを折にふれて話してく れます。今まで私に対して「子どもだから言わなかった」事実を知ることによって、少し は父の事情を理解できるようになりました。さらに <O のことを知り、「私もこうだった」 と自覚することで気持ちがとても楽になりました。育った家庭環境のことで劣等感のかた まりになっていた私でしたが、今はそのことにとらわれる必要がないと分かったためです。よ や じ ち っ あ

5. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

ェイシー アディクション アダルトチルドレン ( <0 ) もともとは、 Adult Children of Alchoholics 嗜癖行動のこと。生きづらさや人間関係の困 Ⅱ「アルコール依存症者の家庭で育ち成人した難やストレスの多い環境にいることから、何か 人」という意味。アルコール医療の現場で、アにのめりこんでまぎらわそうとすること。単な ルコール依存症者の家族を援助する人たちからる楽しみや気晴らしの域を越えてひどくなると、 生まれた概念。定義が、アルコールだけでなく生きづらさや人間関係の悪化や心身の不調が現 しへき 仕事などほかの嗜癖に対して広がった結果、 A れる。物質嗜癖 ( アルコール、薬物、ニコチン ult ChiIdren of DisfunctionaI family= 「機など ) 、プロセス嗜癖 ( 仕事、ギャンプル、摂 能不全家庭で育った人」という概念も生まれた。食障害、買い物、繰り返される暴力や性的逸脱 自分の現在の生きづらさが、育った家庭に起因行動、宗教など ) 、関係嗜癖 ( 破滅的な異性関 することを認め、自分の生育歴の意味を再編成係、人の問題に集中しその人生に侵入する共依 していくことによって、自分の人生を自分の手存など ) の三つがある。 に取り戻して成長していくためのキーワード。 医学的な診断名ではなく、自分を <0 と認めたアラノン家族グループ ( <—l ー <ZOZ ) 人が <0 と自称する。 十二ステップを回復のプログラムとする世界 0000 説 五ロ 用

6. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

朝幸せだなって思うことは ? と感じる。 アディクション、 << O を自認するまで、自分 はとにかく「きちがい」だと田 5 っていた。でも ⑩あなたの「しごと」について。 自認することで、少しは自分自身を認めること 私はずっとワーキングママである。渡米して かできるようになった。回復まではまだまだ遠 最初の二年は、労働許可がなかったので働けな かったが、 いけど、親にとって良い子である自分でなく、 それ以外はずっと仕事を持っている。 自分にとって満足できる自分というものを考え ただ、現在の仕事は本意ではなく、たた経済午 るようになった。それは原家族の中で育ってき理由のみである。私は欲張りなようだが、いろ た過程も含めて考える機会がずっと増えたと思 んなシーンがないと潰れてしまう。家庭、職場、 、つ この全く違う環境を強制的にセットアップする 当たり前かもしれないが、母は私を愛してく ことで無理矢理かもしれないけど、自分の日常 れていたのだと思う。決して贈くてああいった をこなすことができる。 育て方をしたわけではない。ただ、その方法が 一一年ほど専業主婦をした時、最初は慣れない 若干よくなくて、こんな <<O で依存症の娘に育っ アメリカ生活をセットアップするという目標が てしまったが、 それでも母の愛をあらためて感 あったからよかったのだが、 それも落ち着いて じることはとても多く、感謝している。以前、 しまうと、今度は一日中過食嘔吐に明け暮れた。 母にこんなに感謝することはなかった。母に愛 心身ともにばろばろになった。別に仕事・でなく されて育ったことを再認識するたびに、幸せだ てもよかったのだが、強制的に家庭以外に出か 138

7. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

にかかわっている。いろんな人との出会いは、自分の中に凝り固まったゆがんだ自己像を 少しずつ変えてくれるような気がする。これは、子どもがくれたチャンスなのかもしれな 。人によって傷つけられたなら、人の中で立ち直らないと前に進めないような気がする。 私は、子どもの存在によって、 <0 を自覚した。子どものためにも、これ以上親の問題 を背負い込みたくなかったので親との間に境界線をしつかりと引いた。そして、今、子ど もと夫と共に〃新しい家庭″を築いている。子どもの成長を見ながら、私も成長していけ たらいいなと田 5 、つ。 59 あなたは独りばっちじゃないよ

8. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

: ア、、、コ したことのないケンカを夫としたのがきっかけだった。当時子どもは〇歳九カ月。泣き 続ける子ども、夫の何もかもが腹立たしかった。私はただしんどくて、つらくてそこいら じゅ、つにあるモノとい、つモノをけとばし、投げつける毎日だった。 その少し前、ある電話相談で最近「アダルトチルドレンの本が出ていることを聞いた。 その本を買い読んでみると、私が人間関係がうまくできないというのは、ひょっとして私 もこのアダルトチルドレン、いわゆる <O なのだろうか ? 疑問を残しながらある自助グ ループにつながった。そして、医療機関にもつながった。 そこで親との関係を探り始めた。すると自分でも驚くほど親への怒りが出てきたのだ。 今まで私は子どものころから良い両親に恵まれ、幸せな家庭で育ってきたものとばかり思っ 子育てと回復

9. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

- 自分が人生の主役に ナッコ 私が <0 を自覚したのは、関西から夫の田舎がある関東に嫁いで四年目に、夫から離婚 を宣告されたのがきっかけでした。一年近くの半別居生活を経た後、子どもを連れて実家 へ戻り、しばらくしてやり直すために関西へ来た夫と、実家の隣に移り住んで、今は一一年 半が経ちます。 実家に戻るまで、私は、夫にいた女性の存在を責め、仕事や家庭、夫の家族との関係に おける夫の役割を、こ、つあるべきと批判し、夫をコントロールしよ、つと躍起になっていま した。実家に戻り、母の手配した家に住んで、ようやく親との関係、そして私の中にいる 親の存在に目を向けることができたのです。 自分が <0 なのだと気付くまで、「娘の出戻りを夫の不倫という状況で仕方なく受け入

10. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

聞いてみたこともありましたが、 母は、「いつばいお酒を飲んだら早く眠るからいつばい 飲ませているんだよ」と言いました。 こういう日々か小さいころからずーっとで、ビクビクして生きなければなりませんでし た。私には妹がいます。妹と二人いつも、親の顔色をうかがって生活していました。気が ついたら妹と私は、「共依存ーの関係になっていました。何を決めるにも妹に返事を求め ました。大人になり彼氏ができてからは、共依存関係の問題をそのまま彼氏にぶつけまし た。彼の仕事、お金の管理、友だち関係など行動をすべて知らないと気が済まなかったの です。自分のいないところで相手が何をしているのか、不安で仕方がありませんでした。 ほとんどストーカーまかいのことをしていたのではないかと思うくらいです。 でも、夫とはちゃんと結婚できたのでラッキーでした。子どもができ、「最高の幸せ - と思っていました。しかしそれもっかの間で、子育てや夫との関係について自分の理想と . し、、つつ病になってしまいまし のギャップにしんどくなりました。すべて崩れたように田 5 、 た。そんなときは、子どもが邪魔な存在にしか思えませんでした。医師の診断書によって、 子どもを保育所に預けることができました。今思うとゾッとするのですが、あのまま子ど もと一緒にいる状態だったら、子どもを殺していたかもしれません。 幼少のころ機能不全の家庭で育った子どもが大きくなると人間関係に支障が出るという