心理学 - みる会図書館


検索対象: 論理療法 自己説得のサイコセラピイ
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1. 論理療法 自己説得のサイコセラピイ

第 1 章 自己分析の限界と可能性 自己分析の限界 われわれはつぎのような意見に出会うことがよくある。「さて , あなた方の唱 導する論理療法が実際によく機能し , あなた方の主張しているように , 知的な人 びとをして , 現実的な問題の解決を諦めぬよう指導できるとしましよう。もしも あなた方がこのことに確信をもっているなら , どうしてこの理論を書物に著し て , われわれに読ませてくれないのですか。そうすればわれわれは心理療法に近 づくことにより膨大な時間と心労を省ぎ , 貴重なものを失わなくてすむではあり ませんか」 こういう考えには賛成できない。 われわれは , 自己分析には明確な限界があるとはわれわれの指摘しているところである。つ まり , いかに明快に自己改善の原理を述べても , 人びとは往々にしてそれらを思 いちがいしたり , 歪めたりするからである。かれらはこれらの原理に , 主観的・ 恣意的な解釈を施し , あまっさえ , それらの最も重要な側面を無視することさえ ある。過度に単純化したり , 仮定や付加条項や付帯条件を無視したりするし , 注 意深く解説されている不安についての原則を , 状況にも頓着なく , ほとんどすべ ての人を対象に拡大して適用しようとしたりするのである。 さらに悪いことに , 幾千の読者諸氏は , かれらが信じていると称する心理学上 の原理 , あるいは道徳的 , 社会的な原理などを口をきわめて賞賛するのである。 かれらはつぎのように述べたり書き送ったりしてくる。「こんなすばらしい本を 書いてくださったことに対し , 感謝のすべを知りません。私はこの本を反復味読 し , そのたびにこのうえない教訓を得ることができました」ところが , かれらと 文通したりさらに深く話し合ったりしてみると , 実際にはわれわれが苦心して作 成した , かの・すばらしい本 ' に書かれている指示に対して , かれらはしばしば 忠実に従ってはおらず , いな , 実際の行動ではわれわれの指示とは正反対という

2. 論理療法 自己説得のサイコセラピイ

監修者による序 心理療法には種々さまざまな理論 , 技法があり , また欧米に生れた心理療法の 殆どのものは , すでにわが国に紹介 , 導入ずみと思われるが , 本訳書によってさら に「論理療法」なる , 米国での有力な心理療法の実際が紹介されることになった。 心理療法がかくも多岐にわたるのは , その対象となる人間の心やその病理・病 態のもつ多義性 , 多面性 , 独自性などからくる本質的な問題に加えて , 多数のク ライエントの需要に答えねばならない心理療法の現況からくる実用性や能率性へ の要求にもよるものであろう。それでは当論理療法は既存の心理療法のなかで は , どのような位置づけや特徴をもつのであろうか。本書を一読した限りでの筆 者の感想は次のようなことである。 1. 論理療法の焦点は終始 , 問題の受けとめ方 , 考え方にみられる非論理性の 修正 , 転換におかれている。このためクライエントの当初の非論理的 , 自己破壊 的な構えがしだいに論理的 , 建設的な構えに変化して , 新しい主体的な生き方の 自覚 , 覚醒にいたるまでの過程やその間の技法の展開を客観的 , 論理的にとらえ ることができる。このため論理療法は , 現代の心理療法としての説得法や自己分 析 , 読書療法など臨床的活用性に富む心理療法といえるのではないか。 2. 論理療法は行動療法に近縁性をもっことから , 一見精神分析的心理療法と は無縁のようにみえながら , 精神力動的には防衛分析 , あるいは症状形成に直接 意味をもつ , 個々の自我・性格防衛を支える心の基本的構え , パターンともいう べきものの処理に積極的に活用しうる技法を含んでいるのではないだろうか。論 理療法がクライエントの具体的なことば ( 文章記述 ) の使い方 ( 自己会話 ) の偏 りに顕在化されている思考 , 態度の非理論的独断にもつばら焦点を定めた働きか けによって , クライエントの自覚や洞察を導く技法は , 精神分析療法での自由連 想法の仕方 , あり方や態度・ふるまいの分析によって , 自我防衛の緩解を起こさ せるとする性格分析技法に直結すると思えるからである。 3. 論理療法は主として説得によって直接クライエントの思考やことばのあり 方を論理的に再構成させることで , 行動の変容をめざす点 , きわだって西欧合理

