第 13 章 欲求不満 非論理的思考その 4 欲求不満に陥った時 現代のおよそ 90 から 99 パーセントの人びとが完全に誤った観念を信じて , そこ から脱けでられないようである。すなわち , 欲求不満に陥った時 , 人は必然的に みじめな気持かあるいは憂うつ状態になるにちがいないと考えている。最先端を いく心理学者でさえ , 欲求不満は不可避的に攻撃性に転化するという , かのダラ ミラーの仮説を信じている始末である。 こういう次第で , これらの人び と , つまり何十億の一般人と何千という心理学者たちはほとんど完全にまちがっ ている。 欲求不満が攻撃性に転化するという仮説は第 4 のタイフ。の非論理的思考から生 じている。「非論理的思考その 4 」とは , 人がはなはだしく欲求不満に陥った り , 不正な扱いを受けたり拒絶されたりすると , 人は必ずや事態を恐ろしい , 悩 ましい , 悲劇的なものとして眺める , とする考え方である。この考え方はつぎに 述べるような理由で誤りであることが分かる。 1 ・人生に期待したものを得られなかった時に , 不快かあるいは不幸な気持を 味わうことはあるだろうが , もう破減だとか , 恐ろしいとか感じるのは , 現状 について自分が独断的にそう思いこんでしまったからである。事態が悪くなった 時に , どう考えるかは自己の選択にかかっている。 (a) ・私はこの状況が気に入ら この事態を変えるために私にできることをやってみよう。もしもそれで ない。 も変えることができなければ , 人生とはなかなか手強いものだ。でも , だからと いって必ずしも悲劇的というわけでもない ' あるいは ( b ) ・私はこの状況が気に入 らない。私には耐えられない。私は気が狂いそうだ。こんなことがあってよいは ずがない。事態は変るべきなのだ。さもなければ私は幸せになどなれやしない ' この 2 番目に示した一連の文章はたしかに , 悲惨 , 自己憐憫 , 抑うつ状態 , 敵意 などを生みだすだろう。最初に示した一連の文章は , 不愉快で残念な気持をひき
〃 6 を危険にさらすだけでなく , 自己自身つまり 自己の現在と将来にわたる幸福 をも危険にさらしてしまうことになる。かかる独断的な思考には , 大きなペナル ティー一人が他人を失った時に , 自己自身をさえ失くしてしまう がつきまと っている。そのことを知れば , 他人と良い関係をもっということが , ( 適度な関 心どころか ) 極端に気がかりになってしまうだろう。 いっそう具合の悪いことに人びとは私を心から愛さねばならないということ を , 一度信じこんでしまったら , かれらが自分を愛してくれない場合には , 自ら 不安と苦痛に身を投じることになり , のみならず , 愛してくれた場合でもつねに 愛の喪失に対する不安と懊悩の座に身を置くことになるのである。その理由を考 「かれらは , 本当に私を愛してくれている。なんとすばらしいこと えてみよう。 だろう。私はなんと値うちのある人間なのだろう」とひとりごっ時でさえ「まて よ , でももしも明日になって , もう私を愛してくれなかったらどうしよう ? な んて恐ろしいことだ / そんなことになったら私はなんとみじめなことになるだ ろう」と考えてしまうことは避けがたいからである。かくて , 自分が獲得しなけ ればならないと望む , 正にそのものを手中にもつ時でさえ , 将来においてそれを 失う可能性について思いわずらうのを止めることはけっしてできないのである。 この変転きわまりない世界にあっては , それを失うにいたる蓋然性はつねに存在 しているのだから。たとえば今は自分を熱愛してくれている人が , 明日は死ぬか もしれない。遠隔の地へ引越すことを余儀なくされるかもしれない。深刻な肉体 的 , 精神的な問題に見舞われるかもしれない。自分に関心を払わなくなるという 事態だってないとはかぎらない。その他諸々の理由によって , 感情が変ることは けっしてありえないことではないのだ。 