煙草 - みる会図書館


検索対象: 風の歌を聴け
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1. 風の歌を聴け

反射させ、眼をこらすと何隻かのうす汚れた貨物船がうんざりしたように浮かんでいるのが見え 暑い一日になりそうだった。周りの家並みはまだ静かに眠り、聴こえるものといえば時折の 電車のレールのきしみと、微かなラジオ体操のメロディーといったところだ。 僕は裸のままべ、 ソドの背にもたれ、煙草に火を点けてから隣りに寝ている女を眺めた。南向き の窓から直接入り込んでくる太陽の光が女の体いつばいに広がっている。彼女はタオル・カバ を足もとにまで押しやったままぐっすりと眠っていた。時折息づかいが激しくなって、形のよい 乳房が上下に揺れる。体はよく日焼けしていたが、時間が経ったために少しくすんだ色に変わり 始め、水着の形にくつきりと焼け残った部分は異様に白く、まるで腐敗しかけているように見え 煙草を吸い終ってから川分ばかりかけて女の名前を思い出してみようとしたが無駄だった。第 一に女の名前を僕が知っていたのかどうかさえ思い出せない。僕はあきらめてあくびをし、もう 一度彼女の体を眺めた。年齢は歳より幾つか若く、どちらかといえば痩せていた。僕は指を いつばいに広げ、頭から順番に身長を測ってみた。 8 回指を重ね、最後に踵のあたりで親指が 1 本分残った。 15 8 センチというところだろう。 右の乳房の下に川円硬貨はどのソースをこばしたようなしみがあり、下腹部には細い陰毛が洪 水の後の小川の水草のように気持よくはえ揃っている。おまけに彼女の左手には指が 4 本しかな

2. 風の歌を聴け

134 人じゃないわ。」 「それはどはね ? 」 彼女は少し微笑むようにして肯いてから小刻みに震える手で煙草に火を点けた。煙は海からの 風に乗り、彼女の髪の脇をすり抜けて闇の中に消えた。 「一人でじっとしてるとね、いろんな人が私に話しかけてくるのが聞こえるの。 : : : 知っている 人や知らない人、お父さん、お母さん、学校の先生、いろんな人よ。」 僕は肯いた。 「大抵は嫌なことばかりよ。お前なんか死んでしまえとか、後は汚らしいこと : : : 。」 「どんな ? 「言いたくないわ。」 彼女は二ロばかり吸った煙草を皮のサンダルで踏んで消し、指先でそっと目を押えた。 「病気だと思う ? 」 「ど、つかな。」僕はわからない 「心配なら医者にみてもらった方かいいよ。」 「いいのよ。気にしないで。」 ーし力なかった。 彼女は一一本めの煙草に火を点け、それから笑おうとしたがうまくま ) 、 という風に首を振った。

3. 風の歌を聴け

「何故牛の絵なんて描いたのかしら ? 「さあね。」と僕は言った。 彼女は二歩後ろに下り、もう一度牛の絵を眺め、それからしゃべり過ぎたことを後海するかの よ、つに口をつぐんで車に乗った。 車の中はひどく暑く、港に着くまで彼女は一言も口をきかすにタオルで流れ落ちる汗を拭き続 けながら、ひっきりなしに煙草を吸った。火を点けて三ロばかり吸うと、フィルターについたロ 紅を点検するようにじっと眺めてからそれを車の灰皿に押し込み、そして次の煙草に火を点け 「ねえ、昨日の夜のことだけど、一体どんな話をしたの ? 」 車を下りる時になって、彼女は突然そう訊ねた。 「いろいろ、さ。」 「ひとつだけでいいわ。教えて。」 り「ケネディーの話。」 の 「ケネディー ? 風 「ジョン・・ケネディ 彼女は頭を振って韶息をついた。

4. 風の歌を聴け

しれないと真剣に考えていた。そして他人に伝える何かがある限り僕は確実に存在しているはす だと。しかし当然のことながら、僕の吸った煙草の本数や上った階段の数や僕のペニスのサイズ に対して誰ひとりとして興味など持ちはしない。そして僕は自分のレーゾン・デートウルを見失 ないひとりはっちになった。 ☆ 4 その夜、鼠は一滴もビールを飲まなかった。これは決して良い徴候ではない。そのかわりに、 ジム・ビームのロックをたてつづけに 5 杯飲んだ。 僕たちは店の奥にある薄暗いコーナーでピンボールを相手に時間を潰した。幾ばくかの小銭の 代償に死んだ時間を提供してくれるただのガラクタだ。しかし鼠はどんなものに対しても真剣 だった。だから僕がその夜の 6 回のゲームのうちの 2 回を勝てたのは殆んど奇跡に近いことだっ そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は 6922 本めの煙草を吸っていた。