3. 論理療法 自己説得のサイコセラピイ

106 いま述べたように , 論理的思考に従っていけば , 人はけっして機械的な反応や 度のすぎた知性化や情緒の欠如などに陥ることはないだろう。論理的という語に はいろいろな人がいろいろな意味を与えている。われわれのいうところはつぎの とおりである。すなわち , 思慮分別があり , 能率的で , 自減的傾向を示さない , ということである。われわれは , 人間的な情緒や感受性 , 創造性 , 芸術などをも きわめて論理的な探求目標に含めて考えているのである。ただし , そのいずれか に極端に熱中して , 他の楽しみやあるいは生活そのものを阻害しない限りにおい てではあるが。 数ベージ前に引用した事例が示しているように , 人びとが論理性と明晰な思考 とを , いきすぎた統制と不必要な抑制の手段として恐れている場合 , かれらが論 理的という語に与えている定義は , 本書の定義とは全然違うのである ( われわれ には , そういう定義は相当に非論理的であるように思われる ) 。さもなければ , か れらは現在かれらがとっている非論理的な方法を放棄するのを恐れており , その ゆえにこそ ' 論理性 ' に反抗しているのである。そのような場合には , かれらの 行なう自己正当化こそ論理的思考を妨げているといえよう。 自己正当化とは , 自分の行為 , 考え , 希望などに対して , みかけ上論理的にみ え , もっともらしく聞こえる説明をあれこれと考えだすことである。その説明が たいじなところで筋が通っていないという自覚はまったくない。したがって , 自 分の行動を正当化したり釈明したりすることは , 論理的思考とは逆のところにい きついてしまう。 同様に , 知性化というカテゴリーは , 哲学上では推論したり思考したりという ことであるが心理学上は , たとえば数学のような知的な探求を過度に強調するこ とを意味し , また通俗的な演劇や音楽の探求については価値が低いとみなすこと である。また心理学上の知性化は , 感情の問題を些細で衝動的な問題として扱う から , 感情についてはその問題を解決しようとするよりは , むしろそれを避け , 存在理由を否定することさえあるようだ。 したがって , 論理的行動療法および論理的生活の原理は , その名の示すごと く , 人間生活に対して理性をとくに重んじたアプローチを指向するけれども , け っして理屈づけ ( 正当化 ) に重きを置きすぎたり , また心理学上の知性化に類似 したアプローチを指向するものではない。情緒的な動揺から脱けでて合理的思考

4. 論理療法 自己説得のサイコセラピイ

第 2 章 感情と思考 怒リと不安 博士 , あなたのいわれることは , 話を聞くかぎりではもっともらし くよいところをついているように思われます。また , もしも人びとが先生のそう しなさいという指示のとおりに素朴に行動するのなら私も喜ばしいとは思います が , でも率直に申しますと , あなたやエリス博士が論理療法とよんでいるもの は , かなり深く研究されているとしても , 皮相的で反精神分析的であり , ちょっ としゃれた雑誌の数ベージを飾る・いかにして自己を高めるか ' 式の心理学のよ うに聞こえるのですが」 この話し手である B 博士は , 教育者のグループを対象とした私の講義に出席し ていた。そのグループに対して , 私はすでに論理療法の核心を説明しはじめてい た。そこで彼の見解であるが , たしかに真実をついている点もあると思う。論理 療法の考え方のなかには表面的に聞こえてしまうところがなくはないと思う。し かもその考え方は伝統的な精神分析の考え方とははっきりと対立している。もち ろん , それらのなかにはアルフレッド・アドラー カレン・ホーナイ , H ・ S ・サ リヴァン , ェーリッヒ・フロム , ェリック・一く一ンらといった " 自我心理学 " を 強調する人びとの教義と重なるところもある。 それでもなお , 私は彼を批判せざるをえない。それは , 私が彼の考えを変えら いったい誰が練達の心理療法家の偏見をとり れると思っているからではない 除くことができよう。また私が , でしやばった彼の鼻っ柱を折ろうとして平静を 欠いていたためでもない ( この本でものちにもふれるように , 他人に当りちらす 満足感など , 論理志向の人にとっては何ら得るところがないのである ) 。ただ , 私は彼への反論がかえって他の聴講者たちに対しても , 論理療法の主要原理のひ とつを論証するために有効かもしれないと考えたのである。 「あなたは , 人間の感情はその思考と共通点があり , そのことこそ重要であ

