親切 - みる会図書館


検索対象: 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行
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1. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

雨天炎天 126 ゅうゆう 通行する車は少ない 。トラクタ 1 や、煙草の葉を積みあげたロバなんかが悠々と道を歩いて いる。あまりにいつばい葉を積んでいるので、ロバの姿さえ見えないくらいだ。後ろから見 ると、葉っぱの山が勝手に道路を歩いているみたいに見える。ロバだけではなく、おばさん かっ やら若い娘なんかも、この葉っぱをどっさりと担いで、道を歩いている。 バルティンの町ですっかり日が暮れてしまった。アマスラまでの道がわからなくてガソリ ン・スタンドで二人連れの若者に道を訊いたら、ついてきなよと言って、途中まで小型トラ ソクで先導してくれた。そして「この先はまっすぐだからね、バイバイ」と言って帰ってい った。トルコ人というのは、何はともあれ親切な人種である。ヨーロッパからトルコに入る と、最初のうちは人々の対応にまず確実に面食らってしまう。ヨーロッパ人とトルコ人とで は「親切」という観念の定義がまったく違っているからだ。ヨーロッパで道を尋ねても、も ちろん人々は親切に教えてくれる。でもトルコ人の親切さというのはそんな生易しくはない 彼らはとことん最後の最後まで道を教えてくれるのだ。車に乗っている人に訊けば、車で先 導してくれるし、歩いている人に訊くと、こっちの車にさっさと乗り込んできて、そこまで 案内してくれる。そして目的地に着くとーー・それは往々にしてけっこう遠くなのだが 「ここだ」と言ってまたさっさと歩いて行ってしまう。これは日本人の、あるいは西欧の感 覚からすればもう完全に「親切 , という分野をとびこえてしまっている。正直に言って、こ へきえき の手の親切に少々辟易させられることもないではなかった。すごく助かることは確かなのだ

2. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

ことにする。「いいですよ」と僕らは一一一一口、つ。 しばらくするとまわりにギリシャ人 ( その多くはここに滞在している巡礼である ) か集ま ってきて、この日本人たちは二万五千で船をチャーターしたんだそうな、とわいわい話を始 める。二万五千というのはこの人たちにとっては相当な金である。そんな大金を出して船を 雇うのはちょっと信じられないのである。成田から都心までタクシーに乗ったらそれくらい ルかかるんだよと教えてあげたいけれど、話が長くなりそうなのでやめる。「法外に高いけど、 ワどうしても仕事で帰らなくちゃならないんです。飛行機にも遅れちゃうし」とか適当に説明 しておく。それでみんなはちょっとは納得したようだった。でもたぶん僕らのことをそのあ ア と何カ月にもわたって話題にするんだろう。 の 船が来るまでそこでひなたばっこして時間をつぶす。僕は電話をしてくれた親切な坊さん の案内で礼拝堂の中を見せてもらう。ここの礼拝堂の壁にもやはり地獄絵と天上の絵がびつ ス しりと描きこまれている。ここにも様々な形態をとったすさまじい殉教があり、受難がある。 ア 坊さんはとても親切に礼拝堂の細部の説明をしてくれるが、ギリシャ語なので、細かいこと はよくわからない。でも根が親切な人だから「この聖人は目をくりぬかれなすって」なんて まわ いう時にはちゃんと目をくりぬかれる真似をしてくれたりするので、だいたいは理解できる。 とかなんとかやっているうちに、やっと船が来る。かなりしつかりした船である。どうや らフェリー船が時間外に臨時に来てくれたらしい。、 しわば船長の個人的アルバイトのような エングク . ン

3. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

をしていた。綴じ紐がほどけて解体してしまった本の修理もしている。みんなとても物静か な人々であった。写真をとっていいかと訊くと、「構わない」ということであった。アトス で僧侶の写真を撮るのはとてもむずかしいのだが ( 多くの僧侶は嫌がるし、腹を立てる人も なかにはいるので ) 、ここのスキテの人たちはどことなく性格がのんびりしているのか、こ ころよく写させてくれた。 それから我々の手持ちの食料もだんだん少なくなってきていたので、厚かましいとは思っ 天たのだけれど、クレマン神父に「もしよろしければ何か食べ物をわけていただけないだろう うなす か」と訊いてみた。クレマン神父は肯いて姿を消し、しばらくしてからたつぶりと食品を入 つけもの れた袋を手に戻ってきた。中にはトマトとチーズとパンとオリーヴの漬物が入っていた。貧 天 しいスキテからこんなに食料をわけてもらうのは申し訳なかったが、この親切はありがたか このプロドロム 雨ったし、実際あとになってすごく役に立った。カラカルのマシューといい、 のクレマン神父と、 皮らの無償の好意がなかったら、我々はもっとずっとひどい目にあ っていたことだろうと思う。僕には宗教のことはよくわからないけれど、親切のことならよ くわかる。愛は消えても親切は残る、と言ったのはカート・ヴォネガットだっけ。 僕らは十時四十五分にこのプロドロムのスキテに別れを告げる。次の目的地はカフソカリ ヴィアのスキテである。そしてそこから僕らは帰りの船に乗る。もしうまくいし 、つことだか。 ひも

4. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

Ⅷこれは天国である。 それから松村君と二人で散歩にでも出ようかとホテルのロビーに降りると、ロビーの柱に ヴァン猫のポスターが貼ってあった。 「ヴァン猫っていったいどこにいけばみつかるんでしようねえ」松村君が訊く。 「さあ、どうすりやいいんだろうね、道を歩いてるとも思えないし」と僕が言っていると、 まるでその日本語の会話を理解したかのように、さっきのフロントの男がっかっかとやって 「失礼ですか、さっきからこのヴァン猫のポスターを見ておられますね。この猫に興味がお ありですか ? 天 ある、と僕らは一一一口、つ。 雨 「それなら、実は私の従兄弟がこの近くにいるのですが、彼がこのヴァン猫を飼っておりま す。もしよろしければ御案内いたしますが」 どうも胡散臭い話である。男はそれほど親切な人間とも思えない。そんなことをわざわざ ただの好意でやってくれるわけがない。何か裏があるんじゃないかと思う。でもたぶんそれ は金で済むことだろうし、いくらか金を払ってヴァン猫に会えて、写真が撮れるんなら、そ れはそれでいいやと思う。 男はよろしい、三十分後にここで待ち合わせようと一一一一口う。その従兄弟のところに案内する

5. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

ンにも、つひと頑張りかほしい。 食事が終わってから、明日の食科として僕はテープルの上のあまったパンとチーズをさっ と袋につめて持ってくる。ここの食堂の人たちはみんなすごくにしそうで、「明日の朝早く ふんいき 出掛けるので、少し食料を分けていただけませんか ? 」などと言い出せる雰囲気ではなかっ たのだ。それどころか、規則がうるさいらしくて、僕が食料を袋にさっさっと詰めていると、 みんなすごく嫌な顔をする。親切なカラカルのマシューとはえらい違いである。しかしまわ ワりに嫌な顔をされたくらいであきらめるわけによ、 ( しかない。食料というのは我々にとっては ル死活問題なのだ。 O 君もなんとか隙を見て西瓜をかつばらって帰ってきた。この人は終始西 瓜にこだわっていた。 の 神 ス ア 『プロドロムのスキテまで』 さてこのグランデ・ラヴラは名前の示すとおり、アトス半島の中では別格的に大きい修道 院である。最大にして、最古の修道院である。だから設備は大きくてきちんとしているか、 家庭的な味わいにはいくぶん欠けるかもしれない。食堂にしたってちょっと大きすぎる。あ れではまるで、銀座のライオン・ビャホールである。西瓜くらいゆっくり食べさせてくれた がんば すき

6. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

ワ ア 『カリエからスタヴロニキタ』 の 神 アトスは緑の豊富な土地だ。夏のギリシャの ( 特に南部ギリシャの ) 樹木の乏しい赤っち ス トやけた土地を見れた目には、この光景はとても新鮮に映る。海岸に面した険しい崖の部分 をのぞけば、あとはどこを向いても深い林や草原やらが続いている。 バスは土煙をあげながら山道を上り、尾根を越えた向こう側にある首都カリエの町に我々 を運んでいく。首都とはいっても、カリエはしんと静まりかえった静かな町だ。町というこ とばさえあまりふさわしくないだろう。とても平和な集落というところだ。バスの停まる広 場のまわりにいくつか石造りの古い建物が並んでいるというだけのことである。教会があり、 則はちゃんと保たれている。しかし猫の性別までは残念ながらわからなかった。大に比べる と猫はこの地ではずっとずっとシリアスな生活を送っているらしく、彼らはやすやすと僕に 性別を調べさせてくれるほど親切ではなかったのだ。それに、猫の雄雌を見分けるのは大に 比べてずっと難しい。 ノスが山をおりて戻っ 思いを果たせぬまま、壁の上の猫たちをじっと睨んでいるうちに、ヾ てくる。ここからいよいよアトスの内部に入っていくわけである。

7. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

雨天炎天 おお く、まるでプラネタリウムのように隅から隅まできりつとした白い星に覆われている。 三十分ばかりそこで空をほんやり眺めてから、部屋にもどってべッドにもぐりこんだ。こ れで今日もたぶん良い天気になるだろうと思って、僕はほっとした。遠くで唱和する僧たち の祈りの声が僕の耳をやわらかく満たし、僕はほどなく眠りについた。 『ラヴラ修道院』 アトスに来て三日め。親切なカラカル修道院を朝早くあとにして、グランデ・ラヴラ修道 さんろく 院に向かう。このあたりからだんだん道はワイルドになってくる。アトス山の山麓をぐるつ とまわりこむような格好になるからだ。これまでの道は脚ならしのようなものであった。で もありがたいことに今日の空はからりと晴れている。ハイキング日和である。 「ひとつよくわからないことがあるんですがーとカメラの松村君が一言う。この人は普段はに こにこしてあまり喋らないけれど、ロを開くとわりに根源的な疑問を提出することが多い 「あそこの坊さんたちですけど、どうしてあんなひどい飯食ってて、それでもまだ太るんで しようね ? 猫だってかりかりにやせてるのに」 そう言われてみれば、腹が出ている坊さんをけっこう沢山見かけたような気がする。血色 しゃべ びより

8. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

こすりつける。僧はまたぶつぶっと文句を言いながら ( 何かを呪っているのかもしれない ) 、 それでも黴パンを豆スープにつつこんで、それを猫に「ほれ、食え」とくれてやる ( 僕らに 対するよりは猫に対する方が若干親切なように感じられる ) 。するとどうだろう、猫が実に それをおいしそうにびちゃびちゃと食べるのである。 この光景は僕にはとても信じられなかった。豆スープと黴パンで生きている猫が、この広 い世界にはちゃんと存在しているのである。そんな猫、見たことも聞いたこともない。僕の ワ飼ってた猫なんて、かつおぶし御飯だってろくに食べなかったのだ。本当に世界は広いと思 う。たぶんカフソカリヴィアに生まれて育った猫にとっては、食料とは実に黴パンと酢入り ア の豆スープなのだろう。猫は知らないのだ。山をいくつか越えると、そこにはキャット・フ の 神 ードなるものが存在し、それはカツォ味とビーフ味とチキン味に分かれ、グルメ・スペシア かん ル缶なんてものまであるのだということを。猫たちのあるものは運動不足・栄養過多で早死 ス にしているのだということを。そして黴パンなんてものは断じて猫の食べるべきものではな ア いのだとい、つことを。そんなことはカフソカリヴィアの猫には想像もできないのだ。きっと 猫は「おいしいなあ、今日も黴パンが食べられて幸せだなあ。生きててよかったなあ」と思 いながら、黴パンを食べているのだ。 こんなとこ それはそれで幸せな人生なんだろうと思う。でもそれは僕らの人生ではない。 ろにもう一日閉じ込められてまた黴パンなんか食べさせられたら、僕らは完全に参ってしま のろ

9. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

せるだけ親切と一言えなくもないけれど、しかしそんなものはとても人間の食べ物とは言えな ) 0 それから、冷めた豆のスープ。そこにどくどくどくと酢を注いで出す。「酢入れる・元 気になる」と彼は言う。それはそうかもしれないけど、味は無茶苦茶である。そして壁土み たいにばろほろしたフエタ・チーズ。これは僕が生まれてから食べたフエタ・チーズの中で はいちばんしよっぱい代物だった。とにかく顔か曲がってしま、つくらいしよっぱい。 高血圧 の人にこんなのを食べさせたらばたばた死ぬだろうと思う。でも腹が減っているから、食べ ( いかない。他に選択肢はないのだ。そんなわけで、我々は黴のはえたふやけた 天ないわけによ ハンを呑みこみ、酸つばいスープを流しこみ、しよっぱいチーズを齧った。 炎 「黴のはえたパンなんか食べちゃって、体は何ともないんでしようかね ? 」と松村君が訊く。 天 良い質問である。でも僕もこれまで黴のはえたパンを食べたような経験はないので、それで ため どうなるかは見当もっかなしリし 、。ナれば生き残るだろうし、強くなければ駄目かもしれない。 でもとにかく腹が減っているのだから仕方ない。目をつぶって食べちゃう。あたりまえの話 たか、これは決して美味いものではない。 松村君は一カ月中国の奥地を回っていろんな目にあった人だけれど、それでもここよりは まだましだった、と言う。 そのうちにどこからともなく猫かでてくる。猫はどうやらこの修道院にいついているらし のど く、ごろごろと喉を鳴らしながら、僕らに給仕をしてくれているその不気味な僧の足に頭を

10. 雨天炎天 : ギリシャ・トルコ辺境紀行

かたわ 便所は手動式の水洗である。つまり傍らにあるホースで流すか、あるいはバケツに自分で水 をくんで、それでざっと流すわけだ。簡単である。トイレット・ペ ーパーは流せなくて、備 え付けの箱に捨てるわけだが、 このシステムはアトスに限らずギリシャ中どこでもやってい ることなので、慣れてしまえばとくに不便というほどのこともない。石油ランプの光の下で 少しざらっとした特有の味わいのギリシャ・ワインを飲んでいるのはなかなか気持ちの良い ルものである。時々雷の音が聞こえる。そういえば、このあたりではしよっちゅう雷が落ちて むね ワ修道院が焼けるんですとマシューが言ってたなと思い出す。僕らが泊まっているすぐ隣の棟 くろこ もつい何カ月か前に落雷で焼けおちてしまったということで、まだ黒焦げになったまま放置 ア されている。どうやら雨ばかりでなく雷も多い土地柄らしい。こんなところで落雷にあって の 黒焦げになって死ぬなんて嫌だななどと思っていると、八時頃に誰かがドアを静かにノック した。開けてみるとマシューだった。 ス 「これも持っていきなさい」と言って、彼は葡萄と玉葱とピーマンを入れた袋を差し出した。 ア 本当に親切な男である。多謝。九時に僕らはランプを消して眠った。 真夜中に鐘の音で目が覚める。奇妙な鳴り方をする鐘である。奇妙なリズムと奇妙な音程。 時計を見ると午前一一時二十分だった。しばらくそのままじっとしていると、今度は木魚のよ 的うなものが鳴った。これも打ち鐘と同じく奇妙なリズムと奇妙な音程で鳴らされる。マシュ