人生 - みる会図書館


検索対象: 色彩自由自在
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1. 色彩自由自在

ん、「神ーからではない。木、空気、鳥、人々 : べてがつながりあって呼吸しているダイナミズムそのも のから、むらさきいろのエネルギーはやってくる。そし て、ふたりの黒人の女、傷みと喜びを分かちあったふた りの共感がむらさきいろを呼んだ : : : 。僕はこの展開に 感動し、そんなふうに読み解いた。 その後セリーは、自らむらさきいろを表現するように なる。 愛するシャグと久々に再会して、自分の部屋に招き入 れるシーン。 「これがあたしの部屋、とあたしはドアのところで言っ た。あたしの部屋は床が明るい黄色だけど、それ以外は なんでも紫と赤なの。シャグは暖炉の上に置いてあった 小さな木彫りの紫色のカエルにまっ先に目をとめた」 なんと強烈な紫色の描写だろうか。これほど鮮やかな 紫色のイメージで、セリーとそのまわりの人々の人生を 描き出した作者アリス・ウォーカーの人生には、 い何が起きていたのだろうか。 訳者のあとがきに作者の紹介が記されている。 「Ⅱ歳のときに、不幸な事故から片目を失明したアリ 47 ◎紫 ス・ウォーカーは、もう一つの目の失明を医者に宣告さ れて ( これは間違いであることが後にわかる ) 、すっか り打ちのめされる。またこの目の事故のときについた頬 の傷も少女アリスを深く傷つけ、劣等感と孤独からひっ ・サラ・ロ こみ思案の臆病な子供になってしまう。 レンス大学時代、彼女は不幸な妊娠をしてしまい、″女 は、その体ゆえに実に孤独〃という言葉を残して自殺を 企てる。友人にヤミ中絶に連れて行ってもらい、一命を とりとめるが、この時に生と死の間を行きっ戻りつした 体験が、最初の詩集『かって』 ( 1968 年 ) となって発表 される : リーに劣ら アリス・ウォーカー自身が、小説の中のセ ず、すさまじく傷たらけの人生を生きぬいてきたのた。 硬く凍結されていたセリーの魂が、感覚をとりもどし、 敗北感と闘い、自分らしい性、自分らしい感情、自分ら しい人生をとりもどしていく過程。それはまさに、作者 自身の体験にほかならない。 ーの、そ 小説に描かれたむらさきいろは、主人公セリ してアリス・ウォーカー自身の見た自己再生の光だった のだ。

2. 色彩自由自在

。ヒカソ絵画の初期に、「青の時代」と「ローズの時代」 があることはよく知られているが、この″青い自画像〃 は、「青の時代」の幕開けとなった作品の 1 つだ。そし てまた僕に、ビカソの絵はなぜ青からはじまったのだろ うかと、あらためて考えさせた 1 点でもある。 当時ビカソが住んでいたクリシーやモンマルトル周辺 は、娼婦や外国からの流れ者をはじめ、どん底の人生を 生きる人々の多い街であった。よく一言われるように、そ れらの人々の生活に触れた共感も、「青の時代」を生み 出したのかもしれない。しかし、そういった。ヒカソ解釈 は、。ヒカソをあまりにカッコよく美術史の神話の中に閉 じこめてしまわないだろうか。 ビカソが青を求めた理由はなにより。ヒカソ自身の中に あったと僕は思うのだ。 そしてそれを解く鍵が、この『セルフ・ポートレート』 の中にがあるような気がしてならない。 『セルフ・ポートレート 』が描かれる 1 年まえ、四歳の 。ヒカソは多分、人生ではしめての大きな悲しみに襲われ ている 。バルセロナから同じ志をもって共にパリに出た 画家、カルロス・カサへマスの自殺だ。 め◎青 この親友の死は、よほどの打撃だったのだろう。。ヒカ ソは 1 度バルセロナに舞いもどり、直後に、宗教的なイ メージの『招魂』というカサへマスに捧げる絵を、やは り青を主調にして描いている。 避けることのできない人間の死というものと、人生の 早い時期に対峙したビカソは、 1 年後再び。ハリに向かっ たときには、すでに孤独ということの意味を深く見つめ る経験を通過していた。 この経験が彼に青という色を選ばせたのだと僕は思う。 人の心がより深く内面へと向かう時に現われる色、それ が青なのだ。 だからこそ。ヒカソは、孤独な人々の苦悩を鋭く感受し、 その姿を青でキャイハスに定着した。 僕はビカソのその青にとらえられてしまった。 絵にしても音楽にしても、僕の場合、感動するという 状態は、「解る」というよりは「共鳴するーということ に近い。ビカソの青を見た瞬間、僕の心もまた、知らず 知らず青を求めていたことに気づかされた。 ふり返ってみると、僕自身がこの時期、青い色に強、

