蔵庫よりすっと小さく、テレビよりすっと安い。君は今何してた。」 「本を読んでました。」 「チッチッチ、駄目だよ、そりや。ラジオを聴かなきや駄目さ。本を読んだって孤独になるだけ さ。そうだろ ? 」 「ええ。」 「本なんてものはスパゲティーをゆでる間の時間つぶしにでも片手で読むもんさ。わかったか 「ええ。 : これで話ができそうだね。ねえ、しやっくりの止まらなくなったアナウ ンサーと話したことあるかい ? 」 「じゃあ、これが最初だ。ラジオ聴いてるみんなも初めてだよな。ところで何故僕が放送中に君 に電話してるかわかるかい ? 」 「実はね、君にリクエスト曲をプレゼントした女の子が : : : ムツ いるわけなんだ。誰だかわ
71 風の歌を聴け 思うの。」彼女は早ロでそう言った。 「自分に厳しいんだわ。」 「ええ、そうありたいとはいつも思ってるわ。」 ・女はしばらく默った。 「今夜会えるかしら。」 「 8 ・時にジェイズ・ 「わかった。」 「 : : : ねえ、いろんな嫌なげにあったわ。」 「わかるよ。」 「ありがとう。 彼女は電話を切った。
「嘘つきねえ。」 女は笑った。 「でも悪い気はしないわよ。独身に見える ? それとも亭主持ちに見える ? 「賞金は出るんですか ? 」 「出してもいいわよ。」 「結婚してる。 「ん : : : 、半分は当たってるわわ。先月離婚したのよ。離婚した女の人とこれまでに話したこと ある ? 」 いえ。でも神経痛の牛には会ったことがある。 「何処で ? 「大学の実験室でね。 5 人がかりで教室に押しこんだ。 女は楽しそうに笑った。 「学生 ? 」 「ええ。 「私も昔は学生だったわ。年ごろわ。良い時代よ。
17 風の歌を聴け 回ってりやいいんだよ。でもね、俺はそうしゃないし、あんただって違う。生きるためには考え 明日の天気のことから、風呂の栓のサイズまでね。そうだろ ? いけなくちゃな、らない 「ああ。」と僕は言った。 「そういうことさ。」 ーを取り たいことだけをしゃべってしま、つと、ポケットからティッ、ンユ 鼠はしゃべり 出しつまらなそうに音をたてて鼻をかんだ。鼠がいったいどこまで真剣なのか、僕にはうまく把 めなかった。 「でも結局はみんな死ぬ。」僕は試しにそう言ってみた。 「そりやそうさ。みんないっかは死ぬ。でもね、それまでに年は生きなきゃならんし、いろん なことを考えながら年生きるのは、はっきり言って何も考えすに 5 千年生きるよりすっと疲れ る。そ、つだろ ? 」 そのとおりだった。
ール・チーズ、ポーンレス・ハム、三段めには魚と鶏のもも は卵のケースとバターにカマンべ 肉、一番下のプラスチック・ケースにはトマト、キュウリ、アスパラガス、レタスにグレープフ ルーツ、ドアにはコカ・コーラとビールの大瓶が 3 本すっ、それに牛乳のパックが入っていた。 僕は彼女を待っ間、ハンドルにもたれかかったまま冷蔵庫の中身を平らげる順番をすっと考え てみたが、何れにせよ 1 リットルのアイスクリームはいかにも多すぎたし、ドレッシングの無 のは致命的、、こっこ。 彳女か門から出てきたのは 5 時を少し過ぎる頃だった。彼女はラコステのピンクのポロシャッ 一週間ばかりの間に彼女 と白い綿のミニ・スカートをはき、髪を後で束ねて眼鏡をかけていた。 は三歳くらいは老けこんでいた。髪型と眼鏡のせいかもしれない。 「ひどい雨だったわ。」助手席に乗り込むなり彼女はそう言って、神経質そうにスカートの裾を を「濡れた ? 」 の 風 僕は後の座席から、プール以来置きっ放しになっていたビーチ・タオルを取って彼女に手渡し 1 よネノ・′ィー こ。皮女はそれで顔の汗を拭き、髪を何度か拭ってから僕に返した。
