ア ト丿ェでも積極的だった。時間いつばい絵や工作に熱 ところが、 中して、お母さんが迎えにきても帰らない。 下に赤ん坊ができたとたん、淋しがりやになってしまっ たのだ。 「子どもって、家の中で要求が満たされているときほど、 外では元気に自立してるみたいですよ。心も体も満足し て育っている子って、教えなくてもハイハイはじめるし、 練習させなくても立ち上がるでしよう。心の成長も同じ だと思います。 最近、 Z 君は好きな色が青ばかり。いろいろがまんし てるんしゃないかな。もちろん、がまんすることも大切 だけど、何かに耐えるカって、やつばり愛されてるって いう実感が裏づけになっていると思う。 形にならないけど、粘土いじりばかりやってる Z 君見 てると、どこか肌ざわり求めてるようにも感じるし。さ びしがり屋の子って、粘土いじりやってると、とてもお ちつく場合があるんです。土に触れると、ホッとするん ですね」 「そうね、ひとつ、お風呂だけでも一緒に入るようにお 父さんに協力してもらおうかな。男の人って、かわいい 147 ◎「子どものアトリエ」 なんて思ってても、つきあい方がわからなくて逃げ腰で ウロウロしてるとこあるから : : : 」 こんな具合で : ほくも児童心理や家族心理、それに絵 と心の関係について勉強したり、自分なりに研究してき た。気がついたらもう年近く、この場所を続けてきた ことになる。 そして、この間の記録を『絵と子育ての相談室』 ( 雄鶏 社 ) という本にまとめて出版したのが、約 1 年前。とこ ろがそれ以来、僕のうちの電話は、その本の反響で鳴り つづけている。 そのほとんどが絵によるカウンセリングの申し込みだ。 子どもの絵を持って : ほくを訪ねてきてくれる母親たち の多くが、子育ての難しさでみけんにシワを寄せている。 子どもなんてほっとけば育つ、などと = = ロえるいい時代 じゃない。学校じゃ校内暴力が吹き荒れ、家の中では荒 れた子どもが金属 / くットで親になぐりかかる時代。過剰 な学歴至上主義が親と子をノイローゼに追いこみ、思春 期の拒食症や登校拒否が社会問題化している。健康ひと っとっても、食品公害によってアレルギー症状の出る子
り分かち合ったりする場として、僕なりのワークショッ 。フやカウンセリングが生まれてきた。 僕のところにも、精神科に相談に通っているような人 が来ているけど、いわゆる人並みに生活している人とほ とんど似たような絵を描く。正常・異常といっても、普 通の人も内心極端な気持ちを抱えて生きているし、異常 だと思われてる人の方が、とても豊かなアイディアやま っとうな心をもっていたりするのだ。 僕はカウンセリングというのは心理学的な方法にのつ とって、人間をただ分析的に見ていくだけじゃないと思 う。もっと創造的な場なんじゃないかと考えている。 人間は悩みであっても喜びであっても、人生というス テージの上で、みんなその人自身の物語を生きているの 見 ど。だから、たとえば親がいなかったりとか、病気ばか 発 分 りしている人が、闇の部分だけを見れば、自分はなんて ・目 悲惨な人生を生きてるんだろうとしか思えないかもしれプ シ カ ◎ でも、親がいなかったために縛られずに生きることが できるとか、病気をしたために生命の喜びを改めて自覚 できるとか、明るい方を見てみればどうだろう。そうす ることによって、陽の部分のすばらしい物語を読み取る ことができる。 要はその人が今苦しんでいる、あるいは何かにとらわ れて前に進めないといったときに、どうやって素晴しい 人生の物語を創造していくかだと思うのだ。ポジティ。フ な方向から自分をとらえてみることによって、人生を積 極的にクリエイトしていくことはいくらでもできる。 ・ほくのワークショップやカウンセリングは、いわばそ のための共同作業の場。創造的な豊かなイメージによっ て、人生を切り開いていく人と人とのセッション , ・ーー色 は、そこに流れる音楽みたいなものだ。
