た。ゲーム室は古い応接室を改造したものらしく、なかなか立派なマントル・ピースが残って、 た。薪を焚く本物のマントル・ピースだった。部屋にはテレビ・ゲームが四台とピンポールが一 台あったが、ピンポールはもう手のつけようもないくらい古い安物のスペイン製だった。 「おなかかすいて死にそ、つよ」と彼女は待ちくたびれたよ、フに言った。 僕は食事を頼んでおいてからざっと風呂に入り、体を乾かしているあいだに久し振りに体重・ ぜいにく 測ってみた。六十キロ、十年前と同じだ。わき腹につきかけていた贅肉もこの一週間ばかり ( さつばりと落ちていた。 部屋に戻ると食事の仕度ができていた。僕は鍋ものをつまんでビールを飲みながら緬羊飼育 と自衛隊あがりの管理人の話をした。彼女は羊を見逃したことを残念がった。 「でもこれでやっとゴールの手前まで来たみたいわ」 「だとししー ) 、ナれどわ」と僕は言った。 我々はテレビでヒッチコックの映画を観てから、布団にもぐり込んで灯りを消した。階下の吐
うものなら、その死ぬところをこの目で見ておきたいという気持の方が強いんですね」 「あなたはこの町の生まれですか ? 」と僕は訊ねてみた。 「そうです」と彼は言って、それつきり何もしゃべらなかった。窰鬱な色あいの太陽が三分の ばかり山に沈んでいた。 緬羊飼育場の入口には一一本のポールが建っていて、ポールのあいだに「十一一滝町営緬羊飼亠 場」という看板がわたされていた。看板をくぐると坂道があり、坂道は紅葉した雑木林の中に皿 えていた。 「林を抜けると牧舎があって、管理人の住居はその裏にあります。帰りはどうしますか ? 「下り道だから歩けますよ。どうもありがとう」 車の姿が見えなくなってしまってから、僕はポールのあいだを抜け、坂道を上った。太陽の ( 後の光が黄色く染ったかえでの葉にオレンジの色どりを加えていた。樹々は高く、まだらの光 ~ Ⅲ林を抜ける砂利道の上にちらちらと揺れていた。 マンサード 冒林を抜けると丘の斜面に細長い牧舎が見え、宀季宙の匂いがした。牧舎の屋根は駒形屋根の赤〔 る トタン貼りで、通風のための煙突が三個ついていた。 を牧舎の入口には大小屋があり、鎖でつながれた小柄なポーダー・コリーが僕の姿を見て一「一 羊 度吠えた。眠そうな目をした年老いた大で、吠え方に敵意はなく、首のまわりを撫でてやると ぐにおとなしくなった。大小屋の前には餌と水が入った黄色いプラスチックのボウルが置い 、んうつ
「どうも申しわけありません」と男は言った。「本当に申しわけありません。お待ちしている、一 ちについ眠り込んでしまいまして」 「起こして申しわけないーと僕は言った。 「いえいえ、そんな」とフロント係は言った。そして僕に宿泊カードとポールペンを差し出ー た。彼の左手の小指と中指は第一一関節から先がなかった。 僕はカードに一度本名を書いてから思いなおしてそれを丸めてポケットにつつこみ、新し〔 カードに出事な名前と出鱈目な住所を書き込んだ。平凡な住所と平凡な名前だ「たが、と : の思いっきにしては悪くはない名前と住所だった。職業は不動産業としておいた。 フロント係は電話の横に置いてあったセルロイドぶちのぶ厚い眼鏡をかけて僕の宿泊カード 注意深く読んだ。 「東京都杉並区 : : : 一一十九歳、不動産業」 ーを出して指についたポールペンのインクを拭った。 僕はポケットからティッシュ 「今回は御商用で ? ーとフロント係が訊ねた。 「うん、まあ」と僕は言った。 「何泊なさいますか ? 」 「一カ月」と僕は言った。 「一カ月 ? ー彼は真白な画用紙を眺める時のような目つきで僕の顔を眺めた。「一カ月ずっと