3. 色彩自由自在

り分かち合ったりする場として、僕なりのワークショッ 。フやカウンセリングが生まれてきた。 僕のところにも、精神科に相談に通っているような人 が来ているけど、いわゆる人並みに生活している人とほ とんど似たような絵を描く。正常・異常といっても、普 通の人も内心極端な気持ちを抱えて生きているし、異常 だと思われてる人の方が、とても豊かなアイディアやま っとうな心をもっていたりするのだ。 僕はカウンセリングというのは心理学的な方法にのつ とって、人間をただ分析的に見ていくだけじゃないと思 う。もっと創造的な場なんじゃないかと考えている。 人間は悩みであっても喜びであっても、人生というス テージの上で、みんなその人自身の物語を生きているの 見 ど。だから、たとえば親がいなかったりとか、病気ばか 発 分 りしている人が、闇の部分だけを見れば、自分はなんて ・目 悲惨な人生を生きてるんだろうとしか思えないかもしれプ シ カ ◎ でも、親がいなかったために縛られずに生きることが できるとか、病気をしたために生命の喜びを改めて自覚 できるとか、明るい方を見てみればどうだろう。そうす ることによって、陽の部分のすばらしい物語を読み取る ことができる。 要はその人が今苦しんでいる、あるいは何かにとらわ れて前に進めないといったときに、どうやって素晴しい 人生の物語を創造していくかだと思うのだ。ポジティ。フ な方向から自分をとらえてみることによって、人生を積 極的にクリエイトしていくことはいくらでもできる。 ・ほくのワークショップやカウンセリングは、いわばそ のための共同作業の場。創造的な豊かなイメージによっ て、人生を切り開いていく人と人とのセッション , ・ーー色 は、そこに流れる音楽みたいなものだ。

4. 色彩自由自在

拒食症の子が描いた黒々とした夜叉の絵。それら色のな し闇の中のおどろおどろしいイメージは、子どもの心 を通って顕われた、親自身の人生の闇なのだ。 親が子どもに依存せず、自分の人生を自分でみつけよ うとしはじめた時、子どもの絵に、子ども自身の色が、 感情がもどってくる。 僕にも思春期の息子がいる。・ほく自身は彼とつぎあっ てきた中で、「こういう人間になってほしい」という願 望やイメージをほとんど持ったことがない。 自 5 子にかま ける余裕などなかったといった方がいいかもしれない。 僕は美術活動をはじめた代の頃から、仕事はさまざ まに変化してきたし、また私生活面でも結婚や離婚を経 て、いつだってエゴイスティックに、まず自分の納得の いくように生きてきた気がする。周囲には、とんでもな い男や父親に映ったことだろう。しかし、自分の人生を 生きるのは自分しかないと思ってきたし、また、自分の 願望を他の人に託すなど考えられもしなかった。 そういうタチだから、自分の息子であっても、僕のた ◎ 1 ) 8 めにこうあって欲しいという欲求の対象にはならない。 一緒にいる時は、その時間をひたすらたのしく過ごすだ け簽こ 0 そして、その時の彼の笑顔やとびはねる肢体に見とれ、 天が息子を与えてくれたことがうれしい、しまりのない 父親なのだ。 彼が学校に行こうが行くまいが、どんな人生をこれか ら先選ぶにしても、それは彼の人生に属することがらだ。 僕が病気をしたとき、あるいは離婚した時期など、た しかに息子につらい思いをさせた。不安の中で、彼自身 も病気や怪我への抵抗力を失くしたこともある。しかし、 彼は絵を描くことはやめなかったし、その絵から色が消 えることもなかった。 真赤な怒りに満ちた顔を表現してみたり、やさしい虹 色があふれていたり。幼児期から「子どものアトリ で育った彼は、今も少し絵が溜ると僕に見せにくる。そ の絵の中に、息子の心が、そして時には僕と息子の揺れ つづける関係が映っている。 工

