第 13 章欲求不満 195 なご両親があなたにいったことばかりみようとするのをやめて , あなたが今自分 に語る文章 , つまり , 今あなたの心を乱し , 平静を与えてくれない文章のほうを 今から検討しようではありませんか ? 」 「私が自分に語る文章ですか ? 」 「そうです。つぎのように自分に語りかけることです。、兄や姉とは差別され , 私だけが両親から拒絶されるとはなんと残酷なことだろう。ひどい両親から , あ んなに手きびしいしうちを受けたんでは , 私が人並の人間になろうといっても無 理というものだ ' と。あなたの両親の過去の行為が , 現在のあなたの行動に魔法 こんな論理はきわめてこつけいなものだと思いません のように影響を与える か ? それなのに , あなたの心の声はいつもそういっているのです。さらに 立して世間のわずらわしさと闘っていくことは , なんてむずかしいのだろう。私 の人生がこんなことであってよいはずがない ' そういった誤った考えを自分につ ぶやきつづけることで心の平静が得られることはけっしてなく , 本物の障害を作 りだしていくだけだ , ということが分かりませんか ? 」 「なるほど。あなたは , 私が読んだ精神分析の本に書いてあった方法とはまっ たく違ったやり方をするのですね。私の読んだ本では , 先生と私が , 私の抱えて いる問題に深く立ちいって , 私を悩ますものが何であるかをともに解明してくれ るはずなのです」 「わかりました。そういう本の指示に従ってやりたければ , やってごらんなさ い。もしあなたが長い時間をかけて深層心理の分析を受けたいなら , 喜んで私の 友人をご紹介しましよう。彼はそのやり方の信奉者ですから , あなたの歩みに合 わせて , 7 年でも 8 年でも喜んでつきあってくれるでしよう。しかし , たとえ分析 を終了したとしても , あなたが自分のやり方を変えようと思えば , つまり ( あなた の , あの両親を変えるのでなく ) , あなたの生活観を改造しようと思うなら , まだ また困難な過程が待ちうけていることになるでしよう」 自己訓練の重要性 「それでは , 私が過去に起ったことや , あんなしうちをしたひどい両親のこと をなるべく忘れようと今努力すれば , そのほうが比較的早く問題を解決し , 自分 を深く理解できるようになるとお考えなのですか ? 」
124 こともあるかもしれないですよね」 「もちろんそのとおりです。われわれは他人から受けいれられることを求め , 目標の達成を求めているにもかかわらず , 面目を失い追いもとめているものを得 られない危険のなかにつねにあるのです。それは当然ではありませんか ? 」 「でも , もしも私が節食し , それなりに着飾ったりあれこれと気を使って粧い , なおそれでも彼を失ってしまったら , それはとても恐ろしいことになってしまう のではないでしようか ? 」 「いやそうではありません。あなたが , それを恐ろしいことだと決めつけてし まわなければ , それは恐ろしいことにはならないでしよう。もちろんそのことは あなたにとってまことに都合が悪いことであり , あなたは失望し , 友をなくして 悲しくなることはあるでしよう。しかし , それがどうして恐ろしいことなのです か ? あなたはそのことを直接的な原因として死を迎えるでしようか ? 大地が 裂けて , あなたを呑みこむとでもいうのでしようか ? あなたは , もうけっして ポーイフレンドを得られないことになってしまうでしようか ? たとえ , すぐに 他のふさわしい人を得られないとしても , 何か他の楽しいことをする余地もなく なってしまうでしようか ? 」 「分かりませんわ。もしもジョンが去ってしまったら , 私に何ができるかなん て分かりませんわ」 「今あなたのいったことは , あなたの不安を実に正確にあらわしていますね。 ジョンを失うことはとても恐ろしいことだろう。そして , もし彼を失ったらどう していいのか分からないだろう , と。あなたは頑迷に , しかしはっきりと感じて おられますね。こう考えることで , つまり , 不都合を恐怖に転換することによっ て , あなたは , まさにあなたのいう恐怖を作りだしているのですよ。ジョンなし では幸福にはなれないと思いこむことによって , 自分は幸福にはなれない , と決 めつけているというのが事実なのです」 知的て愚かな思考 「私はジョンを失うことをとても恐ろしいことだと思い , 私が自分の容姿をど ういじったところで彼を失うことだってあるかもしれないと思って , わざと彼を ひきとめておくために何かすることをためらっているのでしようか ? 前もって
