すっ溶けていく音が聞こえるような気がします。そして実際そのとおりなのかもしれません。 まもうやめます。そしてお姉さんが一日に何百回となく私に言いきかせてくれるよう 嫌な話ー に、良いことだけを考えるよう努力してみます。それから夜はきちんと寝るようにします。嫌な ことは大抵真夜中に思いつくからです。 病院の窓からは港が見えます。毎朝私はべッドから起き上って港まで歩き、海の香りを胸いっ しいからそ、つすることかできたと ばいに及いこめたら : : と想像します。もし、たった一度でも ) したら、世の中が何故こんな風に成り立っているのかわかるかもしれない。そんな気がします。 ソドの上で一生を終えたとしても耐えるこ そしてはんの少しでもそれが理解できたとしたら、べ、 とかできるかもしれない さよなら。お元気で。」 聴 を名前は書いてない の僕がこの手紙を受けとったのは昨日の 3 時過ぎだった。僕は局の喫茶室でコーヒーを飲みなが らこれを読んで、夕方仕事が終ると港まで歩き、山の方を眺めてみたんだ。君の病室から港が見 Ⅱえるんなら、港から君の病室も見える筈だものね。山の方には実にたくさんの灯りが見えた。も
く末、趣味だとか、寝た女の数だとか、テレビの番組についてだとか、昨日見た夢だとか、そう いった話をね。そして二人でビールを飲むんた。」 し。一体何処にビールがあるんだ ? 」 「ねえ、ちょっと・侍ってくオ 鼠は少し考えた。 「浮いてるのさ。船の食堂から缶ビールが流れ出したんだな。オイル・サーディンの缶と一緒に ね。これでいい力い ? 」 「そのうちに夜が明けてきた。〈これからどうするの ? 〉って女が俺に訊ねる。〈私は島がありそ うな方に、冰いでみるわ〉って女は言うんだ。でも島は無いかもしれない。それよりここに浮かん でビールでも飲んでれば、きっと飛行機が救助に来てくれるさ、って俺は言う。でもね、女は一 人で、冰いでいっちまうんだ。」 鼠はそこで一息ついてビールを飲んだ。 を「女は二日と二晩泳ぎつづけてどこかの島にたどりつく。俺は俺で一一日酔いのまま飛行機に救助 のされる。それでね、何年か後に一一人は山の手の小さなバーで偶然めぐりあうんだな。」 風 「それでまた一一人でビールを飲むんだろ ? 」 「悲しくないか ? 」
140 「すっと何年も前から、いろんなことがうまくいかなくなったの。」 「何年くらい前 : お父さんが病気になった年。それより昔のことは何ひとっ覚えてないわ。すっと嫌 なことばかり。 頭の上をね、いつも悪い風が吹いてるのよ。 「風向きも変わるさ。 「本当にそう田 5 う ? 「いっかね。」 彼女はしばらく黙った。砂漠のような沈黙の乾きの中に僕の言葉はあっという間もなく飲みこ まれ苦々しさだけがロに残っこ。 「何度もそう思おうとしたわ。でもわ、いつも駄目だった。人も好きになろうとしたし、辛棒強 くなろうともしてみたの。でもね : ・・ : 。」 僕たちはそれ以上は何もしゃべらすに抱き合った。彼女は僕の胸に頭を乗せ、唇を僕の乳首に 軽くつけたまま眠ったように長い間動かなかった。 長い間、本当に長い間、彼女は黙っていた。僕は半分まどろみながら暗い天井を眺めていた。 「お母さん : : : 。」