こういう状況の下で , 他人が自分を受け いれねばならないなどという法則を信じこんでいたら , 不安なく暮せるはずがな いではないか。 以上述べてきたところから , 愛する人 ( や物 ) が失われた時に , 深い喪失感 , 悲しみが適切な状態にあるというのはどういう場合かが分かっていただけたと思 う。また , いくら失われたものへの愛着が大きいからといって抑うつ状態に陥り , 自棄的に , 絶望的になることがかならずしも必然のフ。ロセスではないこともお分 かりいただけたことと思う。われわれの考えによれば , 不幸という感情について も , 前に述べたような適切な感情から成っている不幸感は , なんら常軌を逸した
180 おこしはするが , 必ずしも失意 , 落胆や怒りにはつながらないだろう。 2. 子供は欲求が満たされない時に我慢できないことが多いが , 大人は決然と して我慢することもできる。子供はおおむね環境の支配下にあるといえる。かれ らは , たとえ今欲求不満の状態であっても , それが絶えることなくずーっと続く かどうか確かめるために , 未来に思考をはせることがなかなかできないのであ る。われわれは子供たちが欲求不満について , 理性的に考察するのを期待するわ けにはいかない。しかし大人についてはそうではない。大人の場合は , 精神的に 欠陥でもないかぎり , 現在の欲求不満の解消の時期を洞察することが可能のはず であり , 自分で環境を変えることも可能である。また事態が当面変らないとして も , 生きていくうえでのひとつの不利な条件として , これを理性的に受けいれる ことも可能なのである。 3. 何か欲求不満がある時に , 自分で気を動転させてしまいーーーそうなのであ , 抑うつ状態になってしまうと , その状 る , 自らそうしてしまうのであるが 態を脱けでる道をいつも自分で塞いでしまうのだ。自分の哀しい定めを嘆き , 不 平を鳴らし , 絶望に歯ぎしりして , 時間と精力を浪費するほどに , 直面している 悪条件を改善する適切な行動はとれなくなり , 気まずくなった相手との関係もさ らに悪くしてしまうだろう。たとえ , 他人が悪がしこく自分を妨害しているとい う想像が正しかったとしても一一それがどうしてそんなに恐ろしいことだろう か ? なるほど , それは公正でないし , 倫理にも反している。でも , いったい誰 が , 人 = 不正直 00 , 倫理 00 反 = 行動すきな 0 、と豊 0 ただろう ? もちろ ん正直で倫理的であるほうがよいことにはちがいない力。 4. たとえば両親とか友人が死んで , もはや呼びかえすことができない場合の ように , 自分の欲求不満が避けがたく , 変更のしようもないという時 , 人は喪失 こういう憂きめをみることもあ の痛みで気も狂わんばかりにとり乱してしまう。 るだろう。しかし泣き叫び , 悲嘆にくれることで愛する人を呼びもどすことがで きるだろうか ? 辛い運命を呪うことで心からよい気分を味わえるだろうか ? たとえどんなに辛くはあっても , ただ嘆くかわりに避けがたい運命を受けいれる ことをなぜしないのか ? たしかにとても悲しく , 好ましくない事態にちがいな い。 しかし ( 自分が独断的にそう思いこまぬかぎり ) , それは恐ろしいとはいえな いだろう。
第 21 章論理療法 3 り 7 ないことをよく理解してください。 心の動揺を感じて , それをもっと適切なものに変えようとしてもなかなか変 わらない場合には , その不快な経験や事実をありのままに想像し , なんとかし て自分の気持が変わるまで , 変える努力を続けるのです。あなたのカで感情を コントロールし新たに作りだすことができるのです。けっして諦めてはいけ ません。変えることはできるのです。 あなたが , 不安ではなくて強い関心を覚えることに一度でも成功したなら ば , 同様に自分の行動について恥ずかしさではなくて失望を , 他人の性質につ いてもそういう性質をもっている他人に対する憎悪ではなくて , 単なる不快を さらに心の動揺を鎮めて , ただ不快 感じていられるようになったならば 感を感じるだけの状態にするにはどういう・考え ' を変えることでそれが可能 になったのかを正確に観察することが一度でもできたならば一一一そうです , そ のプロセスをくり返すように心がけていけばいいのです。