よマ丿ー・ローランサンの作品た。 リのオランジュリ美術館に、ローランサンの『牝 鹿』という油絵がある。画面の中央に女性が 2 人座し、 そのまわりで 4 匹の牝鹿が戯れている構図。色調はピン ク、グリーン、ブルーの淡い色が溶けあっている。 それにしても、ローランサンの絵に描かれた人物はな んと生気に欠けていることだろうか。現実に呼吸してい る人間たちとはとても思えない。夢の登場人物か、妖精 たちか、あるいは彼岸の霊魂たちであるかのようだ。 ローランサンは、ある時期から現実の彼方だけを夢み、 そのイメージだけを絵の中に描いてきたのではないかと 僕には思える。 初期の『自画像』 ( 19 。 8 年 ) や『アポリネールとその 友人たち』 ( 19 。 9 年 ) などの絵には、強い褐色や緑が 配色され、。ハステルカラーはほとんど見られない。線は くつきりとひかれ人物の存在感もある。『自画像』の目 は、しつかりと見ひらかれている。立体派の芸術運動に 触れ、画塾に通い、芸術家としての意欲にめざめていっ た頃た。 そしてビカソを通しての、アポリネールとの運命的な ◎ 5 。 出逢い 「マリーとアポリネールを結びつけたものは何だったの ーマに生まれた どろう。アポリネールは 18 8 0 年・にロ が、出生届にはマリーと同じく父親の名はなかった。二 人は恋が終ったのちも、彼の死に至るまで文通を続ける ことになるが、このように深い絆で結ばれることになっ た理由は、二人が共有した不幸な出生とも無関係ではな かったのかもしれない。そして。ハリジェンヌのローラン サンにとっては、彼は愛すべき天才独得の、その才ゆえ の激しさと我儘さで、伴侶としてはっきあいきれない一 ローランサンの 面を暴露していったのであろう」 ( 『マリ 扇』、本多美佐子筆「評伝」集英社 ) アポリネールとの別れのあと、ローランサンはドイツ の男爵と結婚し、第一次大戦の勃発と共にマドリー 亡命しこ。 しかし夫婦の仲は冷たく、その間ローランサンは親友 で女性のニコルと愛しあうようになったといわれる。 戦後、 ハリに戻ったローランサンは離婚し、舞台美術 などに活躍しはじめる。しかし、 2 度と生々しい恋に身 を焼くことはなかった。
父親を知らずに育ったローランサンは、子ども時代か ら男性に夢のような憧れを抱いていたのだろう。アポリ ネールとの激しい恋が終った時、彼女は再び夢みる少女 の心に戻っていったのかもしれない。そしてかっての愛 の幸福感を絵の中にだけ紡ぎつづけた : 最後の時には、遺志により赤いバラとアポリネールの 手紙を胸に置いて静かに世を去ったと言われる。 ローランサンの絵について彼女自身がこう語っている。 「私の画は私が自分自らに告げる恋物語であり、私が他 人に告げたいと願う恋のお話ですー 思春期の少年少女にパステルカラーが似合うのも、異 性に魅かれ、自分の心と体の神秘に恋をしはじめる年頃 だからだろう。 ローランサンは絵を通していわば永遠に、人生の中で 最もスウィ ートなこの時期を生きつづけた。 5 1 ◎パステルカラ ◎ フトーンは、ヨーロッ ハステルカラーを思わせるハ ハの美術館の天井画にも少なからず見ることができる。 神々や天使が舞う天上の世界。かぎりない至福感を表 わした天井の宗教画は、やわらかくデリケートなローズ やブルーで彩られている。生々しい地上から離れた風景 の色調は、やはり生々しい原色のままではない。 これはキリスト教美術だけではない。インドのタント ラアートでも、解脱へ進む段階を図像化したものの多く は、蓮の花が。ヒンクと・フルーに塗り分けられている。 仏教の御来迎の図も、たとえば『阿弥陀聖衆来迎図』 などに見られるように、空にたなびく雲や菩薩の後光や 衣などがやはり淡いピンクやブルー、グリーンで配色さ れているものが多い。 淡い調和的な色彩の中に、地上の生から解きはなたれ た幸福感、至福感を表わしているのだろう。 福を誘う色