指して南下しているわけだ。よりワイルドなエリアを目指して。 『カラカル修道院』 次なる目的地カラカル修道院までは一時間ほどの楽な道のりである。我々は山を下って、 天また海辺に下りる。カラカルの門に到着したのは夕方の五時すぎだった。今日はもうここに 泊まるしかない カラカルではコーヒーとバニラ水が出てくる。バニラ水というのは、グラスの水の中にご 天 ほっとバニラの塊りを入れたものである。バニラが水に溶けて甘くなっている。まず水を飲 雨 み、それからスプーンでバニラをすくって食べる。これはもうとにかくべらほうに甘い。僕 にはとても手がでない。蜂が匂いを嗅ぎつけて飛んできて、グラスの縁にとまってペろペろ と水を舐める。それくらい甘いのだ。 ノニラ水とコーヒーを運んできてくれたのはマシューという名の若い僧侶だった。 我々にヾ 大学の非常勤講師のような眼鏡をかけて、黒々と髭をはやした、いかにも真面目そうな学究 ふ・つば・つ 的風貌の男である。あとで年齢を訊いてみると、二十八ということだった。かなりきちんと した英語を話す。僕らが例によって仏教徒だと言うと、仏教の教理について詳しく知りたが はち
ギリシャ編 アトス・ーー神様のリアル・ワールド 9 さよならリアル・ワールド アトスとはどのような世界であるのか ダフニからカリエへ カリエからスタヴロニキタ イヴィロン修道院 フイロセウ修道院 カラカル修道院 ラヴラ修道院 プロドロムのスキテまで カフソカリヴィア アギア・アンナーーーーさらばアトス
ンにも、つひと頑張りかほしい。 食事が終わってから、明日の食科として僕はテープルの上のあまったパンとチーズをさっ と袋につめて持ってくる。ここの食堂の人たちはみんなすごくにしそうで、「明日の朝早く ふんいき 出掛けるので、少し食料を分けていただけませんか ? 」などと言い出せる雰囲気ではなかっ たのだ。それどころか、規則がうるさいらしくて、僕が食料を袋にさっさっと詰めていると、 みんなすごく嫌な顔をする。親切なカラカルのマシューとはえらい違いである。しかしまわ ワりに嫌な顔をされたくらいであきらめるわけによ、 ( しかない。食料というのは我々にとっては ル死活問題なのだ。 O 君もなんとか隙を見て西瓜をかつばらって帰ってきた。この人は終始西 瓜にこだわっていた。 の 神 ス ア 『プロドロムのスキテまで』 さてこのグランデ・ラヴラは名前の示すとおり、アトス半島の中では別格的に大きい修道 院である。最大にして、最古の修道院である。だから設備は大きくてきちんとしているか、 家庭的な味わいにはいくぶん欠けるかもしれない。食堂にしたってちょっと大きすぎる。あ れではまるで、銀座のライオン・ビャホールである。西瓜くらいゆっくり食べさせてくれた がんば すき
ワ七時四十分にイヴィロン修道院の門を出たところで、案の定ばらばらと雨が降り始める。 たいした降りではないか、かといって雨宿りしていたらそのうちに降りやむというような空 ア の模様でもない。空はべったりと暗雲に覆われている。とにかくレインコートを着て先に進む ことにする。特別の許可がないかぎり同じ修道院に二泊はできないというのが、アトスの決 まりなのだ。先に進むしかない ス 我々の次の目的地はフイロセウ修道院である。フイロセウを経由してカラカル修道院まで ア 行き、それから時間の余裕があったらもっと先のグランデ・ラヴラ修道院までがんばって歩 いてしまおうというのが、僕らのもともとの計画だった。三泊四日しかないから、少しでも と この天気でそこまで望むのは無理かもしれない 距離をかせいでおきたかったわけだが、 りあえずフイロセウまで行って、そこで改めて考えることにしよう。フイロセウまでは山に この程度の雨ならそれほどの苦労もなくたど 向かう上り道になるが、たいした距離はない。 道院の台所は星なしということになると思う。残念ながら。 七時四十分に、我々はリュックを背負って、この星なし修道院をあとにする。 『フイロセウ修道院』