5. 色彩自由自在

ことに結びつく要素があるからだろう。 私たちは日常の暮らしのなかでも、青のイメージでさ まざまな感情をとらえようとする。 産後の女性におとずれるウッ状態を指す「マタニティ ープルー」、人生のメランコリックな気分を奏でる音楽 のスタイルである「ブルース」、日曜の翌日の仕事への 消極感を示す「ブルーマンディーなど。英語の場合、 「ブルー」には憂鬱、気がめいるなど、沈みがちな感情 を反映する意味が多い。日本語でもやはりマイナスのイ メージをもつ「青息吐息」、「青びようたん」などとい う表現もある。 このようなメランコリックな気分の場合には、抜ける ようなスカイプルーというわけこよ、 冫。しかない。やはり群 青色や紺色など、やや沈んだ色調がびったりする。 ◎ しかし、むろん青は人生の消極性だけを感じさせる色 ではない。 立のシンポル ◎ 38 僕の記憶の中に実にのびやかで、いきいきとした青が ある。イタリアの女性監督リリアーナ・カヴァーニが撮 った『善悪の彼岸』という映画の 1 シーンだ。 『善悪の彼岸』というタイトルは哲学者ニーチェの著作 からとったもので、映画の主人公はニーチェや詩人リル ケの恋人として知られ、晩年には精神分析のフロイトの ー・ザロメの物語である。 協力者でもあった、作家レ ニーチ工と、その弟子のような若い医者。ハウル・レー この 2 人の男に愛されながら、ルー・ザロメは″結婚と いう牢獄〃を拒否して、″聖三位一体〃の自由な共同生 活を試みる。 四世紀末の、革命思想や女権拡張運動が渦まく時代を 背景に、「私の望みは完全なる人生を生きること、新し い経験をすること」と、毅然として波瀾の人生を駆けぬ けていくのである。そのルーを見事に演じたドミニク・ サンダが、映画の中盤に身につけていた青が印象的だ。 互いの嫉妬むのために争うニーチ工と。ハウレ。ど・ : ルーはどちらの男にも所有されることを拒む。その 3 人 暮しの中で身につけていたのが、金の刺繍をほどこした 東洋風の鮮やかなブライトブルーのガウンたった。

6. 色彩自由自在

思春期の色、恋の色、人生の中でもっとも スウィートな色・・ ヒ。ンクは、至福の心を 語ってくれる

7. 色彩自由自在

彼かわたしを宛に包いて第一 そっどわ一たしにささやく…と、 わだしには人生が、 ( ラ色にえらマ第・

8. 色彩自由自在

者でもある彼女の助言が構成に役立った。 出版にあたっては、特に次の方々の心のこもった協力 を得ることができた。 この本のカバーのために作品をつくってくれたペイシ エンス・アラカワさん、カラーベージに貴重な写真作品 を提供して頂いた内藤忠行さん。「カラースケープ」の ための撮影をお願いした鈴木保広さん。「カラーワーク ショップ」の記録写真を撮り続けてもらっている紀善久 さん。本文を読みやすくレイアウトしてくれたデザイナ ーの藤井礼さんと大矢あんさん。 出版の機会を与えて頂いた晶文社編集長の津野海太郎 さんと、編集の労をとってもらった村上鏡子さん。 また自分の本が平野甲賀さんのカバ ーデザインに飾ら れて、読者の皆さんの手に渡るのも喜びだ。 最後にお礼を申し上げなければならない方々がいる。 本書のカウンセリングのケースの中で、かけがえのない 人生経験を聞かせてくれた人々である。文中、人物設定 は変更してあるが、もとになった話はすべて膝を交えて 語りあったものばかりである。これらの色彩カウンセリ ングの記録が、少しでも役立ててもらえることを祈って ◎ 174 ところで、 2 つ以上のことを同時にやるのが苦手な僕 は、この本をつくっている間「色彩ワークショップ」を 休ませてもらっていた。しかし、色彩への関心が高まり つつある時代を反映してか、ワークショップへの参加を 希望する人の問い合わせは少なくない。本書執筆中に少 しずつイメージが固まってきた『色彩学校』の構想を具 体化し、少し規模を広げたワークショップを再開しよう と、いま考えている。内容は、本書のテーマでもある 「色彩を知る、体験する、生かすーを軸に、各界の″色 彩のプロフェッショナル〃たちのレクチャーなどを組み こんだものになるだろう。興味のある方は連絡を頂きた 今後、色による自己表現やコミュニケーションが一層 花開くだろう時代に向けて、僕も色のもっ可能性をさま ざまの分野で生かしていきたいと思っている。 一九八八年六月二五日末永蒼生