第 9 章 絶望的な不幸感 不幸感と不幸な状態 ある一定の規則に従っていれば , いつも幸福でいられる一一そんな規則を提唱 しようとする人は , 結局 , 愚かしいことか不埒なことをいっているにすぎない。 そのことをふまえたうえで , なおわれわれは , けっして絶望的な不幸を ( 実際に ) 感じないですむ技術をお教えできる , とあえてここでいっておきたい。 われわれは矛盾したことをいっているだろうか ? みかけ上はそうかもしれな いけれど , 事実はそうではない。幸福感や , 喜び , 楽しみ , 得意になるなどとい った積極的な感情は , 人が行なった行為の副産物として生じるのであって , 他人 の指示によって生じるものではない。人が , かけがえのないひとりの人間として 何をなし何を楽しみとするかは , 個人の好みに依存している。それは , 他人がけ っしてあらかじめ見通すことのできないものである。ある人は , 田舎を歩くのが 大好きかもしれないし大嫌いかもしれない。伴侶と一緒にべッドにいくことに夢 中であるかもしれないし , それが厭わしいと思う人もいるかもしれない。そうい うわけだから , ある人にとって何が喜びであるかは , われわれには分からない。 もちろんわれわれは , 自分のことならばよく分かるし , 一般にどういうことが 喜ばしいか , についてならば一定の発言もできよう。しかし , ある特定の人が , 何をもって満足とするかについては , その人に実際の経験や試みをくぐらせない ことには予言することはできない。ただ , 仕事に熱中するとか , 何かに熱烈な興 味を抱くとか , そういう一時的なことがらによって , 人が幸福を感じることがあ るということはいいうるだろう。しかしどんな仕事 , あるいはどんなことに熱中 すると幸福に感じるかについては , 率直なところ何もいえない。 われわれは , どうやって人が幸福になるかについてはほとんど何もいえないと しても , 不幸を避けるための方法ということならばお話できる。お分かりいただ けたであろうか ? 何だか矛盾しているように聞こえるかもしれないが , 実際こ
第 18 章現実拒否 263 いても , 彼女は好きなようにする権利があるはずなのに , あなたはその権利を奪 おうとしているのですよ」 「私にはまだよく分かりません。その気になればもう少し賢明になれる場合 に , あんなに馬鹿なことをしていてよいものでしようか ? 」 「なぜああなのだろう , という意味のご質問ですね。ところで , 正しい行動が 簡単にできる場合には誰でもそうするのは明らかです。しかしまちがった行動を する時というのは , 本当は正しい行動をしたいのに何らかの理由でできない場合 か , あるいは正しい行動をしたいという気持などさらさらなくて , だからしない 場合のいずれかでしよう」 「あの , 私 , 何がなんだか分からなくなってしまいました」 「そうですか。でももう少し頑張ってよく考えてみましよう。きっとすぐにな るほどと思うはずです。今まで見えなかったことが見えてくると思います。いい ですかーーーたとえば , こんどはあなたがお母さんのようにまちがったことをつぎ つぎとしでかしていると仮定してみましよう。そうですね , やつばり考えもなく くだらないことに浪費の限りをつくしているとします」 「もしそうだとすれば , 私は母と同様にとてもまちがったことをしていること になりますわ」 真実の回避 「いいですか , ではそういうことにしましよう。