70 デビイのように , 神経症の人の多くは , 無気力と自己抑制でその精神を固めて いるから , われわれが , かれらもまたかっては高い目標と望みを抱いていたこと を確かめるのは , 至難のわざでさえある。 4. 平静に対処できぬほどの , 心の動揺を経験することについて・・・・・・神経症の 症状のひとっとして , 自分の心が動揺する恐れのある関係 , 目標 , 仕事などから 退いて引きこもってしまうかわりに , 逆にこれらの諸活動に向かって猪突猛進す る場合もありうる。しかし , その場合は突進するにつれて , それなりの心の動揺 や個人的な葛藤などの儀牲を払うことになる。教授や , 会社の社長の地位に音 をもやす一方で , 人は神経症的にすぐ怒ったり , 少しのことで手ひどく傷ついた り , 過度に不安になったり , 歪んた憎しみを抱いたり , 深い苦悶に陥ったり , 抗 いがたい憂うつに沈んだりする状態がふつうになる場合がありうる。 そういう時 , 強い不安や怒りや憂うつなどの心の動揺が表面化するかわりに , 動揺が身体にあらわれて , 精神身体医学的な状態をあらわす場合もある。たとえ ば病気になる , 血圧が高くなる , 失神の発作 , 皮膚の発疹 , 偏頭痛 , アレルギー 反応 , はなはだしい疲労などの症状を示すことがありうる。あるいはまた , 一時 的に心の動揺を鎮めるという危険な試みに身を投じることもある。たとえば , 酒 におぼれるとか , いろんな種類の薬を飲むとか , 癇癪を爆発させるとか , すべて を忘れて仕事に没頭するとか , いやおうなしの乱交に加わるとか , その他さまざ まの現実逃避の手段を試みるのである。 5. 共同社会の他のメン / く一との間に , 不必要な衝突を自ら作りだすことにつ いて・・・・・・どんな理由にせよ , 心が動揺している時には , 孤独のなかにいるのを耐 えがたく感じるのがつねであって , できれば友人や仲間と苦痛を分けあおうとす る。友人や恋人や親しい人たちは , 神経症的な感情や行動に巻きこまれ , いくら かそのために犠牲になるのである。もし , 相手の行動をいやがったり , 巻きぞえ にされたほうにもむずかしい心の悩みがあったりすると , 相手に対して満足な受 け答えをする気にならない場合もあり , あげくのはては互いに相手を非難するこ とになってしまう。 家族や友人たちが , 問題にすっかり巻きこまれてしまうと , こんどは , 実はこ の問題を・ひぎ起した ' のはあなたたちだ , としばしばきめつけたりするのが , 神経症的行動の特徴である。人は往々にして , 自分の心の動揺や自減的な行動を
306 行したパンフレットにおいて , 論理ー情動心像法 (REI : rational-emotive imagery) の概略をつぎのように述べている。以下にそれを紹介しよう。 もっと論理的にものを考え , 心が動揺するのを少なくしたいと思いません か ? ぜひ論理ー情動心像法の技術 ()E 1) を試みてごらんなさい。 否定的な想像何かとても不愉快な事実に直面 ( A の段階 ) したか , ある いは将来起りそうな不快なできごとについて , その細部にいたるまでできるだ け明瞭に想いうかべてみるのです。そのできごとの強烈な印象を心に刻んだ ら , 今度は心のおもむくまま不快感を味わうのです - ーーたとえば , 不安や憂う つ , 恥しさや憎しみなどーー -- ーそれが C の段階 ( 結果としてあらわれた感情 ) で す。心に動揺を感じたら , しばらくの間身をもってそれを経験するのです。避 けようとしてはいけません。逆にそれに直面し自らそれを味わうのです。 この心の動揺にしばし身を委ねたら , つぎにそういう感情を変えるように自 己に迫るのです。不安や , 憂うつや , 罪の意識あるいは憎悪ではなくて , 失望 や , 後悔や , 迷惑やいらいらだけを感じる状態に変えるのだ , と文字どおり自 分に強いるのです。そんなことはできない , と思ってはいけません。実際でき るのですから。いつだってそれを変えるつもりになりさえすれば , それらの感 情の基底にふれて , もっと別の感情を自分のものにするように , 変えていくこ とが可能なのです。