5. 論理療法 自己説得のサイコセラピイ

は無理というものである。本書にもりこまれているような叡知はすべて書かれて いるというふれこみの原稿を私はここ 20 年間読んできた。そして私の感じること は , 原稿に目を通すべく深夜私が燃やしつづけた灯油も無駄ではなかったという ことである。この分野では本書が古典として残るであろうからである。 を詳論している。 リス博士と / りにも見事なので , ふつうの 1 対 1 の面接から得られる解答よりもずっと多くの この 2 人は自分の考えを見事にもれなく語っている。事実あま ー博士は人間誰でもが持ちがちな情緒的問題の主たるもの る。「あなたはそう思っているわけですね」。 からである。この種の心理療法では何を質問しても返ってくる答はきまってい によって用いられている受身的・非指示的方法を心理療法家たちは愛用している くはないこともわかると思う。というのは今でもたいていの心理学者や精神科医 ひとつにはこの本は心理療法家との個人面接ほどには人を悪化させることが多 の限界を指摘するのが倫理であるとしているからである。 り 2 人の著者は 1 対 1 の面接ぬきの治療法 ( 訳注 : 読書による自己改造のこと ) 方は 2 人の著者のいやがるところであるが , あえて私はそういうのである。つま こういういい 解答を読者のみなさんが得られるであろうことを私は信じている。 ェリス博士と / ー博士は正統派精神分析者のようなことはしない。それを はっきりさせている。すなわち「正統派精神分析者・・・・・・に対してわれわれは敬意 を表しはする。しかし心をこめて反対する」と。すなわちこの 2 人は伝統的フロイ ディアンよろしく沈黙を守るよりは治療の初期に「情緒的問題をもっている人は どこがまちがっているか」を指摘するのである。 ストレートに問題の核心をつくこの方法はたいていの正統的心理療法と大いに 異なっている。正統的心理療法というのは , 自分がどこに立っているかを全然知 らない来談者の足許をはてしなく掘りつづけるのである。私の知る限り集団療法 もそうだが , そこには心理療法のとるべき方向があるはずである。ただし , 心理 療法というものが健常性全般に真に寄与するつもりであればの話である。 もし自分には自己分析を行なうたけのきびしさと正直さがあるとあなたが思わ れるならば , 本書は今までにあなたが読んた本のなかで一番意味のある本になる であろうことはまちがいない。個人療法のために高い料金を払えない人にとって は , 本書は願ったりかなったりの書であろう。