まず心に不安を与え てみましよう。つぎに不安ではなく不快を感じるように自己を変化させるので す。そうして , そういう感情の変化をひき起すために自分の頭のなかで何が行 なわれたのか詳しく観察し , 把握します。それができたら , それを再三再四く り返すように努めます。さらにこの練習を続けて , この操作がすぐにできるよ うになるのが目標です。つまり , あなたがきわめて不幸な事態をむかえて ( A ) , そこですっかりとり乱してしまう場合 (c ) を想像し , つぎにその状況 ( C ) における自分の感情を不安と動揺から単なる失望に変える努力をします。その さいに感情を生みだし維持していく原因となっているあなたの信念体系 (B) に対して , どういう作用を加えてそれを変えていくのか十分理解できるように することです。いま述べてきた論理ー情動心像法 ()E I) の練習を , 今後数 週間 1 日に少なくとも 10 分でも続けていけば , 不快な事実を想像しても ( い や実際にそれが起ったとしても ) , 単に不快を感じるだけで , けっしてすっか りとり乱してしまうことはない , そういう境地に達することができるでしょ こで事例をひとっとりあげて , さらに分かりやすく解 事例による解説 説してみましよう。体験的事実 (A) として , 仮にあなたが仕事を失敗して上 司あるいは社長に厳しく叱責されたとしてみましよう。あなたはこの失敗のせ
110 え方を知的で論理に基づき , 喜びを生みだすような観念と置きかえることによっ て , かかる感情をすみやかに停止させる道を選ぶこともできるのです」 「ほんとうですか ? そんなことが本当にできるのですか ? 」 事実なのである。しかし本題に入る前に , ・幸福 ' と力い不幸 ' という言葉の定 義を少しみておいたほうがよさそうである。そうすれば , われわれの主張が一見 するところ辻褄が合わないようにみえても実際はそうでないということが理解さ れるだろう。 辞書によれば , 不幸という単語は悲しい , 悲惨である , 哀れな , あるいは悲哀 に満ちた状態である , とおおまかに定義されている。しかしこの定義は , 実際に それが意味するところの半分も説明していない。不幸とは少なくとも 2 つの異な った要素から成りたっているというのが事実である。すなわち , ①悲しみ , 嘆 き , いらだち , 熕悶 , あるいは自分の欲求することを達することがでぎず , 望ま ない方向に事態がすすんでしまうことへの嘆きの感情。 ②第 2 の内容は①とはきわだって様相を異にしているが , それは , 不安 , 憂う つ , 恥しさ , はげしい怒りの感情であって , それらの原因として , ( ) 自分は妨害 を受け , 不当に奪われたのだと思いこんでいる場合や , ( b ) 自分が挫折することな どあるべきではない , いや絶対あってはならぬと愚かしくも思いこみ , うやって挫折の憂ぎ目をみているとは , なんと恐ろしく , かっすさまじいことだ ろうか , と思ってしまう場合である。 いいかえると , 不幸な状態というのは , 明らかに異なった 2 つの部分から成っ ているということである。つまり , ①人がある目的 , 目標に達することを望み , 欲求し , あるいはその追求の努力をしたにもかかわらず , それが達成できずに失 望し , いらいらする感情に陥ること。②ある目的 , 目標に達することを要求し , 主張し , 命じ , あるいはそのことが緊急に必要でさえあるのに , それを達成する ことができず , 耐えがたい気持 , 怒りや心配 , 絶望や自己卑下の気持に陥ってし まうこと , この 2 つである。 そういうわけであるから , 欲求している何事かが思うようにならない時に起る 悲しみやいらだたしさという , いわば自然で健全な感情と , 挫折ゃ損失を不可避 のものとして含んでいる現実を受けいれることを拒否する子供つぼい気持 , こん なことがあってはならないと独善的に思いこんで , 哀れっぽくつぶやく気持から