あなたがこの能力をもっていることは明らかなのです。や ってごらんなさい , 精神を集中して。 あなたが自分の努力で , 失望とかいらだちの感情だけを感じるようにもって いくことができたら , これらの新しい適切な感情を自分の内部に生じさせるた めに自分の頭のなかで何が行なわれたのかよく注意して見てください。自分自 身をよく観察してみると , 自分の信念体系 ( もっと正確にいえばナンセンスな 考えーーー B の段階 ) を変化させて , その結果として , 感情が変化した ( C の段 階 ) ことが分かるはずです。そのおかげで今 , 憂うつや , 罪の意識や憎悪では なくて , 後悔や迷惑を感じているわけです。自分の心のなかでどういうことが 起ったのか , 自己の信念体系にどれほど重要な変化が生じたのかをつぶさに観 察してください。自分が思い描いた ( 想像した ) 不快なできごと (A) に関し て , 美しい感情が生じる (C) 原因となったのは新たな考え方 (B) に他なら
84 選択したことになるのである。ただし , 幼児期において心の動揺を起しやすい子 供たちがいて , その子供たちは両親のアラさがしが巧みであるが , 大多数の子供 たちはそんなことはない。 幼い時分に , 拒絶されたり欲求不満に陥った時すぐにすっかり気を動転させ て , はげしく怒り , かっ被害者意識が特別強かった場合でさえも , 成人するにし たがって重要な選択の機会に出会うのである。つまり , いつまでも幼児性を保っ かどうかの岐路である。というのは , 長ずるにしたがって , 他人の評判や外交辞 令はむしろ苦痛である ( 不利益をもたらす ) ことを学ぶだけでなく , また逆に , 他人の評価によって自分が傷つけられる ( 自己をおとしめる ) ものでもないこと を学んでいくからである。そして自分でどういう考え方をとるか選択することが できるのである。評判を単に苦痛と受けとめるか , それによって傷ついてしまう か。もしも本書の指示に従えば , この選択はほとんど確実に首尾よくなされるこ とであろう。 たとえ過去の生活史がどのようなものであったにせよ , たとえ両親や先生が心 の動揺を助長することがあったにせよ , 初めからもっていた非現実的で非論理的 な考えを , 未たに自分が信じているから心の乱れが存続しているのである。した がって , 心を乱されないためには , 何よりも自分の非合理的な考えを観察し , 強 力にかっ筋道たてて , その考えを改めていく作業に従事すればよいのである。あ なたがそもそも初めに神経症的になった経過を理解することは , 何ほどか有益で はあろうけれども , 治療にきわめて有効であることはまれであろう。 要するに , 感情的な不安というのは , 何らかの非論理的で , 一方的な考えにそ の原因をもっているのである。なすべきことは , 心を悩ませる原因となっている 非現実的な観念を暴露していくことにある。つまり , これらの観念の背後にあっ てその形成を助けてきた誤った情報や不合理を明確にみつめること , また正確な 情報とより明快な思考とによって , 不安のあとに控えてそれを増幅しつづけてい る観念をすっかり変えること , これである。
308 いで憂うつになったり卑屈になったりします ( c ) 。しかしあなたは同時にこの 感情の動揺を克服できたらと望んでいるとしましよう。 では , まず自分の過去に事実としてあった ( あるいは将来予想される ) 失敗 と批判について , その細かな点にいたるまで , 明瞭に思いうかべてみます。 の失敗と批判を思いうかべるにつれて , 自分の心に憂うつや卑屈の感情が起っ たらそれに心を委ねます。この感情をつぶさに味わうのです / 憂うつな気 持 , 自己不信の気持にふれて , しばしの間それを受けいれましよう。 さてつぎには , 同じ不運な状況をはっきりと心に描きながら , 失望と関心だ けを感じるようにあなたの心に強いるのです一一一いいですか , 文字通り強要す るといっていいのです。なかなかできなくても , できるまで頑張りつづけるの です。失敗の事実を想起して , 憂うっと卑屈な気持ではなくて , 失望と関心だ けを感情としてもつように努めるのです。