6. 論理療法 自己説得のサイコセラピイ

第 12 章非難 165 責することは , 人がもってもいない行動選択の完全な自由が彼にあるとしている わけだから公正ではないのである。 2. 人が , 悪しきことを行なったのだから , その人が ' 悪人 ' あるいは・邪悪 な人 ' であるとする考えは , つぎに述べる第 2 の誤謬から生じている。その誤謬 とは , われわれは ' 善・悪 ' や , ・道徳的行動であるか否か ' を容易に決定する ことができるし , 合理的に考える人は , その行動が・正しいか , 正しくないか ' を容易に理解できるとする考えである。 19 世紀の哲学上 , 心理学上の論議が明ら かにしたのは , 道徳性とは相対的な概念であって , 場所や環境によって大幅に違 うということであった。ある地域の人びとの間で , 何が本当の・善 ' で , 何が。悪 ' であるかについて , 意見が完全に一致することはまれである。ジョセフ・フレッ チャーおよびその他の神学者たちが示しているとおり , 倫理は絶対的なものとい うよりはむしろ環境依存的である。さらにたいていの人は , ' 善い ' 行為の一定の 基準を理論上。知って ' おり , それを承認している場合でさえ , 自分の行動を安 易に , 無意識のうちに正当化してしまい , 應い ' 行動を必要とした・善い ' 理由 を見出してしまうのである。そういう次第であるから , ・善行 ' の基準を自らは っきり定めてそれを遵守することのできない人を非難をするとしたら , それは非 現実的で , 不当であるといわねばならない。 3. われわれが・悪しき行動 ' の基準に同意している場合でも , その基準に従 わないからといって人を非難することは , 厳密にいえばそれはできない。悪しき 行動をした人がつぎのように考えるよう導いてあげたほうがよいのである。 (a) ' 私は悪いことあるいは , 不道徳なことをしてしまった ' (b) ・では , 自己を改善 し , 将来において誤りをくり返さないためには私はどうすればいいのたろう ? ' と。ところが , 行動を誤ったからといって非難や問責を加えられると , (a) 。私は 悪いことあるいは , 不道徳なことをしてしまった ' (b) こんなことをしてしまうと は・私はなんてためな人間なのだろう ' と考えがちである。 ひとたび , 非難を受けいれて , 自分の誤った行動のゆえに自分の人間的評価を 下げてしまうと , 人は ( 単に過失があったとか倫理にそむいたのたとは考えず ) , 自分は無価値で能なしだと考えてしまう。あるいは , ( 自己の評価を下げるとい うより ) 自分の行為のなかに過失があったことを認めようとしない場合がある。 ときによると , 行為があったことさえ認めない場合もある。換言すれば , 非難を

7. 論理療法 自己説得のサイコセラピイ

第 13 章欲求不満 はそういった心理分析をしないのですか ? 」 四 3 「いえ , けっしてそういうことではありません。あなたが名をあげたような本 に感銘を受けた時に , 私もそのようにしたこともあります。しかし , 多くの人び とと面接し , かれらの過去の体験を甦えらせ , 両親へのはげしい憎しみを再び味 わわせたところで , いっこうに事態の改善をもたらさないことが分かったの . で す。かれらもこの方法が気に入っていました。かれらはかっての欲求不満や憎し みを再現して見せました。しかしかれらは少しも良くならなかったのです。そこ で私は , ョークのアルバー ト・エリス博士とともに , 長年にわたってそれ とはまったく違う心理療法を採用してきたのです。それは , 以前私が実施してい たものほどドラマティックでもないし , 来談者に満足感を与えるものではなかっ たのですが , 治療効果はきわめて高いものでした。古い方法の時は , 来談者はと ても私を気に入ってくれたものです。しかしいま , 私が推しすすめているのは , かれらが自分を気に入って受けいれるという方法なのです」 「そうですか。あなたのおっしやることは分かります。でも私のような特別の だって私は両親に手ひどく拒絶されたために , 長い間にわたってず 場合には っと反感をもちつづけていますから一一一あなたやエリス博士の強調しておられる 論理的なアフ。ローチができるようになる前提として , 長期間の心理分析によって この反感を処理しなくてはならないと思うのですが ? 」 「いいえ , その必要はないと思います。伝統的な精神分析によっても , 長い期 間をかければあるいはあなたの感情の問題を処理するのに有効かもしれません。 しかし有効でない確率のほうが高いと思います。何年もかけて , あなたが 2 , 3 歳だった頃に両親がいったりしたりしたことや , それらに対してあなたがどう反 応したかということを , こと細かに洗いざらいとりあげてみたところで , あなた は拒絶されたことによる欲求不満を , 今もなお感じているわけだから , それを改 めなくてはならないし , 30 年たっても今もってそんなことをいいつづけていると いう愚かな振舞いをやめねばならないことは同じなのです」 「どういうことが愚かだといわれるのですか ? 」 「この面接のはじめに , 20 分ほど私に話していたようなことです。そして今も あなたが明らかにそう考えていることがらです。つまりですね , 皆に受けいれて もらえないこと , とくに両親に拒絶されたことがあなたの心に恐怖を生じさせま