雨天炎天 おお く、まるでプラネタリウムのように隅から隅まできりつとした白い星に覆われている。 三十分ばかりそこで空をほんやり眺めてから、部屋にもどってべッドにもぐりこんだ。こ れで今日もたぶん良い天気になるだろうと思って、僕はほっとした。遠くで唱和する僧たち の祈りの声が僕の耳をやわらかく満たし、僕はほどなく眠りについた。 『ラヴラ修道院』 アトスに来て三日め。親切なカラカル修道院を朝早くあとにして、グランデ・ラヴラ修道 さんろく 院に向かう。このあたりからだんだん道はワイルドになってくる。アトス山の山麓をぐるつ とまわりこむような格好になるからだ。これまでの道は脚ならしのようなものであった。で もありがたいことに今日の空はからりと晴れている。ハイキング日和である。 「ひとつよくわからないことがあるんですがーとカメラの松村君が一言う。この人は普段はに こにこしてあまり喋らないけれど、ロを開くとわりに根源的な疑問を提出することが多い 「あそこの坊さんたちですけど、どうしてあんなひどい飯食ってて、それでもまだ太るんで しようね ? 猫だってかりかりにやせてるのに」 そう言われてみれば、腹が出ている坊さんをけっこう沢山見かけたような気がする。血色 しゃべ びより
をしていた。綴じ紐がほどけて解体してしまった本の修理もしている。みんなとても物静か な人々であった。写真をとっていいかと訊くと、「構わない」ということであった。アトス で僧侶の写真を撮るのはとてもむずかしいのだが ( 多くの僧侶は嫌がるし、腹を立てる人も なかにはいるので ) 、ここのスキテの人たちはどことなく性格がのんびりしているのか、こ ころよく写させてくれた。 それから我々の手持ちの食料もだんだん少なくなってきていたので、厚かましいとは思っ 天たのだけれど、クレマン神父に「もしよろしければ何か食べ物をわけていただけないだろう うなす か」と訊いてみた。クレマン神父は肯いて姿を消し、しばらくしてからたつぶりと食品を入 つけもの れた袋を手に戻ってきた。中にはトマトとチーズとパンとオリーヴの漬物が入っていた。貧 天 しいスキテからこんなに食料をわけてもらうのは申し訳なかったが、この親切はありがたか このプロドロム 雨ったし、実際あとになってすごく役に立った。カラカルのマシューといい、 のクレマン神父と、 皮らの無償の好意がなかったら、我々はもっとずっとひどい目にあ っていたことだろうと思う。僕には宗教のことはよくわからないけれど、親切のことならよ くわかる。愛は消えても親切は残る、と言ったのはカート・ヴォネガットだっけ。 僕らは十時四十五分にこのプロドロムのスキテに別れを告げる。次の目的地はカフソカリ ヴィアのスキテである。そしてそこから僕らは帰りの船に乗る。もしうまくいし 、つことだか。 ひも
があり、左手に巡礼のテープルがある。つきあたりにお祈りを唱える僧のテープルがある。 あざふ に持って テープルは大理石でできていて、なかなかトレンディーな感じである。麻布のバ いっても受けるんじゃないかという気がする。 でもこの正式夕食というのがなかなか難しくて、お祈りをしている間にさっさっと手早く 食べなくてはならないのだ。それも今は食べてよくて、今は駄目というきまりかいろいろと ルうるさい。けっこう大変である。ちょっと間違えると同じテープルの巡礼おじさんにぎろっ ワと睨まれる。でも僕らは信仰、いもないし、なにしろ腹が減っているから、かっかっと食べる。 たまねぎ なす メニューは野菜のシチュー ( 豆・茄子・かほちゃ・芋・玉葱・ピーマン ) とフエタ・チー ア やぎ ズ ( 山羊のチーズである ) とパン ( これは昨日のカラカルの方が美味しかった ) 、そしてワ の インー・僕はこのワインを目にしたときは本当に嬉しかった。濃い色ムロいの白ワインかフラ クラスに注いで飲んでみると、こ スコに入ってテープルの真ん中にどんと置いてあるのだ。。 ス れは相当に不思議な味がする。僕はギリシャでは実にいろんな種類のワインを飲んだけれど、 ア これはそんなどれとも決定的に違っていた。まず少し甘味がある。でもそれはいわゆる甘い ワインの味ではなくて、きっとした険のある甘さである。そして全体の傾向としては、原始 的なプランデーに味が近いように田 5 う。でもワインである。とにかく不思議な味だ。普通の まず 場合にこれを飲んだら、きっと不味いと感じるんじゃないかと思う。あるいはーー・今考えて みるとーーーひょっとしてあれは味が変質していたんじゃないかとさえ思う。でも僕はそのと っ