では大切なところにいきます よ。つまり , あなたは自分の思いどおりにまちがったことをする権利がないだろ うかという問題です。こういう場面ではたいていすぐにお母さんが登場します。 そして , 今みたいな馬鹿馬鹿しいお金の使い方はやめなさい , というはずです。 でもあなたは , その助言も一応は考えてみたけれど , やはり自分のやりたいよう に ( 愚かでも ) お金を使おうと決意したとしましよう。さて , もう一度いいます よ , あなたは母親の意見に従わず , 自分の好きなように ( まちがったことを ) す る権利をもっていないでしようか ? 」 「やっとあなたのいおうとすることが分かりました。たとえ私のやることが馬 鹿げていたって , 私は人間として自分のやりたいことをする権利をも。ています わ。もっともそれを行使した結果は , 自分の馬鹿さかげんを証明するだけかもし
〃 6 を危険にさらすだけでなく , 自己自身つまり 自己の現在と将来にわたる幸福 をも危険にさらしてしまうことになる。かかる独断的な思考には , 大きなペナル ティー一人が他人を失った時に , 自己自身をさえ失くしてしまう がつきまと っている。そのことを知れば , 他人と良い関係をもっということが , ( 適度な関 心どころか ) 極端に気がかりになってしまうだろう。 いっそう具合の悪いことに人びとは私を心から愛さねばならないということ を , 一度信じこんでしまったら , かれらが自分を愛してくれない場合には , 自ら 不安と苦痛に身を投じることになり , のみならず , 愛してくれた場合でもつねに 愛の喪失に対する不安と懊悩の座に身を置くことになるのである。その理由を考 「かれらは , 本当に私を愛してくれている。なんとすばらしいこと えてみよう。 だろう。私はなんと値うちのある人間なのだろう」とひとりごっ時でさえ「まて よ , でももしも明日になって , もう私を愛してくれなかったらどうしよう ? な んて恐ろしいことだ / そんなことになったら私はなんとみじめなことになるだ ろう」と考えてしまうことは避けがたいからである。かくて , 自分が獲得しなけ ればならないと望む , 正にそのものを手中にもつ時でさえ , 将来においてそれを 失う可能性について思いわずらうのを止めることはけっしてできないのである。 この変転きわまりない世界にあっては , それを失うにいたる蓋然性はつねに存在 しているのだから。たとえば今は自分を熱愛してくれている人が , 明日は死ぬか もしれない。遠隔の地へ引越すことを余儀なくされるかもしれない。深刻な肉体 的 , 精神的な問題に見舞われるかもしれない。自分に関心を払わなくなるという 事態だってないとはかぎらない。その他諸々の理由によって , 感情が変ることは けっしてありえないことではないのだ。 こういう状況の下で , 他人が自分を受け いれねばならないなどという法則を信じこんでいたら , 不安なく暮せるはずがな いではないか。 以上述べてきたところから , 愛する人 ( や物 ) が失われた時に , 深い喪失感 , 悲しみが適切な状態にあるというのはどういう場合かが分かっていただけたと思 う。また , いくら失われたものへの愛着が大きいからといって抑うつ状態に陥り , 自棄的に , 絶望的になることがかならずしも必然のフ。ロセスではないこともお分 かりいただけたことと思う。われわれの考えによれば , 不幸という感情について も , 前に述べたような適切な感情から成っている不幸感は , なんら常軌を逸した