9. 色彩自由自在

争の危機を肌身で感じているヨーロツ。ハで、思想、文化、 政治の多層な波として発生した。 アメリカの「ザ・グリーン」 ( 緑の党 ) の創立者シャー リーン・スプレットナクと物理学者フリッチョフ・カ。フ ラの共著「グリーン・ポリティックス』には、西ドイツ における「緑の党」の進出にはじまる世界的な″緑派〃 の台頭が詳しく報告されている。 19 8 3 年、西ドイツの連邦選挙で万人が「緑の 党」に投票し、人の新議会政党が誕生して、世界を驚 かせたことは記憶に新しい 日本の逗子市の″緑派〃の住民運動に関わっている 人々も、社会的立場や職業上の利害、人生の価値観など には、それそれ違いがあるだろう。 しかし彼らは、「自然と子供を守る会」などを中心に、 ″緑れを合言葉として環境を守ろうとしている。 つまり自分の拠って立つものを、それそれの個人、家 族、仕事という枠組を超えて、国家の方にではなく、生 命圏の方へと拡大したのだ。 ・ほくが緑の運動に既成の政治運動とは異なった質を感 じるのは、このオープンなスタイルた。 ◎ 128 逗子の住民たちの場合も、自分の存在基盤を、緑とい う言葉によって象徴される生命の織物のレベルでとらえ たことで、きわめてローカルな運動が、地球規模の開か れた意味をもった。このオープンな意識がなければ、生 態系との共存などできるはずがない。 自然生態系そのものには国境はない。現にソ連のチェ ルノ・フィリ原発事故の数日後には、日本人の母乳や野菜 から、高濃度の放射能が検出された。この時、国境を守 るはずの軍隊の存在はまったく無意味だったのだ。 この″緑派〃の台頭は、いま・ほくたちの政治が枠組を 広げる時期に来ていることを象徴している。緑は人間の 色彩のなかでは中庸の色である。安定と再生の、生のホ メオタシスの色なのだ。 政治の場に、マルクスやガンジー、あるいはヒットラ ーのような思想的リーダーの名前に代って″緑〃が出現 したことは、・ほくたちが新しい危機のなかにいることを 示している。 グリーン・ポリティクスの潮流は、右でも左でもなく、 類としての人間の再生のうごめきを、確実に政治に加え つつある。

10. 色彩自由自在

乱れ、目は真っ赤。 1 月日、東京撮影所で行われた緊 急記者会見ーー。以下は、彼女が語った″愛の終焉〃の 全記述である : ・・ : 」 ( 1985 年 2 月肥日号 ) この 2 つの記事は、読みようによればこつけいかもし れない。茶番劇のもっ空々しさを感じる人もいるだろう。 ーに拡大さ だが、人生の一片の真実であってもオー れる、芸能人たちの体をはった迫力もある。 それにしてもそこにつけられた本人たちの写真は、偶 然にも黄と黒の配色だった。 この符牒が示すものは何だろう ? もう 1 つ、黄色と黒のエビソードを紹介しよう。 教育委員会主催の幼児教育関係者の集りで講演したこ とがある。テーマは「幼児の絵と心」。保母さんや児童 館に勤める人々を対象にしたものだった。 幼児の自由画では、黄色は他の原色と同様、使用量が かなり多い。アルシュウラなどの幼児画の研究では、黄 色には子どもの要求、特に甘えや依存心があらわれてい るといわれている。 わたしがそのような説明をしたあとに、 1 番前の席に ◎ 1 18 座っていた保母さんが質問に立った。 「黄色が幼児的な色彩だとしたら、おとながその色を選 ぶ場合はどうなのでしようか。実は、この 15 2 カ月と いうもの、私は黄色いシャツを着ることが多いのですが 見るとたしかにその若い女性は上半身に濃い黄色のポ ロシャツを着ていた。さらによく見てみるとスカートは 真黒である。黄色と黒の配色。色のもつイメージからい っても、いわば光と闇という強烈な印象を受ける。 その質問者は、僕が黄色について話していたので、自 分のシャツの黄色が気になったのだろう。しかしたいて いの場合、人は単色ではなく、 2 色以上の配色で自己表 現をしている。そして、こうした配色によって、それそ れの色が相対的な意味をはらんでくる。 いま光と闇が交叉しているにち この人の心の中には、 がいない。そう思いつつ僕は、黄色と黒の配色について 説明をはじめた。 「さきほど黄色には幼児的な依存心があらわれているこ とがあるといいました。でもこれは、年齢的な幼児のこ とだけをいってるのではないんです。人の心は単純に幼