れていった。 医者の家は海の見える高台にあり、僕が陽あたりの良い応接室のソファーに座ると、品の良い 中年の婦人が冷たいオレンジ・ジュースと一一個のドーナツを出してくれた。僕は月に砂糖をこば さぬように注意してドーナツを半分食べ、オレンジ・ジュースを飲み干した。 「もっと飲むかい ? 」と医者が訊ね、僕は首を振った。僕たちは二人きりで向い合っていた。 正 面の壁からはモーツアルトの肖像画が臆病な猫みたいにうらめし気に僕をにらんでいた。 「昔ね、あるところにとても人の良い山羊がいたんだ。」 素敵な出だしだった。僕は目を閉じて人の良い山羊を想像してみた。 「山羊はいつも重い金時計を首から下げて、ふうふう言いながら歩き回ってたんだ。ところがそ の時計はやたらに重いうえに壊れて動かなかった。そこに友だちの兎がやってきてこう言った。 〈ねえ山羊さん、なぜ君は動きもしない時計をいつもぶらさげてるの ? 重そうだし、役にもた たないじゃないか〉ってさ。〈そりや重いさ〉って山羊が言った。〈でもね、饋れちゃったんだ。 時計が重いのにも、動かないのにもね〉。」 医者はそう一言うと自分のオレンジ・ジュースを飲み、ニコニコしながら僕を見た。僕は黙って 話の続きを待った。 「ある日、山羊さんの誕生日に兎はきれいなリポンのかかった小さな箱をプレゼントした。それ
「家族の悪口なんて確かにあまリ良いもんしゃないわね。気が滅入るわ。」 「気にすることはないさ。誰だって何かを抱えてるんだよ。」 「あなたもそう ? 」 「うん。いつもシェービング・クリームの缶を握りしめて泣くんだ。」 彼女は楽しそうに笑った。何年か振り、といった笑い方だった。 「ねえ、何故ジンジャー ・エールなんて飲んでるの ? 」僕はそう訊ねてみた。「まさか禁酒して るわけじゃないんだろ ? 」 そのつもりだったんだけど、もういいわ。」 「何を飲む ? 」 「よく冷えた白ワイン。」 僕はジェイを呼んで新しいビールと白ワインを注文した。 を「ねえ、双子の姉妹がいるってどんな感じ ? 」 「そうわ、変な気分よ。同じ顔で、同じ知能指数で、同しサイズのプラジャーをつけて : 風 つもうんざりしてたわ。」 「よく間違えられた ? 」
「ええ、八 つの時まではね。その年に私は 9 本しか手の指がなくなったから、もう誰も間違えな くなったわ。」 彼女はそう言って、コンサート・ピアニストが意識を集中する時のように、両手をきちんと くつつけたままカウンターに並べた。僕は彼女の左手を取って、ダウンライトの光の下で注意深 く眺めた。カクテル・グラスのようにひんやりとした小さな手で、そこには生まれつきそうであ るかのようにごく自然に、 4 本の指が気持良さそうに並んでいた。その自然さは奇跡に近いもの だったし、少くとも指が 6 本並んでいるよりは遥かに説得力があった。 「八つの時に電気掃除機のモーターに小指をはさんだの。はしけ飛んだわ。 「今、何処にある ? 」 「何が ? 「小指さ。」 「忘れたわ。」彼女はそう言って笑った。「そんなこと訊いた人、あなたが初めてよ。」 「小指のないことは気になる ? 」 「ええ、手袋をつける時にね。」 「それ以外には ? 」 彼女は首を振った。
何故放送局にラジオが一台も無いんだ ? ね、あなたも : : ねえ、野球はど、つなってる ? : おいおいもう、 しいよ、マイク・スタンドの角で開けちゃったよ : : 大丈夫だよ。しやっくりなんて出やしないさ。心配陸だ ・ : 他の局で中継やってんだろう ? 犯罪だよ、そりや : : おい、ちょっとまってくれ、
91 風の歌を聴け 彼女はそう訊わた。 「どうかな ? 「ねえ、あなたに迷筬かけてないかしら ? 」 「大丈夫だよ。 「今のところはね ? 」 「今のところは。 彼女はテープル越しにそっと手を伸ばして僕の手に重ね、しばらくそのままにしてから元に戻 した。 「明日から旅行するの。 「何処に ? 「決めてないわ。静かで涼しいところに行くつもりよ。一週間はどわ。」 僕は肯いた。 「帰ったら電話するわ。