まずこの努力をすること / 上のことができるようになったら , 失望と関心という新しい , 適切な感情を 自分のものとするために , あなたは心のなかでどういうことを自分に語ったの かをふりかえってみましよう。おそらく , だいたいつぎのようなことのはずで す。・たしかに失敗して叱責されるのは不幸なことだし都合の悪いことにはち がいない。だからといってそれがそれほど恐ろしいわけでもなさそうだ。それ は上司や社長に叱られるのは嫌なことだし , できればやめてもらいたいとは思 。もちろん失敗 うが , 別にそれによって世界の終りがくるわけではないし・・ をくり返したいとは思わないが , このぐらいのことには私だって耐えられるの だ。彼からみれば私の仕事ぶりは遺憾で足りないところがあっただろうけれ ど , そのゆえにかれらが私のことを人間として完全にだめだとはいえないのだ から ' 失敗と叱責の事実を想起しながら , このような論理的な考え方を自分に語る 練習をするのです。そして , 失意 , 後悔 , 関心 , 不快などの , 事実からしてあ たりまえの気持 ( したがって適切な感情 ) を自分のものとするように努め , け っして憂うっと卑屈に陥らぬことです。 肯定的な想像肯定的な想像と思考の技術を用いようと思うなら , 実際に起 った事実でも将来に予想されるものでも何か不快な体験的事実 (A) をでぎる かぎり鮮明にくわしく思いうかべることから始めます。もしよければ A の事実
3 川 失敗して上司か社長から , 厳しイ叱責され , C の段階としては , 憂うつや卑屈 を感じ , しかしなんとかして心の動揺を克服したいと望んでいる場合です。 先の場合とまったく同様に , 失敗と批判について細かな点まで明瞭に思いう かべてみます ( なお A が過去の事実であっても将来予想されることの場合でも 手続きは同じです ) 。この失敗と批判を思いうかべるにつれて , 自分の心に憂 うつや卑屈な感情が起ったらそれに心を委ねます。この感情をつぶさに味わう のです / 憂うつな気持 , 自己不信の気持にふれて , しばしの間これを受けい れましよう。 つぎに , 自分の心の動揺の原因となっている非論理的な考え方 (B) を探し あてるのです。必ず発見できると信じて行ないましよう。けっして簡単に諦め てはいけません。自分の考え方の歪みが心の乱れの原因なのですから , 発見で きるまであくまでも頑張るのです。手がかりは , そういう考え方には , べきで ある , であればよいのに , でなくてはならぬなどの独断的な先入観が含まれて いますから , それを探すことです。 よく探してみると , あなたの非論理的な考え方はおそらくだいたいつぎのよ うなものだろうと思われます。。仕事をしくじって叱責されるとはなんと恐ろ しいことだろう / この調子で上司とか社長に叱られてばかりいるようたった ら仕事ももうおしまいだ。良い職は二度とみつからないだろうし , 仕事がう まくいくこともなかろうし , お先はもう真っ暗だ。私はあんな批判にはもう 耐えられない。こんな失敗を続けていたら , 私は本当に無能で何もできない人 間であると証明されるようなものだ ' まず自分の非論理的な考えを観察するのに , 自己を慣れさせることです。そ れから自分の愚かしい考え方にどこまでも反論 ( D) を加えることです。自分 はそんなことを信じる必要はないし , それに耐えることもできる。 A として目 の前にある失敗と叱責に対しても , もっと違う考え方をすることができるし , 愚かしい考えを捨てることもできるのです。自分の失敗について , 今とは完全 に違った考え方をもつ自分を , 可能なかぎり明瞭に強く想像してみるのです。 ・なにもそれを恐ろしいと考える必要はない。失敗や叱責なんてただ少々不都 合で不利益なだけである。上司や社長が私を叱責するといっても , そのために 私が職を失うはずもなく , たた仕事のできが悪いから文句を並べるだけのこと
