かって誰もがクールに生きたいと考える時代があった。 を高校の終り頃、僕は、いに思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたがその思 の いっきを、何年かにわたって僕は実行した。そしてある日、僕は自分が思っていることの半分し 風 か語ることのできない人間になっていることを発見した。 鵬それがクールさとどう関係しているのかは僕にはわからない。しかし年しゅう霜取りをしなけ 「老婆心。」 「そう。」 僕は笑ってビールを飲んだ。 「鼠には僕の方から言い出してみるよ。」 「うん、それかいいよ ジェイは煙草を消して仕事に戻った。僕は席を立って洗面所に入り、手を洗うついでに鏡に顔 を写してみた。そしてうんざりした気分でもう一本ビールを飲んだ。 0 3
貶僕は肯いた。 「セイバーは本当に素敵な飛行機だったよ。ナバームさえ落とさなきやわ。ナバームの落ちると ころ見たことあるかい ? 「戦争映画でね。」 「人間ってのは実にいろんなものを考え出すものさ。また、それが本当によくできてるんだね。 あと川年もたてばナバームでさえ懐しくなるかもしれない。 僕は笑って 2 本目の煙草に火を点けた。「飛行機は好きなのかい ? 」 「操縦士になりたいと思ったよ、昔ね。でも目を悪くしてあきらめた。 「そう ? 」 「空が好きなんだ。い つまで見てても飽きないし、見たくない時には見なくて済む。」 鼠は 5 分間すっと黙っていたが、突然口を開いた。 「時々ね、どうしても我慢できなくなることがあるんだ。自分が金持ちだってことにね。逃げだ したくなるんだよ。わかるかい ? 」 本当にそう隸うんなら 「わかるわけないさ。ーと僕はあきれて言った。「でも逃げ出せばいし 「 : : : 多分ね、それが一番いいと思うよ。どこか知らない街に行ってね、そもそもの始めからや
り直すんだ。それも悪かないよ。 「大学には戻らない ? 「止めたんだ。戻りようもないさ。」 鼠はサングラスの奥から、まだ泳ぎ続けている女の子を目で追っていた。 「何故止めた ? 」 「さあね、うんざりしたからだろう ? でもわ、俺は俺なりに頑張ったよ。自分でも信しられな いくらいにさ。自分と同じくらいに他人のことも考えたし、おかげでお巡りにも殴られた。だけ どさ、時が来ればみんな自分の持ち場に結局は戻っていく。俺だけは戻る場所がなかったんだ。 椅子取りゲームみたいなもんだよ。 「これから何をする ? 鼠はタオルで足を拭きながらしばらく考えた。 「小説を書こうと田 5 うんだ。どう思う。」 を「もちろん書けばいい の鼠は肯いた。 「どんな小説 ? 「良い小説さ。自分にとってわ。俺はね、自分に才能があるなんて思っちゃいないよ。しかし少
僕は肯いた。 「でも靴が磨けないわ。 「たまには自分で磨けばいい 「磨くかな、自分で ? 」 「律義な人だからね。」 静かな夜だった。 彼女はゆっくりと寝返りを打って、鼻先を僕の右肩につけた。 「寒いわ。 度はあるぜ。 「わかんないわ、寒いのよ。 け僕は足もとに投げ捨てられたタオル・カバーを取って、肩口までひつばり上げてから彼女を抱 彼女の体はガタガタと小刻みに震えていた。 歌 の 「具合でも悪いのかい ? 」 風 彼女は軽く首を振った。 「怖いのよ。
皮膚病を抱えていた中学三年生の夏休みであった。僕にその本をくれた叔父は三年後に腸の癌を 患い、体中をすたすたに切り裂かれ、体の入口と出口にプラスチックのパイプを詰め込まれたま ま苦しみ抜いて死んだ。最後に会った時、彼はまるで狡猾な猿のようにひどく赤茶けて縮んでい ☆ 僕には全部で三人の叔父がいたが、一人は上海の郊外で死んだ。終戦の二日後に自分の埋めた 地雷を踏んだのだ。ただ一人生き残った三人目の叔父は手品師になって全国の温泉地を巡ってい る。 ☆ ートフィールドが良い文章についてこんな風に書いている。 「文章をかくという作業は、とりもなおさす自分と自分をとりまく事物との距離を確認すること である。心要なものは感ではなく、ものさしだ。 ( 「気分が良くて何が悪い ? 僕がものさしを片手に恐る恐るまわりを眺め始めたのは確かケネディー大統領の死んだ年で、 それからもう年にもなる。燔年かけて僕は実にいろいろなものを放り出してきた。まるでエン 19 3 6 年 )