8. 論理療法 自己説得のサイコセラピイ

10 をこえたものを作ろうと本書を執筆したのである。また , 総合的に論理療法を扱 った本としては『心理療法における理性と感情』『理性による成長』『人間学的心 理療法ーー論理療法の技術』などがある。本書においては論理療法の主要な原理 のアウトラインを述べるとともに , 自力で問題を解決する具体的な事例をあげて おいた。 この本から自分の当面する問題に対する特別の援助を得ようとしている人たち に対して , もう一度注意を促しておこう。この本も含めてどんな本も情緒障害を 完全に治療することはできない。どんな人であれ , その人の性質や環境という固 有の要素をもっているので , 1 冊の本は個人的なカウンセリングのかわりをする ことはできないのである。しかし , 良書であるならば , 治療を上手に補足したり 強化したりするだろう。さらに高度に有益な自己分析をはげますこともできよ もうひとつ警告しておきたいことは , 言葉というものはどれをとってもその限 界をもっているということである。われわれが精神衛生を専門とする他の人びと と同様に , 、創造性 ' ・幸福 ' 。愛 ' ・成熟 ' ・問題解決 ' といった言葉を用いるから といって , われわれもまた , 実際的な価値がないとしてずいぶん前に否定された ような陳腐で , ただ楽天的なだけのメッセージをあなた方に与えようとしている などと誤解しないでほしい。表面的にみればわれわれのいっていることのなかに ' 前向きに考えよう ' , あ最善をつくしましよう ' で終るお説教 , 月並み も , な禁欲主義や非現実的な信条などのように聞こえるところもあるかもしれない。 しかし実際は全然違うのである。試みにわれわれがこの本で提示した不幸感を克 服するための諸原理を読んでほしい。つぎにそれらについて熟考し行動されるこ とを願う次第である。そうすれば他の来談者たちと同様あなたもそこから有益 なものが得られる ' とわかるであろう。 そこで , こにわれわれは論理的な思考と合理的な生活のためのプランを提供 しようと思う。どうか注意深く読んでほしい。ただし , この本にも一定の限界が あり , さらにあなた方も一定の限界があるという斟酌を忘れてはならない。本書 が提供する原則がいかに理にかなったものであるとしても , 安易に簡単に読んで しまっては , それを信じて行動するのは実は容易でなく複雑であるということに もなる。また , 本書によって生活のあり方を改善する実践的な示唆を読み , それ