白と赤の組み合わせは、むしろ、めでたい「紅白ーの 彩りだ。・ほくの計算外たったが、佐和子の心理を考えて みると、この結末は彼女の情念にとっては″ハッビーエ ンドー だった、といえる。 創造の現場は面白い。共同作業の過程で、。フランの網 の目をぬって、ヒョイと意外なイメージがとび出す。そ れがまた映像を複雑にする。 山崎さんの演出は、色彩の他にも、池を飛び立っ水鳥 の姿や水面の美しい波紋など、映像を通してドラマのス ーを語らせている。 ロケ地が予想外の雪に見舞われたりして、撮影は予定 通りに進まなかったという。 「急に雪だったでしよう。黄色いダウン・ジャケットが 売ってなくて、そろえるのが大変だったんですよーと語 ってくれたのは佳那晃子さんだ。 しかし監督の山崎さんによれば、役柄の心理によるカ 165 ◎カラープランニングの試み ー・コーディネートを試みたことは、「役者が、その役 の心に入りこむのにも効果があったし、なによりも、ま ずキャストが結構のってやってたみたい」ということだ っこ。・ほくも大いに色で遊ばせてもらった。 テレビ・ドラマにはいま、おどろおどろしいサスペン スものが多い。それがまた視聴率を上げているのも事実 だ。″中流家族〃を演じている日本人の心の深層で、実 は家庭崩壊のサスペンスが日々くりかえされているから だろうか。人々はテレビの中のサスペンスを見ながら、 身にお・ほえのある自分の緊張を合わせ鏡のように眺めて 見るものの感情に強くアビールする色彩というものに、 より豊かに語らせることによって、・ほくたちはもう一歩 踏みこんだ自画像をみることができるはずだ。色彩によ るストー 丿ー・テリングがドラマにも可能なのだ。
乱れ、目は真っ赤。 1 月日、東京撮影所で行われた緊 急記者会見ーー。以下は、彼女が語った″愛の終焉〃の 全記述である : ・・ : 」 ( 1985 年 2 月肥日号 ) この 2 つの記事は、読みようによればこつけいかもし れない。茶番劇のもっ空々しさを感じる人もいるだろう。 ーに拡大さ だが、人生の一片の真実であってもオー れる、芸能人たちの体をはった迫力もある。 それにしてもそこにつけられた本人たちの写真は、偶 然にも黄と黒の配色だった。 この符牒が示すものは何だろう ? もう 1 つ、黄色と黒のエビソードを紹介しよう。 教育委員会主催の幼児教育関係者の集りで講演したこ とがある。テーマは「幼児の絵と心」。保母さんや児童 館に勤める人々を対象にしたものだった。 幼児の自由画では、黄色は他の原色と同様、使用量が かなり多い。アルシュウラなどの幼児画の研究では、黄 色には子どもの要求、特に甘えや依存心があらわれてい るといわれている。 わたしがそのような説明をしたあとに、 1 番前の席に ◎ 1 18 座っていた保母さんが質問に立った。 「黄色が幼児的な色彩だとしたら、おとながその色を選 ぶ場合はどうなのでしようか。実は、この 15 2 カ月と いうもの、私は黄色いシャツを着ることが多いのですが 見るとたしかにその若い女性は上半身に濃い黄色のポ ロシャツを着ていた。さらによく見てみるとスカートは 真黒である。黄色と黒の配色。色のもつイメージからい っても、いわば光と闇という強烈な印象を受ける。 その質問者は、僕が黄色について話していたので、自 分のシャツの黄色が気になったのだろう。しかしたいて いの場合、人は単色ではなく、 2 色以上の配色で自己表 現をしている。そして、こうした配色によって、それそ れの色が相対的な意味をはらんでくる。 いま光と闇が交叉しているにち この人の心の中には、 がいない。そう思いつつ僕は、黄色と黒の配色について 説明をはじめた。 「さきほど黄色には幼児的な依存心があらわれているこ とがあるといいました。でもこれは、年齢的な幼児のこ とだけをいってるのではないんです。人の心は単純に幼