第 21 章論理療法 309 としては最悪のケース , それも今までに経験したこともなければ今後出会うこ ともありえないような文字どおり最悪の事態を考えてみるのがよいでしよう。 そして不安 , 憂うつ , 恥ずかしさ , 憎悪などの感情 (C) にいったん心を任せ てみましよう。とり乱した心の状態を作りだし , それにしばらくの間ひたって みるのです。 c の段階で心が動揺している時 , その動揺をかもしだすためにあなたの信念 体系 (B ) のところでは , いったいどういうことを自分に語りかけているのか をよく観察しましよう。 B の段階の具体的な考え方を把握したら , それに反論 (D) を加えるのです。反論を加えていく手続きと経過については , RET (rational-emotive therapy) と R B T (rational behavior training) が懇 切丁寧に示しているとおりです。 さて自分の非論理的な考え方をしつかりと把握しそれに反論を加えられるよ うになったら , つぎにはそういう非論理的な考えをすっかり捨てたあとには , またそのかわりに A の段階で直面していることに対して論理的な考え方をもて るようになったあとには , どういう感情と行動があらわれるのか一生懸命想像 してみるのです。すなわち , あなたは心に , ① A の段階の不快な事実につい て , 非論理的な考えを捨てさり , かわりに論理的な考えを対置すること , ② C の段階でも , 憂うつや憎悪などの不適切な感情ではなくて , 不快や失望などの 適切な感情をもっこと , ③とり乱した態度ではなく , 事態に対する関心を示す ような態度で行動すること , を頭に描いてみるのです。 この手続きができるように練習を重ねるのです。もう一度整理してまとめて みましよう。まず何か不運なこと , 不利益な事実を思いうかべます。つぎに 憂うつや憎悪など自分の思いうかべたイメージに関する心の動揺を味わいま す。ついで , この動揺をひき起す原因となっている自己の非論理的な考え方を 把握して反論を加えます。つぎにその考え方を捨てると同時に新しい論理的な 考え方を身につける過程を思いえがきます。そうやって憂うっと憎悪ではな く , ただ関心と不快だけが自分の感情として残るようになって , しめくくりと なります。 事例による解説事例としては , もう一度あなたが仕事を失敗したと仮定 したケースをとりあげましよう。先にみたように A の段階は , あなたが仕事に
290 えられている場合を区別できるようになること。自分 ( あるいは他人 ) を非難し ている時 , 完全主義にとらわれ , 傲慢になっていると , 自分 ( あるいは他人 ) の 過ちを正すどころか , むしろそれを永続させることにさえなってしまう。行為 の是非と人間の価値とをけっして混同しないこと。誤った行為をする人と悪い人 とは別のことだからである。 L ・ S ・ノく一クスディルが指摘しているように , われ われは , 他人の行為についてはこの是非を判定しうるけれども , 行為をなす人の 価値などはけっして正当に評価しえないものなのである。 4. 事態が自分の思いどおりにいかない時に , 恐慌をきたし , 恐怖をもってそ の事実をみてしまう心の動きには断固として反撃しなくてはならない。状況が思 わしくない時 , 不利な時には , 決然としてその改善にとりくむことである。当面 改善の見込みがない時には , 率直に事態を受けいれて時期をまっことである。損 失や不満が大きければおおきいだけ , そのことに関する思索を理性的に深めてい かねばならない。たしかに望ましくないといわざるをえない場合でも , けっして もうだめだ , 我慢できないと投げださないことである。 5. 不幸は外からおそいかかってくるものだから , われわれには憂うつや悲嘆 をコントロールする力などあるはずがないという仮説はしりそけなくてはならな い。そうではなく , 事実は , 自分の非論理的思考と歪んた内的文章のくり返しに よって不幸を作りだしていることを理解しよう。したがって , 自分の思考と内的 文章を変えることによって怒りや絶望を小さくしていくこともできるのた。論拠 もないのに , べきである ' , ・であればよいのに ' , ・あってはならない ' , などと いう考えをもっていて , 子供つぼい要求や嘆きに動かされているなら , それらの 気持をもっと現実的な要望と置きかえていくことである。