アナトリア - みる会図書館


検索対象: 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行
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1. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

それだけだった。僕がかってクシャダシの街で吸ったあの空気はもうそこにはなかった。 あるいは我々のアナトリア高原での体験があまりにも強烈すぎたのかもしれない。僕らは あんど 真っ青な地中海を目にして、思わず安堵の溜め息をついた。でもそれと同時に、何かを失っ てしまったような気がした。目に映るもの、手に触れるものから、トルコがトルコであるこ との意味というものがびしっと鮮やかに伝わってこないのだ。それにエーゲ海では、どこを コ向いてもドイツ人観光客しか目につかないのだ。 もし僕がトルコをもう一度旅行するとしたら、そしてどこかひとつの地域にしか行けない としたら、僕はたぶん黒海沿岸を訪れることを選ぶだろうと思う。そこでとくに何かがあっ たというわけではない。何か目新しい珍しいものを見たわけでもない。アナトリア高原に比 羊 べれば、そこではほとんど何も起こらなかったといってもいいくらいである。でもとにかく くつろ 兵僕は今回の旅行中、この地域でいちばんのんびりと寛いで時間を過ごすことができた。そこ イは穏やかで静かなところだった。そして何もないところだった。 チ 黒海について書こう。 119

2. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

に。緊張を秘めた土地だ。風景も気候もかなり厳しい。土ほこりだらけで、どこを向いても 、。道路とホテルの質にいたっては、論外である。 羊しかいなし そして南下してシリア国境地帯から地中海にかけての中部アナトリア、これが第四のトル コ、アラブ的色彩の濃いトルコである。ホテルと道路の事情は少し良くなる。夏の熱気はう んざりするくらいひどいものだが、女性の服装がばっと目に見えて鮮やかになる。 コそして西側の地中海・エーゲ海沿岸トルコ、これが第五のトルコだ。ここまで来ると、風 景がばっと明るくなる。内陸部のほこりつほい空気から解放される。人々の顔も明るくなっ たような気がする。美しい海岸が広がり、高級リゾート地がいくつもある。シックなョッ ーハーがあり、スーベニア・ショップが並ぶ。トルコ政府が観光地として本腰を入れ とて整備している地域だ。外国人観光客と中産・上流階級のトルコ人たちが優雅に休暇を過ご 兵している。そういう所では、当然のことながら物価は高い。 ィさて、トルコのそういったいくつかの地域の中でどこがいちばん面白かったか ? もちろ チ んいちばんひどい東部アナトリアだ。そこにいるあいだは、毎日朝から晩まで我々は頭にき たり、消耗したり、毒づいたり、冷汗を流したりしていた。出てくる街、出てくる街、どれ しろもの も汚くて、見苦しくて、道路は殆どが道路以前という代物だった。人々の生活は見るからに あふ 陰惨であり、街の通りは警官と兵隊と牛と羊で溢れていた。でも誤解しないでほしい。僕は こうして随分ひどいことを書いているみたいだけれど、決して悪意で書いているわけではな 117

3. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

・つそ ( というよりは羊飼いの少年に嘘の道を教えられて ) この村に来てしまったのだ。どうして 彼らがそんなに必死に煙草をほしがるのか、よくわからない。でもとにかく、トルコに行く ならマルポロを持っていかれることを僕は忠告する。 『国道号線の悪夢』 天 国道幻号線はイラク国境の町ジズレから、シリア国境に沿ってまっすぐ西に向かって延び 炎 ている産業道路である。地中海に達して、そこから北に向かう。この道路の目的はイラクか 天 ら輸入した石油をトラックで北部に運ぶことにある。またの名を『ディッカト街道』。そこ ほとん 雨を通行する自動車の殆どが大型の石油輸送車で、後ろに大きく「ディッカト ! ( 注意 ! ) 」と 書いてあるからである。そしてその隣には不気味な骸骨のマークがペイントしてある。 我々が東部アナトリアのほこりだらけの山道をほうほうのていで脱出してやっとたどりつ いた舗装道路が、じつにこの『ディッカト街道』であったのだ。まさに一難去って : : : とい うやつである。トルコ内陸の旅はなかなか楽をさせてくれない 号線は道路自体としてみれば、まともな道路である。舗装もしてあるし、陥没もしてな 、し、殆どまっすぐだし、クルド人の武装ゲリラもいない。ただこの号線のいちばんの門

4. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

いのだ。僕は僕なりにここの旅を楽しんだのだ。楽しんだというのは言いすぎかもしれない でも少なくとも退屈はしなかった。面白いか面白くないかという見地から見れば、これ は面白かった。大変に面白かった。そこには独特の空気があり、手応えがあった。人々には 存在感があり、彼らの目はいきいきとした光を放っていた。それはヨーロッパや日本ではま ずお目にかかれない鮮やかで暴力的な光だった。そこにはややこしい留保条項はなかった。 「でも」や「しかし」のない、そこにあるものそのまま全部という目だった。そこにおいて 天はたいていの物事は予測できず、条理は多くの場合虚無の中に吸い込まれていた。早く一言え たいごみ ば出鱈目だった。でもそこには旅行の醍醐味というものがあった。 それは確かである。大変に面白かった。でももう一度そこに行きたいかと言われれば、今 天 のところ僕の答えはノーだ。何かはっきりとした明確な目的があるならともかく、あそこは 一度行けば充分だという気がする。 エーゲ海岸、それは美しいところだ。心が穏やかになる。日差しは優しく、海はクールで ある。でもただ美しい海岸で海水浴をするのならーーー物価がギリシャの島に比べてかなり安 しというメリットをたとえ考慮に入れたとしても 何もわざわざトルコに行く要はない だろう。あるいは少なくとも、どうしてもそれがトルコでなくてはならないという理由はな いだろう。アナトリア高原をぐるりと回ったあとでは、僕らはこの地域には余り魅力らしい 魅力を感じることができなかった。そこには風景的美しさと西欧的便利さか存在した。でも 118

5. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

箱あげれば、だいたい話のかたはつく。写真をとらせてもらったお礼もマルポロでオーケー である。丘 ( 隊の検問を、つけて話が長くなりそ、つなときも「シガラ ? 」と言って、につこり はほえ 微笑んでマルポロを一本差し出せば、たいていすんなりといく。まさに魔法の煙草である。 「マルポロじゃなくちゃいけないのか ? ウインストンじゃいけないのか ? 」と一一一一口われても 僕には答えようかない。でもなんとなく、マルポロじゃなくてはいけないような気はする。 周 コマルポロというのはおそらくひとつの象徴なのだ、おそらく。 Come ( 0 Ma 「一 bo 「 0 country. 間 さてこのマルポロ現象は奥地に行けば行くほど顕著になる。東部アナトリアを旅行してい とると、なにしろ子供から死にそうな年寄りまで、羊飼いから兵隊まで、人の顔を見ると指を まね 兵一一本ロもとにやって煙草を吸う真似をして「シガラ ? 」と言うのだ。もちろんみんなにあげ ていたらキリかないので、あげない。道を尋ねるとか、写真をとらせてもらうとか、そうい ャ チ う風に何かで世話になるとあげる。どうしてそんなに熱、いに煙草を欲しがるのか、僕にはよ くわからない。煙草が不足しているとは思えないからだ。昔は品不足だったという話は耳に したけれど、今はどこでも煙草を売っている。キオスクに行けば、すぐに買える。でもみん な煙草を欲しがるのだ。たぶん田舎に住む人々は煙草代にも不足するくらい貧しいのだろう。 僕なんかはそれなら禁煙すればいいじゃないかと思うのだが、トルコでは禁煙という観念が 171

6. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

相当な道中だっ Ⅲぐり抜けるよ、つにしてヴァンに到着した。これはーーー何の誇張なしに た。何度か道にも迷った。道標が完備してないので、とても迷いやすいのだ。一度道に迷う と、これはひどいものだった。道が文字どおり消えてしまうからだ。消えてしまうと、あと はただ岩だらけの荒野を突っ切っていくしかない。僕らは大型の四駆で行ったから何とかし のげたけれど、普通の車だとこれはまず立ち往生していただろう。 でもヴ ヴァン湖の湖面が見えてきたのはもうタ方だった。僕らはもうくたくただったが、 天 やまぎわ アン湖の夕暮れは文句なしに美しいものだった。空も水も山際も、何もかもがオレンジに染 りようせん まり、空と稜線が触れあうあたりはまるで火のような真紅に燃えあがっていた。湖面はしん さざなみ 天 と静まりかえり、漣にあわせて細かい粉のような光が音もなく一面に揺れていた。それがヴ 雨アン湖だった。丸二日荒凉としたほこりつほい東部アナトリアの高原を突っ切って越えてき たあとでは、を見ると実にほっとする。 ヴァンはこのあたりにしてはかなり大きな町である。話によれば、ヴァンはイランからの 亡命者と密輸業者で賑わっている町だということだ。山を越えて逃げてきた亡命者 ( イラ ン・イラク戦争当時は殆どが徴兵忌避者だった ) はますこの町で一息ついて、それから当局 あへん に出頭して、亡命の正式手続きを取ることになる。密輸業者たちは阿片とヘロインを東方か らここに運んでくる。そしてここで次の運搬者にひきわたされる。どちらにしてもこの町が

7. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

力いこっ 朧ほとんど存在しないみたいで ( 三週間の旅行で一回だけイズミールの近くで骸骨が煙草を吸 たいしよく っている褪色した禁煙運動ポスターを見かけたけれど ) 、男はまずみんな間違いなく煙草を 吸う。一本差し出すとそれを耳の上にはさんで、もう一本取って口にくわえて火をつける。 火はないか、と一言う。ライターで火をつけてやる。ライターを渡したりなんかしたら、まず これは誇張ではない。僕は役所やレストランのテープルでちょっと そのまま返ってこない 貸してくれと言われたポールペンを取り返すのに何度も大変な苦労をしたのだ。 ふさ 一度これも東部アナトリアのど田舎で、ものすごい数の羊の群れに道路を塞がれたことが 天 ある。僕らの前にはメルセデスのキャンピング・カーに乗ったドイツ人がいて、彼らもやは り立ち往生している。とにかく海みたいな羊の群れである。こんな凄い数の羊を見たのは、 天 あとにも先にもこの時だけであった。見渡す限り羊・羊・羊である。ロバに乗った羊飼いが 雨何人かと、大きな牧羊大がその群れを導いている。僕らもドイツ人も羊の写真を撮っていた。 すると羊飼いがやってきて、写真撮るんなら金を出せと言う。ドイツ人はしようがないな、 という感じで金をいくらか払った。僕らは五本か六本残ったマルポロを箱ごとやった。この どんよく 羊飼いは見るからに貪欲であっかましい奴で、もっと出せと一言うから、もうないと言っても なかなか引き下がらなかった。最後には羊一頭買えとまで言い出した。無茶苦茶な話である。 逃げるしかない このあたりの羊飼いはだいたいタフな連中が多い。目つきが鋭く、ぎらぎら光っている。 やっ

8. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

根、どれも同じだ。区画ごとに不動産屋のひどい看板が立っている。看板のあるものには、 かにも中流的な生活の様子が絵で描かれている。見ているだけで心寒くなるような眺めだ。 わいざっ でたら それから車はやがて街に入る。ここは郊外とは逆で、汚く、古く、猥雑で、手前勝手に出鱈 目である。うるさくて、空気が悪くて、ツーリスティックである。やたら人間が多くて、車 は危険このうえないイ 非気ガスがひど 言号はついているけれど、ほとんど機能していない。孑 くて、町を歩いていると気分が悪くなる。ホテルの値段は高く、レストランの勘定書きはい じゅうたん 天つも多めに計算されている。人々はこぞって絨毯を売りつけようとするし、有名なグラン きれい ド・バザールには見るべきものは何もない。でも夜景は綺麗だ。 それから、イスタンプールを後にして、ポスフォラス海峡の橋を渡ってアジア側のトルコ 天 に入る。アジア・ハイウェイに沿って気の滅入るような工業地帯がしばらく続く。もっと気 雨を滅入らせたいと思えば、その立派なハイウェイをアンカラに向けてまっすぐ進めばいい。 でも左に折れると、我々は黒海に出ることになる。黒海沿岸ーーーこれが第二のトルコだ。こ こは素敵な地域だ。静かで観光客も少なく、風景も美しい。ただし、エーゲ海岸地帯に比 べ ると、道路とホテルの質は段違いにひどい。雨が多く、しっとりとした雰囲気の土地である。 それから時計まわりに、ソ連・イラン・イラク国境方面が第三のトルコである。緑の多い 黒海から山に入り、尾根を越えると、そこはもう東部アナトリア高原、乾燥しきった中央ア ジア的トルコだ。様々な民族が覇権を争ってこの地を踏み越えていった。東に、あるいは西 はけん

9. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

122 雨天炎天 それは、僕らが回った中では、もっとも穏やかな顔つきのトルコだった。そこには東部ア ナトリアの強烈さもなく、地中海・エーゲ海沿岸の西欧的賑わいもなく、トラキアの単調さ もなかった。そこには静かに秋が降り、人々は畑に散らばって煙草の葉を集めていた。彼ら ↓よ いや女性のほうが多かったー、ー彼女たちは、朝にトラックで畑に運ばれ、夕方になる と、白い月が空に浮かぶころに、またトラックに乗せられて村に戻ってきた。僕らが手を振 はながら ると、彼女たちも手を振った。彼女たちはみんな細かい花柄の色とりどりのモンべのような ズボンをはいていて、あたまにはスカーフをかぶっていた。 黒海地方はどのトルコのガイドブックを見ても必ず巻末におしやられ、その記述も最も少 ない。歴史的遺跡も、他の地方に比べるとこのあたりには少ないし、あっても地味である。 夏は短く、一年をとおして二日に一度は雨が降るから、ビーチ・リゾートとしての開発にも しゅんけん 向かない。山が海に向かってせりだすように迫っていて、地形は多くの部分で峻険であり、 道路は整備が遅れている。眺めは最高だが、かなり迫力のある道路である。したがって、交 トラブゾン以外に魅力的な街も見当たらない。だからこの地域を 通機関も発達していない。 わざわざ訪れる観光客の数もそれほど多くない。でもそれだけに人々もどことなくのんびり ふんいき としているし、人情も厚い。日本でいうと山陰のあたりに雰囲気が似ているかもしれない 僕らはイスタンプールから東に向かい、サバンジャ湖の先にあるサカルヤの街でハイウェ イを外れ、黒海沿岸のカラスという小さな町に出た。この辺の街道沿いの町はどれもこれも こぎ