124 「 5 時にの門の前で。 「で何してる ? 「フランス語会話。」 「フランス語会話 ? 」 僕は電話を切ってからシャワーに入り、ビールを飲んだ。僕がそれを飲み終えるころ、滝のよ うなタ立が降り始めた。 僕が >*O< に着いた時には雨はもうすっかり上がっていたが、門を出てくる女の子たちは疑 ぐり深そうに空を見上げながら傘をさしたりすばめたりしていた。僕は門の向い側に車を止め、 エンジンを切って煙草に火を点けた。雨で黒く濡れた門柱は荒野に立った 2 本の墓石のように見 える。の薄汚れて陰気な建物の隣りには新しくはあるがその分だけ安手の貸ビルが建つ ていて、屋上には電気冷蔵庫の巨大な広告。 ( ネルが取り付けられていた。エプロンをつけた歳 ばかりのいかにも貧血症といった感じの女が前かがみになって、それでも楽しそうにドアを開け ているおかげで、僕は冷蔵庫の中身をのぞき見ることができた。 フリーザーには氷と 1 リットル入りのバニラ・アイスクリーム、凍海老の。ハック、一一段めに
言ってもよい。実際僕たちはよく嘘をつき、しよっちゅう黙りこんでしまう。 しかし、もし僕たちが年中しゃべり続け、それも真実しかしゃべらないとしたら、真実の価値 など失くなってしまうのかもしれない ☆ ル・フレンドは裸でべッドの中にもぐりこんでいた。そして僕たちは 去年の秋、僕と僕のガー ひどく腹をすかせていた。 「何か食べ物は無いかな ? 」僕は彼女にそう訊ねてみた。 「捜してみるわ。」 彼女は裸のまま起き上がり、冷蔵庫を開けて古い。ハンをみつけだし、レタスとソーセージで簡 単なサンドウィッチを作り、インスタントのコーヒーと一緒にべッドまで運んでくれた。それは け川月にしては少し寒すぎる夜で、べ ッドに戻った時には彼女の体は缶詰の鮭みたいにすっかり冷 をえきっていた。 の「芥子はなかったわ。」 「上等さ。 僕たちは布団にくるまったままサンドウィッチを齧りながらテレビで古い映画を見た。
川分ばかり後で、グレープフルーツのような乳房をつけ派手なワンピースを着た歳ばかりの 女が店に入ってきて僕のひとっ隣りに座り、僕がやったのと同しように店の中をぐるりと見まわ り、うんざりする してからギムレットを注文した。彼女は飲み物を一口だけ飲んでから立ち上が 日 ソグを抱えて便所に入った。結局鬨分ばかりの門 くらい長い電話をかけ、それが終るとハンドバ にそれが 3 回続いた。ギムレットを一口、長電話、ハント / ーテンのジェイが僕の前にやってきて、うんざりした顔で、ケツがすりきれるんじゃないか な、と言った。彼は中国人だが、僕よりすっと上手い日本語を話す。 女は三度目の便所から戻ると、あたりを見回してから僕の隣りに滑りこみ、小声で言った。 「ねえ、悪いんだけど、小銭を貸していただけない ? 攵あった。 こ。川円玉が全部で本 僕は肯いてポケットの小銭をあつめ、カウンターの上に並べオ 「ありがとう。助かるわ。これ以上店で両替すると嫌な顔されるのよ。」 「構いませんよ。おかげですいぶん体が軽くなった。 を 彼女はニッコリ肯いて、すばやく小銭をかきあつめると電話の方に消えた。 僕は本を読むのをあきらめ、ジェイに頼んでポータブル・テレビをカウンターに出してもら 風 ビールを飲みながら野球中継を眺めることにした。たいした試合だった。 4 回の表だけで二 人の投手が 2 本のホームランを含めて 6 本のヒットを打たれ、外野手の一人はたまりかねて貧血 や
、ったい何処が最初なのか僕には見当もっかなかったし、どんな風に話せば彼女を納得させら れるのかもわからなかった。、つまくいくかもしれないし、駄目かもしれない。冀は川秒ばかり老ノ えてから話し始めた。 「暑いけれど気持の良い一日だった。僕は午後じゅうプールで泳いで、家に帰って少し昼寝をし てから食事を済ませた。 8 時過ぎだね。それから車に乗って散歩にでかけたんだ。海岸通りに車 つもそうするんだ。 を停めてラジオを聴きながら海を眺めてた。い 分ばかリしてから急に誰かに会いたくなった。海ばかり見てると人に会いたくなるし、人ば かり見てると海を見たくなる。変なもんさ。それで『ジェイズ・ ー』に一丁くことにした。