雨天炎天 飛んでしまった。 僕らがラヴラ修道院について間もなく、イタリア人らしい団体がどやどやとやってきた。 どうやら宗教的な団体らしく、ローマ・カソリックの修道僧が十四、五人の団体を引率して いる。たぶん同じ修道僧としてアトスの様子を見学にきたか何かなのだろう。でもこの坊さ んはなんとラジカセ持参である。そのラジカセからはロザリオが下がっている。何を食べて いるのかはしらないけど、やたら血色が良くて、何かあると大声でかっかっかっと笑う。同 じ修道僧とは言っても、アトスとローマとではえらい違いである。烏の群れの中にいるしろ さぎみたい。 こ目立つ。イタリア人というのはだいたいが団体で行動するうえになにしろよく 喋るから、どこにいてもすぐにわかる。「ケ・べーロ ( いいねえ ) 」とか「べニッシモ ( 最高 ) とか「チェルト ( 実に ) 」とか、もううるさくて仕方ない。この連中はどうやらバスでここ まで来たらしい。その中にどういうわけかひとりポーランド人の青年が混じっていて、この 男はイタリア人の集団に相当にめげたらしく僕らの方になついてきたのだが、僕らの方も取 材でにしいのであまり相手にしなかった。イタリア人の団体なんかに混じる方がいけないの だ。僕も一度マルタ島を旅行していてイタリア人の団体に入れられかけたことがあったけど、 あれは本当に地獄だった。 ラヴラではカラカルと違って、正教徒も異教徒も一緒に食事をする。広い食堂に一堂に会 して、お祈りを聞きながらタ食をとるわけである。食堂の向かって右手に修道僧のテープル からす
十分ほどあとでほっそりとした僧が淡い影のように音も立てずに姿を見せる。彼は手にほ わ うきを持っている。そして気がっかなくて申し訳なかったと詫びる。朝の八時過ぎにここに やってくる巡礼はあまりいないのだ。彼が例によってコーヒーとルクミとウゾーを運んでき てくれる。こう言ってはなんだけど、ルクミの味はカラカルの方か良かった。 そうりよ 僧侶の名はクレマンという。彼はル 1 マニア人で、フランス語を話す。彼の話によれば、 このスキテはグランデ・ラヴラに属し ( すべてのスキテはどこかの修道院に属している ) 、 一八六三年に創設された。ここに住んでいる十五人の修道僧は全員がルーマニア人である。 天 彼は僕らをスキテの敷地の中央にある立派な礼拝堂に案内してくれる。普通は礼拝の時にし か見せてもらえないのだが、クレマン神父は親切な性格であるらしく、僕らの為にわざわざ 天とびら 扉をあけてくれる。入り口を入るとすぐに無数の受難図が目につく。過去に宗教的な受難に 雨 あった聖人の絵が壁といわず天井といわず、描いてある。これはフレス . -. コ画ではなくて、た たいしよく た だ絵具で描いてあるだけである。でも百年ちょっとしか経ってないので、かなり褪色しひび われてはいるものの、まだまだ鮮やかである。これを見ていると、世界には実にいろいろな 種類の受難が満ちているのだなあと感心してしまう。 かまゆ たとえば釜茹でにされている聖者がいる ( この人はちょっと弱ったなという顔をしている おの が、特に熱そうではない ) 、一寸刻みに手や足を斧でちょんぎられている聖者がいる ( この 人はかなり痛そうである ) 、おなかに焼けた石炭を載せられている人もいる ( この人は「も ため
ビールと豆腐と引越しが好きで、蟻ととかげ 村上春樹 と毛虫が嫌い。素晴らしき春ワールドに水 安西水丸著村上朝日堂 丸画伯のクールなイラストを添えたコラム集。 もう戻っては来ないあの時の、まなざし、語 螢・納屋を焼く・ らい、想い、そして痛み。静閑なリリシズム その他の短編 と奇妙なユーモア感覚が交錯する短編 7 作。 世界の終りとハード 老博士が〈私〉の意識の核に組み込んだ、ある ポイルド・ワンダーランド 思考回路。そこに隠された秘密を巡って同時 進行する、幻想世界と冒険活劇の一一つの物語。 谷崎潤一郎賞受賞 ( 上・下 ) 交通ストと床屋と教訓的な話が好きで、高い 村上春樹 安西水丸著村上朝日堂の逆襲 ところと猫のいない生活とスーツが苦手。御 存じのコンビが読者に贈る素敵なエッセイ。 好奇心で選んだ七つの工場を、御存じ、春樹 村上春樹 安西水丸著日出る国のエ日勿 & 水丸コンビが訪ねます。カラーイラストと ェッセイでつづる、楽しい〈工場〉訪問記。 カラフルで夢があふれるイラストと、その隣 村上春樹 に気持ちよさそうに寄りそうハ 安西水丸著ランゲルハンス島の午後 ングなエッセイでつづる % 編。 村上春樹著 村上春樹著