それができるようにな れば , 無用の不安や心の動揺に悩まされることもなくなるだろう。 6. 何か危険なこと , 恐ろしいことが起ったらそれに心を奪われて心を乱され てもあたりまえであるという考えは排除しなくてはならない。すっかり怯える原 因となった当の事件に伴っている真の危険について本気で検討を加え , 現実に危 険な事態が起る可能性があるのかどうか , もし起ったらどういう被害があるのか について , リアルに吟味しなくてはならない。全力をつくして , 創造的な人生を おくりたいと思っているならば , 人生にはある程度危険や冒険がつきものであ る , という事実を受けいれることである。いろいろなことが必要以上に気にかか
第 19 章受動的な生き方 281 ポーイフレンドたちは実にくたらないしまぬけたことしかしないし , あいつらの キスやペッティングには我慢がならない などといっていました。でも私はこ で諦めては , と頑張ってみました。あなたの声が耳もとで聞こえていました。 ・いいですか , 不安はたしかにあるでしよう。でも彼女にキスしたい気持がまっ たくないわけではないと思いますよ ' 私の心が答えました。 ' まったくお説のと おりでございますよ。不安どころか恐くってしかたがありませんよ。でもそれを 払いのけなくっちゃ。さあもう私は恐くなんかないぞ / ' 私は彼女に腕を回して 私のほうに引きよせました。心臓は何百というドラムの響きのようにはげしく妓 動していました。ところが気がついてみると , なんと驚いたことに彼女のほうが 心持ち顔を上げて明らかにキスを待っているではありませんか。彼女のほうから ですよ / 考えても下さい。 この古ぼけた靴みたいな私にキスされるのを待って いたんです / 岼スをしたら , 彼女は私を拒むどころか窓から叩きだすにちが いないとおびえていたのに , なんと彼女は本当に望んでいたんだ , 正真正銘彼女 はそれを望んでいたんだ / ' と私は心でそういいました。それからは私はもう躊 躇しませんでした。私は彼女を抱きよせるとそれはそれは今までにとても覚えの ないような甘いキスを交わしました。 ' なんてことだ / 私はこれに今まで何年 も抵抗してきたなんて。どうして避けてしまったんだろう , 蓄生 , 蓄生 , 蓄生 / ' と再び私の心は叫びました。そうたったのです一一私の愚かしい恐怖も抵抗もも うたくさんです。もちろん私はこれでもう万事終了とは思っていません。まだま た遠い道のりを行かねばならないでしよう。でも私には , 自分の向きを変えてい くべきことがよく分かりました。先生が前にいっていましたが , あの昔ながらの 怠惰がなくなっていくのは , 実に言葉でいえないほど楽しいことなのですね」 ジャックは実践を続けた。翌年までに , タミーの他に 2 人の女性と恋愛関係を もったが , 彼にはそれがとてもすばらしいことに思え , やがてタミーと婚約し , 今は結婚の日を待ちわびている。彼の同性愛への関心もしだいに薄らいでいき , 今ではたとえ何に心をひかれたとしても自分でそれをコントロールできるか , あ るいは時おりは逸脱してもそれは強迫的なものではなくなるところまでこぎつけ た。製図工としての仕事も順調になっていった。生活のことを考えはじめて貯金 もするようになった。男性に対しても女性に対しても短気を起さなくなっていっ
272 昻揚と集中を伴っているため , ときには人を無感動や退屈から救いたすことがあ り , そのゆえにはなはだしい不利益をものともせずに長くとらわれてしまうこと がある。これはわれわれに強い印象を与える。 こういう好ましからざる情念の持 主は , むしろ積極的に活動に携わることが多いから , いつまでも不安や偏執的な 情念を捨てきれない場合が多い。このように見ると , 精神の集中こそ生命活動の すべての形態ーー - たとえそれが心に障害をもつ場合も含めて一一 - ・の共通な性質と 考えてよいようた。 4. ふつう , 愛するという場合の感情つまり , 他を愛する気持は , 愛されるこ とを求めるのと違って , 生命活動が集中を示すひとつの主要な形態であるといえ よう。