ビ ルも飲みたかったし、あそこでなら大抵は友だちにもあえるしわ。でも奴は居なかった。それで 一人で飲むことにしたんだ。一時間ばかりかけてビールを三本飲んだよ。」 僕はそこで一言葉を切って煙草の灰を灰皿に落とした。 「ところで「熱いトタン屋根の猫』を読んだことあるかい ? 彼女はそれには答えす、まるで浜辺にうちあげられた人佑 ( のようにしつかりとタオルにくる まったまま天井を睨んでいた。僕は構わすに話しつつけた。 たび 「つまりね、 一人で酒を飲む度にあの話を思い出すんだ。今に頭の中でカチンと音がして楽にな れるんしゃないかってさ。でも現実にはそ、つうまくはい、よ 日なんてしたこともないよ。そ
わった。でも誰も知らなかった。それからジェイと一一人で傷の手当をした。」 「転んだ時にどこかの角で頭を打ったのさ。でもたいした傷しゃなかった。 彼女は肯いてタオルの中から手を出し、指先で額の傷口を軽く押えた。 「それでジェイと相談した。どうすりや いいだろうってさ。結局僕が家まで車で送ることになっ た。君のバッグをひっくり返してみると財布とキー・ホルダーと君あての葉書が一枚出てきた。 僕は財布の金で勘定を払い、葉書の住所を頼りに君をここまで連れてきて、鍵を開けてべッドに 寝かせた。それだけさ。領収書は財布の中に入ってるよ。」 彼女は自 5 を深く及った。 「何故泊ったの ? 」 「何故私を送り届けた後ですぐに消えてくれなかったの ? 」 「僕の友だちに急陸アルコール中毒で死んだのがいるんだ。ウイスキーをが、ぶ飲みした後でさよ ならって別れてから家まで元気に歩いて帰ってね、歯を磨いてパジャマに着がえて寝たのさ。朝 になったら冷たくなって死んでたよ。立派な葬式だったな。 「 : : : それで私を一晩中看病してたってわけね ? 」
僕は嫌な夢を見ていた。 歌 僕は黒い大きな鳥で、ジャングルの上を西に向かって飛んでいた。僕は深い傷を負い、羽には の 風 血の痕が黒くこびりついている。西の空には不吉な黒い雲が一面に広がり始め、あたりには微か 四な雨の香りがした。 「わかるわけないでしよ。と彼女は言ったが、少し後でこうつけ加えた。「でもそれは天使の羽 根みたいに空から降りてくるの。」 僕は天使の羽根が大学の中庭に降りてくる光景を想像してみたが、遠くから見るとそれはまる でティッシュ ーのよ、つに見えた。 ☆ 何故彼女が死んだのかは誰にもわからない。彼女自身にわかっていたのかどうかさえ屋しいも のだ、と僕は田 5 う。
11 風の歌を聴け ジンの故障した飛行機が重量を減らすために荷物を放り出し、座席を放り出し、そして最後には 1 年の間僕はありとあらゆるものを放り出し、そのか あわれなスチュワードを放り出すように、 5 わりに殆んど何も身につけなかった。 それが果たして正しかったのかどうか、僕には確信は持てない。楽になったことは確かだとし ても、年老いて死を迎えようとした時に一体僕に何が残っているのだろうと考えるとひどく怖 。僕を焼いた後には骨ひとっ残りはすまい 「暗い、いを持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い、いは夢さえも見ない。死んだ祖母はいっ もそう一言っていた。 祖母が死んだ夜、僕がます最初にしたことは、腕を伸ばして彼女の瞼をそっと閉じてやること だった。僕が瞼を下ろすと同時に、彼女が四年間抱き続けた夢はまるで舗道に落ちた夏の通り雨 のように静かに消え去り、後には何ひとっ残らなかった。 ☆ く。これで最後だ。 もう一度文章について書 僕にとって文章を書くのはひどく苦痛な作業である。一カ月かけて一行も書けないこともあれ