第 8 章理性と合理性 99 個人主義こそ最も優れた生活スタイルである , とする考えもあるが , 実は洗練さ れた個人主義は , 社会的利益を無視できないのが当然であり , ある程度それに対 する配慮を含むものである。というのは , もしもまったく分 ' の利益のみを 追求し , 行動するにあたって他人の迷惑を顧みず勝手に振舞うとしたら , その傍 若無人な振舞いで迷惑をこうむった人は , 遅かれ早かれたいてい・その人 ' の利 益追求を妨害することになろう。したがって , ・自分自身 ' の利益という概念のう ちに , 一定程度は他人の利益への配慮をも含むほうが望ましいということになる だろう。 同様に , もしも人が主に当面の利益をめざして努力を傾注したなら一一いいか えると , 人が短期的視野で生活を享楽しようとする一般的原理を採用するならば それはほとんど不可避的に , 将来に享受できる多くの楽しみを自ら捨てるこ とになるだろう。・今日に生きよ , 君は明日にも死ぬかもしれないのだから ' とい う考えは , 完全に狂気の考え方であると思う。万一 , そういった人がたまたま翌 日死ぬようなことがあったにしても。しかし , この頃はたいていの人が長生きを して 75 歳や 80 歳にはなる。だから , もしも人が今日のためにのみ生きていたとし たら , その人の明日はみじめなものになることはまちがいない。同時に , もし人 が明日のためにのみ生きるとしたら , 今日という日は心労のため暗いものになっ てしまうだろう。そしてそのあげくに , 結局は最終の目的にも到達できないだろ このように , 合理性という観点からすると , 実にきびしい思考が要求されるこ とが分かる。ある行為を判断するさいに合理性があるかないかによって , その行 為を絶対的に良いとか , 確実である , とかいえないだろう。また , 合理的な行動 と非合理的なそれとの間に , はっきりと線を引くことはむずかしいことがわかる だろう。合理性もあまり極端になると , 論理的なようでいてまったく非論理的で あるということになってしまうだろう。この問題について若干の説明をしておこ 1. すでに指摘したとおり , ある程度の感情的反応は , 人間の生存にとって必 要であるように思われる。たとえば , 誰かがわざと攻撃をしかけてきた時に , た だちにその人に修を負わせ , あるいは殺してしまいたいという気持になる一一一合 理的な反応といえばいえるが , それはあまりにも歪んだ反応であろうーーのを防
幻 2 る。しかもそれは肉体的な怪我や病気と結びついたものではなく , たいていの場 合 , 心の傷や精神的な被害と関係している。事実 , 不安といわれるもののおよそ 98 パーセントは , 自分のことを他人がどう思っているかについて過度の関心をも っという形をとってあらわれる。 こういう不安は , 身体的な傷に対しておおげさ な恐怖を覚えるのと同様 , いくつかの点で必要以上の自減的な作用を及ぼすので ある。すなわち , 1 ・もしもあることが実際に危険で恐ろしげにみえた場合 , 理性的に考えれば とるべぎ方法は 2 つあると思われる。 ( a ) それが実際問題として危険をはらんでい るかどうかを判断・決定し , ( b ) もし危険が現実にあるなら , その危険の度合を少な くするために何らかの努力をする , という方法である。この場合 , 自分のカでい かんともしがたい場合は , 厳然としたその事実に身を委ねる他ないであろう。 ういうアプローチに対して , 泣きごとばかりいい , 目前の事実としてあるすさま じい状況の避けがたい恐怖について , いくら不平をいってみたところで , 事態は ーうに改善されるはずはないし , それによりよく対処することにもならない し、つ、一 だろう。むしろその反対に , とり乱せばとり乱すほど , ほとんどっねに対象を正 確に評価して処理していくことが困難であることを知るだろう。 2. たとえば , 飛行機事故であるとか , 癌におかされるとか , 突然の事故や病 気に見舞われることがあるかもしれないし , もし実際にそういうめにあえばそれ は不幸なことに違いないのだけれども , すでにかかる災難を避けるために可能な かぎりの予防措置を講じていたのであれば , 今さら何かできるということでもな い。思いわずらっていれば , 魔法のような力が働いてこういう不幸をくいとめら れるというものでもない。それどころか , むしろ , くよくよ考えすぎるとひ弱な 人間は気力を失って , 病気や事故にあう確率も高くなるというものである。