5. 風の歌を聴け

は車の屋根によじのばり、天窓から運転席をのぞきこんだ。 「大丈夫かい ? 」 「ああ、でも少し飲みすぎたな。吐くなんてね。」 「出られるかい ? 」 「引っぱり上げてくれ。 鼠はエンジンを切り、ダッシュポードの上の煙草の箱をポケットにつつこんでから、おもむろ に僕の手をつかんで車の屋根によじのばった。僕たちはフィアットの屋根に並んで腰を下ろした ートンの まま、白み始めた空を見上げ、黙って何本か煙草を吸った。僕は何故かリチャード・ 主演した戦車映画を思い出した。鼠が何を考えていたのかはわからない。 「ねえ、俺たちはツィてるよ。」 5 分ばかり後で鼠はそう言った。「見てみなよ。屋我ひとつな 一三ロじられるかい ? 」 僕は肯いた。「でも、車はもう駄目だな。」 を「気にするなよ。車は買い戻せるが、ツキは金じや買えない 僕は少しあきれて鼠の顔を眺めた。「金持ちなのか ? 」 風 「らしいね。」 「そりや良かった。」

6. 風の歌を聴け

27 風の歌を聴け だろうってわ。」 女はそ、つ一言、つと軽く笑って、しばらく一愛 ) そ、つに目の縁を押さえた。鼠はモジモジしながらあ てもなくボケットを探った。三年振りに無陸に煙草が吸いたかった。 しと思った ? 「僕が死ねばい ) 「本当に少し ? 」 : ・忘れたわ。」 一一人はしばらく黙った。鼠はまた何かをしゃべらなければならないような気がした。 「わえ、人間は生まれつき不公平に作られてる。」 「誰の言葉 ? 」 「ジョン・・ケネディ 小さい頃、僕はひどく無ロな少年だった。両親は心配して、僕を知り合いの精神科医の家に連

7. 風の歌を聴け

102 微かな予感、みんないっ果てるともない甘い夏の夢だった。そしてある年の夏 ( いつだったろ ? ) 、夢は一一度と戻っては来なかった。 僕が 2 時びったりに 「ジェイズ・ ー」の前に車を着けた時、鼠はガードレールに腰かけてカ サンザキスの「再び十字架にかけられたキリスト」を読んでいた。 「彼女は何処にいるんだ ? 」僕はそう訊ねてみた。 鼠は黙って本を閉し、車に乗りこんでからサングラスをかけた。「止めたよ。」 「止めた ? 」 「止めたんだ。」 僕は溜息をついてネクタイをゆるめ、上着を後ろの座席に放り投げてから煙草に火を点けた。 「さて、何処かに行きますか ? 」 「動物園。」 「いいわ。」と僕は言った。

8. 風の歌を聴け

三人目のガール・フレンドが死んだ半月後、僕はミシュレの「魔女」を読んでいた。優れた本 だ。そこにこんな一節があった。 「ローレンヌ地方のすぐれた裁判官レミーは八百の魔女を焼いたが、この『恐布政治』につい て勝誇っている。彼は言う、『私の正義はあまりにあまねきため、先日捕えられた十六名はひ とが手を下すのを待たす、ます自らくびれてしまったはどである。』」 ( 篠田浩一郎・訳 ) 私の正義はあまりにあまわきため、というところがなんともいえす良い 彼女は煙草をもみ消し、ワインを一口飲んでから感心したようにしばらく僕の顔を眺めた。 「あなたって確かに少し変ってるわ。」

9. 風の歌を聴け

「もう一人女の子が居るわ。今は食事に出てるのよ。」 「君は ? 」 「彼女が帰ったら交代するの。」 僕はポケットから煙草を出して火を点け、彼女の作業をしばらく眺めた。 「わえ、もしよかったら一緒に食事しないか ? 」 彼女は伝票から目を離さすに首を振った。 「一人で食事するのが好きなの。」 「僕もそうさ。 「そう ? 」 彼女は面倒臭そうに伝票を脇にやり、プレイヤーにハ 下ろした。 「じゃあ、何故誘うの ? 」 「たまには習饋を変えてみたいんだ。」 「一人で変えて。 彼女は伝票を手もとに寄せて作業の続きを始めた。「もう私に構わないで。」 僕は亠冂いた。 ース・ビザールの新譜をのせて針を

10. 風の歌を聴け

彼女が目覚めるまでに、それからざっと 3 時間ばかりかかった。そして目覚めてから、物事の 順序が幾らか理解できるようになるまでに 5 分かか「た。その間、僕は腕を組み、水平線の上に 浮かんだぶ厚い雲が姿を変え、東の方に流れるのをじっと眺めていた。 にくるまって しばらく後で僕が振り向いた時、彼女は首までひつはり上げたタオル・カバ 胃の底に残ったウイスキーの匂いと闘いながら無表情に僕を見上げていた。 「誰・・ : : あなたは ? 「覚えてない ? 彼女は一度だけ首を振った。僕は煙草に火を点け、一本勧めてみたが彼女はそれを無視した。 の 「説明して。」 風 「どのあたりから始める ? 」 「最初からよ。」 、カた 9