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6 なやっかいな状況について話し合おうとはしなかった。彼は腹立たしく思うだけ で現状を変えるようなことは何もしなかったのである。 だがやがて状況が変わった。ボブは『リアリスト』という啓蒙的な雑誌で「会 見記 : 見たままのアルノく一ト・エリス」という記事に偶然出会い , さらに『リア リスト』だけでなく , 専門誌に載っている論理療法に関する主要な論文を探して は読むことによって , ・かって経験したことのない類いの ' 精神状況の変化を覚え るにいたった。彼は突然にひとつの明白な事実を認識したのである。すなわち , いかなる。他人も , 外部の事象もわれわれの心を狂わせることはできず , むしろ , われわれ自身は , それによって精神を損なわれると信じこむために自壊していく のである ' と。 彼の生活を根本から変えたのは , 彼が・不幸に立ちむかうための公式 ' とよぶ 思考法を身につけたからである。論理療法を扱った主要な論文には必ず解説され ている基本原理を , 彼はそのように表現したのである。まもなく彼は両親と話を するようになり , 妻との関係も以前より改善され , 長い間こわがって口にしなか ったようなことも人びとと話し合うようになったのである。 彼は , 自分の思考と行為から信じがたいほど効果的に障害を除去したばかりで なく , 彼はまた , 他人に話しかけるようになり , ちらしを送ったり手紙を書いた りするのをはじめ , さまざまな活動をし , 活動を通じて , 論理的な生活への関心 が、連鎖反応 ' を起すことを期待したのである。彼は , この連鎖を広げていくこ とにより , 国の要人や政治家たちも分別のある思考を回復し , 自分の心を狂わせ るものが外部の事物や人びとであると信じて自壊するというパターンを改めてい けば , やがてこの貴重な歩みは世界の平和にもつながるたろうと信じたのだっ た。彼の判断の正誤はともあれ , 実際問題として彼はものごとを合理的に考える ようになり , 以前よりずっと建設的で平和な生活を現在営んでいることは確かで ある。 これは誰にでもできることなのである。心理学の知識があってもなくても , 新 しい考え方を読んだり聞いたりすることは可能であり , さらにそれを自分の思考 と行動に適用して , 第一歩を力強く踏みたすことも可能である。そうすれば自分 の生活が驚くほど変化することも夢ではない。もっとも誰にでもこれが可能であ るとはいえないし誰もがそうしたいと望むとは限らない。しかし実際やりとげ

10. 論理療法 自己説得のサイコセラピイ

316 うとか , 朝 30 分早く起きるとか , 退屈な人と 1 時間会話するなどです。誰か ( 個人あるいは集団 ) に監視者になってもらって , 自分が決めた罰および楽し い活動を控えることが守られるように援助してもらってもよいでしよう。もち ろんそういう自力による強化を用いていかなくても D I B S をやっていくこと はできます。しかし , D I B s を採用していく場合 , しつかり実践できた時あ るいは怠けた時その直後に報酬か罰を与えていく方法を併用するとさらに効果 的であると思います。 教育的な諸技術を用いる 論理療法は , 医学をモデルにした心理療法あるいは精神力学などよりは , 本来 教育的な要素が強いものである。われわれは , 人間がともすると歪んだ思考に陥 り , 不適切な感情にとらわれ , 自減的な行動にはしるのは無理もないという考え 方に立っている。可能なかぎり教育的な方法を動員して , 別の行動のしかたを強 カかっ執拗に , またダイナミックに指導していくべきであると考えている。 論理療法がとくに強調するのは , 効果的な教育的方法を多彩に用いていくこと である。なかでも読書療法は重要な方法である。来談者たちには論理療法に関す るパンフレットや書物を必ず読んでもらうことにしている。たとえば『神経症者 とっき合うには』 , 本書 , 『人間学的心理療法ーーー論理療法の技術』などである。 面接と面接の間には在宅研修用の課題用紙が与えられ , それに書きいれて提出さ せるようになっている。それは面接にさいして検討され必要に応じて修正される。 面接における問答はカセットレコーダーに録音することを奨励し , つぎの面接ま でにくり返し聞くよう指導する。また論理的な標語を書いたカードも用いるよう に指導する。鏡に貼ったり携帯するようにさせる。論理療法の原理を示すような 表や絵も同時に使用する。論理療法の理論と実践的方法の習得に有効なゲームや 模擬行動なども実施させる。来談者たちが面接期間外に実施できるような研修課 セミナーなどの録音したも 題を与える。論理療法のための会話 , インタヴュ のを与えて , 論理療法の本質をより完全に把握するようにさせる。さらに同様の 目的でヴィデオ・フィルムや映画フィルムも使用する。 上にみたように , われわれは教育的な方法を多数採用している。さらにいえ ば , 心理療法なかんずく論理療法の将来は , 感情教育のいっそうの改善にまっと