入っ - みる会図書館


検索対象: 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行
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1. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

僕らは異邦人なわけだが、。 とんな田舎でチャイハネに入っても、特に嫌な顔はされない。 ギリシャの田舎のカフェニオンに行くと、時々そこにたむろしている地元のおじさんたちに すごく冷たい目でじろっと見られることがあるが ( とくにギリシャの観光地では観光客用の ふんいき カフ工と地元民用のカフェがはっきりと分かれる傾向にあり、それを間違えて入ると雰囲気 的にまずいことになる ) 、トルコではそういうことは一度もなかった。逆に田舎だと、店の ごちそう 主人がめずらしがってただでチャイのおかわりを御馳走してくれたりもする。隣のテープル 天の客が御馳走してくれることもある。トルコ人はだいたいにおいて親切な人々なのだ。ただ し後者の場合は例によって話が長くなるおそれがあるので、好意は好意として置いておいて、 炎 なるべく避けた方が賢明である。 天 ( 松村君か撮影に出掛けているあいだよくこのチャイハネでトルコ式のマージャンとい うのを見物していた。これは中国式マージャンとプリッジの中間くらいのものである。数字 は算用数字で 1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 と書かれておりまである、牌はドミノの札くらいの大きさで、 種類は赤・青・黄・緑の四色に分けられている。これを二段の木製カードラックに積んで手 元に置くわけである。そして場に積まれた牌をひとっッモってきて、ひとっ場に切る。他の 人は鳴くこともできる。マージャンと同じである。でも捨てた牌はどんどん積みかさねてい くので、それまで何を捨てたのかはわからない。上がり方の細かい理屈はもうひとつよく理 解できないが、とにかくひとりが牌を揃えて上がれば、それでゲームはおしまい。「へつへ 110

2. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

シノップ。 シノップ自体はとくに面白い街ではない。哲学者ディオゲネスが生まれた場听として有名 ふろおけ だが、伝説とは違って実際にはディオゲネスは風呂桶の中で暮らしもしなかったし、アレキ サンダー大王にも会わなかったということである。シノップはトルコの最北端の町である。 見るべきものは殆どない。さびれた港と、城壁の残りがある。風が少しひやっとしている。 周 コここのホテルにも客はほとんど見当たらなかった。夜中にホテルは突然停電した。ロビーに ろ・つそく 下りていってみると、フロントの男がスクルージ爺さんみたいー こ、蝋燭の光で一日の売上を 勘定していた。あまり心を温かくしてくれる要素の見当たらない町であった。 ハフラ。 羊 ここでひとやすみして昼食を取る。銀行の警備員のおじさんにこの辺にどこか美味いロカ 県ンタはないかと訊いたら例によって「ついてこい」と言ってそのまま歩きだした。しかたな いから、その後をついていった。十分くらい歩いたと思う。おじさんはとある店の前にとま ャ チって「ここだ」と言った。「ありがとう」と言うと、「いやいや」と言って帰っていった。親 どろほう 切にはただ感謝するしかないか、いったいその間に銀行に泥棒が入ったらどうするんだろう と思う。もっともその店にはケバブか羊肉詰めのひらべったいパイしかなくて、羊肉に弱い 僕らはいささか閉ロした。パイは焼きたてでほかほかしていたが、 肉が生つほくて、香辛料 がきっすぎた。でも地元の人のあいだでは人気のある店らしい。みんなで「美味いか ? 」 129

3. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

触れるやいなや、すべての偶像は粉々に砕け散ってしまった。マリアはこのアトスを聖なる 庭として定め、女性はこの地に永遠に足を踏みいれることなかれと宣言した。そうしてアト スは神に祝福された聖なる地となったのである。 という話である。 もし現在そういうことが起こったら、マリアは世界中のフェミニストの団体に激しく糾単 たれ されただろうと思う。でもなにしろこれは二千年近く前の話だから、べつに誰も怒らなかっ 天た。そしてそれ以来女性はここに足を踏みいれることかできなくなった。僕の個人的感想を 言わせてもらえるなら、女が足を踏みいれることのできない場所か世界にひとっくらいあっ 炎 たっていいじゃないかと思う。男が足を踏みいれることのできない場戸かどこかにあったっ 天 て、僕はべつに怒らない。 さて、この地に本格的な修道院が建ったのは十世紀のことである。最盛期には四十の修道 院で二万人の僧が修行を積んでいたという。一時、トルコ帝国に支配されていた時代には財 政的な問題もあり、また度かさなる海賊の襲撃などもあってかなりの衰えを見せたが、二十 きざ 世紀に入ってからは少しずつ復興の兆しを見せ、現在に到っている。とくに六〇年代以降は 物質主義に失望し、それに代わる価値観としての宗教にめざめた若い人々、とりわけ大学を 出た知識層が出家してここに籠もるという例が増え、新しいスピリチュアルな聖域として世 界的に脚光を浴びているそうである。僕もこのアトスを回ってみて感じたのだけれど、どの

4. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

たんのう 修道院にもけっこう若い人か多く、彼らは総じて語学にも堪能であった。そういう意味では このアトスの地は、日本で考える既成宗教とはまったく意味あいが違う。この地では宗教は 文字どおり生きているのである。同時代的に息づいているのである。 また、この半島では自然がほとんど手つかずの状態で残っている。観光開発業者の手がま しゅんけん ったく入っていないギリシャ国内唯一の土地と言っていいだろう。地形も峻険である。ここ レ には平地というものがほとんど存在しない。山ばかりだ。半島の南にはアトス山という二〇 そび たんがい ワ〇〇メートルの山が聳えている。海岸線は全部断崖絶壁であり、人を寄せつけぬような厳し さを持っている。どこに行くにも自分の足でいちいち山を越えていかなくてはならない。 ア の半島には交通機関というものがまったくと言ってもいし ) ほど存在しないからだ。 の 襯僕は本でアトスのことを読んで以来、どうしてもこの地を一度訪れてみたかった。そこに どんな人がいて、どんな生活をしているのか、この目で実際に見てみたかったのだ。 ス ア そんなわけで、一九八八年の九月の朝、我々はウラノボリから船に乗ってダフニに向かう ことになった。連れはカメラの松村君と、編集の O 君である。松村君と僕とはそのあと車で トルコを一周することになっている。まずこのアトスが手始めである。 O 君はアトスに入る いろんな手続きが面倒なので、ここまで同行してきた。 結果的に一言、つと、これはけっこ、つハ ードな旅になった。僕はハ ードな旅がけっして嫌いな きら

5. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

雨天炎天 おお く、まるでプラネタリウムのように隅から隅まできりつとした白い星に覆われている。 三十分ばかりそこで空をほんやり眺めてから、部屋にもどってべッドにもぐりこんだ。こ れで今日もたぶん良い天気になるだろうと思って、僕はほっとした。遠くで唱和する僧たち の祈りの声が僕の耳をやわらかく満たし、僕はほどなく眠りについた。 『ラヴラ修道院』 アトスに来て三日め。親切なカラカル修道院を朝早くあとにして、グランデ・ラヴラ修道 さんろく 院に向かう。このあたりからだんだん道はワイルドになってくる。アトス山の山麓をぐるつ とまわりこむような格好になるからだ。これまでの道は脚ならしのようなものであった。で もありがたいことに今日の空はからりと晴れている。ハイキング日和である。 「ひとつよくわからないことがあるんですがーとカメラの松村君が一言う。この人は普段はに こにこしてあまり喋らないけれど、ロを開くとわりに根源的な疑問を提出することが多い 「あそこの坊さんたちですけど、どうしてあんなひどい飯食ってて、それでもまだ太るんで しようね ? 猫だってかりかりにやせてるのに」 そう言われてみれば、腹が出ている坊さんをけっこう沢山見かけたような気がする。血色 しゃべ びより

6. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

ぐんそう AJ ははい タフそうな軍曹も田舎顔の兵隊たちもみんな自動小銃なんかその辺にほったらか ひるがえ して、仲良く記念撮影となった。後ろに赤地に月と星のトルコの国旗がへんほんと翻り、丘 を越えた一キロ先はイランである。もちろん一人だけは中尉の命令で機銃の番をして道路の くらなんでも警備をまるつきりほったらかしにはできない。彼はと 見張りをやらされた。い ても残念そうだったが、これはまあ仕方ないだろう。軍隊なんだから。 一応の記念撮影が終わると、中尉が兵士の一人にチャイを持ってこいと命令する。ちょう ど日本のお茶みたいな感じでチャイが出てくる。もう一人の兵士が椅子を持ってくる。どう も話が長くなりそうな雰囲気である。トルコ人と個人的に関わり合いになると、必ず話が長 くなる。だいたいが人なつつこくて好奇心が強い上に、時間に対する感覚が我々日本人より ちょっと希薄かっ緩なので、どうしても話が長くなってしまうのだ。この「遊び人」中尉 もその例外ではない。でも国境警備隊でお茶を飲ませてもらうなんてことはあまりないし、 ごちそう なんとなく面白そうなので、ここはひとっ腰を据えてチャイを御馳走になることにする。僕 と松村君と中尉が椅子に座って三人でチャイを飲む。まわりに兵隊が集まって僕らをじっと 見ている。英語ができるのはここでは中尉だけなのだ。だから僕らと英語で歓談できるとい うのは、どうも彼にとってはみんなに権威を示すための良い機会であるらしい。遊び人みた いな顔をしていても、やはり偉いのだ。実際にみんなも「すげえなあ」という感じで素直に 感心して見ている。トルコ軍の将校というのはインテリが多く、下士官や普通の兵隊とは顔 雨天炎天

7. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

団ルにもろくな田 5 い出がない しいことがひとつだけあった。 電話局に行って公衆電話にジェトン ( 電話用コイン ) を二十円分放りこんで日本に電話し たら、十秒で切れるはずなのに、故障していて延々二十分も話せたのである。これは奇跡だ った。 何しろトルコの電話なんてろくに通じたことかないのである。でもとにかくこの時は奇跡 天か起こって、僕は東京にいる女房と一一十分も公衆電話で話すことができた。女房は僕が彼女 をほったらかしてトルコにひょいと行ってしまったことに腹を立てていた。 炎 「あなた電話ひとっしてこないじゃない。私がどんなに心配してるか知らないでしよう」 天 と彼女は怒った。僕はトルコの電話がどれくらいヤクザなものかということを説明した。 雨公衆電話は通じないし、それではと思ってこのあいだ電話局で交換を通して電話したら、通 じてもいないのに千円も取られたんだと。「じゃあホテルからダイレクトでかけなさいよ」 と彼女は一言う。彼女は知らないのだ、ホテルには電話なんて存在しないのだということを。 でもとにかく女房と二十分話せた。「男ふたりで楽しんでるんでしよう」と彼女は言った。 おい、と僕は田 5 った、いったいここのどこで楽しめというのだ ? ふたりとも下痢して、ひ どい道路を命がけで運転して、暑さに参って、大に襲われて、子供に石を投げられて、朝か ふろ らパンしか食べてなくて、風呂にだってずっと入ってないんだぞ。どこで楽しめと言うの

8. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

も海も、カーテンをかさねたみたいな雨にすっかり隠れてしまった。何も見えない。見える のは雨と水たまりだけだ。体がだんだん冷えてくる。こんなことならもっと本格的な登山の 格好をしてくるんだったな、参ったなあ、と思いながらとばとほ山道を歩いていると、道の はずれに小さな小屋のようなものか見えてきた。人がいるかどうかはわからない。あるいは 独立僧の小屋かもしれないし、何かの作業小屋かもしれない。あるいは誰も住んでいない廃 レ 屋かもしれないうまくしし ( 、ナよ雨宿りくらいはできるだろう。 たた ひげ ワ僕がドアを叩くと、髭をはやした髪の長い若い男が出てきた。二十代半ばというところだ き ろ、つ。僧侶ではなし 、。普通の服を着ている。僕が少し中に入れてもらっていいかと訊くと、 ア かまわんから入れと言う。中にはもう一人若い男かいた。こちらの男は髪が短く、髭も剃っ ている。奥に広い部屋があって、もう一人はそこに寝転んで、煙草を吸いながらトランジス タ・ラジオでブズキ音楽を聴いていた。ちゃんちやかちゃんちやか、という例の物哀しいギ ス リシャ演歌である。その音楽と雨音がいりまじっていると、余計に哀しい ア 部屋には全部で八つくらい簡単なべッドがある。どれも最近使われた形跡がある。毛布は くしやくしやになり、灰皿は吸殻でいつばいである。あるべッドの上にはトランプのカード が散らばっている。回し読みされたらしいばろばろのギリシャ語のペー ノ ノ ノクが枕 , もと に伏せてある。 「まあ、楽にしろよ」というようなことを、髭青年か言う。そして僕らか靴を脱いで靴下を まくら

9. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

雨 天炎 天 104 招 で し 中 っ と 力、 コ で の レ 、に食 彳寺 つ い も も ス ま ん正 ど直 て理ち ち そ入 欲 っ を の ト ば る カゞ フ た がに の っ ナ ろ の い と な 卩未 く 羊言 ン けポバ ん ん フ美お っ 独 で駄た 僕 く よ レ つ 目めあ 工味いは の特な り 出 と そ オ ァ し ト に つ は て で る ク ) ン 匂 く あ ル弱 を て調 ト い イ 食世 る 僕ル い し理る コ し、 の理料人が ま の ト べ カゞ コ ルそ肉料 た皇広 だ理 っ 卩未 に ぶ れ と 皇后 さ と ん く コ 理 の は の ら方料 と と真質か と 力、 いが 后 苦 質剣 を な がと いが理 ら つ 、も手 に誹ひり を 感 で勝は の 主謗 ' っ っ っ総 冫由 のだ に 動 っ を・ さ 張 つ く て じ - し し ト る 、つ 日 た て ほ に し い ル て て し、 0 。そ る 言周 い ト つ て コ 吊 理も 的 ま ル 連 を い る っ し、 コ と にず れ訪 過 る わ の て し ) のが多 も あ だ しけ て れ は っ レ 多 苦 ま 、で で の し、 く 、手 ス り て時か ま カゞ は し、 で食ち 好 て 味 たな 、な ト 、の り ど き オ べ に た フ し、 な肉 ン 食 る な、 ト 宮 ス の の い料 ガ ト 人 ペ に朝 野上理 ン イ ン ル は鮮入が菜 にが ン ド 王里・ コ き料 っ 、中 ト を ブ人 長 羊 心、 っ理 ル割 た 理 ッ は て に も と え店 ーい ク ト で い コ 曲なあ ら と 0 て を の ル しゝ を た ク ) 白説 = れ同 る る コ 卩冗 かかな と ん料 な じ 料帝明 い ら の そ 理 に し で ま里 い で 、だ野だれれ 晩て だ の も が だ菜がは ろ も ト 世 レ 食んし、 う歩けそ ル 界 ン のる 『パンとチャイ』

10. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

ましいと田じ、つ このカフソカリヴィアからアギア・アンナまでの道がまたひどかった。これぞ正真正銘ア トス最悪の道だった。山はどんどん険しくなり、谷はどんどん深くなる。よじ登ってはよじ 降りる、という連続である。もう何を考えるのも嫌になるくらい ドな道だった。天気の 良いのが唯一の救いだった。途中で何人かの僧とすれちがうが、この辺まで来ると、もう僧 さる 天なのか乞食なのか大きな猿なのか近くに寄るまで見分けがっかない。なにしろ服はぼろぼろ だし、髪と髭はのび放題、目だけがぎよろぎよろしている。そういうのか、山の中をうろう 炎 ろとしているわけである。道で会ったひとりの年寄りの僧は僕らに向かって「今度来るとき 天 は、心を入れ替えてちゃんと正教に改宗しておいでなさい」と真面目に忠告した。 一時間ほど歩いてぐったりと消耗してきたので、峠で腰を下ろして汗を拭き、レモンを半 分に切ってぎゅっとしばって飲む。何個飲んでも飲み足りないくらいこのレモンが美味しい 酸つばいはすなのに、全然酸つばく感じないのだ。皮までくちゃくちゃ噛んで果汁をしぼり とる。レモンをいつも持ってあるくこと。これが夏のギリシャを旅していて僕が学んだ教訓 のひとつである。 うなぎ 何か話してないと気が滅入ってくるので、歩きながら食べ物の話をする。東京で鰻ならど この店に食べに行くかとか、そば屋のつまみはどこが美味いかとか、すき焼きのしらたきと まじめ