れていった。 医者の家は海の見える高台にあり、僕が陽あたりの良い応接室のソファーに座ると、品の良い 中年の婦人が冷たいオレンジ・ジュースと一一個のドーナツを出してくれた。僕は月に砂糖をこば さぬように注意してドーナツを半分食べ、オレンジ・ジュースを飲み干した。 「もっと飲むかい ? 」と医者が訊ね、僕は首を振った。僕たちは二人きりで向い合っていた。 正 面の壁からはモーツアルトの肖像画が臆病な猫みたいにうらめし気に僕をにらんでいた。 「昔ね、あるところにとても人の良い山羊がいたんだ。」 素敵な出だしだった。僕は目を閉じて人の良い山羊を想像してみた。 「山羊はいつも重い金時計を首から下げて、ふうふう言いながら歩き回ってたんだ。ところがそ の時計はやたらに重いうえに壊れて動かなかった。そこに友だちの兎がやってきてこう言った。 〈ねえ山羊さん、なぜ君は動きもしない時計をいつもぶらさげてるの ? 重そうだし、役にもた たないじゃないか〉ってさ。〈そりや重いさ〉って山羊が言った。〈でもね、饋れちゃったんだ。 時計が重いのにも、動かないのにもね〉。」 医者はそう一言うと自分のオレンジ・ジュースを飲み、ニコニコしながら僕を見た。僕は黙って 話の続きを待った。 「ある日、山羊さんの誕生日に兎はきれいなリポンのかかった小さな箱をプレゼントした。それ
「自分で調べてみりやい、。 「どうやって ? 」 彼女は確かに真剣に腹を立てているようだった。 「誓うよ。」 「信じられないわ。」 「信じるしかないさ。」僕はそう一言った。そして嫌な気持になった。 彼女はそれ以上しゃべるのをあきらめて僕を部屋の外に放り出し、自分も外に出てドアをロッ クした。 僕たちは一一一口もしゃべらすに、 ヘロ、のアスファルト道を車の停めてある空地まで歩いた 僕かフロント・グラスのはこりをティッシュ ーで拭き取っている間、彼女は疑わしそ うに車のまわりをゆっくり歩いて一周してから、ポンネットに白ペンキで大きく描かれた牛の顔 をしばらくじっと眺めた。牛は大きな鼻輪をつけ、ロに白いバラを一輪くわえて笑っていた。ひ どく下卑た笑い方だった。 「あなたが描いたの ? 」 「いや、前の持ち主さ。」
116 「塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき。」 鼠はそう言った。 ーニのイタリア民謡の流 夕方になって日が翳り始める頃、僕たちはプールから出て、マントバ ーに入り、冷たいビールを飲んだ。広い窓からは港の灯がくつきりと見え れるホテルの小さなバ 「女の子はどうしたんだ ? 」 僕は思い切ってそう訊ねてみた。 鼠は手の甲でロについた泡を拭い、考え込むように天井を眺めた。 「はっきり言ってね、そのことについちゃあんたには何も言わないつもりだったんだ。馬鹿馬鹿 しいことだからね。」 「でも一度は相談しようとしただろう ? 」 「そうだね。しかし一晩考えて止めた。世の中にはどうしようもないこともあるんだってね。」 「例えば ? 」 「例えば虫歯さ。ある日突然痛み出す。誰が慰めてくれたって痛みが止まるわけしゃない。そう するとね、自分自身に対してひどく腹が立ち始める。そしてその次に自分に対して腹を立ててな
114 くとも、書くたびに自分自身が啓発されていくようなものじゃなくちや意味がないと思うんだ。 そうだろ ? 」 「そうだね。」 「自分自身のために書くか : : : それとも嬋のために書くかさ。」 「ああ。」 ・コインのペンダントをしばらくいしくりまわしていた。 鼠は裸の胸に吊したケネディー 「何年か前にね、女の子と一一人で奈良に行ったことがあるんだ。ひどく暑い夏の午後でね、俺た ちは 3 時間ばかりかけて山道を歩いた。その間に俺たちの出会った相手といえば鋭い鳴き声を残 して飛び立っていく野鳥とか畔道に転がって羽をバタバタさせているアプラ嬋とか、そんなとこ ろさ。なにしろ暑かったからわ。 しばらく歩いた後で俺たちは夏草がきれいに生え揃ったなだらかな斜面に腰を下ろして、気持 ちの良い風に吹かれて体の汗を拭いた。斜面の下には深い濠が広がって、その向う側には鬱蒼と 木の繁った小高い島のような古墳があったんだ。昔の天皇のさ。見たことあるかい ? 僕は亠冂いた。 「その時に考えたのさ。何故こんなにでかいものを作ったんだろうってね。 : もちろんどんな
71 風の歌を聴け 思うの。」彼女は早ロでそう言った。 「自分に厳しいんだわ。」 「ええ、そうありたいとはいつも思ってるわ。」 ・女はしばらく默った。 「今夜会えるかしら。」 「 8 ・時にジェイズ・ 「わかった。」 「 : : : ねえ、いろんな嫌なげにあったわ。」 「わかるよ。」 「ありがとう。 彼女は電話を切った。