第 15 章不安幻 5 レングラッド夫人のケースがある。子供の時 , 彼女は残虐な父親に逆らうことも なく服従していた。彼はほんの少しでも自分の権威に従わないことがあると , き わめてきびしく彼女を罰した。彼女は , 自分が人から優しく扱われることなど望 むべくもないと考えて , のちに同じように非道な男と結婚し , 10 年ほど生活をと もにした。それは , その男が精神病を罹って病院におくられるまで続いた。 子供時代および最初の結婚生活を通じて , 彼女はまことに恐ろしい環境にあっ た。しかし , ポーレングラッド氏と二度目の結婚をしてからはそうではなかっ た。ポーレングラッド氏は , 二人といないような柔和で素適な伴侶だったから た。それにもかかわらず , 彼女は神経症の徴候を自ら感じ , ひどい恐慌状態で面 接にやってきた。大学で心理学を専攻していたという彼女は , 私 ( A ・エリス ) に 対してやや風変りないい方で自分の神経症についてつぎのように語った。 「私は , まさにパフ・ロフの犬と同じであると思います。誰かが私に近づいてく ると恐ろしくて震えるように条件づけがすっかりできています。そして , 無条件 で服従し , 心の底には恨みを積みかさねていくのです。私は , 過去に形成された この条件反応を今までずっとくり返してきました。夫がこのうえなくやさしくし てくれても , 十代の娘が人形のように愛らしく振舞っていても , 私はつねに恐怖 のなかにありました。肉を与える前にベルを鳴らすと , それが貰えると思ってす ぐに犬は涎を流します。私がベルの音を聞いた場合も同様で , そのベルのあとに ひどいしうちが襲ってくることはもうないというのに , 私は恐怖で震えるので す。今はもうべルが聞こえようと聞こえまいと家族の誰かと向きあっているだけ で私は恐ろしくてすくんでしまうのです」 「おそらく条件反応ということも少しはあるかもしれません。しかし , 条件づ けという言葉そのものが非常に曖昧で , 漠然としたものですから , それが事態の 詳細な状況をみえなくさせている面があると思います。ですから , こではあな たのいう条件づけのフ。ロセスをもっと詳しく検討してみましよう。まず , あなた のお父さんと最初のご主人の 2 つの場合に何があったのかみることにしましょ 「かれらは , 私がしたことであろうとなかろうと少しのことではげしく怒りだ したものですから , 私にはかれらの怒りがどんなものかよく分かっていました。 つぎにどういうしうちが続くか , つまりひどい罰を加えるやり方も分かりすぎる
第 4 章感情の起源 29 るのですから , それは問題をわきへそらすことになります。したがって , かれら は治癒をもたらすというよりは , 事態の緩和をもたらすだけではないでしよう か。また人びとをよりよい状態へ変化させるのではなく , よりよいように感じさ せるだけではないでしようか。また確固とした理性的な変化を生ぜせしめること はほとんどないのではないでしようか。 人間の感情に影響を与える目的で , 生物物理的に感覚を刺激する諸技術は , 思 考の変化を志向する方法を併用されていない時は効果にも限界があるだろうとわ れわれは考えている。薬剤や , 緊張緩和の技術によって人びとが憂うつをぬけだ すことはあるかもしれない。しかし , もしそこでかれらが明晰に思考するように なり , 自己の生命の価値を認めるようにならないならば , かれらは薬剤や刺激の 効果が消失した時にすぐ憂うつな状態に逆戻りすることだろう。効果が永続する ように深層から感情を変化させるには , 実際には考え方の変化こそ必要であるよ うに思われる。 とくにわれわれは , 障害に悩む人びとを励まして , 他人 ( たとえば生化学者 , 医者 , 物理療法家など ) の力をあてにしすぎることのないよう援助しなくてはな らない。