ダフニ - みる会図書館


検索対象: 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行
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1. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

ものである。ここからダフニまでは一時間、そこからウラノボリまでは二時間かかる。それ だけ船をチャーターして二万円ちょっとというのは、僕らの感覚からすれば安い。波止場に ギリシャ人の親子がいて、もしよかったら船に一緒に乗せてもらえまいかと言う。もちろん 乗せてあげる。痩せて陰のある顔をした三十代半ばのお父さんと、十歳くらいの男の子だっ た。彼らはケラシアから来て、二人でアトスの修道院をまわっていて、これからディオニス ウの修道院に行くのだと言う。なんとなく事情がありそうな、不田 5 議に寡黙な親子だった。 はたし 天船に乗ると僕らはすぐにキャラバン・シューズを脱いで裸足になり、ショート・ 枚になる。そして甲板に寝転ぶ。途中でディオニスウの修道院に寄って巡礼の親子をおろし、 それからダフニに向かう。アトスに入るものアトスを出るものは、ずダフニに寄らなくて 天 はならない。ダフニでは我々はまた長いズボンをはかされる。神の庭にあってはショート・ 兩パンツは不敬なのだ。ダフニでは許可証のチェックと簡単なパゲージ・チェックがある。修 道院の宝物を何か持ち出してないか調べるのである。でもそれほど大層なものではない ハーだって話にも上らない。書類をざっと見て、はいオーケー、であ 我々の滞在期間のオー る。 これで我々のアトスの旅はようやく終わった。ウラノボリについてます我々のやったのは タベルナに入って冷えたビールを田 5 いきり飲むことである。これは一瞬意識がプラックアウ トしたんじゃないかと思うくらい美味かった。それから心ゆくまで現世的な食事を楽しむ。

2. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

天 船かダフニの港に着く。遠くから見ると、それはどこにでもあるごく普通のギリシャの港 のように見える。でも近づくにつれて、そこには普通ではない点かいくつか散見されるよう 天 になってくる。まずだいいちに男しかいない。女人禁制の地であるから、これは当然といえ 雨ば当然のことなのだが、実際に女がひとりもいない光景を前にすると、やはりそれなりの感 慨というものがある。港のまわりには百人くらいの人間が集まっているが、全員みごとに男 ほうず である。そして、その半数以上が坊主である。だから全体的な光景は非常に黒々としている。 しよいよここからか聖域とい、つわけだ。 それから、夏のギリシャにしてはきわめて異例なことだが、いわゆる観光客らしきものの かつぶく 、。癶口一口田の、、 し中年のドイツ人夫婦もいないし、カナダの国旗を縫いつけた 姿が見あたらなし もちろん旅行者らしき人々はけっこういる ( 彼らは三十 クパッカーもいない お気楽なバッ ほうではないけれど、それにしてもこれはかなりのものだったと思う。道はあくまで険しく、 天候はあくまで厳しく、食事はあくまで粗食であった。 でもとにかく順番を追って行こう。まずはアトスの入り口、ダフニである。 『ダフニからカリエへ』

3. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

ギリシャ編 アトス・ーー神様のリアル・ワールド 9 さよならリアル・ワールド アトスとはどのような世界であるのか ダフニからカリエへ カリエからスタヴロニキタ イヴィロン修道院 フイロセウ修道院 カラカル修道院 ラヴラ修道院 プロドロムのスキテまで カフソカリヴィア アギア・アンナーーーーさらばアトス

4. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

ダフニからカリエまではバスで行く。バスと呼ぶにはいささかおそましい代物だが、まあ 走ることは一応走る。たぶん三十年くらいは使っているんじゃないだろうか。自動車もこれ みよ - つり くらいしつかり使われたら自動車冥利に尽きるのではないかと思う。バスは全土にこれ一台 しかない。 実は僕らが着いた時にちょうどバスが出るところだったのだが、 席がいつばいで乗れなか った。何とか乗せてくれないかと頼んでみたのだが、にべもなく「駄目」と言われた。あま ワり愛想の良い運転手とは言えない。カリエまで行ってまた戻ってくるからそこで一時間ほど 待ってな、ということであった。おかげでまた一時間予定が遅れることになる。まあ、この ア 地では事を急いでもしかたないようである。でも急いでいる人物がまったくいないというわ の ) 0 、ミ けではなし / スが出発しかかると、五十前後の風格のある僧侶がやってきてバスの窓をど たた んどんと叩き、「おい、乗せろよ」と言った。運転手が「いつばいだから駄目と言っても、 ス 力すにどんどんどんどんと叩き続ける。それで運転手もあきらめてドアを開けてこの坊さ ア んを乗せてやった。目の据わりかたといい、 ドアの叩き方とし 、い、ほとんどごり押しである 聖職にある人間がそんなことやっていいのかよ、と思う。まったくよくわからない土地であ る。最初からいろいろと困惑させられることが多い。でもまあ仕方ないからここで一時間待 っことにする。 ダフニの港には小さな郵便局があり、小さな税関事務所があり、小さな警察の詰め所があ しろもの

5. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

異なった相に分かれてしまうことになる。ウラノボリとダフニというふたつの町のあいだに はかくのごとく決定的な差異が存在するのである。そのふたつの町はそもそもの成り立ち方 も違うし、よって立つべき規範も価値観もまるつきり異なっている。住んでいる人の種類も 違えば、めざしている方向も違う。一言で言、つなら、ウラノボリは汚らわしくもいとおしき せいれん 我等が俗世間に属する町であり、一方ダフニは普遍性と清廉と信仰に支えられた聖なる領域 に属する町であるからだ。そしてそのふたつの、あえて逆向きとは言わないまでも多くの点 ー船か細々と繋いでいるわけだ。 ワで相容れることのない町を、一日一便のフェリ ウラノボリ ついでながらウラノボリというのは heaven 一 y ( own の意味である ア は小さなホテルが何軒かあり、タベルナがあり、ビーチがあり、波止場があり、道端にはド の ィッ・ナンバーをつけたキャンピング・カーがところ狭しと駐車している。一本の通りを端 きれい あせん から端まで歩けば、大抵の用は済んでしまう程度の規模の町だ。綺麗なビーチと、唖然とす ス るくらい広大な駐車場 ( アトスに出かける人がここに車を停めていくからだろう ) と、波止 ア 場がある。よくわけのわからない古い石造りの塔のようなものもある。タベルナの入り口に は「ヴィア・シュプレツへン・ドイッチュ、という看板がかかっている。カラマリ ( 小烏賊 ) を油で揚げる独特の匂いがする。濃いサングラスをかけた水着の女がゴム・サンダルをひき ずるようにしてゆっくりと道を横切っていく。まわりの風景に恐ろしいほどそぐわないマイ ヾッド、イツノ ケル・ジャクソンの唄がラジカセから流れている。ィッツ・ つな

6. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

ウラノホー テッサ / トス島 。ケ海 ギリシャ。 カリエ ダフニ ギリシャ アトス半島 ーカル修道院 ロセウ修道院 イロン修道院 タウロニキタ修道院 : イオニスウ修道院 / ィー -. △アトス山 . 印 33E アキア・アンナ・ ラ修道院 ープ、、ム小修道院 ノカリウィア小修道院 3 km

7. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

雨天炎天 まずはウラノボリから船に乗る。 アトス半島に向かう巡礼の旅はそこから始まって、そこで終わることになる。そこから出 もし戻る気があるとすればだがーー戻ることになる。 て、そこに ウラノボリはアトス半島のつけねにある、海辺の小さなリゾート・タウンである。船は朝 の七時四十五分にここの港を出る。一日それ一便だけである。だからなるべくなら前日のう ちにここに着いてホテルに一泊して、ゆっくり朝ごはんを食べて、余裕を持って乗船するの が良策であると言えるかもしれない。その便に乗り遅れると翌朝まで二十四時間このウラノ くぎ ポリの町に釘づけにされるという、かなり深刻な状況に直面することになるからだ ( 我々は 実際に直面した ) 。 ウラノボリからダフニまでは船で約二時間かかる。甲板に寝転んでのんびり日光浴でもし その二時間ほどの航海によって世界ははっきりと、ふたつの ているにはほどよい時間だが、 『さよならリアル・ワールド』

8. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

同じひとつの宗教で、おまけにこんな狭い半島の中なのに、どうしてこれほどの僧衣の差 が存在するのか、僕にはよく理解できない 綺麗・汚いだけではなく、ラーソの色ひとっとってもみんな見事に違っている。淡い灰色 そろ から、濃い紫、真っ黒まで、ありとあらゆる色が、これもグラデーション的に揃っている。 修道院によってそれぞれ色が違うのか、それとも位や役職で違ってくるのか、それも僕には 判じかねる。そして僧侶のあいだにも貧富の差やら、おしゃれな人やおしゃれじゃない人や ら、あるいは武闘派やリべラルやらがいるのだろうか ? でもそんなこといちいち考えても 天 しかたないから、まあそういうものなのだと思ってなんとなく納得して済ませてしまう。 炎 そういうものなのだ。 天 ( でもこれもあとになってわかったことなのだが、彼らは実際にひとりひとり違うのである。 雨彼らはそれぞれの属する場所によって、あるいは生き方によって、まったく異なっているの である。そのようにアトスとは、自分の生き方とやり方を選べる場所なのである。だから彼 らがそれぞれに違う格好をしているのも当然のことなのである ) ダフニの港に下りるとまずパスポート・コントロールのようなところがある。ここでパス ポートを預け、次に首都カリエに行く。カリエにはアトス山の事務局のようなところかあっ て、ここで入国審査があり、審査のあとで滞在許可証を与えられる。この許可証がないとア 、。けっこう厳しいのである。 トスの山を歩きまわることはできなし

9. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

あせん 白いもの・不思議なもの・唖然とするようなものに巡りあえるのである。そして、だからこ そ我々は旅をするのである。 ます我々はスキテにいた英語のできる僧に「どうして船が来なかったのか ? 」と訊いてみ た。状况はーー彼の説明によればーーー単純であり明白だった。まず第一に、 は我々の待って いた船着き場が間違っていた。ボートが来るのはもうひとっ山向こうにある。でもがっか りすることはない、 どうせこの天気では船はこなかった。天気が悪いと船はすぐに欠航する 天のだ。 3 この季節には船は二日に一便だから、告は明後日まで来ないし、天気次第でまた来 ないという可能性もおおいにある。④最もリーズナプルな解決策は明日アギア・アンナまで 自分の足で歩いていって、そこからダフニ行きのポートに乗ることである。半島の西側にあ 天 るアギア・アンナまで行けば、毎朝一本船は出ているから、ということであった。 「朝って、何時頃ですか ? 「七時」 「アギア・アンナまではここからどれくらいかかるでしよう ? 「そうねえ、まあ早くて三時間半だろうな」 し , 刀はし 、。とすると、アギア・アンナ いくら何でも朝の四時前に山道を歩き出すわけには、 でもう一泊して翌々日の船に乗るということになってしまう。そうなると、三泊四日の許可 証で五泊六日することになるから、また問題が大きくなってくる。

10. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

でもとにかく南端のカフソカリヴィアのスキテ ( 小修道院 ) まで行って、そこから船に乗 ってダフニに戻ることにする。そうすれば一応半島の南端まではたどりついたことになる。 グランデ・ラヴラから先にはーーーっまりアトス山を迂回した向こ、つにはとい、つことになるか もう正式な修道院はひとつも存在しない。そこにあるのはもっと小さくてタフな、いう なれば修道院現地出張所のようなものである。これらの出張所には何種類かあって、大きい 順にスキテ、ケリョン、カリヴェ、カティスマ、ヘシハステリオンと呼ばれる。修道院には ワそれぞれに定員が決まっていて、人数が定員を越えると、余った僧は修道院を出て、それら の出張所にまわされることになる。一番大きなスキテは修道院の規模を小さくして、もう少 ア し統一性を弱めたような感じのものだが、最後のヘシハステリオンともなると、これはもう の ど・つくっ たれ 完全な隠者の小屋である。彼らは人里離れた荒地や山中や洞窟に小屋を建て、そこで誰に邪 魔されることもなく、宗教的な孤独な生活を送っている。いわば武闘派の、ダイハードな修 ス ト道僧である。そして彼らの多くはこのグランデ・ラヴラの先の半島の南端に住んでいるので ある。だから僕としては、アトスに来たからにはどうしてもそのディープ・サウスまでは行 ってみたかったのだ。 僕らは朝早くグランデ・ラヴラの修道院を出発する。ありがたいことに好天である。雲ひ とつない 。ここから先の道はだんだん、そしてやがて圧倒的に悪くなる。道の大方は人がひ