そう いう次第であるから , たとえば自動車事故についてあまり極端に心配している と , かえって事故にあう可能性も高まるというものだ。 3. 人は , 不快な事件についてその非劇的な面を想像し , それを誇張してしま うところがある。遅かれ早かれ人が死ぬものであることは自明であるのに , 死は 起りうる最悪の事実とみなされている。たとえば不治の癌におかされて薬も無効 だと分かった場合のように , 長期にわたるはげしい肉体的苦痛にさいなまれて いるなら , 人は自殺することもできる。実際問題として , 恋人を失ったとか孤独
第 11 章失敗恐物 のばして , 他人との比較に耐えられるようにすることにあるのだと , まるで呪術 にでもかかったように信じこんでしまったら , その人はいつもいつも不安におび え自分は・価値のない ' 存在ではないかと悩んでしまうだろう。そして , 行動は いつも他人志向型となり , たった一度しかない人生で , 自分の本当にやりたい とからそれてしまうだろう。さらに , 。私は他人と同じかあるいは他人よりも優 れている場合のみ , 自己を認めかっ安心するのだ ' などという , 結局自分を救い がたいところへ追いこんでしまうような考えをもってしまうのである。 6 ・もしも人が , 異常なほど成功にこだわって失敗することを恐れていたなら ば , 機会があってもやってみようとせず , 失敗することやまちがうことを恐れ , 自分が本当にやりたいことさえできなくなってしまうだろう。成功して人目に立 つことにこだわると , 自己の選択の幅を極端なまでに狭めてしまうのである。す なわち , ( a ) 失敗して抑うつ状態に陥るか , ( b ) 失敗を恐れて何もせず , 自己嫌悪に 陥ってしまうかのいずれかの選択しか自分に許さないのである。とても現実的と はいえない高い水準の望みをもてば , 失敗がいずれ現実のものとなるばかりでな く , 失敗の恐怖にさいなまれることも必然的な過程なのである。そして失敗の恐 怖は往々にして失敗そのものよりも有害なのである。 不能症 失敗そのものよりも有害な失敗の恐怖の実例は , 不能症あるいは不感症の問題 となって悲惨な形であらわれる。われわれが他の本 ( 『愛の方法と愛の科学』『創 造的結婚生活』『感覚的人間』など ) に示しておいたように , 人はまず性の領域 でしくじるのである。その原因は , 疲労 , 病気 , 性とは関係のない問題について の悩み , セックスのパートナーに対して魅力をもてないこと , 妊娠の恐れなどで ある。そして , 自分には力がないのだと思いはじめ , あの時うまくいかなかった のだから , ・私はぎっと能力が根本的に足りないのだから , これからもきっと失 敗の連続になることは目に見えている ' と思いこんでしまうのである。 セックスがうまくいかなかったもともとの原因が何であれ , また失敗するので はないかと恐れるがゆえに , そのあと何回も失敗してしまうのである。・あっ なんてことだ。この間もうまくやれなかった。どうせまた失敗のくり返しだろ う。私が幾度やってもだめなのが相手に分かってしまったら , なんとおそまし 152
第 4 章感情の起源 である。目的は実際的なところにあるが , この文章こそ彼の思考を示しているの である。われわれは彼のかかる思考を , 論理的な考え方 , 論理的思考 (rB' s) と よんでよいと思う。というのは , それは彼が求めており , その価値を認めているも の一一彼が探している職ーーーを獲得するのを援助するからである。彼はこ こで , 37 な文章が先行している。それがはっきりと意識に上っていようがいまいが , こん 的感情は , ・これは恐ろしいことだ / 私はまるで木偶坊だ / ' といった非論理的 ているか , その結果生じたものである。憂うつや怒りのような望ましくない否定 定的感情は , ' このことは無意味だしよくないと思う ' という内的な文章に伴われ いはそれから生じていることが多いようである。