ろんな所でいろんな人たちとやっているのだが、その 1 つが、ヨガをやっている道場での集まりだ。体を健康に したいという目的で来ている人たちに対し、精神的な側 面からのリラクゼーションの有効性を知ってもらうとい うことで、 4 年くらい前に始めたものだ。今は、ヨガを やる人だけではなく、一般の人も参加している。 これはいわばグループ・カウンセリング的なもので、 まず、 5 人から間人くらいが輪になって、思い思いに絵 を描いてもらう。次に、ヨガをやりたい人はヨガをやる。 体を動かすことによって、まず体を整えるわけだ。その 後にまた絵を描いてもらう。すると、面白いことにヨガ をやる前と後では、同じ人でも色づかいがかなり違って くる。 ョガをやる前には、人の顔とか風景とか、非常に具体 的な絵を描く人が多い。色も原色に近いきつい色を、強 い筆圧で塗ったものが大半。 ところがヨガをやって体がリラックスしてくると、使 う色がきれいな中間色、パステルカラーに近づいていく。 絵自体もどちらかといえば抽象的で、穏やかなトーンに。 7 、 8 割の人にこうした変化が見られる。 ◎リ 4 何度かやっているうちに、参加者自身も、自分はいま 緊張してるんだとか、落ち込んでるんだとかということ : 、不調和な色づかいをしたことによって、自覚できる ようになってくる。逆に、自分がリラックスした時は、 どういう絵を描くかもわかってくるわけだ。その結果、 リラックスした精神状態を比較的早く取り戻すこともで きるようになる。 つまり、ヨガと絵を描くことを組み合わせることによ って、自分の体と心の状態をより敏感にキャッチする感 覚みたいなものが、自ずと育ってくるといえる。それが 実生活の面でも、ある種のセルフコントロール的な力に なるんじゃないかと思う。 それまでなんとなく社会的な規範に合わせてやってき た生活が、今の自分の気持ちに本当に合っているのかど うか、と見直してみる。僕のワークショップはそのきっ かけを得る場になるという気がする。 ◎・・ーーーーーーー参加することで変わったりする人もいる ?
◎。・・ーー・・、 - ー・ー・・・・ー・・ー・ーーー・・ー〇月 >< 日服をとりかえっこしてみる デザイナーの礼君が仕事の打合わせにやってきた。今 ナーのアンも一緒。 日は、私生活でも仕事でもよきパート 礼君は・フルーのしゃれた革ジャン。 「あれつ、その革ジャンって、アンのじゃなかったっ け ? と・ほくがきくと、「そう、今日はとりかえっこし てるの」とアンが応じる。 なるほど、よく見るとアンの方は、いつも礼君が着て いるフード付きの黒の防寒ジャケットをザックリときめ ている。 女の人が男もののジャケットなんか着ると、かえって 女性の色気が増幅されて新鮮。礼君の方も、やわらかい ブルーのせいかぐっと若くみえる。 2 人とも代前半。背格好もよく似ているので、服の 交換を自由にやっている。 でも、性別はもちろん、年齢や体型がちがえばちがう ほど、″とりかえっこファッション〃の効用は高まり、 @IIO 意外なおしゃれができる。 僕の場合、つれあいが小柄な方なので、彼女のシャッ のサイズは合わないが、たつぶりしたセーターなんかは とりかえがきく。赤、黄、ビンクなど、男だけだったら あまり買わないような色ものが豊富になる。おかげで、 僕はもともと好きたった。ヒンク系の服をたくさん楽しめ るようになった。 スカーフやマフラーなども色や柄がふえて、外出する ときのその日の気分に合わせて選ぶのが、ちょっとした 楽しみだ。 彼女の方は、僕のグレーのジャケットを袖をまくって つま トがわりに着たりすると、これが意外にいい。 り男が″男色〃を着てもあたりまえだが、女が着るとと ても粋な感じになったりする。 実は元祖″とりかえっこファッション〃の提唱者は、 友人のスタイリスト宮谷史子さん。彼女は「子供の着る 服はユニセックスでいい と考えて、自分の息子にも女 の子からのおさがりの赤いチェックのオー らはじまって、「ほとんど貶色のクレョンの全色を着せ てた」という。