間「一兀気だった ? 「元気だったよ。あんたに会いたがってた 「いっか会えるかな ? 「会えるさ。共同経営者だもの。その金は僕と鼠とで稼いだんだぜ、 「とても嬉しいよ」 僕はカウンター椅子から下りると懐しい店の空気を吸い込んだ。 「ところで共同経営者としてはピンポールとジューク・ポックスが欲しいな」 「今度来るまでに揃えとくよ」とジェイは言った。 僕は川に沿って河口まで歩き、最後に残された五十メートルの砂浜に腰を下ろし、一一時間泣〔 た。そんなに泣いたのは生まれてはじめてだった。一一時間泣いてからやっと立ち上ることがで、 た。どこに行けばいいのかはわからなかったけれど、とにかく僕は立ち上り、ズボンについ
いるかホテルの冒険 僕は確実に磨耗していった。四日めには東西南北の感覚が消滅した。東の反対が南であるよう な気がし始めたので、僕は文房具屋で磁石を買った。磁石を手に歩きまわっていると、街はどん どん非現実的な存在へと化していった。建物は撮影所のかき割りのように見え始め、道を行く 人々はポール紙をくりぬいたように平面的に見え始めた。太陽はのつべりとした大地の片方から 上り、砲丸のように天空に弧を描いて片方に沈んだ。 僕は一日に七杯もコーヒーを飲み、一時間おきに小便をした。そして少しすっ食欲を失くして しナ′ 「新聞に広告を出してみれば ? 」と彼女が提案した。「あなたのお友だちに連絡してほしいって」 「悪くないな」と僕は言った。効果があるかどうかはべつにして、何もしないよりはすっとまし 僕は四つの新聞社をまわって翌朝の朝刊に三行の広告を入れてもらった。 鼠、連絡を乞う 至急 " ドルフィン・ホテル 4 0 6
112 「ベルも鳴らないの ? 「ああ、うんともすんとも言わないんだ。どっかで架線が切れちまったのかもしれないな。大宀 が降ったりすると、そういうことはないでもないからね」 「でも雪は降ってない 管理人は顔を天井に向けてこりこりと首筋をまわした。「ともかくまあ行ってみようや。行」 ばわかるよ」 うなず 僕は黙って肯いた。ガソリンの匂いのおかげで頭がばおっとしていた。 車はコンクリートの橋を渡り、昨日と同しコースを辿って山を上った。緬羊飼育場の前を通 すぎる時、我々は三人でその二本のポールと看板を眺めた。飼育場はしんと静まりかえって」 。羊たちはあのプルーの目でそれぞれの沈黙の空間をみつめているのだろう。 「消毒は午後からやるんですか ? 」 「うん、まあな。でもたいして急ぐことでもないんだ。雪が降るまでに済ませりや、 しいのさ」 「雪はいつごろから降るんですか ? 」 「来週降ってもおかしくないよ」と管理人は言った。そしてハンドルに片手を置いたまま下を占 いてしばらく咳をした。「積りはしめるのは十一月に入ってからさ。ここらあたりの冬のことは 知ってんのかい ? 」 「いや」と僕は言った。
104 男は地面に痰を吐き、作業靴の底でこすりつけた。 「とにかく羊は法えさえしなきや大人しい動物なんだ。大のあとを何も一言わす黙ってついてい 僕はポケットから鼠が送ってきた写真を出して男に渡した。「これが山の上の牧場ですね ? 」 「そうだ」と男は言った。「間違いないよ。羊もうちの羊だな」 「これはどうですか ? 」僕はポール。ヘンの先で背中に星の印のついたすんぐりとした羊を指し 男は写真をしばらく睨んだ。「これは違うね。うちの羊しゃない。でもおかしいな。こんなの が紛れ込むわけがないんだ。まわりは全部ワイヤで囲ってあるし、朝とタ方には俺が一匹すっ チェックしてるし、変なのが入ってくれば大が気づく。羊もさわぐ。だいいち、こんな種類の羊 は生まれてこのかた見たことがないよ」 「今年の五月に羊を山にあげてから帰ってくるまで何も変ったことは起りませんでしたか ? 」 「何も起らないよ」と男は言った。「平和なもんさ」 「あなた一人で山に一夏いたわけですね ? 」 「一人しゃないよ。二日に一度は町の職員も来るし、役人が視察に来ることもある。週に一日は 俺が町におりて、かわりのものが羊の世話をするんだ。食料やら雑貨品やらも補充しなくちゃい けないしわ