多くの場合かれらは , 感情の昻進や減衰をとめるために外に援助を求め るほうがよいともいえよう。しかし , 薬剤や物理的手段に訴えることは少なけれ ばすくないほど好ましいといえよう。自力で十分に考えることができるようにと 説得していく論理療法は , すなわち自立へと導いていくのである。論理的思考を 学び , それを不断に実践する訓練を行なっていけば , かれらはさらにそれ以外の 援助を外部に求める必要はほとんどなくなるたろう。 だからといって , われわれは , 感情が完全に破局に瀕している時にも , 薬剤や 緊張緩和の諸技術 ( たとえば E ・ジェイコプソンの方法 , あるいは J ・ H ・シュルッ と W ・ルースの方法など ) , 運動療法 , ョガ体操 , その他の物理的アフ。ローチによ ってコントロールすることにまで反対しているわけではない。そういう場合に は , それらの諸技術が有効であると思っている。 後にみるように , われわれもまた自己管理や行動変化のためにさまざまな技術 を使用する。劇の利用や感情表出の方法 , 想像力の助けを借りるなどである。他 の多くの治療法にくらべて , 論理療法は治療にさいして , 総合的なほとんど折衷 的ともいえるような多彩な方法を採用している。
第 4 章 感情の起源 感情生起の 3 つの作用 人間の感情を理解するにはいったいどのようなアプローチによればいいのだろ うか ? おびたたしい数の高尚な論文や書物がこの問いに答えようとしてきた。しかし 今までのところ , それらのどれひとっとして核心に迫っているとはいえない。そ ういう事情であるから , たとえ完全な解答にはいたらないとしても , われわれも この難問の解明に挑戦してみようと思う。 感情は , 認知 , 活動 , 思考に伴って起る生命の一作用のようである。それは , 表面的には種々異なってみえるが , 実際は密接に関連しているいくつかの作用の 結合としてあらわれてくる。高名な神経学者のスタンリー・コップは以下のやや 専門的な記述によってこの問題に示唆を与えている。 ( ジョン・ライドの訳によ われわれが感情という語を用いる時 , つぎの ( 1 ) , ② , ③は同じことを意味す るとして用いる。①あることがらを解決しようという行為から内省的に生じる 気持の状態。②個体と環境との通常の均衡を回復することを援助するような内 面的生理的変化の総体。 ( 3 ) 環境によって刺激され , また環境との絶えざる相互 作用によって生じる多様な活動 , である。それらは心理的にも興奮した状態② であって , また , 多かれ少なかれ心が動揺している状態①でもある。いわゆる感 情とは , ある人間の精神状態を意味するものでもないし , 一定の精神状態から 抽象される固定的な特質を意味するものでもない。自律神経の緊張緩和をうな がす視床下部の反応でもないし , 客観的な言葉で表現することのできる営みば かりでもない。また , 感情をあらわす言葉のなかには , 情念の動きを意味する ものもあるが , けっしてその励起状態だけを意味するのではないし , また単に それらの寄せあつめでもない。感情とは , 多かれ少なかれ興奮を伴って験経さ
第 11 章失敗恐怖 153 に達して快い状態にあったようだとあなたはいわれましたね。そうでしょ 「ええ , でも私のほうはそうでもないわけです。私の満足はどうなります ? 」 「ちょっと待ってください。すぐに話はあなたのことになりますから。いずれ にせよ , あなたの不能についての恐れというのは , あなたが性行為に際して十分 な満足を得られないことに関係しているとあなたは理解されていますね。それは よろしいですか ? 」 「ええ , だいたいそうです。私はジャニーに不能だなんて思われたくないんで す。それなのに / 私だって , 自分のことを不能だなんて思いたくないのです」 「まあまあ。もう少し考えてみましよう。あなたのほうが満足を得られないと いって嘆いているだけでなく , もう少し考えようがありそうですよ。