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検索対象: 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ
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1. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

ことと一番になることがとても大事と教えられた。友だちづきあいを親密にもてていたな ら、もっと ( 遅、つことを思ったろ、つ。クラスメートは田 5 春期に悩む。それか、私には、つつと おしい。受験勉強には人とのかかわりや悩むことはかえってじゃまだ。家の手伝いは禁じ られ、私のものは母が管理した。自分の意見など、持たないほうが楽なのだ。「ちゃんと した家では将来は親が決めるもの。あなたは医者になるのかいい 頭の中で声が聞こえ る。「それくらいでいい気になるな。もっと努力しろ。ほら、好かれるようにちゃんとや らなきや」 ほんとはそれが、いやでたまらなかったのか、十七歳で母の手づくりの食事を吐きもど よ し始めた。げろげろ、がりがり。不登校、連続過食嘔吐、そして、精神科への強制入院。 「治らないでしよう。廃人になるかも。さくのはまった病室。あたしは大人の一一一一口うことをな ド ) 守って、我漫して我して、もう限界がきただけだ。「もう、いやー」。ばくばく。げろげ ち っ ろ。 独 母子力プセルの中で、母と娘が絶望からお互いに死ねば、 しいという時期が数カ月続いた。 私は衝動を抑えることが難しく、対物暴力に走った。信用を失っていった。 あ 精神科に入院することはそれほど私を傷つけた。それは、病院で、自分が就くべきと思 わされていた職業の実態に触れ、そこで研究材料にされたと思ったこと、そして精神科に

2. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

どうして私は消滅したかったのだろう ? どうしてだれも何も一言わなかったのだろう ? 翌日まで、薬臭いげつぶをし続けた私は、「小学生の心の闇」なんて陳腐な言葉を今思 う。暗闇なんてあったんだろうか。都会の秋の空のように、ほんやりくもった白い空間だ けが思い出を形作る。 なくしていたのは、だれかと向かい合って話してみる柔らかさだったのかな。 土′、ら・もと あんど 十年後、今度は死ねる薬を多量摂取して、病院で目覚めた私の枕元に困惑と安堵の混 じった顔の母と、べッドからわき上がっては床に流れ落ちる古いアナーキズムの本の幻覚。 「腹が痛かった」の言い訳が通用するはずもないので、空間を埋めるために黙っている。 小学校の保健室と、東京の救急病院が、ねじれたひもでつながっているような夏。クー ラーをつけると寒気がして、止めるとじっとりと汗がしみた。 三十になったら死のうと思っていた十五の私は、三十をとっくに越えて死にぞこない人 生をおだやかに継続する。神経の切れた左手や、入院以降もの覚えの悪くなった頭で振り 返ってみると、いろんなことがあったのかなあと思う。でも、今日一日、気楽に、仲間の

3. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

かかることに対する自分自身の偏見、さらには入院中のほかの患者との関係や感清に巻き ハニックになった私 込まれるなど他人との境界線のあいまいさかかかわっていると思う。 はまるで悪者だった。入院自体がトラウマになり急性トラウマ反応におそわれていた。そ れに対するケアが約 , ハカ月十分になされていれば、記憶の処理がなされ、その後の人生を 危うくはしない。が、その機会は逸してしまった。その後、東京のある治療者に出会い、 上京を勧められた。東京に行くなら、東大合格が母の意向だったがムリだった。 東京の大学にも合格したが、よりへンサチが高く自分があこがれた関西の大学にも合格 した。カウンセラーの勧めに反し関西に行く。自由とは、主体性が育っていなければ、苦 痛でしかない。安全なはすの環境が、トラウマの影響で危険に満ちた場所になる。私は自 、。五ロれないこと、語る昜所をもたないことで孤立して 分に起こったことを忘却し語れなし言 く。拒食、過食嘔吐、やせによるばけ、病院でのつらさ、引きこもり。自由な学校だっ たので出席が少なくとも単位が取れた。大学生活を送るため、母のケアは続く。それを、 母が望むなら、私は命をかけてやりとげないと。母を守らないと、あたしの居場所が壊れ ちまう。学歴という記号は、自できる子という幻想を保っために家族にとって必要とさ れた。また一方で私は、「すべては病気が悪く、私が悪い」と信じ、そして家族中がそう 信じている雰囲気の中で、家族の問題にふたをすることができた。

4. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

一週間後に引っ越しという時にも飾った、七 首や手を回転させたり、背筋を伸ばし屈伸運 段飾りのひな人形です。「ひなの宵には不思議 動をしたり、自分でやれそうな二、三十分くら なことが起こる」と教えてくれた祖母の一言葉が、 いの軽い体操をして、気分を変えてみたりしま す。 今でも耳に残り、動き出しそうなひな人形をド キドキしながら毎年飾ります。箱から出したと きに香るナフタリンのにおいが懐かしく、大切 酔い ( 依存 ) を手放すことについて。 に抱きしめられているような気がします。 苦しくきっかった。病院に飛び込み助けられ きついのは ました。「やつばり生きていたい、 もういやだ」と思った時、手放せたような気が⑩安心する一言とは ? します。 「よくここまで、やってきたね」。今までの努 力が報われるような気がして、うれしい一言で す。 今の楽しみとは ? 歴史の本をみたり、時代小説を読んだりした ときに、その場所が今どのようになっているか朝幸せだなって思うことは ? 病気で入院している時に、管を通して排泄し を地図や旅行の本を見ながら確かめてみること。 た経験があって、それがつらかったから、トイ 時代を越えて旅した気分になれます。 レに入って出すもの出して、ホッとする時です。 大切にしていること ( もの ) とは ? はいせつ 128

5. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

ていたのだ。そんな私にとって親への怒りは衝撃的であった。 私の両親は厳しかった。とくに父はしつけと称しよくたたいてきた。小さなことでも大 げさな怒鳴り声をあげられると本当に恐ろしく、次第に私は自分の存在そのものが悪いか ら怒鳴られたたかれるのだと思うようになっていった。私はもっと両親に優しくしてほし かった。良い子を演じている自分ではなく、あるがままの自分が受け入れられているとい う実感が欲しかった。私の気持ちを知ろうとさえしない両親の下で、私は感情を抑え、良 い子ロポットになるしかなかったのだ。 夫や子どもへの訳の分からない腹立たしさは、実はずっと隠れて持っていた小さいころ からためこんだ怒りたちだったのだ。 カウンセラーや電話相談で話しても、書いても書いても消えるどころか次々増えてくる んじゃないかと思えるほどの怒りたち。本人に言うこともできず、やり場がなかった。そ してイライラの代わりに私はうつ状態になっていった。育児はどんどんしんどくなるばか りだった。こんな人生を選んだ自分を憎み、自殺を考えるほどだった。子どもを道連れに 本当にやりかねない自分が恐かった。 子どもはぜんそくもあって神経質であまり寝てくれない子だった。今思えば私の調子が ひどく悪かったせいかもしれない。入院したこともあるせいかひどい病院ぎらいで、私一 37 あなたは独りばっちじゃないよ

6. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

するようになりました。でも太ることは恐布だったので、体重を管理するためにカロリー 計算をして、「守れた自分は偉くて守れない自分は駄目な奴」と自分で自分を分裂させて、 それをまた自分がほめたりいじめたりというようなことをやって暮らしていました。 大学受験に失敗し、親元を離れて姉と二人で暮らすようになりました。いままで我慢し て親につきあって日常生活をこなしていたのが、一気に動けなくなり一日の大半を寝て過 ごしました。 過食はエスカレートし、朝起きると近所の店が開くのを待ってパンやケーキを買い込み、 アパートに帰ってひたすら食べました。とても不安定なときは、電車の中でも食べずにい られなくて、人目もかまわず食べていました。 自分はおかしい、病院に行かなくちゃと田 5 いましたが、精神病院にはどうしても行けま せんでした。 そんな中で再度受験して大学に入り、食費のためにアルバイトを始め、そこで知り合っ た今の夫と結婚しました。夫には過食のことは言いませんでしたが、結婚したころから過 食は治まっていきました。でも生きることの息苦しさからは逃れられませんでした。 結婚したときも人並みの幸せを思いましたが、 妊娠したとき、こんな私でもお母さんに なれるんだとうれしく思い、完璧に子育てしようと決心しました。出産は夫の立ち会いの 15 あなたは独りほっちじゃないよ

7. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

司会ます、皆さんは、自助グループをどのアルコール専門病院につながってからです。 医者やケースワーカーに勧められたし、病院 よ、つにして知りましたか。 蒲田摂食障害と薬物、抗、つつ薬依存の蒲田仲間から自然に自助グループのことを聞いて です。一時、摂食障害関係の本をたくさん読知っており、自分の家から一番近いところへ んでいました。それらの中で Z<C< を最初通うようになりました。 に知ったと思います。自助グループにつなが蒲田妊娠中止まっていた食べ吐きが、ニュー るようになってからは、同じような仲間も周ジーランド滞在中にぶり返しました。それで、 りに増えてきて、自然にいろいろな情報が入っ友人に相談をしたら、現地で自助グループを やってる人に会わせてくれて、ミーティング てきました。 あお <O のあおです。本で知りました。当に向こうでつながったのが初めてだったよう 時は孤立していたので、自助グループがあるに思います。一度仲間と顔を合わせる経験を すると、道がついた感じで、日本に帰ってき と知って、い強く田 5 いました。 司会自助グループのミーティングに参加すてからもミーティングに参加しました。 司会向こうでとい、つと、英語のミーティン るきっかけは何でしたか。 リサ私は、「アル中じゃないかとずっとグに参加していたんですか。 悩んで本を読んでいたので、自助グループの蒲田そ、つです。言葉はもちろん難しいけれ ども、お互い同じ病気を抱えてることで共感 存在は知ってました。行くようになったのは、 160

8. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

・私は「アル中」で、酒をやめて三年になりま すが、「今日一日飲まないこと」が、出発点で あり、プロセスであり、ゴールであると考えて トに心の中身をぶちまける。そのときの自分に 素直に行動する。家事がたまっていても、外出 して気分を変えたかったらそうする。 ( のーら ) ・私が持つアディクションで、物質的なのは、 「過食ーです。むかついたり、つらくなると自 分の気持ちを殴り書きします。できないときは、 お手軽な「甘い物食べ ( 私の場合は大半はチョ コかなあ ) 」に走っちゃいますが、自分のキモ チを文字にしてみると、その場だけでも心が軽 くなりますね。それを、書き捨てたり、自助グ ループに全く清書なしで投稿したり、最近知り 合った回復者カウンセラーにメールで送りま す。 います。 飲んでいると、何をしても現実を無視してい たり、独り善がりで人の気持ちを考えなかった もちろん、酒で人に迷惑もかけ、どん どん孤立していきます。飲まないでいると、飲 んでる時は大問題だったことでも、別の角度か ら考えてみて、何をするべきかを正確に見極め ることもできます。健康状態もよいです。 お世話になっている病院の講義で教わった、 病気についての知識はとても役にたっています。 生活があまりに不規則にならないよ、つに気をつ けています。また、やはり病院のデイケアで、 「酔い」という強烈な感覚ではなく、もっと穏 やかにリラックスする方法も学びました。絵を 描いたり、ヨガをしたり。 自助グループに通うことも飲まないために大 切にしています。やめるためのヒントをすいぶ ん仲間の体験談から教えていただいてます。 149 仲間と出会って楽になれた

9. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

- 祈るような気持ち ブルーベリー 私は、まだ回復の道を選んで半年くらいしか経っていないので、あまり、どこがどう変 化しているとか、分からないです。正直なところ。 ただ、気がついてみると、私の生きている場所は、あまりにも狭く、母親の機嫌を損ね という現実を目の当りにして、苦しくて ないような、小さな場所しか与えられていない なりません。両親は、「今度病院に入ったら二度と出してやらない」と、おどしのような ことを言い続けているし、私が薬を飲むと嫌な顔をします。夫が間に入って、いろいろ話 「聞く耳をもたない。私の親 をしてくれますが、病気のこととなると、「聞きたがらない たちの様子を、半ばあきれて見ています。 親たちが、夫の親と仲が悪く、一時は離婚の危機に陥ったこともあります。それは、義 00

10. 生きづらい母親たちへ : アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ

コラム 自助グループってどんなもの ? 自助グループ ( セルフヘルプ・グループ ) とは、「立場が共通する当事者による ( 回復・ 成長のための ) 助け合い。の集まりです。依存症や <0 関係のグループの多くは、参加資 格を医者の診断ではなく本人の意志によるとしています。 ほとんどの自助グループのミーティングは「言いつばなし、聞きつばなし」というルー ルの下、発言者が自分の経験や気持ちを話し、ほかの参加者は黙って聞きます。批判やア ドバイスをしたり、ミーティングでの発言に後から触れてはいけないことになっています。 これは、「回復するためには自分に正直になること」が大事だという、先行く仲間の経験 からできたやり方です。 私が最初ミーティングに参加したとき、だれも感想やアドバイスをくれず、黙ったまま 聞くことにとても違和感を覚えました。「のれんに腕押しのような雰囲気はカウンセリン グや病院とは全く違う。こんなんでよくなるのだろうか」と思いました。 156