また , 不快感 , 失望感などの否 の内的文章 ( たとえば・これはすばらしいことだ ' など ) を伴っているか , ある そういうわけで , 愛とか前向きの態度のような建設的な感情は , 建設的な内容 いるのである。 じるにはちがいないが , 一方でアタマの働きによって , 自分から感情を喚起して しまったのだということが分かる。彼はたしかに身体にそなわった感覚器管で感 章によって , 職を求めるという実際的な目的にそぐわない感情的な反応を起して 非論理的な仮説と入れかえてしまったのである。彼は彼の誤った仮説を含んだ文 含まれており , 結局この人は職を探すという状況のなかで彼の論理的な思考を , ' なんて恐ろしいことだ / 私は木偶坊みたいに思われてしまうだろう ' などが こういった文章には , 非論理的で否定的な評価・私の人生は真っ暗だ / ' とか としたら・・・・・・なんて恐ろしいことだ / 私は木偶坊みたいに思われてしまうだろ 行って首尾よく職が得られたとしても , 仕事が私の能力では及びもつかなかった ・・もし面接に いとしたら・・・・・・そんなことにでもなったら私の人生は真っ暗だ / ・・ いわく , 。さて , 私が面接に行ったとして・・・・・・もしへマをやって職が得られな 違った文章を自分に語ったからなのである。 切であるとしたら , それは彼が非論理的な考え (iB's) を含んだ , 前述とはまた しかしながら , もしもこの人の感情的な判断が到達した結論 ( C 段階 ) が不適 ある。 な行動 , もし拒否されたら感じるであろう失望や困惑ーーを感じとっているので 望ましい感情的な結論ーー職を得ようという決意 , 面接に行こうという積極的
第 5 章情緒不安 43 さえできれば , あなたのお母さんや兄弟に対するはげしい怒りの感情はいとも簡 単に消減すると思いますよ」 「でも , いったいどうやってそんな作業をするのです ? 私にはあいまいでさ つばり分かりませんわ」 「それはあいまいに見えるたけなのです。自分のものの考え方を理解し , その 背後にある勝手な仮説をはっきり調べることーーーそのための努力をしたことがな いからそう思われるたけなのです。実際には , ヒ。アノを弾いたりテニスをしたり する手順と同じなのです。たしかあなたは両方ともお上手たといっていました ね ? 」 「とんでもない。同じたなんてとても思えませんわ。テニスは身体的な活動で すから , 考えたり怒ったりそういう種類のこととは全然違うと思います」 「ああ , やっとあなたのことがよく分かりましたよ」 「なんですって ? 」彼女は驚いていった。なんと彼女は , 相談に来ているくせ に私が彼女の本心を見抜くかもしれないと恐れていたのた。しかもそうなった ら , 自分の神経症を私の手に委ねることになるかもしれないと怯えていたのだ。 私はやっとそのことが分かったが , それは ( 悲劇でないとしたら ) 喜劇というほ かなかった。 「テニスは身体的なものだといいましたね。もちろん表面的に見ればそういえ るでしよう。目と腕と手 , それに筋肉を使ってポールがネットを越えるようにす るわけですから。でも筋肉の動き , ポールのゆくえを注視する過程が , たた物理 的で身体的なものだと思いますか ? 」 「そう考えたらまちがいでしようか ? 」 「違いますとも / 相手がポールを打ってくるとしましよう。あなたは , なる べく相手の手の届かないところ , 打ちかえせないところへと打ちかえしますね。 あなたは ( 足を使って ) ポールを追いかけ , ( 腕を使って ) それを射程に捕え , ( 腕と手首を使って ) 打ちかえすわけです。しかしこの時 , あちらへ走ったりこ ちらへ走ったり , 腕を伸ばしたりおこしたり , 手首を伸ばしたり返したり , そう があっちへ行ったりこっちへ来たりするのを見るわけですね。つぎにどこへ打て 「そういう働きをさせるものですか ? それは目じゃないでしようか。 いう働きをさせているものはいったい何でしよう ? 」 ポール