着ている。手に手に大きな事務封筒をかかえているから、 どうやら会社見学や説明会の帰りらしい そういえば就職シーズンだ。この季節になると、街に はリクルート・ルックの若者の姿が目立つ。多分、学生 時代には長めだった髪の毛もこざっぱりと刈られ、皆似 たようなスタイル。企業戦士の第一歩というところか。 混みあった通勤電車の中には、彼らの川年、年先を想 像させる、疲れきった中年サラリ ーマンたちがつめこま れている。 就職したてのサラリー マンには、本当に紺のスーツが 多い。やはり「紺」は順応の心にふさわしいのだろう。 「紺」と組みあわせたネクタイの赤が、せめて若い意欲 を感しさせる。やがて、中間管理職に進むと、申し合わ せたようにグレーのスーツがふえる。 課長や部長のおじさんたちは、きっとその心もグレー なのだ。上司と部下の間にはさまれて、自分の意志や感 情をストレートに出せない悶々とした心理状態を、グレ ーは象徴している。 ″ドブネズミ色〃という悲しい呼称を与えられている中 年サラリ ーマンのスーツの色は、現代もなお、減私奉公 。 9 ◎今日の服 , 今日の気分 の精神が生きながらえている日本的な組織の特質をよく 物語っている。 特に、外国旅行から戻って、東京の街に足を踏み入れ てみると、日本の男性の姿がモノクロームに見えて仕方 カオし 逆に、僕がちょっと驚いたのは、ヨーロツ。 ( の国鉄の 窓口で、チケットの予約をしたりした時、職員がほとん ど制服らしきものを着ていないこと。色のきれいなセー ターやシャツを腕までまくったりして、気楽な服装で仕 事している。最初は誰が職員なのか見分けがっかないく だから、「あの金髪の赤いセーターの人」とか、「あの 革ジャンのおじさん」とかいう特徴で見ているので、今 でもはっきりと、その人の″顔〃を思い出すことができ る。 それにひきかえ、日本にいていつも見ているはずの、 青山の地下鉄の改札のお兄さんの顔がまるで思いうかば 日本の男たちょ、もっと自分の色をー
さて、もう 1 度、ファッションにおける黒の流行に話 をもどそう。今の若者たちは、はたして心を閉している のだろうか。アナーキーなのか。 いや、今に限らない、自我を強くもった若者の心性は いつもアナーキーだ。黒は、僕が代の頃の年代にも 流行した。 当時、サルトルの実存哲学が若者に読まれ、また黒一 色のコスチュームで人気のあったグレコのシャンソンが よく聞かれた。日本では歌手の浅川マキが黒いコスチュ ームで歌っていた。 やがて年代の末期、ヒッ。ヒー文化の影響もあって、 色彩豊かなビーコック・ファッションやサイケ調がはや った。この、色彩の開花には、若い世代の心理的解放感 が大きく作用していた。ベトナム戦争をきっかけにそれ までの価値観の崩壊が起こり、音楽やファッションなど この 若者中心の産業が力を持ったことも無視できない。 ◎ 日本でなぜ黒が流行したのか ◎ぅ 6 の中し深なは ビ時を抗をドま時 心黒にか刻も黒ず地ン折日表以すっンり再期 理は しなちいの球、り本現来るけと始び 学生重、懐ろ若西上ジ見です、彼た め黒流 者の苦黒疑ん者欧のヤかもる 10 ら たが行 ル否しにを、た社資ラけ、若年のン一欧甦と 定さひ抱流ち会源ジる体者以音クョ米えし ツ ツをがきい行をがのヤ。中の上楽・一のるて だ象漂っての生、大ラわにス とフク ' 70 のの が徴つけい黒みそ半とざチタ黒共アの年は黒 すてらるをだのを音と 街代、は ツ 経るいれ者身し中わを引 まシかでオ姿 済ーるるばにて心がたきンにンたヨ らあイを 環との時かつも部もて裂をなクたン るル消 境言は代りけいかのるい巻っルくが若 し のったのとてるらとチたいてッ間登者特シて 激てし気いいの ェシたいクに場をに し て一ャ黒るは世。