事実 , 集中的な生命活動の 3 つの主な形態とは , おおむねつぎのようにな る。 ( a ) 愛すること , つまり自分以外の人に心を集中している場合 , ( b ) 創造するこ と , つまり人間ではなく何かのものごとに心を集中している場合 , ( ) 考えること つまり思想やさまざまな考えに心を集中している場合の 3 通りである。感情の働 きが不活発であったり , 受動的であったり , 抑制的なものであると今述べた 3 っ の形態のいずれかに専心することもなく , したがって人間らしい生活からも遠ざ かってしまう。本当に人間らしい生活の仕方とは , 活発に活動し , 人や物を愛 し , 仕事をし , 創造し思考することである。いつまでものらくらと怠け , ものぐ さにしているうちに人は真の人間性を失っていくのである。 5. 自己訓練について述べた章で指摘したとおり , たいていの人は活発に活動 することをはしめのうちはたいそうむずかしく感じ , 椅子に座りこんで無為にす ごしているほうが , ずっと容易だと思うものである。しかし , 最初のうちの辛さ に耐え , あえて活動に打ちこんでいけば , ものぐさな楽しさを続けた場合よりは るかに大きい楽しみが活動のなかから得られるようになるだろうし実りも大きい ことだろう。この試みは , 長く続けさえすれば , 十分に引き合うものなのであ る。 6. 怠惰で受動的な生活をおくりながら , いつも自分に向って・面白いことな んて何もない ' といってばかりいる人たちは , 自分がそれに気づいているかどう かは別にして , 感じなくてよい恐怖 , なかんずく失敗の恐怖から身を守っている わけである。失敗に対して極度の恐れを抱き , やってみればきっと好きになるは ずの活動をすべて遠ざけてしまうのである。およそどんな活動にも手をださずに
などはありえないのだという事実をまったく認識していなかった。 2 人ともよく ある一一一 - しかしたいへんなまちがいであるところの一一あなたが私の心の動揺の 原因であるという考えをもっていたのである。そして明らかにこの考え方が , か れらをお決りの衡突へと導いていたのである。つまり , このケースは環境の要素 ( この場合は配偶者 ) と深く結びつき , それから派生して肥大していった神経症 的行動の , かなり典型的な例である。 同様に , 神経症の状態にある時には , 人は自分の周囲にある , 人間の意志によ らないことがらにも非難のまなざしを向けがちである。つまりものごとが , そう あるべきだ , と自分が思っているとおりにいかない場合である。たとえば , 飛行 機が定刻に離陸しない時 , たくさんお金をかけた自分の自動車が , 何の原因もな くパチパチと音をさせて急に止まった時 , 税務署が , 取引上あるいは健康上の控 除に関する正直な説明を受けいれようとしない時 , 音に対して敏感になっている のに街で音楽が鳴りひびいていた時など , あるいは , 同様のもっといろいろな場 面で , 人はいたく立腹し , 手のとどかぬところで力をふるう運命の , わが身に対 する不公正なとり扱いを非難するのである。しかもこうやって非難することで , もともとの神経症的な心の動揺に加えて , はなはだしく立腹して感情が激するた めに , 自分の心の動揺はさらに高まり , 当人も周囲も , いっそう困難なところに 追いこまれるのである。 周知のように神経症は , ふつうきわめて多種多様な形であらわれてくる。もし その多様な症状を神経症と認め , なおかつ自分が ( つまり他人でもなければ , 社 ある。 く困難なようである。しかし , その闘いには計りしれぬ報いがあることも事実で を見抜くほうがまだしも容易といえるほど , 神経症と闘っていくことは途方もな らぬいいわけをしたり , 不必要にそれと共存することもないだろう。問題の本質 理解し除去する貴重な機会をつかんだことになろう。そして , 分が障害を招いているのだ , という事実を十分に認識すれば , 人は自分の障害を 会的条件でもなければ , 自分に不親切な運命の女神でもなく ) 他ならぬまさに自 そのために理の通