独り - みる会図書館


検索対象: 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ
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1. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

いをさせてしまった」と心からそう言った。にもかかわらず、私は、次第に夫への怒りで どうしようもなくなっていく。その同じ相手に、自分のこれまでにあったつらい出来事を 話し、しかも共感を求めるとい、つやっかいなことを私はしていた。最後はけんかになり、 知り合ってからこれまでのお互いの非を洗いざらい出し合っては、くたくたになっていた。 私はほかのやり方を知らなかった。 <O の 夫には拒否感を募らせてしまうだけだったが、 話を持ち出したのもこの時期で、理解されなかった ( それは今でも続いている ) 。同時に自 分の評価を全面的に夫の言動にゆだねていた私は、自分が夫に怒りを持って投げつけた言 葉を棚に上げて、自分はもういらない人なのだと思った。かといって、独りで生きていく 気力もなかった。能力もない。 ちょうどその時、読んでいた本にミーティングのことが書いてあり、私はこれしかない と思った。子ども二人の預け先を探し回り、預けたい理由をどのあたりまで先方に言えば いいのか迷って、 <0 ・アディクション関連の電子会議室で相談した。仲間から返事をも らい、後押ししてもらった。 今でこそ、「仲間」と抵抗もなく書けるし、必ずしも仲間Ⅱ仲良しではないことも知っ ている。が、当時は、お互いを仲間と言い、親しげに話している様子を横目に私は思いっ きり疎外感を感じていた。「自分の居場所は自分で決めてもよいーと実感できるようにな 51 あなたは独りほっちじゃないよ

2. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

兀璧にやろうとしない 私は妊娠六カ月くらいの時にパニック障害という病気にかかり、出産後子どもの面倒は すべて私の母に任せていました。 臨月に突然、 ートナー ( だんなさん ) が仕事を辞めると言い出したり、妊娠中にいた わってくれることもなく、子どもをかわいがることもありませんでした。パニック障害と 言われたのは産後三カ月の時思い切って神経科に行った時のことでした。症状は発作がい っ起きるか分からないという予期不安と、発作が起きた時、気がおかしくなりそうになっ ・ : などです。電車やバス たり、吐き気、めまい、腹部の不快感、じっとしていられない : にも乗れませんし、美容院に行くこともできません。一人で家にいることもできません。 だんなさんが仕事に行ってから赤ちゃんと二人きりでいることができず、帰ってくるまで 65 あなたは独りほっちじゃないよ

3. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

⑩あなたの「しごと」について。 楽しんでやれるようになりました。絶対に付 き合わないと思っていた人とも、少しすっこち らから近づけるよ、つになりました。 の今日一日。 これを書いていて、心地よい日でした。 ⑩仲間について。 しんどい中でも生きていた仲間に出会えた時五年後のあなたは ? とても、つれしい、私は独りではないことを実感 今が精いつばいなので考えられないけれど、 できます。 もっと穏やかに物事を見られるように、そんな 五年後の自分になりたいと思います。 回復を選んでどう変わりましたか ? 頑張らなくなって休息が取れるようになりままだ仲間につながっていない人に一言。 いっかあなたに会いたいと思っています。きっ した。人の評価は気になるけれど、自分が心地 よければ、そんなことはど、つでもよくなってき AJ いっ , か たし、人の世話役は好きだけど、適当なところ で切り上げることかできるようになりました。 気に入った人にはしがみつきやすいけど、その 前に一呼吸入れるゆとりもできるようになりま した。場の中心でいないとやつばり寂しいのは、 変わっていないようです。 129 仲間と出会って楽になれた

4. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

食べ物への執着が止まらない私に、あのころのカレシは「人間的に欠けている」と泣き ながら言った。だけど涙はカレ自身の寂しさだったのかな。埋まらない距離を、「どうせ ニンゲンテキニカケテルんだし」と放棄する。絶望は、日々を続けていくのを苦痛にし、 小さな死へのためらいは、泥のようなプラックアウトの繰り返しに変わる。 小学三年生の午後、保健室の正露丸とビオフェルミン、家の戸棚の胃散と痛み止めで自 殺しようとした。先生の血相変えた顔の前で言い訳をひねりだす。友だちに「死ぬつもり だ」と言ったつけ ? 「腹が痛いから薬を飲んだだけ」とすましてでっち上げると、困惑 した顔の先生と友だちの姿が遠く見えた。 クな秘密を抱えて、少し楽しい ふくびくう 二十七歳の冬、クスリでがんがんする頭を抱えて耳鼻科に行くと、私の副鼻腔は中学生 のころから育っていないということだった。だから調子か悪くなるのだという医師の言葉 に、自分の「欠け」を突きつけられたような気がして、完璧でなかった自分への海しさに、 ばりぞうごん 「キライ、ザマミロ、ケッカンニンゲンと罵詈雑言をあびせかける。 89 あなたは独りほっちじゃないよ

5. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

は戻らない。自分でもよく生きてたもんだと思う。 私が今欲しいのは平凡な幸せ。昔は平凡な幸せなんてつまらないと思っていたけど、今 は違う。休みの日には家族で公園に行ったりしてのんびりした時間を感じたい。過食では なく本当においしいと感じながら食事がしたい。自分の趣味を、過食に費やしてた時間の 代わりに楽しみたい。過食のことなど考えすに人と会ったり旅行したり。そして子どもの 可愛さを楽しみたい。子どもはそのうち大きくなって離れていってしまうし、子どもにア ディクションは絶対に継がせたくない。 これらはみんな、自分を大切にできた上で成り立 っこと。まだまだアディクションは手放せそうにないか、真っ暗闇のトンネルにずっとい たのがひと筋の光が見えてきた感じ。 ここまで来れたのは私の周りにいてくれる人たちのおかげ。私の家族、妹たち、心理の 先生、大好きな仲間 みんな大切な人たちです。でも、回復するまでもう少しかかり そうだからどうかこれからも見守っていてください。どうか側にいてください この本を手に取り、今も独りで抱えている方、どうか独りで苦しまないでください。と ても勇気がいるけれど、一歩踏み出してみてください。独りで抱えるにはつらすぎるから。 一緒に歩いていきましよう。この本が、一人でも多くの人の回復への第一歩となりますよ うに。私と仲間の回復、みんなの幸せを願って : 73 あなたは独りばっちじゃないよ

6. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

コラム 「ニキビつぶし」と「筋トレ依存」と過食嘔吐 「ニキビつぶし」を好む人が依存症者に多いと聞いたことがあります。過食嘔吐歴十三 年三児の母である私も、学生時代に鼻の毛穴しばりにはまり、今ではかなりの数のクレー ターが残ってしまいました。皮膚の内側から白いかたまりがプチッと出てくる央感 : これもアディクションの一種と考えるなら、中・高校生のころ、受験勉強の合間にニキビ つぶしゃ毛抜きをしていたのが始まりのように思います。 中学生のころ、陸上部で砲丸投げを始め、冬はスピードスケートをしていたので、筋ト レとして鉄アレイやゴムチュープで鍛えていました。ボディビルダーのような身体にあこ がれていて、自分の腹筋に力を入れて見とれていました。体を鍛えて自分をいじめるとい うのは一種のアディクションのようなものじゃないでしようか。無ロな父は <O と田 5 われ るのですが、彼もアルコール依存症で筋トレ依存です。重量挙げをやっていて、家での姿 は酒飲んでるか鉄アレイ持ってるかでしたから。 中二で拒食になりました。一番であることにこだわっていた私は、マラソン大会で勝っ ためにダイエットを始めました。朝抜き、昼おかずのみ、夜食べたふりしてゴミ箱に捨て

7. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

とホッとしたのを覚えている。 母がいなくなった後、私は長女だからしつかりしなくちゃと気合いを入れていた。家計 簿を渡され、家計も任された。高一の私。朝学校へ出かけ、部活に出て帰りに買い物をし て帰ってタ食作り、そのあとバイト。今思うとよくやってたなあと思うのだが、そんなに 頑張っていても、「これじゃあだめだ。まだまだ頑張らなくちゃ」という思いがあって、 でもどこまで頑張ればいいのか分からず、ただ必死だった。 それは何でかというと、そんな私を認めてくれる親がいなかったから。父は認めるよう な言葉をかけてくれたことはない。認めるどころか否定ばかりだった。ファミレスでのア ルバイトも「しよせん水商売だ」と。その水商売で稼いだお金で専門学校へ行き、バイク も買ったのに。それに何か一つ言うと何倍にもなって返ってきて、それが絶対の真実だと し、冫し力、どんなに汚いことをやっている人間か 錯覚させられる。大抵は、世の中どんなこち ) 多いか、こんなに苦労があるんだとかで、私は、「どうしてこんな苦しい世の中なのに生 きているんだろう : : : 」。そう思っていた。そのころの私は常にやせていないと楽してる と思われるんじゃないか、またやせていればみんな「大変ねえ」と言ってくれるから、太 ることを異常に恐れ、そして過食嘔吐を覚えた。 こんな私でも結婚して子どもが生まれた。幸せになるはずだったのに、初めての子育て 71 あなたは独りばっちじゃないよ

8. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

万ほども費やし、共依存に陥った男性には乗用車一台分くらいの金を使っている。決して 豊かな生活じゃない。今となったら悔やまれる、それら。私の生きづらさの大元は何だろ 、つワ・・ 私は、「もう戦後ではない と言われた一九五五年に、二人姉妹の姉として生まれまし た。商売が忙しく放ったらかしで、よく死なずに育ったもんだと言われました。父は、か んしやく持ちで突然怒り始めます。面白くて男前でやさしい兄のようでご自漫だった記憶 もあるのに、私が小学校中学年くらいから 、ハッキリと妹だけを可愛がるよ、つになりまし た。人形のように可愛らしかった妹。私は寂しさや理不尽さを感じ、外観の美醜の価値を 嫌でも学習させられました。「妹だけひいきしている ! 」という私の必死の抗議は、無視 され、ときに暴力でロ封じされました。熱い痛み、くやしさ。私は布団の中で泣きながら ~ 授ることか、よくあったよ、つに田 5 います。 母はいつも知らんふりでした。妹への嫉妬心は強く、四十歳を過ぎてようやく心を開く ことができるようになったのも、一時の険悪さからすると奇跡に近いです。母は、アルコー ル依存で自死した父としつかり者の母に育てられています。きっと彼女も同様の育てられ 方をしていたのだと推測されますが、身体不調などで看病してもらったことも心配しても らったことも一切、記億にはありません。 77 あなたは独りばっちじゃないよ

9. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

あなたは 独りばっちじゃないよ

10. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

るようになりました。六十八キロから五十八キロに落ちアバラ骨が背中から浮き出て見え るようになりました。私はこれ以上に落ちたことがないのですが、骨が太いんでしようね。 やせたおかげでマラソンは二位でした。目標を達成した私は過食へと転じました。休んだ 人の分までパンを食べ、仏様のお供えものをあさりました。部活を引退し、受験勉強のス トレスがたまるようになったのを食べ物で埋めていたのかもしれません。高校生になって 部活を始めると、また体鍛えに移っていきました。この筋トレ依存は、大学でつき合った 男が女らしさを押しつけてきて終わり、かわりに過食嘔吐が始まっていったのです。 自分の生き方を振り返ってみると、容姿にこだわってばかりいたようです。外見を気に 人からどう思われる するのは <<O の特徴の一つらしいですからもっともなのですが : かじゃなく、自分自身を大切にするよう心がけています。しかし、子育てや人間関係のス トレスでつい過食や酒に走ってしまいます。朝早く起きてのんびり一人の時間を過ごすの が、今の私の一番の幸せかな。朝だけはアディクションにはまらずにいられるようになり ました。独りで悩んでいた時期は、目覚めれば何かしらつめ込んで吐いていたから、ちょっ とは良くなってきてるのかなと思います。思ったことを吐き出せる場や伸間の存在に感謝 です。過食嘔吐はまだ手離すことができません。でも、少しずつ自分を大切にする時間が 増えていったら、頼らずにいられるようになるんじゃないかと思っています。 13 あなたは独りばっちじゃないよ