中失ッた しいか分うるだ いるだのわか の : 豊ンツづ 、界既心業ク 変のろよけら く反に成に率と よかの 化はううでと うさ飾耳め抗 , ひの黒の失 なをりにの的ろ文い高業 なはい や 自築。刺男なま化レい率 もなっ ン のいて虐い し女気つにザ口が 原グ 発派の 的た たを分た反ーン高
なったとかいうと、その子は特殊な家庭の子どもではな いか、と思う人が多いかもしれない。 事実、家庭内暴力や子どもの自殺などのマスコミの報 道を見ていると、たまたま離婚家庭だったとか、父親が 失業中であったとかいう点が強調されがちな論調が少な ところが、僕が 253 年前から関わった思春期相談室 ェでのカウンセリングをふりかえってみても、 や、アトリ いわゆる″欠陥家庭〃のケースはほとんどない。一番多 い登校拒否のケースでも、両親が揃っていて、しかも中 流以上の裕福な家庭がほとんどなのだ。だから、僕のカ ウンセリングを受けるまでにも、さまざまな相談室や、 神経科を転々としていたりする。 国民総中流化の時代。少なくとも、そういう気分に満 ちた社会の中で、家庭の問題の質が変ってきているのだ。 登校拒否、拒食症 : : : 、彼らの絵は本当に色が少ない。 いってみれば感情が凍てついている。子どもたちは何か を拒否しようとしている。第三世界の子どもたちが求め て得られない学校や食べものを、日本の子どもたちは嫌 悪している。金満症といわれる日本の″豊かさ〃を、子 どもたちは拒否しているのだと僕は思う。 母親たちの多くが自嘲ぎみに語る、「うちは母子家庭 ですよ。お父さんは、寝に帰るだけだもの。家庭内離婚 だね」。 外国市場を荒しまくってのしあがった日本の経済。気 づいた時には、家庭関係はポロポロに崩れかけている。 心の寄りそうことのないホームの中に、飲食だけがは びこり、子どもの教育にしか人生の意味を見出せなくな った悲しい母親たちの姿がある。 その教育といっても、テストの点数や偏差値のために 子どもをこづきまわすだけのことだ。 経済成長とひきかえに荒廃しつづける家族関係。この 荒廃は家庭ではなく、人の心を侵蝕しはじめているので はなしか。そのことを・ほくがつくづくと感じたのは、た またま離婚家庭の子どもたちの絵をまとめて見る機会が あったからだ。 工 その子どもたちの絵が暗かった、というのではない。 アむしろ逆なのだ。 、も 「ニコニコ離婚講座」で知られる円より子さん。彼女が 子 主宰する「現代家族問題研究所」の集りに招かれたとき ◎
「不思議でならないのは、どうして人々がこの箱 ( 自然 の空気や色彩を遮断した石の建物 ) の中で死んでしまわ ないのか、 ( 中略 ) どうして風と光を求めて飛び立ってし ノラギは石 まわないのか、ということである。だが、。 ( 。、 の箱が気に入っており、その害についてはもはや気がっ 。ハラギ・初めて文明を見た南海の酋長ツィ かなくなっているー ( 『。 ( アビの演説集』立風書房 ) ー 0 、 0 、 , ラギ〃のあいだで、いま工 だからこそ、僕たち スニック・レッドがブームなのかもしれない。あの赤は、 12 ラ◎ェス = ック・レッドが南の光を運んでくる 自然の地に住む人々の土地の体温を感じさせ、風と光に 満ちた野性への憧れを、思いおこさせずにはおかない。 写真集『地球風俗曼陀羅』のレンズがとらえた ( レー ションを起こしそうな赤もまた、原初の生の息吹を、ひ ととき僕の体の記憶からひきずり出してくれる。 肉体の熱と結びついて表出するナイーヴな赤は、冷た い石の箱の中に住む僕たちの感受性にこそ、何より刺激 的なのだ。