あなたの説 明によれば , セックスの喜びも満足もすっかり失くしてしまった。これはなんと もつらいことだ , ということでしたね。あなたの説明は正しい点もあります。あ るいは経験的に正しいようにみえる , とでもいっておきましようか。なぜならあ なたは実際に満足できなかったのですから。しかし , そうだとしても , あなたの 説明のなかには絶対に間違ったいい方がありました。 ーはきっと私のこ とをホモかなんかと思ったにちがいない。もしかしたら私にはホモを愛好する性 質が潜在しているのではなかろうか。なんとおそましいことか / 私はなんと恐 ろしい状況にあるのだろう ' というところです。あなたはこんなふうに考えてい るのですね ? 」 「そういうことです」 「さて , 今までのところから , この問題に対する解決の方向が明らかに見えて きませんか ? 」 「ええと , こういうことでしようか。まちがった考えをするのをやめて , 正し い考えだけを自分にいい聞かせる一一そういうことでしようか ? 」 「そのとおりです。性の問題でしくじることがなんと恐ろしい , とかおそまし いことだとか , それがやがて同性愛に自分を近づけるなどと考えるのをやめるこ とです。そして真実に即して考えるのです。なるほどあなたは性の喜びを得るこ とに失敗したとはいえるでしよう。でも , あなたは奥さんには十分な満足を与え ることができたのだということに重点を置いて , 自分は失敗したのだという考え
第 21 章論理療法 309 としては最悪のケース , それも今までに経験したこともなければ今後出会うこ ともありえないような文字どおり最悪の事態を考えてみるのがよいでしよう。 そして不安 , 憂うつ , 恥ずかしさ , 憎悪などの感情 (C) にいったん心を任せ てみましよう。とり乱した心の状態を作りだし , それにしばらくの間ひたって みるのです。 c の段階で心が動揺している時 , その動揺をかもしだすためにあなたの信念 体系 (B ) のところでは , いったいどういうことを自分に語りかけているのか をよく観察しましよう。 B の段階の具体的な考え方を把握したら , それに反論 (D) を加えるのです。反論を加えていく手続きと経過については , RET (rational-emotive therapy) と R B T (rational behavior training) が懇 切丁寧に示しているとおりです。 さて自分の非論理的な考え方をしつかりと把握しそれに反論を加えられるよ うになったら , つぎにはそういう非論理的な考えをすっかり捨てたあとには , またそのかわりに A の段階で直面していることに対して論理的な考え方をもて るようになったあとには , どういう感情と行動があらわれるのか一生懸命想像 してみるのです。すなわち , あなたは心に , ① A の段階の不快な事実につい て , 非論理的な考えを捨てさり , かわりに論理的な考えを対置すること , ② C の段階でも , 憂うつや憎悪などの不適切な感情ではなくて , 不快や失望などの 適切な感情をもっこと , ③とり乱した態度ではなく , 事態に対する関心を示す ような態度で行動すること , を頭に描いてみるのです。 この手続きができるように練習を重ねるのです。もう一度整理してまとめて みましよう。まず何か不運なこと , 不利益な事実を思いうかべます。つぎに 憂うつや憎悪など自分の思いうかべたイメージに関する心の動揺を味わいま す。ついで , この動揺をひき起す原因となっている自己の非論理的な考え方を 把握して反論を加えます。つぎにその考え方を捨てると同時に新しい論理的な 考え方を身につける過程を思いえがきます。そうやって憂うっと憎悪ではな く , ただ関心と不快だけが自分の感情として残るようになって , しめくくりと なります。 事例による解説事例としては , もう一度あなたが仕事を失敗したと仮定 したケースをとりあげましよう。先にみたように A の段階は , あなたが仕事に