村上春樹① 6 キをめぐる冒険 2 をめぐる冒険 村上春樹 I S B N 4 ー 0 6 ー 1 8 3 6 0 7 ー 2 C 01 9 ろ \ 4 4 8 E ( 4 ) ロロロ , ロ 9 7 8 4 0 61 8 5 6 0 7 5 1 9 2 01 9 5 0 0 4 4 8 9 ノルウェイの森上下 風の歌を聴け 1 「 / 3 ダンス・ダンス・ダンス上下 年のビンポール 遠い太鼓 作羊をめぐる冒険上下 夢で会いましよう ( 糸井重里と共著 ) 国境の南、太陽の西 空飛び猫 ( 訳 ) 上カンガルー日和 帰ってきた空飛び猫 ( 訳 ) 村回転木馬のデッド・ヒート やがて哀しき外国語 羊男のクリスマス しい耳の彼女と共に、星形の斑紋を 青中に持っているという一頭の羊と 竄〉の行方を追って、北海道奥地の牧 場にたどりついた僕を、恐ろしい事実が 待ち受けていた 一九八一一年秋、僕たち の旅は終わる。すべてを失った僕の、ラ スト・アドベンチャー。ま 本上春樹の青春 一一一部作完結編。野間文芸新人賞受賞作。 羊をめぐる冒険 ( 下 ) 村上春樹 定価 : 本体 448 円※消費不勀劇にカされます。 カバー装画佐々本マキ カバーデサイン辻村益朗 講談社立庫 社立庫 む 6-4 Y448
しい男からの電話だった。彼は十五分にわたってシベリア抑留中に鼠と闘った話をしてくれた。 なかなか面白い話だったが、手がかりにはならなかった。 僕は窓ぎわのスプリングのとびだしかけた椅子に座り、電話のベルが鳴るのを待ちながら向い 一日眺めていても、それがいっ のビルの三階にある会社の労働状況を一日がかりで眺めていた。 たい何を目的とした会社であるのかは僕にはさつはりわからなかった。会社には十人ばかりの社 員がいて、バスケッ ・ポールのりあ「た試合みたいに始終人が出たり入「たりしていた。誰 かが誰かに書類をわたし、誰かがそれに判を押し、べつの誰かが封筒にそれを入れて外にとびだ していった。昼休みには大きな乳房の女事務員がみんなにお茶をいれた。午後には何人かがコー ヒーの出前をとった。それで僕もコーヒーが飲みたくなって、フロント係に伝一言を頼んで近くの 喫茶店でコーヒーを飲み、ついでに缶ビールを二本買って帰った。帰ってみると会社の人間の数 は四人に減っていた。乳房の大きな事務員は若い社員とふざけあっていた。僕はビールを飲みな 冒がら彼女を中心に会社の活動状況を眺めた。 の 彼女の乳房は見れば見るほど異常に大きいように思えはしめた。きっとゴールデンゲート橋の ホワイヤ・ロープのようなプラジャーを使っているのだろう。何人かの若い社員は彼女と寝たいと る思っているようだった。二枚のガラスと一本の通りごしに彼らのそんな庄欲が僕にったわってき 他人の性欲を感しるというのは奇妙なものだ。そのうちにそれが僕自身の性欲であるかのよ 肪うな錯覚にとらわれてしまう。
「あまりばっとしないわ」と僕は一一 = ロった。 「新聞に広告をお出しになりましたようで」 「そうなんだ」と僕はいった。「土地の遺産相続のことで人を捜してるんですよ」 「遺産相続 ? 「そう。なにしろ相続人が行方不明ときてるから」 「なるはど」と彼は納得した。「面白そうな御職業で」 「そんなこともないですよ」 「しかしどことなく『白鯨』のような趣きがあります」 「白鯨 ? 」と僕は言った。 「そうです。何かを探し求めるというのは面白い作業です」 冒「マンモスとか ? と僕のガール・フレンドが訊わた。 ル「そうです。なんだって同じです」とフロント係は言った。「私がここをドルフィン・ホテルと テ ホ名付けましたのも、実はメルヴィルの「白鯨』にいるかの出てくるシーンがあったからなんで るす」 「はう」と僕は言った。「しかしそれならいっそのこと鯨ホテルにでもすればよかったのに」 「鯨はあまりイメージがよくないんです」と残念そうに彼は言った。